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◆◆ 思ったこと: ◆◆

        騒音について。
        
        なんかね、どうしても大きな音を出さなければ気がすまないって人が、
        一定の割合で、我々の社会に存在してらっしゃるんじゃないかって気がするんです。
        
        生活音だとか、拡声器だとか、防災無線だとか、珍走行為とか、
        そういうのは、きっと、音を出すための口実に過ぎない。
        口実。
        とにかく、自分以外の不特定多数の耳に届くように何らかの音を出すこと。それが目的。そうせずにはいられない。
        
        その「せずにはいられない」をどう呼称するか?
        性癖と呼ぶか? 精神構造と呼ぶか? もっとそれらしい何か他の仕方で呼ぶか?
        ともかく何か、そういう星の元に生まれている人が、
        我々の社会には一定の割合で、いらっしゃる。
        そんな気がしてなりません。
        
        
        > 自分以外の不特定多数の耳に届くように何らかの音を出すこと。それが目的。そうせずにはいられない。
        
        聴覚とは何か?
        
        聴覚は人間の五感の中でも、
        他者とのコミュニケーションの根幹になっているという点で、特殊な地位にある感覚だと思います。
        
        目を閉じることはできるけれど、
        同じように耳を閉じることはできません。
        音を意図的にさえぎることは、果てしなく難しい。
        
        そして音とは、すなわち、他者の意志、です。
        聴覚は、他者の意志を受信している。
        
        
        耳をふさぐことが物理的に非常に難しい、ということと、
        我々が、好むと好まざるとに関わらず、他者と関わらずには生きていけない、ということの間には、
        何らかの関連があるような気がします。
        
        
        > なんかね、どうしても大きな音を出さなければ気がすまないって人が、
        > 一定の割合で、我々の社会に存在してらっしゃるんじゃないかって気がするんです。
        
        それは「従来(素朴な意味で)言われているような」、
        たとえば自己の存在を誇示したい、だとか、
        他人の迷惑を顧みない、だとか、
        そういう次元のことではないような気がします。
        (私は、そういう次元の議論に限界を感じています。絶望とも言う)
        
        
        「個」というインターフェイスで分断されている我々全体の精神形態が、
        なんらかの脈絡で、引き起こさざるを得ない、必然的な現象、なのではないか?
        
        それがどのような意味を持っているのか?(あるいは意味を見出すことが想定されているか?(by whom?))
        いいことなのか? 悪いことなのか?
        それはわかりません。
        
        が、我々人間の、存在の仕組み、の根幹、に関わる何か、を示している。そんな気がします。