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◆ 2019/09/02
    したこと:
        マインドルのリリース作業
        
        学園モノと言えば私の先手で行くぞ!
        
        
        
        ところで皆さん、知ってました?
        実は私、つい最近知ったんですけど、ななななんと!
        今って、驚くなかれ! 9月らしいですよ! どひゃー!
        
        実に信じ難いことではありますが、世間の人々が今は9月だと言い張って聞かないのですから仕方がありません。
        私だって世の中の一員なのに私の意志を無視して9月ということにしてしまうなど、こんなことで我が国は民主主義国家と呼べるのでしょうか?
        いつもながらおかしな世の中ですね。困ったものです。
        
        
        
        前回の更新以降、次の更新はリリースのお知らせだぜ! と意気込んでいたものの、
        特にお知らせできるほどの目立った進展のないまま、気がつけば、ええっと? もう来週には人類が終了するんですって? 
        いつかはそんな日が来るとは思ってましたが、早かったような遅かったような。
        
        ともあれ、更新のないまま放置して、愛する皆様にご心配をおかけしてはイケませんので、
        愛する皆様にご安心いただくため、さしあたりの現状報告をさせていただくこととした次第でございます。私は本当に慈悲深いですね。
        
        
        で、今まで何をしてたんでしたっけ?
        私の記憶が確かなら、Windowsで動かせるようにガンバッテいたのでした。
        
        そんなわけで、動かすたびに、なんやかんやとバグ的な何かが見つかりつつ、
        なんやかんやと修正を重ねて、そこそこ問題なさそうに動く状態にはなっているらしいですよ。よかったのぅ皆の衆。
        最低限、全ルートのエンディングまで処理が通ることは確認しました。
        
        ビルドが通れば大体オッケーだろうと見せかけて、実際に表示してみないと分からないことというものはあるもので油断なりません。
        
        学園モノと言えばスペイン語ですが、
        ↓
        
        
        本当は ↓ のように、ちゃんとスペイン語っぽい文字で表示したかったのですけども、
        
        
        Windowsだと何だか無理っぽいので諦めました。
        入力自体はスペイン語のIMEを入れることで可能にはなるものの、
        それをテキストファイルに書いて保存すると結局文字化けしてしまうのでした。
        
        そもそも天下のUTF-8なのだから、不可能ってことはないハズ。なんか、ロケールとか言うのを設定するんですって?
        とは思うものの、他の箇所は問題ないので、
        この特定のシーンだけのために下手にガンバッテ、他の箇所の文字化けの元になったらイヤなので、
        思い切って諦めるという高度な表現技法でございます。スペインの人、ごめんなさい。
        
        あと、気になっていた起動時に時間がかかる件ですが、天才プログラマーの努力の甲斐あって、
        元々は1分ぐらいかかっていたのが、遅くても10秒ぐらいになりましたよ〜。やったね!
        パソコンの機嫌がいいときは3秒ぐらい。あとはもう、はい、パソコンの気分次第ということで勘弁してください。
        
        あ、そうそう。今ほどさりげなく使用いたしました「〜」ですが、これもOS間の文字化けの定番なんですって?
        Linux上で「〜」を入力すると「波ダッシュ」なのに対し、Windows上では「全角チルダ」なんですってね。ん? 逆かな? もう何がなんだか。
        で、スクリプトはLinux上で作成したものですので、
        それをWindows側で使うと、テキストの全編にわたってことごとく「〜」が「?」に化けてたので死ぬかと思いました。
        どっちがどっちだったかは未だに覚えられませんが、仕方がないので、
        ともかくWindows側で化けない方の記号が使われるように全部修正しましたよ。ぜぇはぁ。
        UTF-8なんだから文字化けとは無縁! と見せかけて、この世にはまだまだサプライズが尽きませんね。ドキドキ。
        
        
        
        という感じで、ここには書ききれないほどの努力と諦めの織り成す目くるめく遍歴の果てに、
        大体こんなもんで許してもらえるかな? という地点には到達している次第でございます。ぜぇはぁ。
        
        
        
        
        で、後残っている作業は何かと申しますと、冒頭のSSの通り、AIの調整作業でございます。
        
        多少重くても、動作さえしてくれてるならいいかな……と見せかけて、たまにフリーズしたかのように重くなるので油断なりません。
        こちらに関してもチマチマとチューニングを重ねて、大体我慢できる範囲に収まったかな? よーし、これでリリース……、
        と見せかけて、選択肢の幅広い局面になったりすると、途端に重くなることがあって油断なりません。まさに強敵。
        
        かと言って、重くなる局面に合わせて探索の度合いをユルめに設定すると無駄にヘボくなってしまって残念です。
        というわけで最終手段として、思考開始から一定の秒数が経過するたびに探索の度合いを下げて、
        最終的には処理を打ち切るように修正しました。これならば、どのような局面になろうとも向かうところ敵なし。
        
        なんか、もっと他にうまいやり方があるんじゃないかな〜、と、毎晩目を閉じるとソースコードがまぶたの裏に思い浮かんで夢いっぱいなのですが、
        ともかくゲームとして実用的な待機時間に収まることが肝要。というわけで、ヘボくても許してね。
        
        別に強いAIを作るのが目的というわけではないわけで、フリーズみたいになるのはイヤだし、かと言ってヘボいのも残念だし、もう死のうかな、
        というフクザツなジレンマで毎晩がパジャマパーティーです。もう寝るぅ、何を軟弱な、お楽しみはこれからだぜ。
        というか、うちのパソコンは6年ほど前に3万円で買った超高級品なので、みなさんのマシンではもっと快適に動いてくれるハズ。これぞ希望の光。
        
        ソースコードの側では、これ以上はチューニングの余地はないかなー、というところまで煮詰まってきたので、
        あとは試合ごとの個別の設定ファイルです。
        さしあたり、練習試合のLv1〜Lv5を、大体レベルの数字通りの難易度として納得できる手応えかな? という感じにイジリ終えました。
        あとは、これを難易度別の雛形として、各試合の設定ファイルにコピペ。気が向いたら多少調整。
        で、晴れて完了の予定でございます。未来は明るいですよ。
        でも○○までに完成予定! などと迂闊に口走ると、呪いが発動して必ず遅れてしまうので何も言わないこととします。くわばらくわばら。
        
        というか、この作業、なかなかハマりますね。
        パラメータをちょっとイジると絶妙な手を指してくれるようになったりなんかして、画面に向かって拍手喝采。そんな夜更け。
        いっそ「そういう」ゲームにしてしまってはどうか?
        ソースのビルドはしなくても、設定ファイルは手軽にイジれるので、よかったら遊んでみてね。
        
        さて、そんな感じで、もういい加減さっさとリリースしてしまいたいという気持ちと、
        この期に及んで急いでもしょうがないので納得いくまでイジリ倒そうという気持ちと、
        さっさと死にたいという気持ちとが、脳内でバトルを繰り広げて毎晩がパジャマパーティー。もう寝るぅ、何を軟弱な、お楽しみはこれからだぜ。
        
        それにしても、明日にでもリリースできそうな気が何日も前からしているのに、なんやかんやと長引いてしまうのは一体どうしたことでしょう。
        どうも何らかの目に見えない力が作用して、然るべき時期にリリースが行われるように調整しているように思えてなりません。
        たとえば、さぁやるぞ! と意気込んで作業を始めたら死ぬほど眠くなってゴロンすると窓の外が明るくなってて小鳥さんがちゅんちゅんだなんて、
        まさに何らかの目に見えない力の作用以外には到底あり得ないことです。何らかの目に見えない力の作用め〜。
        
        
        
        一つ気がかりなのが、これをリリースし終えたら、その後はどうしようかな? ってことです。
        もう死んでいいのかな? どうなのでしょう。ドキドキ。
        
        さしあたり、リリースを終えたら思いっきりトビたいなとは思うところ。
        某アカシアショップでアカシアの取扱いが終了しつつある一方、防虫シートが登場してますね。
        具体的に何の物質がどれだけの分量入ってるのかが不明瞭な上にゼロの数を見間違えそうなほどのお値段。うーん。
        金銭的なこともそうですが、体に悪いものが入ってたらイヤですからね。健康への配慮を怠らないのがサイコノートの心意気。
        なので今のところ買う気にはなれませんけど、どうしようかな。カナダの仮想通貨で受付のお店は税関で止められると言いますし。
        ちなみに先日、某青空ショップで購入したハワイのお花の種の件、
        試しに1粒から開始して、日を開けつつ5粒まで食べてみましたが、効果は感じられませんでした。
        でも体調不良も起きてないので、少なくとも変な薬品はついてないということのハズ。次は思い切って10粒の予定。健康第一。ドキドキ。
        
        
        あと、前々から考えている「戦わないゲーム」の件。
        「ゲーム」というのがそもそも「戦い」の別名という面もあったりもするぐらいですので、
        戦いの要素を厳密に排除しようとすると、かなりアイディアの条件が厳しくなって、かくなる上は何も表示しない涅槃アプリかというところですが、
        これを「自分からは一切攻撃しない」というところまで条件をユルめてもいいならば、
        この条件を満たしつつゲームっぽい何かが実現できそうな気がしてきます。
        
        結局、この世は敵対的な空間ですので、敵対的なことを表現すること自体は必ずしも間違ってはおらず、むしろ正しいことなのかもしれず、
        しかしながら、「他人を攻撃して、やっつけて、自分がのし上がることが "よし" とされる」という価値観への警戒はユルめることなく、
        そうした価値観へは可能な限りノーと言っていきたい。
        だって、さしあたり、おかれている状況下において、都合上「敵」がいるのは仕方のないことかもしれないですが、
        相手が何者であれ、人を苦しめることが私やあなたの根本の願いであるハズがないではありませんか。
        その根本の願いを忘れさせようとする悪しき陰謀に対しては投げキッスで応戦あるのみ。覚悟せよ。
        
        というわけで誰もが幸せでいられますように。
        私の好きな人が幸せでいられますように。私の嫌いな人が幸せでいられますように。私を嫌っている人が幸せでいられますように。
        今日もあなたが幸せでありますように。
        
        
        
        
        
        


◆ 2019/08/06
    したこと:
        マインドルのリリース作業
        
        学園モノと言えば処理落ちするカットイン。
        
        
        
        左上の数字がFPSでございます。普段は60なのに半分という恐ろしさ。
        右下の黒い窓はWindowsのコンソール。
        デバッグ用に表示しているのですけども、文字化けしまくってて何のデバッグになっているのかよくわかりません。
        WindowsのコンソールってSJISというかCP932がデフォルトなのですね。
        UTF-8を表示する方法もないこともないらしいのですけども、なんかうまくいきません。このやろ〜。
        どうせ最終的には非表示にするのですから、こんなところで頑張るのはヤメにして、
        あくまで内部動作を推測する目安用ということにして、このまま突っ走ります。
        
        そんなことよりカットインの処理落ちが大変です。
        お写真はキレイに撮れてますが、実際にはすんごいガクガクしてますので、イマギナティオーンでお察しいただければ幸いです。
        Linux上で動かしていたときには問題なかったのにな。
        
        ちなみに普段はFPS60で動いておりますよの図。表示している画像の枚数自体は大して違いません。まさに怪奇現象。
        
        
        ともかくWindowsマシン用にチューニングするしかございません。
        ソースコードとニラめっこして、怪しい気がする箇所をイロイロとイジってみるも変化なし。怪しんでごめんね。
        
        特に重くなるような処理なんてドコにもないはずなのに、一体何なのか?
        もう諦めて死ぬしかないのかなぁ。わくわく。
        
        そう思って手頃なロープを探し始めたとき、なぜか改善が見られました。
        
        
        むむ? 一体何が?
        はい。デバッグ用のコンソールを非表示にするとFPSが大幅に改善するのでした。パンパカパーン。
        コンソールめ〜。
        
        数字の上では60を下回ってはおりますが、体感的なガクガク感はほとんどありません。
        なんだか釈然としませんが、さしあたり問題解決というか、そもそも問題自体が存在していなかったというか。
        ともかく一安心。明るい未来が見えて参りましたよ! わくわく。
        
        
        
        というわけで前回の進捗報告から今回の報告までの間、
        ファイル名が日本語で読み込めない件にかかり、全ファイルのファイル名を半角英数字に書き直しておりました。
        その数、画像ファイルが5187枚。オーディオファイルが約200枚。
        なんかうまい具合に自動的に変換する魔法があるんじゃないの?
        と夢見ながら手を動かしているうちに、いつの間にか全部終わってました。なるほど、これが魔法ということですか。さすがは21世紀。
        
        で、意気揚々とWindowマシンで動作確認してみたところ、無事に画像およびオーディオは読み込めるようになったものの、
        冒頭で述べましたように予期せぬ処理落ちに悩まされた次第でございます。
        
        他にもイロイロと「あれ? なんか動作重くない?」という案件は随所に発生しておりまして、
        結局Windows用にチューニングしないわけにはいかないのだなぁ、しみじみ、という感じでございます。
        
