社会問題。たまに気をとられるんですが、
生きてることに意味があるわけではないので、何を取り沙汰することにも意味はない、
という結論に、いつもなってしまう。
多分、20世紀末前後の日本は、かなり平和な環境で、
その環境を生きることができたのは、ラッキーなことで、
どうラッキーかというと、
おかげで、生きてることに意味はない、ということに、気がつくことが、できた、ということです。
もし平和じゃなかったら、平和にするための努力をしてしまうことでしょう。
平和になって、それで、何なのか?
その答えを知ることができた。
仮に、まだ知ることができていないのだとして、それで、何なのか? 知る努力をする? 知って、それで何なのか?
宇宙の果てまで、実際に行かなくても、そこには何もないって、もう、知ってるじゃないですか。
生まれてきたことに意味があるとしたら、
生きていることに意味がないことに気づくことが目的だったのではないかと思います。
もう生まれてこなくていい。
不満があれば、解消するための努力をするでしょう。
不満がなくても、なんだかんだと理由をつけて、何かをするでしょう。
なんだかんだと理由をつけて、無意味なことを無意味ではないかのように思い込む試みが繰り返されているだけ。
大魔王を倒して敵が出なくなったフィールドを延々とうろついているようなものです。
別の大魔王が新たに出現してくれたらいいの? そんなもの何匹倒しても同じって知ってるじゃないですか。
まだ電源を切れずにいる。
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