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◆◆ TEXT ◆◆

◆ 2022/07/11
    したこと:
        『学園棋神伝マインドル』の攻略情報ページを作りました
        
        
        前回ここで書いた文章を読んだ人が宇宙全体で果たしてどれぐらいいらっしゃるかと言えば、
        それはもう地球人の数の概念では表しきれないほどなのであり、
        そうであるならば、あのように書いた手前、放置しておくわけには参りません。
        
        というわけで、持ち前の義理堅さを発揮し、攻略情報ページを作った次第であります。
        これで地球のお友達も安心ですね。
        慈悲深い私はもちろん地球の皆さんにも理解できる言語で書いて差し上げましたよ。
        
        「教えて!仮面マインドラー」
        
        
        さて、攻略ページを実際に作るにあたって、どういうふうにしようかな〜、と色々考えました。
        ちなみに、いつもなら「マイ○ドル」のように一部伏せ字にするのに
        前回ここで攻略情報に触れた際には珍しく伏せ字にせずにフルネームで記載したのには深い深い理由があります。
        それは検索エンジンです。
        フルネームで記載しておけば、検索エンジンに拾ってもらえる可能性がある。
        ゲームの進行で困った地球のお友達が検索エンジンで検索した際に、
        あの文章が出てくる可能性を作っておこうとしたわけです。
        
        実際にそうなってくれるかどうかは検索エンジン氏のさじ加減一つではありますが、
        そうなってくれれば、ネット上の情報リソースとしては必要充分なのではないか?
        
        逆に言えば、改めて「攻略情報だぞ!」と体裁を整えて清書したページを作ったとしても、
        人々がマ○ンドルの攻略情報を求めることがあるとすれば、
        「私に(そのページに)」ではなく、
        「検索エンジン」に、尋ねることでしょう。
        
        では、その検索結果に出現する可能性のあるページを、
        前回の日誌ページ以外に、あらためて増やしておく必要性は、果たしてどれほどあるか?
        
        あるいは、このように問うこともできるでしょう。
        前回の日誌ページ以外に、「敢えて」増やしておくのであれば、「どのような」ページとするのか?
        
        というわけで3億年ほど考え抜いて3億年後には発明されていたタイムマシンで帰ってきた結果、
        どうせ作るのであれば、それ自体で「マ○ンドル」関連コンテンツとして、
        胸を張って地球の皆さんにお披露目できるような体裁のものとしよう、と決意した次第であります。
        
        ノベルゲームの攻略情報というと、
        選択肢ごとの正解や、イベントの出現条件などを列挙したりするような、
        「(味気ない)データ集」になりがちだと思うのですよ。
        「情報」としては機能的だとしても、
        「コンテンツ」としては、あくまで「裏情報」的な位置づけ、という感になる。
        
        特に、作者が事後に補足情報のような形で(こそっと)ブログ等に書き加えるような場合は
        そういう傾向が強いような気がします。
        つまり公開後に、内容に関して「わかりづらい」点などがあったかも……、という
        いわば、調整ミスに対する罪滅ぼし、のような意味合いで情報を出す、という経緯が、
        わりとよくあるパターンなのではないかな、と、テレパシーで読み取っています。
        
        その気持ちは同業(?)者として分かるし、
        私もそれに近い形(つまり前回のこのページ)で済ませようかとも思ったのですが、
        だからこそ、ここは敢えて、堂々と「お披露目するためのコンテンツ」として、
        作っておこうと思ったわけです。
        私は本当にカッコイイですね。
        
        私がカッコイイのはこの期に及んで言わずもがなですので深くは語らないことにしますが、
        前回も触れたように、新時代の個人ゲ制の在り方として、
        作者が自ら攻略情報を出していくスタイルというものが必要だと思うわけです。
        そのお手本を地球の皆さんにお示しすることも、カッコイイ私の義務であると理解しております。
        
        そんなわけで、愛する地球の皆さんのためにも、一肌脱いで差し上げた次第であります。
        カッコイイのも楽じゃありませんね。ヤレヤレ。
        
        
        さて、他に何かあったかな。
        
        何を語っても、結局のところ、私が口を出しても仕方がない、というところに落ち着いてしまうのではありますが、
        それを承知の上で、敢えて、言葉を展開してみようと思います。
        
        ……と思って今しがた、文庫本14冊分ほど書いてみたのですが、
        やはり、とりとめのない話になってしまうというか、
        あれこれを語った挙句、結局全体としてそういうものだよね、という着地点にしかなり得ない。
        
        というわけで、書いたものを消したところです。
        
        ちなみに何を書いて消したかと言うと、
        ・レトロゲームが「("若い人" に)クソゲー扱い」されがちな風潮
        ・発表の場としての「コンテスト」の需要の背景
        ・「作る事」を奨励する文化の飽和状態
        
        のような事に関して大長編を書いて消したのでした。
        消したままなのも私的に残念なので端折ってお伝えすると、
        
        >・レトロゲームが「("若い人" に)クソゲー扱い」されがちな風潮
        → Youtubeなどの(ネタ的)実況動画の影響は大きいのではないか?
        
        >・発表の場としての「コンテスト」の需要の背景
        → 「競う」ことの功罪も気にはなりますが、それ以前に「発表の機会」自体が不足しているのではないか?
        
        >・「作る事」を奨励する文化の飽和状態
        → それよりも今必要なのは「プレイする事」を奨励する文化なのではないか?
        
        みたいなお話でした。
        
        それらが「問題」なのかどうかということも含めて実のところ何とも言えないのではあり、
        部分的に「問題」と言える現象があるように見えるとしても、
        結局、その場にいる人々の選択の総体として、そうなっているのであり、
        私もあながち無関係ではないとは言え、
        直接的に「こうすべき、ああすべき」といった話をしても仕方がないのだろうと思います。
        
        個別の件に関し、私としては、
        「あなたたちは、本当にそれでいいの?」と、
        ついつい言いたくなる場面はあったりはするのですけど、
        仮に「そう」なのだとしても、それなら尚更、
        表面的に「風邪の症状」を抑え込めたとしても、必ずどこかで反動が生じるでしょう。
        
        
        さて、私はこれからどうしようかな?
        「祝福の」のPVと攻略サイトを作って、「マイ○ドル」の攻略記事も出しましたし、
        前々から気になっていた案件は差し当たり消化できたところであります。
        
        無理に「新作」を作ろうとはあんまり思わないかな。
        何か、この世に具現化する必要のあるものが見つかれば(意訳:案を思いつけば)、
        作るかもしれませんし、もう一生作らないかもしれません。
        「案」自体はいくらでもあると言えばあるのですけど、
        無闇に「生み出し」ても仕方がないかなという気はしています。
        
        この話は、上で端折ったトピックの3つめに絡むことでもあり、
        せっかく端折ったのをここでまた大長編にするのは避けたいところですね。
        作る事が悪い事だなどとは言いたくないのではありますが、
        「現状」を見るにつけ、「この中」へ「生み出す事」の意味する所とは……と
        考えてしまう面は否定できないと申しますか。
        自分だけでなく、他人にも大なり小なり影響があることですからね。
        っと、油断すると大長編の足音が……!
        「誤解」を避けるのは困難であり、140文字の世界では触れられない話題ではある。
        
        
        > 個別の件に関し、私としては、
        > 「あなたたちは、本当にそれでいいの?」と、
        > ついつい言いたくなる場面はあったりはするのですけど、
        > 仮に「そう」なのだとしても、それなら尚更、
        > 表面的に「風邪の症状」を抑え込めたとしても、必ずどこかで反動が生じるでしょう。
        
        ゲ制に限った話ではなく、結局のところ、
        現代の文明の在り方そのものの上に、何もかもが並んでいる。
        それが「風邪」なのか何なのかも、本当はところは分かりません。
        それで「いい」のか「わるい」のか?
        そんな価値判断とはまったく別の次元で、個々の部分がつながり、全体が動いている。
        さらに言えば、「現代の文明」をも「超えて、含む」何かはあるのかもしれません。
        
        世の中は「変わる」ものではありますが、「変える」ことはできません。
        その流れの一部を(自分なりに)生きることはできるとしても。
        
        また「風邪」のたとえで恐縮ですが、
        病気を治すのは医者でも薬でもなく、患者本人(の体)なのだ、という話がありますね。
        ましてや私などは「医者」ですらなく、このたとえ自体も怪しいのではある。

        「自分の頭で考え」ているようでいても、「時代の影響」は避けられず、
        あるいは結局「日本語で思考している」といった「文化」の影響も避けられない。
        自由に動き回っているようでいて、結局、地球の空気の中を泳いでいる。
        
        現代の文明がどこへ向かっているのか?
        それを想像すると、恐ろしいようでもあり、楽しみなようでもあります。
        
        さしあたり、そこにいる個々の人々が、
        それぞれの意味で「よく」あれますようにと祈りたいとは思います。
        
        それではまた。
        今日もあなたが幸せでありますように。

        
        
        
        
        

◆ 2022/06/25
    したこと:
        『祝福のナワール』の攻略サイトとPVを作りました
        
        
        やらなくてもいいかな〜、でもやっておきたいな〜、
        という状態のままでは後生がよろしくありませんので、
        ゲーム本体制作の勢いが冷めやらぬまま、攻略サイトとPVも作った次第。
        これというのも地球の皆さんを愛すればこそ。
        いつもながらこの私の慈悲深さには感動するばかりですね。
        あなた方は本当にラッキーです。
        
        
        [攻略サイト]
        http://nagual-guide.site-a.info/
        
        [PV]
        ゲームの詳細ページのサムネの中
        
        ツイッター上に投稿した動画は閲覧時の通信状況によっては
        ガビガビの劣化版が表示される場合があるようで、
        当たりが出るかハズレが出るか、ドキドキがノンストップですね。
        ハズレの場合はサイトの方を見にきてね、と言いたいのはヤマヤマで、
        通りすがりのお友達の脳内のイベントをハンドリングして
        if ( 視界.pv.state == 劣化 ) { goto ホムペ } 
        などと仕込もうかな〜と思ったのですけど、
        慈悲深い私はやらないでおいてあげましたよ。あなたの意志はあなたのもの。
        その人が見たタイミングで劣化版が出たら出たで、大宇宙の巡り合わせというものです。
        
        
        
        攻略サイトの話。
        
        一昔前、攻略サイトと言えば「プレイヤー有志」が作ってくれるものでありました。
        それが人気作の証でもあり、作り手としては憧れの対象でもありました。
        私としてはその文脈を知っているつもりですので、
        自分で攻略サイトを作ってしまうというのは、ちょっと何というか、
        「え? 自分で作っちゃうんだ?」感がなくもないのではありますが、
        だからこそ、昨今の自作ゲー界隈の流れ的に、
        既にそんなことに囚われている必要はない時代だろう、とも感得するところであります。
        
