なんだか申し訳ないなー、と思う。
SFML のチュートリアルの翻訳なんてことをしてしまって、申し訳ないなー、と思う。
訳の出来不出来はさておき、一応、ああいうまとまった形のものがネット上に出現してしまったら、
「チュートリアルの日本語訳なら、もうある」っていうことになると思うのです。一応は。
一応とは言え、「もうある」というものが、あれでいいのか?
「非公式」とか言って逃げてますけど、責任は、それなりに重いのではないのか?
私には、ちょっと、なんというか、何らかの業のようなものがあるようでして、
それは何かと言うと、私が関わったものは、世間的な評判が低下する、というものです。
たとえば、見始めたアニメが打ち切りになる、とか、応援した選手が負ける、とか、そういう感じの例のアレです。
私は SFML に呪いをかけてしまったのではないか?!
本邦での将来をつぶしてしまったのではないか?!
ネットで検索してみると、海のむこうのお友達の間ではなかなかの人気者のようなのですが、
我が国では「誰それ?」な様子。
具体的にどんな状況なのかは、みんなの大好きな Google 総統閣下にお伺いを立ててみると、素敵なお告げが得られます。
その名も 「Google Trends」。
キーワードを入力すると、そのキーワードで検索された頻度をグラフで見ることができます。
ここに 'SFML' と入力してみる。
http://www.google.com/trends/explore#q=SFML
最初に登場したのが 2007年の後半なのですね。
それ以降、現在にいたるまで、順調に知名度を伸ばしているようです。
棒グラフの下には、地域別の割合も表示されてます。
それによると、やはり欧米での検索が中心で、日本では数値が出てこないほど少ない。
対照的なのが DXライブラリです。
我が国ではゲームプログラミングをする人なら聞いたことがない人はいないのではないかというぐらい有名ですよね。
ネット上に情報が多いだけでなく、このライブラリの使用を前提としたプログラミングの入門書も出版されているようですね。
体感的には日本での知名度は非常に高い感じがします。
Google閣下のデータを見てみます。
http://www.google.com/trends/explore#q=SFML%2C%20DX%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%AA&cmpt=q&tz=
登場以来、現在にいたるまで、安定した被検索件数を保っているようです。
そして、地域ですが、見事なまでに日本オンリーです。予想通りというより、予想を超える見事な結果。
そもそも名前の中に「ライブラリ」という日本語が入っているので当然と言えば当然ですが、ここまでクッキリとした結果とは驚きです。
やはり言葉の壁は大きいということなのでしょうか。
ちなみに "DXLib" でも調べてみましたが、ほぼ同じでした。
もう一つちなみに、Wikipedia の紹介記事も、日本語のものしかないのですね。
逆に SFML では Wikipedia に日本語の記事がない(さぁ、キミの出番だ!)。
> そもそも名前の中に「ライブラリ」という日本語が入っているので当然と言えば当然ですが、ここまでクッキリとした結果とは驚きです。
> やはり言葉の壁は大きいということなのでしょうか。
ということは、同じように、
英語でも日本語でもない言語圏で作られて、その言語圏ではとても人気があるけれど、他の地域では知られていないようなライブラリが、
他にも存在しているのかもしれませんね。
プログラムのライブラリに限らず、そういうモノって、きっと、いろいろとあるのでしょうね。
私やあなたは一生知ることがないけれど、とても素敵なものが、私やあなたに知られることなく、この地球上に存在している。
地球からは見えないけれど、宇宙には星がたくさんある。
よし。わたくしなんだかウキウキしてまいりましたわ。
さて、別の意味で対照的なのが SDL。
SFML の先輩のような存在です。
同じく海外製の 2Dゲームプログラミングのライブラリで、SFML よりも前から存在しています。
こちらは日本での知名度もそれなりにあるのではないでしょうか?
