「嫉妬」って言葉がありますよね。
有名なアニメとかマンガとかゲームとかウェブサイトとか、
あんまり見る気がしないなーって思うときがよくあって、
そういうの、世間では「嫉妬」って言うらしいじゃないですか。
でもなんだか、その2文字で呼称してしまうと、
その2文字で呼称してしまっている時点で、すでに、
「返事の仕方」を規定してしまってますよね。
「その態度は心の狭いことなのだ。成功者を受け入れよ」
っていうメッセージが、その2文字で表現されてて、
ここに YES を投げても NO を投げても、文脈が変わらない。
文脈はすでに
「心の広さを試すゲーム」または「世間で求められている倫理に従うかどうかを裁く場」
に なっていて、
ここに YES を投げることも NO を投げることも、すでに、この文脈の上での行動でしかない。
このゲーム会場 または 裁判所 に身をおいている限り、
全ての立ち居振る舞い・一挙一投足が、そこでのルールに、からめとられてしまう。
と、まえおきをした上で。
いやどうせ検索エンジンのロボットさんしか読んでないんだから気を遣わなくていいんですけど。
> 有名なアニメとかマンガとかゲームとかウェブサイトとか、
> あんまり見る気がしないなーって思うときがよくあって、
「それ」の評判がいくら良くても、
状況は なんにも かわらない じゃないか!
っていうことだと思います。
たとえば、なにか、評判になってる映画とかマンガとかが、あったとして、
それが一体どんなものなのかは知らないけど、
だからって、何も変わってないですよね?
おかげで いぜん よりも 世の中が住みやすくなってる わけでも なく、
意識があること それ自体の 苦しみ が なくなってる わけでも ない。
だから、そんな評判は、全身で拒絶しなければならんのです。
結局、地球から出ていけないってことは
みんなが知ってるものには、地球から出て行く方法が、書いてないってことです。
むしろ、あんまり知られてないものの中に、希望があるかもしれない。
地球から出て行く方法が書いてあるかもしれない。
地球から出て行く方法を知ってる人は、
もうすでに 地球から出て行ってしまっていて
この地球上には 情報は 残ってないのかな。
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