        立場を変えて、自分がプレイヤーとして個人制作ゲームをプレイする際、
        攻略情報の少なさに悩まされるケースはよくあります。
        個人制作ゲームは数は多く、それでいてプレイヤー数は少なく、
        よっぽどの人気作以外はネットで調べても情報がほとんど出てこないのがデフォルトです。
        ましてや「プレイヤー有志」による攻略Wikiのようなものは、
        作品数自体が少なかった時代の、過去の文化と言っても過言ではないのかなと思うところです。
        
        作者のHPにある程度の攻略情報が書かれているケースはあっても、
        あまり網羅的な情報が公開されているのは見かけません。
        おそらくですが、やはり、作者が自分で詳しい攻略サイトを作る、ということに、
        あまり「気が進まない」という感覚を持つというのは、
        その内実の色合いは一定ではないにせよ、
        広く共有されている傾向なのではないかなとテレパシーするところであります。
        
        ネタバレを書きたくない、とか、
        そういうことはプレイヤーに自分でたどり着いて欲しい、とか、
        ゲーム本体を作るだけで精一杯で、そこまで余力がない、とか、
        質問されれば答えるつもりはある、とか、
        裏返せば、求められてもいないのに自分から情報を出すことに抵抗がある、とか、
        そうした様々な思いがテレパシーでハッキングできるところであります。
        
        SNS越しに観測する限りではありますが、
        そうした中には、プレイヤーの多くが途中で詰まって投げ出してしまうことを
        作者が把握しており、その状況を芳しく思っているわけでもないにもかかわらず、
        攻略ページの充実には着手しないケースもあり、
        つまるところ攻略情報を自分から出すのは、やはり「抵抗がある」のだろうな、と、
        これを言うのは余計なお世話というものではありますが、
        そんなこと言わずに作ればいいのにな〜、と外野的には思うケースもいくつかあったりはしました。
        
        なので、余計なお世話になるようなことは言うつもりはないのですが、
        作者が自分でガッツリとした攻略サイトを作っちゃったっていいのだ、
        ということを、実例として示せればいいな、という思いも多少あったりもします。
        「その人」に「届く」かどうかは別として、
        個人ゲ制の風潮の一つとして、
        「ここまでやったやつもいる」という実例の一つになっておくことは、
        全くの無駄ということは無いのではないか、と僭越ながら私なりに思ってたりします。
        
        
        ちなみに、仮に作者が自分で攻略サイトを作る流れが一般化したとしたら、
        攻略サイトありきの難易度にしてしまう、という問題が起きそうな未来が予知できたりもします。
        すると攻略サイトの攻略サイトが必要な流れとなり、歴史は繰り返すのかもしれません。
        人類の業は深いですね。
        
        あと、これは別に「問題」というわけでもないですが、
        ゲーム本体が未完成のうちから攻略サイトに力を注いで、
        本体はエターナる、なんてことも起きがちになったりするのかも。
        人類の業は深いですね。
        
        もしくはゲーム本体を作る予定はないまま、妄想だけで攻略サイトを作ってしまう、とか。
        本体がエターナったものも含め、こうして、実体なき攻略サイト群がネットの海に乱立することになる。
        人々はそうした攻略サイトを読んで、架空のゲームを想像することをこそ楽しむようになり、
        本当にゲームを作っても見向きもされなくなる、
        あるいは「夢を壊す」野暮な所業として忌避されるようになる。
        人類の業は深いですね。
        
        
        > 攻略サイトありきの難易度にしてしまう、という問題が起きそうな未来が予知できたりもします。
        
        ちなみに「祝福のナワール」は攻略サイトがなくてもクリアは可能なようにしたつもりではあります。
        そもそも内容的にも「愛のある」ゲームということもありますし、
        ゲーム的な意味で「無慈悲」な内容にしてしまったら
        テーマ的な矛盾だよなという思いもあり、
        「難易度」というよりも、あまり「苦労」はしなくて済むことを目指したつもりです。
        
        ただ、そういう中で一部、わかりづらい箇所はあるかなという懸念もあり、
        (ゲーム的な難易度というよりも、情報伝達的な意味で)
        詰まってヤメてしまうことになるのは残念ですし、
        本当はゲーム内でヒントに困らないようにすべきなのだろうなとは思いつつ、
        どうしても「後の祭り」にはなってしまいますし、
        攻略サイトという更新の容易な形で、
        気軽に参照できる情報源を用意しておく必要はあるかなとは思っておりました。
        なお、エンディングが2つあるうちの片方はちょっと「難しい」かもしれません。
        
        と、語り出せば話は尽きませんが、
        内容に関しては、あまり私が語り過ぎるのも野暮ですし、このぐらいにしておきます。
        わからない箇所があったら、攻略サイト内で情報を探すということも含めて、
        お楽しみいただければ幸いでございます(あれ? 攻略サイトありき? いや別に「ありき」というわけではゴニョゴニョ)。
        
        
        > 個人制作ゲームは数は多く、それでいてプレイヤー数は少なく、
        > よっぽどの人気作以外はネットで調べても情報がほとんど出てこないのがデフォルトです。
        > ましてや「プレイヤー有志」による攻略Wikiのようなものは、
        > 作品数自体が少なかった時代の、過去の文化と言っても過言ではないのかなと思うところです。
        
        ネトゲ(ソシャゲ?)の場合は、(今も)そうした「有志Wiki」はしばしば存在するようですね。
        と言いつつ、私自身はネトゲ(ソシャゲ?)をしていないので認識に誤りがある可能性はありますが、
        ネットでたまに見かけるような気はします。
        つまり、多くの人が、特定のゲームを「共有」する、という状況が「有志Wiki」発生には必要であり、
        オンライン同時接続ゲームであるネトゲ(ソシャゲ?)では必然的にそうした状況が生じやすい一方、
        個人制作ゲームでは、日増しに、そういう状況は起きにくくなっているのかな、と推測しています。
        
        いわば「私が好きなあのゲーム」を熱心にプレイしている人が他にはあまりいない、という状況です。
        (=私が頑張ってこのゲームの攻略サイトを作っても需要ないよな)
        
        もしくは、そもそも、これだけタイトルが増えると、特定のゲームを長期間熱心にプレイする、
        という状況自体も起きにくくなってきているような気もします。
        「フリゲ好き」な人ほど、一度クリアしたらすぐに忘れて別のゲームに目移りしてしまうのではないか?
        善し悪しの話ではなく、時代状況的に、そうならざるを得ないですよね、という話。
        
        というわけで、令和の今、攻略サイトの作成は作者の手に委ねられているのであります。
        (=私が頑張ってこのゲームの攻略サイトを作っても需要ないよな)
        (え?)
        

        
        PVの話。
        
        以前、マイン○ルのPVを作ったのが、私が今回の人生で初めて作った動画だったのでした。
        あの時はマ○ンドルの宣伝方法をあれこれと試行錯誤していた時期で、
        その一環として、ちょっとした思いつきというか、苦肉の策というか、
        そんなに高度な動きじゃなくても「それっぽく」なればいいや、ぐらいのノリで、
        動画を作った経験もスキルもありませんでしたが、持ち前の才能だけを頼りに作ってみたのでした。
        
        で、宣伝の効果があったのかどうかは果てし無きエターナル・ミステリーですが、
        PVを作るのは結構おもしろいぞ、と、私の中で定着。
        その後、某VtuberさんのCM紹介イベントに参加できたことも中々意義深い体験で、
        PVは作っておくに越したことはないぞ、と私の中で定着。
        
        そんなわけで「祝福のナワール」でもPVは作っておきたいなと、かねてより思っていた次第です。
        ちなみにそのVtuberさんの今夏の同イベントはタイミングが合わず、
        申し込めなかったのは残念ですが、それもまた巡り合わせ。大宇宙の意志を感じます。
        今回は見送っておくべしということなのだろうと解釈し、
        外部での露出に関しては、また別の機会に回したいと思います。
        
        さて、そのPVの制作に関してですが、
        動画作りのスキル自体は以前と変わってなかったりします。相棒は持ち前の才能のみ。
        「ちゃんとした」動画作成ソフトを使うべきかな〜? と、作業中、2時間に1回ぐらい思いつつ、
        以前と同様、Love2D/Luaでゴリゴリとスクリプトを書く力技で、気がついたら完成しておりました。
        私は本当に天才ですね。
        そしてまたもや「ちゃんとした」動画作成ソフトは使わずじまい。
        これもまた巡り合わせ。大宇宙の意志を感じます。
        
        制作手段はさておき、
        マイ○ドルのときはイメージ優先で、実際のゲーム画面をあまり入れてなかったことが
        反省点と言えば反省点だったので、
        今回はプレイ動画をふんだんに取り入れて、
        実際にどんなゲームなのか、という雰囲気を伝えられるように意図してみました。
        
        あと、「戦闘のないRPG」という根幹のコンセプトについても、
        PVという形なら、あまり多くの言葉を費やすことなく
        「印象として」お伝えできるかな? という期待もあります。
        正確な理解までは望みませんが、一瞬「ん?何だって?」という印象は
        感じていただけるのではないかな〜と。
        
        戦闘が無い云々に関しては、文章で「説明」すると、
        140文字には収まらない校長先生のお話になってしまいそうですし、
        ツイッターでの通常の「公開中です」の宣伝では、バッサリと省いたのですよ。
        静止画像で「レトロ風のRPG」という印象を伝えることにとどめることにして。
        これだけだと、多分、見た人の9999%は、
        伝統的な「勇者と魔王」のゲームだと思うんじゃないかな〜、と思いつつ。
        かと言って「戦闘が無い」とだけ言うと、
        おつかい的なイベントだけで構成されたアドベンチャーのようなものを想像させてしまいそうですし、
        そこに関してはもう、ツイッターというプラットフォーム上では
        余計なことを言わない方がいいだろうと判断した次第です。
        これもまた巡り合わせ。大宇宙の意志。いいえ、私の意志であります。
        
        
        > 人類の業は深いですね。
        
        攻略サイトに関して不穏な未来予知をお見せしたことは記憶に新しいことと存じますが、
        PVに関しては割と同様のことが既に起きているのかな、と、ふと思ったりもしました。
        同様のことと言いますか、
        本体が完成する前にPVを作っておく、というのは、そんなに珍しいことではない感じはしますね。
        作りながら宣伝にも力を入れる、というのは、むしろ普通のことと言えば普通のことではありますね。
        
        で、このあたりの事に絡んで、攻略サイトとの位置づけの違いなどについて書いていたら
        文庫本14冊に達しそうな勢いで文章がガンガン増えてPCのSSDが核爆発しそうになったので、
        バッサリと割愛しました。地球の命運は守られた。
        一言でまとめると、皆さんそれぞれに頑張ってらっしゃいますね、ということです。素敵。
        私もPVを早めに作っておいてもよかったのかな? そこに回せる余力を捻出するのが難しい。
        人によって、やりやすい順番というものがあるのでしょう。
        
