> こういうふうに割り切ってプレイしてみると、そこそこ勝ち進めるようになってきました。
> 全クリアには至らないんですが、そこまで求めるのは、多分、プレイの目的が違う。
>
> こういう態度って、格闘ゲームが好きな人、の態度、じゃない、ですよね、多分。
> でも、格闘ゲームが特別好きというわけでもなく、いろんな格闘ゲームをやりこんでるわけでもない人、
> が、適当にプレイすると、行き着く先は、こういうプレイ、になるんじゃないのかな、という気がしました。
格闘ゲームが好きな人の態度ではない。
と同時に、こういうやり方でプレイしていても、好きにはならない気がします。
そのゲームに対して「しょせんそんなもん」という印象になってしまうし、
また、そのように思うためのプレイ、だったりもするのかもしれません。
「しょせんそんなもん」と思うためのプレイ。
事実、このゲームそのものは、そうなのかもしれません。
そこで止まるかどうか?
信仰心の有無、と言ってもいいのでしょうか。
たとえば、仏像そのものは、客観的な事実としては、木や金属のカタマリでしかないのですが、
信仰心があるならば、そこに仏が見出される。
> 「しょせんそんなもん」と思うためのプレイ。
目の前にある現物と、あるべき姿として見出されているもの。そして、その差。
何か、現物を通して、現物以上のものが見出されて、
その差を、埋める努力が、行われる。
その努力が、こだわったプレイであったり、続編の制作だったり、
ということでしょうか。
えっと、話が全然つながらないのですが、
現状以上のものを見出して、そこへ向かおうとする姿勢には、敬意を払いたいと思うのです。
もうちょっと口を滑らすと、
> 現状以上のものを見出して、そこへ向かおうとする姿勢
それこそが生きることの意味であり、
それがないならば、生きている事実は、意志なき現象に過ぎなくなってしまうのではないか。
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