「マインドル」作って、どうするんでしたっけ。。。。?
作業している間は、ときどきテンションが上がるんですけどね。
おー、いい感じになってきたー、とかなんとか。
つまり意識がないということですね。
そんで、やっぱり、立ち止まってみると、意味がわかんない。
意識があるということですね。
思ったこと
「マインドル」をどのように公開するか?
普通に公開しても、大して面白いことにならない。なりようがない。
これは確信です。「気がする」じゃなくて、確信です。
「普通に公開」っていうのは、なんでしょう。
「ゲーム作りました」っていう顔で、ソフトウェアを、どこかのポータルサイトに登録する的な例のアレです。
登録せずに、ソフトを自サイト上にアップして、ダウンロードできるようにしておく、っていうのも、結局同じことです。
先が見えてる。
せいぜいうまくいったとして、なにかエライ人が「お上手」ってホメてくださって、
一時的にアクセスが増えて、
そんだけ。
そういう扱いにしかならない。
文脈自体が、限定されてる。
> 「ゲーム作りました」っていう顔で、
「人」が「作品」を作る。
その「作品」は、その「人」に属する。
そういう文脈。
私は別に、私の名において、これを見せ付けて、
どう? すごいでしょ? 独創的でしょ? いいアイディアでしょ?
とか言いたいわけではない。
それと同じ意味で
「 「自分ではいいアイディアだと思ってるんでしょうけど」 私はホメてあげないよ、なぜなら○○○○」
というふうに、「作品」として値踏みされても、ちょっと、お返事のしようがない。会話がすれ違ってますもん。
> 会話がすれ違ってますもん。
でも、「普通に公開」するということは、
そういう文脈で発話した、ということになるわけですから、
そういう文脈で返事が返ってくるのも当然。
だから、そういう文脈に乗っけた時点で、すでに間違い。
じゃあ、どういう文脈に乗っけるか?
どうしましょう。
> じゃあ、どういう文脈に乗っけるか?
公開するの、やめようかな。
もともと、何で、何でまた、これを作ることにしたんでしたっけ???
もともと、たしか、ストーリーを作ろうと思ったんじゃなかったでしたっけ?
ゲームについて考えるような、おはなし。
それで、話の中に出てくるゲームとして、もともとは、チェスを使うつもりだったのですよ。
だけど、ゲームを批判するような内容を含む可能性があるから、
既存のゲームを使うのは、マズイんじゃないか、ということで、
じゃあ、ゲームを1つ作ろうか、ということになったんじゃなかったでしたっけ?
それなら、批判しても誰にも迷惑がかからない。
ああ、そうだ。たしか、そういうイキサツでした。
計画が遠大すぎて、すっかり忘れてました。
ただ、それとは別に、
将棋とも囲碁ともリバーシともちがう、二人ゼロ和完全情報ゲームを作りたい、
っていう願望は以前からあって、
その作業を、合流させたわけですね。なるほど。
いや、必ずしも「別」ではないのかな?
ゲームという価値を相対化するには、そういう作業が必要。
その意味では、同じ。
> じゃあ、どういう文脈に乗っけるか?
てことは、やっぱり、
このボードゲームを単体で「ゲーム作ってみました。えへへ」っていう顔で「作品公開」する必要はないというか、
それはちょっと、やっぱり、文脈がちがう、ということでしょうか。
で、つまり、何? 公開しないの?
なんだろうなぁ、
つまり、今後の作業工程として、
その「おはなし」を書く作業に入るわけですけど、
長い道のりに、なるわけですよ。
その長い道のりを、できれば、気持ちよく歩きたい。
このボードゲームを気に入って、日々、プレイしている人が一定数いて、
その中に、私の居場所がある、
そういう中で、この長くなるであろう道のりを歩くことができると、いいな。
どうですか? 別に ケシカラン 願望じゃないでしょ?
> このボードゲームを気に入って、日々、プレイしている人が一定数いて、
そういう状況があった方が、書こうとしている おはなし にも、より、意味が出てくる。
これは無理な願いかなぁ、そんなに無理かなぁ。
無理なのかもしれませんね。
私は根源的に、人から嫌われるようになってる。
この世とのつながりが最小になるようになってる。
いじけて言ってるだけですか?
どうでしょうね。案外そうでもない気がするのですよ。
一人で動いてるときには、そこそこうまくいくのに、
他人と関わると、どんどん悪い方向に進んでいく。
いつも大体そのパターン。
行くところに行けば病名をもらえたりしますか?
そんなもん、もらってどうすんの。
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