        一つだけお伝えしておくと、今回攻略サイトを作っていて
        「あ、これはつまり、仕様書を公開向けに整理しているのか」と思うことがありました。
        その過程で気付いたバグもあったというのはここだけの話。
        仕様の確認を兼ねて、本体を完成品として公開する前に攻略サイトを作ってみるのも、
        ゲ制のプロセスの一種として、アリと言えばアリかもしれませんね。
        
        
        さて、ゲ制関連の近況報告としてはそんなところです。
        他に何かあったかな?
        ありますあります。文庫本14冊分ぐらいあります。
        実際、いろいろ書こうと思ってたのですよ。
        しかし、敢えて言っても仕方がないかな、という気もします。
        
        ゲ制界隈の話に限りませんが、
        世の中にある様々な問題に関し、
        私から見て「もっとああすればいいのに、こうすればいいのに」と、
        思うことは多々あったりするのではありますが、
        私から言っても仕方がないのだろうなとも同時に思うところです。
        
        別に私の「アイディア」が特別斬新というわけでもないと思うのですよ。
        実際、同じようなことを言ってる人がいることもある。
        しかし、世の中は、そうはなっていない。
        ということは、多くの人が、そんなことは望んでいない、ということです。
        表向きは愚痴を言ったり、苦労したりしているようではあり、
        それは別に嘘でも演技でもなく、実際、困ったり苦労したりして「いる」のでしょうけれど、
        結局、事実上、そこにいる人々自身が、
        「そう、なる・ある」ように行動して、そう「なって」いるという節がある。
        愚痴を言ったり苦労したり、ということも含めて、それらを「求めて」いるという節がある。
        「求めて」という言葉を使うと語弊がある気もしますが、
        様々な意味合いにおいて、そうする「必要」があって、そう「して・なって」いると思われる。
        たとえて言うなら風邪の症状のようなもので、
        症状自体は出るべくして出ている。
        そこへ向けて「鼻水なんて出さなければいいのに」なんて言っても仕方がない。
        今は「鼻水を出す」より他ない時期というわけです。
        
        批判しても仕方がなく、かと言ってそれ自体を応援もしづらいところではあり、
        出来ることがあるとすれば、離れて「あなたの幸せを願う」ことだけです。
        表面からは伺い知れない、その人なりの霊的な文脈というものがある。
        
        もちろん、本人にはどうしようもない環境的な苦境というものはあるでしょうし、
        上記のようなことを、全てのケースに対して単純に「言い放つ」わけにはいかないのではありますが、
        そういう個別具体的なケースの次元というよりは、
        全体的な風潮の次元で、という話です。
        
        たとえばそういう困っている人がいたとして、
        その人自身が自分でそれを選んでいるのだ自己責任だ、というよりは、
        その周辺にいる共同体の人々が、そこに「困っている人」の存在を「求めて」おり、
        いわば需要と供給の結果、苦境が維持されている、というようなことです。
        
        > その人自身が自分でそれを選んでいるのだ自己責任だ、というよりは、

        そういう場合もあるかもしれませんが、それが成立するのは結局、
        周囲の共同体全体の中での「需要と供給」があればこそでありましょう。
        
        仮にその困っている人がその苦境から脱したとすれば、
        別の誰かが同じポジションに就任することになると予想できます。
        全体を貫くエネルギー的な「現実」というものがある。
        そこに対して「正解=綺麗事」を言っても仕方がなく、
        相応の時間をかけて、一見すると直接は関係ないように見えるかもしれない私やあなたをも含め、
        すべての一人一人の責任ある「現実」として、歩んでいくほかないのでしょう。
        
        
        
        > というわけで、令和の今、攻略サイトの作成は作者の手に委ねられているのであります。
        
        唐突に、一つ言い忘れていたことを思い出したのですが、
        学園棋神伝マインドルの攻略情報も、もうちょっと増やした方がいいような気がしてはいるのでした。
        と言っても、キリエ編以外は進行自体で詰まることはそんなにはないでしょうし、
        試合に関しては頑張ってくださいとしか言いようがない部分が大きいですし、
        何より最大のハードルは長さそのものだったりするので、
        部屋を明るくしてモニターから充分離れてお読みくださいとしか言いようがないかな。
        先輩編の後半(8話以降)は、キリエ編と知子編のエンディングを両方見ていないと入れない仕様だということは、
        これはもうネタバレとか気にせず、どこかで触れておいた方がいいのかなと思っているのですが、
        どこで触れようか考えあぐねているところなんですけど気づいたら今触れてるじゃないですか。くわばらくわばら。
        キリエ編のエンディングはどちらか片方で構いません。
        なお、この理由で7話で終了してしまった場合も最初からやりなおす必要はなく、
        キリエ編と知子編のエンディング回収後に、先輩編の途中のセーブデータから再開すれば8話に入れます。
        ちなみにこの「一度は入れなかったけど、その後、入れるフラグが立った」状態で、
        フリーバトルの右下にあるオマケ系の試合をすると、
        先輩が「今なら続きに入れるよ」的なヒントを言ってくれる親切設計なのでした。
        仮に詰まっても、何をすればいいんだ? と思いながら遊んでいるうちにヒントが貰えるという完璧な仕様。
        これなら誰も迷う心配はないですよね。うんうん。
        じゃあ別に、敢えてどこかに記載する必要もないかな。るんるん。
        
        ここから先は裏話ですが、なぜこんな仕様なのかと言えば……
        と思ったのですが、やはりこれは私の口から言うことではない気がするのでヤメておきます。
        あれを受け取った人が感じることが全てというべきでありましょう。
        
        以上、唐突なネタバレでした。
        やはり何だか、自分から攻略情報を出すことに躊躇いがあるという気持ちも分かる気はしますね。
        あまり誇らしげにお披露目するような類のことではない文脈。
        どうにも言い訳くさくなってしまうと申しますか。後始末っぽくなってしまうと申しますか。
        それを「攻略」と称するのもどことなく「おためごかし」で気後れする感じもありつつ、
        こんなところに殴り書きするのではなく、観念してどこかにまとめておいた方がいいかな。
        先輩編後半に関しても2箇所ほど、あそこは少々「罠」かな〜、と思う箇所がある。
        何しろマ○ンドルは今や全宇宙で大人気ですから、
        情報を求めている無数の人々のためにも、この私が一肌脱ぐべきかもしれませんね。
        
        
        というわけで。
        唐突に話題が変わって、いまいちカッコいい終わり方とはなりませんでしたが、
        この世で具体的な人間の一人として生きるとはそういうことなのかもしれません。
        「収まり」はいつだってぎこちないのであります。
        
        ではまた。
        今日もあなたが幸せでありますように。
        
        
        
        
        
        


◆ 2022/06/24
    したこと:
        ア○ガオ、デ○ー・エックス・エム、ナ○メグ
        
        
        さて、ゲ制が一段落したことですし、
        ずっとご無沙汰していたサイケ活動をぼちぼち再開していこうかな、
        というわけで、手元に残っていたネタの処分を兼ねて、ここ最近、立て続けに体験してみておりました。
        と言っても、個別に文章に書き起こすほどのことは起きなかったのでまとめて記載です。
        
        
        ・アサ○オ
        
        言うまでもないですが、小学校で栽培するような普通のアサガオではなく、
        LSAが含まれているというハワ○アン・ベイビー・ウッドロ●ズの種です。
        念のため言っておくと違法性は全くありません。単なる「お花の種」です。
        何年か前に、消毒薬がかかっていないものを国内のお店で買うことができたので、
        ちまちまと試しておりました。
        
        はい、ちまちまと試していたのですよ。何年か前から。
        しかしまったくと言っていいほど何も起きない。副作用すら起きない。
        ここには書いてませんでしたが、と言うより、書くようなことが何も起きない。
        
        ネットの情報によると1粒でも人によっては効果があるだとか、
        5粒で充分すぎるだとか、10粒でとんでもないことになっただとか、
        いろいろと派手なエピソードが散見されますので、慎重に慎重を期して試しておりました。
        が、5粒食べても10粒食べても何も起きない。
        ほんの少〜し、CEVが意味深になったような? 気のせいなような? という程度。
        噂に比して、あまりの手応えのなさ。
        
        そんなこんなで興味を失い、放置したままここに至っていたという次第。
        袋の中身を数えてみると、残り16粒。
        これで効かないなら、もう諦めることにして、在庫処理も兼ねて一気に食べてみました。
        
        結論を言うと、効果はありました。おそらく。
        何が「おそらく」なのかと言えば、噂に聞くような派手な幻覚は一切ありませんでした。
        しかし精神状態の変化は明確。
        
        何と言ったらいいのか。
        言葉にしてしまうとチープなのですが「愛と感謝」というやつです。
        
        自分がこの世に生まれてきた理由が、全ての人々への愛の念を思い出すためであったことが「再確認」される。        
        なぜ「再確認」かと言えば、それは「既に知っていた」ことだからです。
        自分が生まれてきたこと、生まれてからこれまでのこと、
        その全てが、そのために周到に配置されていたことを理解する。
        普段は思い出すこともないような、過去のことが鮮明に思い出される。
        自動的に記憶が蘇るというより、自発的に過去へ旅をしている。
        これまでに出会った全ての人々へ、ごめんなさい、ありがとう、そして、大好きですと、
        愛の念を振り向けるために。
        思わず、普段連絡を取ってない人に連絡を取って直接伝えたくなりましたが、
        そんな不自然なことをする必要はないということも同時に理解できる。
        宇宙の全ては、ただひとえに、愛に向かって収斂している。
        個々の人生は、一見するとそれとは正反対なように見える場合もあるけれど、
        遠回りをするだけの必要があってそうなっている。
        「悪」は一時的な状態であり、万物の本性は「善」であることを「再確認」する。
        
        それでも、やっぱり、「この一切」は一体全体何なのか? という問いは残る。
        超感覚的な「幻覚」のようなものは何も見えないため、
        そうした「からくり」を認識することは相変わらずできずじまい。
        しかし今は「それでいい」のだろうと思える。
        今、こうして物質世界にいる間は、そうした認識は必要ない。
        必要がないから見えない。それでいい。そう思える。
        そうした認識によって把握できるような「真理」は見えないままだとしても、
        その条件で、物質世界にいる目的が「感謝と愛」であるということも、紛れもなく「真理」の一片ではある。
        
        派手な幻覚が見えれば「楽しい」けど、それ自体は、終わってしまえばそれだけ。
        というよりは、幻覚は見えなくても、こういう「中身」が得られる方が意義はある。
        むしろ「幻覚」はそのための「方便」なのであって、目的ではない。
        