        特に恐ろしかったのはマルチスレッドでございます。
        なぜかミューテックスが取得できずにデッドロックにハマる。
        
pthread_mutex_lock( &_criticalSection ); { /* クリティカルセクション内の処理 */ } pthread_mutex_unlock( &_criticalSection );
よく分からないので郷に従うつもりで Win32APIを使ってみたら、なぜか解決しました。
EnterCriticalSection( &_criticalSection ); { /* クリティカルセクション内の処理 */ } LeaveCriticalSection( &_criticalSection );
で、これだけだと突然落ちるなどの災害が勃発するようになったので、 スレッドを立ち上げる処理も併せてWIN32APIを使う。C++11の機能は諦める。
// WIN API 版 _beginthreadex ( NULL, 0, スレッドとして動作させる関数名, arg, 0, NULL ); /* // ちなみにC++11 版 std::thread t1 ( スレッドとして動作させる関数名, arg ); t1.detach(); */
C++11の機能を使えば、触れ込みとしては「プラットフォーム非依存」ということになってはおりますが、 なかなか実際にはうまくいかないものですね。 なんか他にうまい書き方があるのかもしれませんけども、 この期に及んで「プラットフォーム非依存」にこだわってもあんまり意味はありません。 「ともかくWindowsマシンで動くようにする!」と割り切って、モリモリとソースコードを汚して参る所存でありますよ。 それにしても、なんやかんやと時間がかかってしまっております。 地球が滅ぶ前に終わらなければならないというのに、こんなことで本当に間に合うのでしょうか? リリースを遅らせようとする何らかの意志を感じずにはいられません。コノヤロ〜。 当初の予定では、Linux側で作り込んだソースコードをちょろっとWindowsにコピーして、 ちょろっとビルドすればちょろっとexeファイルが出来上がってメデタシメデタシということになるはずだったのに。 で、今回の進捗報告ではリリースできましたよ〜、的なオメデタイことが言えるであろうと信じ込んでいたのに。 あとですね、起動時の設定ファイルの読み込みがWindows版だと、これまたナゼか死ぬほど時間がかかってしまっておりましてですね、 人生は有限なのに、こんなことではイケません。 そんなに重くなるような処理であるハズがないのですけども。まさに怪奇現象。夏なのでサービスなのでしょうか。気が利いてますね。ゾクゾク。 ともかく一応動作するトコロまでは到達しております。 もうこの状態で「完成ぃ!」と言い張ってしまいます? 欲張ればキリがないとは知りつつ、今の状態では、イロイロと残念すぎて、成仏できそうにありません。うらめしや。 そんな感じで、もう少々チューニングをして、近日中にリリースできるのではないのかなぁ、と思ってはおります。願わくば今月中。 ただ、何らかの意志の作用というものも考慮すると、確定的なことは申せないのではありますけれども。 それにしてもこの世は何なのか? 個々別々の問題について「正しい」「正しくない」を議論することが無意味だと言うつもりはないのですけれども、 そういうことを「延々と」繰り返して、最終的にどうなるというのか? とは思います。 あるいはそうした過程自体に何らかの意味があるのだというのだとして、なんでそんなことをしなきゃならんのか? とは思います。 そして、そもそもなんで「こんなこと」になっちゃってるのか? とは思います。 物質の世界。分断の世界。 人間の精神とは無関係に物質や物質間の法則(物理法則)がある、ということになっている。 その中に、分断された個々別々の人間がいる、ということになっている。 物質とは「精神とは無関係に存在するもののこと」です。 精神が望んでも望まなくても、物質は存在する。 精神の力は不要かつ無用です。 そして物質のテクノロジーが「自動機械」のごとき「精神の力なしで動くもの」を作り出す。 物質の世界とは、 精神の力を使わなくても済む世界であり、 精神の力を排除する世界とも言えます。 結局のところ、物質の世界とは「精神をがっかりさせる世界」です。 思い通りにならない。 精神の力は不要かつ無用なのであり、精神の力を使わなくて済む、と同時に、精神の力が排除される。 舞い上がろうとする自由な精神を重力で地面に引きずり下ろし叩きつける。ここはそういう世界です。 さらに、そういう中に、(分断された個々別々の)精神が放り込まれる。 そもそもの最初から無理ゲーです。苦しみが保証されている。 「死後の世界はこうなっている!」的なご本を読むと、そこは物質ではなく、精神の力だけで成立している世界であるといいます。 なるほど、そうなのでしょう。 ではなおのこと、なぜ物質世界が存在しなければならなかったのか? おそらく、この物質世界というものは、広大無辺な精神世界「の一部」なのでしょう。特殊事例。 なんでもありの精神の世界の中に、なんらかの事情で、このような特殊空間が発生してしまった。 ではその「広大無辺な精神世界」とは一体「何」で、 そしてその中に物理世界という特殊空間が発生した(している)ということは一体「何」なのか? そしてもちろん、そもそもその「広大無辺な精神世界」自体が、何でまた存在しちゃってるのか? 何度でも言いますが、最初から何も存在しなければよかったし、しなくてもよかったハズ。 しかし、「何でもあり」ということは、いずれ結局「何か」が存在し始めてしまう、ということにならざるを得ないということなのでしょうか。 無の中には必然的に有の存在が避けられない。 「真空」とはマクロ的な観察結果なのであって、ミクロ的には「存在」と「非存在」が絶え間なく生成と消滅を繰り返している、と言います。 存在の反対側に非存在があって、で、バランスが取れている、のかどうかは実のところどうでもいいハナシで、 そもそも何でもありなのだから、バランスだってどうでもいいことであるハズ。偏りだって何のその。 それにしても空がキレイだなぁ。 ゆっくりと、それでいて絶え間なく形を変えながら動く雲。 すべての部分が別々に、緻密に、動いている。 明るい空を背景に風に揺れる木の葉。 枝先に生い茂る木の葉の一枚一枚が別々に、絶え間なく、動いている。 空を鳥が横切る。 そこかしこに草が生え、花が咲く。 ああ、キレイだ。死ぬほどキレイだ。 一体どんな「力」が、こんなにも緻密な世界を作り出せるんだろう? しかし忘れてはいけない。 ここは精神をがっかりさせる地獄の世界なのでした。 誕生は喜ばしく、死は忌まわしい、ということになっている。 すべてが周到に組み合わされた、精神の牢獄。 一体どんな「力」が、こんなにも周到で悪意に満ちた世界を作り出しているんだろう? 何ひとつわかりません。 が、一つだけ確実にわかっていることがあります。 私は、「こんなのはイヤだ!」と思っています。 こんな、根本的に人を苦しめることになっている世界を、私は心の底から「イヤだ!」と思っています。 誰もが幸せでいられる方がいいに決まってるじゃないですか。 なぜ「いい」のかといえば、それが定義だからです。議論以前の定義だからです。 「何でもあり」なのだから「この世」が「このよう」だというダジャレだって「有り」なのだとしても、 それにしても、何で、よりによって「このよう」なのか? しかし「広大無辺な精神世界」が「広大無辺」である以上、 我々の住んでいる「この世」が仮にパラダイスに変貌を遂げることがあったとしても、 「広大無辺」な世界のどこかには、相変わらず、別の「このようなこの世」というダジャレ、あるいはさらに寒い何かが存在するのかもしれません。 一体何をどうすればいいのでしょう? まったく何にもさっぱりわかりません。 さしあたり祈るしかありません。 今日もあなたが幸せでありますように。 ◆ 2019/07/23 したこと: マインドルのリリース作業 学園モノと言えばWindows版SFML。 よっしゃあ! SFML works! 動詞の語尾に s だって付くというもの。これぞ三人称単数! ヒャッハー! 懐かしい真っ黒なコンソール画面によると、Luaもバッチリ動作しているらしいですよ。ムフフのフ。 あとは今日までLinuxで作り込んできたソースコードをWindows版Code::Blocksに放り込んで、 ビルドスイッチ指先一つでちょちょいのちょいとビルド完了。さすがクロスプラットフォーム。 そして、できあがるのは exeファイル。そうそう、これこれ。Windowsに帰ってきたぜ、って感じですよね〜。 さぁ、意気揚々と動作確認だぜ! ↓↓↓ あれ……。 なんか画像が表示されません。 でも冒頭のSSをご覧の通り、SFMLを単体で動作確認したときには画像は問題なく表示されておりました。 イロイロ調べたところ、画像ファイル名に日本語の文字が含まれていると読み込めないっぽい。 UTF-8全盛の今日び、そんなファンキーなことがあってたまるものでしょうか。 ファイル名は念のために英数字のみにしておくのが安全、というのは一種のお約束ではありますが、 今までずっとLinux上で作業をしてきた限りにおいては日本語のファイル名でも何の問題もなかったのですよ。 で、わかりやすいように例えば、 「キャラ1_ブレザー_カメラ目線_笑顔.png」みたいなファイル名にしておりました。 このわかりやすさは何物にも代え難いですね。我ら極東の選ばれし民がUTF-8の波に乗ってグローバルに世間を席巻! ところがこの期に及んで日本語のファイル名が使えないだなんて、何かの陰謀と言われても文句が言えませんね。コノヤロ〜。 Code::Blocks(というかMinGW)のビルドのオプションを穴が開くほど確認し、 間違いなく文字コードはUTF-8になっている。 ファイル自体は中身もファイル名もUTF-8であることが確認済み。 その証拠にと言うか、シナリオのスクリプトの文字は文字化けもせずにキレイに表示されている。 どうも、ソフトウェア内部でデータを取り回す限りはUTF-8で統一されているようなのですが、 実行ファイルの外側のファイルを読み込んだり書き込んだりするタイミングでのみ、 「ファイル名」として使われる「文字列データ」がShift-JIS(CP932)「として」内部で取り扱われる仕様になっているっぽい。 ファイルの中身ではなく、ファイル名、です。 たとえばファイル名の中に「練習試合」という文字を入れてファイルを出力すると、 対応箇所が「邱エ鄙定ゥヲ蜷」になってしまいます。 これは明らかに、もともとUTF-8であるものをShift-JIS「として解釈」している結果です。 それでいてファイルの中身は文字化けしていない。あくまでも「ファイル名」だけ影響を受けている。 もちろん、わざわざそんな処理を書いた覚えなどあろうハズもなく、 単にC++のファイルI/Oの命令を使っているだけです。 八方手を尽くしましたが、こればかりはOS自体の挙動が深く関わっていることが疑われます。 ファイルシステムの都合なのかな。困ったな。あるいはMinGWのファイルアクセス関連のライブラリの挙動? ためしにファイル名をアルファベットのみに変更してみたら無事に表示されるではありませんか。 ↓↓↓ さて、どうしようかな? もう少し粘って回避方法を探すか、それともファイル名を全部英数字のみに書き換えるか? 面倒くさいな。 案外、Windows10で動かしたら何の問題もなく読み込めたりして? もはや最近のトレンドはUTF-8ですからね。 あ、ちなみに今回動作確認に使用しているのはWindows7です。 サポート切れには間に合いそうでよかったよかった。 ともかく手元にあるWindowsは7だけですので、サポート期間のうちにビルドを済ませてしまいたい。 まさか7で動作するものが10では動作しないなんてことはないだろうと期待しつつ。 はい、そんな感じで、リリース作業というか、Windowsへの移植作業をしているところでございます。 あわよくば、ソースコードをWindows上でビルドすれば一発完了! という期待もしておりましたが、 そうはイカのドラゴンボールですね。 Linux版については、ある意味すでに完成しているわけですが、 ご存じの通り、一口にLinuxと言っても種類が無数にありますので、 結局、各自ソースコードをビルドしてもらうしかなさそうです。 で、ソースの公開は後回しにするとして、ともかく先にWindows版として配布できるモノを整えてしまうこととしました。 モノ自体は完成しているつもりなのに、公開できる状態には届いていないというのが、精神的に少々ツライところではありますが、 ここで手を止めてしまっては今まで何のために生きてきたのかわかりません。 あと一歩、公開に向けてガンバッテ参りますよ。 それにしても超ひさびさのWindowsです。実に4年ぶりに電源を入れましたよ。 使い心地が既に未知の国。懐かしいタマゴ色のフォルダ。 これは少々リハビリが必要ですね。いつのまにかすっかりLinuxの住人になっていたのだなぁと、しみじみ。 予想通り、アップデートが溜まりまくってて、長時間待ちと再起動を何度も繰り返すハメに。 ちなみに今は普段のLinuxに戻ってきてこれを書いているのですが、もう、すごい楽。 Linuxを使い始めたばかりの頃に感じていた違和感を、今回Windows環境に対して感じ、 その頃、ときどきWindowsに戻って作業していた際に感じていた「ああ〜、馴染みの使い心地ぃ〜サクサク!」という感じを、 今Linuxに戻ってきて感じております。 単純にどちらの環境の方がいいという話ではなく、これが「慣れ」の威力というものなのでありましょう。 Anthyのヘンテコリンな漢字変換でさえ、今では日常生活の潤いの一部となっております。もうヤメられません。 ところで選挙でしたね。 やっぱり私が投票した人には呪いがかかってしまうのかな。 今回もまた、"私が投票した人は当選しないぞ現象" の更新記録を伸ばしてしまいましたよ。向かうところ敵なし。 全体的に言えば、最悪よりはほんの少しだけマシな結果なのかなと思ってはおります。あの件とか、あの件とか。 これからどうなるんだろう? 明日にでも衆議院解散してくれないかな。 それにしても、今回ばかりは、今までとは違う流れを予感していたのに、 フタを開けてみれば、投票率48%ですって? なんでなんだろう? 投票に行かなかったら、たとえ消費税が10%に上げられたとしても自分だけは払わなくて済む、とか思ってるのかな? まさかそんなことはいくらなんでも、とは思いますし、本人に問いただせば「そう思ってます」とは言わないでしょうけれど、 無意識レベルでの「おいらは別に関係ないもんね」というような感覚は、わりと普遍的なのではないかなという気はいたします。 本当は関係なんて無限にあるのに。 ただ呼吸をしているだけで、バラフライ効果で地球の裏側で暴風雨を起こして大量殺人をしてしまうというのに。 だからこそ、「関係ある」という事実を引き受けるのは「重すぎる」ことなのかもしれません。 「関係ない」と思うことでこそ、「正常に」生きていける。そういうものなのかもしれません。 今後消費税が増税されたとしたら、増税したがる人たちに投票した人たちだけでなく、この流れを放置していたあなた方のせいです。 そのせいで私まで、増税された消費税を払わなければならなくなるんですよ? とんだトバッチリです。 というわけで、そうなったら、その分のお金を私に賠償するギムがあなた方にはある。 逆に今後消費税が廃止されることがあったとしたら、この私が地道に死票を投じ続けてきたおかげですので、 浮いたお金を私に寄付するギムがあなた方にはある。 いずれにしても私の懐にお金が転がり込んでくるという筋書きです。 風が吹けば私が儲かる。これぞバタフライ効果。ちょっと違うかもしれませんが、大体合ってます。 ただ、そこまで想像力を要求するようなムズカシイ話にまで思いを広げずとも、今回ほど面白い選挙はそうそうないと思ってたのにな。 いつもながら、私の感覚と世間の感覚とのギャップを思い知らされます。 私が「Aである」と思う強度と世間が「Aではない」と思う強度が見事に相関している。 日に日に、私の居場所が狭くなっていくばかりです。 私の居場所が狭くなると言えば、アのつく某カシアを取り扱ってくれていた国内の老舗サイトが近々閉店してしまうのだとか。 検疫が厳しくなって輸入が難しくなっているらしいですから、無理もないことなのかなという気はする一方、 だからこそ、割高でも国内で取り扱ってくれているお店が存在していることは安心感になっていたのですけれど。 閉店セールみたいなのをやってますけど、終わりが見えている中で、袋小路に向かって走る意欲はあまりわいてきません。 これからどうしようかな? やはり業者に頼らず、自分で含有植物を開拓するべきということでしょうか。うむ。そうに違いありません。 というわけで折しも季節は夏。緑が繁り花が咲き誇る生命力のお祭り。 積極的に山の方や川の上流へ足を運んで、○○○○はないかな〜、と探しております。 ガードレールから身を乗り出し、百均のおもちゃコーナーでゲットした双眼鏡でジロジロと原生林をサーチしている人がいたら私かもしれません。 一般的な園芸情報として、どこにでも自生しているらしいのですが、いざ探すと案外見つからないものですね。 公園ではよく見かけるのにな。 しかし公園に植わっているものを勝手にいただくわけには参りません。社会の秩序を守る。それがサイコノートの心意気というもの。 上記○○○○とは別ですが、ホームセンターの園芸店に別種の○○○○○○があったのでとりあえず少々確保してみましたよ。 まだ本格的には食べてません。葉っぱを一枚(というか一本)かじったところ、不味くはない。 シュウ酸が多いらしいので、チクチクするかと思ったのですけど、そんな感じでもない。 念のため鰹節と一緒に煮込んだらいいのかな? さてどうしようかな。ワクワク。 あと、某ハワイ的なお花の種を国内のサイトで注文してみました。ご丁寧に無農薬との注釈付き。愛しか感じません。 こちらは昔から有名なのに、規制される気配はありませんね。レポートもあんまり聞かないし、実際どうなのでしょう? ともかく気にはなっていたネタですので、この際一度試しておきますよ。ワクワク。 という感じで、我が国の終わりのみならず世界の破局が刻一刻と近づいている今日この頃ではありますが、 そんな世相だからこそ、「向こう側」を見据え、ワクワクが広がっていくといいなと願うばかりでございます。 今日もあなたが幸せでありますように。 ◆ 2019/07/13 したこと: マインドルの残りの作業 学園モノと言えば投了ボタン。 何か忘れてることがあったような……。 あっ、そういえば投了ボタンをつけなかった。紫の鏡! でも別に投了機能ナシでも構いませんよね? うん。構いませんよ〜。 という皆様のお声をアカシックレコード経由で常々受け取っていたので、今までずっとナシのまま放置しておりました。 とは言うものの、機能自体が「ない」というのでは「なんだよ〜投了機能ないのかよ〜」と言われそうな気がしたので、 突貫工事で追加するだけ追加しておきましたよ。どうだ参ったか。 あ、見にくいかもしれませんが、ボタンは画面の右下にあります。思わず押したくなる美しいデザイン。うっとり。 ただ、今までずっと投了機能自体が存在しない前提で作業を進めてきておりましたので、 対戦の最中に試合が強制的に終わるという動作が想定されてないのですよ。 プレイヤーの負けになるにしても、アレコレとセリフが飛び交った上でイベントの終了を迎える。 投了という形で試合を打ち切ってしまうというのは、シナリオ上、想定してないのですよ。 「投了した場合の分岐」というのが欲しいところですが、今更そんなことをしていたら命がいくつあっても足りません。 というわけで、フリーバトルの試合のみ投了ボタンを表示することといたしました。 そもそも今までは想定していないタイミングでの強制終了なので、 変なタイミングで投了するとバグが発生する可能性がないとは断言できない状態だったりします。 よかったらイロイロ試してみてね。ワクワク。 さて、学園モノと言えばタイトル画面。 これまたすっかり忘れていた案件です。 動作のたびに毎回見ているハズなのに。 他にも忘れてることがイロイロありそうな気がしてなりません。紫の鏡とか。 ロゴは初期の頃に適当に作ったものをそのままです。 別に超カッチョE! ってほどではないにしても、そんなに変ではないですよね? は〜い、別に超カッチョE! ってほどではないにしても、そんなに変ではありませ〜ん。 うむ。ご同意ありがとうございます。 メニューにマウスを乗せたとき、文字が白く反転するのは、かえって見づらいかな? イロイロ心配で、心労が絶えません。ドキドキ。 いや、もう、別にいいじゃん。こんな感じで充分じゃん。ねぇ? こだわると命がいくつあっても足りないコースですので、皆様の広いお心に期待いたしますよ。 ついでに学園モノと言えば上下反転。 残念ながらスカートが重力でめくれたりはせず、単に画面の見た目が丸ごと反転するのみとなっております。 機能の目的としては、スカートの中身を見ることではなく、 対戦中の盤面を相手目線で見ることができるように、ということです。 「盤面の内部で駒の座標を変換して……」などとやっていたら、これまた命がいくつあっても足りませんので、 SFMLの画面描画の機能で画面ごとぐるりと反転することとした次第です。
sf::View view = window.getView(); // window は 描画対象の sf::RenderWindow view.setRotation ( 180 ); window.setView ( view );
ふと思ったのですが、こんなハイテクを使わなくても、 ノートパソコンをお使いのお友達はモニターごと回転させた方が早いかもしれません。ギャフン。 体操が得意なお友達は逆立ちするのもよいですね。 ちなみにこれまた突貫工事で適当に追加した「新機能」なので、 表示が崩れたりマウスで指せなくなったりしている箇所がどこかにあるような気がしてなりません。 よかったら探してみてね。ワクワク。 さて、後は他に何かあったかな。 あります、あります。 今回上で紹介した以外にもコマゴマと作業をしておりまして、 実際、何か一つ片付けるたびに、それに付随して、アレもコレも、と、気になる点がブシューっと噴出いたします。 どこかで妥協しない限り、命がいくつあっても足りません。 わかってはいるのですが、「この状態でリリースしていいのか?」と思うと、二の足を踏んでしまいます。イタタ。 まだまだ先が見えない段階だと、「とりあえず放置して突っ走る!」ということができていたのですけども、 イザ崖っぷちに立ってみると、割り切るのは簡単ではありませんね。 しかし、ということは、それほどまでに作業が完了しているということ。赤飯ものです。うむ。 > イザ崖っぷちに立ってみると、割り切るのは簡単ではありませんね。 なるほど。つまり、「今死んでもいいのか?」ということですね。え? ということなの? とどのつまり、そういうことかなという気がいたします。 じゃあ、あとは動作確認をしつつ、リリース作業に入ってしまいましょうかね。 その途上でまた何か気づくことがあれば対処または放置するということで。 自殺の直前もこんな感じなのでしょうか? トリップの決行日の「飲む」直前の感じには似ている感じがいたしますよ。戻ってこれなくなるのではないか? ドキドキ。 ところで選挙ですね。 とは言うものの、私がここで具体的に投票先を口にすると、 呪いが発動して落選につながってしまう気がするので何も言わない方がよさそうです。 ただ、今回はいつもと違って「選択肢がない」などということはないようには思います。 いや〜、どうかな? またフタを開けてみればお馴染みの結果だったりするのでしょうか? 今回ばかりは少々雰囲気が違うような気もするのですけれど。 いや〜、どうかな? その点も含めて、「結果」がどうなるのか、楽しみではあります。 一番いいのは、選挙のたびに世界がパラレルワールドに分岐して、 みんなそれぞれ、各自の投票した人が当選した世界にワープできるようになっているといいですよね。 しかし、実際はそうはなっていない(ように見えます)。 どの党の公約を見ても、「パラレルワールドの実現!」と言ってるところはない。実に嘆かわしいことです。 これもというのも財務相が予算をケチっているせい。 何がプライマリーバランスだ。政府が黒字になったら、その分、国民は赤字になるではありませんか。政府は赤字でいい。 アホな妄想はヤメにして緊縮財政を改め、 早急にパラレルワールドの実現に予算を投じていただきたい。 ともあれ、自分の意に沿わない人や団体が権力の座につく世界でも生きていかなければならない。 それがこの世というものなのでありましょう。 本質的に不幸の世界だ。 そういえば怨憎会苦なんて言葉がありましたっけ。 少なくとも、その頃からこの世はこのようだったというダジャレが存在していたのですね。昔のインド語で。 それとも、例の伝統的な与党を支持してらっしゃるお友達にとっては、この世はハッピーなワールドなのでしょうか? それならそれで、その点だけに関しては、いいのかもしれませんね。 ただ、本当のところ、どうなんですか? 「他に選択肢がないから」という話はよく聞きますが、 積極的に支持しているお友達がそんなに大勢いらっしゃるとは私にはどうしても思えません。 しかし今回は「他に選択肢がある」のでした。さぁ、結果はどうなるでしょう? ドキドキ。 あまり私が言って呪いが発動してしまうとイケませんので、このへんにしておこうかな。 建前上は「多数決」ということになっていて、 もっとも多くの人から支持を得た人や団体が権力の座についている、ということになっているわけですが、 果たして実態はどうなのか? と言って、イカサマがあるとかないとかいう話をし始めると、ひたすら泥沼にハマリ込んでしまいます。 そういう問題ではなく、 世間全体に「だってしょうがないじゃないか」「おまえだって同類なんだ」 というような「不幸を希求する想念」とでも言うべき何かが渦巻いているように感じます。 そうした全体的なことの結果・象徴(の一環)として、政治的な権力構造の現状というものもある。 そういうことなのではないかと思います。 ニワトリが先か、タマゴが先か。ご飯が先か、お風呂が先か。それとも……。ドキドキ。 あぁ、この世はあんまりドキドキしませんねぇ。ドキドキが足りない。 あえて言葉にするならば、 「不幸を許諾すればするほど、あるいは他人に許諾させればさせるほど、一人前の大人の証明となる」 とでも言うような「道徳観念」が一種の「力の輪」として、この世を縛っている。 だから、こういう中で幸せを求めるようなことを言うのは、まさに「輪を乱す」ことになる。 だから、そんな「輪」なんて、どんどん乱していくことがドキドキを取り戻すことにつながるに違いありません。 しかし、いつもながら、「このようである」ということはつくづく思い知らされる一方、 「なぜ」なのかというのは、どこまでも果てしなく不明です。 誰もが幸せでいられる世界ではなんでダメなんですか? どこの党が何議席取ろうが、この点の解明が進むことは期待できそうにありません。 せめて消費税が増えない世界で落ち着いて考えたいものです。 人を幸せ「にする」ことなんてできません。 だから、願います。幸せ「で」あって欲しいと願う。 別に殊更に意識的にそんなことをしなくても、根本にあるのは、そういうことであるはず。 なぜなら、この世は無意味だからです。 ただ、すべてが、それぞれに、「よい」状態であってくれればと願う。 プラスかマイナスか、それ以前に、数直線がある。数直線のそれ以前に点と線の一次元宇宙がある。 存在するということは願いがあったということのはず。 だって、何も「ない」のではなく、何もかもが「ある」。それでいて、一切が無意味。だったら、それは何なのか? すべてが、それぞれに、「よい」状態であってくれますように。 今日もあなたが幸せでありますように。 ◆ 2019/07/07 したこと: マインドルの残りの作業 学園モノと言えばフリーバトル。 なんだか同じ顔ばっかり並んでしまっているので、下の方も披露しておきますよ。 やっぱり同じ顔ばっかり並んでいるじゃないか、というツッコミはテレパシーで受付中。 というわけで、ストーリー側でクリア済みの対戦イベントが再プレイできる他、 練習試合として、チュートリアルに出てきたキャラと、難易度を変えて対戦ができたりもするモードです。 これで本文で試合が全然なくて腕が鈍っちまうぜ、というお悩みも解消です。 はい。「学園棋神伝」と言いつつ、本文では対戦イベントがあんまりなくて、 読むだけゲー、と見せかけて、唐突に対戦イベントが発生して、えっ?! やり方忘れちゃってる〜! という皆さんのお姿を得意のイマギナティオーンで鮮明に予知しておりましたので、 いつものように持ち前の慈悲深さを発揮して、ここでいつでも練習試合ができるようにしておいた次第です。 と、思っていたのですが、実際にこうしてストーリー上で発生する試合を全部並べてみると、 思っていたよりも多くて、つまり思っていたよりも作成の作業量も多くて死ぬかと思いました。 その数、なんやかんやと43試合。さらに練習試合として難易度別の5試合が追加されて、全部で48試合。 SFMLを駆使した自前のスクロールバーが大活躍の豪華ボリュームでございますよ。 あ、ちょっと心配になったんですけど、右端のやつ、スクロールバーだってこと、伝わりますよね? 素晴らしいデザインのおかげで。 なんだよ〜、3列しかないのかよ〜、と思われてしまったらどうしましょう。 わかりやすく「スクロールバー」とこれ見よがしに書いておく必要があるのでしょうか? 今更デザインを変えて文字を追加するのは面倒なので、みなさまの逞しいイマギナティオーンで察していただけるものと期待しております。 念のため、練習試合のついでに一言申し添えていただくことにしましたよ。私は本当に慈悲深いですね。 ↓ そんな感じで、危うく命がいくつあっても足りないフラグが立ちそうになりつつ、 UI仕上げの残作業に戻りますよ。 あと何が残ってたんだったかな? このままで「完成ぇ!」と言い張って言い張れないこともない気がしないこともありません。 あまりこだわると、それこそ命がいくつあっても足りません。 どうしても気になる箇所がいくつか残っているので、そこだけは手を入れつつ……、 最後に全体的な動作確認をして、リリース作業、ということになるのかな? 本当かな? ドキドキ。 なんか、あと少しのハズなのに、なんやかんやと足踏みしておりますね。 時間が止まってくれたらいいなというのは多数派の願い事だと思いますが、 民主主義のハズなのに、どうして世論の声が実現されないのでしょう? こんなのはオカシイ! このやろ〜。 そういえば今日は七夕だったのですね。 どうか時間が止まってくれますように〜。 それから、どうかこの世の誰もが幸せでありますように〜。 もちろん、あの世の人も幸せでありますように〜。 さて。 もうそろそろ、いい加減、本当に、死にたいというか、この世とおさらばしたいなと思うわけですが、 実際のところ、死んだ後どうなるかがわからないというのが困るところではあります。 何事もやってみないとわからないとは言うものの、 ある程度の大づかみなイメージぐらいは欲しいなという気はいたします。 それとも、そういう「現時点で思い浮かべることが可能な一切」を手放すということが死ぬということだったりするのでしょうか。 地獄だとか天国だとかいう概念も、所詮は生きている人間が思いつく程度のことなのではないのか。 それを言い出すと、「死後の世界」という概念自体が、生きている人間の想像可能な枠組みの内側のもの、という気がしないでもありません。 何となれば、今こうして「生きている」ということからして、「何がなんだかわけがわからない」ことなのでした。 死んだらどうなるのかがまったくわからないにもかかわらず、「死にたい」とはもしかすると奇妙なことなのではないのか? そうでもないか? たとえば、今までの人生で一度も食べたことのないものを「食べたい」と思うことと比較してみるとどうか? その比喩で言えば、それほど奇妙なことというわけではないように思えますね。 もちろん「カレーを食べたい」というのと「南極の氷で作ったかき氷を食べたい」というのとでは、性質が異なってはいる。 「カレーを食べたい」の場合、今までに食べたことのあるカレーを想像しつつ、「またあれを食べたい」ということです。 「南極の氷で作ったかき氷を食べたい」の場合、食べたことはないけれど、一度食べてみたいもんだなぁ、ということですね。 だから、死んだことがあるわけではないのですが……、 と言いつつ、実はそうでもないのかもしれません。 たとえば、この世に生まれてくる前はどこにいたのか? 「あっち側の世界」のことを知らないわけではない、という気がしないでもありません。 「この世で生きている状態」では、忘れていると言いますか、「この状態」での可能な認識の枠組みには収まらないのでしょうけれど。 南極の氷で作ったかき氷は食べたことがありませんが、 「あっち側」にいたことなら、あながち、ないわけではない気がしないでもありません。 というか、今も実際、そうなのではないのか? 「意識」が「眼球」を通して「この世」を見ているわけですが、その「意識」が「いる」のは実のところ「どこ」なのか? 「眼球」の「手前側」は「あの世」なのではないのか? 今まさに「あの世」にいるのであって、一時的に「このようなこの世」というダジャレを目下体験中であると。 で、その「この世」とは結局、一体何なのでしょう? 「あの世」がイイトコロであるとかないとか、この世は地獄であるとかないとか、 そういう話は。それはそれとしてさておき、 なんで「この世」なんてものがあるのでしょう? 一つ言えるのは、ここは「"他人" がいる場所」であるということです。 だからこそ「地獄」であり「ドウショウモナイ」。 「人間」が「私」と「他人」の2種類に分かれており、 そうであればこそ、「他人」との関係の上で、「私」が「悪」になり得る。 そのような分離が起きなかったとすれば、一切の「悪」は成立し得なかったはずです。 そこにあるのは無限の調和と安らぎだけだったはずです。 それが「私」と「他人」との分離で、「悪」が始まってしまった。 だからつまり、ここは「地獄」であり、何をどうしても「ドウショウモナイ」わけですが……、 だからこそ、この条件で、このような場所を、なんとかして「天国」にしていく必要があるということだったりするのでしょうか。 この「ドウショウモナイ」場所に、それでも「い続ける」ことの意味があるとすれば。 ああ。どうか。 今日もあなたが幸せでありますように。 ◆ 2019/06/29 したこと: マインドルの残りの作業 学園モノと言えば右クリックメニュー! 学園モノと言えばセーブ画面! 学園モノと言えばロード画面! 学園モノと言えば確認ダイアログ! 学園モノと言えば棋譜ファイル選択画面! 学園モノと言えば棋譜再生画面! 学園モノと言えば読み返しモード! 学園モノと言えばフリーバトル選択画面! よーし! 大体完璧ぃ! これでUIもバッチリだゼ! と見せかけて、見るからに作りかけっぽいのが少々混じっているようにも見えます。目の錯覚かな? てな感じでUI整え作業をエイエイと鋭意お努め中なわけですが、 大体いい感じですよね? よく見ると左右対称じゃないとか、 よく見るとカタカナ表記とローマ字表記が混じってるとか よく見るとフォルダアイコンの縁取りがボヤけてるとか、 その他よく見るとイロイロありますが、よく見なければ問題はないハズ。 一応、ちょっと工夫したトコロとしては、 セーブ画面とロード画面の見た目が似ていて、操作としては真逆なのに紛らわしいので、 上部の「Save」「Load」のロゴの色を変えて、見た目の印象を変えるようにしてみました。 と思ったのですが、単に「Save」と言うだけでは ・「Saveデータ」を「書き込む」なのか ・「Saveデータ」を「読み込む」なのか紛らわしいかな? どうしようかな。 だけど、そんなこと言い出したらキリがないじゃないですかー。 じゃあ、仮にこれを「Saveデータ書き込み」と表記したとしたら、今度は ・「Saveデータ書き込み」を実行しつつ当然のようにピザを注文でしょ? 昔からそう決まってるじゃないですか! なのか ・「Saveデータ書き込み」という符牒で仮想通貨の買注文でしょ! みんなそう言ってるじゃないですか! なのかが紛らわしい。 イマギナティオーンは無限大。 とは言うものの、私は慈悲深いので確認ダイアログを出すようにはしておきましたよ。 これで間違えることができるほどの自由な翼があれば、たとえ間違えたってどこまでも羽ばたいてイケるハズ。 あとはイマギナティオーンで察してね。 問題はフリーバトルモードか。 本文でプレイ済みの対戦イベントを個別にプレイできるモード。 あなた方の方が詳しいことと思いますが、エ○ゲーで言うところのエ○シーン鑑賞モードに相当する機能ですね。わくわく。 どうしようかな。 このモード自体をナシにしてしまうという話もあったような記憶がないでもないですが、 ここまで来たのだから、形だけは整えておきたい気がいたします。 命がいくつあっても足りないですよフラグを立てないよう気をつけつつ、 ゴールに向かって突貫していきますよ。 それにしても、これからどうしようかな。 この作業が終わった後、本当にどうしましょう? 別に、だから作業を長引かせている、というつもりはないのですけども、 実際、この後どうしようかというのは悩ましいところではあります。 この世で生きていける気がしません。 というか「ああ、やっぱりこれ以上この世で生きていけないなぁ」という思いが日に日に強まります。 もう「踏ん張れ」ません。もう「戦え」ません。 よく自転車で買い物にいくのですけど、 自転車で出かけるときは、自転車置き場がない店に入るのは諦めます。 で、自転車置き場というか、地面に自転車マークが描いてあるところに私は置くわけですが、 わざわざ自転車マークの描いてあるところに置くなんて、ナウなヤングの所作ではないらしい。 私の後から後から他の人たちがやって来ては、やって来たときのまんまの角度で、そこらへんに置いて、店に入っていく。 それでも店の中までは自転車で乗り込まないあたり、「何も考えてないわけではない」らしい。 こういう個別の事例を取り沙汰すれば、それ自体は「些細なこと」ではあって、 だからこそ、いちいち取り沙汰すれば「些細なことにこだわっているキチガイ」と言われるのが関の山であり、 なるほど、些細なことにこだわらずに、そこらへんに自転車を適当に置いていくのが 「"常識人"のたしなみ」というものであるらしい。 私などが下手に真似をすると手ひどいしっぺ返しを食うような高度な所作というものがあるらしい。 結局、この世で生きていくということは、こういう人たちと一緒に生きていくということです。 結局、この世で生きていくということは、こういう人たちと同じ土俵で生きていくということです。 自転車に乗っているだけで「どうせあんたも一緒なんでしょ?」という視線を浴びながら生きていくということです。 もう言論大会で勝とうなんて気はありません。 踏ん張れない。戦えない。 ただ、力が、抜けていく。 目の前で繰り広げられていること、繰り広げられてきたこと、 これらは一体何なのか? 何であったのか? 過去形でしか語れないことであるのなら、そのようにいたしましょう。 もう何年も前のことですが、 どうしても急ぎの用事があって、駅の駐輪場に自転車を置いたのですよ。 ところが折悪く満車になっていて、空いているラックがない。 しかし、どうしても急ぎの用があったので、すぐに戻ってくるつもりで、ラックの横の隙間に入れさせてもらったのですよ。 で、用事を済ませて戻ってくると、私の自転車に、 手書きのマジックで「いつもマナーが悪い!」と書かれた紙がセロテープで貼られていました。 そもそも普段は行かない駐輪場なので「いつも」と言われても戸惑いを禁じ得ないのですが、 そもそもそういう問題ではないということはよくわかります。 もう一つ別件で、これまたもう何年も前のことではありますが、 コインランドリーで洗濯をして、その間に隣のスーパーで買い物をしていたのですよ。 で、戻ってくると、他にも空いている洗濯機がいくつもあるにもかかわらず、 私の洗濯物が外に出されていて、私が使っていた洗濯機に別の人の洗濯物が入って回っていました。 別に何時間も放置していたわけではないのですが、 そもそもそういう問題ではないということはよくわかります。 どうして、こうも「狙い撃ち」なのか? 他にもすべてを記憶しているわけではないですが、細々と、似たような事例があります。 とは言え、実際のところ、冷静に考えると、 そうそう滅多にこうした事例があるというわけではないのですけれども、 それでも、何か、こう、常に何らかの存在に見張られていて、 1ミリでも隙を見せると、間髪入れずに陰湿な攻撃を仕掛けてくるというようなことが、 「必ずしも妄想とばかりは言い切れないレベル」で私の身に生じているように思えてなりません。 もちろん「隙を見せてしまった」のは確かに私なのではありますが、 それを、そうそう的確に「突ける」というのは、確率的に言って、「人間の仕業とは思えません」。 だって、どう見ても、みなさん、もっと「隙だらけ」じゃないですか。 私のような希代の善人の粗探しをしなくたって、突ける「隙」なんて、目移りするほど溢れてるじゃないですか。 根本のところで「なんかおかしい」。 本当の本当の本当のところ、この世には「人間」は「何人」いるのか? 「人間」ではない「何か」は「何」が「どれだけ」「どこに」「どのように」「いる」のか? もういい加減、「本当のこと」がわからないままでいるのはイヤです。 「この世」を規定している「力の輪」とでも言うべきものがある。 その「境域」を「警護」している「何らかの存在」がある。 この全体が、そもそも一体何なのか? 「この世」とは、一種の奇跡ではあるでしょう。 どこまでも広がる(ように見える)空! すべての箇所が止まることなく動き続けている(ように見える)空間! 一人一人違う(ように見える)人々! では、この、溢れんばかりの苦しみは一体何なのですか? 無理がある。 話は変わりますが、先日、ふと、嘘をつく癖のある人の気持ちがわかったような気がしたのでした。 嘘というのは無限の可能性の中の一つです。 真実というのは無限の可能性の中の単なる特殊な事例に過ぎません。 だからつまり、当然ながら、こういうことではなかったか? 「どうして信じてくれないの?!」 単なる特殊な事例の一つに過ぎないものが、 無限の可能性の中から目的を持って選び取られたものに優越する理由が一体どこにあるものか? 長方形の一種が正方形であるように、 「嘘」の一種が「真実」と言えます。 だって「この世」というのが、もう、果てしなく「嘘」じゃないですか。 なるほど、奇跡的な「嘘」ではある。 どこまでも広がる(ように見える)空! すべての箇所が止まることなく動き続けている(ように見える)空間! 一人一人違う(ように見える)人々! 息を飲むほどの荘厳な「嘘」です。とりあえずギャフンと言っておくしかありません。 この最高傑作を何がなんでも守り抜かんとする「何らかの存在」がある。 この世の形を維持している力の輪を決死の覚悟でつなぎとめている何者か。 ああ、ああ。 もういいじゃないですか。 まだダメなのですか? 私はもう疲れました。 ただ、誰とも戦いたくはないんです。 隙を見せてくれるあなたにも、隙を見せてくれないあなたにも、好きだらけの愛を。 それがとどのつまり、アルファでありオメガなのではなかったのでしょうか。 生きることも死ぬこともただ無限に溶けていく。ずいぶん遠回りをしてしまった。 すべてをただ愛することができたなら。 今日もあなたが幸せでありますように。 ◆ 2019/06/22 したこと: マインドルの残りの作業 学園モノと言えばエンディング。 できましたよ〜。 内容とは直接関係ないということで今までずっと後回しにしておりましたが、おろそかにしてはバチが当たるパートです。 どうすればいいのかさっぱりわからず、死ぬかと思いましたが、なんとか片付きましたよ。 本当にできたんかな? クレジットに表記漏れや表記ミスがないよう、モニターに穴があくほど確認しましたよ。 と言いつつ実際には穴はあいていないので、まだまだやり足りないのかもしれません。間違いがあったらごめんなさい。 それにしても、実際こういうのってどういうふうにするものなんですかね? 「メイン」のパートではないものの、あって当然みたいなところがあって、いやそんな、当然とか適当なことを言われても。 なんか皆さん、当たり前のように「うまくやってる」ように見受けられるのですけど、実際どうしてらっしゃるのですか? あっ、私にナイショでコツをシェアしてるってわけですね? コノヤロ〜。 で、右も左もわからず、手元にあるアニメのOPやEDをイロイロ見てみたものの、やっぱりよくわからず、 結局、そのルートのCGを使い回して、適度に切り替えつつ素材提供元の先生方のお名前を表示、という無難な形式でございます。 後日談的なCGをエンディング用に作成しようという野心があった時期もあったような気がしますが、 もうそんな元気は残っていないので既存CGの使い回しでございます。 BGMの長さに合わせるのがなかなかに手強い作業ですね。 市販されているソフトとかアニメと違って、表示する文言はそんなに大量にはないので、 淡々とクレジットを並べていくだけだと、BGMが余ってしまう。 そりゃあ、表示しようと思えば、今までの人生で関わった人たち全員のお名前を書きたいぐらいではありますが、 それを言い出すとキリがありません。 で、間をもたせるためにBGMに合わせてクレジットの表示のタイミングを引き伸ばしたり、背景画像をアレコレと切り替えたり、 というような心労が予想以上にハードで、今こうして無事にキーボードを叩けているのが不思議なぐらいです。ぜぇはぁぜぇはぁ。 こんなに大変だなんて、「あって当然」だなんてトンデモナイですね。 今後はこの手のソフトのエンディングは涙なしには見られません。 ともかく、そこそこ形になってよかったよかった。 本編を読み終わった直後の「エンディングに到達したぜ!」という実感に寄与できるぐらいのモノにはなっているハズ。 ぜひぜひエンディング目指してガンバッテくださいね〜。エンディングも早送りせずに見てくださいね〜。 それにしても、市販のソフトとかアニメとか映画とかって、OPやEDに、ものすごい大量のお名前が表示されますよね。 なんであんなに関係者が大量にいらっしゃるんでしょう? さすがに個人レベルでは作れないものを作っているのだなぁとは思いつつ、 具体的に何がどうなって、そのように大量の人たちが関わるに至るのかというのが、いま一つよくわかりません。 などと言っては関わってらっしゃる人たちに対して失礼かなとは思いつつ、 世の中の仕組みが未だによくわかりません。 さて、先週のプロローグに続いて、今回エンディングも出来上がって、 これにて前後のラッピングが完了したというわけですね。 あと何が残ってるんでしたっけ? 作業。 イロイロありますよね。 あなたの幸せを願うことと、死ぬことと、あなたの幸せを願うことと、死ぬことと、それから、えーっとえーっと、 イロイロあったハズなんですけど全然思い出せないので、UI回りを整えながら思い出そうかなと思います。 地味に手間のかかる作業の予感。想像しただけで鼻血が止まらなくなりそうです。ドキドキ。 そのあとはいよいよリリース作業ですか。まじですか。なんだか信じられません。 何かトンデモナイことが起きて、まだまだ作業が長引いてしまうような予感がしないこともないのですけど、どうなんですか? 想像しただけで命がいくつあっても足りなくなりそうです。ドキドキ。 それにしても、この世はいつまで続くんかな。 正味の話、もうそろそろ終わる頃なのではないでしょうか。 終わるというか、続けても仕方がないというか。 物理的に滅びるという話ではなく、この世をこの世たらしめている前提が崩れかかっているというか。 たとえば、仮にですが、死んだ人が生き返るようになったら、 そんな世界はもう「この世」ではない。 というようなですね、死んだ人が生き返るレベルとまではいかないにしても、 何か、もっと、さりげないレベルで、しかし着実に、 この世がこの世であるための前提条件が崩れようとしているような気がします。 たとえば「インターネット」ってどうなんでしょうね? 登場以前と以後とで、この世はどのように違うか? 実はあんまり違わないのかな? 相変わらず日常が続くだけ。 なるほど。そうかそうか。 画期的なものだと思われていたハズなのに、実際のところ、相変わらずこの世はこのようだった。 ということは、たとえ死んだ人が生き返るようになったとしても、 やっぱり相変わらずこの世はこのように、ただ、そういうものとして、 日常が続いていくだけなのかもしれません。 「この世の終わり」というのはそういう意味なのですか? いわば、すでに終わっていたというか。 