何かをしていることができれば、それでいい?
「それで "いい"」というのは、何かどういいのかというと、もうほとんど、同語反復でしかなくて、
つまり、何かをしている間は意識がなくなっているから。
意識があるのは何かをしようとするその瞬間だけで、
何かをしている、まさに、その間、は、意識がない。
意識があること=苦痛、で、
意識をなくすこと=生きる目的
と、思い切って言ってしまう。
あとは、いかにして意識をなくすか? という、テクニックの問題でしかない。
酒を飲むとか、仕事に没頭するとか。
ちがった。何の話でしたっけ?
なんで、他人を操れないのに、他人を批判するのか?
他人を操ることはできないけれど、
何か、もっともらしい理屈を構築して、批判を展開する。
何かをしているつもりになる。
というより、実際、徒労でもなんでも、行為、している、わけです。
おお、意識がなくなってる。やったー。これでいい、これでいい。
なんか、ものすごくつまらない話をしている気がしてきました。
なにが、つまらないかというと、
もし、誰かを一生懸命批判している最中に、
相手または外野から、この話を持ち出されると、
まちがいなく、おっそろしく不愉快にちがいない、ということです。
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