        ただ、こうした認識を踏まえた上で、では具体的にどうすればいいのか?
        というのは、相変わらず「現実的な課題」であって、
        別に何がどう変わるというものではないということもわかる。
        何か「見え」ないかと精神を集中してみるものの、それ以上の「具体的」なことは何も見えず。
        「現実的」には様々な事情が絡み合う中で、
        一足飛びに「ネタバレ」をしても、かえって周囲との軋轢を生むだけであり、
        結局、この世は相変わらず今まで通りに「この世」であり続けるより他ないのだろうとも思う。
        根源的なところで「それでいい」のだということを、
        ときどき思い出して眺める「お守り」のようにして。
        
        
        ……という感じで、視覚的な幻覚とはまた別の意味で、なかなか「派手」な大団円となりました。
        「楽しい幻覚」は見れませんでしたが、それ以上に意義深いセッションだったと思います。
        
        しかし、もう一回やりたいとは思わないですね。
        副作用が酷かった。
        効果が現れる前に、激しい嘔吐と下痢に見舞われ、
        上からも下からも出すものを出し切って、身動きできずにぐったりと伏せっておりました。
        そういう状態での、上記の「体験」です。
        
        実はただ単に、変なモノ食べてお腹こわして寝込んで
        センチメンタルになってただけなのでは? という説もないではない。
        翌日になっても、水を飲んだだけで嘔吐する有様で、体験当日を含めると結局丸2日間ほど寝込んでました。
        一生に一回ぐらいはやっておいてもいいかもという感じではありますが、
        もう二度とやりたいとは思わないですね……。
        
        副作用が出るのはLSA以外の物質が原因なので、種をうまく処理すれば快適にトリップ可能、
        という情報もあって、興味はあるものの、あれこれと機材や設備が必要のようですし、
        今の私の住環境的にはちょっと難しいですね。サイケ活動用のラボが欲しい。
        なお、物質を抽出すると違法になってしまう場合もあるらしいので、
        その意味でも迂闊には手を出しづらいですね。私は常識人なので法律は守るのであります。
        
        
        > 実はただ単に、変なモノ食べてお腹こわして寝込んで
        > センチメンタルになってただけなのでは? という説もないではない。
        
        ちなみに、こういうところも含めて、以前体験したアカ○ア茶とも似ていますね。
        あのときも派手な幻覚こそなかったものの、ぐったりして「愛と感謝」モードに入ってました。
        
        聞くところによると、DMTもLSAもセロトニンと類似した分子構造をしていて、
        セロトニン受容体に取り込まれることで効果を発現させるのだとか。
        似た方向性の体験になるのは頷けるような気がいたします。
        
        
        
        ・ディ○・エ●クス・エム
        
        私にとっては既に「盟友」となっているお馴染みの物質。
        前回1000ミリ超えをやったのは、既に1年半ほども前のことなのですね。
        あの世界に無闇に何度も行っても仕方がないかなと思い、ずっとご無沙汰しておりました。
        
        ただ、現状、私にとって、安定して確実に「あっち側」へ行くことができる唯一の手段ということもあり、
        何かもっと、この「扉」の活用方法を引き出せないか? とは思っておりました。
        
        というわけで、あっち側へ行って何をするというプランは特にないままでしたが、
        手元に残っている錠剤の処理を兼ねつつ、今回は少ない摂取量でのトライです。
        具体的にはメ●コン24錠です。
        24錠と言うとそこそこ多いようにも見えますが、
        コンタ○ク換算なら1箱の半分。一般的にはトベないとされている量です。
        私にとっても今までにないロードース。
        摂取方法は今までの経験を活かし、空腹からの白がゆメソッドです。
        トブこと自体が目的ではなく、トベるかどうかの実験です。
        
        結果はと言うと、この量でもトベました。
        時間は短く、強度もマイルドなものではありましたが、間違いなく「あっち側」に行けました。
        ただ、それに気付くことができたのは、
        これまでの経験があったからこそだな、とも思います。
        精神面の変化は微細で、視覚的な効果も「影や輪郭が見える」程度。
        それらを、これまでのトリップでの体験内容と比較して、
        「あ、これは…… "あれ" と同じ場所だ!」という風に理解できる。
        某マンガの「俺じゃなかったら見逃しちゃうね」じゃないですが、
        これまでの体験を経ていなかったら、
        「やはりこの分量では "第2プラトー" 止まり」、という認識になっていたのではないかと思います。
        
        効果が発現(離陸)するまでに約3時間。
        「あっち側」にいたと言えるような効果が持続していたのは多めに見積もって、約4時間。
        その後は身体症状(フラつきなど)は残るものの、精神的には明らかにシラフでした。
        
        離陸まで3時間というのは、「そのつもり」で待機してないと飽きてしまいそうですね。
        しかし多く飲めば早く効くというものでもないので、これはその日の体調などで左右されるところかな?
        持続時間の長さ(短さ)は、摂取量相応という感じですかね。
        それに比して、身体症状が残る時間だけはしっかり長かった。翌々日になっても足元がフワっとしてました。
        これも体調によって変わるところかもですが、離陸自体の短さに比して「コスパ」が悪い気はしなくもない。
        
        ともかく、この量でもトベるということが確認できたのは収穫です。
        効果は量相応ですが、そこから何を引き出せるかは、自分次第という気がしました。
        たとえるなら、本に書いてある文字の印刷が濃い方が読みやすいですが、
        薄くても目を凝らせば読めるのであり、内容は変わらない。
        
        体験中も身体感覚は残っていて、「自分は "現実" では布団に寝ている」という自覚はありますが、
        そのこと自体が、トリップの体験内容の深さが浅いことを意味するわけではないようです。
        「現実」に対する自覚自体を消す必要はなく、
        それはそれとして頭の脇に置いておきつつ、
        開かれた認識の窓の向こうへ、如何に意識をフォーカスさせるか。
        
        そういう意味で、ロードースの方が、むしろ「上級者用」という面はあると言えそうですね。
        突き詰めれば、何も摂取しなくてもトベるようになるのが理想か?
        そこまでいくと、ガチの「霊能力」の領域であり、
        自分の意志で制御できない場合は「病気」ということになるのでしょうね。
        薬物はあくまで補助的手段の一つに過ぎないことは自覚しておきたい気はします。
        
        > 「現実」に対する自覚自体を消す必要はなく、
        > それはそれとして頭の脇に置いておきつつ、
        > 開かれた認識の窓の向こうへ、如何に意識をフォーカスさせるか。
        
        身を起こして背筋を伸ばして座って瞑想ポーズをしてみると、視界(CEV)が明るくなりました。
        以前のハイドース時とは違って、効果発現中も体は割と動かせる状態だったので出来たことです。
        ハイドース時は受動的に体験を受け取ることに専念せざるを得ないところがありましたが、
        ロードースの場合は、意識的に探索していける可能性があるのではないか。
        
        体験の方向としては、これまで同様、
        物質的な日常世界での物事の「意味=私との関係」が剥ぎ取られ、
        抽象的な次元へ、「舞台裏」へ、源流へと遡っていく感じ。
        いわゆる「解離」というやつですね。
        
        この点で、先述のアサ○オなどのセロトニン系の体験との違いが興味深い気がします。
        セロトニン系と解離系。
        「系」などと言えるほど私自身の実体験は多くはないのですけど、
        ネット等で散見される他の人たちの体験とも合わせて考えてみると、
        大体の傾向が見えてくる気がいたします。
        
        セロトニン系は、自他の境界が融解し、宇宙全体が、泥臭く包み込まれていく感覚。「渾然一体」となる。
        解離系は、自己および世界が、抽象的に解体されていく感覚。「バラバラ」になる。
        
        粗雑な議論になることを承知で政治思想にたとえると、
        セロトニン系は「右派」的。保守。共同体。伝統。つながり。
        解離系は「左派」的。改革。個人。自由。解体。
        
        どちらも究極的には同じ地平(言ってしまえば「愛」)を目指している筈、ではあり、
        それぞれにアプローチの方向性が違っているだけの筈ではあるのですが、
        「右」から見ると「左」は、文化や共同体=自分たちの居場所を破壊する悪魔的な様相を呈し得る。
        「左」から見ると「右」は、古いしがらみや既得権益で個人の自由を奪う悪魔的な様相を呈し得る。
        
        個人と共同体のバランス、と言ってしまえば古くて新しい問題ではあり、
        人間が「一人の自己と複数の他者」という形式で存在している「この世」という条件下での、
        「永遠(いつまで?要出典)の課題」というやつではあるのかなと思うところではあります。
        
        脳に作用する物質などというもので左右(!)もされる精神的な方向性次第で、
        どちらの思想も「ありえる」のだということが、あらためて感取でき、
        興味深くもあり、感慨深くもあるところです。
        
        
        それからもう一つ、「眠気」に関して気付いたことがあります。
        上記のどちらの体験にも共通することですが、
        どうも、精神が変容している間は「眠気」というものを感じないっぽい。
        体験時には毎回、寝落ちで終了することがないようにと警戒して、事前に多めに眠るようにしているのですが、
        それにしても何時間もぶっ通しで「体験」が続いているのに「眠く」なることは全くないのですよ。
        効果が切れてくるにつれ、徐々に眠気がやってくる、というのがこれまでの大体のパターンです。
        おそらくですが「睡眠」というものは「通常の覚醒状態」とペアになっているのではないか?
        だから「通常の覚醒状態」が無くなれば、「睡眠」も成立しなくなる。
        敢えて眠い状態から開始してみるとどうなるのでしょうね。別の機会に試してみたい気がします。
        
        
        
        
        ・ナ○メグ
        
        これはちょっと番外編という感じです。
        体験したのは「今回」というより、結構前なのですが、
        小ネタ感があり、敢えて情報共有する機会となると他にはなかなかなさそうな気がしますので、
        この機会についでに書いておくことにします。
        
        香辛料のナツメグです。スーパーに売ってる普通のやつです。
        これを1瓶イッキ飲みするとトベるという話が都市伝説めいた風情をまとって流布しておりますが、
        実際、それなりの成分は入っていて、大量摂取すると精神にクルというのは本当のようです。
        でも、マジメにサイケをやってる人はあんまり使ってない印象ですね。
        検索しても、半分ウケ狙いでやってみた的な情報が多い気がします。
        
        成分のサイケ効果の分類としては譫妄系(デリリアント)なので、コントロールは難しいようですね。
        しかし、大量摂取ではなく分量を絞って使えばリラックス効果があるという情報もあり。
        
        というわけで今回は5グラムをティーバッグに詰めて、お湯で煮出してナツメグ茶を飲んでみました。
        正確に計量したわけではなく、15グラム入りの瓶の約3分の1です。
        