むしろ、最初から終わっていたというべきか。 つまり、「もう、いい加減、このへんで充分じゃないですか」ということです。 これ以上無理に引き伸ばそうとすると、ヘンテコリンなことにしかならない。連載の長引いた漫画の末期みたいな。 少子化が続いていると言います。 原因については「デフレの影響で……」という話もあり、 そうした話によれば、景気を回復させて、子供を育てやすくなって、人口が増えて国力がどうのこうの……、 というような話の流れになるのですけども、 もうなんか、そんなの、どうでもよくないです? これ以上「この世」を続けてどうするんですか? そういう意味で、もう終盤じゃないですか。そろそろこの世の最終回です。 正味の話、そんな気がするんですけど、他のお友達はしてないんでしょうか、そんな気。 さしあたり、今の文明での人類進化は、もうそろそろ、行き着くところまでイっているような気がします。 今後も続けるにしても、舞台を一新することになるのではないでしょうか。何らかの形で。 パソコンはこれ以上高性能になる必要はないし、 人間はこれ以上長生きする必要はないし、 子供はこれ以上生まれてくる必要はない。 最近AIというのが流行っているようですが、仮にそれが今以上に高性能になったとして、 だから何なのでしょう? せいぜい「他者」が増えるだけです。 もういいじゃないですか。 ただ、気にはなります。 結局のところ、この世とは何だったのか? さりげなく過去形で言ってしまいましたけども。 必ず死ぬ存在としての人間がいて、 人間は「私」と「他者」の複数がいて、 「地球」という物理的な閉鎖空間に閉じ込められていて、 どの「人間」もそれぞれの「私」以外の考えや感覚は直接にはわからないことになっていて、 「苦しみ」と「楽しみ」という感覚に突き動かされているということになっていて、 それぞれに生まれて生きて死ぬようになっていて、 そういうものの全体として続いていく「この世」というものがあって、 で、さぁどうなるか? というわけで、すでに大体の結論は見えているのではないでしょうか? これ以上「こういうこと」を続けてもしょうがない。 ただ、そもそも、なんでまた「こういうこと」をすることになっちゃったのか? そこのところが、よくわかりません。 何か重大なことを忘れている気がします。 とりあえず一つだけ確実なのは、あなたが幸せであってくれるといいなぁ、ということです。 というわけで、とりあえず、何はさておき。 今日もあなたが幸せでありますように〜。 ◆ 2019/06/16 したこと: マインドルの残りの作業 学園モノと言えばプロローグ。 よっしゃあ、できたぁ〜〜!! 本当にできたんかな? なんか全然文章が書けなくて、いつものように死にそうになって、 一晩たったら妖精さんがやってくれてましたので、多分、できたってことなのだと思います。ラッキ〜。 完全に説明文というわけではなく、一応ストーリー的なものがあって、 それに沿って駆け足で進めていく感じです。 細かい描写はすっ飛ばして、要所要所でセリフを入れたり入れなかったり。 ちゃんとしたストーリーっぽいバージョンと、あらすじバージョンの2通りを用意しておいて、 冒頭で選択できるようにする、という野望もあったのですが、そんな元気はなさそうです。 しかしこうしてモノができてしまえば、なんだ、これでいいじゃん、 という気分になってくるものですね。妖精さんの魔法はダテじゃない。 本文を読み進めるにあたって、必要な情報は過不足なく詰め込めているハズ。 主人公の背景事情とか主要キャラの紹介とか。 本当に大丈夫なんかな? 一通り作業を終えた後も「あ、アレを書いておかなければ!」と思い出して追加した箇所が多々あったりします。 また思い出すことがあれば追加すればいいじゃない。 じゃなくて、リリースする前に全部思い出さないとイケないんじゃないんですか? 誰か代わりにやってくれないかな。妖精さんとか。 そんなわけで、残りの作業はあと何があるんでしたっけ? 死にそうなので思い出すのが大変ですが、えーっと、 まず、あなたの幸せを願うことと、 あとは、あなたの幸せを願うことと、 それから、あなたの幸せを願うことと、 何かまだ他にあったようななかったような。 それだけですよ。要するに。 この世で生きて、することなんて、あなたの幸せを願うこと以外に一体何があるでしょう? それはさておき、あとはUIの整理と、エンディングですね。 それからチュートリアルなんですけど、 タイトル画面から、「よーしチュートリアルをするぞ!」と自分の意志で決意して選択するチュートリアルは先週完成したわけですが、 そんなふうに自分で「よーしチュートリアルをするぞ!」と自分の意志で決意して選択する、なんてこと、しますかね? 実際。 いやいや、してくださいよ、ってことではあるんですけども、 みなさん、チュートリアルをやらずに、勇ましく本文に突貫しちゃうんじゃないです? 第一話の最初の試合パートの直前にも「やり方覚えてる?」みたいな選択肢をつけて、 チュートリアルができるようにしておかないとイケなかったりするのでしょうか? そこで「いいえ」を選んだら「だから言ったじゃないのぉ!」とか言ってタイトル画面に強制送還でいいのかな? ある意味のバッドエンド。 さて、どうしましょうかね。 あなた方がモノグサだから、この私が苦労するのですよ? 困ったものです。 そこはさしあたり元気があれば、その場でもチュートリアルができるようにするということにするということにしておいて、 ともかく前進しようではありませんか。 次は何をしようかな。あなたの幸せを願おうかな。わくわく。 さて、色々と思うことはあるのですけども。 結局のところ、この世は一体何なのでしょう? それがわからないとどうにもならない。 それがわかったとして、どうなるのか、ということさえ、わからない。 人間が複数いる、ように見える。それぞれに自分の自己意識を持って生きている、ように見える。 私は私のことしかわからず、他の人たちもそれぞれに自分のこと以外はわからない、ように見える。 人が生まれて、生きて、死ぬ、ように見える。 宇宙には星が無数にある、ように見える。 地球はその中の一つである、ように見える。 で、 本当の本当の本当のところ、一体全体、何なのか? 世間にはさまざまな問題がある、ように見える。 私が私なりに考えて「正しい」と思うことを言うと、否定されたり肯定されたりする、ように見える。 それ以上でもそれ以下でもない。 「人によって考え方が違う」などと言いますが、 なんか、もう、「そんなんじゃない」んですよ。 なんか、もう、「そんなんじゃない」もっと異質な何かで、この世は動いている。 おっと、「ように見える」をつけた方がよかったのかな? はい。むしろ、「そう見え」ます。 虚心坦懐に「見る」と、そう「見え」ます。 「正しいことを言えば正しい結果になる」というのは何かの錯覚であると「見え」る。 で、 だから、この世は一体何なのでしょう? 「世の中には様々な人がいる」と言います。 が、 なんか、もう、「そんなんじゃない」んですよ。 実際のところ、本当のところ、 私はこれまでに、一体、何度、「人間と話をした」ことがあったでしょうか? 限りなく全員に近いほとんどが、何か幽霊のようなものだったのではなかったのか? そこに本当に「人間」は「いた」のでしょうか? 本当の本当の本当のところ、 私は一体、「何」と「話をした」のでしょうか? この世に無数に存在する人々の中の、ほんの偶然、私とご縁のあった「人と話をした」、ように見える。 しかし、それは本当の本当の本当に本当なのか? 本当はもっと別の「何か」だったのではないのか? 「人間」は一体どこにいる? 結局、「空気」と話をしていただけなんじゃなかったか? 実際、「一人一人はいい人」のように見える、のですよ。 ただ、それも「空気」の内側での話。 「常識の輪」との距離感次第です。 「一人一人はいい人」などと言いつつ、 本当のところ、他の誰でもない「その人自身」はどう思っているのか? そこのところは絶望的なまでに高確率で宙吊りになる。 で、 「人によって考え方が違う」だとか「いろいろな人がいる」だとか「一人一人はいい人」だとか、 そんな耳ざわりのいいヤワラカイ言葉で押し返されて、 「何やかんや」と「結局」は「全体的」に「そこそこ丸く収ま」って、 まるで何も起きなかった、何も話されなかった、何も聞かれなかった、 かのごとく、 今日も今日とて「この世はこのよう」というダジャレが響く。 で、 「私は一体 "何" と話をしていた」のか? しかしこんなことをまともに言えば、 そんな簡単に本音は話さないだとか、本音を言ってもらえないオマエ(私)が悪いのだ、 などとコンテストを開催されるのが関の山です。 つまり、ドウショウモナイ、ということです。 どこにも「隙間」がない。 このループをほどく結び目がどこかにあるはずだと、いくら探し回っても、同じところを無限ループするばかり。 つまり、ドウショウモナイ、ということです。 「私の "正しさの度合い" が低いことが理由である」という「説」は、ある種の希望ですが、 もはやそのような希望は成立しません。 つまり絶望ということです。 つまりドウショウモナイということです。 だって、そうした「正しさの度合い」を真に受けて、その「度合い」を高めていくと、 行き着く先は「世間の常識そのもの」です。 「私が思ったこと」はドコへ行った? 溶けて見えなくなってしまった。そして一切は相変わらず。 結局、どこをどう突ついても「この世がこのよう」というダジャレは1ミリも動かない。 人間の意志ではドウニモナラナイ得体の知れない何かの手の内。 そういえば先日、外を歩いていて絶望したのでした。 ビルがあったんですよ。 どこにでもありますけどね。ビル。 どうやって建てたんでしょうね? あんなもの、一体どうやったら建つのでしょうね? どこにでもありますけど、そういうものが、どこにでもあるのですよ。このミステリー! 私は建築のこと全然知らないですけど、仮に私が建築の専門技術者だったとしても、 私一人では建てられないでしょう。 街に無数に林立するビルの、ただの1つでさえ、私一人では建てることができないでしょう。 ビルに使われているタイルの一枚でさえ私には作れない。 あれらを建てたのは一体「誰」なのか? あれらを建てたのは一体「何」の意志なのか? 人間の意志ではない。現象としては複数形の「人々」ではあるでしょう。 しかし、その中の、どの、特定の「私」の力でも、あれらのビルの、ただの1つも建てることはできないでしょう。 誰の意志かと言えば、誰の意志でもない。 そのようなものが、街中、いたるところに、林立している。このミステリー! そしてそれはビルに限らないのでした。この世のありとあらゆるものがそうなのでした。 今これを入力しているパソコンだってそうです。 この電子部品! このプラスチックの外装! 「誰か」というような特定の人間が作れるようなものではない。到底ない。 これは、一体全体、何、なのか? 得体の知れない、何か、の意志、に、あたりまえのように、囲まれている。 これは、一体全体、何、なのか? 戦慄するしかない。 ドウニモナラナイ。 一体いつからこの世はこのようだったのか? 大昔にピラミッドを作ったときからこうだったのか? なぜ人間は「複数」なのか? この世は一体全体、本当の本当の本当のところ、何、なのか? いやしかし、実際、どうしようかな。 どうにも、こうにも、わけがわかりません。 どうすればわかることができるのかもわかりません。取りつくシマがないとはまさにこのこと。 このまま一生わからないまま死ぬしかないんかな。 それとも死ねば何かがわかるようにもなるのでしょうか。 どうしようかな。 というわけで、もう何がなんだか、さっぱりわからないわけですが。 もしもそこに、あなたがいるのなら……。 今日もあなたが幸せでありますように。 ◆ 2019/06/08 したこと: マインドルの対戦パート作成 学園モノと言えばチュートリアル。 よーし、できたできた。できたったらできたぜ! すでにできてたやつのキャラとセリフ回しを差し替えるだけ、と見せかけて、 度重なる仕様変更の影響でスクリプトにバグが出まくってました。 でも私は天才プログラマーなので楽勝です。いやぁ天才プログラマーって本当に便利ですね。 どの人にチュートリアルを担当してもらうかは三日三晩滝に打たれて悩みました。 素直に1stヒロイン氏かなという心づもりだったのですけども、 ルートの内容が、あんまり「マインドル」を推奨するようなストーリーというわけではない。 というわけで、敢えて序盤には登場しない人に担当していただくことにしました。 チュートリアル専用キャラと見せかけるフェイント。 もっとさっさと片付くと思ってたのに、なんやかんやと時間がかかってしまう。 お馴染みの同じ道ではありますけども。 今にも死にそうですが、確実に前進はしておりますよ。 さて、次は何をしようかな? あ、一つ、かなり心配だったのが、BGM素材の配布元の先生のサイトが消滅してたらどうしましょう、という件。 何しろ、ここまでくるのに年単位で時間が流れてしまっておりますからね。 失礼ながら一般論としてはそういう可能性もなくはない話。 これまでは精神的に疲れるので敢えて考えないようにして突っ走って参りましたが、 そろそろご挨拶回りを含めて確認しなければなりません。 最悪、BGM素材を全部差し替える覚悟をしつつ、ドキドキしながら配布サイトにアクセス。 結論を言うと、サイトはご健在であらせられました。よかったよかった。 ただ、私が「マインドル」の作業を始めた頃よりも、かなりの人気サイトになっていて、 同じBGMを使った動画やゲームが世間にたくさん存在するようになっている模様。 「あっ、このBGM、○○と同じやつだ〜」率がかなり高くなっていると予想されます。このやろ〜。 素材を使わせてもらう以上、受け入れざるを得ないことではありますけれど。 さらに言えばそもそも「あっ、このキャラ、コミPo!だ〜」ですから、 今更何をという感じでもありますね。ぎゃふん。 一つだけ私にとってラッキーかもしれないのは、 エンディングのBGMとして使わせてもらう予定の曲が現在はサイトに掲載されていないことです。 「公開停止=使用禁止」だったら死ぬほど残念だなぁ、と思っていたのですが、 サーバーの容量の都合で公開曲数を削っているらしく、 ダウンロード済みのものに関しては使用可能という記述があった。やったぜ。 エンディングは曲の長さに合わせて作る必要があるので、 そういう意味でも、使用可能なことが確認できたのは一安心です。 じゃあ次の作業はエンディングかな? うーん。それは難易度が高い感じなのでラスボス扱いかな……。 先にプロローグを片付けてしまってはどうか? それからUIも整えないとイケないのでしたね。意外と面倒な作業な予感がいたします。 あっ、その前に自殺も忘れてはイケませんね。こっちを先に片付けるべきでしょうか。 やりたいことがたくさんあって目移りしてしまいます。どこから手をつけようかな? ワクワク。 ところでBGM素材の件ですが、 一昔前はBGM素材の用途と言えば大体、個人製作ゲームかホームページのBGMでしたが、 最近は動画のBGMという用途が増えてきているのですね。 そういえば最近はブラウザでアクセスした途端にBGMが流れるようなページ、めっきり見なくなりましたね。 それ以前に「個人サイト」なるもの自体、めっきり見なくなってしまいました。 そうした変化の「理由」ということを語ろうとすれば、それなりにイロイロと言えてしまうのでしょうけれど、 これも「空気感」の一種かなという気がいたします。「ハヤリ・スタリ」というか。 ブログでもBGMを流しちゃうお調子者さんがいらしても不思議じゃないと思うのですが、遭遇することはほぼない。 あっ、そうか。HTMLタグが使えないからかな。機能的に。 そういうのが「流行ってる」ということであれば、ブログの機能としてサポートされてそうなものですが、 多分そういうのはそもそも機能として、ない、のでしょうね。 こうなっては自分のサイト(ブログ)で「よーし、BGM鳴らしちゃうゾ!」という発想自体が出てこないのではないか? ならば、かつて、そんな発想は一体どこから出てきていたのか? 多分ですけど、当時はおそらく、初歩的なHTMLの解説本などに、 「少しムズカシイ応用テクニック」のような位置づけで、BGMを鳴らすためのタグが紹介されてたんですよ。多分。 すると、そういう入門書を読んで「よーし、ガンバッてBGM鳴らしちゃうゾ〜!」ってなことにもなりますよね。
懐かしいなぁ
良くも悪くも「型」にハマる。それがブログでありSNSであるということかもしれません。 そもそも機能的自体で言えば「Webサイト>ブログ>SNS」のはずなのに、 一部を不自由にして「こういうふうに使いなさい」というものが増えて「ネットが発達した」ことになる。 それでなくとも、その時代の「ハヤリ・スタリ」に規程もされる。 自由なようで、さほど自由でもない。いつだってトナールの内側か。 自由を削って不自由の型をつくる。 というより、「いかにして自由から逃走するか?」ということが常に世間の目的であるようにも思われます。 世間はいつだって「仕方ない」ものです。 「仕方ない」ものとして作り出され、「仕方ない」ものとして存在し、「仕方ない」ものとして継続するのが世間です。 無限の自由の中に作り出した有限な不自由の島。 いつだって「私にはカンケーない」ものが求められている。 いつだって「私はどうするか」という「選択の主体」こそが「私」であるはずなのに。 なるほど。無限の自由へ漕ぎ出すには不屈の闘士が必要というわけだ。 それにしても、なぜ、そもそも、意識などというものを持ってしまっているのでしょう? そもそも、その、根本のところが、納得できません。 何も存在しなければよかったのに。 悲しいなぁ。悲しすぎる。 死んだ後、意識はどうなるのでしょう? ならば、どうして、わざわざ、苦しまなければならなかったんですか? 本当のところ、一体全体、このすべては、何なんですか? それにしてもドウショウモナイ。 せめて、幸せを願うことができれば、とは思います。 と思った次の瞬間、この世の礎石である「仕方ないデショーガー!」は 「人の不幸を願う」というものでもあるということを思い出すのでした。 やっぱりドウショウモナイ。 ああ。 仕方あるかないかなんて議論に参戦したくはないな。 だって「それ以前」じゃないですか。 一体そもそも何をしているのか。 とりあえず言うだけ言っておこう。 今日もあなたが幸せでありますように〜。 したこと: アのつく根皮粉末10gでのお茶体験レポート アのつくコンフサ挑戦は今回が三回目。 これまでは5gずつでしたが、あまり明確に効いた感じがなく、 どうも量が足りないのではないか、ということで今回は10gです。 結論から言うと、完全に異世界にイケたわけではないものの、(よくも悪くも)効果があったことは明らか。 特に面白かったのは「音」が聴こえたことです。 視覚からクルものとばかり思ってましたので、これは意外でした。 それから、以前デのつくメトルファンでうまくいった白粥メソッドを今回も使用したところ、 そのおかげかどうなのか、あまり激しい吐き気には襲われませんでした。 効果が切れた後も頭痛・吐き気・ふらつき等の後遺症もなく、すっきりと着地できました。 ■ おおまかな展開 ・準備〜投入 ・身体的な不快感〜ゲリ&ゲロ ・酒に酔ったような「ぐでんぐでん」な状態 ・妙な清明感。「音」が聴こえ始める ・緩やかな着地 ゲリ&ゲロ症状が思ったより早い段階で発現し(約1h30後)、同時に瞳孔散大も発生し、効果が出ていることを確信。 しかしその後は「ぐでんぐでん」になるばかりで、幻覚らしい幻覚はナシ。 目を閉じると孔雀の羽のような鮮やかな模様が始終見えていて派手と言えば派手ではあるものの、だから何だと言えばそれまで。 何を見ても可笑しく感じられ、同時に、センチメンタルな観念が浮かび、 「け〜っきょく、こ〜んなモンなのかなぁ? ンだよぉ。しっかし悲しいよなぁ。アハハ。エヘヘ」 などとゴロゴロしながら盛り上がっておりましたが、 ふと思い立って、それまで聴いていたBGMを止めたところから状況が一変。 奇妙な「void感」(「空虚感」や「虚無感」と言うと語弊があるのでvoid感と言ってみました)に包まれ、 「酔い」が覚めるとともに、「音」が聴こえ始める。 直前に聴いていたBGMの残響? いや違う。 聴いたことのあるような、ないような音。 シンセサイザーでディストーションをかけたような、いかにも「異世界的」な音。 というより、シンセサイザーのような楽器は、この「音」を模倣して人間が作ったものなのだと感じる。 大昔の人も特殊な意識状態でこの「音」を聴いていたに違いない。 明確なメロディーはなく、同じフレーズ&リズムが繰り返される。それでいて単調ではない。 「音」で構成された世界がある。 「音」で語られる「意味」がある。 言葉が邪魔だ。 「酔い」は覚めているものの、言語能力が「脱ぎ捨て」られている。 「音」が加速する。スピード感。 ぼわんぼわん ぎゅんぎゅん。 イケる、イケる。 ぎゅおんぎゅおん ぼわぼわ ぎゅおぎゅおーん スピード感、スピード感、 上に、上に、上に、 ぎゅぎゅ〜ぅん しゅおしゅお〜ん 間違いなく、意識が「どこか」に「接続」していると感じる。 このチャンス! そう思って意識を集中してみる。 ぼわんぼわん ぎゅぎゅぎゅん 断続的にそうした「音」に包まれ、イキ切れずに戻ってくる、の繰り返し。 イケそうなのにイキ切れない。 上昇の仕方がわからない! ここから先にイクには「特殊な才能」か「トレーニング」が必要なのだろうか……。 そんなふうにイッたりキタりを繰り返しているうちに、徐々に「こっち側」にいる時間の方が長くなり、 いつしか軟着陸をしておりました。 鏡を見る。瞳孔はもう小さくなっている。 ■ 事前の準備と具体的な手順 3日ほど前から食事制限としてカフェイン系の飲み物と味噌を避けておきました。 ちなみに味噌は単に切らしてただけだったりします。 当日摂取したネタ自体は次の通り。 ・アのつく粉皮粉末10g ・クエン酸10g ・オのつくMAOI錠(300mg) これをA先生のレシピを参考にクッキング。 なお念のためお伝えしておくと、レシピを参考にはしましたが、以下に書いた手順はレシピ通りではありません。 ここに書いたことは "A先生の正確なレシピ情報" ではない、とは明記しておきます。 ア粉は事前にティーバッグに入れてから鍋に投入。(←例えばこれがもうレシピと違う) なお、10gを一つのティーバッグに入れるのは無理があったので2バッグに小分けしました。 さらにいうとバッグは粉が漏れてこないように二重にしたので、都合4バッグ使用です。 ちなみに、このとき手元にあったパックがちょうど残り4枚。 普段から(普通の)お茶を淹れるために常備しているのですが、こんなに減っていたとは思わず。油断大敵。 小分けにするのは計算外だったので、あわやバッグ不足かというところでした。 ギリギリ足りたのは何かのご縁に違いありません。 それからクエン酸10gを計量し、アルミホイルの上に確保。 先生のレシピと比較するとクエン酸は多めですが、入手が難しいものでもないのでケチらずに入れます。 材料を計量した上で、お椀一杯分の水(約500mg。多分)を鍋で沸騰させる。 沸騰したらアのつく粉末入りバッグx2とクエン酸を投入。 細かく言うと、クエン酸を先に入れてかき混ぜてからア粉を入れました。 その方が成分出やすいかな? というおまじない。 ア粉を入れた瞬間、お湯が透き通った銅色に染まる。 そういえばこれって染料なんでしたっけ。飲み物じゃないじゃん! がびーん。 この状態で弱火にし、10分程度放置。 ちなみに時計で10分計るのは野暮なのでDivine Moments Of Truthを聴きながら待ちました。 再生時間約10分。気が利くじゃないですか。 ちょうどサビの部分が流れ始めた頃にア粉特有の工事現場のような匂いが漂い始める。いいねいいね。 が、思ったほど充満しない。 むしろ前回5gでやったときの方がひどいニオイだった気がします。 もしや賞味期限が切れてるのではあるまいな? そんなのあるのかな? 曲の終了後、心配しつつ火を止めにいく。見た目、あんまり色が濃くなってない。鍋の底が見えるほどの透明感。 ティーバッグに詰めたのはマズかったかな? 念のため箸でバッグをつついてモワモワと成分を出しつつ、鍋にフタをして放置。 レシピに従い、この状態で一晩寝かせます。 レシピによると時間がなければ寝かせなくてもいいとのことだったので前回は寝かせずに即座に飲んだのですが、 今回は面倒がらずに寝かせてみることにしました。 だったら後でコーヒーフィルターで濾す手間も面倒がらず、ティーバッグに入れずに煮出した方がよかったのかな? 紅茶だってバッグから出して煮出す方がよく出るらしいですからね。気分の問題だろうと思っていたのですが実際どうなのか? ともかく今回はこのまま突っ走ることにする。 ぐっすり眠って一晩後。 フタを開けて見ると、そこにはドロドロに濁った液体が……、 などということはなく、火を止める直前とあまり変わらない色合いの冷たい汁があるだけでした。 本当にちゃんと抽出できてるのかな……? ニオイもあんまりしないぞ。 ちなみに前回一晩寝かさなかったのは、このニオイが充満する部屋で一晩過ごすのがイヤだったから、という理由もあります。 が、今回は分量を増やしたにも拘らずニオイがあんまりしない。 これは一体どういうわけなのか? やはり賞味期限切れなのか? ちなみに約半年前に50gで購入したもの。だってそんな頻繁に使うもんじゃないじゃん。お早めにと言われても困りますからね? 心配しつつ液体をお椀に移し、手でバッグを思いっきり絞って最後の一滴まで、カラカラになるまで搾り切りましたよ。 ■ 【摂取】MAOI → 白粥 → 茶 「さぁやるぞ!」と決心し、包丁で半分に割ったオ錠(300mg÷2=150mg)を水で摂取。 同時にレトルトの白粥を温めて、約10分後にお食事。 さらに10分ほど待機し、白粥で胃が動き出すのを待つとともに、MAOIで異常が出ないことを確認。 なお、起床後、他には何も食べてません。 決行の時が近づくにつれ、イヤだなぁ、ヤメておこうか? という気持ちが強まってくる。 でも前々からヤルと決めてたのだからヤルのです。遊びじゃねぇんだよ遊びじゃ。 もう一度「さぁやるぞ!」と決心し、残り半分のオ錠を粉にしてお茶に溶かし込み、 さらにもう一度「さぁやるぞ!」と決心しなおして、お椀を両手に持って、お茶をぐいっと一気飲み。 まっずぅいぃぃぃ。 やはり口に入れると強烈。喉ごし激烈。 ア某特有の工事現場のようなニオイにクエン酸の酸味が加わって、まさにゲロの味。しかもめっちゃ渋い! オェェ。すぐに口をゆすぐ。息をすると喉の奥からゲロのニオイが。オェェ。 ともかく飲んだぜ! だが本番はこれから。の、はず。 ■ 白粥メソッドについて メソッドというほどのものでもなく、単に直前に白粥(だけ)を食べておく、というだけですが、 目的は2つ。 ・胃壁の保護 ・胃の動きを活発にしておいて、ブツの吸収を促進する もともとデのつくメトルファンの摂取方法として情報が出ていた手法です。 デ某(というか臭化水素酸)は非常に刺激が強い物質ですので、空腹の状態で胃に入れるのは危険と言われております。 そこで何か無難なものを胃に入れておこう、ということです。 実際、空腹の状態で飲むと早い段階で吐いてしまいますからね。胃も心配ですが、物質もモッタイナイ。 ア某で吐くのもタンニンが胃壁を刺激することが原因の1つらしいので、胃壁を保護する意味はあるはず。 また、完全に空腹にしておくよりも少し物を入れておいた方が胃が活発になるようですので、 ブツをさっさと腸に送り出してしまうためにも、物質を問わず有効な施策であるはず。 今回の結果はと言うと、 結局吐くことは吐いたものの、以前ほど強烈な腹部不快感はなく、 「完全にキマる前に念のため少し吐いておこうかな?」 という余裕を持って気持ちよく吐くことができました。いや別に気持ちよくはないですけども。 さらに、早い段階でゲリが出ました。液体に近い水ゲリがじゃばっと。 お腹を壊したという感じでもないので、おそらくセロトニン絡みでの下痢だと思われます。 なぜお腹を壊したという感じではないと言えるかと言いますと、 お腹がゴロゴロするわけでもなく、一度出してしまえばそれっきりだからです。 こういう反応が出るということは、つまり、物質の吸収が促進された結果、と考えてよいのではないでしょうか。多分。 ちなみにトイレには間に合いました。よかったよかった。 でもセロトニンが増えるのってDのつくトリプタミンの効果なんでしたっけ? むしろMAOI? これまでにMAOI単体で実験したときに下痢が出たことはなかったので、 単にお腹を壊したのでないならば、ア某側の何らかの効果の一環なのではないか、とは思います。 実際どうなのでしょう? 要調査ですね。今後の課題とします。 ■ 時系列に沿って 以下、体験中にメモっておいたものを素材とした、時系列順の記述です。 適宜修正と再構成をしておりますが、「トビっぷり」をお伝えするために敢えて乱れた表記のまま残した箇所もあります。 ご了承の上、お楽しみいただければハッピーでございます。 ・摂取直後(セッティング) トイレのドアは開けっ放しにしておく。電気もつけっぱなしにしておく。 食料のパンを袋から出して、食べやすいサイズにちぎって、キッチンペーパーの上に並べておく。 なお、このパンは事前の人体実験でMAOIとの食べ合わせの問題がないことを確認済の商品です。 ハサミ等の危険物をキ○ガイの手の届かないところに片付けておく。 枕元にゲロ袋を用意。 経過時間を確認するためのタイマーを兼ねてパソコンで長時間のホワイトノイズを再生しておく。 時計は見たくないので見ません。 耳栓をした上でイヤホンでBGMを聴く。ネットもオフにして外界から遮断。 アイマスクをして静かに待機。 ・〜30分 変化なし。CEV(閉眼幻覚)がやや派手か? 小用のためトイレに移動。足元および全体的にやや「ふわふわ」。 瞳孔に変化なし。軽い吐き気。気のせい? 手を洗っているとき、足元の感覚が覚束ない感じ。 部屋に戻ってアイマスク再装着。 スクリーンセーバーのようなCEV。常に「動いている」感じ。 あくびが出る。やたら出る。 ・40分 あきらかにCEVが派手 何か物語がついている。 孔雀の羽のような巨大な光に被われた空の下に老人が一人いる とにかく孔雀の羽のような模様が見えまくる。 緑や赤の斑点に被われた通路。奥へ奥へと滑りながら進んでいくような映像。 徐々に下腹部に不快感が込み上げてくる。 気持ち悪い。 BGMに合わせて鼻歌。フフンフ〜ン。気が紛れる。 ・1h〜 体に力が入らない。ような気がする。いつものこと?(※物質の効果ではなく、という意味) 気持ち悪い。ダルい。キツい。 ああ、やっぱりこんなことするんじゃなかったなぁ。 早く終わってくれないかな。もう二度としないぞ……。いや、多分またするんだろうけど……。 ひたすらBGMに合わせて鼻歌を唄って耐える。 ・1h14 怪しいオナラが出始める。本格的にキマってくる前に出す物を出してしまおう。 足元がふわふわしている。気をつけながらトイレに移動。盛大な水ゲリが出る。 鏡で瞳孔を確認。 出す直前は通常の大きさだったのに、 出した後に手を洗いながら鏡を見ると黒目の70%ぐらいのサイズに開いてた。いいねいいね。 物質の効果が出ていることを確信し、意気揚々とフラフラしながら部屋に戻る。 ・1h30 下からは出す物を出したものの、今度は上から出そうな気配。 まだこんな時間なのに、今吐くのはもったいないなぁ。 そう思いつつ、すでにこの時点まででずいぶん我慢している。 抵抗しない方がいいかな? 正気が残っているうちに吐いてしまった方が安全であろうとは思う。 トイレに移動して吐く。 出るのは茶色いものが混じった白粥。やはりまだ未消化か。もったいなかったかな? しかし吐くということは効いているということ。 鏡を見ると瞳孔全開。よしよし。 出すものは出した。よし! ここからが本番! 不快感は完全には消えていないものの、これ以上出るものが漏れる心配はないハズ。 安心して効果に身を委ねましょう。 落ち着かない。それでいて身を起こしてもいられない。 布団の上でゴロゴロ。BGMで鼻歌を唄いながら、両手をひらひらさせて踊る。 苦しい。鼻歌と踊りで気を紛らわす。 日本に住んでるハイテクな私はこうして簡単にBGMを聴けますが、アマゾンの現地ではそうもいかないのではないか。 イカロのような素朴なものでも、あるとないとでは大違いなのだろうな。 以前動画で見た厳しくも優しそうなシャーマンの顔が思い浮かぶ。 ・1h46 え?まだそれしか時間たってないの? キツイ。長い。いつまで続くんだ。 目を閉じれば孔雀の羽のようなビジュアルが踊るものの、だから何だという感じ。 量を増やしたのに、結局こんなもんなのか。うーん。 他のユーザーのみなさんはどんなものを見てらっしゃるのだろう? 「こんなもん」ってことはないと思うのですが……。 やけにセンチメンタルな想念が思い浮かぶ。前々回同様。 やがて身体的な不快感は落ち着いてくる。 ------------- このへんから酒に酔ったように「ぐでんぐでん」になり、しばらくメモが途絶えます。 ひたすらセンチメンタルな想念が脳裏を駆け巡る。 それでいて上機嫌。「ぐでんぐでん」な状態でケタケタと笑いながらブツブツと独り言を言い続ける。 完全に酔っ払いです。 ------------- ・2h35 「ぐでんぐでん」ではある。確かに。 つまり効果は出ている。確実に。 だから何? と言ってしまえば、それもまたその通り。 結局「こんなもん」なのかなぁ。神秘的でもなんでもないじゃないか。 ・2h44 窓のそとをみる 雲がきれい。こんなに綺麗なのだから、雲の上に天上の文明がある、なんて考えが浮かぶのも道理。 しかしその下には苦しみの浮世があるのでしょうか。 優雅な霊的搾取者たちと、彼らを支える物質的人間。 空を綺麗と感じる理由がそんなものへの憧れだなんて。悲しい。悲しい。悲しい。 ・2h54 相変わらず「ぐでんぐでん」 こんなもんなの?しかし。 いやしかしぜんっぜん時間たってねぇのね。 ふとめにはいるまどのそとのくもがきれい うはー、これまた。 こりゃあおがみたくもなるわ。(※ちょうど夕暮れ時で、片側が桃色に染まった雲が大変に美しかったです) ・3h22 GBMとめてみる(※BGM) うわ。void 上等上等。 聴こえる(※前述の謎の電子音) ぼわんぼわん kotobaga じゃま ぼわぼわ ぎゅんぎゅん すピードカン ・4h 小用。トイレに移動。 鏡見る。瞳孔閉じかけ?これまでか。。。 しかし流した後、見ると、また開いている。よっしゃ! ・4h28 時間の流れ。こんなもんか? ぼわんぼわん ぎゅおんぎゅおん ・4h35 遅い。 ぼわんぼわん ぎゅおんぎゅおん ・4h48 え? まだこんな? まじで? のどがかわいた。洗面所で一口だけ。 その前後、瞳孔確認。閉じてる? これまでか、、、 しかし飲んだ後、開いている。これは。。。? ふらつきは収まってきてはいるものの、まだある ・5h00 よし! 食べよう。がまんしてた。 ロールパン1.5個。 食後、ハミガキ時、瞳孔開いている。もう驚かない。 どうやら、なんというか「カラダ的なこと」をすると開くらしい。ゲロとかうんことか水飲むとか ・5h12 食後。少しすっきり。さて。 ・5h27 大学生の頃の夢。夏の帰省中、遅れて放送されていたアニメを観ていた記憶。 そのアニメは当時わりと流行ってたはずのものですが、今思うと放送期間は2クールで半年ほど。 たったそれだけだったのか。 その後も止むことなくコンテンツは量産される。埋もれていく。 一つ一つのものを作るためにどれほどの労力が費やされていたことだろう? それでもただ埋もれていく。 あなたの夢は叶いましたか? どうすればいいんだろう? 悲しいなぁ。 それを観ていた当時の私も、傍目には何もしていないのと同じ。 意識はあるのに意味がない。 どうすればいいんだろう? 悲しいなぁ。 …………。 ……ん? 今ぶっとんでた? いや、寝てただけ? 「ここ」は何なのか? 見慣れた部屋の天井に生々しい現実感と空虚感が折り重なる。 どこも同じ。いつも同じ。 やはり悲しいじゃないか。 人に意識があるなんて。 そうだろうか? あるいは。。。 だって人には意識があるのだから。。。 聴こえる ぼわぼわ ぎゅんぎゅん センチメンタウr 異世界の音。 秘密を知りたい。 「なんだそうだったのか」と思えるような、ちょっとだけ込み入った秘密があるんじゃないの? なんで宇宙に意識をもった生き物がいるんですか? 上に、上に、 ぎゅぎゅぎゅーん ぼわぼわぼわ ひゅひゅーん しょしょーん ああ、届かない。届かない! ・5h45 15分しかたってないのか。。。 すごい長時間トンでた気がするのに。 小用へ 瞳孔縮小傾向 ・6h00 MAOIの半減期。 やっと。ながかった。明らかに長かった。「すぎてみればあっというま」などでは断じてない。 瞳孔。まだ平常運転はないものの、明らかに縮小傾向。 ふらつき、まだ残っている。 人間の可能性は広大である、という。 「なぜこうなのか?」という問いは無駄なのでしょうか? ただ探検せよ、と言う。それはワクワクすることでしょうか? ・7h すでにかなりシラフ。 もう今日はおしまいかなと思い、ネットをつなげて動画を観る。 すんごい長く感じる。つまらないわけではないのに。え? まだ10分しか経ってない? とかなんとか。もはやお約束の感。 もういい加減効果は抜けてると思ったのですが。。。 YouTubeの動画のすべてに再生回数が表示されていることについて、 普段は「G社め! わざわざ競争心煽りやがって。ケッ!」と思うところですが、 このときは「これもわかりやすい参考情報を沿えておこうというG社の親切心なのかな」という気がする。 今日ぐらいはお茶に免じてそう思っておいてやりますよ。参ったかコノヤロ〜。 ・7h30 お食事。 さっきは少ししか食べなかったロールパンの残りをガツガツ。 ふらついていても食べやすいようにと事前に袋から出してキッチンペーパーの上に並べておいたため、 乾いて固くなっている。しかし、これが妙にウマい。サクサク。今度から敢えてこうして食べようかと思うほど。 ああ、ウマいなぁ。 なんだか穏やかな気分。 セロトニンが出てるのかな? もう「音」は聴こえず、孔雀の羽のような模様も見えない。 身体的な不快感もない。 今回はここまでか……。 が、BGMに合わせて鼻歌を唄ってみると非常に気持ちがいい。なんだ、気持ちいいじゃないか〜。うふふのふ。 ■ まとめと反省と今後 結局、効果があったのかどうか? あったかどうかで言えば、確実にありました。 前半の「ぐでんぐでんモード」と後半の「音の世界モード」。 どちららも過去に5gで2回試したときにはなかった効果ですので、10gに増やした成果があったと言っていいでしょう。 ただ、「こういうもん」なのかどうか、というのがよくわかりません。 特に後半の「音の世界モード」は今までにネットの情報を見てきた限りでは、同じような報告はありませんでした。 大抵は視覚的な報告が多いようです。自分の手が変なふうに見えたとか、幾何学模様が見えたとか。 深い体験ではハイパースペースにイったというものがありますが、 これもどちらかと言えば視覚から来るものではないかという気がいたします。 前半見えていたCEVで「孔雀模様の回廊」の先へイケるかと思ったのですが、単に「派手な模様」で終わってしまったようです。 体験内容についてのネットの情報って、多いようで、実際はそうでもなかったりします。 断片的な証言はあっても、まとまったレポートとなると、そう多くもありません。 特に日本語の情報は少ないですね。 海外の情報だと、違法系の薬物とチャンポンした、とかいう話が多くて、いまいち参考にできなかったりします。 実際のところ、みなさんどんな体験してらっしゃるのでしょう? 「ぐでんぐでん」と「センチメンタルな気分」は、もしかすると「大体そんなもん」なのかもしれません。 よく「反省モード」という言葉を目にします。 物質がもたらすセンチメンタルな想念の中で、何か「イイハナシ」として観念をまとめ上げて「納得」する(してしまう)、 という体験の在り様というものは、(こう言っては失礼かもしれませんが)わりと 「よくあるケース」なのではないかなという気がいたします。 しかし、それでは酒に酔ってスナックの女将さんに慰められてるのとあんまり違わないようで、ちょっと面白味がありません。 言い方は悪いですが、気分の上では「神秘的」に盛り上がりつつも、 中身を冷静に見れば結局世間の常識への順応を説いているだけ、というパターンは、わりと「ありがち」な気がします。 別にそれ自体はそれでもいいんですけども、「もっとすごい」のがあるんじゃないのか? もちろんこうしたことの体験というものは人それぞれですので、 人の体験を批判するつもりなんてほんのちょっぴりしかないのですが、 ただ、私が期待しているのは、もっと何か、この世的な文脈をさらに大きく「超えて含む」ような何か、です。秘密を知りたい。 あるいは、そんな「ありもしないもの」を求めて過度な期待をするというのも、これまた「よくあるケース」でしょうか。 しかし実際、もっと先があると思うんですよねぇ。 エルフとか宇宙人とか出てくるんじゃなかったの? 聞きたいことがあるのに。 それは「お茶」ではなくD某プタミン単体じゃないと無理なのでしょうか。 しかし単離は違法。法律は守らねばなりません。おっ、なるほどそうか、やつらは法に守られているのか〜。ちくしょ〜。 後半の「音の世界」は今後も追求していきたいところです。 それ以前に、再現性があるものなのかどうかさえ不明なわけですが、 BGMを止めたことがキッカケだったようですので、次回はもう少し早めに止めてみようかな。 最初からBGMナシだと、序盤の苦しい期間を耐えきれる気がしません。 ただ、BGMには外界の音を遮断するという意味合いもあるので、止めるのは心配でもあります。 せっかくのトリップが、拡声器騒音で台無しになるのは相当イヤですからね。今回は運がよかった。 いい感じのホワイトノイズでも見繕っておくといいのかな。何かあるといいのですが。 ちなみにお伝えしておくと、もちろん耳栓は装着してました(シリコンタイプ)。 例の「void感」は耳栓の効果でもあるのかもしれません。 それから、今後また同じ場所にイクことが出来たとして、その先に進むにはどうすればいいのか? 単に物質の量を増やせばいいのか、それとも何かコツがあるのか。 慣れてくると少ない分量でもトベる、というような情報もあった気がします。 闇雲に繰り返しても仕方がないのかな。具体的にどうすればいいのか。 というか、今はちょっと、また同じことをする気にはなれません。 あのゲロマズイのをまた飲むのもイヤだし、序盤のキツイのをまた通過するのもしんどい。 しかし再挑戦の必要はある。あの先へイカねばならぬ。 さしあたりは情報を集めつつ、期間を置いて出なおす、という感じですね。 ではまた。 今日もあなたが幸せでありますように〜。 ◆ 2019/06/01 したこと: マインドルの対戦パート作成 学園モノと言えば次の一手問題。 できました。ついにできましたよ〜。 適当に一問作るだけなのだから、ここまで作業を進めてきたこの私の手にかかれば楽勝! と思っていたのに、こんなに苦労するとは思いませんでした。 死ぬほど苦労したのに、結局死ねないとは思いませんでした。 いや、わりと思ってましたけどね。お馴染みの同じ道。 どちらの選択肢を選んでも、後は分かれ道なしの一直線で勝負がついてしまう、と思います。 全宇宙で最もマインドルに詳しい私が言うのだから間違いありません。 できれば「実戦からの出題」にしたかったのですが、 コンピューターと対戦を繰り返しても、なかなか「ここから出題だ!」という局面が見出せず、 結局、人工的に作った局面です。 よく見ると「なぜこうなった?」という箇所が少々あるのですが、 全宇宙で最もマインドルに詳しい私以外は誰も気付かないでしょうから問題なしです。 ともかく今は「完成!」と言い張れる状態を目指して、後回しにしていた「穴」を埋めることが先決。 何なら後で差し替えればいいじゃないですか、ということで、今は振り返らずに突っ走りますよ。 で、その「穴」ですけど、後は何が残っているのでしたっけ? 実はもうあらかた埋まったのではないのでしょうか? とりあえずこれで対戦イベントは一応全部片付いたのですよね? バランス調整は無視として。無視なのかよ。 はい。バランス調整はさておき、これで一応、対戦イベントのパートも含めて、 本文自体はすべて「埋まった」のではないでしょうか? そう言われればそんな気もします。 おお、めでたいではありませんか。そう言われればそんな気もします。 よーし、めでたい気がするぞ! わーいーわーい、という気がするぞ! じゃあ実際、後は何が残ってるんでしたっけ? まずは自殺ですよね。はい。 自殺以外で言うと、プロローグと、エンディングのムービー的なものと、チュートリアルと、 あとはUI回りを整えておきたい。 現状、右クリックしたときのメニューがこんな状態ですからね。 右クリックメニューって項目としては何が必要なんでしたっけ? イロイロ必要な機能があった気がしつつ、結局今までこのまんま来てしまってます。 てことは、こんなもんでいいんじゃないですか? マジですか? 別に「機能が豊富」じゃなくてもヨイではないですかということで。 見た目はもうちょっと整えましょうかね。 これではいかにも「作りかけ」な感じなので、そこだけは誤魔化そう。誤魔化すのかよ。 プロローグはどうしようかな。 あらすじだけでいいか。いいですよね? マジですか。どんどん手抜き街道ですね。 要はですね、本文を読み始めるにあたってのですね、「そもそもなぜこうなったか?」という情報ということです。 前提条件として知っておいて欲しい情報、が伝わればそれでいい。 そういう情報を、説明的にならないように、気の利いた小エピソードを一つ……と考えてたんですが、 だったらもう、割り切って「説明!」でいいんじゃないの? そう言われればそんな気がするじゃないかってやつです。悟りを開いたってやつです。エピソード仕立てにするなど煩悩! チュートリアルは実は大昔にスクリプトエンジンの動作確認を兼ねて、 キャラクターなんとか機のキャラで作ったものがあったりします。 このバージョンのものは多分このままお蔵入りになりそうですので、せめてSSぐらい貼っておこうではありませんか。 じゃあ、これの立ち絵とセリフ回しを差し替えて完成ということにしょうかな。よし、そうしましょう。 目処が立った気がするぞ! めでたい気がするぞ! 問題はエンディングのムービー的なものだ。 どうしようかな。 ちなみに、なぜ「的なもの」という言い方を執拗に続けているのかと言うと、 ガチで「ムービーぃぃ!!」なモノにするのは手に余るので、現状のスクリプトの機能で実現可能なお手軽な何か、 という形で間に合わせられないかなと考えているからです。 ええっと……? エンディングのBGMが流れてて……? 適度なタイミングで背景画像が切り替わりつつ、素材提供元の先生方のクレジットを表示……? という感じでいいのでしょうか? こういうノベル的なもののエンディングって、どういうふうにするものなのでしょう? よくわかりませんが、私は天才なので何とかなってしまうのでしょう。天才って本当に便利ですね。しみじみ。 それにしても疲れました。 少し休みたい。56億7千万年ほど休みたい。弥勒先輩、来るの遅すぎ。待ちくたびれたとはまさにこのこと。 しかし正味の話、56億年も経ったら地球はなくなってるんじゃないでしょうか? というか現在の地球の年齢って、科学的には一応、大体46億年ってことになってるんでしたっけ? それよりもさらに長いってことですよね。 惑星が誕生して、単細胞生物が発生して、知的?生命体が地表全土に広がるまでの時間よりも長い。 あるいは、その頃に「救ってあげますよ」として想定されている「衆生」と比較すると、 現在の我々は単細胞生物以下の「お話にならない」レベルってことなのでしょうか。 なるほど。弥勒先輩だって来る気しないわけですね。「地球? まだ "何もいない" じゃーん」とかなんとか。 > しかし正味の話、56億年も経ったら地球はなくなってるんじゃないでしょうか? 地球はさておき、人類に限って言えば、あと10年だって怪しい。 10年は言い過ぎかな? じゃあ11年。干支は今年を含めてあと一周で終わりです。がびーん。 > なるほど。弥勒先輩だって来る気しないわけですね。「地球? まだ "何もいない" じゃーん」とかなんとか。 ところがドッコイ、我々は「いる」わけです。 弥勒先輩のような未熟者にはわからないかもしれませんが、 我々は、確実に、こうして、「いる」わけです。 その程度のこともわからんヨソ者の菩薩なんてお呼びじゃない。 黙っておとなしく「救わせて」やる必要なんて1ミリもありません。 我々は我々で我々の未来を切り開いていこうではありませんか。 人間の人間による人間のための世界を! とは言うものの。 実際、このままでは、ちょっと無理かな〜、って気はします。 あまりに「ドウショウモナイ」。 あまりに救いがたい。さしもの弥勒先輩だって無理なんじゃないですか? 救えるもんなら救ってみろってんだ。 