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◆◆ 思ったこと: ◆◆

        何かをしていることができれば、それでいい?
        「それで "いい"」というのは、何かどういいのかというと、もうほとんど、同語反復でしかなくて、
        つまり、何かをしている間は意識がなくなっているから。
        意識があるのは何かをしようとするその瞬間だけで、
        何かをしている、まさに、その間、は、意識がない。
        
        意識があること=苦痛、で、
        意識をなくすこと=生きる目的
        と、思い切って言ってしまう。
        あとは、いかにして意識をなくすか? という、テクニックの問題でしかない。
        酒を飲むとか、仕事に没頭するとか。
        
        ちがった。何の話でしたっけ?
        
        なんで、他人を操れないのに、他人を批判するのか?
        
        他人を操ることはできないけれど、
        何か、もっともらしい理屈を構築して、批判を展開する。
        何かをしているつもりになる。
        というより、実際、徒労でもなんでも、行為、している、わけです。
        おお、意識がなくなってる。やったー。これでいい、これでいい。
        
        
        なんか、ものすごくつまらない話をしている気がしてきました。
        
        なにが、つまらないかというと、
        もし、誰かを一生懸命批判している最中に、
        相手または外野から、この話を持ち出されると、
        まちがいなく、おっそろしく不愉快にちがいない、ということです。