モノを考えなくても生きることができる。
むしろ、考えない方がいいぐらいです。
では、どうして、人間には、ものを考える、という能力があるのでしょう?
ただ生きることよりも、大事なことがあるということなのではないか?
あるいは人間にとっての生きるということの意味合いが、そこにこそあるのではないか?
考える。何を考える?
考えをやめるための考えは、きっと、考えではない。
いや、やめるための考え、以外では在り得ないのだとしても、
実際に、その願いが叶うことはない。
叶ってないのに、叶ったと思い込むことはあっても、
実際に叶うことはない。
なぜか?
いつだって、現状は自分の想定からはズレていて、そして動き続けているから。
「自分の想定」という幻想。
たまたま現状と想定が一致する(ように見える)ことはあるかもしれません。
ですが、すぐにまたズレ始める。常に動き続けているから。
生きている限り常に「続き」があり、事態は動いており、正しいことが正しいままでは固まらない。
では何について考えるかというと、現状について、広く現状について、と言わざるを得ない?
考えるとは、どこまでも現実的なこと。
しばしば、考えないことが現実的で、考えることは非現実的と称されますが、
上記の意味では、考えないことこそが、幻想であるところの「自分の想定」に執着しているのであり、非現実的。
考え続けることこそ、現実的。
目を逸らさない。
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