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◆◆ 思ったこと: ◆◆

        物事に意味づけを行うこと の 結果としての死後の世界。
        
        
        物事に意味づけを行う。
        
        どうしてそうなったのか?:過去 → 現在
        何を目指しているのか?  :現在 → 未来
        
        物事に意味づけを行うということ、を、
        その物事を時系列上に位置づけること、として理解してみる。
        
        だとすると、その延長上として、死後の世界 が想定、されることになるはず。
        常に「その先」を必要とする。死さえも終点にはできない。
        
        物事に意味づけを行う心の作用が、あの世という概念を生み出す。
        あるいは物事に意味を求める欲求が、あの世を必要とする、とさえ言えるでしょうか?
        
        物事の意味づけがフィクションであること、
        と、同じ程度に、
        死後の世界、も また フィクションであるということでしょうか。
        それはまた別の話?
        
        あるいは逆に、死後の世界がフィクションであることを理由に、
        それ以外の物事の意味づけ全般 も また フィクションである、
        と、宣言するような、宣言のストラテジーが、あり得たりするでしょうか。
        これは単に「上手な説得の仕方」でしかないような気もします。
        
        
        
        > 物事に意味を求める欲求が、あの世を必要とする、とさえ言えるでしょうか?
        
        結局、死後の世界を想定せずに、生きる意味を見出すのは、むずかしい、
        ということでしょうか。
        
        
        > 生きる意味
        
        この言葉、あんまり使いたくない。
        せめて「行為全般の意味」と言い換えておく。
        
        「意味」という言葉も、言い換えておく。
        「物事についての時系列上の視点からの説明」と言い換えておく。
        
        
        「行為全般についての時系列上の視点からの説明」
        
        これでちょっと、すっきりした?
        話が進めやすくなったような感じがします。
        
        じゃあ話を進めましょう。
        
        
        > 行為全般についての時系列上の視点からの説明
        
        行為について、時系列的な因果関係に基づいた説明が欲しい。
        それは、どうして?
        
        
        ああ、なるほど。
        ちょっと話が飛ぶんですけど、
        「時系列的な因果関係に基づいた説明」って、2つの部分に分けられますよね。
        どうしてそうなったのか?:過去 → 現在
        何を目指しているのか?  :現在 → 未来
        
        前者だけで説明を終えてしまうのは、いわゆる「言い訳」というやつだったりするでしょうか。
        だって○○だったんだよー。しょうがねーだろーがー。
        俺悪くないんだよー。俺に文句言うおまえが悪いんだよー。
        だって○○だったんだから。しょうがねーだろーがー。
        それなのに俺に文句言うなんて、おまえの方が悪いんだよー。
        俺悪くないんだよー。だっておまえの方が悪いんだもん。
        
        そこに、それで何を目指すのか、という後者の視点が加わることで、
        単なる言い訳で終わるのではなく、もう少し、建設的な話になったりするのでしょうか。