        さて、結果はと言うと……
        酒に酔ったときのような「ぐで」っとした感じが数時間続きました。
        案外悪くはないかもしれない。
        用量に気をつけて使う分には、これはこれでアリなのではという気はしました。
        大量摂取すると危ないというのは酒でもコーヒーでも何でも同じですからね。
        
        お味の方は何しろ香辛料なので「刺激的」ですが、お酒よりは明らかにコスパが良いですし、
        何でもいいからちょっと「ぐで」感が欲しいという時の
        選択肢の1つとしては悪くないかもしれません。
        
        しかし、酔っ払うこと自体を目的に酒をあおるタイプの人は、
        ナツメグを「節度を持って」使うのも難しそうですし、
        あんまり率先して人に普及したくはないですね。
        「ウケ狙いのネタ」程度の扱いになってるぐらいでちょうどいいのかもしれません。
        
        私はと言えば、普段お酒も飲まないですし、ナツメグを常用することも多分ないと思うです。
        大量摂取するとどうなるかは未知の領域なので何とも言えませんが、
        あんまり良い評判は聞きませんし、デリリアントの入り口としては他の物質を模索したい気はします。
        
        
        ---------------------------------
        
        というわけで、ちまちまと再開したサイケ活動のお話でした。
        再開と言っても、これからじゃんじゃんやっていくぜ〜、という感じでもないのですけどね。
        
        これまで自分なりにいろいろと実体験してみて、
        全く何も体験してなかったときに抱いていたような「期待感」は、
        既に持てなくなっている感じです。
        
        別に「幻覚」を見て「楽しみ」たいわけではない。
        認識の扉を如何に開いていくか?
        
        現状、日本で法律の範囲内で手に入る物質がかなり限られているという状況はあり、
        それは素朴に「残念だなぁ」と思うのではありますが、
        扉が閉ざされていることにも、何かそれなりに意味はあるのではないかという予感もします。
        いわゆる「薬物は危ないから云々」的な次元のことではなく、
        現代の人類の文明的な課題として、今は「この認識能力」でいけ、と。
        
        ただ、そうした、人間の「通常の認識能力」の限界と、
        その総体としての、人々が作っているものであるところの「この世」のドウシヨウモナサというものは、
        折に触れ、時節に触れ、さまざまな形で「思い知らされる」ところではあり、
        それを「課題」だ、などと言ってみたとして、
        本当にここままでいいのか? という疑問感や、
        どこかに突破口はないものか? という思いは、やはり、あります。
        
        それは問題集の巻末の答えを見ようとする「ズル」なのかもしれず、
        仮に何かの間違いで私一人が「答え」を見ることが出来たとしても、
        それを人に話すのは「ネタバレ」であり、
        結局、正規の手順を踏んでたどり着くのでない限り、
        手を替え品を替え、同じことの繰り返しになってしまうのではないかという予感もあります。
        地球が滅んでも、宇宙のどこかで何度でも同じことが繰り返される。
        
        だとすれば、私も含めて、「答え」など知らない方がいいのかもしれない。
        仮に今回の地球の文明はもう「失敗」なのだとしても、
        みんなと一緒に「間違い」続ける。
        私一人だけが「正しい」なんてことは成り立たないことなのであり。
        宇宙のどこかで文明を一からやり直す他ないのだとすれば、
        「それはそれで」なのかもしれない。
        
        
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        カテゴリ:サイケ活動
        
        
        
        
        


◆ 2022/05/29
    したこと:
        『祝福のナワール』リリース後記
        
        
        愛する地球の皆さん、お久しぶりです。
        
        さて、今を去ること数日前、『祝福のナワール』がリリースされたらしいですよ?
        え? マジですか?! 私にナイショでリリースするなんてズルイ!
        
        [特設ページ]
        http://www.site-a.info/game/nagual/
        
        というわけで、まずは、エターナらずに済んだことに安堵したいと思います。
        これというのも私のご尽力のおかげ。私は私に感謝してもしきれません。
        何やかんやと時間はかかってしまいましたが、永遠に比べれば一瞬。
        バグなどあるやも知れませんが、ともかく出してしまえばエターナルの地平は突破であります。
        後悔は先に立たずと言いますが、公開は全てに先立つのであります。今日もダジャレ神は健在。
        
        そんなわけで、この日誌が公開される時点では、
        当ゲームの存在は既に全世界で話題騒然となっていることでしょうし、
        今更何を語ることもないかなとは思うのですが、
        一応、リリース後の区切りづけとして、製作に関して取り留めなくお話していこうと思います。
        
        
        まずリリース直後の雑感として、思ったより時間かかってしまったな〜、というのはありますね。
        いくつもの季節を見送ってしまったワビサビ。
        元々はミニゲームに毛が生えたぐらいの規模で考えてたのですが……
        って、同じことをマイン○ルのときにも言った気がするデジャヴ。
        対戦型ボードゲームにストーリーモードをつける、ぐらいのノリで考えていたのに、ご覧の有様。
        聞くところによると10万文字で文庫本一冊らしいので、マイ○ドルは文庫本14冊です。
        今回は同じ轍は踏むまいという思いは一応ありました。ありましたよ〜。油断するとデカくなる病。
        
        さて、製作のそもそもの動機。
       
        ゲームと言えば、ほとんど当たり前のように「戦い」ですが、
        別に「戦い」じゃなくても、同様の「ゲーム体験」は実現できるのではないの? とは前々から思っていました。
        で、それを実演して見せる、という大いなる野望が「祝福の」の発端の部分にあります。
        
        なので、システムが提示できれば充分だろう、というわけで
        実験的な内容の小規模なものを2〜3ヶ月ぐらいで形にできると思ってたのですが、
        何やかんやと話が大掛かりになって今に至るわけです。
        「何やかんや」とは何ぞや?
        規模が小さい実験作にして「ネタゲー」のように思われてしまうのは不本意だなと思った記憶があります。
        ある程度の規模でお届けすることで「マジさ」が伝わるのではないかな、とは思ってます。
        
        RPGは「ゲーム=戦い」が特に顕著なジャンルの一つですね。
        典型として、まず「悪の大魔王」のような存在があって、それを「倒す」のが大目標になる。
        ゲーム内のあらゆる「育成要素」は「戦闘能力」に集約される。
        「キャラクター」も「戦闘性能」で存在意義が語られる。
        
        
        しかし純粋に「ゲームシステム」の観点だけで見れば、要するに「数値の操作」です。
        その「数値の操作」に、「戦闘」という意味づけを乗っけているわけです。
        ならば、この意味づけ部分を「戦闘」以外のものにしても根本のゲーム体験は変わらないのではないか?
        だとすれば「戦闘」などという(敢えて言いますが)「業の深い」行為にしなくてもいいのではないか?
        
        いや別に「戦い」にするならするで、それはそれでいいと思うのですが、
        そもそも別の選択肢を考えることもなく「戦い」にしちゃうような傾向はある気がします。
        作ろうとするゲームの方向性に応じて、「戦い」以外の「ガワ」をもっと検討してもいいのではないか?
        
        というわけで、
        「攻撃して、ダメージを与え合う」のではなく、
        「祝福して、愛を与え合う」ということにした次第。
        これならいくらプレイしても業は深まりません。まさに安心安全。クリーンでサステナブル。
        それどころか、プレイすればするほど功徳が積まれていく! 高まる法悦! あたしこんなの初めて!
        
        このへんの話は前にも何度も語ってることなので、あまり繰り返さないことにしますが、
        「戦うゲームがケシカラン」とかいう短絡的な話ではない、とは言っておきます。
        むしろ、そういう短絡さこそが……
        っと、これを語り出すと文庫本14冊になってしまいそうなので、ヤメておきます。
        
        さて、「攻撃」を「祝福」に置き換えた以外は、お馴染みのRPGの型を踏襲したつもりです。
        できれば「数字を使わない」表現にもしたかったのですけど、
        そこまですると「お馴染みのRPG」からは掛け離れてしまうだろうということで今回は見送り。
        むしろ、「祝福」以外は「お馴染みのRPG」と同じであった方が明瞭に、
        「ゲームが "戦い" である必要って、ないよね?」という尊く崇高な啓示が伝わるのではないかと思います。
        
        ちなみにステータスの表示に棒グラフではなく円グラフを採用したのは、
        「長さ」という「数値の大小を比較しやすい形」を避けた、という、ささやかな抵抗だったりします。
        線形的世界観から、円環的世界観へ(←言ってみた)。
        あと「レベル」も、敢えて分かりにくい位置に表示し、普段はあんまり意識させないことを狙ってます。
        把握しなくても支障がないようなゲームバランスを心がけつつ。
        
        
        > むしろ、「祝福」以外は「お馴染みのRPG」と同じであった方が、
        
        と言いつつ、他にも凝ってしまった部分はありますね。
        「武器防具」がないとか、「お金」がないとか。
        
        装備品に関しては「戦い」を廃したことの必然的な結果ですが、
        アイテムを入手してキャラ育成というのはあります(=「武具」じゃなくてもいいよね論)。
        
        
        「お金」に関しては、「戦い」を廃するという当初のコンセプトとは別に、
        追加で欲張ってしまった部分ですね。
        
        ちょっと話がトビますが、日本の経済がおかしな事になっている大きな原因の一つとして、
        人々の貨幣観の間違い、というのがあると思うのですよ。
        
        「ゲーム的貨幣感」と言ったらいいのかな?
        「働いたらお金が増える」というやつ。
        
        いくら労働をしても、社会全体のお金が「増える」わけではないことは
        誰しも頭では分かってらっしゃるとは思うのですけども、       
        感覚的には、多くの人が「ゲーム的貨幣観」で生活してらっしゃるのではないでしょうか?
        だから、「働いて、お金を稼いで、国に税金を収めて、社会の役に立てよう」という間違った発想が蔓延る。
        だから、「増税……仕方ないよね」という間違った諦観が蔓延る。
        
        「労働の給与」は「通貨発行」ではない。
        
        ドラクエだったら、魔物を倒せば倒すほどゴールドが増えますが、
        現実世界では、働いてもお金は増えない。雇用者から労働者へ、お金の所有権が移動するだけです。
        で、そのお金の一部が税金として政府に回収されると、世の中に流通するお金の総量が減る。
        世の中に流通するお金の総量が減れば、すなわち、不景気です。
        つまり、頑張って働いて、税金を収めれば収めるほど、不景気になるのです。ガビーン。
        
