TOP > テキスト目次 > Google が キライというわけではないのですが、



◆◆ 思ったこと: ◆◆

        
        Google が キライというわけではないのですが、
        世の中が Google だけになってしまうのは、イヤな感じがします。
        
        たとえば何かキーワードで検索したとき、
        自分が想定していた種類のページが上位に出てくればいいのですが、
        そうではない場合も多々あります。
        
        自分が入力したキーワードに対して、どういうページが「より関連性が高い」と判定されるのか?
        その判定基準は、検索エンジンによって、異なるもの、で、ある、はず。
        
        検索エンジンが1種類だけになってしまうことは、
        その判定基準が1種類だけになってしまう、ということでしょう。
        
        それは、発想の貧困さ、を助長してしまうものではないか?
        あるキーワードが、どのような意味を、持ちうるか?
        思考の可能性を狭めてしまうものではないか?
        
        「そのキーワードだったら、こういう意味でしょ? じゃあ、このページを見とけ」
        
        同じキーワードで検索しても、検索エンジンによって、全然ちがう種類のページが上位に出てくる、
        なんて世の中だったら、ちょっと面白い気がする。
        今は、どんな世の中なのでしょう。
        
        
        > 思考の可能性を狭めてしまうものではないか?
        
        他人がどうなろうと知ったこっちゃない、とも思いつつ、
        その積み重ねの結果として、(自分が住んでいる)世の中がつまらなくなってしまうとしたら、
        それはイヤだなぁ、とも思うのです。
        全然具体的じゃない、単なる予感なのですけれど。
        
        
        > 「そのキーワードだったら、こういう意味でしょ? じゃあ、このページを見とけ」
        
        検索して表示された結果に対して、常に反抗意識を保っていないと、
        なんというか、人間がダメになってしまう気がして、なんだか、疲れます。
        
        「この検索結果を素直に受け入れて、いいの?」
        
        
        
        > その判定基準が1種類だけになってしまう、ということでしょう。
        
        判定のアルゴリズムが複数提供されていて、ユーザーが選択できる検索エンジン、
        なんてのも、あったりしますか?
        
        
        でも、そうして判定基準を相対化すること、つまり、
        いかなる判定基準も絶対的なものではない、ということにユーザーが気づく、気づいてしまうこと、
        そのこと自体が、すでに、何かの、変化、であるような、気もします。
        何かの? 何の?
        そして、今は みなさん気づいてないの? そんなことないでしょう。そんなことないですよね?
        あ、ひょっとして「いかなる判定基準も絶対的なものではない」と思ってるオイラがおかしいんだ。なーんだそうか。