http://www.google.com/trends/explore#q=SFML%2C%20SDL&cmpt=q&tz=
トータルの検索数では SFML を大きく上回っていますが、そのグラフは右肩下がりです。
右肩上がりになっている SFML とは対照的。
ちなみに 'SDL' というとプログラミングのライブラリの SDL 以外の SDL も存在するようなので、
上記のグラフの検索量にはその分も上乗せされているはずです。
なので、'SDL C++' や 'SDL game' などのように絞り込んでみる。
http://www.google.com/trends/explore#q=SFML%20C%2B%2B%2C%20SDL%20C%2B%2B&cmpt=q&tz=
http://www.google.com/trends/explore#q=SFML%20game%2C%20SDL%20game&cmpt=q&tz=
検索量は徐々に SFML に近づきつつあるようですね。
このままいくと、遠からぬうちに逆転するのではないかと予想できます。
SDL は採用実績も多数あり、よいライブラリであることは間違いありませんが、
少しずつ、その役割を終えつつある、ということなのではないかと思います。
では、日本ではどうだったでしょうか?
別に、何のデータにももとづかずに適当に私の主観を言っているだけなのですが、
決してメジャーな存在ではなかったと思います。
「名前を聞いたことはある」という人は多いんじゃないかと思うのですが、
積極的に「SDL でゲーム作るぜ!」っていう話は、私はあんまり聞いたことがありません。
これが DXライブラリだったら、ブログの画面左上の自己紹介の欄に書く文言として
「DXライブラリでゲーム制作中です!」という元気のいいフレーズが頻繁に見受けられるのですが、
この「DXライブラリ」の部分が「SDL」だったケースを、私はついに見た記憶がありません。
今、これを書くためにちょっと検索してみたんですが、情報はそれなりに出てきますね。SDL についての。日本語の情報。
ですが、まとまった参考資料と言えるようなものが見つかりません。断片的な情報がネット上に散らばっている感じです。
唯一、C言語と SDL でゲームプログラミングをするための講座を載せている黄色いサイトがありましたね。
以前もう一つ、黒いサイトもあったと記憶しているのですが、なくなってしまったんでしょうか?
そういうサイトが Web上にいくつもあると、「これから SDL を使ってみようかな」と思った場合に頼もしいのですけどね。
そして、情報が少ないと、盛り上がりに欠けているような印象になってしまい、そのことも新規のユーザーを遠ざける一因になってしまう気がします。
盛り上がりに欠けているような印象と言えば、放置された Wiki って寂しいですね。思わず一句詠みたくなるほど寂しい。
SDL についての Wiki を見つけたのですが、まさにそういう感じ。
目次だけは頼もしいのですが、実際にページが作られているのは一部だけ。これは寂しい。目次の壮大さとのギャップが寂しい。
中身ができてないのに目次だけ突っ走るってどうなんだ? と Wiki 周辺の文化に疎い私は思うのですが、
Wiki って、むしろ、そういうものなのでしょうか?
ユーザー同士で作り上げていく、というものであるはずだから、各自、書けることを書いていく。それがユーザーに求められている。
であるならば、むしろ、目次は壮大な方がいいのかもしれませんね。
「求められている情報」が明確になっている。その中で、自分が書けそう、書きたい、と思うページを、各自で寄稿していく。
……と、そういう想定のもの、なのかな? Wiki って。
だとすると、上で言った「中身ができてないのに……」という突っ込みは的外れというものですね。
あるいはそんな文句を言ってないで私自身が何か一句詠むべきなのかな。
目次自体も、誰でも編集可能なのですよね?
ということは、もしかすると、目次には「リクエスト」という意味もあったりするのでしょうか?
誰かが「こんな情報が欲しい! 誰か書いてくれるよね? だって日本人は百億人もいるんだし」という要望の意を込めて、目次にそれを追加する。
どうなのでしょう。ちょっと Wiki 周辺の「空気」が私には読めません。誰か優しく教えてください。テレパシーで。
> 少しずつ、その役割を終えつつある、ということなのではないかと思います。
おそらく今後、海外でも日本でも、今以上にその知名度を上げる、ということは、ないのではないかと思います。
海外では人気者だったようですが、本邦では「そういえばそんな子もいたねー。ところでメシ食いにいこうぜ」というふうに忘れられていってしまう。
ポジションが似ている SFML も同じような道筋を辿ることになってしまうのでしょうか?