ああ、なんだかんだと言い訳して「ちょっと待ってくれませんかねぇ、56億年ほど……」とか言ってるのは 怖気づいたってことなのですね。 いやいや、わかりますよ。だって見るからに「ドウショウモナイ」ですもんね。 これで救えとか言われても、おいおい勘弁してくれよ〜、って感じですよね。 先輩のお気持ちはよーくわかります。皆まで言うな。 何が「ドウショウモナイ」かと言えば、 そもそも、当事者自身、「どうにかしよう」という気がないってところが「ドウショウモナイ」。 わざわざ苦しいことをして、他人にも苦しみを押し付けて、巻き込み、巻き込まれ、 楽じゃないねぇ、楽じゃねぇだろ? わっしょいわっしょい! などと不幸フェスティバルにウツツを抜かしてばかり。 今ここに弥勒先輩が来たら、「空気が読めないやつ」として袋叩きになるに違いありません。 そりゃ、落ち着くまでしばらく放っておこうってことになりますよね。56億年ほど……。 さて。 実際どうしたものかな。 弥勒先輩はアテにできないとして、実際、どうしたものかな。 我々自身で何とかするとか言って、実際、どうしたものかな。 生まれてくるということは苦しんで死ぬということです。 そもそもの始まりから、ここは呪われた世界です。 これは「考え」ではなく、端的な「事実」です。 それを承知の上で、実際、どうしたものかな。 いや、むしろ、それが承知されてないことこそが、現前する諸問題の直接的契機なのではないのですか? まずはそこを承知してからが出発点であるはずなのに。 しかし承知していない人に向けて「承知せよ」と言って「ガッテン承知!」などということにはならないのもまた道理。 多くは「目を逸らす」か「行き止まりだと思ってふて腐れる」かのどちらかです。 最悪のことなら既に起きてしまった。 すべてを承知の上で、惑わされることなく、目を開けて、進んでいくことが、できないはずはないと思うのですが。 不屈の闘志で心ある踊りを。 そんなに難しいことじゃないでしょう? と思うと同時に、 無茶振りにもほどがある、とも思う。 人を救おうだなんておこがましい、と誰かが言う。 それはその通り。しかしそんなのは悪魔の声だ。闘志を挫いて甘えさせる悪魔の声だ。 だって、私たちの願いは、そんなことでは、ないでしょう? あえて私「たち」と言いました。 一体いつから、ここは「地球」だったのか? 一体いつから、この世はこのようだったのか? もちろんダジャレです。 さしあたり私にできるのは心温まるダジャレを申し上げることと、あなたの幸せを願うことだけです。 今日もあなたが幸せでありますように。 ◆ 2019/05/25 したこと: マインドルの対戦パート作成 学園モノと言えば棋譜再生モード。 今週は次の一手問題を作成するハズだったのに、なぜか棋譜再生モードが出来上がってました。不思議なこともあるものです。 適当に1問作るだけだから楽勝だぜ! という予定で、 コンピューターと対戦しながら問題を考えてたのですが、なかなか思いつかず、 片手間に棋譜再生モードを整えているうちに、いつの間にか一週間経過してました。恐ろしいこともあるものです。 棋譜再生モードの機能自体はわりと早い段階で実装はしてあったのですけど、 UIが後回しになっていたり、その他の部分をイジっているうちにバグが出るようになったりしていたので、 この際だからやっつけておいたというわけです。 それはそれでいいのですけども、次の一手問題が思ったより強敵なのでビックリです。このまま心臓が止まって死ねたらどんなにいいでしょう。 ともあれ、棋譜再生モードが整ったことですし、どうにかするしかありません。 私がどうにかするしかない。 なぜならOSをアップグレードしてセキュリティが完璧になってしまった以上、 私の代わりに親切な誰かにパソコンを操って作業してもらうことは不可能。セキュリティめ〜。 ちなみにその件について少々愚痴を言わせてもらうと、 未だに使い勝手に微妙な違和感があって、前の方がよかったなぁ〜、などと言っているうちに一週間経過です。恐ろしいこともあるものです。 今まで出来なかったことが出来るようになったということは特にないのに、 今まで出来ていたのに出来なくなったことならいくらでもある。 新しいバージョンなりのやり方、というものがあるのだろうとは思いつつ。 そもそもなんでバージョンを更新しなければならんのか、という疑問は残ります。 これに限らずパソコン関係全般についてですが、なんで更新を続けないとイケないんでしょうね? ハッキリ言わなくても進歩なんてもう頭打ちです。こんなもんで充分じゃないですか。 しかし立ち止まることは許されない。 一つはよく言われるように「セキュリティ」ってやつですよね。 それを言われると泣く子も黙るしかありません。 それから、内部で使われている他のプログラム各種が更新されているから、 それに合わせて更新しないわけにはいかない、という事情もあるように思われます。 「古くなる」のはなぜかと言えば、「周囲の他のソフトが更新されているから」です。 だから、みんなで一斉に「もうこれ以上更新しない!」と決めて立ち止まれば立ち止まれるハズなのですが、 つまり、みんなで一斉に「もうこれ以上更新しない!」と決めない限り立ち止まることは不可能、ということです。 他人が動くから私も動きを止められない。 人間は欲深い、というフレーズは見事な迷信で、 全員バラバラに動き続けているから、他人とのズレを埋めるために、誰もが動きを止められない、 というのが実際のところと言えるでしょう。 やはり、コトの発端は人間が「一人の自己と複数の他者」という形式になったという時点に遡る。 こういう存在の形式をとり続ける限り、同じことの繰り返しとならざるをえません。もうヤダ。 そんな中、今回、唯一確実によくなったと断言できるのは、SSDにしたことで動作が軽快になったことです。 全般的にキビキビしますね。素晴らしい。 今まではちょっと大きめのソフトだと起動するのに数十秒、なんてこともザラでしたが、 大体どんなソフトでも「しゅるっ!」と立ち上がるようになりました。素晴らしい。快適とはまさにこのこと。 SATA 6G対応なのに最初はSATA 3Gのポートに差し込んでて「あんまり速くないなぁ〜」などと思っていたのもお約束です。 進歩は頭打ち、などと言いましたが、進歩しているところはしているということでしょうか。 と、見せかけて、こういうのが普及すれば、今度は、 こういう速度で動くということをアテにしてソフトウェアが製作されるようになっちゃうんでしょ? 「普及」とは何が「普及」するのかと言えば、え? HDDなんか使ってるの? じゃあ遅くってもしょうがないよね〜、 などというシャラくさい態度が「普及」するということに他なりません。 こういうものが出てきた、このタイミングで、ソフトウェアの側が一斉に立ち止まってくれるならいいのですが、 そんな協力的な態度は期待できないのでしょうね。悲しいことです。 ウィルスの作成者があの手この手でウィルスを進化させるから、OSの側もセキュリティを更新せねばならない。 ソフトウェアがあの手この手で更新をヤメようとしないから、ハードウェアを新調せねばならない。 みんなで一斉に動きを止めるしかないではありませんか。コノヤロ〜。 時間の流れとは他人との差分のことなのでした。 つまり結局、この世はこのようである(ダジャレ)、ということなのでした。悲しいことです。 > しかし立ち止まることは許されない。 ちなみに、経済の観点から言うと、お金の仕組みも関連しているということになりそうですね。 経済活動はお金を介して行われるわけですが、 お金というものは使っても消えてなくなるわけではなく、相手のものになるだけなのであり、 全体的な数字の総量は変わりません。誰かの支出は誰かの収入、というやつですね。 お金は人から人へ移動している。ではその源流まで遡るとどこに行き着くかと言えば、 銀行からの借金です。 模式的に言えば、 「企業が銀行から融資を受けて従業員を雇って給料として支払う」 というやつですね。 労働で賃金をもらうのは「お金の発行」ではない。 労働者が労働して賃金をもらっても、雇用主の財布から自分の財布に所持金が移動するだけなのであって、 世の中のお金の総量が増えるわけではない。 世の中のお金の総量が増えるのは、「誰かが銀行から借金をしたとき」ですね。 お金はすべて元を正せば必ず誰かの借金ですので、 したがって、世の中にあるプラスの金額とマイナスの借金は常に同額……、と見せかけて、 借金には金利がつくので、借金の方が常に多い。しかも時間とともに膨らむ。 借金は返さなければならない。 返すためには経済活動を通して世の中からお金をかき集めなければならない。 そうして集めたお金も、元を正せば同じく誰かの借金なので、 その誰かは、また別の誰かから同額+利息分の額を集めて返済しなければならない。 そうして集めるお金もまた別の誰かの借金で生み出されたお金なのであり以下無限ループ。 しかも「誰かが返すべき金額」は利息を上乗せする分、ループを回せば回すほど増え続ける一方です。 さらに言えば、全額を返し切るために必要なだけの金額は世の中に存在しない。 常に私たちの中の誰かが返済に追われている。 つまり利息つきの借金としてお金が世の中に生み出されているというお金の仕組みがある限り、 経済活動を止めることはできない、ということになります。 「こんなもんでいいじゃん、もうヤメにしようよ」ということが許されない。利息がある限り。 個人的にはうまく帳尻を合わせて逃げ切ることは可能だとしても、それは結局、その分を別の人に押し付けていることになります。 椅子取りゲームが終わらない。 世間は立ち止まれない。 しかもその動力が「借金返済」というプレッシャーだと言うのがまた「手が込んでる」じゃないですか。 この世は不幸で回っている。 なぜこんな呪いをかけているのでしょう? オカルトでもなんでもない。実際に呪いがかかってます。 なんでこんなことになっちゃてるんでしょう? 単なる経済の問題というよりも、もっと得体の知れないドウショウモナイ何かが作用しているように思われてなりません。 > しかもその動力が「借金返済」というプレッシャーだと言うのがまた「手が込んでる」じゃないですか。 > この世は不幸で回っている。 そういえば、人を動かすには不安や恐怖を煽るのが効率的、という話があったような気がします。 「お得ですよ!」などというのも不安の裏返し。余裕のない話。 そんなことをしないとこの世が維持できないならこの世なんて滅んでしまえばいいのに。 どうせなら、何かもっとプラスなことで地球を回していくことはできないものなのかな。 それとも、そんなことをするぐらいなら滅んだ方がマシということだったりするのでしょうか。実は。 どこを切ってもドウショウモナイの金太郎飴です。 本当の本当の本当ぉ〜〜〜〜〜〜〜〜のところ、目的は何なのでしょう。 誰もがそれぞれに幸せであってくれればよいのですが。 ◆ 2019/05/19 したこと: マインドルの対戦パート作成 学園モノと言えばキング・オブ・マインドラーズ。 これだけでは少々ムサ苦しいのでもう一枚。 はい、そんな感じで件数多めだったキャラ3ルートの対戦イベントも実装完了! と思ったらもう一件残っていたのだった。 対戦イベントというか、序盤に「次の一手問題」のシーンがありまして、後回しにしていたのを忘れておりました。 というわけであと一息! ぜーはーぜーはー。おっと二息ついてしまったじゃないか。 ようやく対戦シーンのスクリプト作成の要領がつかめてきて作業がノッてきたと思ったら間もなく終了。 その理屈でいくと、死ぬ直前が人生最高のノリノリタイムということになるのでしょうか。実に楽しみですね。わくわく。 この勢いで完成に向けて突き進んでいきますよ。 と、作業の方は絶好調この上ないのですが、今週はパソコンのOSを新しいバージョンのものに入れ替えていて大変でした。 こんな週ぐらいは7日と言わずせめて70日ぐらいあってくれてもいいのにな。この世とは待ってくれない世界のことなのでした。 新バージョンが出たと言われてもワクワク感なんて正直全然なくて面倒くさいだけなんですけど、 セキュリティが云々と言われれば逆らえません。親切な人に密かにパソコンを操って作業してもらうのはまたの機会です。 Linux Mint17.2から間をすっ飛ばして19.1に。 性能大幅アップ! などということはなくほぼ同じというのは予想どおり。 ビミョーーに操作感覚が変化しててむしろ神経が削られるのも予想どおり。 強制的に不器用にさせられた気分ですが、少しずつ慣れていくしかありませんな。 唯一意表をつかれたのは以前とまったく同じバグが残っていたこと。そんなところで意外性を見せてくれるとは侮れません。 そして予想通りコミPo!が起動しなくなってマインドルのビルドも通らなくなってましたが、 予想通りイロイロがんばってどうにか解決できましたよ〜。めでたしめでたし。 コミPo!はもう使わないかな? 今まで動いてくれてたのがラッキーと思わなければなりませんね。ありがとうございます。 コミPo!はさておき、ビルドの件は少し心配です。 予想していたこととは言え、ちょっと環境が変わっただけで意味不明なエラーが出まくるようでは 最終的な成果物のリリース作業が思いやられます。共有ライブラリが不整合とかそういう類の面倒くさいやつ。 結局Windows専用にしてしまうのが一番楽なのかな。私も皆さんも。 なんかくやしい。コンチキショ〜。 ともかく今は完成に向けて前進あるのみですよ。 一日も早くあなたのお手元に届けたい。 今日もあなたが幸せでありますように。 それにしてもこの世は御しがたいな。 一人の人間の意志を飲み込んで押し流す「世の流れ」というやつは一体何なのでしょう? 現象だけを見れば、そこには人間がいるだけです。複数の人間がいる。それだけです。 この世に2人しか人間がいないのだとすれば、話はわかりやすい。 たとえば私とあなたがいて、何か意見が対立するとする。 で、どちらか片方の方が立場が強かったりする、と。 あるいはそのときどきによって、私の意見が優先される場合もあれば、あなたの意見が優先される場合もあるでしょう。 わかりやすい。 で、この世全体というものもその延長に過ぎない、はず、と、見た目には見えるのではありますが、 単なる「複数の個の和」を超えた、得体の知れない何か、があるように思われてなりません。 神の見えざる手、という言葉がありましたっけね。 その神とやらが善なる存在ならば、その手に任せておけばいいのかもしれません。 いわゆる世間の道理とやらに任せておけばいいというやつです。 みんなの大好きな常識ってやつです。なんやかんや言って世の中うまくいくようになってんのさ、とかなんとか。 だから、そこが怪しい、という話。 何らかの「見えざる手」はあるように思えてなりません。 が、しかし、そんな神さまがいるようには思えません。いるとしたら悪魔です。 強力な、ドウショウモナイ、得体の知れない、何かがある。 > で、この世全体というものもその延長に過ぎない、はず、と、見た目には見えるのではありますが、 「そのはずなのだから、人間一人一人の意志で世界をより良くしていこうぜ」的な話が散発的に持ち上がる。 しかし、そのたびに我々は挫折してきたのではなかったか。 しまいには「苦しむことに意味がある」みたいなことを言い出す始末。 本当にドウショウモナイ。 恐るべきは、そのすべてが人間の手で行われているということです。 いくら見えざる悪魔の手があるかに思えても、現象としてはすべては人間の手で行われている。 それ自体は否定しようのない事実です。 悪魔自身が姿を表して直接手を下すことはない。そういう仕掛けになっているらしい。 そういう悪魔のようなものが「いる」か「いない」か、という議論をしてもあんまり意味がないのですよ。 そんなことは無用な争いなのであって、それこそ「思うツボ」ってやつです。 かと言って「人間一人一人の意志の力で……」的な話が常に挫折するというのもまた事実。 何か、こう、人間外の存在を認めるざるを得ない気がするのですよ。 そこを全否定して純粋一途に「人間一人一人の意志の力で……」とばかり言い続けるだけでは同じことの繰り返しです。 「オカルトにのめり込む」のでもなく、「常識的」になりすぎる、のでもなく、 言葉どおりの意味での「現実的」な方図というものがあるような気がいたします。 現代にふさわしい現実的な「悪魔学」。 「悪魔学」などというと、いかにも中世的なおどろおどろしい迷信じみたものがイメージされてしまいそうですが、 そうではなく、現代的な感覚での、実用的な研究があってもいいというか、むしろ必要なのではないのか。 センショーショナルに「爬虫類人間は実在した!!!」とか何とか、そんなんじゃなくて。 人間外の何らかの存在というものを明確に仮定した上で、対処方法や進むべき方向を模索するような態度。 この「ドウショウモナサ」を超えていくことができるとすれば、そういうような何かではないのか。 ◆ 2019/05/11 したこと: マインドルの対戦パート作成 学園モノと言えば真剣マインドル対決。 立ち絵作業の序盤のときに頑張って用意した懐かしの着衣乱れバージョンのブレザーです。 ちょっとキミたちには過激すぎるかな〜? 鼻血でキーボードが壊れちゃうかな〜? と心配だったので、胸の谷間は描き足さないことにしました。私は本当に慈悲深いですね。 絵が描けないのでこれが限界というのも粋な巡り合わせと言えるでしょう。言えるらしいですよ。やったね。 というわけでキャラ3ルートの前半まで対戦イベント大体実装完了。大体って何だ。自信がないのか。 キャラ3ルートはルート自体が長いということもあって、対戦イベントの件数も最多です。 来週までに残りの分も終われるかな? 元気があれば終われる見込み。元気があるかどうかはわからない見込み。未知の可能性に高鳴る鼓動が抑えられません。ハラハラドキドキ。 実際、予想以上に気力がなくなって未知の領域に突入するなんてよくあることですので、 自分が常に元気なつもりで作業の見積りを立てていると宇宙空間で道に迷ってしまいます。 なお、道だけに未知、などと言うつもりはほんの少ししかありませんでした。ご了承してね。 それにしてもこれからどうしようかな。 今にも完成しそうな気もしつつ、まだまだいつまでも完成しなさそうな気もしつつ。 残りの作業はどれだけあるのか? 客観的に考えて、そんなに大きな作業は残ってないハズ。 しかしちょっとした作業と見せかけて予想外に時間がかかってしまったりもするので油断なりません。 そもそも私が10人ほどいればとっくに完成しているハズだったのですよ。 ところがなぜか、広大な宇宙のどこを探しても私が1人しかいないという摩訶不思議なことが発生してしまっておりますので、 すでに予定は狂いに狂っているというわけです。 この宇宙が一体全体どうなっているのかさっぱりわかりません。あなた方への愛だけが道しるべです。 それにしてもこの世は闇ですね。 どこにも希望がありません。絶望あるのみ。 個々別々の問題に関して、個々別々に考えて「これが正解」というようなものは、ある程度得られたりはするわけですが、 たとえ、それが、いくら、「根拠のある」「確実な」ものであろうとも、結局のところ、 「そうは思ってない人(たち)」が世間に一定数いらっしゃり続ける、という状況は変わらない。 「そういうふうに」しかなりようがない。 そういうふうにしかなりようがない中で、個々別々の問題について「正しい考え」のようなものを 個人的に追求しても「そういうふう」な中の一つにしかなりようがなく、 またはそれを世間に向けていくら啓蒙しようとしたところで、 やっぱり、「そういうふうに」しかなりようがない。せいぜいSNSが炎上するだけ。 「人によっていろんな考え方がある」などとは言いますが、 実際はそんなご立派なものじゃなく、 「人によっていろんな思い込みがある」という程度のことです。 逆に、そういう中で下手に「考え」なんてものを持ってしまうと、ケンカの元にしかならなかったりする。 メリットがあるとすれば、せいぜい、トラブルが起きて議論になった場合に議論に勝てるかもしれないという程度のこと。 じゃあ「考え」ない方がいいのかと言えば、そんなハズはない。 そもそも、なんで「考え」るのかと言えば、解決すべき問題がある(あった)からです。 しかし「考え」た挙句にケンカになっているようでは何がなんだかわかりません。 「考え」れば、「考え」が元でケンカになり、「考え」なければ「思い込み」が元でケンカになる。 もう絶望するしかありません。 こういう「人の世の構造」が変わらない中で、いくら個々別々の問題に対する個々別々の対処方法に習熟したところで、 同じことの繰り返しにしかなりません。 愛し合うことはできないものなのかな。せっかく同じ時代に同じ地球上に生きているのに。 一体何をしているのか。 何を「考え」るのもバカバカしい。何かを「考え」るなら、愛し合う方法を考えたい。 しかしそれも結局、「考え」になった途端、ケンカの元になるような予感しかしません。 Aと言えば誰かがAじゃないと言い、Bと言えば誰かがBじゃないと言う。どこにも希望がない。 宗教戦争か、さもなくば、弱肉強食か。 どっちも嫌ですよ。仲良く焼肉定食を食べられたらいいのに。おっと私は肉食べないんだった。いやたまには食べますけど。 誰とも戦いたくないな。 一番いいのは死ぬことですが、この世にいることに何らかの意味があるとするならば。 考えでもなく、思い込みでもなく。 じゃあ、せめて、お祈りでも。 今日もあなたが幸せでありますように。 今日すれ違いざまに私を怒鳴ったおばちゃんが幸せでありますように。 ◆ 2019/05/04 したこと: マインドルの対戦パート作成 学園モノと言えば同意を得て指し手を進める。 一手ごとにセリフを言いながら、10ターンぐらい会話を続ける試合がありましてですね、 最後まで言い終わらないうちに勝負がついてしまっては困るというドキドキのシーンとなっております。 どのように困るかと言うと、そういうケースは想定していないので、文章がつながらなくなります。 主人公(プレイヤー)が途中で負けた場合は負けセリフに変化して終了、ということで、つじつまは破綻しないのですが、 AIの側が途中で負けてしまうようなことがあると、会話のつじつまが合わなくなってしまいます。これぞドキドキ。高鳴る鼓動を抑えられない。 そんなに速攻で勝ててしまうパターンは多分ないと思うんですけど、もしあったらご愛嬌ということで。 というわけでキャラ2ルートの分も対戦イベント実装完了ですよ。うむ。順調。 あなたのお手元にマインドルのある日常をお届けできる日もそう遠くありません。素晴らしいことですね。 現時点で気がかりなのは、対戦イベントの難易度です。 さしあたりAIの思考内容はあんまり気にせずに、イベントとしての体裁だけを鋭意整え中なのですが、 なんか、動作確認してて、全然勝てないのですよ。こんなに強かったかな? 私の知らないうちに上達したのでしょうか? そんなハイカラな機能はつけてないハズ。 私の知らないうちにハッキングされて改竄されたのでしょうか? なにぃ〜。そうだったのかぁ〜。 私が寝てる間に作業のお手伝いをしてくれるなんて親切な人もいるものですね。世の中捨てたもんじゃない。 したがいまして、ここ最近は積極的に眠るよう心がけております。 眠ることは無駄ではありません。 その証拠に、寝れば寝るほど対戦イベントのAIに勝てなくなる。 おかしいな、こんなハズでは。よし、もう一眠りしよう。 どうしようかな。現役の頃はもっと簡単に勝ててたはず。むしろAIを強くできないことを気にしていたはず。 今は現役じゃなくて何なのかはさておき、ちょっとブランクが生じるだけで、こんなに勝てなくなるなんて。 多分、ビミョーな加減だと思うのですよ。 勝てるときには簡単すぎて困ると感じ、勝てないときには難しすぎて困ると感じる。 若いうちは自分が若くて元気だということに気付かないものです。若さという罪。なんの話だ。 若さはさておき、対戦イベントがクリアできなくてストーリーの続きが読めないというお友達が出ないようにしたいものです。 人によると思いますが、この手のゲームに苦手意識があって「こんなのあたし無理!」になってしまうと、もうお手上げだと思うのですよ。 とは言うものの、こういう内容のゲームにした以上、ある程度は仕方のないところなのかな。 どうしても無理だったら「マインドルが勝てなくてストーリーが進みません!」とSNS的なもので雄叫びを上げてくれれば、 それをキッカケに普及度が高まる……とかいう炎上商法まがいの腹黒い作戦を考えているわけでは1ミリもありません、 と思ったのですが、なかなかの名案ですね。おぬしはワルかっ! うまい具合に序盤から少しずつガイドしていけるようなレベルデザイン?にできればよかったのですが、今更どうにもなりません。 そこまで計算して全体的な構成をするような余裕はまったくなかったものでして、 本文の都合に合わせて散発的に対戦イベントが入っているのみとなっております。 で、ちょっと思いついたのですが、本文とは別に各キャラと対戦しまくれる「放課後モード」なんてのはどうか。 なんてのはどうか、なんて、気まぐれな思いつきで作業を遅らせる悪い子はどいつだ! せめて難易度を変更できるようにしてはどうか? そんな面倒な。面倒なのかよ。 しかし「せめて」と言いますが、実際やるとなると結構面倒ですよ? 誰かうちのパソコンをハッキングして代わりに用意してください。 あ、今思いついたのですが、対戦イベントを「オフ」にして、全て文章に置き換えた「純粋ノベルモード」なんてのはどうか。 なんてのはどうか、なんて、勝手な思いつきで作業を遅らせる悪い子はどいつだ! と、そんな感じで懸念事項を多々残しつつ、とにかく「完成!」と言い張れる状態を目がけて土煙上げて邁進しておりますよ。 残すところはあとキャラ3ルートの対戦イベント群と……他にも何かイロイロあったような。 プロローグとか、エンディングのムービーとか。 あっ、チュートリアルもいりますよね? 私は慈悲深いのでチュートリアルなしだなんて考えられないことです。 他にもなんやかんやイロイロありそうで、考えただけで命がいくつあっても足りなくなりそうです。困ったな。 やはり誰かにうちのパソコンをハッキングして代わりにやってもらうしかなさそうです。 常時接続で寝ながらお待ちしております。寝ながらかよ。 さて、思うとことはいろいろあるのですけれども。 私が何を言ったりヤッたりしても、結局どうにもならない、という事実がある。 考えの中身がどうであろうと、世間の空気に合致しないものは話を聞いてもらうことさえできず冷笑や侮蔑の的となるばかり。 その挙句、「わかってもらう努力が足りない」とか言い放つのだからたまりません。 聞く耳を持たない代わりにツマランことを言う口だけはあると見える。このやろ〜。 とは言え、「私なんかが何を言ったってどうせ何も変わらないんだから……」 などと卑屈に大人びて諦めるなどというのは、どんなことがあろうとも、この私の選ぶ道ではあり得ません。 しかしながら、この「私なんかが何を言ったってどうせ何も変わらないんだから……」という言葉の 意味内容自体は事実ではあります。そこに「卑屈な諦め」という感情を込めるか否かは別として、端的な事実には違いありません。 と同時に、多くの人が同じように考えて諦めてしまうからこそ、本当に何も変わらない、というのもまた事実。 じゃあどうすればいいのか? そういえば「世論というのは誰かエライ人が作るものではなく、私たち一人一人が作るものなのだから」 というような話があったような気がします。 その言にしたがうならば、たとえ一人でも、たとえ誰にも伝わらないかに見えても、諦めずに声を上げ続けることが大切だ、 ということになろうかと思います。 しかし実際のところ、それも果たしてどうなのか? 宝くじのコマーシャルで「買わなきゃ当たらない」とかいうのがあったような気がします。 なんかもう、水鉄砲にワサビ醤油を入れて両目を狙い撃ちにしてやりたくなるようなセリフですが、 「諦めずに声を上げ続けていきましょう」などというのも、これに似ているような気がしないこともありません。 なんていうのか、 「そんなんじゃない」 んですよね。 得体の知れない「空気感」というものがある。 これは理屈とはまったく別の次元の存在・事象です。 理屈の上でいくら「正しい」かに思えることも、この「空気感」の前ではまったくの無力。 話が伝わらない相手に話をしているときの、あの「得体の知れない "伝わらなさ"」をどう考えるのか? 言語の壁があるわけではない。知能に問題があるわけではない。仲の悪い相手というわけでもない。 会話自体はできる。しかし伝わらない。何をどう言っても伝わらない。 いや、伝わらない方がまだ救いがあるかもしれません。 それよりも、一度は伝わったかに見えて、それなのに行動が変わらない、という方が恐ろしい。 あなた私の話に同意したじゃないですか。あれは何だったの? こうしたことはかなり普遍的なことのように思われます。 特定の頭のおかしい人だけがそうなのではなく、むしろそれが「フツー」のように思われます。 頭がおかしいかどうかで言えば、むしろ私こそが頭がおかしいということになるのでしょう。 頭のおかしさコンテストがしたいだけなら、いくらでも負けてあげますけど、 こういう「伝わらなさ」を一体どう考えればいいのか? 得体の知れない何かがある。 得体の知れない、とは言うものの、当たり前と言えば当たり前ということになるような気もいたします。 たとえば何か、世間で行われていることについて問題を指摘して「もっとこうするべき」と言うとする。 その考え自体が「考え」としてどんなに「正しい」ものだとしても、 「なるほど。たしかにキミの言うとおりだ。ヨシ! 今からそのとおりにしよう!」 ということにはならない。なるわけがない。そりゃそうだろ、という感じはいたします。 が、なぜそうなのか? だって、「正しいこと」なのに、そのとおりにならないんですよ? つまりこれは、世間というものは「考え」の「正しさ」とは別の何かで動いている、ということの端的な証拠と言えるでしょう。 ではさて、その「別の何か」とは一体何なのか? はい。まさに得体が知れません。 当たり前と言ってしまえば当たり前かもしれません。 たとえどんなに「正しいこと」だとしても、無名の個人が何を言っても世の中が変わるわけがない。 いや、有名な個人だとしても程度問題で似たようなものでしょう。個人ではなく法人だとしても同じこと。 そりゃそうだよな、ってなもんです。まさに当たり前。 しかしその当たり前は、実際のところ、一体全体、どのように当たり前であるのか? だって、「正しいこと」なのに、そのとおりにならないんですよ? 「世間の空気」に合致することであれば、大して考えもせずに言ったことでも 「よく言った! スバラシイ! 拍手喝采ぃ〜!」と歓迎を受けることでしょう。何かのボタンをポチポチ押してもらえることでしょう。 しかし「世間の空気」に合致しないことは、いくら深い考えに裏打ちされたことであろうとも、いくら「正しい」ことであろうとも、 冷笑と侮蔑の的となるばかりです。あわよくば「まぁそういう考えもあるかもね」程度の同意の反応を引き出せたとしても、 その考えが実行に移されることはなく、1分後にはすっかり忘れられていることでしょう。 それ以上主張を続けたところで「はぁ? まだ言ってんの? いい加減大人になれよ!」などと言われるのが関の山。 そりゃそうだよな、ってなもんです。まさに当たり前。 で、だからこういう当たり前が、実のところ、どのように当たり前なのか? 「考え」が、その「考え」自体の「正しさ」では判断されない。 「世の中そういうもの」らしい、ということは「理解」はできます。 私以外のみなさんも、「理解」はしてらっしゃることでしょう。おそらくは私以上に。 ただ、実際、なんでそうなのか、というのは、実に得体が知れないと思いませんか? 思いますよね? え? 思わない? このやろ〜。 「本当に正しい」ことなのだとすれば、たとえ無名の個人が路地裏でボソっとつぶやいたのであっても、 それを聞きつけた小鳥さんがちゅんちゅんと森のお友達にお話して、一夜のうちに世間を席巻するハズ。 しかし、そういう話は聞いたことがありません。 むしろ「正しくない」ことが一夜にして大炎上、という話なら頻繁に聞くのですけど。 それとも、そうならなかったということは「正しさ度」が足りなかったということナノダ、とでも言うのでしょうか? 後出しジャンケンをするとは、おぬしはワルかっ! 原理は不明ながら、いかに正しいことであろうとも、 「現状の空気感」に反することが理解されるには「時間がかかる」ものであるらしい、とは理解はできます。 どうしてもと言うなら地道に賛同者を集めて運動を展開して潮目(空気の流れ)が変化するのを待つしかない、 ということなのだろうとは思います。 いかに「正しい」ことでも、そういうふうにしか「伝わらない」ものなのであろう、とは理解はできます。 「現実的に言って」そうなのだろうとは理解はできます。 しかし、やはり奇妙です。 そのような形で「地道に」理解されたもの、というのは、結局のところ、「空気が変わったから」理解されたに過ぎません。 「考え」の内容自体が正しいと判断されたというわけではない。 そのような形で結果的に理解されたということは、つまりそういうことなのであり、この点は相変わらずです。 これが「当たり前」だと言うならば、大多数の人々は自分の頭で物事を判断できないおバカさんばかり、と言っているのと同じことです。 善良な常識人と見せかけて、なかなか大胆なおクチをお持ちのようですね。さすがはワルよのぅ。我、感服せり。 たしかに、ある程度はそういう面はあるのかもしれません。 しかし、義務教育が行き届いて大多数のお友達が読み書きできる我が国でさえそれが「当たり前」だというのは、 やはり、シンプルに言って、「なんかへん」です。 もう一回言います。 「なんかへん」ですよ、これは! もちろん、いろいろと「説明」はできると思いますよ。 「一人一人考え方が違う」だとか「何が正しいかなんて誰にも判断できない」だとか 「人がたくさんいて個人の発言なんて埋もれてしまう」だとか、 いろいろと「説明」はできると思いますよ。 ただそれも結局、ワルなあいつお得意の後出しジャンケンですよ。 そうした「説明」の一つ一つは、それなりには「そういう面はある」と言えるのかもしれませんが、 それだけで、本当に、この「得体の知れない」「空気感」の正体を突き止めたゼ! などとは、到底言えるものではないように思います。 なんか、「そんなんじゃない」んですよ。 それこそ、「悪の宇宙人が地球人を洗脳していて……」などと言いたくなってしまうほどの、圧倒的な「何か」がある。 宇宙人とまでは言わないにしても、人々に「自分の頭で判断する」ことを促すような運動って、よくありますよね。 詳しくは存じ上げないのですけど、たとえば「今こそ目覚めよ!」とか、なんかそういうノリのやつ。 で、たしかにおっしゃるとおり、世間の空気に流されずに自分の頭で判断しましょう、というのはそのとおりだと思うのですけど、 じゃあ、なんで、最初からそうなってないの? 「大多数の人間がそうはなっていない」と言う、その「現状」は、なぜそうなのか? 結局のところ、人間って何なのですか? 複数の人間が「いる」じゃないですか。 それぞれ別個に「頭」を持ってるじゃないですか。 そのはずですよね。もともと。 そのはずなのに、そのはずなのに、そのはずなのに、この「空気」とか言うやつは、一体何なんですか? あ、ふと思ったんですけど、 「もし一人一人が独自に自分の頭で考え出したら、それこそ一人一人 "考え方が違う" のだから、特定の "正しさ" が伝わるワケがない」 とかいうことになるのかな? たしかにそうなんですけど、それは「反対側の極端」というものですよ。 それとは「逆の極端」があって、そして、現状はそれに近いものがある。 そもそも、なんか、「それ以前」なのですよ。 だって、じゃあ、一人一人自分で判断し始めたら収拾がつかなくなる「から」そうならないために、 みなさんご自慢の慈悲の心で、ご自分の考えを「ガマン」してらっしゃる、とでも言うのですか? そもそも、なんか、「それ以前」なのですよ。 話は尽きませんが、これ以上言うと失礼な話になりかねませんね。 私は何も、みなさんが自分の頭でモノを考えることのできないおバカさんだなんて言うつもりはほんのちょっぴりしかないんです。 知ってのとおり慈悲深い私のこと。あなた方一人一人を愛しておりますし、あなた方一人一人の生き方を大切にしたいと思っております。 それだけは忘れないでいただきたい。外出後に玄関の鍵を閉めたかどうかを忘れても、それだけは忘れないでいただきたい。 だからこそ、ですよ。だからこそ、現状を「見てらんない」わけです。 だってですよ、私が悪しき心の持ち主だったらこんな話はしていない。 こんなことを考えてるヒマがあったら 「人間なんてバカばっかりなんだから、うまい具合に煽って利用したモン勝ちだぜヒャッハー!」 ってなもんですよ。 実際その手のグリモワールは世間に溢れてるでしょう? エロイムエッサイム。まったく便利な時代という他ありません。 というわけで、この宇宙が一体全体どうなっているのか、相変わらずさっぱりわかりませんが、 私からあなた方への慈愛が止まるところを知らないというのも相変わらずでございます。よかったのぅ皆の衆。 今日もあなたが幸せでありますように。 ◆ 2019/04/27 したこと: マインドルの対戦パート作成 学園モノと言えばマインドルのある日常。 前回までで特殊モードへの対応が完了し、あとは本文で指定されている通りに対戦パートをスクリプトに落とし込んでいくのみ。 というわけで早速、キャラ1ルートの対戦パートがすべて完了しましたよ。 おっ、まじですか。一瞬たりとも立ち止まらない。高速邁進。電光石火。まさにハイペース! と見せかけて、キャラ1ルートは対戦イベントが7件と少なめ。 つまり日割計算すれば、対戦イベント一件ごとに丸一日かかってしまっていることになります。 これが果たしてハイペースの名に値すると言えるでしょうか? ぐぬぬ……おのれ日割計算め! 仕様は固まってるわけですから、あとは単純作業。 当初の予定では「実装するぞ」と念じさえすればたちまちドロンッ! と出来上がるハズだったのに。 いくら念じてもドロンッ! とならないなんて、一体どうなっているのでしょう? 何者かの不穏な気配を感じずにはいられません。 そんな感じで微妙にモタついてはおりますが、確実に進んではおりますよ。 ここまで来れば、急ぐ必要はないのだから無理せずにマイペースで……と言いたいところですが、そういうわけにはイキません。 なぜなら一日遅れるということは、あなた方がマインドルのない日常を過ごさねばならない日々が一日伸びてしまうということです。 本当は私だって少しは休みたい。 しかし、ここまで来たからこそ、ここで立ち止まるわけにはいかない。 これというのもあなた方を愛するからこそ。私は本当に慈悲深いですね。 日々はするべきことに溢れているようにも見えますが、結局、この作業を進めることをおいて他にするべきことなどあるはずもありません。 一日も早くあなた方のお手元にお届けできるよう、ガンバッテまいりますよ。 それにしても先週に引き続き「空気」です。 先週どころか悠久の昔から引き続いており、今後も延々と引き続いていくものと思われます。見通しは暗い。 たとえどんなに「正しい」と思われることでも、「空気」に合致しないことは受け入れられない。 特に、「現時点で誰もやっていないこと」は、それをするというような「空気」が存在せず、したがって受け入れられる余地もない。 世間にはさまざまな社会問題があり、 今日もそれぞれの現場でそれぞれの人々がそれぞれの信じる「正しさ」に立脚してそれぞれにそれぞれの日常を生きていることでしょう。 が、個々の問題に個々に取り組んでも同じことの繰り返しにしかならず、 根本的には世の中の仕組みの側を変えないことにはドウニモナラナイ。 そういうことってあるはずです。 具体例をあげた方がいいのかもしれませんが、 具体例をあげると、個別の問題の個別の「しがらみ」に引きずられて、自由にモノが言えなくなってしまいます。 それに、これは個別の問題ではない。もっと根本的なことです。 > が、個々の問題に個々に取り組んでも同じことの繰り返しにしかならず、 > 根本的には世の中の仕組みの側を変えないことにはドウニモナラナイ。 > そういうことってあるはずです。 現状の仕組みの中で個別の問題に個別に対処しようとしても、 それは結局、 現状の仕組みの中で個別の問題を別の問題へとスライドさせて組み替えているに過ぎず、その場しのぎの対処以上のものにはなり得ない。 誰かが勝てば誰かが負ける。現時点で「負け」ている人を「勝て」るようにしたところで、 別の誰かが代わりに「負け」るようになるだけです。 そういう仕組み自体を変えない限り、いつまでも誰かが苦しみ続ける。 「負け」の側に割り振られた人だけが苦しいわけではない。 現時点で「勝って」いる人も、全体の仕組みが変わらない限り、いつでも「負け」に転落する可能性がある。 「負け」を押し付け合う椅子取りゲームが加熱するに至り、いよいよ苦しみが遍く一切に及ぼされることとなる。悪の普廻向が始まる。 結局、仕組み自体を変えないことにはドウニモナラナイ。 個々別々のケースの個々別々の現場にいる個々別々の人々に向けての、 「こうすればいい」「ああするべき」「そんなことをしてはいけない」「そんなんだからダメなんだ」 などという「親切な」アドバイスは、椅子取りゲームを加熱させるものでしかない。 しかし「仕組みを変える」という話は、いつだって抵抗にあう。 現状で得をしている側が妨害するから、というのも事実に反している。 なぜなら、現状で損をしていて仕組みが変わった方が得をするはずの人々までもが、こぞって抵抗に参加するからです。 どうやら、つまり、それは「空気」に反することであるらしい。 仕組みを変えなければドウニモナラナイということは反論の余地のない事実であり、 その前提で「じゃあ、こうしてはどうか、ああしてはどうか」という提案はいくらでも可能です。 しかしそうした提案の内容自体がどんなに筋の通ったものであっても、 「現状はそうなっていない」以上、それは「空気」に反することであり、受け入れられる余地がない。 そもそも、提案の内容以前に、そうした「仕組みを変える」提案をするということ自体が「現状はそうではない」のであり、 すなわち「空気」に反しているのであり、受け入れられる余地がない。道は入り口から閉ざされている。 内側に広がる迷路は巧妙に閉じており、その中を歩く者にさまざまな景色を見せつつ、出口はどこにもない。 現状、ドウショウモナイ仕組みになっている、とする。 それに対し、「仕組みを変えてこうすればいい」という提案がある、とする。 それ自体を見れば、どう考えても良好な案であるような、そのような案である、とする。 それを人々に伝えれば間違いなく賛同が集まるであろうと思われる、魅力的で希望に満ちた提案。 提案はすぐにでも実行に移され、間もなく仕組みは変わり、問題は解決するであろう。未来は明るい。と、思われる、とする。 しかし実際はそうはならない。強力な抵抗にあい、明るく見えていた未来は途端に闇に閉ざされる。 まず、気付かなければならない事実がある。 今までずっと「そう」だった、ということです。 今までずっと「その仕組み」の中で人々が生きていた。 今までずっと「それ」を変えようということを誰も言い出さなかった。 だからこそ、現状「ご覧のとおり」となっている。 言い出した人ぐらいはいたのかもしれませんが、実行に移されることはなかった。 だからこそ、現状「ご覧のとおり」となっている。 その「変えよう」という提案の内容は問題ではない。 内容自体を見れば、それ自体はどう考えても良好な案なのでした。 現状に問題意識を持って、「こうではなく、どうだったらいいか?」ということを少しでも考えれば、 誰だって必然的に同じ結論になるであろう至極当然のアイデア。斬新でもなんでもない。 にもかかわらず、誰一人それを言い出さなかった。誰一人それを実行に移さなかった。 だからこそ、現状「ご覧のとおり」となっている。 この事実! 現状が「ご覧のとおり」であるという、その事実から読み取ることのできる、おそるべき現実。 問題を抱えた現状の仕組みの中で、日々「あーだ」「こーだ」言いながら、 誰一人、そうした仕組み自体を変えようということを言い出さなかった、ということ。 延々と同じことが続けられてきた。 言い出した人ぐらいはいたのかもしれない。 たとえば「おまえみたいなことを言うやつは今までに何人も見てきた」などと言う言説がマニュアルに載っているのはご存知のとおり。 しかし、仮にそうだとするなら、そうした案を聞いて、知っていながら、それでも! 同じことを延々と続けてきた、ということ。 この事実! まずは、この、おそるべき事実に戦慄するところから始めねばならない。ガタガタブルブル。 この世がこのようであるという事実。 現状が「こう」いうものとして目の前に厳然と現前するという事実。 これらのダジャレにまずは戦慄せねばならない。もう春だというのに今年の寒さには震えが止まりません。ガタガタブルブル。 この世が「このよう」であるということを規程する何らかの力が存在している。 トナールの境界を規程する力の輪が存在している。 その力の輪が結合させている場所が、とどのつまり、我々が生きる、この世、なのでした。 無限の宇宙空間の一角の、「空気」が集まる重力場。 そここそが、とどのつまり、他でもない、我々の生きる、この世、なのでした。 この重力場に、この力の輪に、まずは戦慄しなければならない。 この、ドウショウモナサに、ともかく戦慄しなければならない。 これは決して、この世が存在していて、その中に人々がいて、たまたま今はそうなっている、 というのではなく、 そもそも、この世が存在しているという時点で、それはもう、「このよう」であるということなのではなかったか? なお、ダジャレです。 仮にそうした「力の輪」が存在しないとすれば、そもそも、この世が存在することもない、ということなのではなかったか? あ、ダジャレにならない。 だから、たとえば、その「力の輪」というものにかかり、 人々を「力の輪」の束縛から解放して自由をもたらして云々……などのように考えるとするならば、 その考えは根本的にオカド違いということになるでしょう。 なにしろ「力の輪」がなくなれば、この世そのものが消滅するハズだからです。 この世の存在に先立つものとして、そのような「力の輪」があった。 すなわち、「力の輪」によって結び合わせられて、この世がこのよう(ダジャレ)なものとして存在しているという時点で、 この世は、そもそものハジメから、このようであるというダジャレなのであり、 今後とも末永くこのようであるという、これまたやはりお馴染みの同じ道というダジャレ街道が無限に続くのみなのではなかったか。 「なのではなかったか」と言いました。 「こう」であることは、何か、そもそもの初めから、知っていたことであるような気がします。 いや、そうでもないかな。この感じはなんなのでしょう? それにしても、そうとわかった上で、ではどうするのか? この場所を放棄して宇宙へ旅立つのか、さもなくば、「力の輪」の中で生きていくのか。 問題は、ここで生きる以上、この「力の輪」の影響力から逃れられないということです。 そして、その「ドウショウモナサ」に戦慄せざるを得ない。ガタガタブルブル。 いわゆる「言論の力」を信じる立場からは、この「輪」を作っているのもまた、そこにいる人々の力である、ということになるでしょう。 が、果たして本当にそうなのか? まったくそうではない、ということではないにせよ、果たしてどの程度のものなのか? 「言論の力」と、この世の境界を規程する「力の輪」。 「正しいことを粘り強く訴え続ける」という程度のことで、このドウショウモナイ「力の輪」に、果たしてどこまで食い込めるものでしょう? この「力の輪」は、実のところ、何かもっと、別のところに由来しているのではなかったか? それが何なのか、というのは、実のところ、すでに知っていることなのではないかという気が、してしまったりもする。 そして、その魔術を使いこなす人間にもまた、心当たりがあるのではなかったか? 自分の手足のように、生まれ持った当たり前のものとして、そうした魔術を使いこなす人間に、心当たりがあるのではなかったか? そして、そうした人間の目の奥に、いかなるものも読み取ることができない、ということもまた、周知のことなのではなかったか? 「目を覚ます」ことで忘れてしまうものがある。 そして、おそらくは、すべてを愛していたはず。 ここで一体何をしているのか? さしあたり、何度でも言っていきましょう。 今日もあなたが幸せでありますように。 ◆ 2019/04/21 したこと: マインドルの対戦パート作成 学園モノと言えばマインドルのペアバトル。 ペアバトルと言われても、何だかわかりにくいですね。 何がわかりにくいかと言えば、キャラの表示位置を躊躇なく重ねているという大胆かつ斬新なレイアウトのため、 「ペア」であることを理解するには、それなりの見識が要求されるという点です。さぁみんな、ついて来れるかい? しかもこの赤い人、長髪の上にマントなんか羽織ってるもんだから余計に後ろが見えないじゃないですか。 右側がプレイヤーチーム。 主人公氏は立ち絵がないのでこうなります。