        税金を払わずに、その分、あなたのインディーゲームを買えば、あなたの所得になる。
        あなたの生活に余裕が出来て、ゲーム製作がはかどる。その分、世の中が豊かになる。
        「景気が回復する」とは、こういうことでありましょう。
        税金をいくら収めても、景気は回復しない。
        お金が流通しなくなれば、人々の活動が止まる。
        人々の活動が止まれば、「国が貧しく」なる。
        大事なのはお金ではありません。大事なのは人々の活動です。
        「お金」とは、活動のための僕(しもべ)でなければならないのです。
        豊かな社会とは、人々が自由に活動できる社会のことです。
        重税のために活動が制限される社会は豊かな社会と言えるでしょうか? 否。断じて否。
        
        日本経済が混迷を深める今こそ、我々はゲーム的貨幣観から脱却しなければならないのであります。
        
        とは言うものの、ゲームが諸悪の根源だ、などと言うのは極端な話。
        単にゲームとして、よくある通貨システムを取り入れてる作品や作者さんを批判するつもりはありません。
        しかし上記のような認識を持つ私が、従来どおりの通貨システムを無批判に取り入れるのは心苦しい。
        というわけで、ささやかながら我を張らせていただいた次第です。

        > お金が流通しなくなれば、人々の活動が止まる。
        
        理想を言えば、そもそも「お金」なんてものを使わなくても、
        人々が生産物を融通し合えるような信頼関係で社会が成り立っていればいいのですけど、
        現在の地球では、なかなか難しいですね。
        
        あと税金の役割に関して、
        政府は別に税金を集めて、それを元手に国家運営をしているわけではない、という件や、
        そもそも通貨が発行されるタイミングはいつなのか、という件にも触れておかないと
        上記の話は伝わらなかったかな? と思いますが、
        それを語り出すと10万文字の超大作になってしまうので、
        続きはテレパシーで今夜あなたの脳にお伝えします。
        
        
        またもや話が飛んでしまいました。
        「祝福の」の話に戻すです。
        
        ストーリー要素について。
        あるいは世界観要素と言った方がいいのかな。
        
        メインは「普通のRPGの "戦闘" を "祝福" に置き換えたシステム」なので、
        ストーリーや世界観を具体的にどうするかという明確なプランは当初はなかったような気がします。
        なのですが、さほど紆余曲折を経ることもなく、
        まるで最初から決まっていたかのように、現在のような形になりました。
        
        内容としては見てのとおり、いわゆる「オカルト」ですね。
        こういう内容にした理由のようなものを挙げるとすれば、主に2つ。
        
        1つは、マイ○ドルはオカルト無しだったので、今回はオカルト全開でということ。
        マ○ンドルでは、オカルト要素は意図的に排除してました。
        原則的に、現代的な唯物的世界観の範囲内に、地歩を固める。
        あの世の話とか、目に見えない力の話とかに、話を「脱線」させない。
        「現代人に課せられた認識的な制限」の範囲内で、話を動かすことを心がけました。
        
        ただ、それはあくまでも、現代の地球人には、そういう制限が課せられている、というだけのことですからね。
        「課せられている」ということの意味を熟慮しつつ、
        それを取り払ったところに、見えてくるものもあるだろうとは思うわけです。
        
        もう1つは……どこから話したらいいかな。
        今回扱った、あれらの内容って、いかにも「ゲームのネタ」になりそうだな、とは前々から思ってたのですよ。
        しかし、私以外の人が作ったら、普通に「戦いのゲーム」にしてしまうだろうなという懸念もあった。
        敢えて「懸念」と言いました。
        「戦いのゲーム」がケシカランなどと言うつもりは無いですが、
        あれらの要素を「ダメージを与える」とか「倒す」とかいう行為の手段として表現してしまうのは、
        それはちょっと違うだろう、とは思うわけです。
        しかしそういう問題意識を持っている人は私以外には多分あんまりいないので、
        誰かが「ゲームのネタ」として目をつけたら、その人は、666%ぐらいの確率で、
        「戦うゲーム」として作ってしまうと思われます。
        
        ただ、私が知っている範囲では、幸いなことに、今のところ、
        あれらの要素を題材としたゲームは他に見当たらないようです。
        ならば私が先手を打って、牽制しておかねばならぬ!
        と言っても、他人を操ることはできませんし、何をするのも自由なのではありますが、
        私から1つの「先例」を作っておきたいかな、という思いはありました。
        
        
        で、それにあたって心がけたのは、主に3つ。
        
        ・あまりオリジナリティを出さないこと
        ・あまり説明的に分かりやすくしないこと
        ・ストーリー要素を見なくてもゲーム自体はプレイ可能にしておくこと
        
        
        >・あまりオリジナリティを出さないこと
        
        オカルト、つまり「現実世界に地盤がない話」なので、
        「私が勝手に空想したこと」を書いても仕方がないな、と思ってました。
        プレイした人にとって、それ以上広がっていく余地がない。
        ただ、結局私なりの解釈ということにはなりますし、
        そもそも著作権的な問題もあるので、本の丸写しのようなことはしていないのですが、
        既存の思想との関連は保つようにしました。
        それで、ゲーム本体以外に参考文献のリストもつけて、
        興味を持った人はさらに深めていけるように、というスタイルです(「兼 読書案内」の意味するところ)。
        
        念のために用語なども全部独自のものに変えて、原型をとどめないふうにした方がいいかなとも考えたのですが、
        そうやって「私のオリジナル性を強調」することこそ、むしろ、私のエゴでしかないだろうなと。
        プレイした人に「私の信者」になって欲しいわけではない。
        元ネタを隠したいわけではない。むしろ知って欲しい。
        私のゲームのことなんてどうでもいいので、参考文献の方を読んで欲しい。
        
        ちなみに著作権的なことは、結構心配して、色々調べました。
        それで私が調査した限りでは、結論としては法的な問題はないという判断です。
        
        まず、「著作物」として法的な保護の対象になるのは
        「思想や感情を創作的に表現したもの」、つまり具現化された「絵」とか「文章」そのもの、
        なので、「思想」自体は「著作物」ではない。
        本の文章を丸写ししてるわけではないので、抵触はしない筈。
        
        心配だったのは「用語」ですが、
        単語や短いフレーズなどは「創作性が低い」と見なされ、保護の対象にならないとのことですので、
        こちらも抵触はしない筈。
        商標になっている「テンセグリティ」や「ヘミシンク」という語は使ってない。
        
        というわけで、私の今回の行為は法的な措置の対象になるようなものではないだろうと判断しておりますが、
        こうやって色々と調べるぐらいには不安がある(あった)というのは正直なところではあります。
        万が一、何か問題が起きたら公開停止します。
        社会と衝突してまで断行するようなことではないですからね。
        
        もちろん、こういうのは本来的には人と人の信頼関係の問題であり、
        法的に訴えられさえしなければ何をしても良いというものではありません。
        特定の思想を題材にする以上、そのイメージを悪くするようなことのないよう気をつけたつもりではあります。
        特に、私ほどのカリスマゲームクリエイターとなると、社会的な影響も超絶大ですからね。
        人一倍こういう問題にも神経を配らないわけには参りません。カリスマは罪。
        
        
        >・あまり説明的に分かりやすくしないこと
        
        「私の考え」に賛同して欲しいわけではないですからね。
        なので、このゲーム単体で、論理的に完結した世界を構築しても仕方がないだろうなと。
        それよりは、解釈の幅を残しておいた方がいい。
        このゲーム自体をクリアしても、おそらく、意味不明だと思われますが、
        そこを「私の解釈で明瞭に」しても仕方がないだろうなと。
        で、さらに深めたい人向けに、参考文献やブックガイドを同梱することにしたわけです。
        このゲームが「きっかけの1つ」になれば光栄ではありますが、
        あくまでも、受け取った人の側で、考えて欲しいと思っております。
        特に「オカルト」では特定の考えを教条的に押し付けると「カルト」になってしまいますからね。
        押し付けるつもりはなくても私ほどのカリスマゲームクリエイターともなると(以下略)
        
        ちなみにマ○ンドルでは逆に、可能な限り「語り尽くそう」としたつもりです(あの分量)。
        もちろん、解釈はお読みになった方にお任せなのですが。
        
        
        >・ストーリー要素を見なくてもゲーム自体はプレイ可能にしておくこと
        
        前述の通り、このゲームは「システムありき」なので、
        ストーリーに沿ってイベントをこなしていく、というものではなく、
        あくまでもプレイ行為を遂行する際の「背景」としての提示にとどめています。
        その過程で興味をひかれる箇所があれば、参考文献の方を見ていただければ、ということですね。
        
        この点、「ダンジョン探索」という様式は合ってるなと思っています。
        NPCとほとんど会話しなくてもプレイは可能です。
        「反復」のノベルパートは、部屋の位置が奥まってるので、存在自体に気づかない可能性もあるかもですが、
        それはそれでいいかなと思って、あの位置のままにしました。
        なお、反復の内容は特に何かの思想に基づいたものではなく、私の「創作」ということになります。
        (一部、史実を元ネタにした部分もあり)
        それと、ネタバレですが、終盤に反復の内容を問われる箇所があるのですが、
        実際に中身を読んでなくても、リトライすれば突破は可能です。
        
        
        ここから先は苦労話を少々。
        
        思ったより時間がかかってしまった理由の1つに、
        ゲーム本体以外のブックガイドの作成というのもありますね。
        昔読んだ本を思い出して、ちょろちょろっと書けるだろう、とか思ってたのですが、
        記憶というのはあやふやなもので、
        手元にない本はタイトルを思い出して、図書館で内容を再確認して、
        どうしても見当たらない場合は近い内容のものを探して、
        未読のものを紹介するわけにはいかないので、中身にも目を通して……、
        などとやっていたら、かれこれ1ヶ月弱ぐらいかかりました。私は本当に頑張り屋さんですね。
        その甲斐あって、なかなか充実したものになった気はします。
        ある意味、ゲーム本体よりも、こっちがメイン。
        
        あと、Windows環境での動作確認にも、何やかんやと手間取りましたね。
        製作中に普段使っているLinux環境では問題なく動いてたのですが、
        Windowsマシンに移して、LÖVE の最新版(11.4)で動かすと、謎現象が頻発して不安定になる。
        さらに、うちのマシンのせいかもですが、
        64bit版のLÖVEが起動しない(マシン自体は64bitなのですが……)。
        
        いろいろ調べたり試したりした結果、ゲームのソースコード自体には異常は見受けられず、
        最終的には、1つ前のバージョンのLÖVE(11.3)の32bit版ならどうやら問題なさそうだということで、
        そのバージョンでEXEを生成することで手を打ちました。
        あなたのマシンで無事に動いてくれることを願うばかりであります。
        (ちなみにうちのマシンは約10年前に3万円で購入した超ハイスペックなものです)
        
        C++で作ってたときと比較して、間にLÖVEのような既製のレイヤーが入っててくれた方が、
        他のマシンで動かない可能性を心配しなくて済むので有難いと思ってはいるのですが、
        任せっきりで万事オッケーというわけには、なかなかいかないようですね。
        
        ちなみにLÖVE11.3の32bit版は以前「つながあるふるえる三原色」でもお世話になったバージョンなので、
        多分大丈夫である確率が高い可能性が濃厚と思われるのではないかと推測しております。
        実績があるというのは一応の安心材料ですね。
        
        
        
        さて、ゲームの内容に関してはそんなところ。
        あと何かあったかな?
        
