何かすごく嫌なことがあったとする。
「こんなことは許せない!」と思う。
「こんなことは許されるべきではない!」と思う。
そして、
どうして「こんなことは許されるべきではない」のか?
その理由を考える。
理由。理論。理屈。人を操るための。
つまり、私が「こんなことは許されるべきではない!」と思っているのに、
それにも関わらず、「こんなこと」をしている人に出会ったとき、
いかにして、その行動を改めさせるか? いかにしてその性根を叩き直すか?
でも他人を操ることはできない。
どうしょうもない。
でも、どうしょうもない=問題解決、ではない。
「問題」は何だったのか?
完璧な理屈を無視して、相変わらず「こんなこと」を続けている誰かの性根か?
最初に「許せない」と感じたそのこと、この私が感じた、この不快感、それ自体か?
その不快感を、私個人のものではなく、その他大勢の人のものでもある、
というふうに主張することができればいい?
いや、それは結局、人を操るための理由・理論・理屈のテクニックの一部でしかない。
不快感を感じている、それ自体が問題?
つまり、「こんなこと」で不快感を感じている、私が悪い?
私が私の心を操って「こんなこと」で不快感を感じないようにすること、それが問題解決?
> どうして「こんなことは許されるべきではない」のか?
> その理由を考える。
>
> 理由。理論。理屈。人を操るための。
人を操れないことを承知の上で、
自分がその理由・理論・理屈に従ってみる。
不快に思うことがあるたびに、自分が不自由になっていく。
つまり、
「不快に思うことがある」→「それを許さない理屈を構築する」→「自分をそれに従わせる」
このサイクルを1周するたびに、自分の行動が制限されていく。
そして、最終的にはどうなるか?
死ぬしかない。
あるいは、自殺すら許されない。
生きていること自体が許されないことであると同時に、自殺することも許されない。
あれ? どこかで聞いたことがあるような状態ですね。
>「不快に思うことがある」→「それを許さない理屈を構築する」→「自分をそれに従わせる」
> 生きていること自体が許されないことであると同時に、自殺することも許されない。
このサイクルが、この状態にいたる道の1つ、とは言えるのかもしれませんね。
何の話でしたっけ?
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