「ペア」という言葉の先入観にとらわれない、これまた斬新な仕様。 この画面だけを見てペアバトルだと認識するのは難しいかもしれませんが、実際には文章がつきますので、 みなさまの日頃から鍛えているイマギナティオーンを発揮して、文脈から察していただければハッピーに存じます。 プレイヤーチーム側はまだしも、左側の敵チームの表示のデザインについては、この斬新さはキミたちには少し早すぎるかもしれませんので、 手番が交代するたびに位置を入れ替えるようにはしておきました。私は本当に慈悲深いですね。 ↓ ちなみに、誰の番なのかもわかりにくくなってしまうので、「現在の手番」を表示するようにしました。 SFMLの四角形オブジェクトに文字を載っけただけという虚飾を廃した機能美の極致。 手抜きをしようなどというつもりはほんの少ししかありませんよ。 こちらは相手側が一人で、プレイヤー側だけペアバトルのパターン。 実際のプレイ感覚としては、相手側はペアだろうが単独だろうが、あんまり変わらないですね。 でもキャラごとに別々の設定のAIを持っているので、元気があれば棋風に特徴をつけることができる可能性にひらかれております。希望の明日へ。 で、自分の側が「ペア」になっていることのプレイ感覚はどうなのかと言う話ですが、 一言で言うと、例のアレです。なかなか面白いですよこれは!! なにしろ、思い通りに指し進められないというのが、意外なほどドキドキです。 自分が前進させた駒を、次のターンでパートナーに元の位置に戻されたり。お気に召さなかったのね。 パートナーのAIが強い設定の場合と弱い設定の場合で、それぞれ別の味わいがありますね。 強い設定にしたパートナーに「詰み手順が見えたぞ!」みたいなことを言われて、でも全然わからなかったり。 間違えたら申し訳ないなぁ、と思いながら指す緊張感。 弱い設定にしたパートナーがヘボい手を指しまくるのも味わい深い。いかにしてフォローをしていくか? 「おいおい、そっちに行くのかよ〜」などと画面の前で言い始めたら、そこはもう現実と虚構の境を超えたワンダーランド。 さぁ、キミは無事に帰って来ることができるか?! はい、そんなわけでペアバトルのモードが実装されましたとさ。 こんなに楽しいモードをもうすぐプレイできるようになるなんて、あなた方は本当にラッキーですね。 あっ、そういえば投了ボタンをつけておかないとマズイのかな。 すっかり忘れてました。 なければないでいいんじゃないですか? どうしても、ってときはウィンドウを閉じればいいじゃない。 とは言うものの、それも少々アバンギャルド過ぎて世間の理解を得られないかもしれませんので、 元気が余ってるときを見計らって追加するかもしれません。 さしあたりは、これにて特殊モードの機能は実装できたのかな? どうもそうらしいですよ。よかったのう皆の衆。 「次の一手問題」のシーンがあるんですけど、どうしようかな。選択肢モードの一種ということで、多分イケるでしょう。 じゃあ、あとはもう、どんどんスクリプトに落とし込んでいくのみですね。わき目もふらず突っ走ろう。投了ボタンのことも忘れて突っ走ろう。 何か他になかったかな。何か忘れている大事なことがあるような気がしてなりません。 たとえば前世で生き別れになった恋人の生まれ変わりを探すこととか、エンディングのムービー的なものを用意することとか、AIの改善のこととか。 AIのことは結構心配してたんですよ。恋人の生まれ変わりの行方と同じぐらいには。 ですが今まで作業をしてきた感触によると、今のままでも充分イケますね。 キャラごとに戦法というかスタイルの差をつけたいと思ってたんですけど、ぶっちゃけ、わかんないと思うんですよ。 簡単なのでもいいかな? 最初の数手だけ必ず一定の手を指す、とか。 手軽に実現できそうな案を何か思いついたらそのとき考えるとして、今は本文に出てくる対戦イベントを全部実装してしまうのを先としたい。 なんなら、リリースした後に、自殺するまでのスケジュールの合間をぬってバージョンアップの一環としてヤレばいいじゃない。うむ。 ともかく今は体裁を整えて「完成」と言い張れるようにすることを目指そう。おぬしもワルよのぅ。 ところで話は変わって、「空気」の話。 それが実際のところ何なのか、というのは甚だ不明ながら、それでいて「空気」という言葉があるということからも、 何かそういうものが存在するようだ、という共通認識はあるようです。 それにしても、うまい比喩ですね。「空気」という表現。 誰が最初に言い出した、というのは調べればもしかすると特定の有名人の誰それが記録にある中では最初、 みたいなことは言えるのかもしれませんが、実際のところはむしろ、 誰からともなく言うようになって定着した、ということなような気がします。まさに「空気」のように。 目には見えないけれど、どこに行っても確実に存在していて、私たちを一様に包み込んでおり、逃げ場はなく、依存せざるを得ない。 「空気」に逆らって生きるのは、まさに「息苦しい」ことです。 結局のところ、この「空気」ということを抜きにして、この世の仕組みを理解することはできないような気がいたします。 外面的には人間がそれぞれバラバラに存在していて、たまたま近い距離に集まっていて、人が集まるから(暗黙的な)ルールもできて…… というようなことであるように見えたりもしますが、むしろ話は逆なのかもしれない。 まず「空気」ありき。 個人が先にあって、その上に世間が覆い被さっている、というののではなく、 まず「空気」が先立っていて、その個別の虚像として、それぞれの人体が浮かび上がっている。 「本当はそんなはずはない」とは思うのですが、 それぐらいの心づもりで向き合わないと、迷路に迷い込んで抜け出せなくなってしまう。 何しろ、目の前に「独立して思考する主体が存在している」という前提は、いつだって裏切られるのです。 「空気」の中では、「理性的に考えて正しいこと」が正しいのではなく、 「空気」に一致していることが「正しい」ことになる。 「空気」に一致しないことは、いくら「理性的に考えればそれが正しいはず」のことでも「間違った」ことになる。 「理性的に考えれば明らかにおかしい」はずのことが慣行としてまかり通っており、 しかし、いくら噛んで含めて言葉を選んで人に話しても、どうしても話が通じない。 それどころか大多数の人たちから寄ってたかって批難される。 そして「理性的に考えれば明らかにおかしい」慣行が、相変わらず続いてしまう。 そういうことってあるはずです。 「空気」は単に外面的な行動を縛るだけではなく、おそらくは思考の内容までも規程してしまう。 おそらくは、そうした「空気」を代弁する人々にしても、わりと本気でそう思って、そのようにしている。 で、こういう場合、言論の力を信じる立場からは、 みんな心の奥底ではわかっているのだけど周囲の目を気にして本音を出せずにいるんだ → 根気よく真実を語ればいつか伝わるはずだ、 というような信念があることと思いますが、 それがかなりの高頻度で裏切られる、というのが実際のところではなかったか。現実を虚心坦懐に見れば認めざるを得ないものがある。 「たしかに私も個人的にはその通りだとは思うし、残念だとは思っているけど、でも仕方なく……」 と、実は多くの人が心の中では思っている…… と、期待したいところではありますが、おそらく実際には、そうではない。 「おかしな慣行」に従っているそのとき、嘘偽りなく、その通りに信じ込んでいる。 少なくとも「空気」通りの「おかしな慣行」を擁護しているまさにそのときは、そのように信じ込んでいる。 "意外と" それが実態なのではないのか? そして、時流が変化した場合には「実は俺も前からそう思ってたんだよ〜」と、これまた嘘でもなんでもなく、しれっと言う。 決して見栄を張って言うのでなく、心の底からそう思って、そのように言う。 "意外と" それが実態なのではないのか? こいういう実態に対して、「理性的に独立して思考する主体」という人間観を前提とした言論活動の、いかに無力であることでしょう。 ところで「空気」の「気」つながりで「気功」ってのがありますよね。 アヤシゲな自称武道家みたいな人が「気」の力、と称して手に触れずに弟子を投げ飛ばす、みたいな。 弟子の人が「先生」に向かって威勢よく飛びかかって、「先生」が軽く手をかざすと弟子の人が、これまた勢いよく後ろ向きにすっ飛んでいく。 傍から見るといかにもワザとらしくて滑稽にさえ見えますが、あれも多分、多分ですけど、やってる方は本気なんですよ。 騙そうなんていう悪意があって演技をするのなら、もっと上手なやり方がありそうなものです。 これも一種の「空気」なんじゃないでしょうか。 弟子と先生の「信頼関係」のようなものがあって、「先生が手をかざしたんだから、弟子たるもの、おとなしくすっ飛ぶべし」 などと明確に意識しているわけではないでしょうし、明確に意識しておらず、無意識レベルで「信じて」いるからこそ、 演技でもなんでもなく、「実際に」すっ飛ばざるを得ない。 そこにはそのような「気の流れが」があるのであり、それが見える人には見えていて、見えるからには逆らえない。 まさに「空気を読んで」いる。まさに「気」の力と言う他ありません。 波動拳をくらって「うわぁ〜」と言っているストリートファイターのみなさんは 「空気の読める」人たちってことですね。無敵技ですり抜けるなんて大人気ない! こういう「気」の伝統というものが、東洋的な文化の中で現代まで伝わってきているというのは なかなか興味深い気がいたします。おっと、「気」がしたとは、これまた。 多分、昔は、そういうのが「本当にあった」んですよ。 「ヘビに睨まれたカエルが身動きが取れなくなる」というような、野性的な感性と言えばいいでしょうか。 今以上に生々しい日常的な現実として、人間からは「気」が出ていて、その他の山川草木や森羅万象からも、何らかの「オーラ」が出ていて、 人々は何の疑いもなく、そういうものが「あるもの」という日常をリアルに生きていた。おそらくそういう時代があった。 しかし「理性的に独立して思考する主体」には、そのような「気」は見えません。 まさに「空気が読めない」ってやつです。 時代が現代に近付くにつれ、人々が個別に理性的に思考するようになり、「空気」は「見えにくい」ものにはなってきた。 それでも、依然として、なくなったわけではない。 むしろ「見えにくい」分、余計にその影響力が大きくなっているとも言える。 今でも「気」というものは間違いなく「ある」のですよ。 たとえば山道を歩いていて、しめ縄が張られた場所があったとして、その先に進む気になれるか? 私はちょっと、無理な気がします。頭では「別にどうってことないじゃん」と思いつつも、足が進まなくなりそうです。 これも要するに、アヤシゲな自称武道家の先生の手かざしと同じことなのでしょう。 結局、私も吹っ飛んじゃってるんですよ。レバー1回転で吸い込まれちゃってるんですよ。 > 外面的には人間がそれぞれバラバラに存在していて、たまたま近い距離に集まっていて、人が集まるから(暗黙的な)ルールもできて…… > というようなことであるように見えたりもしますが、むしろ話は逆なのかもしれない。 たとえば「経済学」では「合理的に利益を追求する経済人」のような架空のキャラクターを想定して、 そういう架空のキャラクターたちのふるまいとして、世間の動きを理論家しようぜ、ということだったりする(らしい)のですが、 これも結局、迷信ですよね。 そんな人間はいない。 しかしそう言って経済学者の先生たちをバカにもできません。 私だって「人間は独立して思考する存在だ」などという迷信を信じ込んでしまっている。 どうやら「空気」の力を無視するわけにはいかないようです。 なお、これは「人間は "空気" に影響されてしまいやすいものなのだ」というようなことですらない。 このように言う場合は、あくまでも実際には独立した個別の人間がいて、 その上で「空気」というなんらかの非理性的な影響力があるぞ、ということですが、 これでは依然として「人間とはそれぞれに独立して思考する存在だ」という迷信の親戚です。 そうではなく、むしろ「空気」の方が先立つ存在である、というふうに考えるぐらいで、ようやく釣り合いが取れるというところではないか? 実体は「空気」であり、個別の「人間」は幻想。 人間が個々別々に存在している「ように見える」かもしれませんが、あくまでも実体は「空気」の側にあり、 個々別々の「人間」は実体としての「空気」の個々別々の表れ方。マニフェステーション。あるいはインターフェイス。 こんな世界が現実だとすれば、実に不気味な話です。 こんなはずはない。これが「人の世として正しい」とも思えない。 しかし、「目の前に "独立して思考する人間" が存在している」と思っていると、いつだって足元をすくわれるんです。 じゃあこの世界には「人間」はいないのか? いや、いる。いないわけではない。断じてない。確実にいる。 確実にいるんですよ。たとえばあなたとか。ほらね、いるじゃないですか!!!!!!!!!!!!! そこにあなたがいるじゃないですか〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!1111 はい、ビックリマークだっていつの間にか全角の1になってしまうというもの。 それぐらい確実で、なおかつ衝撃的な事実ということです。 そう。間違いなく「人間」はいる。 いつまでも「はどぉけん!」とか言われて、素直に「う〜ぁ〜」とか言ってる場合じゃない。 だからつまり、なんだかんだ言っても、人間を否定しては、「生きている意味がない」ってことです。 私がいる。あなたがいる。あの人がいる。その人がいる。ほらほら、いるじゃないですか。いるじゃないですか〜〜〜。 そしてあなた方の幸せを願う。生きてるってそういうことでしょう? では、じゃあ「空気」とは何なのか? 「空気」が人間を殺す。みんな、吸っちゃダメだ! 今スグ息を止めるんだ! うぐぐ! しかしもう遅い。誰もが腹一杯「空気」を吸い込み、人間は死に絶えてしまった。 そういう現実がある。 ここから出発するしかない。人間が死に絶えた廃墟の中、あなたを探す旅に出る。 それにしても「空気」ですよ。これは相当に重大なことですよ。 何かふわっとしたあいまいなもの、なんてもんじゃない。我々が生きている「この世」とは、とどのつまり「空気」のことです。 そう言えば宇宙には空気がないのでした。そう、地球とは我々が生きている世界のことなのでした。ようこそ、ここは空気の世界。 そこに確実にあって、我々を一様に包み込んでいる、目には見えないもの。 重大でありながら、しかし、つかみどころがない。 あるのか、ないのか? あると言えばあるし、ないと言えばない。 いや違う。逆だ。 あると言えば「おまえの被害妄想だ。病院に行け」などとバカにされ、 ないと言えば「そんなんじゃ世間に通用しないぞ」などと説教される。 思い込みが具現化している、というよりも、逆の力が作用している。 こっちの方が厄介です。なぜかと言えば、自分の意志ではドウショウモナイからです。 「あるから気をつけよう」という呼びかけは不首尾に終わり、 「ないんだから気にしないでおこう」という心がけも潰される。 ドウショウモないデッドロック。 あなたを探す旅はどうやら前途多難のようですよ。 一体全体、本当に、この「空気」というやつは何なのでしょう? ここをクリアしないことには、何をどうしたってドウショウモナイ。 いくら「正しい」ことを言っても、「空気」に反している限りドウショウモナイ。 いつの日か「時代が変わる」ことはあるのかもしれません。 しかしそれも結局、「空気の流れ」でしかないんじゃないですか? そこは果たして人間が存在する世界であるか? 「実は俺も前からそう思ってたんだよ〜」とか、どの口で言ってんだ。このやろ〜。 「言論の力で根気よく訴え続けてきたから」というのも結果論でしかないような気がします。おっと「気」とは、これまた。 今はただ、あなたが幸せであってくれることを願うばかりです。 ◆ 2019/04/13 したこと: マインドルの対戦パート作成 学園モノと言えば口出しマインドル。 AI同士の対戦に回数限定で口出しするモード。 「先輩じゃ勝てません! 俺も口出しさせてもらいますからね!」みたいなシチュエーション。 なお、「先輩」というのが右の人と左の人のどちらのことなのかは乞うご期待。 着手の前に毎回「これでいいかな?」との確認があり、「ダメ」を選択するとプレイヤーが代わりに一手指します。 口出し回数を使い切ると、あとはもう見守るだけになるというハラハラドキドキの手に汗握るモードです。 ストーリーの都合上、こうならざるを得ないので、面白いのかどうかは問わずに、ともかくシステムを実装してみましたが、 なかなか面白いですよこれは! 特に、口出し回数を使い切って、見るだけになってしまってからがエキサイティングです。「頼むぞ〜」みたいな。 見るだけになってしまうというのが、だから面白くないんじゃないのか、と心配していたのですが、 見るだけになってしまうからこそエキサイティングというのが新発見。 AIの思考処理が遅いときがあるのも、手に汗握って見守る分にはプラスです。 高速で手の応酬が続くときもあり、スーパーサイヤ人のバトルを見てるみたいで、それもまたよいものです。 バランス調整には気を遣うところですね。 一回も口出ししなくても勝ててしまうようでは意味がないですし、どう口出ししても負けてしまうほどAIに差があるようではゲームになりません。 多少、運まかせになるぐらいでちょうどいいのかな。 なにしろ回数を使い切ったあとの「頼むぞ〜」が思いのほかドキドキなのでビックリです。ドキドキしたりビクビクしたり忙しい。 > 見るだけになってしまうからこそエキサイティングというのが新発見。 最初から最後までただ見るだけではなく、途中で何回か口出ししているからこそ、 自分が口出しした側に肩入れして真剣に見守る感じになるのだろうなと思います。 これはアレですね、だからつまり選挙のときは投票に行くのがエキサイティングだぜってことですね。え、そんな話になるんですか。 そしてさらに、候補手からの選択モード。 AIが考えた候補手の中から選択して進めていくモードです。 わざわざ別のモードを実装しなくても、こっちも口出しモードってことにしてしまえばいいんじゃないの? と思いつつ、 本文ではこうなっているので、誰が本文を書いたんだコノヤロ〜と言いながら実装してみたところ、 上記の口出しモードとは感覚がかなり違うゲームになりますね。 まず、バランス調整の目指しどころが違う。 口出しモードの場合は、AIの強さ設定は「味方 < 敵キャラ」で、その差を回数限定の口出しでいかに埋めるか? ですが、 選択肢モードの場合は、AIの強さ設定は「味方 > 敵キャラ」ということにしておく。 強さについてはストーリー上では逆ということになっているのが気になるところではありますが、 こうしておくことで、提案される候補手の中に「正解」が一つは含まれるハズ、ということになります。 それをプレイヤーが的確に選び続けることができるかどうか? というゲームになります。 つまり、一言でまとめると、なかなか面白いですよこれは! ということです。 久々のプログラミングが楽しすぎて、鼻血が出すぎて死ぬかと思いましたが、頑張って実装した甲斐があったというものです。 こんな面白いゲームをもうすぐプレイできるようになるなんて、良かったのう皆の衆。 惜しむらくは、せっかく面白いモードなのに、ストーリーの都合上、上記のモードでプレイする機会があんまりないことです。 オマケモードを用意してこのモードで遊べるようにしようかな。惜しむらくは、そんな元気がないかもしれないことです。 選択モードの候補手として何を表示するかについては、現在検討中。 とりあえず今はAIの「次の一手」を取得する関数の結果プラス、ランダムに2件、を表示しているのですが、これがベストかどうかはわかりません。 たとえばAI評価の上位3件、とかの方がいいかもしれません。よくないかもしれません。 「正解」が明確すぎるのも果たしてどうかと思う一方、上位3件にすると、どれを選んでも大差ない、みたいなことになってしまいそうです。 そのへんは追々調整することとして、ともかく今は作業を進めますよ。 あとはペアバトルを実装すれば、特殊モードはカバーできることになります。 これというのも本文の人が後先考えずにシチュエーションを用意してくれたおかげ。 そのおかげで、もうすぐ面白いゲームをプレイできるようになるのですから、あなた方は本当にラッキーですね。 それから、マウスを乗せると半透明になる機能も実装しましたよ。どうやら少しだけ元気が余っていたようです。 残念ながら服だけ半透明ではなく立ち絵丸ごと半透明です。 これがベストなソリューションかどうかはさておき、こうしておけば最低限、駒台が隠れて見えなくなる事態は回避できますので、 一応レイアウト上の問題は解消ということで、立ち絵のポーズ具合は気にせずに突っ走りますよ。 しかし立ち絵丸ごと半透明になるというのも、あんまり見栄えがよくありませんね。一瞬バグかと思ってしまいそう。 何かもっとスマートな解決方法があるといいのですけど。 やはり服だけ半透明にするしかないのでしょうか。もはや駒台を見ている場合ではなくなる。究極のソリューション。 さて、究極のソリューションを実装するには技術のみならず特殊な情熱が求められそうですが、 単にマウスを乗せて半透明にするだけなら、SFMLの機能を駆使して割と簡単に実現できます。 処理としては二段構え。 ・マウスが乗っているかどうかを判定 ・スプライトの色のアルファ値を変更 >・マウスが乗っているかどうかを判定 マウスの位置は、
Vector2i mousePos = sf::Mouse::getPosition(window);
で取得できます。 window は 描画中の sf::RenderWindow です。ちなみに省略するとデスクトップ全体でのマウスの位置になります。 マウスの位置がわかったら、その位置のピクセルを取得して、何らかの色があれば「乗っている」と判定することとします。 なお、そのピクセルとはウィンドウ自体のピクセルではなく、対象の立ち絵のスプライトの画像のピクセルです。 スプライトのピクセルを取得するには、
// sprite からテクスチャ(の参照)を取得して、 sf::Texture *texture = sprite.getTexture(); // 画像データを取得して、 sf::Image image = texture->copyToImage(); // 画像上の座標を指定。 sf::Color pixel = image.getPixel ( x, y );
ちなみに sprite は sf::Sprite です。 最後の getPixel に渡す x と y が何なのかと言えば、先に取得しておいたマウスの mousePos.x と mousePos.y …… と言いたいのはヤマヤマですが、これはウィンドウ全体でのマウスの位置なので、 これをスプライトの表示座標を考慮して足したり引いたりして調整した値を x および y とします。 そこは天才プログラマー的にゴニョゴニョと頑張るところですね。ファイト! で、頑張って取得した pixel というのはつまり色情報なので、r、g、b、aの各値を持っています。 この中の a つまりアルファ値が 0 より大きければ「色つきのピクセル」という判定で大体オッケーなんじゃないでしょうか。
if ( pixel.a > 0 ) { /* 色つきのピクセルにマウスが乗っている場合の処理を書く */ }
>・スプライトの色のアルファ値を変更 スプライトの色自体は、sf::Color の値を渡せば設定できます。
sprite.setColor ( color );
逆に現在の色値を取得するには getColor() です。実にわかりやすいですね。 で、元のRGB要素を変更せずにアルファ値だけを変更するならば、
sf::Color color = sprite.getColor (); color.a = color.a / 2; sprite.setColor ( color );
でな感じでイケます。 しかしこのままでは一度変更すると半透明になりっぱなしというか、マウスを乗せている限り透明っぷりが加速してしまいそうですので、 元の色値は別の変数に保存しておいて、描画した直後に元の色に戻しつつ、 毎フレーム、マウスオーバーの判定フラグに入れて管理するのが泥臭いながらも素直で楽な実装かなと思います。
/* 以下、ウィンドウの描画ループのつもり */ ........ ........ ........ このへんに上記のマウスの位置のピクセルを取得する処理を書いたつもり ........ ........ ........ bool isMouseOver = false; // 色つきのピクセルにマウスが乗っている場合 if ( pixel.a > 0 ) { isMouseOver = true; } sf::Color color1; // マウスが乗っているならば描画前に半透明にして if ( isMouseOver ) { color1 = sprite.getColor (); sf::Color color2 = color1; color2.a = color2.a / 2; sf::Color color1 = sprite.setColor ( color2 ); } window.draw ( sprite ); // 描画 // 色を戻す if ( isMouseOver ) { sprite.setColor(color1); }
今思ったのですが、上のサンプルはサンプルというわけで全部の処理をベタっと書いてますが、 これなら別に isMouseOver のようなフラグは使わなくても、 if ( pixel.a > 0 ) の時点で「マウスが乗っている場合」と「乗ってない場合」で分ければよさそうですね。 ただ、実際には更新処理と描画処理を別メソッドに分けている場合があろうかと思います。 その場合はマウスオーバーの判定は更新メソッド側に、描画関連の処理は描画メソッド側に書くことになると思われますので、 更新メソッド側での判定結果をクラス変数のフラグに入れておくのが素直でありましょう、というわけでこうなりました。 具体的な実装の加減については好みの世界ですね。 上記はあくまでも日本一SFMLに詳しい天才プログラマーである私による模範例ということで、ありがたく鵜呑みにしていただければと思います。 はい、そんなわけでいよいよ開発日誌っぽくなって参りました。 というか、こういうのはプログラミングのページに記事として書いたらいいのではないのか。 日本一SFMLに詳しい天才プログラマーとして、ありがたい情報をみなさんにお伝えするギムがありますからね。 元気が余ってたら頑張りますので、ご期待ください。 ところで話は変わりますが選挙ですね。 私の住んでいる地域でも先日、地方選がありました。 で、別に結果自体についてどうこう思うことは特にないのですが、相変わらずの低い投票率。 今回の具体的な数字はちょっと見当たらなかったのですが、投票数と有権者数から推定するに、大体40%ちょい上ぐらいだと思われます。 この調子で一桁台に突入するぐらいまで下がれば、それはそれで面白そうではありますが、 今のところ、そこまで極端なことになる機運というものもなく、相変わらず、一部の「関係者」のみで結果が左右されている状況のようです。 投票率が低いとは言え、投票をしている人自体は相変わらず一定数いらっしゃるわけですよ。 じゃあ、一体どんな人が投票場に足を運んでいるのか? 今回の私の住んでいる地域の投票結果を見ていて、一つ面白いことがありました。 得票数はほぼ全体的にバラけていて、どの候補者さんも大体5000~10000票ぐらい獲得しておりました。 そんな中、一人だけ180票ぐらいの人がいらっしゃる。 この差は一体何なのか? 大多数の人にとっては、政治も選挙も興味のないことだと思うのですよ。 当日、投票場に足を運ぶにしても、そんなに深く考えて投票するわけではないでしょう。 で、全体的に票がバラけるというのはわかります。が、特定の人だけ極端に少ないというのは一体どういうことなのか? 選挙の時期になると郵便受けに配布される新聞の号外みたいな公報があるじゃないですか。 あれを見る限りでは、その人だけ特に何か問題があるようには私には思えませんでした。 おそらく政治家としては無名の人なのだろうとは思います。が、そんなことは、大多数の住民にとってはどうでもいいことのはず。 大多数の住民にとっては、誰が無名で誰が有名なのかさえ区別がつかないはず。私だってつかない。 だから、普段は政治や政治家に無関心で、選挙のときだけ軽く情報をナナメ読みして投票にだけは一応行く、 という人にとっては、その特定の人が政治家として無名だからと言って、その理由で選択肢から除外する、ということ自体が起こり得ないことのはず。 ということはつまり、 投票を実行したのは、いわゆる地盤て言うんですか? 何らかの形で特定の候補者に直接あるいは間接的に関係のある人が大多数であり、 「普段は政治や政治家に無関心で、選挙のときだけ軽く情報をナナメ読みして投票にだけは一応行く」 という層の人はほとんどいなかった、投票自体に行かなかった、と思われます。 だって、そういう層の人たちは、特定の政治家に義理があるわけでもなんでもなく、そもそも誰が無名なのか有名なのかという先入観もないはずで、 その無名の人にだって票を入れる可能性があるってことです。 そういう人たちがもっと投票場に足を運んでいれば、 その無名の人にだって、もう少しぐらいは票が入っていたはず。ここまで極端な差は出なかったはず。 結局、選挙に興味のない人は投票自体に行かないし、 だからこそ、いくら選挙を繰り返しても、既存の政治活動の範囲内でしか顔ぶれが回らず、 選挙に興味のない人は、ますます選挙に興味をなくし、 既存の政治活動の世界の外から立候補しても票がもらえる可能性は閉ざされて、 だからこそ、いくら選挙を繰り返しても、既存の政治活動の範囲内でしか顔ぶれが回らず、 結局、選挙に興味のない人は投票自体に行かなくなり、 だからこそ、いくら選挙を繰り返しても、既存の政治活動の範囲内でしか顔ぶれが回らず、 選挙に興味のない人は、ますます選挙に興味をなくし、 既存の政治活動の世界の外から立候補しても票がもらえる可能性は閉ざされて、 だからこそ、いくら選挙を繰り返しても、既存の政治活動の範囲内でしか顔ぶれが回らず、 結局、選挙に興味のない人は投票自体に行かなくなり、 だからこそ、いくら選挙を繰り返しても、既存の政治活動の範囲内でしか顔ぶれが回らず、 選挙に興味のない人は、ますます選挙に興味をなくし、 既存の政治活動の世界の外から立候補しても票がもらえる可能性は閉ざされて、 だからこそ、いくら選挙を繰り返しても、既存の政治活動の範囲内でしか顔ぶれが回らず、 結局、選挙に興味のない人は投票自体に行かなくなり、 だからこそ、いくら選挙を繰り返しても、既存の政治活動の範囲内でしか顔ぶれが回らず、 選挙に興味のない人は、ますます選挙に興味をなくし、 既存の政治活動の世界の外から立候補しても票がもらえる可能性は閉ざされて、 だからこそ、いくら選挙を繰り返しても、既存の政治活動の範囲内でしか顔ぶれが回らず、 結局、選挙に興味のない人は投票自体に行かなくなり、 だからこそ、いくら選挙を繰り返しても、既存の政治活動の範囲内でしか顔ぶれが回らず、 選挙に興味のない人は、ますます選挙に興味をなくし、 既存の政治活動の世界の外から立候補しても票がもらえる可能性は閉ざされて、 だからこそ、いくら選挙を繰り返しても、既存の政治活動の範囲内でしか顔ぶれが回らず、 結局、選挙に興味のない人は投票自体に行かなくなり、 だからこそ、いくら選挙を繰り返しても、既存の政治活動の範囲内でしか顔ぶれが回らず、 選挙に興味のない人は、ますます選挙に興味をなくし、 既存の政治活動の世界の外から立候補しても票がもらえる可能性は閉ざされて、 だからこそ、いくら選挙を繰り返しても、既存の政治活動の範囲内でしか顔ぶれが回らず、 つまり天才プログラマー的に言うとこういうことですよ。
現状 = ドウショウモナイ; while ( 現状 == ドウショウモナイ ) { 結局、選挙に興味のない人は投票自体に行かなくなり、 既存の政治活動の世界の外から立候補しても票がもらえる可能性は閉ざされて、 だからこそ、いくら選挙を繰り返しても、既存の政治活動の範囲内でしか顔ぶれが回らず、 }
「既存の政治活動の世界の外から立候補しても票がもらえる可能性は閉ざされて、」 という処理が無限ループに含まれているというのが恐ろしいところです。 結局、どこを切っても現状はドウショウモナイまま変わらず、ループの外に出られない。 閉塞感、という言葉さえ、もはや使い古されております。本当にドウショウモナイ。 この手の話をすると「じゃあおまえが立候補しろよ」みたいなことを言う人がいたりもしますが、 これに対しては「じゃあ投票してくれるのか?」の一言です。 結局そんな気すらないから、つまり、ご覧の有様ってことです。本当にドウショウモナイ。 なお、私が立候補すると世界中からン百億人の私の大ファンのみなさんが応援に押し寄せて ご近所が大混乱に陥ってしまうことが火を見るより明らかですので、 みなさんの平穏な暮らしを守るために、立候補は差し控えている次第です。人気がありすぎるのも困りものですね。 それとも案外、みなさん現状に満足してらっしゃるということだったりするのでしょうか? それならそれでいいのですけど。 しかし、そんなことはないでしょう。決してないでしょう。 なぜそう言い切れるのかと言えば、得意のイマギナティオーンで明確に霊視したからです。この私の霊能力を見くびってもらっては困る。 満足しているわけではなく、鬱屈した不満を押し付け合っている。 表面的には穏やかでも、そのようなサイキック地獄絵図が今この瞬間も世間にて絶賛展開中です。 なぜ私にそんなことがわかるのかと言えば、得意の以下略です。見くびってもらっては困ると言ったハズ。 現状に不満があるのなら、無名の人にこそ投票してみると面白いんじゃないの? と思うのですが、そもそも投票に行く気自体がない人の脳を操って投票に行かせることもできず、ドウショウモありません。 矛盾しているというか、不可解ですらある。 誰が当選したってどうせ同じだとか、野党が頼りないだとか、選択肢がないだとか、いろいろ言いますが、 じゃあ無名の人にこそ投票するのかと言えば、そのようには行動しない。 自分一人が投票したってどうせ結果は変わらない、というのは、そのとおりかもしれません。 そして、そう思って投票に行かない人が多いからこそ、実際にそうなってしまう、ということもまた事実でありましょう。 悲観的な予測が、悲観的な現実を、実現させてしまっている。 まさに夢は叶うってやつです。 そういえばみなさんそういうの大好きなんでしたっけ。なるほど。やはりドウショウモナイですね。 なんでしょうね。 こういう「空気感」のようなものに対して、一体何をどうすればいいのか? たとえどんなに「正しい」ことを言ったとしても、 「でも、みんなはそうは思ってないよね」の一言で全否定です。 結局何を言ってもドウショウモナイ。 その「みんな」というのは誰のことなのか? 「みんな」はさておき、あなた自身はどう思うのか? と言いたいところではありますが、そういう対話自体が成立しないという事実にこそ問題の根源がある。底知れぬ闇がそこにある。 おっと、底知れないのにそこにあるとは今日も私の天才っぷりは誰にも止められないようですよ。 >「みんな」はさておき、あなた自身はどう思うのか? ここのところが、いわゆる民主主義が前提とするところであろうと思われます。 しかし、その前提自体が間違っているのではないかとさえ思えてきます。 外国のことはよく知りませんが、こういう傾向は別に日本が特に、というわけでは必ずしもなさそうです。 一人一人が自立した自己自身である、という人間観自体が、そもそもファンタジーなのではないのか? 民主主義という迷信。 他人に流されずに自分で判断しましょう、などとは言いますが、 そもそも、そこに何らかの思い違いがあったりするのではないのか? そのようではない人を批判して、そのようになりましょう、という。それ自体が、何かの勘違いではないのか? しかし、じゃあ一体何なのか? 物質世界という舞台で人体たちが踊っている。その舞台裏で人体たちを動かしている仕組みは一体どのようなものであるのか? 果てしなく不可解ながら、おそらく地球上に人間として生きている間には知りえないことなのでしょう。 > 民主主義という迷信。 迷信ではあるかもしれませんが、それでも、大体において納得感を得やすいシステムではあるはず。 「どうせオメーラは何にもわかんねーんだから」と言って誰かに独裁されるのではなく、 「一応みんなで決めたこと」になっている方が納得はしやすい。 しかし、だから結局「仕方ないじゃん」という諦め感にもなってしまうのでしょうか。 でも私は消費税10%に賛成した覚えはありませんよ? 今回も地方選ながら、消費税10%に反対を表明している候補者に投票しました。10%だなんてそんなことはこの私が認めません。このやろ〜。 別に選挙に限ったことではなくてですね。このドウショウモなさ。 政治じゃないですけど、私、今まで結構いろいろやってきたんですよ。やろうとしてきたというか。 しかし世間は相変わらずです。 別に世界を変えるだとか、そんな大それたスケールじゃないにしても、多少は賛同を得られてそれなりの動きを形成できる、 ぐらいのことは期待してもいいような気がしてたんですけど、しかし、何をしてもダメでしたね。 私の考えややり方自体にそんなに大きな間違いがあったとは、今でもあまり思っていません。 別に世界中の人が私の斬新なアイデアにコロっと入信してくれるなんて思ってたわけではないですけども、 現状の中で不満を抱えている人は確実にいて、そうした人たちの不満を解決しうる方策ではあったはず。 じゃあそうした人たちが積極的に賛同してくれたかと言えば、まったく全然ダメでしたね。 別にアイデアコンテストというわけではないので「同じようなことを考えてるのはおまえだけじゃない」なんて言われても困る。 私だけじゃないなら、じゃあ賛成してくれるってことなのかといえば、もちろんそうはならない。 私の考えややり方に間違ったところがあると思うなら、積極的に批判を受け付けるつもりでオープンにもしていたつもりですが、 正面から批判をする人というのはほぼゼロ。たまに冷笑的な反応があればマシな方。 結局、キミたち自身がそんな態度なのだったら、何をどうしたって、ドウショウモナイ。そうとしか言いようがない。 > 私の考えややり方自体にそんなに大きな間違いがあったとは、今でもあまり思っていません。 間違っていたところがあったとすれば、 「正しいことを言えば正しい結果になるはずだ」という幻想があった、ということです。 "人" が集まっている "この世" というものは、もっと何か、得体の知れない仕組みで動いている。 それを「人情」だとか「愛」だとか、綺麗な言葉で表現するのもよいでしょう。 そうしたことを理解できないことは、非常識なことであり、人の心の機微がわからない唐変木であるというわけです。 まさに「空気が読めない」ってやつです。 はい。だからその「空気感」ってやつが、まさに得体が知れないってことですよ。 何でキミはそう思うの? キミ自身は本当のところどう思ってるの? そんなこと言ったって……ゴニョゴニョ……じゃ、じゃあお前が立候補しろよ! どーせ誰も投票しないけどな! ヘンっ!! はい。ごめんね、気を悪くさせるようなこと言って。 ただ一つわかって欲しいのは、私はあなたを嫌な気分にさせるのが目的だったわけでは決してないってことです。 私は少なからず縁のあった人たちを嫌な気分にさせてしまっただけなのでしょうか。 それにしても得体が知れない。 "人" が大勢いる "この世" の中で、その "人" 自身は、何を願ってそこにいるのか? すべての人が幸せであってくれるといいのに。 何か得体の知れない呪いが舞台裏からこの世をドウショウモなく縛っているように思えてなりません。 本当のことを知りたい。 ◆ 2019/04/06 したこと: マインドルの対戦パート作成 学園モノと言えばマインドル。 いよいよゲームっぽくなって参りました。 そういえば、マインドル自体の画像を載せるのはこれが初めてなような気がします。 ずーっと全宇宙で私しか知らない状態だったというわけです。 宇宙で私の次にマインドルを見ることができるなんて、あなた方は本当にラッキーですね。 ゲームの内容はさておき、左側に立ってる人が対戦相手のキャラ、ということです。 わかりますよね? わかって欲しい。愛するあなたにわかって欲しい。 左右の位置については、わりと悩みどころではあります。 格闘ゲームとか落ちゲーなんかだと、大抵、左側がプレイヤーですよね。 横スクロールのアクションゲームでも、進行方法が「左→右」の場合が多いような気がします。 ただ、将棋系のゲームだと、大体、右側が自分の駒台になっているはず。すると相手キャラは左に配置、ということになる。 というわけで右側がプレイヤー(の駒台)。左側が相手キャラです。 どっちでもいいと言えばどっちでもいいですよね? はーい、どっちでもいいでーす。うむ。 今さら変えるのも面倒なので、慣れていただくこととします。 ただ、通常時はアングルが基本的に左向きなのですよね。 対戦イベントのときに逆向きになるのはどういう了見なのか? では、こういうのはどうでしょう? 通常時は向き合っているというより、同じ側にいて並んでいる。 対戦時は盤面の向こう側に移動して、向き合う。 うむ。それだ! これで皆の衆も納得してくれることでしょう。 ちなみにペアバトルのときには味方キャラは右の駒台側に、左向きアングルで表示される予定。 うむ。つじつまが合って参りました。未来は明るい。 それからもう一つ、立ち絵が駒台に重なって邪魔じゃないかどうかが少々心配です。 これも今さらレイアウトをいじるのは精神的にツライ。 最悪、マウスを乗せると半透明になる、みたいな小粋な機能を追加しましょうかね。そんな元気がありますように。 着手時にカットインが発生したりもします。気合を受け止めてください。 画像は今のところ立ち絵の使い回し。 カットイン自体はLuaでいじれるようにしてあるので、余力があったら作り込むことにして、 さしあたりはこんな感じで突っ走る所存です。 試合中に喋ったりもする。 カットイン含め、試合中のキャラクターの挙動はLuaで制御することにしています。 例えば「詰みを読み切ったときのセリフ」とか「n手目で自分が不利なときに表情を変える」みたいな。 結局全員同じパターンになってしまいそうな気もしますけれど、 こういう形にしておけば、後でどうにでも変更できる、というわけで、精神的に気楽ではあります。 あんまり悩まずに突っ走るには好都合。実際に突っ走る精神エネルギーがあるかどうかはさておき。 ちなみにスクリプトにエラーがあるとエラーメッセージをしゃべり出してロボロボしい感じになるという楽しいオマケつき。 セリフなどの挙動とは別に、思考処理のAI自体はC++の別モジュールになっていて、 対戦相手のキャラが自分の手番のときに、設定されているAIに問い合わせる、というような処理です。 というわけで、ゲームの思考AI自体は現状のまま後回しとして、 さしあたり、ストーリー中のイベントして、セリフなどの挙動をスクリプトに落とし込む作業をしているところです。 最悪、指し手の内容は全員同じでも、「完成」と言い張るための表面的な体裁は整いますからね。おぬしもワルよのぅ。 ちなみに現状のAIの強さは、ブランクのある私よりは結構強いぐらいです。 こういうのは強さを追求するとキリがないですが、強さ自体に関しては、多分、現状で充分かなと思っております。 この手のゲームが得意じゃない人にとっては、これでも強すぎるぐらいなんじゃないかなという気がします。 というか、対戦イベントをクリアできなくてストーリーの続きが読めない、ということのないようにしたい。 問題は、たまに長考が発生することと、キャラごとの棋風の差を出しにくいことです。 長考と言ってもせいぜい10秒ぐらいですが、生の人間同士ならさておき、 画面の前で10秒間待たされるというのは、ゲームとしていかがなものか。10秒も何もせずに座ってたら悟りが開けてしまうじゃないですか。 棋風については現状でも、ある程度、設定ファイル上で読みの深さや特定の形状にバイアスをかける、 みたいなことはできるのですけど、これだけだと、見た目上「わかりにくい」ですからね。 序盤の駒組みを使い分ける、みたいな設定ができると「わかりやすく」なるのかな。 さて、どうしようかな。天才プログラマーとして頑張らないとイケませんね。ともかく、そのへんは後回しということで。 そんな感じで、今週は、対戦イベント回りのシステムを作り直しておりました。 死ぬほど久々にCode::Blocksを起動して死ぬほど久々にソースを見て、内容を全然思い出せなくて死ぬかと思いました。 3日前のソースは他人のソースと言いますが、3日どころじゃないですからね。もはや前世の記憶。何度か死んだらしいぞ、と。 間違いなく私が書いたソースではあるのですが、だからこそ、自分で思い出さない限り誰にも教えてもらえない。 全宇宙でただ一人、私がヤルしかない。この追い詰められ感がたまりませんね。ドキュメントを残しておくなど軟弱。 ともかく上記SSのような感じのことは実装できる状態になりましたよ。めでたしめでたし。 あとは同じパターンの設定ファイルをコピペすれば全対戦イベントやっつけ完了! ……と言いたいところですが、本文によると他にも特殊な試合形式があるらしいじゃないですか。 ペアバトルとか、口出しモードとか、相談バトルとか。 いつもながら本文担当の人は勝手なことばかり言ってくれますね。天才プログラマー使いが荒い。 というわけで、もう少しシステムの拡張をガンバりますよ。できるかな? ドキドキ。できなかったらご愛嬌。 ところで話は変わりますが、ついにジオシティーズが終了してしまいましたね。 よく拝見していたサイトの中には、そのまま消滅してしまったものもあります。 保存しておきたいものについては、直前にwgetで手元に保存しておいたのですが、 管理人ご本人が復活させる意志がないのに私が勝手にネットに上げるわけにもいきません。交流があったわけでもないですし。 さみしい話ではあります。 というか、いつの間にか「個人ホームページ」というものを、あんまり見かけなくなってしまいましたね。 ブログやSNSの方が手軽だから、というのは理解はできるのですけれども。 ただ、純粋に手軽で便利だから、というだけでなく、 何か、こう、ワードプレスやフェイスブックで情報を発信すること自体がモダンでオシャレなのダ! みたいな風潮があるような気がして、それはちょっと本末転倒なんじゃないの? とは思わないでもありません。 それを言い出すと、かつての「個人ホームページ」も同じだったと言えば同じだったかもしれませんけど。 しかしワードプレスってそんなにイイものなんですかね? なんだか、うさんくさいイメージしかないんですけど。 検索エンジンで何かを検索すると、上位に出てくるのは大抵Neverまとめかワードプレスで、 「あなたは損をしている!」だとか「いまさら聞けない!」だとか、神経にさわる鬱陶しいタイトルがずらーっと並ぶ。 その内容はWikipediaからコピペしてきたようなテキストを切り貼りして、最後に「いかがでしたか?」のパターンです。 おかげで検索エンジンが使い物にならない。 有名な本からの引用があったりしますけど、おまえその本読んでないだろ、っていうね。 本文と関係ない画像が多用されていたりするのも、いかにもアヤシゲです。 札束の画像とか、サラリーマンふうの人が頭を抱えている画像とか、いら○とやさんの素材とか。 最近、い○すとやさんの素材を見かけるたびに拒絶反応が起きてしまうんですけど、どうしてくれるんですか。 そういえばRPGツクールでアレックス症候群てのがありましたね。 しかし、それを言うならコミPo!症候群というのもあるのかもしれません。人のこと言えないじゃないですか。ドキドキ。 もちろんワードプレス自体に罪があるわけではないですけどね。アレックス氏は無罪。コミPo!氏も無罪。私も無罪。あなたも無罪。 でも、単なる道具というより、結局、むしろ積極的に「ああいうふうに」ツクっちゃうのが、 何か、こう、「ネットを活用して情報発信してるゼ!」ってな感じなんでしょ? ワードプレスを使うからと言って、わざわざ「ああいうふうに」ツクらなきゃならないってことはないはずなのですけど。 みんなアレックスが大好きなんですよ。仕方がないですね。 そんなわけで、私の中では「ワードプレスでツクってある=眉ツバ」という偏見が出来上がりつつありますので、 私に好印象を持ってもらいたかったらワードプレスは使わない方がいいですよ! 役に立つアドバイスをもらえてよかったのぉ皆の衆。 こんな時代だからこそ、「個人ホームページ」には頑張っていただきたいと思うのですが、 ジオシティーズが終了してしまったことですし、流れとしてはどうにもならないのかもしれません。 