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◆◆ 思ったこと: ◆◆

        
        特定の人物を攻撃することが常態化している様子を「いじめ」と呼ぶのだとすると、
        理由がよくわからない「マナー」も、それと同じなのではないかと思いました。
        
        
        > 特定の人物を攻撃することが常態化している様子を「いじめ」と呼ぶのだとすると、
        
        コミュニティの構成員1人1人が心の中で実際にどう思っているか、は、問題ではなく、
        ターゲットとなっている人物を揶揄して笑い合うことが様式として定着してしまっている状態。
        そこにいる1人1人を捕まえて「あなた自身は、本当のところ、どう思っているのか?」
        と問い詰めたとき、何が出てくるか?
        おそらく何も出てこない。
        
        みんながそうしている、
        から、
        自分もそうする、
        結果、
        コミュニティ内に、その様式がますます定着していく。
        
        それは、おかしい、と思っても、
        みんながそうしている、
        から、
        表立って声を出せない。
        結果、
        コミュニティ内に、その様式がますます定着していく。
        
        それは、おかしい、と思うのだけど、
        コミュニティ内に、その様式が定着していて、動かせない、
        ので、
        理由が作られる。
        中身は何でもいい。
        あの人ってー、やっぱさー、○○だよねー、きゃははー。
        作られた理由を取り込んで、その様式は、ますます強化される。
        
        
        何かキッカケや経緯はあったにせよ、
        現状に対して、誰も意義を唱えることができなくなってしまっている状態。
        
        それを、いわゆる「(読みものとしての)空気」と呼ぶのでしょうか。
        
        
        
        > 理由がよくわからない「マナー」も、それと同じなのではないかと思いました。
        
        コミュニティの構成員1人1人が心の中で実際にどう思っているか、は、問題ではなく、
        それを正しいこととして振舞うことが様式として定着してしまっている状態。
        そこにいる1人1人を捕まえて「あなた自身は、本当のところ、どう思っているのか?」
        と問い詰めたとき、何が出てくるか?
        おそらく何も出てこない。
        
        みんながそうしている、
        から、
        自分もそうする、
        結果、
        コミュニティ内に、その様式がますます定着していく。
        
        それは、おかしい、と思っても、
        みんながそうしている、
        から、
        表立って声を出せない。
        結果、
        コミュニティ内に、その様式がますます定着していく。
        
        それは、おかしい、と思うのだけど、
        コミュニティ内に、その様式が定着していて、動かせない、
        ので、
        理由が作られる。
        中身は何でもいい。
        それをすると、○○が××なので△△になって誰かが傷つくかもしれないでしょ? そーだそーだ。
        作られた理由を取り込んで、その様式は、ますます強化される。
        
        
        何かキッカケや経緯はあったにせよ、
        現状に対して、誰も意義を唱えることができなくなってしまっている状態。
        
        それを、いわゆる「(読みものとしての)空気」と呼ぶのでしょうか。
        
        
        
        > 理由がよくわからない「マナー」も、それと同じなのではないかと思いました。
        
        というか、理由がよくわかるマナー、って、ありえない気がする。
        「マナー」っていう言葉が、もう、イヤ。
        どういうときにこの言葉が使われるかとえば、他人を操りたいときに使われる。
        
        「あくまで個人的な意見なんですけどぉ、それがマナーだと思います」
        
        水戸黄門の印籠と同じで「マナー」って言われると反論しにくい。
        反論すると誰かから「不道徳者」として石を投げつけられてしまう。
        
        
        
        石を投げる人の気持ちを考えてみる。
        
        なぜ石を投げるのか?
        何が目的なのか?
        目的はないのかもしれない。
        何がどうなって、石を投げるに至ってしまったのか?
        石を投げたことで、どういう気持ちになったか?
        
        ああ、ダメだ。何も見えてこない。
        石を投げる、その行為の向こう側に、いかなる心も見出せない。
        
        
        こういう私も、何らかの意味で石を投げてしまっているのでしょうか。
        無自覚さ。
        
        > 石を投げる人の気持ちを考えてみる。
        無自覚さ、なのですか?
        
        それは本当ですか?
        
        全てを自覚することは不可能、という意味での、
        自覚からこぼれ落ちた領域で起きてしまっていること?
        
        
        
        > 石を投げる人の気持ちを考えてみる。
        
        石を投げる、という、コミュニケーションの様式。
        
        それは、何から、何へ、何を、コミュニケートしているのか?
        
        コミュニケーションという言葉を、定義があいまいなままで
        拡大解釈ぎみに使っていることを承知の上で言うと、
        
        それは、少なくとも、
        私、から、あなた、へ投げかける、
        あるいは、
        あなた、から、私へ、の投げかけを、私が、受け止める、
        そういうコミュニケーション、では、断じて、ない。
        
        その意味で、やはり、そこ(コミュニケーションの場)に、いかなる心も、見出せない。
        
        ではこれは一体何なのか?
        
        よくわからないまま、
        今日も、どこかで、石が飛んでいる。
        あるいは私も投げている?