結局、そもそも生まれて来ないのが一番、という結論は揺らがない。
うっかりすると油断して忘れそうになるので、
あらためて書いておくことにします。
いろいろ考えて、
自殺しなくてもいい理由、なら思いつかないこともないのですが、
やっぱり、そもそも生まれて来ないのが一番、という点は、ゆらぎません。
(ましてや子供をツクるなんて、もってのほかです)
生きてしまっている事実、から出発して、
ではどうするか?
という話にしか、なりようがない。
時間は巻き戻せないから、生きてしまっているのは、もう、仕方のないことです。
そのことに文句を言っても、今さらどうにもならない。
自殺は有力な選択肢です。
もしできるなら、自殺がいい。
でも、自殺は非常に難しい。非常に難しい。非常に難しい。
もう1回言います。非常に難しい。
何度言っても足りないぐらい難しい。
だからこそ考える。
何を考えるか?
自殺しないなら、では、どうするのか?
考えて、それなりに満足のいくものが得られたりもします。
ただ、やっぱり、そもそも生まれてこないのが一番、という点は、
どこまで行っても確実です。
それだけは忘れないようにしたい。
生きることがいかに美しいことだと知ったとしても、
そんな結論を得なければいけない、という、そのこと自体が、すでに、
生きることのコストを物語っています。
生きることがいかに美しいことだと知ったとしても、
調子に乗って他人に生きることを強制してはいけない。
(ましてや子供をツクるなんて、調子に乗るにも程がある。それだけはやっちゃいけない)
そもそも存在しないことが理想です。
しかし存在している。
全てはそういう話です。
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