昔に逆戻りすることが正しいということにはならないとは思うのですが、 かと言って、現在の流れが、そんなに「善なる方向」に向かっているようにも、あんまり思えません。 表面的なオシャレっぽさにかけては洗練の度合いを高めつつも、内実は邪悪さを増しているように思えてなりません。 いかに人の「気をひいて」アクセスさせるか? たとえば「炎上商法」なんてのが一つの典型です。 不幸をふりまいてでも、注目を集めたもん勝ち、みたいなところがあります。 むしろその方がアクセスは集まりやすいという面はありますからね。そういうのが跳梁跋扈する必然性は理解はできます。 注目を集めるために変なことをする、ということ自体は昔からありましたけども、 そんなに、悪質なものではなかったはずです。わざわざ特定の人を傷つけるような乱暴なことを言って、煽る、みたいな。 そういう「煽り」が実現できてしまうというのは、SNSの負の側面ということでしょうか。 それから、今は昔以上にネットに「カネのニオイ」が漂ってますので、 注目を集めようとするにしても、必死さの次元が違うような気がいたします。 好きなことをやって笑いをとる、とか、そんなほのぼのしたものではなくなってます。 いかにして人に不安を植え付けて、アクセスさせるか? 昔はネット自体に「そこまでする」ほどの価値がなかった、ということではあろうかと思います。良くも悪くも。 ただ、今は昔と違って検索エンジンがカシコイですので、そんなに小細工をしなくても、 やがて関連するキーワードでそこそこ検索されるようになる「はず」なのですけど、 だからこそ、いかにして検索エンジンにスパムするか? を頑張ってしまうということにもなってしまうのでしょうか。 どうしょうもないですね。 検索結果の見出しタイトルの語尾に「?!」がついてるものはクリックする気になれません。 > かと言って、現在の流れが、そんなに「善なる方向」に向かっているようにも、あんまり思えません。 > 表面的なオシャレっぽさにかけて洗練の度合いを高めつつ、内実は邪悪さを増しているように思えてなりません。 じゃあ何が「善」なのかと言えば、話はわりと簡単でして、 要するに、誰もがそれぞれに、自分の好きなことを好きなようにしていて、 それで何の問題もなく、それぞれに幸せでいられる状態、ということです。 具体的にどういうものが、ということについては「それぞれ」ですが、 全体的なあり方としては、そういう状態が「善」以外の何物でもないはず。 インターネット自体はあくまで一つの道具に過ぎないとは言え、そういうものに資するポテンシャルを持っているはずで、 黎明期の熱狂というのは、まさにそういう意味合いのものだったはずですが、 じゃあ、現在、そういう状態が実現しているのかと言えば、むしろ逆行しているような感じがするわけです。 今、増えているのは、本人が好きで発信している情報というよりは、 「おまえはこれを見るべきなのだ」「見なければ損をするのだ」というような脅迫的なメッセージです。 息苦しい。 本人が自分の思いを書いているというよりは、世間的な「常識」を寄せ集めて切り貼りしていたり。 たとえば「今、○○が話題になっています」なんてのはよく見かけるフレーズですが、奇妙な表現ですよ。 「話題になっています」じゃなくて、おまえが今そうやって話題にしてるんだろ、っていうね。 つまり「私は」という個人の姿がそこにはないということです。 昔の「個人ホームページ」って、管理人が好きなことを好きなようにやってて、 理解はできなくても、なんか楽しそう、みたいなのって、よくあったじゃないですか。 今そういうのを全然見かけません。あるところにはあるのかな。あって欲しいな。 たまーに見つかるので、こそっとブックマークに入れる日々。 そのうちリンク集をつくろうかな。というか「リンク集」という単語の懐かしさときたら。 それから、特定のジャンルごとの集約サービスというか、ポータルサイトのようなものが林立して、 便利と言えば便利ではあるのですけども、型にハマってしまっているような感は否めません。 そのポータルがその分野のポータルとして権威を持つようになるにつれ、 敢えてそこを通して情報を発信すること自体が目指されるようになってしまうというか。 「個人」が「個人」として表に出る機会が削り取られている、と言えばいいでしょうか。 それの何が悪いのかと言われれば、何も悪くない、と言う他ないのですけれど。 ただ、あんまりワクワクはしません。 なんと言いますか、「キミらは大体こんな感じなんでしょ?」と最初っから言われていて、 言わせるだけにとどまらず、「はーい、その通りでーす」と喜んで従っていく、というような。 そうして衆生から情報を差し出させて、ポータルのトップページに 「人気の○○!」とか「注目の○○!」とか「よくアクセスされている○○!」などとケレン味たっぷりに貼り出すわけです。 私などはそういう空気に触れた瞬間にヘナヘナと気力が萎えてホームセンターにロープと踏み台を買いに行きたくなってしまうのですが、 でも、みなさんはそういうのが好きなんでしょ? みなさんの幸せは私の幸せ。みなさんがそれでいいなら私は何も申しません。 そこにワクワクがあるか? あるのでしょうか。あるのかもしれません。きっとあるのでしょう。 せめて規約に違反してガンガン削除されるようなものをビシビシ投稿していくぐらいの気概を持って楽しんでいただきたいな思います。 と、誰も読まないと思って好きなことを言う。 ではまた。 今日もあなたが幸せでありますように〜。あれ? これ久しぶりに言った気がします。今後とも言い続けますよ。 ◆ 2019/03/30 したこと: マインドルの画像表示確認 学園モノと言えばお風呂上りのニアミス。 もはや「ニア」ってこともないですね。なんと言えばよかったでしょう? それはさておき、グラフィック的にどんな場面の表現かは伝わりますよね? 伝わることでしょう。 みなさまのたくましいイマギナティオーンに期待しております。 というわけで全ルートの画像の表示確認が完了! 特に上記のSSの場面は繊細な調整が求められる高難度の場面であることがおわかりいただけることでしょう。イロイロな意味で。 その苦労に思いをはせて、ぜひぜひ感涙にむせび泣いていただきたいなと思っております。 今回の確認作業はキャラ3ルートです。 と言いつつ上記のSSの緑髪の人はキャラ2さんだったりします。不思議なこともあるものですね。 これまでに、キャラ1ルートとキャラ2ルートの表示確認をして、特に問題はありませんでしたので、 このルートも特に問題はないだろうとは思いつつ、念のために一通り動作させて読破。 長かった。 全14話。しかも大長編ばかり。読み通すだけで丸々一週間かかってしまいました。 こんなにたくさん入力したなんて、私は本当にエライですね。 さて、大きな問題はないものの、細かな問題はそこそこあるものですね。 画像自体の出来映えはさておき、一度表示してみれば絶対気付くだろ、ってレベルのミスを放置するわけには参りません。 やはり確認作業というものは、しておくべきものだなと痛感いたします。 ところで痛感って漢字で書くと痛そうですね。痛いのはイヤだよう。他に言い方ないのかな? 「痛」以外で。 熱感? 冷感? 圧感? 痒感? あ、実感でいいのか。それだ! 何の話でしたっけ。 確認作業の話。 心配してたのは、たとえば立ち絵が画面に収まらない、とか、そういう根本的な規格のズレですが、 そうしたことはなく、少なくとも体裁は整っていることは確認できました。一安心。ビクビク。 品質的に気になる箇所は少なからずありますが、それを言い出すと永遠に終わらなくなるので、 ともかく「完成」と言い張れる状態を目指して突っ走りますよ。 文章と画像が合ってない箇所はどうしようかな。 たとえば「床に布団を敷いて寝た」と書いてあるのに、画像ではベッドが表示されているとか、 「電柱の地中下工事が行われて見通しがよくなった」と書いてあるのに、画像では電柱が表示されているとか、 「空一面、雲で覆われている」と書いてあるのに、画像では快晴とか。 可能な限り文章を曖昧な言い方に変更して誤魔化したり、画像に修正を施したりはしてみましたが、 ある程度はご愛嬌ということで、みなさまのたくましいイマギナティオーンに期待しております。 それにしても、こうして久々に全編を通して読み直してみて、つくづく思うのですが、 一体全体、何なんですかね、このストーリー。めちゃめちゃ面白いじゃないですか! こんなスバらしいお話をもうすぐ読めるようになるなんて、あなた方は本当にラッキーですね。 さて、まだ作業は終わりではありません。 次は何をしようかな? 私としてはスバらしいお話を読むことができて大満足なので、思い残すことはないかなって感じなのですけど、 このスバらしいお話をあなた方にもお届けして差し上げたいので、 もうしばらくこの世で作業を続ける予定です。私は本当に慈悲深いですね。 そんなわけで、どうしても修正しないとマズイ画像が2、3枚あったので、それだけ修正して、 その後、心置きなく対戦パートのAIの仕上げに突入する予定。 ストーリーは大長編ですが、実際に試合をする箇所は数えるほどしかないので、量的には絶望には及びません。 技術的なことについても、私は天才プログラマーですので、朝メシ前は言い過ぎだとしても、 朝メシをお腹いっぱい食べて二度寝して昼ご飯を食べた後って感じです。どっこいしょ。 地球滅亡の日までには間に合う見積りですよ。よかったのぅ皆の衆。 さてさて、他にも何かお伝えしたいことがあったようななかったような。 イロイロあります。イロイロあります。 ただ、とどのつまり、地球上の誰もが幸せでありますように、ってことです。 他には何にもありません。単純な話。 単純な話、なのですが、しかし、実際に地上で、肉体を持った個人として、他者の中で生きていると、 その単純なことが、言えなくなってしまいます。 そういうふうに、この世は、できているようです。 一体何なんでしょうね。 思い残すことがあるかどうかと言えば、この地上でどうしても何かを手に入れたいだとか成し遂げたいだとか、 そういう意味での思い残しというものは特にありません。 が、疑問は残ります。この世は一体何なのか。 何でまた、わざわざ、こんなもんがあるんですか? 言い方はイロイロあるでしょう。たとえば「この世は神のリラ(お遊び)だ」とかなんとか。 では、そう言われた瞬間、パッと魔法が解けて、この世が終わってくれるのか? くれない。 そんなふうに涼しげに言われても、やっぱり、相変わらず、この世が続いてしまう。 眠る。目を覚ます。まだ終わってねーのかー。このやろ〜。 どーうしよーっかなー。 さしあたり、あなたの幸せ願いつつ、 ではさて、相変わらず解けない魔法の中で、どーうしよーっかなー。 ◆ 2019/03/23 したこと: マインドルの画像表示確認 学園モノと言えばCGモード。 いよいよノベルゲームっぽくなって参りました。 ん? ノベルゲームっぽくする必要はあるんでしたっけ? しかしそれを言い出すと行き着く先は何も表示しない涅槃アプリ。 そんな難しいもんでもないし、CG作業が完了した今のタイミングでやっつけてしまいましょう。 というわけで上記SS含めて全3ルート分を一気にやっつけました。私は本当にエライなぁ。しみじみ。 CGの枚数自体は全208枚。シーンの件数としては全92件。こんなにあったのか。私は本当にエライなぁ。しみじみ。 それにしても予想以上に面倒くさくてビックリでした。 当初の見積りでは「CGモードを実装するぞ!」と心の中で念じれば、次の瞬間にはドロンッ! とCGモードが出来上がるハズだったのですけども、 どういうわけか、いくら念じても何も起きない。 仕方がないので、一枚ずつチマチマとスクリプトに設定を書き込んでいくという、地味で気の遠くなる作業となってしまいました。 念じ方に何らかの間違いがあったのでしょうか? 本当に不思議で仕方がありません。 しかし、せっかく天才プログラマーなのですから、何かうまい魔法を考えてみたら? うむ。確かにここは血が騒ぐところ。ではさてどうしようか……、 と、ちまちま手を動かしながら考えていたら、いつの間にか全部終わってました。本当に不思議で仕方がありません。 ちなみに世の中のノベルゲームを製作してらっしゃるみなさんは、どうやってCGモードを作ってらっしゃるのかな? あんまり気にしたことありませんでしたが、地味に面倒くさいですよ、これは。今後は涙なしにはCGモードを見ることができませんね。 それとも案外、名のあるスクリプトエンジンには、うまい具合に一瞬でCGモードを出現させる魔法が備わっていたりするのでしょうか? たとえば「CGモードを実装するぞ!」と念じればドロンッ! とCGモードが出現する機能とか。最近の開発環境はよくできてますからね。 つまり、いずれにせよ、みなさんエライなぁ、ってことです。もちろん私もエライ。しみじみ。 ところで今ふと思ったのですが、 「お金の力で他人にやらせる」 というのは、ある意味で「念じてドロン」なのかもしれません。 「これが現代の魔法ってやつだよ。ギヒヒ」とか言いながら札束をうちわにしてバサバサ扇ぐんでしょ? 大人ってキタナイ! それから、本文を動かしながらの表示確認はキャラ1とキャラ2の分が完了。 特に大きな問題はなさそうですが、たまに立ち絵の指定ミスがあるので油断ならない。たとえば夏服のシーンでいきなり冬服が混じってたり。 結局、実際に一通り表示させて目視しないと確認のしようがないので、なんだかんだと本文を通しで読破するようなことになっております。 で、久々に読み返してみると、なんなんでしょうね。このストーリー。めちゃめちゃ面白いじゃないですか! もう私、このお話を考えた人のファンにならざるを得ません。ファンレターの宛先はドコかな? ドキドキ。 スクリプトの作業のときにも同じこと言ってたような気がしますけど、画像が入った状態で動かしながら見ると感慨もひとしお。 というか、当たり前のようにスルスル動いてしまうので、 ふ〜ん、こんなノベルゲームがあったのか〜、このネタ、私の案をパクってるじゃん、このやろ〜、などと、まるで他人事のように実感がありません。 さて、まだキャラ3ルートの確認作業が残っております。楽しみですよ。わくわく。 この素晴らしいお話を、一日も早く、あなたのお手元に届けたい。 ところで、これからどうしようかな。 もちろん、さしあたりは今やっているこの作業を完遂させるわけですけども、その後。 考えていることはいろいろとあります。 たとえば自殺とか、あるいは自殺とか、そこまではいかないにしても、せめて中間をとって自殺とか。または逆をついて自殺とか。 選択肢は無数にあって目移りするところではありますが、そんな中で一つ考えているのは、 「戦わないゲーム」 です。 今後作るとしたら、そういうものを作っていきたい。 世の中に「ゲーム」と名のつくものは数限りなく存在しておりますが、 ほぼ例外なく、何らかの形で 「戦うゲーム」 ばかりです。 今作業中のものもノベルゲームふうストーリーモードつきの「対戦型ボードゲーム」ですから、「戦うゲーム」です。 このようなものはこれで最後にしたい。いや、これはこれで別にいいのですけど、 ただちょっと、「ゲーム」と言えば「戦うゲーム」ばかり、という現状に、少しぐらいはノーと言いたい。 「戦うゲーム」という表現自体が同語反復なところがあって、むしろ「ゲーム」と言えば「戦い」です。 何らかの「戦い」をコンピューター上に実現することが「ゲームを作った」ことになる。 単にキャラクターを表示するだけでは「つまらない」のであり、じゃあどうすれば「おもしろい」のかと言えば、 キャラクターを操作して何かと「戦う」ようにすることで「ゲームらしくなった」ということになる。 むしろ「ゲーム」という言葉が「戦い」の別名になっていると言っても過言ではない。 ちなみにノベルゲーム自体はゲームと名のつく何か別のものという感じなので、これを含めると話がヤヤコシクなってしまいますが、 別に何か包括的なゲーム論を構築するのが目的というわけではなくて、 ここで問題にしたいのはアクションとか、RPGとか、はたまたボードゲームとか、 ストーリー以外の部分で、プレイヤーが操作をして、何らかの目標に向けて頑張る的な、そういう要素についてです。 で、その「何らかの目標に向けて頑張る」と言うのが、結局、何なのかと言えば、戦い、つまり、 「他者をやっつけて、自己の利益を上げる」 ということになります。 その世界に、自分以外に登場する存在は、2種類しかありません。 ・敵(倒すべきもの/邪魔なもの) ・利用できるもの そういう世界の中で、手段を選ばず、利用できるものは何でも利用し、他者をおしのけて、自己の利益の最大化を目指す。 アクションであろうが、パズルであろうが、RPG的なものであろうが、 およそ「ゲーム」と名のつくものは、ほぼ例外なく、そういう内容です。 (ちなみに「手段を選ばず」という部分に自分なりに制限をかけるのは「縛りプレイ」という特殊な遊び方、ということになる) 一応、「正義の味方」ということになっていたり、「仲間と協力」という要素があったりもしますが、 やっていることは「いかに勝つか」であり、結局同じです。 > そういう世界の中で、手段を選ばず、利用できるものは何でも利用し、他者をおしのけて、自己の利益の最大化を目指す。 サイコパスですね。 もちろん「ゲームなんだからいい」ということになります。 「おまえこそ現実とゲームを混同してるんじゃねーの?」ということになります。 それは確かにその通りです。反論の余地は1ミリもありません。 ただ、なんか、「こういうの」(ばかり)が「楽しい・面白い」という「ことになっている」というのが、 なんか、奇妙だと思いませんか? 私は思います。 あくまでもゲームなのであって、現実とは無関係。 そもそも遊びなのであって、やってもやらなくてもいい。 そういうものを敢えて作り出す。 そういうものを敢えてプレイする。 で、だったら、具体的に一体何を、わざわざ、作り出して、わざわざ、やっているのかと言えば、 サイコパスごっこをしている。 「そういうの」が「楽しい・面白い」という「ことになっている」わけです。 「そういうの」が「娯楽」として提供され、「娯楽」として受け取り、 例えば「これで私はストレスが解消できた」などと判断を下す。 なんか、奇妙だと思いませんか? 私は思います。 だって、サイコパスごっこの一体何がそんなに楽しいのさ? もちろん、人の感性はそれぞれですから、そういうのを楽しいと感じる感性を否定するつもりはないのですけども、 もうちょっと疑問を感じてもいいのではないかな、とは思います。 たとえば仮にですが、世の中のゲームがエロゲーばかりだったとしたら、 「ゲームだからって、必ずエロ要素がないとダメってことはないんじゃね?」と思いますよね。思いましょう。 別にエロを否定するわけではないけれど、そうじゃないものがもっとあってもいいんじゃないのかって話です。 そして仮にではなく、実際、サイコパスゲーばかりの世の中で、 「ゲームだからって、必ずサイコパス要素がないとダメってことはないんじゃね?」って思いませんか。思いますよね。思いましょう。 別にサイコパスを否定するわけではないけれど、そうじゃないものがもっとあってもいいんじゃないのかって話です。 「たかがゲームなんだから別に問題ない」というのは完全にその通りですが、 それ以前に、本当にそんなものを「楽しい・面白い」と思っているのか? という点は、疑問に付してもいいような気がいたします。 格闘ゲーム → 人を殴るなんてイヤですよ……。 RPG → 「敵」を倒して上がるレベルって一体何のレベルなの? 将棋 → 相手が王将を取りたがってるなら取らせてあげましょうよ! などと書くと、まるで冗談のようではありますが、 要は人間としての「ヨロコビ」というものが、本当のところ、どこにあるのか? ってことです。 で、何が「本当」で、それが「どこ」なのかはわかりませんが、 かと言って、 「どうせオマエラは何だかんだ言って内心では "そういう" 欲望を持ってるんだろ?」 という悪魔の声に「はいはい、その通りでございますよ〜」と無力にクソマジメに従い続けなきゃならないってことはないとは思うわけです。 便利になった携帯デバイスで、歩きながら、あるいはバスを待ちながら、 寸暇を惜しんで何をしているかと言えば、そういう「悪魔の声」に「イエス」と言い続ける儀式に勤しんでいる、 というのでは、なんだか、あまりにも「思うツボ」で「クソマジメ」すぎる気がいたします。 あんまりオカルト的な言い方はしたくはありませんが、しかし、 これでは、いい加減ちょっと、人類全体のカルマがたまる一方なんじゃねーの、という気はいたします。 で、「ぁんだよ? たかがゲームだろ? おめーこそ現実とゲームの区別つけろやこの偽善者が!」とか言うんでしょ? ほらね、「思うツボ」だ! とは言え、単に上記のようにシステムのプラス/マイナスを逆転させるだけでは、結局は同じになってしまうでしょう。 何かもっと根本的に違う別物が必要となるような、あるいは案外ちょっとしたヒネリで済むことなのか。 具体的にどうすればいいのかは、今のところは見えておりません。 結局、何も表示しない涅槃アプリを起動させて静かに瞑想しましょう、ってことになってしまうのかな。 ゲームは「する」ことです。瞑想は「しない」ことです。 さらに言えば生きるとは「する」ことです。 一番いいのは一切の「する」ことを止めることです。つまり自殺。 そうはせずに、あくでもこの世に生きて「する」ことを続けるのだと言うのならば、 その「する」ことを通して、それでも悪魔の手に堕ちない何かを。 ◆ 2019/03/17 したこと: マインドルの画像表示確認 学園モノと言えば選択肢。 選択肢を表示すると、ちょうど立ち絵の顔のあたりに重なってしまうんですけども、 これは別に問題ないですよね? うん、問題ないよ。ですよね。よかったよかった。迅速なご回答ありがとうございます。 持つべきものは耳元の生々しい声ですね。いつも大変お世話になっております。 それにしても、こうして実際に画像が入った状態で動かしてみると、なかなかノベルゲームっぽく見えるではありませんか。 見えますよね? はーい、見えまーす。やはり持つべきものは耳元の生々しい声。本当に頼もしい限り。 というかこれってノベルゲームなんでしたっけ? もともとは対戦型ボードゲームにストーリーモードをつける、という感じの企画だったような。 なんだかすでに遠い昔のことですので、悠久の歴史の彼方に霞んでしまっております。 とは言え、まだ終わってはおりません。ここまできたからには完成へ向けて前進あるのみ。 上記SSの4番目の選択肢を選びたくて待ちきれない全国のお友達のためにも、誠心誠意努めて参る所存であります。 そんなわけで、前回から少々休憩を挟みつつ、 とりあえずメインキャラが3人いるうちの1キャラ分のルートの前半まで、画像の表示確認を済ませました。 最初は作業の段取りで手間取ったりはしましたが、確認だけですので、さっさと済ませて次へ進みたいところ。 確認の途中経過についてですが、たまに画像の指定ミスが見つかって、スクリプトを修正したり、 いまいちなクオリティの立ち絵が見つかって、今更どうしょうもないかな、と諦めたり、といった感じで順調に進んでおります。 その他、今のところ特に大きな問題はなく、 「おっ、なかなかノベルゲームっぽいじゃないか!」と、耳元の声と同意し合っている感じです。 これというのも今まで頑張ってきたからこそ。私は本当にエライですね。しみじみ。 それにしても、この世は相変わらずですね。 しまった。なんだか上から目線みたいな言い方だ。 しかし先日、久々にトリップに行ってきまして、帰ってきて、改めてそのように強く思います。 一体いつまでこの世はこのようなのか。 存在しなくてもいいはずなのに、わざわざ存在していて、 それで一体何をするかと言えば、わざわざ人間を不幸にするようなことを、さも意味ありげに続けている。 一体いつまでこの世はこのようなのか。そんなダジャレをいつまで続けるつもりなのか。 具体的個別的な問題に関して、言いたいことや思うことは多々あります。 が、具体的個別的なことについては、何も言う気になれません。 キリがありません。 ではもっと何か根本的なレベルで、何らかの取り組みが可能か? 個別の問題から距離をおいて、そうした方向を模索する。 しかしそれもまた非現実的な話です。 この世がこのようなのなぜかと言えば、特定の誰かが悪人だから、というわけではありません。 もっと全体的な話です。 ではさて、そうした観点で何かをどうにかしようと思うなら、社会の仕組みから変えなければならなくなり、 さらには国を別個に作るしかなくなり、行くつくところは、別の時空に新たな宇宙を創造する、という話になってしまう。 完全に非現実的な話です。 結局、ドウショウモナイ。 私なりにできることを、というふうなことについて、いくつか具体的な案があったりもします。 しかし積極的に意味のあることというわけではありません。 私がそれをしたからといって、何がどうなるというわけではない。 それに、仮に私のそうした行動が世間の注目を集めて、マネをする人が増えるなどということが起きたとしたら、 かえって悪いことになるでしょう。 どうせその活動を名目にして、人に優劣をつけたり、無益な論争や、人を不幸にするようなことを始めるに決まってるんです。 そしてもともとの私の活動も裏目に出るしかなくなっていく。 「どうせ……決まってる」という言い方をしました。敢えてそういう言い方をしました。 そうとしか言いようがないからです。 「どうせオマエラはその程度なんだろ?」とでもいうようなステレオタイプ的な種々のイメージが流布しており、 同時に、自分から自分をそのような枠に当てはめていく、ということが大流行しています。 結局「そういうの」が「意味のあること」ということになっているらしいと見える。 「そんなことないよね」が想像を絶する頻度でハズレとなることはすでにわかっていることです。 というわけで、私が何を言っても、何をしても、ドウニモナラナイものはドウニモナラナイ。 この世がこのようなこの世である限り、その内側で何をどうしても、ドウニモナラナイ。 どうしても人を不幸にせずにはおかないこの世。 え? それはおまえの心がけが悪いからですって? なるほど。やはり、どうしても人を不幸にせずにはおかないというわけですね。 え? タマシイの成長のためであるとかなんとか? なるほど。やはり、どーしても人を不幸にせずにはおかないというわけですね。 せめて私は、可能な限り、人を不幸にするようなことはしないでいられたらと思います。 せめて私は、苦しんでいる人の気持ちに寄り添っていられたらと思います。 しかし、とどのつまり、これが、これこそが、この世の道理に反することなのでしょう。 多くの人が上記のように思うようになれば、この世はよい世界になっていくのではないか? そう思いたいところです。 しかし、どうやらそれは、楽観的すぎる見方と言わざるを得ないようです。 仮に私が上記のお題目をどこかで繰り返し唱えて、やがて世間に共感が広がり、 同じようなことを言い出す人が増える、とする。 ではそれで、この世がよい世界になっていくのか? なっていかない。むしろ悪くなる。 なぜなら、今度はそうしたお題目を名目として、人間の優劣を語り始めたり、 無益な論争や、人を不幸にするようなことを始めるに決まってるからです。 あるいは、観念的な理想としてはいいとしても、具体的な次元でのすり合わせで挫折するに決まってます。 例えば、私の場合であれば、例えばですが「騒音問題」を念頭において、 「わざわざ音を出すような行為は慎むべき」という発想があります。 が、世間の少なからぬ人々にとっては、真逆でしょう。 「音ぐらいのことで神経質になってガタガタいうのは未熟!」と思っている。 理想的なお題目は、そうした発想を強化するものとして作用するしかない。 すなわち、「人を不幸にするようなことはしない」は「音ぐらいのことで文句を言わない」になり、 「苦しんでいる人の気持ちに寄り添う」は「音を出す大義名分(世間の常識)に従う」になる。 例えば、「灯油巡回販売」は「自分で買いに行けないお年寄りのためなんだから我慢しろ」になる。 「だからと言って、わざわざ大きな音を垂れ流す必要はないでしょう?」と言うに至り、 「結局同じことの繰り返し」であると思い知る。 マイナスに対して、プラスの掛け算をすると、マイナスがさらに大きくなる、とでも言えばいいでしょうか。 結局、この世がこのようであり、どうしょうもない。 それに対して何をどうしても、やっぱり、どうしょうもない。 希望はどこにもありません。 そもそも存在しなくてもよかったはずの世界が、なぜか存在しており、 それで一体何をするかと思えば、わざわざ人間を不幸にするようなことをしている。 などと言えば、仮に話がある程度通じたとしても、 「だったら」というわけで、ではどうするのかと言えば、 「反社会的」な行動に身を委ねて「利己的」な「欲望」のために暴力的に振る舞うことが「善」だ、 とでもいうような粗暴な発想を助長することになってしまうでしょう。 希望はどこにもありません。 あるいはもう片方の極としては、 現に今、苦しい状況に直面している人を踏みつけにして、 「それはおまえが自分からわざわざ苦しんでいるのだ。おまえの心がけが悪いのだ。自己責任だ」 などと言った、「ニセ・スピリチュアル」でお馴染みの冷酷な発想に「イエス」と言ったことになってしまうでしょう。 希望はどこにもありません。 「うまい生き方」を見つけて、「いちぬけ」しては、過去の自分と同じような、そうでない人を見下す。 囚人が看守に「昇格」しただけ。 そもそもそこに収容所があるのはどういうわけなのか? 何も変わらない。 希望はどこにもありません。 そもそも存在すること自体に何の道理もないこの世で、 わざわざ人を不幸にするようなことが「この世の道理」で、 わざわざそれに自分自身を合わせて、自己や他者を不幸にすることが何か世間的に意味あることということになる。 希望はどこにもありません。 どうして、誰もが幸せでいられる世界じゃ、ダメなんですか? だったら、なんでそんな世界を作っちゃったんですか? やっぱり神とやらを殴るしかない。このやろ〜。 ◆ 2019/03/13 したこと: デ某メトルファン540mg(メジ●ン)体験レポート みなさんこんにちは。いつもお世話になって……あれ? えーっと。私は誰でしたっけ? 今トリップから帰ってきたところで、まだちょっと、自分が誰なのか思い出せずにおります。 もう摂取から24時間以上経過しているのに、まだ目ブレ、フラつきが収まりません。キーボードの打ちにくいこと。 焦点が合わないので片目でモニターを見ております。もちろん瞳孔は絶賛全開中。窓の外を見れません。 以前、OTCの●ンタックWで720mgまで試したことがあったので、今回はメジ●ンに移行するにあたっての小手調べというつもりだったのですが、 まさかここまで飛ぶとは予想外でした。 ちなみに今回は今までと違って吐きませんでした。その分、薬を余すところなく吸収できたのかもしれません。 ということは結局、今までは吐いてた分、飲んだ分量以下の効果しか得られていなかったということなのかな。 さて、何から書こうかな。思った以上に飛びが大きく、整理するのが大変です。 なお、いつものように、この内容はすべてフィクションということになります。よろしく〜。 ■ 背景 かのラーマクリシュナ先生によると、この世界が存在しているのは「神のリラ(お遊び)」だそうです。 どこかの中学生が言いそうなことではありますが、昔のインドのエライ人も言っていたことだと思えば、あながちバカにもできません。 とは言うものの、この世界は「神のお遊び」などと言われて、「ハイ、そうですか」とも言えません。 ラーマクリシュナさんと言えば、日常的にサマーディ(三昧)という神秘体験に入っていたことで有名です。 それも、そんじょそこらのありふれたサマーディではなく、ニルヴィカルパ・サマーディ(無分別三昧)というメチャンコスゴイやつです。 どのようにメチャンコスゴイのかと言うと、あまりにメチャンコスゴイのでそう簡単には言葉では説明できないのですが、 主体と客体の区別を超えた、存在が存在する以前の始原の境地、だとか、なんかそんな感じだそうです。 よくわかりませんが、メチャンコスゴイってことだけはわかります。 この「主体と客体の区別を超えた」というあたりが「無分別(ニルヴィカルパ)」ということの意味ですね。 燃えるゴミと燃やさないゴミを分別せずに出して怒られても平然としている境地ということではありません。それはそれでメチャンコスゴイですけど。 この先生はまた、「神の意図は人間などには理解できない」ともおっしゃっていたそうです。 そりゃそうだろうとは思います。人間なんかに理解できないからこそ、神なわけですからね。これはもう言葉の定義だ。 とは言うものの、そんなこと言われて、「ハイ、そうですか」とも言えません。 それにしても、せっかくメチャンコスゴイ・サマーディに何度も入っていたのですから、 もうちょっと何か、腑に落ちることを言ってくれてもいいのに、と、私などは思ってしまいまいます。 この人は理論的な神学よりも、実践を重んじた人だったそうです。 神を知ることよりも神を体験することの方が価値がある、とかなんとか。 で、ぐだぐだ言ってないで黙ってサマーディ、というわけですね。 一理あります。 じゃあ、どうすればサマーディに入れるか、ということなのですが、そんな簡単に誰もが入れるというものではないと思うのですよ。 篤い信仰心や熱心な修行だけでなく、体質的な要因も大きいのではないかという気がいたします。 また、サマーディに入ると「外界の感覚が失われ」るため、周囲の人の介助が不可欠です。 周囲に誰もいない状態でサマーディに入ったまま何日も放置されれば死んでしまいます。 実際、この人がサマーディに入った際、親戚やお弟子さんたちが寝食のお世話をしていたそうです。そういう外的な要因も不可欠です。 話は変わって、ケン・ウィルバーさんという先生がいらっしゃいます。 この人は古今東西のありとあらゆる知見を集約して人間の進化の道筋を示す『万物の歴史』などの書物を著したメチャンコスゴイ先生です。 このご本の中で人間の発達段階が9段階に分けて語られております。 詳しくは同著をご参照いただくとして、誤解を承知で、その発達段階の全体を大まかに言えば、 「身勝手な赤ん坊」から「世間の常識をわきまえた大人」への発達、 さらにそこを超越して、「究極の霊的領域から万物を配慮する境地」への発達、 というふうに言っていいのではないかと思います。 現代的ないわゆる心理学や精神医学では前半の「赤ん坊~世間に適応する大人」の段階までしかカバーされていないのに対し、 そこへ宗教や哲学を統合することで、それをさらに超越しつつ、より包括的な展望が描かれていると言えるでしょう。 9段階の最後の段階を「元因領域」と呼び、そこを起点として「超えて、含んだ」次の発達段階が「非二元」と呼ばれ、最終的な境地とされています。 この「非二元」とは何が「非・二元」なのかと言えば、誤解を承知であえて簡単に言ってしまえば「主体と客体の区別(が、ないこと)」というようなことです。 「私」の根源は究極の <霊(スピリット)> であり、同時に、万物はその同じ <霊> の顕現なのであり、 そのことを体得している境地、ということですね。 これはラーマクリシュナさんのメチャンコスゴイ・サマーディと同じなのではないかと思われます。 おっと違った、なんでしたっけ、ニリ、ニラ、ニラレバ……ニルヴィカルパ・サマーディ! そうそう、それ。 この「ニルヴィカルパ(無分別)」の無分別というところですね。 これはつまるところ、燃えるゴミも燃えないゴミも <霊(スピリット)> の顕現なのだから、 分別せずに一緒くたに出したって究極的には同じなのだ、ってことですね(違う)。 どの宗教も究極の真理の表現の一種であり、優劣はなく、 根源まで遡れば一切の万物は究極の一者である <霊> の顕現なのであり、 多は一であり、一は多であり、 <霊> は無形・有形どちらの形を取ることもでき、何かが真で何かが偽ということはない、とかなんとか。 ケン先生のお話はわかりやすいです。いや、わかりやすくはないですけど。 ただ、なかなか整理のつかないようなことに、骨子を与えて、見事にすっきりと理論立ててくれてます。 古今東西の宗教、哲学、自然科学、社会科学といったありとあらゆる知見を集め、これ以上ないほど精緻かつ簡潔明晰に、 それらが指し示す大いなるロードマップを見せてくれます。まさに偉業です。 この中で触れられている本の一冊でさえ、私などには読みこなすのが難しいものばかりです。そういうものをいくつも踏まえた上で、 さらにそれらを統合して理論的な道筋を見せてくれているのですから、これほど有難いことはありません。 それはさておき。 一切万物は <霊> の顕現なのだ、というのは、そう言われればそうなのかな、という気がしないこともありません。 が、じゃあなんで、今、現に目の前にある「この世界」が「このような世界」なのか? いわゆる「この世はなぜこのようなのか?」というお馴染みのダジャレです。 このダジャレに対する答えは、ケン先生の上記のご本の中には見つからないようです。 というより、「観察者自身の参与を無視した世界地図の作成」は厳しく批判されておりますので、 こうしたダジャレへの単一の答えを求めること自体、お門違い、ということになるのかなとは思います。 一切は <霊> の顕現なのであり、 <霊> が自身を展開し、理解するための道筋なのだ、 というようなお話があったかと思います。そう言われればそうなのかな、という気がしないこともありません。 私も <霊> 、あなたも <霊> 。私もサザエさん。あなたもサザエさん。古っ。わかる人いるのか? しかし結局それにしたって、なんでまた <霊(スピリット)> なんてモンがあって、 それがまた、なんで、よりにもよって、このようなこの世、というダジャレのようなものを顕現しちゃってるのか、ってツッコミはしたくなります。 このようなこの世、というのは、苦しみの存在するこの世です。 今こうしてのほほんとネットなんぞを見ている間にも、 世界のどこかでは布団が吹き飛び、ストーブがすっ飛び、バスがガス爆発をしております。おっと最後のはダジャレじゃなかった。 なぜ、この世界は、このような苦しいダジャレに満ちた寒々しいこの世であるのか? 苦しみの渦中にあるとき、ダジャレを言われて凍え死にそうなとき、 そんなときに「この世は神のリラ(お遊び)」だの「神の意図は人間には理解できない」だの 「一切は <霊> の顕現」だのと取り澄ましたことを言われたのでは、思わずガス爆発の一つも起こしたくなるというもの。ドカーン。 お二方ご自身には決してそういう意図はないのでしょうけど、 結局のところ、押し付けがましい現状肯定に堕してしまいがちなものであるようにも思われます。 さしあたり現状が現状のようであるという点に関しては何の理解も得られず、 下手をすれば冷酷な自己責任論にもつながりかねません。 なんでまた、よりにもよって、この世はこのよう(ダジャレ)なのか? 他に、ありえなかったのか? 今からでは、どうしょうもないのか? そもそも <霊(スピリット)> が存在するのはなぜなのか? そもそも、そいつが存在しなきゃよかったんじゃないの? 何もかも存在しなくてもよかったのに、なぜ何もかもが存在しちゃってるのか? 元因としての <霊> まで遡り、そこからUターンして「現実」へ戻ってくる。 一切万物は <霊> の顕現であることを理解する。 なるほど。それもよいでしょう。 しかしですよ? Uターンして戻ってくるしかなかったのでしょうか? 突き抜けて「向こう側」へ行くことはできないものなのでしょうか? その外側というものは「存在しない」ものなのでしょうか? こういう問いは問い自体が愚問なのかなという気はしなくもありません。「勘違いしている」と指摘を受けそうな点があることは承知しております。 ただ、どうしても納得がいかないのですよ。 何も存在しなくてもよかったのに、なぜ何もかもが存在しているのか? それも、よりによって、「このような」形で! 私自身もその <霊> の顕現の一つであり、その作用に参与しているというなら、 私が「地球上のすべての人びとが幸せでありますように〜〜!!!」って夜の屋上で叫んだら、そのようになるのでしょうか? 近所迷惑で怒られるだけです。そりゃそうですけども。 あるいは私が卑屈になってリストカットでもすれば、その分、世界が平和になるんですか? なわけねーだろって話。 それにしても納得いかない。どうしても納得いかない。 どうしてこの世には苦しみなどというものがあるのか? なんでよりによって、このようなこの世(ダジャレ)なのか? どーーーしても納得いかない。 かくなる上は、私みずからがそのメチャンコスゴイ・サマーディとやらに入って、 いっちょ、その究極の霊的な元因とやらを見て、事と次第によってはぶん殴ってやるしかありません。 とは言うものの、どうすればそんなメチャンコスゴイ・サマーディに入れるのか? 私はそんなメチャンコスゴイ人ではないので、どうすればいいのか見当もつきません。 そこで薬物ですよ奥さん。誰が奥さんだ。 ラマクリ先生の伝記によると、サマーディに入ると「外界の感覚が失われ」とあります。 これは「解離(Dissociation)」の状態ではないか? 心理学用語として「解離」と言った場合、現実に対して現実感を持てない、というような一種の症状を指します。 また、麻酔薬の一種として「解離性麻酔剤」というものがあり、まさに五感(外界の感覚)を麻痺させる、というものです。 以下、Wikipediaで恐縮ですが引用です。日本語版の方はあんまり詳しくなかったので私の素敵な訳をタダで読めるチャンスですよ。よかったのぉ皆の衆。 Wikipedia「Dissociative」より:https://en.wikipedia.org/wiki/Dissociative ---------------------------------------------------------- (引用) At sub-anesthetic doses, dissociatives alter many of the same cognitive and perceptual processes affected by other hallucinogenic drugs such as mescaline, LSD, and psilocybin; hence they are also considered hallucinogenic, and psychedelic. Perhaps the most significant subjective differences between dissociatives and the classical hallucinogens (such as LSD and mescaline) are the dissociative effects, including: depersonalization, the feeling of being unreal, disconnected from one's self, or unable to control one's actions; and derealization, the feeling that the outside world is unreal or that one is dreaming. ---------------------------------------------------------- (私の素敵な訳) 麻酔以下の摂取量では、解離性麻酔剤はメスカリン、LSD、シロシビンなどのその他の幻覚剤で影響を受けるのと同じ認識的および感覚的プロセスの多くを変容させる。 そのため解離性麻酔剤は幻覚剤またはサイデリクスとも見なされている。 おそらく、解離性麻酔薬と古典的な幻覚剤(LSDやメスカリンなど)のもっとも重要な主観的な違いは解離効果である。 解離効果には脱個人化、非現実感、自身の自我からの断絶、自分の行動をコントロールできなくなる、外界が非現実である、または夢を見ているという感覚がある。 ---------------------------------------------------------- これは解離性麻酔剤の効果が説明されている箇所です。 この中の「depersonalization(脱個人化)」や「disconnected from one's self(自身の自我からの断絶)」というのが、 「主体と客体の分離=ニルヴィカルパ=無分別」に該当するのではないか? つまり、解離性麻酔剤を用いることで、メチャンコスゴイ・サマーディを疑似体験できる可能性がある。 もちろん、宗教的な神秘体験を唯物的な科学の言葉で解説して「わかった気になる」ことの野暮さは承知の上です。 また、仮に薬物の力を借りて強引にそのような状態を実現することが可能だとしても、修行ができていない者にとっては結局意味がなく、 そこでの体験を自分のものとして持ち帰ることはできないであろう、とも思います。 せいぜい何か勘違いしてゴミを無分別に出して、収集車が回収してくれなかったゴミを自分で持ち帰るハメになるのが関の山です。 ただ、しかし、それを言うなら、さんざんサマーディに入っておきながら、 結局言うことが「世界は神のリラ(お遊び)」っていうのも、ちょっとどうなんですか? などと言っては怒られるでしょうか。 ともかく、このような手段が存在するというのならば、 あくまで薬物の力を借りての疑似体験であることを承知の上で、一度は試してみる価値はあるのではないか。 さて、解離性麻酔剤といえば、いろいろありますが、代表的なものはケタミンです。 ケタミンをご自身で100回以上体験したというD.M.ターナーという先生はご著書で次のようにご報告していらっしゃいます。 日本語版も出てるらしいですが、ちょっと手に入らなかったので、なぜかネットにあった英語版からの、これまた私の素敵な訳でお届けいたします。 『The Essential Psychedelic Guide(D. M. Turner)』より -------------------------------------------------------------------------- The experience is one of being in total orgasm with the universe. I feel like I'm in hyperspace, simultaneously connected to all things. Billions of images and perceptions are simultaneously flowing through my circuits. I am not bound into three dimensions. In the fourth dimension of time I am not locked into the current moment. I experience backwards and forwards in time as well, with the current moment being the center of intensity. -------------------------------------------------------------------------- その経験は宇宙と一体の全体的至福というあり方の一種だ。超空間にいて、同時に万物とつながっていると感じる。 無数のイメージや認識が同時に私の思考回路を流れる。私は三次元には縛られていない。 時間の第四次元で、現在の瞬間に固定されてはいない。 現在の瞬間が強度の中心としてありながら、時間においても前後に移動する経験をする。 -------------------------------------------------------------------------- これはまさにメチャンコスゴイ・サマーディではないでしょうか! 一緒にすると怒られるかもしれませんが、少なくとも一部似ているところがあるとは言えるでしょう。 とはいうものの、麻酔剤のケタミンなんて、お医者さんでもない素人が手に入れることはできません。 昔はそうでもなかったらしいですが、現在の日本では規制されてしまっております。がっかり。 しかしケタミン以外にも類似の効果を持つ物質は存在しております。 効果の要はNMDA受容体拮抗作用です。 その効果を持つお薬の中には、現在も合法的に購入可能なものが存在しております。 代表的なものが、はい、みんな大好きデキスト某メトルファン(以下「デ剤」)でございます。 なお、いかに合法とは言え、このような使い方は「乱用」以外の何物でもありません。 推奨する意図も、広める意図もございません。あくまでもすでにご存知の方を対象としての情報共有が目的です。 よい子以外のお友達がみだりに真似をするようになっては、いずれ規制ということにもなりかねません。 したがいまして、一部を伏せ字としてお送りさせていただくこととしております。 この道にお詳しいみなさんはすでにご存知のことと思いますが、 デ剤の効果は摂取量および強度により「プラトー」と呼ばれる段階で区分けされております。 