もしそうだとすると、その責任の一旦は私にもあるということになる。だって、チュートリアルの翻訳ページなんてものを、作っちゃったんだもん。
いや、向こうは別に、東洋の島国での知名度なんて、眼中にないとは思いますけどね。
それもそうですね。じゃあ、いいか。エヘヘ。
責任を感じると言えば、すでに私には前科があるような気がするのです。
以前は SFML の Wiki がネット上に存在していたのですが、いつの間にか消滅しています。
それって、私のせいなんじゃないですか?!
なぜ私のせいだと思うのか?
よくぞ聞いてくれました。お答えしましょう。
その Wiki の中に、チュートリアルの翻訳のコーナー、あったんですよ。すでに。私が翻訳のページを自分のサイトに載せる前から。
他にはあまりページが作成されてない状態でした、その Wiki。チュートリアルの日本語訳ページがほぼ唯一、中身のあるページだった。
しかしながら、チュートリアルの中の一部のページしか、訳が作られてませんでした。
これで、もし仮に、すでに全ページ、あるいは大部分のページの日本語訳が作成されていたとしたら、私、やらなかったと思います。
すでに日本語訳が存在しているなら、私が出しゃばる必要ないですからね。
ところが、一部しか作られていなかった。
じゃあ遠慮は無用だぜ! と、若かりし頃の私は思ったわけです。
そして自分で日本語訳を書いた。さらにそれを、その Wiki には寄稿せず、自分のサイトに載せた。まさにヒャッハー! というやつです。
もしかすると、その Wiki の管理者の人、自分の Wiki とは別のところでチュートリアルの全ページの日本語訳が公開されているのを見て、
それで Wiki を閉じてしまったのではないか……?
> その Wiki には寄稿せず、自分のサイトに載せた。
みんなの輪に加わらなかったわけです。一人でヒャッハーしてしまった。
俺は俺で勝手にヒャッハーするから、おまえらはおまえらで仲良くヒャッハーしてるがいいさ、ヒャッハッハー、というわけです。
遠足の途中で一人で抜け出してラーメン食べに行ったわけです。
こういうことするとね、みんなが困るんですよね。
「あなたのせいでみんなが迷惑したのよ」と、複数人の先生に囲まれて、諭すような口調で言われてしまう。きっと今日の放課後は反省文を書かされる。
段々暗くなっていく窓の外を横目に見ながら、誰もいない教室で一人、原稿用紙に向き合うことになる。
その原稿用紙に「ラーメンうまかったぜ。ヒャッハー!」なんて書こうものなら、親が呼び出されてさらに面倒なことになる。
つまり、周囲への影響は、ありえるということです。
ラーメンを食べに行った少年には納得のいかないところですが、他者への影響というものはある。
遠足の場合は先生方のいう「みんな」というのはイマジナリーな「みんな」であって、捏造された迷惑に過ぎないと思いますが、引率の責任者としてはやはり困るところですよね。
私は私で勝手にヒャッハーしますので、とは言うものの、私だって、仮に私より先に日本語訳が公開されてたらやらなかったわけで、
つまり、私がヒャッハーしてしまったことで、別の人がヒャッハーするモチベーションを奪ってしまっているかもしれないわけです。
Wiki の中の人が Wiki を消した理由の本当のところはわかりませんが、潜在的に、そういう可能性が、ある。
そして今現在、私のサイトで日本語訳を公開している、そのことが、潜在的に、今この瞬間も、誰かのモチベーションを奪っている可能性がある。
「SFML 関連の情報をネットに載せようかな」と、思うかもしれない人の、そのモチベーションを、潜在的に奪っている可能性がある。
もし私があのページを作らなかったら、もしかすると今頃は別の誰かがもっと充実したページを作っているかもしれない。
そこにはたくさんの人がアクセスして、たくさんの情報が集まって、盛り上がっていたかもしれない。
今頃は本邦で SFML が大ブームになっていたかもしれない。
SFMLユーザーにあらずば人にあらず、ということになっていたかもしれない。
憲法の改正案の中に 「SFML は侵すことのできない永久の権利として国民に与えられる」という条文が盛り込まれていたかもしれない。
それなのに! ああ、それなのに!
