しかし 検索エンジンの ロボット には 反論される心配が ない のが気楽ですね。
いわゆるブログとか、SNS?とか?
使ったことはないんですけど、ああいうところのコメント欄に書かれるコメントって、たいがい、
元記事著者の意図をナナメ読みしたものばっかりですよね。
そんなことないですか? 私にはそんなふうに見えてならないのです。
元記事を読んで、なるほどー、と思うことはあっても、
コメントを見て、さらになるほどー、と思うことは、まず ない です。
なんででしょう?
元記事で、なんというか「新たな視点、論点」が提示されて、話が展開されているのに対し、
コメントの方は、相変わらず、「新たじゃない視点、論点」からしかモノを言ってない、
という構図、でしょうか? パターンとして。
あるいは、元記事を読んで、「なんとなく、居心地が悪い気分になった人」が、
その「なんとなく」を「なんとなく」としたまま、言葉にならない言葉でコメントを投稿してしまう、
その結果が、ときとして見るにたえない、コメント欄の惨状、ということだったりするのでしょうか。
元記事は、少なくとも、それなり以上には、文章としてまとまった内容になってるというか、
ある程度まとめないと投稿してはいけないかのような、文化的圧力? みたいなものは、
抑止力として?あると思うんですけど、
コメントのほうは、考えをまとめずに書いてもいいということに(なぜか)なっているというか、
うん、あれは本当に、どういうことなのでしょう。
全国のブログのコメント欄に日々大量の投稿をしている「通りすがり」氏は、
どのような意志で行動しているのでしょうか? ていうか意志あるの?
そんなわけで、ここのページには絶対にコメント欄はつけてあげませんよーだ。イー!
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