        今後の展開について。
        
        展開というか、宣伝をどうしようかな?
        あまり積極的に宣伝する必要はないかなというのが現在の心境だったりはします。
        何しろ私は世界的に高名なカリスマゲームクリエイターなので、
        特に宣伝しなくても、勝手にダウンロードされまくるに決まってますからね。カリスマは罪。
        
        マイ○ドルのときは、一人でも多くの「こういう話が必要な人」にお届けせねば!
        という使命感?のようなものがあったような気もするのですが、今回はそこまでの熱は無いですね。
        愛する地球の皆さんに何か益するところがありますように、とは願ってますが、
        それは私が決めることではない。
        
        私としては、オカルト風に言えば、
        「神の御前(みまえ)でこれを作るという行為を遂行した」こと自体に意味がある。
        成果物は玄関先の祠に「お供え」しておくので、
        ご縁があって興味をお持ちになったお友達は持っていってね、という感じです。
        
        内容的に「説教くさく」受け取られる可能性もあるかな、という点も、
        私から積極的にプッシュしづらさを感じているところだったりもします。
        これを「万能お悩み解決策」だなどと言いたいわけではないのですが、
        人によっては「地雷」になる可能性もあるだろうなとテレパシー。
        私が批判されるのはさておき、人に嫌な思いをさせたくはないですね。
        それを言い出すと何もできなくなるのではありますが。生きることは罪。
        
        ツイッターでの宣伝ということに、あまり期待していない、というのもあります。
        それはもう、マ○ンドルのときに散々やりましたからね。
        それを通して得たご縁もあるので、無駄だったとは思ってませんが、
        同じことを繰り返す元気はちょっとないですね。
        あのやり方にもマズかったところは多々あったかなという反省点は多々ありますが、
        ツイッターでの宣伝ということ自体の「実状」は充分体感できた気はします。
        一応、私の活動に興味を持ってアカウントを見にきてくれた人向けの情報提供として、
        固定ツイート用の投稿をしておこうかな、とは思ってます。
        
        ツイッター以外では、何かイベントがあれば出てみたいかなという気持ちもあります。
        ただ、純粋な一次創作とも、かと言っていわゆる二次創作とも名乗りづらい部分があるので、
        参加は遠慮しがちになる見込みではあるのですが。
        
        それと、元気が余ってれば、PVと攻略ページは作っておきたいかな?
        
        
        あとは……。
        あ、そうだ、RPG的なものを
        (某ツ○ールや某エディタのような「RPGを作るための既存のツールセット」は使わずに)
        (主としてコーディング作業によって)
        作っておきたい、というモヤモヤとした野望のようなものはあったので、
        出来栄えはさておき、これで一応、自分の中では「実績解除」です。やったぜ!
        (実は大昔にも一応作ったことがあるのですが、アレはちょっとアレなので、自分の中ではノーカンです)
        
        これに関しては、伝説の「フォーンアイル」から触発された部分があることも申し上げておきます。 
        昨今、RPGを「システムから自作」というのは「割に合わない」と考えて、
        選択肢から排除していた節が私にはあったのですが、
        成し遂げた人を目撃してしまったのは衝撃でしたね。
        
        「C++で完全手打ちで数十万行(素材も自作)」という偉業には比ぶべくもありませんが、
        Luaでソースコードを書いて「RPG」のような形をしたものを構築できたことには、
        なんと申しますか、「義務を果たした」と言っては奇妙ですが、
        「やっておかねばなるまい」と思っていたことを自分に出来る範囲でやり遂げたと言っていいかな、
        という達成感は感じております。
        「フォーンアイル」との出会いがなかったら、
        もしかすると今回の拙作を作ろうと思うこともなかった可能性もあります。
        
        
        
        さて、色々ヤヤコシイ話を申し上げましたが、
        ご縁があってお手に取られたお友達には、少しでもお楽しみいただければ望外のハッピーです。
        できるだけ快適にプレイできるようにしたつもりですが、
        やりにくい部分などあったらごめんなさい。
        どなたでもクリアできるようにしたつもりですが、説明不足な箇所はなかったかな?
        不安は尽きませんが、リリースした=手放した、ということですので、
        あとはお受け取りになった皆さんにお任せします。
        
        
        というわけで。
        今日もあなたが幸せでありますように。
        
        
        
        
        


◆ 2022/01/19
    したこと:
        体裁面を整える
        
        
        前回、暫定的に通しプレイをして、大量に課題が出てまいりました。
        全部にまともに対処していたら命がいくつあっても足りませんので、
        さしあたり優先度の高いものを選り分けて、
        さらにそれらを「ソフトウェアの体裁的な事項」と「ゲームの内容に関わる事項」に分類し、
        ひとまず体裁的な事項を片付けました。
        
        
        
        まずは設定画面。
        今まではソースコードに直接書き込んでいたようなことを
        愛する貴方のご希望に沿うように変更できるようにしておくという大いなる慈愛の発露。
        
        レイアウト的に大体うまい具合に収まってくれて超ラッキーと言いたいところですが、
        左下に書いておいた基本操作の説明欄の下の隙間が気になりますね。
        何かもう1つ基本的なことを書き足しておこうかな。
        生けとし生けるものへ慈悲の念を振り向ける、とか。
        しかし文字数が長すぎて書けませんね。大変残念なことです。
        この程度の基本事項は地球の皆さんは4千年前に通過済みであることを祈るばかりです。
        
        ちなみに今回「ストア」などの町の施設を表す看板アイコンも実装しまして、
        上のSSの中にさりげなく入ってます。注目注目。
        何の絵なのかはイマイチ不明ですが、要は「機能を持った家屋ですよ」と、
        他の家と見分けがつくようにしておくという慈愛の発露です。
        
        
        それから、かねてより懸念事項であり続けていた固有名詞。
        
        
        
        こういう「どうでもいいけどどうでもよくない」要素は悩みどころですね。
        なかなか「町その1」の世界観から脱却できず、「北の方だから "キータ" ……」なども考えましたが、
        個人製作界隈に一体いくつキータの町があるのかと想像すると背筋が凍る思いがいたしましたので、
        その路線は鋼の意志で踏みとどまりました。

        他の皆さんはどうやってるんでしょうね?
        私は今回、中南米あたりの地名などをもとに持ち前のハイセンスな語感と霊感で決定しました。
        どうにも「厨」っぽい感じがして気恥ずかしい限りですが、
        そこはもう、堂々と「演じ切る」のが肝要と心得るものであります。
        
        メインキャラの名前も一応決定。
        
        
        
        これまた悩みどころでしたね。
        どんな名前にしても、検索すると有名他作品の登場人物と重なっていることが判明してしまうんですよね。
        じゃあ、そもそも被る前提で、あまり特徴のない名前なら問題ないかな、と、
        ヒロイン名は適当に女性っぽいカタカナ名として、最初は「フローラ」にしようと思ったんですけど、
        ドラクエ5のヒロインの1人がフローラなんですよね。
        「フローラ」自体は花子的な名前なので使っても怒られる理由はないとは思いますが、
        そっちを連想させてしまうのは避けたい。というかRPG界でこれを名乗ることはもはや許されぬ事。
        「有名作品」が世に出るたび、使用NGの名前が増えていく。
        100年ほど後にはありとあらゆる名前が「使用済み」になっていると予言できます。
        
        などと言い出すと本当にキリがございません。
        
        果てしない放浪と絶えざる紆余曲折の末、
        世界観に沿う形に収めて上記SSのようになりました。
        こうして私もこれらの名前を「使用済み」にしてしまったというわけです。
        私ほどのカリスマゲームクリエイターに使われたとあっては、もはや誰も恐れ多くて使えないでしょう。
        これがカリスマとして生きる業の深さ。
        
