詳細設計と言いつつ、部分的に本文に近いことを書いてる状態です。
実装時(本文を書くとき)に迷わずに作業できるように、という意図なのですが、
3rdヒロ子氏のルートの詳細設計では、そこまで細かくは指定してなかった。
もうちょっと大雑把に作業を進めてもいいのかな。
ペースが落ちていることについての懸念。
しかし仏の姿を見失っては意味がない。
> 実装時(本文を書くとき)に迷わずに作業できるように、という意図なのですが、
詳細設計フェイズの成果物があれば、
あとはもう、それを見ながら、誰が本文を書いても、最終成果物の仕上がりは同じになる、
というのが、詳細設計の目的、というつもりです。極論としては。
本文に近いほど細かく書いてしまう、書いておかないと心配、というのは、結局、
各シーンの意味合いを正確に把握しきれてない、ということかもしれません。
いや、でも、そんな、一言で簡潔に言えるような「シーンの意味合い」なんて、ないですからね。
それがあるんだったら、本文、書かなくてもいいですからね。
しかしながら、
観念的・論理的に、整合性が取れてないものを、
言葉を尽くして強引につなげようとしてしまっている、というケースもあるように思います。
それが結局「本文に近いほどの」詳細なメモ、となる。
たとえば、
「相手を喜ばせるために努力する」ことと「相手がどんな人間なのか理解しようとする」ことは、
同じことではない、はずですが、
ある登場人物の感覚の上で、この2つが、区別なく認識されている場面があって、
書きながら、あれ? こいつ間違えてるよね? と突っ込んでしまう。
このとき「これは話の筋として間違っているから、別の筋を考える」か、
あるいは「この時点で、この登場人物の感覚の上では、この2つは区別なく認識されている」として、
そのまま書き切ってしまうか。
どちらかと言えば、後者の方が正解なような気がする。
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