私が日本語訳なんかをサイトに載せてしまったばかりに、
我が同胞たちの大部分は未だに SFML の存在を知らないのであります。
のみならず、将来にわたって、知る可能性を剥奪されてしまったのであります。
潜在的であるとは、そういうことであります。
肉体を持った個人として他者たちの中で地上に生きるとはそういうことなのであります。
なんと罪深いことでしょう。生きるとは、この世に生まれてくるとは、なんと罪深いことなのでありましょう。
その罪を自覚し、それでもなお生きる。それがきっと、人という存在に許された唯一の道なのでありましょう。
ただ粛々と日々を営むのみ。死がこの身に訪れるその日まで。ヒャッハー。(←アーメン、みたいな感じで)
> 「チュートリアルの日本語訳なら、もうある」っていうことになると思うのです。一応は。
> 一応とは言え、「もうある」というものが、あれでいいのか?
> 「非公式」とか言って逃げてますけど、責任は、それなりに重いのではないのか?
あんな完璧な日本語訳を見せられてしまったら、みんな私にひれ伏してしまって、
自分から SFML の情報を発信しようだなんて、そんな畏れ多いことをしようなんて、おそろしやヒエーッ、ってなってしまいますよね。
そして本邦では「SFML の情報が少ない!」という状態のままになってしまう、というわけです。おそろしやヒエーッ。
何か、罪滅ぼしに、SFML を使ったゲームプログラミング講座的なページでも作るべきなのではないか?
そんな気がするのであります。
でも、この私が畏れ多くも講座だなんて、おそろしやヒエーッ。
どうしよっかなー。どうしよっかなー。
誰か作ってよ。人まかせ。おそろしやヒエーッ。
かと言って、うちのサイトに載せた日本語訳のページを削除する気はないのですよね?
うん、そうみたいですね。とある情報スジによると、そうみたいですね。さらさらないらしいですね。
もし誰か別の人が私の訳とは別個に日本語訳のページを作って、そっちの方が大人気っぽくなったら、
キーぃ悔しい! この私を差し置いて生意気な! と手元のマウスをモニターに投げつけたあと、恥ずかしくなって膝を抱えてうずくまって、
それからうちのサイトのページを何事もなかったかのように消すかもしれません。
が、今のところそのような兆候はネット上に存在しない。
つまりこの私の天下というわけだ。ヒャッハハハー! ものども、ひれ伏せー!
> 何か、罪滅ぼしに、SFML を使ったゲームプログラミング講座的なページでも作るべきなのではないか?
というか実はですね、メールで毎日のように「講座を書いて!」というリクエストがあふれんばかりに大量に届いている状態でして、
道を歩けばすれ違う人という人がみな、「なんで講座を書いてくれないのかしら?」と聞こえよがしに噂話を始めるし、
テレビのニュースでは遠まわしな言い方ですが、あきらかにそうとわかる露骨な仕方で私に講座を書くように要求している。
という妄想が生じたので、その熱いリクエストに応えるべく、ちょっと考えてみたのですよ。
まず、講座というからには、題材として、何か1つ実際にゲームを作る、という体裁がいい。
つまり、何か1つ、講座用に、ゲームを考えなければならない。
すると私は天才だから、たちまち1つゲームを思いつく。
それで、ゲームの中で使うために、ドット絵の素材を配布してくれているサイトをいくつか巡ってみたのですよ。
ドット絵の素材配布サイトなら、ネット上にたくさんあるだろうし、目ぼしい素材はすぐに見つかるはず、
と思っていたのですが、あまり配布サイトが見つからない。
数年前はもっとたくさんの素材屋さんがあったと思うのですが、どこへ行ってしまったのでしょう?
素材屋さんを集めたリンク集のリンクがことごとくリンク切れになっていたりする。悪い夢のようですね。
中でも First Seed Material 様が消滅していたのはおどろきました。
個人でのゲーム制作自体が下火になっている? いやいや、そんなことはないでしょう。下火は言い過ぎでしょう。
ブームとまでは言いませんが、上の中火ぐらいじゃないですか? 中の上火? そのぐらいかな。どうでしょう。トロ火でコトコト。
最近は、スマホ向けに作りたいって人が多いんじゃないでしょうか。SFML もスマホ対応になったらしいし、株を買うなら今のうちって感じですよねー。ねー。
いずれにせよ、ドット絵の需要は上がることはあっても下がることはないはず。
とかなんとか考えながらサイトを探してみると、あるところにはありますね。うんうん。ないわけがない。
それで、みなさんの力作を拝見していたのですが……。
どうしたのでしょう? サイトを探すだけで疲れてしまったのかな?