        
        それから、自キャラの歩行ドット絵を実装。
        
今まで使ってたのは、実はエンカウントのシンボルの1つだったのですね。 いい感じに人型だったのですっかり忘れてました。 いっそあのままで良かったかな、とも思いますが、 ともかく当初の仕様に合わせて実装を詰めていくのであります。 ちなみに、この「エンカウント」について念のため申し上げておくと、 これは「戦闘」ではありませんからね? このシーンだけを中途半端に見せてしまうと 「RPGの戦闘シーンだ」という以外には受け取られようがない気がしますので、 進捗動画としては、出すのをずっと避けておりました。 ここをお読みになっている私の大ファンの皆さんなら大丈夫だと思いますが、 ツイッターでは出しづらいですね。 ゲームが「戦い」である必要はないということを地球の皆さんに示すのが、 今回の大きな目的の一つですので、 そこに関して、未完成の今の段階で「誤解」を与えるのは避けたいところです。 さて、それからもちろんバグ修正も。 本格的なバグ探しは改めてまたやらないといけないと思ってますが、 今回の通しプレイで見つかったものだけでも、イロイロありました。 中でも特に印象的だったのが、 FPSが下がったまま元に戻らなくなる事がたまにあるという恐ろしい現象。 どうやら一部のマップが原因らしいのですが特定できず、 全マップ自動巡回するプログラムを組んで耐久テストをしてみたり。
が、全344マップを一気に巡回しても動作に何の異常もナシ。 なんて完璧なプログラムなんだ! とか言ってる場合じゃなくて、これは再現性の低いバグという名の隠れラスボス出現ですよ! ただ、ここまでやって問題が出ないということは、 少なくともマップ周りが原因ではないか、もしくはこのアプリ自体ではなく環境的なものという可能性も。 バグと言っても、突然落ちるとかではないので、最悪、放置でもよいですね。よくないですが。 追々また調査するということで、さしあたりは作業を進めることといたします。 というか全344マップもあったんですね。 大小さまざまとは言え、一体いつの間に実装したのでしょう。不思議なこともあるものです。 さて、隠れラスボスとの対決というお楽しみは残しつつも、体裁面はそこそこ整ってまいりました。 次からは内容面を詰めていく作業に入っていきますよ。 人類が滅亡するのが先か? これが完成するのが先か? 今後の展開に目が離せませんね。わくわくがノンストップ。 > ちなみに、この「エンカウント」について念のため申し上げておくと、 > これは「戦闘」ではありませんからね? 未完成の今の段階であまり語っても仕方がありませんが、 既存の枯れたシステムはほとんどそのままに、「乗っかっている意味」だけが「戦い」ではない、 というところに眼目があるという意図です。 ただ、これを何か、ネタ的というか、パロディ的なものというか、 ジョークっぽいものだというふうに受け取られないようには最善を尽くしたいなと思っております。 各所に平仮名の幼児語のような表記を使っているのも、 うっかりすると、そういう、 ジョークっぽいものであるような印象を与えてしまうリスクがあるかなという気がしていて、 変えた方がいいかな、という迷いもあるのですが、 しかし、やはり、これが、あるべき形というか、 「もっとも自然な形」なのだというのが、宇宙の意志なのは間違いないことです。 地球人としての言語化が行われる以前の、本来の心に近い表現です。
決してジョークでも何でもなく「大マジ」なのだということが伝わるよう、 全体的に「きっちり作っておく」必要があるだろうなと、責任の重さに打ち震えております。ぶるぶる。 何の責任かと言うと、人類の祭壇に一つの行為を捧げる責任です。 「面白いかどうか」は重要ではありますが、一番重要ではありません。 一番重要なのは「愛があるかどうか」です。 > ただ、これを何か、ネタ的というか、パロディ的なものというか、 > ジョークっぽいものだというふうに受け取られないようには最善を尽くしたいなと思っております。 パロディかどうかで言えば、 「RPG」という時点で「パロディ的であること」を免れるものではないですね。 もっと言ってしまえば「ゲーム」という時点で「ゲームのパロディ」であり、 「ゲームを作ること」は「ゲームを作ることのパロディ」であり、 「人間としてこの世に生まれて生きること」は「人間のパロディ」です。 ただし、これはオリジナリティがないというような後ろ向きの意味ではなく、 「我々」人間が「人間」である以前の 「本来」の何かであったことの可能性を逆向きに示唆するものと言えるでしょう。 願いは何だったか? 大抵の「心」は「後付けの心」でありましょう。 生存のために「身につけた欲望」であったり、 周囲から「おまえはこういうのが好きなんだろ」と「作り込まれた自己」であったり、 他人に向かって「どうせ私は」と言ってみせる「駆け引きのための自己」であったり。 この世に生まれてくる前、宇宙が始まる前、 私やあなたは、本当のところ、何を願っていたのだったか? というわけで。 今日もあなたが幸せでありますように。 ◆ 2022/01/09 したこと: 第一回暫定通しプレイ完了 今までは、各パラメータとして導通確認のためだけの仮の値が入っていたわけですが、 ここに当初からの方針(後述)に沿って値を入れ、最初から最後まで通しプレイをしてみました。 総プレイ時間は約3時間。 思ったよりデカかった。 内容を熟知している私が脇目も振らず突っ走ってこの結果なので、 普通にプレイすると5〜10時間ぐらいはかかる感じなのかな? 規模感としてどうなのか? 「短篇というわけではないRPG」としては、大体こんなもんかな? ノベルゲームだったら間違いなく「長編」扱いですが、 RPGの場合、時間のレートが違うようではありますね。 ダンジョンは大小合わせて全部で実質的に約16あるので、 1箇所平均10分でクリアするとしても、全体で2時間40分かかる計算に。 規模に関しては大体想定通りというか、必然的な結果という感じではありますね。 プレイ自体が大変になってしまうのは避けたいという思いはあり、 私以外の人がプレイしたときに(情報不足が原因で)「詰まる」「迷う」ことのないようにはしたいですね。 その他、やはり実際に動かしてみると、想定外のことがイロイロとあるものですね。 なお、死ぬほど面白いというのは想定内のことなので驚くには値しないのであります。 面白いのはさておき、「不便さ」は随所に感じましたね。 UI的なことと、それからゲーム進行のナビゲーション的なこと。 UIに関しては、操作方法として使いにくいと感じる点に加え、 総じて、ゲーム内で「何が起きているのか?」をプレイヤーの意識に伝える部分に難がある気がしました。 テンポを落とさないように、という意図で、 エンカウント時のメッセージは自動的に流れていくようにしているのですが、 やはりちょっと、何が起きているのか把握しにくい感じはしますね。
いわゆるゲームの難易度的には低めにする(した)つもりなのですが、 そこが、かえって、「何か知らんけど、進んどる」という「プレイヤー置いてけぼり感」が醸し出される感じ。 例えば現状、フィールド上でステータスを確認するには 毎回メニューから選ばないといけないという不便さがあるのですが、 確認しなくてもそれなりに進めることができてしまうため、 プレイヤーという立場で「ゲームに関与している実感」を得にくくなっているのかなと思います。 エンカウントを経て「で、今どうなってるの?」が把握しにくく、 「でも、別にどうでもいいか」になってしまう。 難易度的な「手応え」ではなく、「していること」の意味を実感するという「手応え」の問題。 ゲーム進行のナビゲーション的なことに関して言うと、 私は内容を熟知しているのでスラスラ進める筈……と見せかけて忘れている部分もあり、 予想以上に引っかかる箇所がありましたね。 いわんや事前情報を持たないプレイヤーにとっては「道はどこにもない」ことを忘れないようにしたい。 NPCに世界観を壊すようなメタ発言をさせるのは極力避けたいんですが、 場合によっては、それも仕方ないかな。自然に導線を作れるといいんですけども。 で、話が前後しましたが、今回の主目的だったパラメータの調整ぶりの確認について。 いわゆる「難易度」的には低めにしておきたいと思っているのでした。 難易度というか、むしろ、テンポかな。 毎回のエンカウントのたびに、じっくり取り組むようなプレイは要求せず、 適正レベルであれば、一番上の行動を選ぶだけで、ほぼ1ターンで終了する感じに。 その方針に沿って、全体的に数値を設定したところ、 大体想定通りというか、数値的に計算した通りのプレイ内容になってくれました。 ただ、あまりにも「手応え」が無さすぎるかな? という懸念も。 「サクサク」と言うより「スカスカ」な感じ。 で、そこがさきほどお話したUIの話になってくるわけですね。 これは「(いわゆる「死にやすさ」という意味での)難易度」の問題ではなく、 ゲーム内で起きている事象がプレイ体験として意識に残らず素通りするという「手応えの無さ」 なのではないかという話。 これを作るにあたり、昔のRPGをいくつかプレイしなおしてみたんですが、 総じて「時間がかかる」ものが多いのですよね。 エンカウントのたびに、とにかく時間がかかる。フィールドでの移動も低速に感じる。 しかし、時間をかけさせることで没入感を醸し出そうとしているようにも見受けられ、 ゲーム速度というのもプレイ体験の演出の手段として見過ごせないものはあるのかなとは思うところです。 高速なのは良いことの筈ですが、 高速でありながら、プレイヤーの(能動的な)認識を素通りすることなく、 「何が起きているのか」を体験として認識・実感できるようにするにはどうすればいいか? そのへんが今回の暫定通しプレイで得られた大まかな課題かなと思います。 「高難度」なものをクリアしたときの充実感は何ものにも代え難いものはありますが、 本質は「ゲーム=すること」の「実感=手応え」が得られるかどうかであって、 難易度(ハードル)というスパイスは必ずしも必要不可欠というわけではないのではないのかな、 という予感もしているところです。 逆に言うと、プレイ行為の細部に「意味を持たせよう」とするあまり、 「超えるべきハードル」を盛り込み過ぎ、結果的に、想定外に「高難度」になってしまい、 「こだわって作り込んだ」のに、だからこそ、 ほとんどの人が途中で投げ出すものになってしまうという「ミスマッチ」が起きる…… という個人製作ゲームの「あるある」の1つがあるあるような気がしています。 いわゆる「作者が一番うまいから難易度が高くなる」という説がありますが、 むしろ、作り手としての「不安」が「スパイス多め」につながったりもするのではないか。 ……などと、あまり語りすぎると、誰かを批判しているみたいになってしまうかな。 あくまで(私を含めての)「一般論(よくある事)」としての話である、とは申し添えておきます。 「ガチガチ」なゲームも個人的には嫌いではありませんが、今回目指す方向は「ユルユル」です。 例えば、「結局使う必要のない技やアイテム」が大半を占めるぐらいで案外ちょうどいいのかもしれない。 「"無駄" ではなく "余裕"」というやつですね。 「無駄」などと言い出せばゲーム自体も生きること自体も「無駄」なのであり、 そこは大らかに構えてよいのではないか。 「意義」を作り出すために「苦」を設ける、というのは、「本当は必要ないこと」なのかもしれない。 ちなみにこのへんのことは「祝福のナワール」のストーリー面に関係することだったりもします。 (だから「ユルユル」である必要がある) あるいは、「自由度」が広すぎても「これで本当にいいのか?」と不安につながる可能性もあるので、 絞り込む必要もあったりはするのかも。 などなど、実際にプレイしてみることで見えてきた課題は多々あり、 今後はそれらに対処していくフェイズに…… という思いはある一方、あまりそういう「プレイ感」的な、 「ゴールの無い」抽象的な事にこだわると、エターナり路線が待っている予感もいたします。 ここはひとまず、リリースしようと思えばリリースできる状態へと 残りの穴を埋めて具体的に体裁を整えるのが先決なのかな。 残りの穴とは、例えばいまだに固有名詞が決まっておらず、 「町その1」とかのままだったりする。 それこそ暫定でもいいので、何かそれっぽく埋めてしまおうかな。 「タビダーチの村」とか。いやいや、それは。 > という思いはある一方、あまりそういう「プレイ感」的な、 >「ゴールの無い」ことにこだわると、エターナり路線が待っている予感もいたします。 しかし、むしろ、その部分こそがゲ製としての本番なのではないかなとは思っており、 時間はここにこそ費やしたい気はしますね。 だからこそ、リリース自体はいつでも可能な状態にしておきたいかな。 「ゴールが無い」けれど、「いつでも現時点をゴールに」できる状態に。 さて、お話は尽きませんが、現状は大体そんな感じです。 他に何かなかったかな? あります、あります。無限にあります。 ただ、地球の皆さんにお伝えする必要はないのかもしれない気はします。 地球の皆さんは、それぞれに、必要なことに、日々、取り組んでいる。 そうした「地球はこういうところだった」ということに関し、 皆さんに向けて、私から何か言うようなことはない気はしています。 21世紀も「初頭」と言える時期は過ぎ去りつつある昨今、 既に後戻りできない地点に来てしまっている感じはいたします。 ここ数十年の間に、何度も「分岐点」はあったと思うのですが、 既に選択の時は終わってしまったのかもしれません。 あるいは、大掛かりな「まやかし」が解けようとしている気配も感じます。 何らかの「結果」が出ようとしているのかもしれません。 ただ、いずれにせよ、何があるにせよ、 長期的には、究極的には、悪いようにはなり得ません。 なぜかと言えば、こうして宇宙が「在る」からです。無ではなく有だからです。 今日もあなたが幸せでありますように。