SFML チュートリアル「CMake で SFML をコンパイル」を翻訳。
あんまり自信満々の出来栄えというわけではないけれど……、
こんなもんでしょう。こんなもんですよね? 頭ナデナデしてください。
やっぱり英語以前に、内容をキチンと理解できてないと、訳文が怪しくなりますね。
どうとでも解釈できる言い回しで誤魔化したり。
英単語をそのままカタカナにして専門用語っぽく見せかけたり。
しかしネットは広いから、私よりも優秀な人が、もっと上手な訳を書いてくれることでしょう。
> しかしネットは広いから、私よりも優秀な人が、もっと上手な訳を書いてくれることでしょう。
そこなのですよね。
検索エンジンで 「SFML チュートリアル」とか「SFML 日本語」とかで検索すると、
どういうわけか、うちのページが上位に出てしまう。
上位に出るのは喜ばしいことのはずなのですけど、
つまり、世間における SFML への関心がいかに低いか、ということでしょう。
だからこそ私なんかが翻訳に乗り出す余地があったわけですが、
せっかくページを作っても、関心を持ってもらえないのはサミシイ。
みんな、もっと私に注目しなさい。じゃない。SFML に注目しなさい。
さて、一仕事終えたら「できたよー!」と、大きな声でふれて回りたいところです。
が、そういう手段が一切ない。
悲しむべきか、喜ぶべきか。
検索エンジン経由で誰かがいらっしゃるのを待つばかり。
公開し終えたらば、あとはもう、気にしない。達観して。
それが自然な姿? なのかな。そんな気もします。
だけど、やっぱり満たされない気持ちが残る。
心に穴が開いた気分ですよ。効果音は「ぽっかり」でしょうか。
こういうとき、ツイッターとやらを使ってると、
思わず、さえずってしまうのかもしれませんね。ちゅんちゅん。
> だけど、やっぱり満たされない気持ちが残る。
> 心に穴が開いた気分ですよ。効果音は「ぽっかり」でしょうか。
おそらく穴はもともとそこにある。
それを埋め合わせようとするいかなる努力も、おそらくは根本的に徒労に終わる。
なぜなら、穴をいくら埋めても、そこに穴があるという事実は消えないから。
あるいは気持ちが外側に向いたから、
構造的な意味で、精神状態の一角に外部からの流入を前提とした空隙が生じた、ということでしょうか。
1人で考え事をしているときや、マインドルのストーリーをひたすら考えている(いた)ときには、
こういう感覚は、なかった。
なかった? 本当になかった?
どうでしょう。
多分なかったと思う。うん。
この違いは何なのでしょう。
というより、精神状態とは、こんなにも、変化しうるもの、なのですね。
なかなかに intriguing ですよ。
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