プラトーは4つ(+α)存在し、その中の第3プラトーについて、とあるサイトには次のようにあります。 ------------------------------------------------------------------------------- Third Plateau (7.5 - 15 mg/kg) - The Third Plateau is much more intense than the second. One should gradually work up to it. The effects of the third plateau can include but are not limited to: dissociation, sedation, nausea (during comeup), memory suppression and ego death, auditory hallucinations, internal hallucinations, cognitive dysphoria, Cognitive and Physical Euphoria, anxiety, delusions, and all the effects of the second plateau. ------------------------------------------------------------------------------- 第3プラトー(7.5 - 15 mg/kg) - 第3プラトーは第2よりはるかに強烈である。少しずつそこまで上げていくべき。 第3プラトーの効果には次のようなものがあるが、これに限るものではない。 解離、鎮静、吐気(効果発生時)、記憶の抑制と自我消失、聴覚的幻覚、内部幻覚、 認知的不快感、認知的および身体的多幸感、不安、妄想、および第2プラトーのすべての効果。 ------------------------------------------------------------------------------- さらにこの上の第4プラトーではこれに外部幻覚や完全な解離効果が加わり、第3プラトーの全効果が増強されたものとなるそうです。 特にこの中の「自我消失(ego death)」というものがニルヴィカルパ・サマーディを彷彿とさせるものがあります。 この状態になればゴミの分別だってできなくなるに違いありません。 というわけで長くなりましたが、 デ剤を使って元因領域までイッて、神とやらを殴ってやろう、というのが今回の企画。わーわー、パチパチパチ。 ■ ドースについて 冒頭でも申し上げたとおり、私は過去にOTC版の方で720mgまで試しております。 その結果第3までは行けたかなという手応えでしたが、あくまで色々とあり得ない景色を見れただけ、と言えばそれだけのものでした。 結局最後まで「自分は部屋で寝ているだけ」という自覚があり、それ以上のものとは言い難いものでした。 なお、実際そのとおりなんだからそうなんだろ、というツッコミは華麗に無視することといたします。 OTC版のものは1箱の容量が24カプセル(合計720mg)となっており、これを超えるには2箱以上購入する必要があります。 が、そのようなことをすれば店員にマークされることは火を見るより明らか。しかも割高。 というわけで今回からはメジ●ン(以下「メ錠」)です。まとめ買いをするならこちらの方が割安。しかも余計な物質が入っていないのも好ましい点です。 ただ、OTC版のものと比べて、効果の出方に違いがあるという話がございます。 そのため、イキナリ高用量に突入するのではなく、まずは試しに低めのドースでどうっすか、ということです(言っちゃった!)。 というわけで、後日もっと高いドースでやることを目標としつつ、今回は540mgとしました。 この数字の理由は、OTC版で始めて第3に入ったのがこのドース(18c)でしたので、比較のため同一量を選ぶこととしました。 ■ 摂取方法 メ錠36錠をぬるま湯で飲み下す。事前に白がゆを食べておく(約15分前。数字は適当)。 実施前にはたっぷりと睡眠をとっておき、途中で寝落ちちないようにする。 白がゆは胃壁の保護が目的です。 今までは空腹の状態で飲んでいたのですが、毎回吐いていて、しかも嘔吐物が明らかに薬臭い。 薬の効果で吐いているというより、胃壁が刺激されて吐いているのではないか? 吐いた分はせっかく飲んだのに吸収されていないのではないか? そこでネットでの先達の先生方の情報に従い、事前の白がゆです。 胃にものを入れておくことで胃壁の保護になるだけでなく、胃が活発になるので、この方が吸収も消化もよくなるとのこと。 その結果はと言えば、冒頭にも書いたとおり、一度も吐くことなく帰ってくることができました。すばらしい。 吐気を我慢していたわけでもなく、吐気自体が一度もありませんでした。すばらしい。 それについては今後量を増やせばセトロニン絡みでの吐気が出る可能性はあるのかな。 ともかく白がゆメソッドは大当たりでした。ありがとうございます。 それにしても36錠を数えるのは面倒くさいですね。今後はさらに増やす予定なのに、先が思いやられます。 ネットを見ていると、ヤケッパチのようなハイドースの報告をしている方がときどきいらっしゃいますが、 ちゃんと数えているのだとしたら、ヤケッパチと見せかけて、なかなか几帳面ですね。 では出発です。 ■ 開始 ~ 効果発現まで 就寝前には何も食べずにおいて、しこたま寝る。 起床後、熱いシャワーを浴びてバッチリ目を覚ましておく。 その上でレトルトの白がゆを食べ、約15分後にメ錠36錠をぬるま湯で一気飲み。 ・00:00 ~ 01:00 事前に用意しておいたトランス系のBGMをイヤホンで聴きながらアイマスクをつけて瞑想。 普段よりも瞑想がハカドるような気がしないこともない。 が、アイマスクの裏の光景に変化はなく、気がつけば約1時間経過。 ・01:00 ~ 01:25 疲れて横になる。薬の効果が出てきてフラついて、という感じではない。 単に背筋を伸ばして座っているのに疲れたのと、瞑想の集中力がなくなっただけ。むしろ普段よりもハカドった方。 やたらと痰が出る。さすがは鎮咳去痰薬。でもメ錠って去痰剤も入ってましたっけ? 気のせいかな。 アイマスクの裏の光景には何の変化もない。吐気もフラつきもない。 こりゃあもしかしてハズレかなぁ? すでに何度もやってるから耐性ついちゃったかなぁ? 何度もと言っても実質2回だけなのに……。 などと思いながらお布団でゴロゴロと過ごす。 やがてアイマスクの裏に若干の変化が。 真っ暗な中、頭の後方から、光の輪が表れて、前方へゆっくりと進んでいく。 光の輪は連続して表れ、光のトンネルのようなものが形成される。 こういうものは今までの体験でもシラフでも見えたことがありません。眼球を動かしても頭を動かしても消失しない。これも初。 ・01:25 ~ 01:35 そういう閉眼幻覚が収まったり激しくなったりしつつ継続する。 ずいぶん長く続いたなぁ、と思いつつ、ふとタイマーを見ると10分程度しか経過していない。 時間の流れを遅く感じる。 この時点で、視覚的なものではありませんが、何か、エピソード的なものが2、3発生したような記憶があります。 眠りに落ちる直前の譫妄のような感じ。何かの会議の席につれて行かれて「この人じゃないんだ!」と懸命に弁護するかされるかしていたような。 よく思い出せませんが、仮に覚えてたとしても、内容をここに書いても面白くはなさそうです。 さて寝てしまったか、と思いましたが、そういうわけではなさそう。意識は明晰。 一方、閉眼幻覚の方は相変わらず。 これ以上特に派手になるわけでもなく、暇な時間がダラダラと続く。 やっぱり耐性がついて、この程度しか見れなくなってるのかなぁ。残念だなぁ。ぐずぐず。 などと思っているうちに完全にぶっ飛んでました。 なお、以降は時間の確認ができなくなります。時系列に沿っての正確な記述も不可能です。 ■ 気づいたら離陸済み 何が起こったのか? 最初のキッカケはもはやわかりません。 さまざまな光景な次々と展開する中に放り込まれていて、それでいて、特に何の疑問も感じない。 そうした中で、ふと、ああ、そっか、今トリップ中なんだ、と思い出す。 いつからそうなっていたのか? それはもうわかりません。 なぜこうなっているのか? どのような経緯でこういうことをすることにしたのか? 自分が誰で、どのような人生を送って、そしてなぜ今、こういうことをしているのか? 思い出せないわけではないのですが、遠い昔のことのような、または実際にあったことなのか、やろうとして想像していただけのことなのか、 あるいは何かのマンガで出てきた作り話のような、手応えのないものとしか感じられない。 真っ白な世界の中で、窓の向こうに人影が見える。 「結局あの恥ずかしい人生のやつをやんなきゃいけないってわけ?」 などと話しているのが聞こえる。 あの世の舞台裏を垣間見てしまった気分。 暗い中で何人もの僧侶が座禅をしている。その姿は緑色に光っていて、顔は見えない。 その上を飛ぶように視界が流れ、遠ざかるにつれ、その場所が宇宙に浮かぶ島だったことがわかる。 宇宙のどこかにそんな場所がある。 誰もいない作り物のような街。それでいて異様に明るい。 そんな中をジョルジョ・デ・キリコの絵に出てくる車輪を回す少女のような影が音もなく横切っていく。 晴れ渡った、見通しのよい街の光景が現れる。 一点透視図の消失点に意識を集中すると、どこまでも無限に解像度が上がっていく。 それがトンネルのような、遊歩道のような形に変化し、吸い込まれるように景色がスクロールしていく。 街の片隅の、どこにでもあるようなありふれた縁石に画面がフォーカスし、ピタリと停止する。 異様なリアルさ。コンクリートの砂粒の1粒1粒が見分けられる。 それでいて、その背景では、何かが超高速でビュンビュンと絶え間なく流れているような、距離感のない光景。 いつまで見ていても飽きない。何か重大な意味を持った縁石のように思われる。 やがて景色が移り変わり、またどこかの街に。 そこでもやはり、ひとしきり視界がスクロールするとは、どこかのビルの壁の角の突起に画面がフォーカスし、ピタリと止まる。 異様なリアルさ。視界の右上から、何らかの光源が強烈な光で壁を照らす。 どこにでもあるような、何の変哲もない壁。何の変哲もない突起。 それでいて、どこかの宇宙に確実に、確実に存在する何か。 ときどき狭い地下のような、棺桶のようなものに閉じ込められる。 不思議な安心感がある。目の前の壁に文字のようなものがあるが読めない。 少し街外れのような、田園が広がる光景。笑顔の人々が素朴に暮らしている。 右側に川がある。 初めてのトリップの時にも川がよく出てきましたが、そのときには常に川は左側でした。ついに川を越えてしまったか。 明るい街の中を飛ぶように視界が進む。 綺麗な広場。巨大な金色の菩薩のような何かが両手をやわらかく広げて輪になって瞑想している。 菩薩の広場を通過すると宇宙へ。 そして再び真っ白な世界。誰かがいるような気配がする。 誰もが幸せでいられる世界じゃどうしてダメなんですか? それでいいじゃないですかー。なんとか言いなさいよー。答えなさいよー。なさいよー。さいよー。いよー。よー。 ■ 07:00 ~ ふと落ち着いた気がして、アイマスクを外してパソコンの画面上のタイマーを見る。 目ブレがひどくて見るのが大変ながら、約7時間が経過していたことを確認。 早いような遅いような。 というか、「時間の経過を確認しなきゃ」という意識だけはあるものの、「誰が・何のために」という認識に現実味がない。 アイマスクを再装着する際にも、手は自然に動くものの、「アイマスク? これって何?」などと頭の片隅で思っている。 「なぜ私はこれの装着の仕方を知っているのだろう?」と不思議に思いつつ、 立ち上がることもできず、他にすることもないのでそのまま寝そべって再離陸。 その後もトリップはひたすら続きます。 ただ、あまりに支離滅裂すぎて、個別に書き出すのは不可能です。 総じて言うと、 ・明るく色鮮やかな景色が多かった ・動きがあった。意識していないはずの景色の細部や視界の端のものも動いていたのが印象的 ・街の景色もあれば、山や川や海などの自然の景色もあった ・人や生き物の姿もあった(会話はほぼなし) ・孤独感はなく、常に何者かが見守ってくれているような充足感があった ・音はほとんど聞こえなかった。たまに声が聞こえても、音ではなく頭に直接入ってくる感じ ・体の感覚は、かなり消失 実際には布団に寝ているだけ、という自覚が完全に消えることはなかったはずですが、 目を閉じている限り、トリップ側の景色の方が存在感が優勢でした。 また、寝そべった状態で空中で両手を合わせようとしたところ、スカッと空振りする、といったことがありました。 シラフのときには目を閉じていてもそんなことはない。 ・手は見えなかった 初めてのトリップのときにはアイマスクをつけていても自分の手が見えて驚きました。 今回も見えるかどうか試しましたが、そういったことはありませんでした。 ときどきうっすらと半透明の影のような腕が見えることがあった程度。 ・体の向きの感覚は消えなかった 一度、身を起こして、背筋を伸ばして瞑想ポーズをしてみたところ、見える物に変化はないものの、視点が少し高くなったようでした。 寝そべった状態のときには、地面に埋まって首だけ地上に出しているような見え方が多かった。 ・全身の皮膚の表面が痺れたようになり、叩いてもあまり痛くない ・具体的な事物だけでなく、抽象的・幾何学的模様もあった まさにShpongleの動画のようなものが見えていました。色つき。普段からよく見ているから見えただけかもしれません。 模様自体が単独で見えることもあれば、建物の壁にそうした模様が映っていることや、 または空いているスペースがそういう模様で埋まっていることがありました。 見えること自体に不思議という感じはなく、当然の光景、というふうに眺めていたように思います。 ・感情の変化(快・不快)は特になし エピソード的なものや概念的なものも特にはなく、淡々といろいろな景色が見えていて興味深く美しいものではありましたが、それだけと言えばそれだけです。 一度、巨大ロボットに叩き潰されそうになりましたが、恐怖もなく、無感動なままでした。 ・知らない景色ばかり ただ、一度、はるか天空までそびえる巨大な真っ白な塔が見えて、 「あ、これは駅の近くにあるあのビルだな」と、見た目はまったく違うのに妙に冷静に思ったことがありました。 ・視野の広がり トリップ開始のタイミングがわからないということを上に書きましたが、 どこかの時点で、アイマスクの裏側で、視野が、ズオンッ、と広がったような感じがありました。 まだ何も見えてはいないけれど、何かが取り払われて、視界が360度に展開した感じ。 一方、アイマスクを外すと視界はブレブレ。もうシラフじゃない。 ■ 09:00 ~ 11:30 そろそろ終わったかな、と思い、アイマスクを外す。 まだ視界のブレは継続中。身を起こそうとするも、ふらつきが激しく、危険を感じ、諦める。 アイマスクを再装着し、トリップに戻る。 そんなことを断続的に繰り返す。 トリップに戻るたびに、直前にアイマスクを外したのがいつだったのかわからなくなる。 直前だったはずなのに、遠い昔のような、あるいは外そうと思いついただけで、まだ実行していないことなのか。 ■ 11:30 ~ トイレへ移動。慎重に慎重に。 まずは、あの床に右足を乗せて、次にあの壁に手をついて……と、慎重にコース取りの計画を立てながらの大冒険。 用を足す最中も目を閉じるとあっち側にイってしまうので気をつける。 ついでに台所で軽く食事。事前に開封してキッチンペーパーの上に並べておいたお菓子を少々と、きな粉ジュース。 きな粉ジュースはゲロを吐く直前に胃液から歯を守るために飲むつもりで事前に用意しておいたものですが、 結局吐くことはなく、この時点でも吐気はまったくなかったので、普通に飲み物としていただきました。 ハミガキの際に鏡を見ると、瞳孔は予想通り全開。黒目がち。真っ黒だ。まだまだ効果は継続中のようです。 さて、もうひとっ飛びするかぁ。 慎重に寝床へ戻ってアイマスクを装着して寝そべる。 海が見える。うっすらと霧がかかった綺麗で静かな青い海だ。ああ、綺麗だ……。 ■ その後 その後、寝たり起きたりを繰り返しつつ、今に至ります。 ハッキリと眠れたという気はあまりしません。 もういくらなんでも終了したかな、と思って、これを書き始めているわけですが、 冒頭にも書いたとおり、書き始めた時点ではまだまだ目ブレおよびフラつきが収まっておりませんでした。 なお、肩こりは予定どおり全快しております。素晴らしい。全身の軽いことと言ったら。 ここまで書く間になんだかんだと半日以上経過してしまっており、身体症状はかなり回復してきております。 が、ときどき鏡を見ると、まだまだ瞳孔が開きぎみ。 目を閉じると具体的に何かが見えることはないものの妙に明るい。ときおり視界の端からビカーッと光が差し込む。 うっすらと影のようなものが見え、意識を集中していると街の景色の稜線のようなものが見え始める。まだ継続中なんじゃねーの? 立ち上がると、まだ足元がフワフワします。この状態で外へ出る気にはなれません。 さきほど台所で食事をした際のこと。調味料を取ろうと手を伸ばしたところ、指がスカッと空振りする、ということがありました。 社会復帰できるのでしょうか? ドキドキ。 ■ 反省と今後に向けて 540mgという特にハイとは言えないドースのつもりでしたが、予想に反して大きな飛びでした。 1回目2回目のトリップのいいところを合わせたような内容であり、しかも吐気などの不快な点がない。 精神的にも怖い思いなどをすることはなく、単なるトリップとして見れば、文句のつけようのない「グッド」なものではありました。 ではさて、元因領域まで行けたのかどうか? 「イケたぜ!」という実感はありません。やはり単に支離滅裂な光景に翻弄されていただけのような気はいたします。まだまだ修行が足りませんね。 また、そのように、さまざまな光景が見えていたところを見ると、元因云々というよりも想念の世界、 某シュタイナー先生のお言葉を借りると、アストラル界だったのではないかという気がいたします。 さらにその向こうへ行く必要がある。 ときどき真っ白な世界があったのは、それなのでしょうか? よくわかりません。 冒頭でも述べましたとおり、今回はメ錠でハイドースをする前のあくまでもリハーサルというつもりではありましたが、 予想以上の飛びだったため、ドースを増やすことについては慎重になりたい気がしてきております。 もう少しドースを増やすべきか、それとももう少しこの世で研鑽を積むべきか。 さしあたり、しばらくは休薬です。今回、第三 ~ 第四プラトーの手前ぐらいまでは行った感じがしますので、 プラトー×週のガイドラインに従って、一ヶ月はお休みです。 ではまた。 今日もあなたが幸せでありますように〜。 ◆ 2019/03/09 したこと: マインドルのCG作成 学園モノと言えばいやだ! 絶対に行かせない! 手前と背後とで、同じ顔の人たちが2組いらっしゃる図画、というわけではなく、 胸にお顔をぐりぐりしていると表情が見えないので、物理法則を無視して両方表示するという大胆かつ高度な表現技法です。 つまり、先にこうなっているというわけです。 ↓ 後ろ髪のギザギザが授業中に半分寝ながらノートの端にペンで描いたみたいな線なのは何故かと言えば、 見てのとおり、砂まみれになって汚れていることを反映して髪が乱れていることを表す高度な表現技法なのかもしれず、 あるいは、今回でCG作業がラストなのに、やっぱり最後まで絵が描けないままでしたってことなのかもしれず、 真相は後の時代の歴史家の手の解釈に委ねられることとなります。お楽しみに〜。 というわけで5枚組の超大作でした。私は本当に頑張り屋さんですね。 緑髪の人のお顔やお洋服の汚れは色を塗るのに失敗してこうなっちゃった、というわけではなく、 転んだりなんだりして汚れたり血が出たりしたよ、ということを表す高度な表現技法です。わかりますよね? わかってネ。 実際には文章がつくので催眠術が成立するものという見積りです。お楽しみに〜。 しかし、こんな有様でもメガネだけは無傷だというのですから、最近のメガネはよくできてますね。 さて、学園モノと言えばイベントの案内看板。 立看板はコミPo!に入ってた素材です。そこへ得意のGIMPスキルで文字を入れていく。 作業自体は今の私の手にかかれば朝飯前にお茶の子の手をひねるようなもの。混ざった。 お茶の子の手って何? そのようなことどうでもよいわヌハハのハー。どうですかこの意味不明かつ豪胆な余裕。 ではなぜ、この一枚が最後まで後回しになっていたのか? これは、自分と同じ名字のお葬式の看板を街で見かけてドキッとする、という場面なのですが、 問題は、 名前を変更できるシステムになっている ことです。 一体どうしたらいいんでしょうね? 誰か教えてください! いつもながらスクリプトを書く人は後先考えずに勝手な指定をしてくれるものですね。困ったものです。 かくなる上は、看板の文字だけCGではなく、ソフトウェア的にフォントで表示しようか? 天才プログラマーの血が騒ぐぜ。ヌハハのハー。 わりと真剣にそれも検討したのですが、結局どう頑張っても不自然さが残ることになりそうです。せめて文字数が固定なら……。 こういうのって、頑張れば頑張るほど無理が目立つ案件です。このためだけに専用のフォントを同梱するのも気が引けます。 そのへんを見極めて諦めるのも天才プログラマーの力量というもの。うふふ。何がうふふだ。 というわけで、上記のように、名前の部分だけ、画面外に出す形で表示することとしました。 何しろ自分と同じ名字のお葬式の看板を見かけてドキッとするという場面ですので、 名前の部分を直視できない、という心の動揺がこの上なく的確に表現されることとなりました。素晴らしい。 システム的な制約を逆手に取っての高度な表現技法。私は本当に天才ですね。うふふ。何がうふふだ。 さぁ、いよいよラスト。 学園モノと言えば座禅。 コミPo!学園では座禅の実習がないみたいですが、もはやそんなことでは、この私を止めることはできません。 ともかく近いポーズを探して……。 別に座禅じゃなくてもこのままでいいんじゃない? という耳元の生々しい声を無視しつつ、 アングルをごにょごにょして、脚の素材を採取して、座禅っぽく組み合わせる。 ここまでくれば上半身はどうにでもなるというもの。 上記の脚ポーズをコピペして、なんやかんやとGIMPで魔法をかけてツナギ目をごまかせば……はい座禅! ガンギマリ中であることは一目瞭然。 なお、「座禅」という言い方をしてしまうと、目を閉じているのは座禅じゃないとか、 親指が離れているのは気が抜けている証拠とか、足首が異次元を突き抜けているのはグラフィックが雑な証拠とか、 いろいろと座禅業界のみなさんの警策が炸裂してしまうような予感もいたしますので念のために申し上げておきますと、 ここでは方便として「座禅」といいましたが、本文中では「座禅」とは一言も書いてないのでセーフです。ビクビク。隙ありバシーン! イタイぃぃぃ!! もともとの予定では、シルエットだけの予定でした。 ただ、これだとちょっとわかりにくいかな〜、という心ニクイ配慮により、シルエットを表示する直前に上記の図画をお見せすることとした次第です。 シルエットだけだったらそんな難しくはなかったのですけども、 あなた方を愛するがゆえに頑張らずにはいられなかったというワケです。私は本当に慈悲深いですね。 というわけで、ついにCG作業が完了! マジですか? どうやらマジらしいですよ。なんだか実感がありません。なぜでしょう? ひょっとしてすでに死んでいるのかもしれません。それならそれでいいんですけど。 さしあたりまだ生きなきゃイケないというのだから大変です。どっこいしょ。 さて、これからどうしようかな。死のうかな。 なにはともあれ、画像的なデータがほぼ埋まったというのはメデタイことです。 ここまで来れば少なくとも完成の目処が立たずに頓挫、ということはないはず。本当かな? ドキドキ。 これでようやく次の作業に進めるかと思うと、いても立ってもいられません。 手が震え出し、血走った目がギョロギョロと絶え間なく動き、半開きの口からヨダレとともに意味不明の独り言が止まりません。 次の作業とは、もちろん自殺ですが、その前に是非ともやっておかねばならないのが、対戦モードのAIの仕上げです。 天才プログラマーの血が騒ぎます。手が震え出し、目が血走って以下略です。 ていうかプログラミングなんて死ぬほど久しぶりです。リハビリの必要があるんじゃなかろうか。ブルブル。 楽しいリハビリに入る前に、せっかく画像がそろったことですから、 実際のスクリプトで表示確認をしておこうかな。よし、そうしよう。これは楽しみですね。わくわく。 その上で、心置きなく自殺をする、と。完璧なプランですね。他に何かすることなかったかな? あったようななかったような。 いやー、疲れました。私ももう永くありませんね。 それにしてもこの世は闇ですね。 なんていうのかな、ぶっちゃけ、とどのつまり、 この世の森羅万象の一切は、「おまえの母ちゃんでーべそ!」と言うために存在しているじゃないですか。じゃないですかと言われても。 何か、何でもいいので、身近な物事を思い浮かべてもらうといいのですけど、 それって結局、 「○○○である。ゆえに、おまえの母ちゃんでーべそ!」ってことじゃないですか。じゃないですかと言われても。 人間を苦しめることを目的としている。 そんなはずはない、って気はすることはするのですけど、 でも、実際、やっぱり、「そのゆえに人間が苦しむ」ばかりです。すべて、実際、結局、そうなっている。 あえて言い切りますが、例外はありません。 どんなものも「そんなもの、なくてもいいのに、ある」 で、人間が苦しむ。 その「なくてもいい、ある」を「なければならない、ある」に塗り替えるためのエネルギーたるや、凄まじい。つまり煩悩です。 さらに詳しく見ると、つまり、一切は、 人間の可能性を制限する という役割を持って存在している。 そうした「可能性の制約」ということの総体を土台として、「この世」が存立している。 そうした制約をすべて取っ払うと、「この世」のタガが外れ、無限の宇宙へと雲散霧消してしまう。 つまり、この世がこの世として、このように存在している、ということは、まさにダジャレであるとともに、 それ自体、何らかの「可能性の制約」が行われている、ということの、動かぬ証拠でもあります。 ところで今思ったんですが、辞書には書いてないことですが、 「おまえの母ちゃんでーべそ」の英訳って「son of a bitch」ですよね。まさにぴったり。 と思ったのですが、「おまえの以下略」は攻撃を仕掛ける側(強者)が言う台詞であるのに対し、 「son以下略」の方は、苦痛を受けて苦しんでいる側が言う台詞なような気がいたします。 単語的にはうまく対応してるっぽいのに、使い方が違う。これが文化の違いというやつでしょうか。 何の話でしたっけ? だからつまり、この世は闇なのですよ奥さん。誰が奥さんだ。 つまり、結局、この世がこのようであるということは、ダジャレであるのみならず、 この世が「存在」する時点で、端的な必然として、このようであるということになる。この世は闇だ。 教会が先か、今日かい? が先か。いいえ、それらは同じ事象の裏表です。不即不離。不二一元。 無限の中へ解消することなく、存在している。存在とは「無限に対する制約」と言えるでしょう。つまり有限。 存在とは有限のことであり、つまり制約のことです。 存在 "させる" とは有限 "とする" ということです。つまり制約のことです。 だから製薬会社がグローバルな資本力でこの世を "制約" しているというのは、単なるダジャレとも言い切れない。いや、ここは言い切ろうか。 さらに、このことから、見えてくるものが、もう1つあります。 人間は、そもそも、この世の側に属するものではない、ということです。 なぜなら、だからこそ、制約して「この世」の範疇に閉じ込める必要がある、ということだからです。 この世では「この世」をこのように存立させようとする諸力が常に作用しており、 そこは人間に制限をかけて可能性を封じ込め続けている場所ということです。 我々は常に手枷足枷をハメられている。この世は闇であり人生は苦しみです。 この世がこのようなこの世である限り、解放はありえません。ただダジャレあるのみ。 なお、上記にいう「人間」というのは、 地上を歩いている個々の肉体およびそこに制限されるものであるところの自我存在、というような意味 ではなく、 この世における存在者である以前の根源的な主体者、というような意味です。 後者を前者から区別する意味で「霊」という方が便利かもしれません。 ただし、おばけの話じゃないですよと申し添えておかなきゃイケないのかな。 というか、そこですよ。こういう話をしにくくなっている、という世相がある。 その世相が、すでに、制約の典型であり「この世の闇」なワケです。制約について話すこと自体が制約されている。 この世がこのようなのはなぜか? というより、 この世だからこのようなのだ、と言わねばなりません。いずれにせよダジャレであることを免れ得ないと知りつつ。 何気なく外を歩くだけで、否応なく目に入ってくるもの、耳に入ってくるもの、肌をなで、体を押すもの。 例えば○○○とか、△△△とか、◇◇◇とか。 どうして、わざわざ、人に嫌な思いをさせるためのことをするんですか? それも、さも善行であるかのような顔をして。 さも善行であるかのような顔をするということは、つまり、否定されることを否定する、ということです。 いわく、「おまえは理解が足りない未熟者である」とかなんとか。 つまり、いわゆる「常識」というやつです。 そういう「反撃」を用意して、誘うかのように、わざわざ、人が嫌な思いをするようなことを、する。 それが「世間を成立させている作用」です。 枠をハメ、枠に触れることを禁じ、ときには見せしめを行い、人間を閉じ込める。 そうまでして、そんな世間を存立させておく必要があるのか? もちろん、ない。 ない、からこそ、ある、かのように見せかけて、その見せかけを維持するための、恐るべき力が必要になる。 何も存在しなくていいのに、何もかもが存在している。無の中に有を維持するための、恐るべき、そして涙ぐましい力。 そこでは枠を飛び越える「自由」は厳しく制限されねばならない。 こうしたことは、単に現代の日本がそのようである、というだけのことではなく、 あるいは一部の特定の国家が独裁的で抑圧的である、というだけのことではなく、 そもそも、「この世」そのものの存在の、取り去り難い、性質、なのではないか、という気がいたします。 根本の部分に、そういう動因がある。そういう動因こそがこの世を存立させている。 で、こういうことを言うと、仮に話がある程度通じたとして、 「世の中そんなもんだ」とか「誰だって我慢してるんだ」とか「お互い様なんだ」とか言うんでしょ? はい。この世は真っ暗闇ですね。 で、単にそういうような「お説教」を言うだけであれば、それらの文言そのものは、必ずしも悪いものではないのですよ。 「それ自体は、ある意味では、大体そうかもっすね」ぐらいの妥協は可能です。 ところがですね、信じ難いことにですね、そういう「さも道徳的」なことを言うと同時に、 わざわざ人に嫌な思いをさせるようなことを、わざわざ、するんですよ。わざわざ。 例えば○○○とか、△△△とか、◇◇◇とか。 で、こういうことを言うと、仮に話がある程度通じたとして、 「被害妄想だ」とか「おまえだって人のことを言えない」とか「許し合いが大切」とか言うんでしょ? はい。この世は真っ暗闇ですね。 で、「仕方ない」とか言いつつ、わざわざ、そういうことをして、「仕方な」さを実現してしまう。 例えば○○○とか、△△△とか、◇◇◇とか。 はい。この世は真っ暗闇ですね。 なお、伏せ字にしているのは、個別具体的な社会問題に踏み込むつもりはないからです。あえて具体的には書きません。 というより、具体的個別的な社会問題に踏む込むこと自体、本質から逸れて「煙に巻かれて」しまうようなところがある。 この世には、さまざまな社会問題が無限に存在し、何を言っても解決しない。 共通している特徴として、どれも、 一見すると答えは明白なように見える。しかし、 「人によってさまざまな意見が」あって、「単純には善し悪しが決められず」 踏み込めば踏む込むほど、泥沼に足を取られて、苦しみが増大する。自己をも他者をも苦しめることになる。 例えば○○○なんて典型中の典型で、そんなもん、「@@@@@」で一発解決じゃないですか。 でもそれを言うと、必ず「******」と言う人が出てくる。 それはそれで、一つの意見、あるいは個人の事情としてわからなくもない。 じゃあ間を取って「#######」でどうですか? 両者の顔を立てるなら、これでバッチリじゃないですか? でもそれを言うと、またまた必ず「%%%%%%%%%」と言う人が出てくる。 そろそろ伏せ字にするための記号がなくなってきました。 つまり、気がつけば泥沼ってことです。 そして問題は問題のまま放置され、 「さも道徳的」なことを旗印に掲げて、人間を苦しめることを、わざわざ、する、ということが横行する。 ただ横行するだけではく、「道徳的に」横行する。 そこで見かねて口を開けば、またぞろ泥沼シナリオの繰り返しです。 そういうふうにしかならない。 必ず、そうなる、ように、なっている。 「この世」には常に「問題」が存在し、人が苦しむようになっている。 この世の存立の基盤を成す、不可欠の支柱として、そのようになっている。 除去可能な「異物」として、ではなく。除去すると、この世自体が除去されてしまう、そのようなものとして。 そもそもの始まりから、「そう」なのでした。「そう」いうものとして、万物が始まったのでした。 それがこの世だ。 もうダメだ。いや、最初からダメだった。 この世は闇だ。 もうダメだ。いや、最初からダメだった。 どうしょうもない。 果てしなくドウショウモナイ。 と、思うと同時に、そんなはずがない、とも思います。 だって、おかしいじゃないですか。 なんでわざわざ人間を苦しめなきゃならないんですか? 結局そういうふうになっている、というのはわかります。 ただ、それが(この世の発生以前の)根本の願いだとは思えません。そんなはずはない。 なぜかと言えば、人間が「いる」からです。 つまりそれは愛なんじゃないんですか? 愛ゆえに悪をとか苦をとか、そんなヤヤコシイ胡散臭いものじゃなく、原初の、最初の一歩のこと。 無から有になった、その最初の、0.0000(略)00001の瞬間のこと。プリムム・モビーレ。 その始まりが「悪」であるとは、そんなはずはない。そんなはずはないんですよ。 だって、それを見て「よし」と思うんでしょう? その後の紆余曲折は知りません。 ただ、最初の一歩は……。 しかし、そこまで遡って考えた上で、なお、やはり「この世がこのよう(ダジャレ)」という結論なのであれば、 それはもう、仮に原初の動因が何であれ、やはりドウショウモナイのではないか? 結局、一度滅んで、宇宙のどこか別の場所で進化を最初からやり直すしかないのかもしれません。 少なくとも今のままではそうなるでしょう。 仮に地球を一瞬でお布団とともに吹っ飛ばすボタンがあるとして、それを押したとしても、 どこか宇宙の別の場所で同じことが繰り返されるでしょう。大規模なダジャレの実演となるに過ぎません。繰り返しても寒いばかり。 存在というものが、そもそも悪の性質のものであるのか? それとも、別の形式の存在というものもあり得るものなのか? この瞬間も、異なる次元で、さまざまな宇宙(この世)が誕生し続けているのだとして…… そのすべてが結局「このようなこの世(ダジャレ)」であるのか? それとも、そうとも限らないものなのか? 構造的に悪であるような「この世」ではない、別の存在の形というものもあり得るものなのか? 仮にそうなのだとして、じゃあ、我々が今こうして存在している「この世」を、今からどうにかする道はあるのか? 結局、我々が今こうして存在している「この世」については、ドウショウモナイのか? 存在の根源まで遡って、すべてを「ぐるん」とひっくり返すことはできないものなのか? それは実のところ結局、一度滅んで、宇宙のどこか別の場所で進化を最初からやり直すということになってしまうのか? 何しろ、どうやら、ドウショウモナイ現状において、それでも生きている我々は、じゃあ、どうすればいいのか? せめて可能性を知りたい。 私はあなたが幸せであって欲しいと思っています。思っていないかもしれませんが思っています。だってその方がいいじゃないですか。 私は私の嫌いな人が幸せであって欲しいと思っています。思ってないかもしれませんが思っています。だってその方がいいじゃないですか。 私は私を嫌っている人が幸せであって欲しいと思っています。思ってないかもしれませんが思っています。だってその方がいいじゃないですか。 なぜこの世はこのようなのか? 聞き飽きたダジャレが、それでも到底言い足りない。 この宇宙の誰もが幸せであってくれるといいのに。 ◆ 2019/03/02 したこと: マインドルのCG作成 学園モノと言えば結婚式の続き。 お写真ですよ。パチリ。 こうして成果物だけ見ると、わりとどうってことない感じですね。 それなのに、どうしてこんなにも精神エネルギーの消耗が激しいのでしょう? それはもちろん元気がないからですが、それはそれとして、 スクリプト上の指定によると「背後でキャラ3先輩と主人公が見守っている」的なことが書いてあるのですよ。 それでいて記念写真っぽい感じだと言う。 無理言うなって感じですよ。物理法則というものをわきまえていただきたい。 しかし何か、不可能を可能にするアッと驚く高度な表現技法がないものかな、と、三日三晩瞑想をしてみましたが、 物理法則をねじ曲げるには及ばず、周囲の状況に関しては本文を読んでご想像いただくということにいたしました。 というわけで画面上には2人しか出てませんが、周囲には他にもいるということで催眠術にかかってくださいね。よろしく〜。 それにしても、 「こうして成果物だけ見ると、わりとどうってことない感じですね。」とは、この私もずいぶんエラくなったものです。 なお、ティアラの細部が潰れまくっているのは、なんか複雑で芸術的な構造ですよという高度な表現技法です。よろしく〜。 さぁ、これでようやく結婚式のシーンが完了です。 絵が描けないのにどうするつもりだったのでしょうね。ハラハラドキドキとはまさにこのこと。 しかし胸を撫で下ろすにはまだ少々早いようですよ。 というわけで学園モノと言えば欠かせないのが七夕。 毎年恒例、織姫アンド彦星さんへの無茶ぶりタイムです。 なお、宇宙空間での七夕開催という前衛的なフェスティバルの一場面、というわけではなく、 地球規模の壮大な願い事ですよということを表す高度な表現技法です。愛するアナタにはわかってもらえると信じてます。よろしく〜。 さて、これまたこうして出来上がりだけ見るとどうってことない感じですね、と、 エライ人になったつもりで言ってみたいところですが、 果たして本当にどうってことないのでしょうか? エライ人じゃないので心配になってきました。七夕に見えますよね? ドキドキ。 見事な出来映えのため、お気づきにならなかったお友達もいらっしゃることと存じますが、 七夕飾りは手描きです。いつもながら死ぬかと思いましたが、いつもながら死にませんでした。そんな日常。 あわよくばコミPo!に素材が入ってないかな〜という期待も虚しく、コミPo!学園では七夕イベントがないことが判明。 さらに七夕と言えばWeb系素材の定番ですから、ネットで少し検索するだけでたくさん見つかることは見つかるものの、 どれもWeb素材的に図案化されていると申しますか、絵柄が合わない。 「絵柄が合わない」などと、この私もずいぶんエラくなったもんだ。もういっぺん言ってみましょう。絵柄が合わんのだよ絵柄が! グフフのフ。 というわけで身の丈を飛び越えて自作行為に及ぶ。 しかし、いざ描くとなると一体どうすればいいのか見当もつきません。 七夕飾りなんてどこにでもあって有り難味を感じにくい存在ですが、絵が描ける皆さんは本当にすごいですね。 こういうのって葉っぱを一枚ずつ描くものなんでしょうか? 命がいくつあっても足りません。 幸か不幸か命は有限ですので、枝を一本だけ頑張って、あとは回転や縮小などを施しつつコピペです。 よく見ると同じような葉っぱばかりですが、自然界とは案外そういうものです。多分。 ていうか笹の葉っぱって、こんなのでしたっけ? 絵が描けない分際でリアリズムにこだわると命がいくつあっても足りなくなりますので、 最終的に全体的な印象として「七夕!」という感じになってくれることを祈りつつ、闇雲に飾り付けへと突っ走る。 うむ。こんだけ飾っておけば正体不明の謎の植物であっても「七夕!」ということでまかり通ることでしょう。 笹だから七夕なのではなく、七夕だから笹なんじゃねーの? はい。人々の認識とは案外そういうものです。多分。 そんなわけでアナタにも飾り付けを施せばみんなに笹だと思ってもらえること請け合い。 見ろよ、こんなトコロに笹があるぜ〜、願っとけ願っとけ。イジメか。最後は川に流すんだよなぁ? やりすぎか。 作業の際に一つ気になったのが、枝の生え方。 笹(竹)の枝って、必ず、節の部分から生えてるってことで合ってるんでしょうか? ひょっとしてそうなんじゃないかな〜、と思いつつも確信が持てない。私の迷信かもしれない。 ではちょっくら近所の竹やぶに行って、本物の竹を観察しようではないか! リアリズムの足音が鳴り響くぜ! ……などと画家先生のような行動に及んでいたら命がいくつあっても足りませんので、ネットの画像検索で間に合わせました。 あんまりハッキリとした画像は見つからなかったのですが、 考えてみると、竹(笹)の側面のツルっとしたところからニョキッと枝が生えてることって多分ないですよね? 本当はあるのに、私の目が迷信で曇っているために見えていないのでしょうか? その場合はごめんなさい。 というわけで上記の図画は「笹(竹)の枝は必ず節の箇所から生える」という信念体系を反映したものとなっております。 後の時代の人が発掘すると、この時代ではこのように信じられていたのだなぁ、という考古学的な証拠となることでしょう。 ちなみに後日、たまたま竹やぶの横を通りかかる機会があったので遅まきながら観察してみたところ、 「節の箇所から生える」件については、私の信念は迷信ではなかったっぽいです。 ところが私が観察した限りでは、「同じ節から何本も生えることはない」っぽい感じもいたしました。 どの竹さんも、大体、なんというか、左右にバランスよく、交互に、互い違いに、枝を生やしていらっしゃる感じ。 「互生葉序」っていうんですか? よくわかりませんけど、竹ってそうなんでしょうか? たまたま私が見た竹さんたちがそういう種類だっただけなのかもしれず、真相はヤブの中。竹やぶだけに。ギャフン。 というわけで上記の図画は、私の妄想の世界にのみ生息する架空の種類のヴォイニッチ竹(笹)です。最近そういうの流行ってるんですよね? ワクワク。 さて、次は地球ですが、地球ってどんなだったかな? ちょっくら宇宙に行って地球を観察してこよう! などと画家先生のようなことをしていたら命がいくつあっても足りません。リアリズムの足音だって宇宙では響かない。 というわけで、こちらのチュートリアルで勉強させていただきました。ありがとうございます。 https://www.youtube.com/watch?v=B6Rnjr-y73g かいつまんで言うと、世界地図の画像素材をお借りして、 「GIMP>フィルター>マップ>オブジェクトにマップ>球」です。素晴らしい。 Earthmap1000x500compac 地球のような宇宙の遙か彼方の惑星だって、インターネットでちょちょいのちょいと描けてしまうのだから科学とはありがたいものですね。 なお、本当に上記の図画のとおりなのかどうかは誰にもわかりません。もしかすると全然違っているのかもしれませんが、 実際に宇宙から地球を見た人なんて人類史上数えるほどしかいないのだから問題ありません。 たとえ違っていたとしても多数決で押し切れ。世間の常識なんて案外そんなものです。多分。 後の時代の人が発掘すると、この時代ではこのように信じられていたのだなぁ、という考古学的な証拠となることでしょう。壮大ですな。ワクワク。 さて、宇宙から見た地球は美しいですが、地上の世間は今日も複雑です。 見てのとおり、立ち絵の使い回しです。 手抜きをしようなどという魂胆はほんの少ししかなくてですね、 作業の最初に、構図を確認する目的で、立ち絵をモデルにして画面上に並べてみたら……ん? このままでいいんじゃない? ということでそのようになりました。ラッキ〜。これというのも、今まで立ち絵を頑張ってきたおかげ。私は本当にエライですね。 そういえば、このお姉さんの足元(サンダル)が画面に入るのって、これが初めてかもしれません。 立ち絵の段階で手抜きせずに描き込んでおいた甲斐があったというもの。手抜きをしてないかどうかはさておき。 画面が斜めになっているのは、もちろん○○の一つ覚えの高度な表現技法です。○○とは何だ! もちろん天才です。うふふのふ。 なんか、右上のお姉さんが、一歩引いたところから、見守っている、って感じがするじゃないですか。しますよね? しましょう。 ちなみに一番右端にいるのは背後霊かもしれず、性犯罪者かもしれず、主人公氏かもしれず、 解釈は後の時代の歴史家の手に委ねられることとなります。お楽しみに〜。 というか普段は画面に出てこないのにイベントCGでだけ、たまに顔を出すのって果たしてどうなんでしょう? 顔ないですけども。 顔をまともに出さずに済む構図を、ということでいつも高度な表現技法がうなりを上げております。 さぁ、苦労に苦労を重ねて邁進してきたCG作業も、残すところ後3枚! 語尾にビックリマークをつけてみましたが、実際の気力を反映したものではありません。ぜぇはぁ。 どうしようかな。死のうかな。 ずっと後回しにしてきたボスキャラが目の前に3名。想像しただけで鼻血が出そうです。いろんな意味で。 なんだかんだと、ほぼ省略なしでここまで進めてきましたが、 いよいよ画像なしで文章だけにする高度な表現技法の封印を解かねばならないかもしれません。背徳の香りに胸の鼓動が高まります。 言い換えると、手抜きしていいってことですか? ってことです。背徳の香りに胸の鼓動が高まります。 さてと、今週もよく頑張りました。 どうしようかな。死のうかな。 ええ、それはそれとしてですね。 先日少々オドロクことがございました。 マウスの具合がよろしくないので、ダメ元でマウスパッドを購入したのですよ。 多少なりとも改善すればラッキーかな、ぐらいのノリで。 ちなみにダイソーのレザー調の黒いマウスパッドです。レザーではなくレザー調なのでベジタリアンでも安心の一品です。多分。 で、さっそくそのマウスパッドにマウスを乗せてみたところ、何も起きない。 無反応。 あれ? もしかしてマウスのコードが抜けている? いいえ、刺さってます。ビカーッと青いLEDがさんさんと輝いております。 それなのに、いくらマウスを動かしても、画面上ではカーソルが微動だにしません。 すごい。 反応が悪い、なんて次元ではありません。完全に無反応です。こんなことってあるんですね。 むしろカーソルを動かさずに固定しておきたいときに乗せておくとよさそうです。 一体どんな特殊なテクノロジーを使えば、これほど完全にマウスのLEDを無効化できるものなのでしょう? レザー調というのは、キャトルミューティレーションで宇宙人に加工された牛さんの革が使われているということに違いありません。 ここまで完璧なマウス・キャンセラーが地球人の技術で作り出せるとは到底考えられませんからね。 青いLEDって、黒い面だとダメなんでしたっけ? ネットで軽く調べてみたところ、多少相性が悪い可能性がある的な話はないこともありませんでしたが、 ここまで完璧に無反応になるという話は見つかりませんでした。 ちなみに手元にあった別のマウス(赤レーザー)は問題なく使えました。 やはり青LEDとの相性が悪い様子。 いや、相性が悪いどころか、完全に無効化されてるって、逆に感動です。 一体どんな物理法則なんですか。超常現象を目の当たりにしている思いです。 ところで、その赤レーザーの別のマウスというのは、以前ダイソーで買った300円のマウスなのでした。 はっ、まさか……! ダイソーおそるべし。 じゃあもう、ダイソーの戦略どおり、そのマウスを使えばいいのかな? でも微妙にクリックが固いので、あんまりお好みではないのでした。今や歴戦のGIMP使いの私にとってクリックの固さは死活問題。 というわけで、このマウスパッドは謎の宇宙物体Xとして手元に保管しつつ、 カーソルの動きがいまいちながら、以前と同じマウスを使い続けております。 それにしても、マウスの調子が悪いと、パソコンライフ全般がストレスフルなものになりますね。 カタカナが多すぎたので言い直しますと、電脳生活全般が精神的に疲れやすいものとなりますね。電脳はパソコンでいいんじゃないでしょうか。 何かしようとするたびに、いちいち、なんだか、引っかかる。