物事に意味づけを行うこと の 結果としての死後の世界。
物事に意味づけを行う。
どうしてそうなったのか?:過去 → 現在
何を目指しているのか? :現在 → 未来
物事に意味づけを行うということ、を、
その物事を時系列上に位置づけること、として理解してみる。
だとすると、その延長上として、死後の世界 が想定、されることになるはず。
常に「その先」を必要とする。死さえも終点にはできない。
物事に意味づけを行う心の作用が、あの世という概念を生み出す。
あるいは物事に意味を求める欲求が、あの世を必要とする、とさえ言えるでしょうか?
物事の意味づけがフィクションであること、
と、同じ程度に、
死後の世界、も また フィクションであるということでしょうか。
それはまた別の話?
あるいは逆に、死後の世界がフィクションであることを理由に、
それ以外の物事の意味づけ全般 も また フィクションである、
と、宣言するような、宣言のストラテジーが、あり得たりするでしょうか。
これは単に「上手な説得の仕方」でしかないような気もします。
> 物事に意味を求める欲求が、あの世を必要とする、とさえ言えるでしょうか?
結局、死後の世界を想定せずに、生きる意味を見出すのは、むずかしい、
ということでしょうか。
> 生きる意味
この言葉、あんまり使いたくない。
せめて「行為全般の意味」と言い換えておく。
「意味」という言葉も、言い換えておく。
「物事についての時系列上の視点からの説明」と言い換えておく。
「行為全般についての時系列上の視点からの説明」
これでちょっと、すっきりした?
話が進めやすくなったような感じがします。
じゃあ話を進めましょう。
> 行為全般についての時系列上の視点からの説明
行為について、時系列的な因果関係に基づいた説明が欲しい。
それは、どうして?
ああ、なるほど。
ちょっと話が飛ぶんですけど、
「時系列的な因果関係に基づいた説明」って、2つの部分に分けられますよね。
どうしてそうなったのか?:過去 → 現在
何を目指しているのか? :現在 → 未来
前者だけで説明を終えてしまうのは、いわゆる「言い訳」というやつだったりするでしょうか。
だって○○だったんだよー。しょうがねーだろーがー。
俺悪くないんだよー。俺に文句言うおまえが悪いんだよー。
だって○○だったんだから。しょうがねーだろーがー。
それなのに俺に文句言うなんて、おまえの方が悪いんだよー。
俺悪くないんだよー。だっておまえの方が悪いんだもん。
そこに、それで何を目指すのか、という後者の視点が加わることで、
単なる言い訳で終わるのではなく、もう少し、建設的な話になったりするのでしょうか。
|