Google が キライというわけではないのですが、
世の中が Google だけになってしまうのは、イヤな感じがします。
たとえば何かキーワードで検索したとき、
自分が想定していた種類のページが上位に出てくればいいのですが、
そうではない場合も多々あります。
自分が入力したキーワードに対して、どういうページが「より関連性が高い」と判定されるのか?
その判定基準は、検索エンジンによって、異なるもの、で、ある、はず。
検索エンジンが1種類だけになってしまうことは、
その判定基準が1種類だけになってしまう、ということでしょう。
それは、発想の貧困さ、を助長してしまうものではないか?
あるキーワードが、どのような意味を、持ちうるか?
思考の可能性を狭めてしまうものではないか?
「そのキーワードだったら、こういう意味でしょ? じゃあ、このページを見とけ」
同じキーワードで検索しても、検索エンジンによって、全然ちがう種類のページが上位に出てくる、
なんて世の中だったら、ちょっと面白い気がする。
今は、どんな世の中なのでしょう。
> 思考の可能性を狭めてしまうものではないか?
他人がどうなろうと知ったこっちゃない、とも思いつつ、
その積み重ねの結果として、(自分が住んでいる)世の中がつまらなくなってしまうとしたら、
それはイヤだなぁ、とも思うのです。
全然具体的じゃない、単なる予感なのですけれど。
> 「そのキーワードだったら、こういう意味でしょ? じゃあ、このページを見とけ」
検索して表示された結果に対して、常に反抗意識を保っていないと、
なんというか、人間がダメになってしまう気がして、なんだか、疲れます。
「この検索結果を素直に受け入れて、いいの?」
> その判定基準が1種類だけになってしまう、ということでしょう。
判定のアルゴリズムが複数提供されていて、ユーザーが選択できる検索エンジン、
なんてのも、あったりしますか?
でも、そうして判定基準を相対化すること、つまり、
いかなる判定基準も絶対的なものではない、ということにユーザーが気づく、気づいてしまうこと、
そのこと自体が、すでに、何かの、変化、であるような、気もします。
何かの? 何の?
そして、今は みなさん気づいてないの? そんなことないでしょう。そんなことないですよね?
あ、ひょっとして「いかなる判定基準も絶対的なものではない」と思ってるオイラがおかしいんだ。なーんだそうか。
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