> 気持ちが、気持ちに、ついていかない。
> ん? 前者が、どっちで、後者が、どっち?
人間の心に関する語彙が、圧倒的に不足している気がします。
日本語のせいですか? 私のせいですか?
もしかすると、たとえば、英語には、人の心を表現する、きめこまやかな語彙が、あるのかもしれないけれど、
私がそれを受け取ることができないのは、
私の頭が、根本的に日本語だから、ということでしょうか。
それはきっと、どの言語を学んでも、
それを学ぶのが、この私、で、ある限り、
この私、の頭、に、入る、もの、しか、見えてこない、のだろうと、思うと同時に、
言語の特質が、
「この私、の頭、に、入る、もの」
の範囲を、
変形させてくれないかな、
という期待も、
期待ぐらいは、してもいいですか? いいですよね? うん、いいよ。やったー!
言葉は、その社会での、人々の間での、取り交わしの、お約束、
を反映したもの、
だとすると、
「人々の間での、取り交わし」
と
1人1人の「この私自身」
が
乖離している、
ということでしょうか。
というより、その両者が、一致する、わけが、ないのですよね。
一致しなければならない理由が、一個もない。
だから、他人と関われば関わるほど、
見失ってしまうものがあるのだと思います。
思います? その程度でいいの?
見失ってしまうものがあるのだ! うがー!
よいことは1人でするもの。わるいことは多人数でするもの。
心を置き去りにして、空気を読んで、戦争をする。
心を置き去りにして、空気を読んで、級友の靴を隠す。
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