うん、それもあると思います。
ただ、その疲労感が、みなさんの力作を拝見すればするほど、増していく。
これは一体何なのでしょう?
もうね、すっごい力作ぞろいなんですよ。すっごく、じゃなくて、すっごい。
まさに見事というほかない。細部まで作りこまれた小さなキャラが、あまつさえアニメーションまでするなんて!
ブラウザの画面いっぱいに、小さく、それでいて鮮やかに存在感を放つキャラたちが、躍動している。
これはなんだろう? 愛だ。キャラクターへの愛だ。
「好き!」という想いが伝わってくる。
「ゲームが好き! アニメが好き!」という作り手の想いが伝わってくる。ビシビシ伝わってくる。
「ああ、無理だ!」と思いました。叫びそうになりました。ていうか叫びました。ご近所さん、ごめんなさい。
どういうことか? そういうことです。
「好き!」という想いにあてられて、私の心が力を失っていく。
いや違う。そうではない。もともと失っていた。それが真実の姿だった。そのことを思い出しただけ。
何も好きではない。何をしようという意欲もない。
何かに意味を感じ、価値を感じ、それを追求する。
そういうことが、できない。もうそんなことはできないのでした。
ときどきそれを忘れるだけ。
ここは宇宙空間。
だからこそ、以前公開していたゲームも、ネット上から取り下げてしまったし、
他にも案はたくさんあったけど、それを作るという考えも取り下げたのではなかったですか?
そうです。そうなんです。そうでしたのです。
実のところ、もう死ぬしかないのですが、
死ぬのを延期して、今ここにいるのです。
それをここ最近忘れていたのですが、おかげさまで思い出すことができました。
ここ最近、気持ちがふわふわしてた。
3rdヒロ子氏の第5話の詳細設計が完了したあたりから、糸がゆるみ始めていた。
次の6話および7話に差し掛かるにあたって、本当はもっと、落ち込まなければいけないはずだった。
いや、落ち込んだ。充分落ち込んだ。
落ち込むために、一旦、ふわふわする必要があった。
その過程が思いのほか長かった。
それが、6話を終えるのに一ヶ月近くかかってしまったことの中身だったのだと思います。
で、それはもう済んだことなのですが、その、久々にふわふわしていた感覚の余韻が、まだ残っていた。
「この世には楽しいことがある」という感覚を、求めてしまっていた。
だって久々に楽しかったですからね。「楽しい」と明確に言える日がまた来るなんて思ってませんでした。
しかし、それはあくまでも、一時的に通過する必要のあった錯覚に過ぎないのでした。
目を覚ませ。目を覚ませ。
なんで、ここにいるのか?
「マインドル」の作業を完遂しなければならない。
それを差し置いて、別の何かに意味があるなんてことは根源的にありえない。
全てはそれから。何もかもそれから。それなしには何もかも話にならない。
これを完遂したその先にのみ、何かがありえる。手前には何もない。
その先、に何があるのか? それを見なければならない。命の使い道。
何もないのかもしれない。一つ確実なのは、手前には何もないということ。
それを見ずにその手前で何をしても何を得ても無限に空虚。それだけは確実。
そういうわけで、そろそろ本来の作業に戻ろう。
いよいよ 3rdヒロ子氏の後半戦であります。
あ、後半「戦」なんて言ってはいけませんね。戦いではない。
つい何でも戦いにしてしまうのはよくない癖であります。
今日もあなたが幸せでありますように。
あっ、もちろん、
> 私は SFML に呪いをかけてしまったのではないか?!
の罪が消えるわけではないので、SFML 関連の小ネタは随時アップしていく心づもりですよー。
そして罪に罪が上塗りされていく。それが人という存在の業なのでありましょうか。
どんな記事が読めるのかな? 楽しみだね。ワクワク!
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