マインドル本文・2ndヒロ子氏のパート・第12話に着手。
冒頭のシーンの会話の流れを整理しました。
本文にはまだ手を着けてません。
今回も前回と同じように、冒頭に長めの会話シーンがあってですね、
いきなり手を着けるのは心配だったので、まずは、どんなふうに会話が展開するのかを確認していたのでした。
なので進捗として、大幅に進んだと言うためには口を少々大きめに裂く必要があるんですが(イテテ)、
小幅ながら進んだことには違いないので、進んだと言っておくことにするのです。
うん。進んだ進んだ。いやっほーい!(イテテ)
停滞してると思うと、精神衛生に悪い。
うん。停滞はしてない。進んでますもん。進んでるもんねー!
しかし、何か、おかしいのですよ。
言葉が全然思い浮かばない。
ちょっとした一言なのに、思いつかなくて、何時間もかかったりする。
こんなことで本文の作業ができるのですか?
モノを考えるということが全然できない。
いくらなんでもこれはひどい。
こんなことが続くようだと、生きてる意味がないので死ぬ予定を前倒しにしなければなりません。
今までも時々こういうことは、なかったわけではないですが、
今回のは重篤です。
原因は何ですか?
暑さのせいですか?
そういうわかりやすい話ならいいのですけど。いや、よくないですけど。
どうしましょう?
ともかく、こういうときこそ、人々の幸せを祈りたい。
あなたが幸せでありますように。
あなたも私の幸せを祈ってね!
> モノを考えるということが全然できない。
リハビリを兼ねて、雑念を解放してみます。
2ndヒロ子氏のパートの本文ができたら、
先にこのルートの分だけを実装して、ソフトウェアとして公開できる形にしてしまおうかな、と、
ときどき思うことがあります。
本文の作業が今後も当面続く。
全ヒロ子氏の分が完了するまでは、まだまだ時間がかかる見込みです。
長い長いトンネル。長ーい長ーいトンネル。トーンーネールーぅぅぅーーーぅぅぅぅ、ってぐらい長い。
なので、せめてトンネルを三等分して、小休止できるといいな、というような、夢想です。
ただねぇ、2ndヒロ子氏のパートだけで公開しても、存在意義がないのですよ。
せめて 1stヒロ子のルートも込みで公開したい。
このプロジェクトの発端となっているのが1stヒロ子氏のパートなので、
それを抜きで公開するのは、タコの入ってないタコ焼きみたいなものです。
タコ焼きですか。不思議な食べ物ですよね。タコ焼き。
たこ焼きってどんな味だったか、と思い出してみるに、
それは決してタコの味ではなく、主にソースの味だと思うのです。そして食感は外側の衣のそれです。
むしろタコの存在感は限りなく小さい。
タコの入ってないタコ焼きって、実際には食べたことないですが、
おそらく、タコが入ってなくても、タコ焼きを食べたような気分には、充分なると思います。
そういえば、うまい棒か何かで、タコ焼き味、っていうのがあった気がします。
それはやっぱり、タコの味ではなく、タコ焼きのソースの味じゃなかったかな?
しがらみですよね。タコ焼きに入ってるタコって。
タコの存在感は実質的にゼロに等しいのですが、
もはやタコを入れないわけにはいかない。大御所。あの人を呼ばないわけにはいかない。
何の話でしたっけ?
> このプロジェクトの発端となっているのが1stヒロ子氏のパートなので、
> それを抜きで公開するのは、タコの入ってないタコ焼きみたいなものです。
たとえが不適切。
何か気の利いた比喩があればよかったのですけど、思いつかなかったのですよぉ。なにしろリハビリ中ですからね。
直ればもっとすごいですよ。覚悟しなさいよ。
ともかく、1stヒロ子氏のルートが入ってないと、このソフトウェアの存在意義がない。
なので、作業を 2ndヒロ子氏 → 1stヒロ子氏 と進めて、そこまでできた段階で、公開してしまおうかな、と、思っていたりもします。
ただですねぇ、1stヒロ子氏のパートだけだと、誤解を招く恐れがあって、恐ろしいのです。
3rdヒロ子氏のパートが入ってれば、想定される誤解へのフォローになる予定なので、
できれば、やはり、3rdヒロ子氏のパートまでそろえた状態で、あなたのお手元に届いて欲しい。
> ただですねぇ、1stヒロ子氏のパートだけだと、誤解を招く恐れがあって、恐ろしいのです。
誤解? どんな誤解?
私は、私は……、
私の願いは……あなたに幸せでいてもらうことです。
すべては、その意図で為されることなのです。
1stヒロ子氏のパートは、表面上は、逆の意図に見えてしまうかもしれない。
3rdヒロ子氏のパートまでそろってれば、間違いなくその意図で届くはず。
> このプロジェクトの発端となっているのが1stヒロ子氏のパートなので、
発端。
実際、恨み節は、含まれてる。発端として。
だからこそ「絶対にやらなければならない作業」なのです。
でも、それだけではない。
それだけでは終わらない。
終わらないというより、発端の、そのまた発端にまでさかのぼって、
本当のところ、願いは何なのか、と考えてみれば、
やはりそれは、あなたに幸せでいてもらうこと、としか言いようがないのです。
テクニカルなことを一切不問にして、願いだけを見つめれば、そうなる。そうでしかあり得ない。
さて、それを確認できたところで……。
まだ私は生きているようなので、
生きて、為すべきことを続けていこうと思います。
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