◆◆ 思ったこと: ◆◆ |
内側、外側、という言い方。 自己の外側、は、世界の内側。 世界の外側、は、宇宙そのもの。 つまり? 自己=宇宙、ということ? 実感が、置き去りになってしまう。 どのように、実感することが可能か? 世界の内側。 そこで語られていること。 因と果、あるいは、縁と起、が、織り成す、文脈。 すべてが、限定された文脈。 すべてに、理由がある。理由がなければ、成り立たない。 それが本当である理由。 それがウソである理由。 理由に依存している。 「本当さ加減」が、常に、条件付き。相対的。 そうしたことを全て、飛び越えて、飲み込んで、 世界の外側。 理由に依存しない。 端的に真実。 自己がどこに位置づけられるか? 自己 世界 宇宙 ここで注意。 世界の実体は、自己の集まり、 もっと言うと、自己の外側、の、集まり、 世界は、ない? 自己。 認識の起点としての自己。 宇宙。 全部のこと。 自己=認識主体 宇宙=認識対象(と(潜在的・結果的に)なり得る全てのもの) ということ? 認識の主体が、それ自身を認識することは、原理的に、不可能で、 じゃあ、自己と宇宙は、別モノ? 認識、って何なのでしょう? |