苛立ちが積み重なっていく。 行動の意欲はあるのに、それを実現するインターフェイスがままならない。精神と肉体が解離する。 願っただけですべてが実現するといいのに。しかし、そうはイカのドラゴンボール。 肉体がなければこの世を生きられない。マウスがなければパソコンが操作できない。それがこの世の仕組みなのですね。 やがて行動の意欲も萎えていく。精神がこの世からフェイドアウトしていく。 またまた妙なカタカナが出てきたので言い直しますと、精神がこの世から退いていく。 あ、一応申し上げておきますと、「退いて」と書いて「しりぞいて」です。「本気」と書いて「マジ」です。日本語のお勉強でした。 そういえば、それってマンガのタイトルなんでしたっけ? 読んだことないなぁ。死ぬ前に読んでおいた方がいいかな? 古典のお勉強。 本件自体はマウスのことでしかないと言えばそうですが、 年老いて体が言うことを聞かなくなってくるにつれ、生きる意欲がしぼんでいく、ということに通じるものがあるのかなという気がいたしました。 私は今のところはまだ老いを感じるというには年齢的には少々早いかなというところではありますが、 かと言って、若さ爆発! と言ってのけるほどの勢いは既にどこかに置いてきてしまっております。いずれ時間の問題ではあります。 何気なくアイコンをクリックしようとして、マウスが動いてくれない。ああ、そうだった、と思い知る。 何気なく坂道を登ろうとして、息が切れる。ああ、そうだった、と思い知る。 何気なく行動しようとして、何にも触れないことに気付く。ああ、そういえば死んでたんだった、と思い知る。私はもうこの世では何もできない。 宇宙空間に浮かんで地球を眺める。ここからでは手が届かない。声も届かない。地球の人たちに対して何もできない。 できるのは、ただ願うことばかり。どうか地球の人々が幸せでありますように。 しかし体があったって、実のところ大して変わりはしないような気もいたします。 一生の間に、実際に会って関わりを持つ人の人数は微々たるものです。ネットを使ったって焼け石に水。 さらに言えば、他人の心を操ることはそもそも不可能なのでした。 届く手がない。届く声がない。できることが何もない。 ただ願うことしかできない。どうかあなたが幸せでありますように。 あれ? なんかいつものキメゼリフにつながってしまいましたね? もう間がもたないじゃないか。 何か他になかったかな。 > しかし体があったって、実のところ大して変わりはしないような気もいたします。 > 一生の間に、実際に会って関わりを持つ人の人数は微々たるものです。ネットを使ったって焼け石に水。 > さらに言えば、他人の心を操ることはそもそも不可能なのでした。 とは言うものの、あんまりこれに偏ると、責任放棄にもなりかねません。 「なんかイイコト言ってるっぽい」だけに、危険思想になりかねない危うさがあるとは思います。 人を殴っておいて、痛いのはお前の痛覚のせいだ、とかいうね。 確かに私はここにいる。いるのですよ。恐ろしいことに。 私があなたを殴ってあなたが痛いのは、あなたの痛覚のせいでは断じてなく、私があなたを殴ったからです。 そこのところのバランス……「バランス」などと一言で言えば、そこですべてを意味したことになってしまいそうですが、 つまり何も言ってないのと紙一重です。 いや、何も言ってないわけではない。その紙一重のきわどい領域に、何が表現されているか? いかにそこを見極めていくか? というわけで、つまり、実際のところ、具体的に、どうしたものか? なんでしょうね。 そういう「うまくつじつまの合う言い方」は、さておき、じゃあ結局どうしましょう、ってことですよ。 一瞬で地球を消滅させるボタンがあったら、それを押すのが最善でしょうか? しかし、さしあたり、そういうものはなさそうです。困ったな。 他に何かなかったかな。 あったような気もします。無限にあるような気もします。そうでもないような気もします。 別に今回が最後ってわけじゃないんですから(多分)、思い出したらまたいつでも書けばいいじゃないですか。 ではまた。 今日もあなたが幸せでありますように〜。さっきも言いましたっけ? 何度だって言いますよー。 ◆ 2019/02/23 したこと: マインドルのCG作成 学園モノと言えば結婚式。 新郎と新婦に見えますよね? 見えてくれないと困るので見えてください。よろしく〜。 なお、どちらが新郎でどちらが新婦なのかは愛し合う二人にとってはどうでもいいことです。 なかなか「わかりやすい」一枚ですね。うむ。 ただちょっと、横向きなせいで服装が見えにくいのではないかと少々心配です。 ウェディングドレスの方はまだしも、タキシードの方はただの黒い服にしか見えないのではないか? 実際には直前の通常シーンが↓こういう感じなので、文脈から察していただけるものという予定ではあります。 察してくれないと困るので察してください。よろしく〜。 というわけでご両人ともども、ほぼ服装手描きコースでした。 死ぬかと思いましたが結局死ななかったというお馴染みの同じ道。私は一体いつになったら死ねるのでしょう? 手描きとは言え、タキシードの方はブレザーの親戚なので今の私の手にかかれば赤子の手をひねるようなもの、 の、はずなのに、妙にヤリにくかったのは赤子の手をひねることのできない私の心やさしい性根に加え、多分、横向きだからです。 これまで立ち絵にせよCGにせよ、真横向きというのがほぼありませんでした。さぁどうしよう。困った。 服の正面の部分が見えてれば、「ああ、タキシードなのね」っていうふうに察してもらえるじゃないですか。察してね? こういうわかりやすい部分さえ頑張れば、あとはもうオマケのようなもの。 その点、横向きになってしまうと黒い全身タイツになりかねません。 というわけで、横向きながら正面の「おっす、おらタキシード!」な部分をチラ見せするように、高度な表現技法を駆使して作成。 うむ完璧。のはずが、腕のポーズをつけたら↓ 襟が隠れてしまったじゃないか! さらに相方と合わせたら結局、正面部分がすっかり隠れてしまうじゃないか! もはやギャフンと言わざるを得ません。 ちなみに腕は「自分より身長が高い相手の肩を抱く」を実現するため、 コミPo!の素材を角度を変えてコピペしております。すでにお馴染みの高度な表現技法。 なお、足元に関しては高さがズレているとか足を踏んでるとか上履きズックなんじゃないかとか、いろいろ思うところはありますが、 実際には画面の外側に放逐されるのでなかったことになるという高度な表現技法です。 今回、どちらかと言えばウェディングドレスの方で困難を予想していたのですが、ウェディングドレスって、わりと「わかりやすい」じゃないですか。 なんか白い服と、ベールっぽい何か、ティアラ的なお飾り、っていう三点セットが揃ってれば、 「ああ、ウェディングドレスなのね」って察してもらえるじゃないですか。察してね? というわけで緑髪の人の方はただの黒い服なのか何なのかって感じかもしれませんが、 相方のウェディングドレスのおかげで、「ああ、結婚式なのね」って察してもらえるじゃないですか。察してね? ともあれ、とってもムズカシイ結婚式のシーンもこれにて完了! めでたしめでたし。 と、見せかけて、同じシーンでもう一枚あるらしいですよ? え? マジですか? もはやギャフンと言う他ありません。 この勢いで一気に片付けてしまおう、と言いたいところではありますが、そんな勢いはどこにもないので、来週へ先延ばしすることとします。 やらねばならないことは他にも残っております。 例えば学園モノといえば絶対に欠かすことができないのが高所からの飛び降り。 崖の上から下を覗き込んでいるように見えますよね? え? 見えない。では行ってみましょう。 あっ、やっちゃった。 ひゅーん。 さて、どうすれば「高い場所」という感じになるのか? 絵が描けないなりに誤魔化す方法を探るべく三日三晩座禅を組んで考えた末、 一人称視点の足を表示することで察していただくこととしました。察してね? あとはどうにか「崖っぷち」っぽくするべく、いろいろ混ぜます。 きまぐれアフター先生の岩場的な画像から拝借して足元を、(左) maospace先生の川辺的な画像から拝借して断崖を、(中) そしてコミPo!の草素材を散りばめて「野外ですよ」と主張。(右) 仕上げにグラデーションで黒っぽくすれば、ジャジャーン、細部を誤魔化しつつ、崖っぷちで怖い感じの完成であります。 あとはもう本文と合わせての催眠術で察していただくこととします。察してね? 一体どうすれば崖っぷちっぽい画像を作れるのか皆目見当がつかず、もはや崖から飛び降りるしかないかとさえ思いましたが、 多くの先生方のお力を拝借し、こうして無事に崖から飛び降りることができました。本当にありがたいことです。 そんなこんなで今週の成果は作業計画上の枚数で言うと堂々の3枚! ギャフン。 作業自体の難易度や手間というより、どうすればそれっぽく見えるのかが分からないというのがツライ。 あと6枚! いろいろな意味で「やりにくい」のが残っております。 絵が描けないのにどうするつもりなんでしょうね? 困ったなぁ。ここまで来たんだから何とかなるでしょう。本当かな? どうしても無理なら、文章だけにして画面は真っ黒という最終手段もあるってことで。 それも含めて、今まで先延ばしにしてきた決断を下しましょうってことですね。死なない程度に頑張りますよー。 ところで先週お話したSSLの件ですが、三日三晩座禅を組んで三千世界を経巡って沈潜熟考した末、 さしあたり必要ないので導入はしないこととしました。普通の結論ですね。 理由を正確に書くと上中下巻に詳細な註解書を加えた浩瀚(こうかん)な大百科になってしまうので、かいつまんで言うと、 仮に導入するとすれば、その理由はとどのつまり「世間体」なわけで、それはアホらしいということです。普通の結論ですね。 検索エンジンの方針として、SSLを導入してないサイトよりも導入しているサイトを優先しますよ、というのは、 それ自体は、そこそこ妥当な方針かなとは思います。私が検索エンジンの中の人だとしても、そうするかもしれません。 しかし、それを持ち出して、だからSSLにしておかないとソンだ! みたいなことを言い出すのは流されすぎってもんです。 検索エンジンを理由にするというのが、もう、アホらしいの一言。 検索エンジンに「うんこしたあとは紙を使わずに手で拭かないと表示順位を下げるぞ」 と言われたらそうするのでしょうか? 他のたとえはなかったのか。 検索エンジンの方針と言うなら、むしろ、本当にSSLが必要というわけではないのに無駄に導入しているサイトの表示順位は下げる、 ぐらいの細やかさを求めたい気がいたします。 それから、一度SSLにしてしまうと、実質的に、元に戻せなくなる。 なぜか? SSLにした状態でサイトが定着するということは、URLが「https~」でブックマークなどされるということです。 そんなある日、気が変わってSSLを解除するとします。 この状態で「https~」のままでアクセスされると、「接続の安全性を確認できません」などと、いかにも不吉なエラーを画面いっぱいに出されてしまいます。 こんな画面を見せつけられたら何事かと思うではありませんか。 落ち着いてURL欄を編集して「https」→「http」にすれば問題なく表示されるのですけど、訪問してくれる人がそこまでしてくれるかどうか。 一度こんな画面を出されてしまったら、もうこの街では生きていけません。 だからSSLを導入するのはいつでも可能ですが、一度導入してしまったら、二度と戻せないものと覚悟を決めねばなりません。まさに入れ墨。 ただの個人サイトの「かっこつけ」で導入するのは「荷が重い」。たとえ無料であろうが「心が不自由」になる。 それから、SSLじゃないとブラウザが「安全ではありません」などと表示しやがる件ですが、 じゃあ、SSLを導入すれば世間体がよくなるのかと言えば、導入したらしたで、また別の風評が懸念されます。 上記のとおり、SSLを導入しただけでは、今度は「運営者が信用できない」みたいなことを言い出すわけです。失礼ですわね! これを解消しようと思ったら、高いお金を払って、サイト運営者の身元の認証をしてもらう必要があります。 手の込んだ商売……とまでは言いませんが、これまた個人サイトではそこまでやってられません。 結局、世間体を気にし出すとキリがありません。疑いが疑いを呼ぶ。 だったら始めから、ブラウザごときに「安全ではない」とか言われる程度でアクセスをためらうなら来てくれなくていいですよ、 と腹をくくるのが最善かなという気がいたします。 ちなみにサーバー自体は容量が足りなくなりつつあるので、移転する可能性があります。 移転先として検討中のサーバーでは無料でSSL化ができるらしいのですが、上記の理由により、敢えてやらない方針です。 というわけで、このページにアクセスするのは「安全ではない」ですからね〜。よろしく。 なんだかギスギスした話ですな。 どうしてこの世にはこんなにも疑惑や悪意が渦巻いているのでしょう? 私はこんなにもあなた方を愛しているのに。 前回も言いましたが、これは私個人がいかに善人か、ということとはあまり関係のないことです。 現象として何が起きているか、というのは理解はできます。 全員が悪人ではないにしても、少数の悪人がいるために、全員で警戒しなければならなくなる。 また、善人が多数を占める中での少数の悪人ほど、悪事をおこなうのに好都合となる。 そういう中で、「善人のフリをするのがうまい悪人」が幅をきかせ、「正直な善人」が「悪人」であるかのように罰を受ける。 現象面としては、全体として、だいたいそういうような構図があるものと「理解」はできます。 しかし救いがないですね。 この「理解」というのは「いかに絶望的であるか」の「理解」です。どうしょうもない。 これは、個別具体的な事例を持ち出して「いい人だっているんですよ」とか「世の中捨てたもんじゃない」とか、そういう次元の話ではありません。 さらに「そういう人は結局は損をするのさ」だとか「かわいそうな人なんだ」とか、そんなお題目を持ち出すに至っては、 まさに絶望ここに極まれり、と天を仰いで嘆息するしかなくなります。 挙句、「おまえだって人のことは言えない」などと「コンテスト」を開催されるに至っては、もう「お手上げ」です。 なんで悪なんてものがこの世に存在しているのか? たとえば、悪というのも神の計画の一つなのだ、というような話があります。 そんな神はくそくらえです。 あるいは、根源的には善も悪もなく、一切万物は究極の <一者> の聖なる顕現なのだ、というような話があります。 そういう話自体は、わりと説得力のあるものだとは思います。 が、なぜかその手の話は、決まったように、その究極の <一者> 的なものに「聖なる」とか「荘厳な」とか「慈愛に満ちた」とかいうような 何か「善」的な形容詞をくっつけて話すんですね。 根源的には一切の価値観を超越している、とか言いつつ、その根源を語るに及んで、なぜそこで「善」的な「価値観」を持ち出すのでしょうね? この手の「お気楽な」話には、 「なぜ何も存在しなくてもよかったはずなのに、万物が存在しちゃってるのか?」という絶望の念がすっぽりと抜け落ちています。 修行して解脱しましょう、という。 はい。結構なことです。がんばって参りましょう。 で、だからなんで、わざわざ修行して解脱しないと苦しみ続けることになるような、そんな「この世」が、そもそも存在しちゃってるんですか? 存在の根源までさかのぼって、そこに究極の <一者> を見つけ出して、 そこでUターンして、この世に戻ってきて、おお、なんと、一切は究極の <一者> の顕現なり! みたいな話はもうお腹いっぱいです。 こういう話って、「私はすべてを悟ったZE☆」というようなケレン味だけは満載ですが、何の役にも立ちません。 しかし何しろ「役に立つ・立たない」というようなこの世的な価値観を超越しているのだから、それも当然かもしれません。 まさに「お気楽」です。神秘体験としてはさぞかし楽しいのだろうなとは思います。サトリ・ジャンキーめ。 > 存在の根源までさかのぼって、そこに究極の <一者> を見つけ出して、 > そこでUターンして、この世に戻ってきて、おお、なんと、一切は究極の <一者> の顕現なり! みたいな話はもうお腹いっぱいです。 そんなふうにサトリを得るのも結構なことではありますけども、 結局戻って来るしかないってことなんでしょうか。 そこまで行って戻ってきた人、というのは、おそらく歴史上あるいは現在も、わりと少なからず、いらっしゃると思うのですよ。 でも、だから何なんだって話です。 この世は相変わらずこのようです。今日もダジャレが冴え渡る。 大体、そんなふうにして「世間的な価値観」の「超越」を目指すということは、 もともとそういう「世間的な価値観」に対して、あんまりいい思いを持ってなかった、ということだったりすると思うのですよ。 それが結局、イクところまでイった挙句に戻ってきて「いやぁ〜、一切は <一者> の顕現なんスよね〜」とか言い出すのって、 若い頃は手のつけられない不良だったのに今じゃすっかり丸くなって、みたいなほのぼのストーリーですか。みなさんそういうの大好きですよね。 どうせ「存在」するにしても、何か、もっと、別のあり方、というものは、ありえないものなのでしょうか。 またはUターンして結局「現状肯定」というのではなく、究極の <一者> の反対側まで突き抜けることはできないものなのでしょうか。 それがどういうことなのか、想像もつきませんけど。 何とかならないかな。もうちょっと、なんとか。 何か、ないかな。何か。もうちょっと、なにか。 なりそうな気がする。ありそうな気がする。 何か! なんとか! 何か、何かもうちょっと、ナニか、ナニか! ナニかないかな! ↑悲痛に叫んでみたつもりですが、カタカナで書くと卑猥なナニかを想像してしまいますね。え? 想像しない? こいつめ! それはさておき、今日もあなたが幸せでありますように。 ◆ 2019/02/16 したこと: マインドルのCG作成 学園モノと言えば巨悪との戦い。 具体的にどういう場面かは不明ながら、なんだか闇雲に巨悪的な何かと戦っている感じがしますよね? するはずです。しろ〜。 真ん中の緑髪の人のゴーグルが顔にちゃんとフィットしていないようにも見えるかもしれませんが、 手描きならではの風味を味わっていただくための極めて高度な表現技法です。 やっぱりフィットしてないんじゃないか、と愛するあなたに言ってもらえるのを待ってます。 後ろの軍団の人たちがどの列も同じ人なのは手抜き、と見せかけて、 見分けのつかない群集が押し寄せてきていることを表しつつ手間を省くという極めて高度な表現技法です。 やっぱり手間を省いてるんじゃないか、と愛するあなたに言ってもらえるのを待ってます。 ところで前回、キャラ2ルートの分のCGは完了と言ったはずなのに、またキャラ2のCGなのは私が嘘つきだから、ではなく、 これはキャラ3ルートのCGだからです。 「キャラ2の分」と言わずに「キャラ2ルートの分」と言ったのは嘘にならないための極めて高度な表現技法です。 というわけで、再びキャラ2氏。 もはやお姫様だっこは朝メシ前。抱きかかえて走ってるように見えますよね? 見えろ〜。 なお、抱きかかえて走るにあたっては落っこちないように首に手を回していてもらう必要があるわけですが、 コミPo!にちょうどいいポーズがなかったので、腕部分は別のポーズからコピペしております。 右肩が怪しい感じですが、主人公氏と合わせれば問題なくなるという高度な表現技法です。                  ↓ うむ。完璧。完璧ですよね? よく見るのが禁止であることは愛するあなたにはよくわかっていただけていることと思います。 またまたお姫様だっこシリーズ。後回しにしていたものをまとめてやっつける。 後回しにしていたお姫様だっこも、すでに手慣れたもの。 抱くだけではなく、抱かれるのだって楽勝。極めるとはこういうことであります。 ふと思ったのですが、事前情報なしに、このCGだけを単独で見ると、 逆光とアングルの加減で、何がなんだかわからないんじゃないでしょうか。びくびく。 でも多分、実際には文章がつくので問題なしという高度な表現技法です。言い張ったもん勝ち。今日も元気に催眠術。 このCGに限らず、気になる点は多々ありますが、いちいち直していたら命がいくつあっても終わりません。前進あるのみ。 さぁさぁ、後回しにしていたものをやっつけるシリーズですよ。 学園モノと言えば保護者とのバトル。 どれが保護者なのかがわからないというアナタのために親切に教えてあげると、メガネをかけてる人が保護者です。 あっ、よく見たらメガネっ子が2人いるじゃないか! これではどちらが保護者なのかが伝わらないぞ。このやろ〜。 バトル場面は超大作になりがちです。それでいてCGの作業上は1枚というカウントなのだから、後回しになるのも頷けます。うんうん。 ちなみに灰色髪の方のメガネっ子さんがお持ちになっている武器は、本文によると「割れた花瓶の破片」らしいですよ。 残念ながらコミPo!には「割れた花瓶の破片」という素材は入ってなかったので、モバイル端末的な何かをGIMPで加工しております。 あとは本文との合わせ技の催眠術で「割れた花瓶の破片」だと思っていただきます。思ってね? よろしく〜。 さあ、そろそろくたびれて参りましたが、威勢の良さそうなのをもう一枚。 ジャンプしてるように見えますよね? 見えろ〜。得意の催眠術にモノを言わせる高度な表現技法です。 本文によると「髪が舞い上がっている」らしいですが、ムチャ言わないでくれって感じです。 前髪のエクステだけは私の管轄ですので、少々角度をつけてみました。このぐらいで勘弁していただくこととします。 いつもながらコミPo!にちょうどいいポーズが見当たるとは限らないわけですが、 もはやこの程度はお茶の子さいさい。ブレザーへの加工もお茶の子さいさい。ぜぇはぁぜぇはぁ。 ブレザーを手描きするのも予定ではこれが最後。そう思うと名残惜しいものがないこともありません。 このままでは膝立てポーズにしか見えないのではないか? という不安を無視して、 きまぐれアフター先生の背景に乗っけて、フィルター>照明と投影>グラデーションフレア でジャジャーン、 上記のとおり、闇雲な青春の一コマの出来上がりであります。出来上がりったら出来上がりであります。 そんなわけで今週の成果は数字としては5枚。 ちなみにこれでキャラ3ルート前半のCGがすべて埋まりました。やった! 先週に引き続き、着々と進んでいる感じがしますよ! あと9枚! いよいよヒトケタの世界に突入です。 つまり、いよいよ今までどうにも避けてきた分に向き合わざるを得なくなってきたということでもあります。 楽しみ過ぎて、考えるだけで鼻血が抑えられなくなります。 あっ、あとですね、すっかり忘れてたんですけど、エンディングの背景用のCGも欲しいなどと思っていたのでした。 どうしようかな。できれば後日談的なCGを入れたいなと夢見てたんですが、この期に及んで作業が増えるのは不吉です。 そういうことをやり始めるのは永遠に完了しないフラグってやつです。 真っ白ってのはどうかと思いますが、適当に何か青空的な背景素材でも入れておけばいいじゃないですか。うむ。 完成したと言い張るための必要条件としては優先度は低いということで。心を鬼にして突っ走りましょう。鬼とは何だ鬼とは。 ところで今まで全っ然気にしてなかったんですけど、 最近の時流として、SSLじゃないサイトに対する風当たりがキツくなっているようですね。 先日からFirefoxの代わりのブラウザを探していて、そのように気付きました。 「安全ではありません」などと、かなり目立つ形で表示されたりする。余計なお世話だと思っても非表示にする設定も見当たらない。 当然、このページにSSLなんてついてません。 うちのような、パスワードを入力するわけでもない、見るだけのページでSSLなんて不要だと思うのですけども、 ブラウザに「安全ではありません」とか言われたら気分がよろしくありませんね。どうしようかな。 しかし、そんな理由で無駄にSSL化するというのも面白くありません。 ご訪問いただく皆さんは気にしてらっしゃるものなのでしょうか? なんだかね。いつものアレですよ。ただ外を歩いてるだけで「不審者」扱いってやつですよ。このやろ〜。 さらにイヤラシイのは、SSLじゃないと検索エンジンの表示順位が下がるぞ的な噂があることです。 そんなことを聞くと、ますます、SSL化する気が失せます。検索エンジンに媚を売るなど軟弱の極み。 いっそTor専用のonionサイトにして地下に潜ってやろうかしら。いよいよ誰も来なくなりますな。 それともSSLにしないとページの内容が何者かの手で改竄されてしまうのでしょうか? おまえの母ちゃんでーべそ! おっと、今のは悪い人に改竄されたテキストですからね? 善人として名高い私がそんな口汚いこと言うわけないじゃないですかぁ。 そんなってどんな? 語るに落ちております。 SSLにするにはサーバーを移転する必要があります。 少し調べてみたところ、今使ってるサーバーよりも安いサーバーでSSLが導入できるところがありました。 その他の面でも、そちらの方がいろいろとスペックが上のようです。 先にそのサーバーの存在を知っていたらそっちにしていたかも、と思うほど。 そういう意味では、乗り換えるのはヤブサカではないのですけども。 だからと言って、このサイトをSSL化することに何の意味があるのでしょう? 人類の福祉に資する行動というわけではないような気がいたします。 たとえば何か「SSL化を推進するセールスパーソン」的な人を想像するとして、その人が言いそうなことは何となく思い浮かびます。 敢えて反論する気にさえなれないというか。 この、SSL化を推し進めようとする時流に、あまり「善のニオイ」が感じられません。 なんと言えばいいのかな。うまく説明しようとすると原稿用紙ン百枚の超大作になるので、省略して言うと、 「気持ち的に "乗れ" ない」という感じ。 かと言って、敢えて突っ張って反抗する必要があるかと言えば、それも微妙なところ。 まさに「あーあ。どうしよっかな〜」という感じです。 突き詰めて言えば、一番いいのが自殺であるのと同様、一番いいのはサイト閉鎖ということになってしまいそうですね。 それでも生きるのはなぜですか、という話。あるいは、あなた方はあなた方で好きにすればいいですね、という話。 で、そんな突き詰めるほどのことなのかという点でも微妙なところではあります。 どこかにタイミングよく3000円ほど落ちてたらサーバー移転してもいいかも。金の問題か。 日に日に世相がギスギスしてきている感じがいたします。 それとも、たとえばこの件で言えば、SSLの普及率が100%になれば、何かが解決するのでしょうか? そういう問題ではないような気がします。 ではどういう問題なのでしょう? だからタイミングよく3000円ほど……。金の問題か。 一つ言えるのは、私個人がいかに善人であるか否か、ということと、世相の良し悪しの度合い、は、 あまり関係がないということです。 たとえば、人類の歴史上、幾人もの聖人君子がおりましたが、それにもかかわらず、現代の地球は「この有様」ですからね。 仮に私一人がそうした先生方全員を束ねた分に匹敵する超人だったとしても「この有様」に対しては無力なのに違いありません。 そういう問題でもないんでしょうか? さて。 一体全体、なぜこの世はこのようなのでしょう? 今日もダジャレが止まらない。 それはさておき、今日もあなたが幸せでありますように。 ◆ 2019/02/09 したこと: マインドルのCG作成 学園モノと言えばビル崩壊。 瓦礫が舞って大変そうな感じに見えますよね? 見えるはずです。見えろ〜。 よく見ると物理的におかしいですが、それも含めて「ともかく大変そうな感じ」という高度な表現技法ってやつです。 先週に引き続き、またまた困難を極めました。 何が困難って、そりゃアナタ、どうすれば瓦礫が舞っているように見えるのか? 皆目見当もつきません。 この私の絵の描けなさをナメてもらっては困る。 こういうのってよくある場面ではありますが、絵の描ける皆さんは実際どうやって描いているんでしょうね? 瓦礫を一個一個描くものなんでしょうか? 命がいくつあっても足りないじゃないですか。 しかし、そこで面倒くさがるあたりが、私が「絵が描けない人」である理由の1つかもしれません。 困ったなぁ、いよいよ年貢の納めどきかなぁ、と思いつつ、ともかくコミPo!に入っている背景素材をコピペして夢を描く。 この床が崩れて欲しい。この床が崩れて欲しい! 崩れろ〜。 本文によると「床が割れて離ればなれになって瓦礫が舞って……」という場面らしいですよ。 いつもながら勝手なことを言ってくれるじゃないですか。このやろ〜。 とりあえず床だけ割ってみる。見ての通り、GIMPで黒く塗っただけですが、そこそこ見えるんじゃないですか? 見えるはずです。見えろ〜。 手前の床板だけトリックアートっぽく頑張ってみました。 闇雲にお二方を配置。もう、これでいいんじゃないの? という生々しい声が耳元に聴こえてくる。 ちなみにこの緑髪の人の服装だって、ほぼ手描きコースだったのでした。ぜぇはぁ。しかしここで立ち止まるわけにはいかない。 耳元の声を無視しつつ、手元にあるアニメからマネできそうな場面を探して頑張って描いてみる。ちなみに少女革命ウテナのオープニングです。 なお、コピペはしてません。本当です。ぜぇはぁ。参考元画像は載せていいのかどうかわからないので割愛します。 おかげさまでそこそこうまくできた気がするので、期待を膨らませつつ、合成してみる。 悪くない! が、まだまだ足りない。メチャクチャさが足りない。 とは言え、これ以上瓦礫を描いていたら命がいくつあっても足りないので、後はコピーや反転や拡大をして無造作に重ねることとします。 よく見ると同じ形の瓦礫がいくつもありますがよく見るのは禁止です。 さぁ、どうなる? おお! なんか雰囲気出てきたんじゃないですか? もう一声! というわけで全体を回転させてみました。まさにカオス! これだよこれ! 重量の方向が誤魔化されて完璧ですね。床の亀裂が黒く塗ってあるだけなのも、ここまで来れば誰にもわかりません。 頑張ったトリックアートもついでに隠れてしまってますが、もうどうでもいいや。どうでもいいのかよ。 はーい、これで完成。完成ったら完成。 いやぁ疲れた。死ぬかと思いました。 もう今週はこの一枚でヤメにしようかと思いましたが、私は頑張り屋さんなので頑張ってしまいました。 お姫様だっこの奥義は先週習得済みです。 本文によると、完全なお姫様だっこではなく、「後ろ向きに転びそうになったところを背中に腕を入れて支える」場面らしいですよ。 今の私の手に掛かれば、その程度は赤子の手をひねるようなもの。もちろん赤子の手をひねったら児童虐待なのでダメですよ? 思いのほか楽勝だったので、勢いに乗ってもう一枚。 なんでナナメになっているのかといいますと、持ち前の天才的センスの命ずるままに作業したら、いつの間にか傾いてました。 それ以上の説明は不可能です。天才とは罪なものですね。 え? ○○の一つ覚え? ○○とは何だ○○とは! もちろん天才です。うふふ。何がうふふだ。 キャラが3人とも出てくるので大変かな〜と思っていたのですが、その程度は○○の私には楽勝です。○○とは何だ! もちろん以下略うふふです。 それはさておき、このCGの真の恐ろしさはそこではありませんでした。 部屋の奥に机を並べる作業が以外な伏兵。 こうして結果だけ見ると、どうってことない感じがするかもしれませんが、 コミPo!空間で「複数のオブジェクト」を「狙った位置」に「つじつまが合うように並べる」のって、なかなか大変なのですよ? ぜひ感動とともに見つめていただきたい。 しかも、これって別に天才じゃなくてもできそうな作業って感じがするじゃないですか。 天才の私としては、そういう地味な作業をするのって苦痛なんですよ。やはり天才とは罪なものです。 ちなみに、このCGを今まで後回しにしてきた理由はと言いますと、 部屋(部室)の全体的な様子が映ってしまうからです。 通常時の背景としては、これまではKsFactoryさんの背景画像(左)を使わせていただいておりました。 イベントCGを作成する際には不一致がバレないことを願ってアングルで誤魔化してましたが、もはや誤魔化しようがありません。 というわけでコミPo!の画像素材を組み合わせて、背景用の「部室」も作成。 時間帯などのバリエーションだってモリモリ作成。 こうして自分の手を動かしてみると背景素材屋さんのありがたみが身に染みます。しみじみ。 うむ。完璧。 ちょっと天井が低いかな? そもそも狭い部屋であることを反映した高度な表現技法ってやつです。 よーし、今週も頑張ったなぁ。 その成果、実に3枚。うむ。目を疑う数字とはまさにこのこと。 じゃあ、予定外に部室の背景も作成してしまったのでそれもカウントに入れるとして4枚。 時間帯のバリエーションも全部カウントに入れると10枚だ。 はい、こうして統計値というものは報道の都合で歪められていくのですね。大人って汚い! いや、しかし、ここまで来ると、もはや数字を追求しても仕方ないかなとは思います。 後回しにしていたムズカシイのをいかにしてやっつけるか? あ、そういえば今回の分で、キャラ2ルートのCGは全て完了したのでした。やった! 着々と完成に向かっている感じがしますよ。 残り14枚! その後にも対戦シーンのAIの調整作業が待っているのかと思うと楽しみ過ぎて鼻血が出ます。まだまだ死ねません。 思考処理自体はできてるのですけど、この作業を始めた当初に比べて、世間の側でのAIのレベルが大幅に上がってしまっているのが気になるところ。 今から技術を追いかけていたら命がいくつあっても足りません。 ともかく「完成」と言い張れる状態を目指して邁進して参りますよ。 あ、それからWindows7のサポートがそろそろ終了しそうなのも懸念事項なのでした。 私の手元ではWindows用にビルドできなくなってしまいます。 ソースごと公開するつもりではおりますが、「みなさん自分でビルドしてね」というのは果たしてアリなのでしょうか。 自分用には普段Linuxを使っていても、ソフトを公開する際にはWindowsを無視するわけにはまいりません。 できればWindows用にもビルドしておきたいところ。でもいずれ時間の問題ですよねぇ。図書館のパソコンでビルドするというのはどうか? ただ、時間の問題ということを言い出せば、 仮にこれが大人気を博したとして、たとえば今から100年後にもプレイ可能な環境が存在するかどうか? おそらく存在しないでしょう。 コンピュータの仕様はどんどん変化します。 たとえば、かつて一斉を風靡したFlashだって今では再生できない環境が増えております。 どんなにうまくいっても、せいぜい20年が限度ではないか? そういえば古代の文献は大半が散逸しているのでした。 もちろん、さらに言えば、この世がいつまで存在するかもわかりません。 同時代に生きる少数の誰かに届くことを願うばかり。 Flashと言えば、先日Firefoxをアップデートしたら、ついにハム将棋が動かなくなってしまいました。ちょっとショック。 トリップ時の脳の動作確認ができないじゃないか! このやろ〜。 それはさておき、さしあたりPalemoonで代用中。しかしこれも時間の問題なのかなという気はいたします。 アップデートのたびに何かが不便になるというのは一体何なのでしょう。 そう言いたくなるところではありますが、これも繰り返されてきた歴史なのかもしれません。 某G社みたいにすべてを記録に残そうとするというのも、どこか狂気じみたものがある気がいたします。 では失われた過去はどこへいくのか。失われてはおらず積み重なって今ここにあるということでしょうか。そう言われましても。 > アップデートのたびに何かが不便になるというのは一体何なのでしょう。 なんとなく、時間とともに物事は進歩する、というような感覚を持ってしまっておりますが、 ここ最近の歴史ではそう言えたのかもしれないとしても、より大きなスパンでは必ずしも時間は一直線ではないはずです。 もしかすると、コンピューター関係の各種アップデートは、時間のそうした側面を垣間見ることができる一例なのかもしれません。 あ、別に嫌味で言ってるんじゃないですよ? 本当ですよ? 中の人たち、ありがとうございます。手を合わせておじぎをする。ナマステー。 否応なく流れる時間の中で、それに伴うはずの進歩、ということに生きる意味を託してしまうと、切なくなるのかもしれません。 なんとなれば、我々は年老いて死ぬのでした。 それにしてもなぜこの世はこのようなのか。もちろんダジャレです。久々に言った。 今日もあなたが幸せでありますように。 ◆ 2019/02/05 したこと: ア●シアコ●フサ5gでの体験レポート(2回目) 前回同様、真似していいのは良い子だけですので念のため伏せ字とし、ご存知の方にのみ伝わる書き方とします。 そんなわけで2回目。 前回がイマイチな結果だったので再挑戦してみた次第です。 結果から言うと今回もまたトリップと言えるほどの内容ではなかったのですが、 それでも、そこそこ楽しかったので記録を残しておくことにします。 ■ 準備(+前回との違い) 今回のドースはア●シア5g+MAOI(モク某ベミド)300mg。 ア●シアの量は前回と同じですが、MAOIは前回よりも減らしました。 なぜかと言いますと、前回600mg使用したところ、非常に不快な体験となってしまったからです。 因果関係は不明ながら、後日、実験としてMAOIだけで600mgを試したところ、同様に不快な体験となったため、 私には600mgは多すぎなのだろうという判断です。 ア●シアの使用方法も前回とは変えました。 前回は粉のまま飲み込みましたが、どうにも下腹部の不快感がキツすぎました。 しかも、それで粉から成分が摂取できているのかどうかもよくわかりません。 そこで今回は使い捨てのお茶パックに詰めた上で、クエン酸(5g)溶液で煮出しました。 クエン酸を入れる理由は、アルカロイドを抽出する効果があるらしい、という情報があったからです。 お茶パックに詰めるのは、あとで漉すのが面倒だからです。というか普通にお茶を入れるときと同じです。 MAOIを減らした分、手抜きせずに抽出することで主作用の向上を期待するものであります。 鍋に水約半リットル(適当)と上記の素材を放り込み、一度沸騰させた後、弱火にして30分ほど煮詰めます。 その間、MAOI投与量の半分(150mg)を事前摂取しておきます(体に異変が起きないことの確認)。 部屋中にア●シアの匂いが漂う。たとえるなら、夏の蒸し暑い日の雨上がりの木造住宅の解体工事現場のニオイを濃縮した何か。 水の量が半分ほどに煮詰まったところで火を止めて、液体をお椀に注ぐ。見た目もニオイも完全に泥水。これを飲むの? コラージュなど軟弱! と思ってましたが、その価値も認めざるを得ません。とはいえ今日はそんな準備はありません。 残り半分のMAOIを粉にして泥水に溶かしながら、気持ちを落ち着ける。 もうなんか、「これは飲み物じゃない!」と本能が叫んでる。それを意志の力でねじ伏せて、液体が人肌に冷めたところで一気飲み。 ん? 意外とウマイ? クエン酸のおかげでフルーティなお味。なかなかイケますよコレは。酸味は偉大ですね。 ■ 摂取後、何も起きない3時間 いつもながら、飲む直前は心理的な抵抗があるものの、飲んだ直後は実感がありません。 アニメを観ながら効果が出始めるのを待つ。が、一本観終えても変化なし。精神的にも身体的にも。 微細な変化を見逃しては勿体ないと思い、アイマスクを装着して布団に潜り込む。 しかし何も見えません。アイマスクをつけてるんだから当たり前じゃないか。そりゃそうだ。はい、すべてが普通。 普通じゃないことを期待しているのだから、これでは困る。 暇だ。 でも前回みたいに悶え苦しむのは嫌だし、何も起きないなら、それに越したことはないのかな。 身体的な不快感がないという点だけについては、やり方を変えた意味があったと言ってよさそうな気がします。 それにしてもこの差は何なのでしょう。MAOIの量でしょうか。よくわかりません。 吐き気も何も一切ない。あんな泥水を飲んだのに吐き気すらないというのは逆にどうなんでしょう。何かが麻痺しているんじゃないでしょうね。 少しボーッとするような気もするものの、何も起きなくて暇だから眠くなっているだけのような気もします。 摂取から約三時間後、お腹が空いてきたので何か少し食べることにして台所へ移動。 ちなみに朝からア●シアの泥水以外何も食べてません。 ■ 瞳孔ガン開き 移動の際、少しフラつくような気もする。 洗面所の鏡で確認したところ、この時点では瞳孔はほぼ平常運転。少々開きぎみのようにも見えるものの、驚くほどではない。 効いてる感じはまったくないものの、一応体験中ではあるのでリスク回避のため食事の量は少しだけにしておく。 食パンを約1枚分と、きな粉ジュースを少々。ウマイ。やはり「食べ物」というのはウマイものですね。クエン酸など不要。 腹2分目ほどでごちそうさま。ハミガキをするべく洗面所へ。 そこで鏡に映った自分の顔を見てビックリ。瞳孔がガン開きになっている! 黒目の8割ぐらいが真っ黒。なんだこれは! 食事の直前には何ともなかったのに。何かMAOI的に食べてはイケないものを食べてしまった? きな粉は大豆ですが発酵はしてません。 パンってダメなんでしたっけ? 発酵食品とは言うものの、膨らますためにイースト菌の発酵を利用しているだけなのであって、 チーズや豆腐とは発酵の意味合いが違う、と思っているのですが……。 よくわかりませんが、身体症状が出たということは、摂取した物質が何らかの形で効果を発揮しているということ。 本番はこれからだぜ。ぐふふ。期待を膨らませて部屋に戻る。 ■ 大爆笑 お腹に物が入ったせいか、膨らんだ期待感のせいか、気持ちが全体的に前向きになる。 アイマスクを装着してお布団に潜り込み、効果が現れるのを待ち受ける。 が、やはり目立った変化はなし。 まぶたの裏の光の明滅が少々派手と言えば派手かな? アイマスクをつけているわりには明るい。初めてデキスト某メトルファンをやったときにも似ている何か。 ときどき広い空間にいるような感じがする。空間というか、垂直に高い場所から低い場所に吸い込まれる感じ。 こういう縦方向の感覚は私の場合はシラフでは味わったことのないものです。 が、それも微妙なレベル。 今回も失敗かなぁ。何がダメだったんだろう? 不快な身体症状が出ないだけマシか。 あったかいな。前回は寒くてたまりませんでしたが、今回はなぜか手足の先まで血の巡りが良好な感じです。 さまざまな雑念が思い浮かぶ。 不意に、この分野で有名な某A先生が数日前にネットに書いていた一言が脳裏に蘇る。 (引用) 「豆炭あんかにファニーボーン置いて昼寝したら神経やられたのか肘から先に鈍痛が… みんな豆炭あんか使う時は気をつけて」 ファニーボーンというのは肘の後ろの神経が通ってる箇所のことですね。 正確なことはわかりませんが、しかしそれは単に、「変な恰好で寝ていたら腕が痺れた」というだけのことではないのでしょうかA先生。 「神経をやられた」とは、これまた。 この「神経をやられた」というフレーズが妙に可笑しく思えて、笑いがこみ上げてくる。 いや、だって、「神経をやられた」て。それはまた何とも。うはははは。 笑いが止まらん。なんだこれは。うはははははは。腹が痛い。タスケテクレー。「神経をやられた」。うははは。腹が痛い。 「神経をやられた」。やめてー。 しかも「みんな気をつけて」と続けるのだから芸が細かい。 「神経をやられた」「みんな気をつけて」 これまた何とも。ぶふっ。うははははは。もうダメだ。笑い死ぬ。タスケテ! 上記の書き込みをシラフで読んだときには何とも思わなかったのに、これは一体何なのでしょう。 笑いの波が収まって落ち着いた……と思いきや、また不意に「神経をやられた」が蘇ってきて笑いが止まらなくなる。 そんな状態がしばらく続きました。「神経をやられた」「みんな気をつけて」。ぶふっ。うははははは。なにこれ。すごい。 シラフではあり得ない笑い方でしたので、これは間違いなく物質の作用だと思われます。 もしかしてA先生は我々のトリップ中の笑いを提供するために、こうしたネタを書いてくださったのでしょうか? トリップ中にのみ理解できるネタを提供できるとは、さすがの一言。 もしや、単に肘というのではなく敢えて「ファニーボーン(funny/オモシロイ)」という語を使うことで、 サブリミナルに笑いの空間へ誘導する狙いが? 素晴らしいテクニシャンです。 何しろ「神経をやられた」ですからね。「みんな気をつけて」。なかなか言えませんよこれは。すごすぎる。腹が痛い。 いや、笑い事ではないかもしれないんですけどね。だって「神経をやられた」のですから大変です。 A先生は本当に善い人だということがよくわかりました。「みんな気をつけて」。 ありがとうございます。 不謹慎に笑ってしまいごめんなさい。物質の作用ということでご容赦いただければ幸いです。どうぞご自愛ください。 ■ その後 大爆笑モードが去るにつれ、吐き気がこみ上げてきました。 この時点で体験開始から約5時間。今回は吐かずに済むかと思ってましたが、ついにトイレに移動して吐く。 瞳孔もまだまだ開きっぱなし。こんなに時間差で効いてくるとは思いませんでした。 が、その後はいい意味でも悪い意味でも特に大きな出来事は起きず。 たまに「神経をやられた」にやられつつ、おしなべて満ち足りた気分で落ち着いて過ごしておりました。 この穏やかな感じも物質の効果といえば効果だったのかもしれません。 ■ 考察と反省(MAOIの食事制限について) 食事直後に瞳孔散大が起きたことが気になります。 MAOIの禁忌について何か間違ったことをしてしまったのでしょうか。 MAOIの食事制限についての私の理解は大体以下の通り。 ・とどのつまり「チラミン」というやつが問題 ・チラミンは血圧上昇に関係がある ・チラミンはさまざまな食品に含まれている ・チラミンは体内のMAO(モノアミン酸化酵素)で分解される ・MAOI(モノアミン酸化酵素を阻害する薬剤)を摂取するとチラミンを分解できなくなって体に悪い ・MAOIを「まおい」と読んだら田舎者扱いされるのかどうかは不明 ・たまに「MOAI」という誤植があって楽しい。イースター島か つまり、MAOIの食事制限とは、とどのつまり、チラミンを含む食品を食べない、ということになろうかと思います。 今回、食べたのは以下の通り。 ・きな粉(大豆) ・パン 大豆に関しては、発酵させたものはダメと聞き及んでおりますが、きな粉もダメなのでしょうか? Wikipediaの成分表を見る限りでは、チラミンは書かれてません。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8D%E3%81%AA%E7%B2%89 「チ "ア" ミン」というものがあって、ドキっとしましたが、どうやらフェイントのようです。こいつめ。 海外のページを見ると、tofu、miso、soy sauceのような発酵させた(fermented)ものがダメという記述はよく見かけますが、 大豆自体もダメなのかどうかは不明。というか海外ではきな粉の存在自体が一般的ではないのではないのか。 ちなみに上記3つの大豆製品は大抵書かれてるんですが、nattoだけ書いてないページが多い気がします。海外では不人気か。 しかしnattoも明らかに発酵食品。書かれてないからと言って油断は禁物という話。 ではさて、パンは? https://erowid.org/chemicals/maois/maois_info2.shtml を斜め読みしたところ、パンは大丈夫そうな気はします。 なお、知っての通り私は天才翻訳者ですので、以下の訳はぜひぜひ鵜呑みにしてくださいね。 > Yeast used in baking is safe (Anon, 1989; Da Prada et al, 1988; McCabe, 1986). (焼くときに使われたイーストは安全) in baking が正確には何を指しているのか、よくわかりません。 「パン焼きの作業工程の中で」ということなのか、あるいは「ベーキングパウダーに混ぜ込んで」ということなのか。 いずれにせよ、日本で普通に手に入るパンの場合は大丈夫そうな感じはします(根拠なし)。 > Brewers yeast (Bread, cake, cookies etc. are OK as they do not contain brewers yeast) (ビール酵母(パン、ケーキ、クッキーなどはビール酵母を含んでいないのでOK)) > FOODS WITH INSUFFICIENT EVIDENCE FOR RESTRICTION (McCabe, 1986) (制限については証拠不充分) > ・yeast-leavened bread (イースト発酵のパン) 3つめの引用箇所から察するに、証拠不充分ながら、念のため避けた方が無難、ということにはなるのでしょうか。 というか「イースト発酵のパン」って実際のところ何なのでしょう? 普通のパンってことですよね? 違うのかな? ただ結局、MAOIの食事制限という話で「○○は安全?」という質問に対しては、 「念のため避けた方が無難」という答えにしかならないのかなという気はします。断食あるのみか。 それから、チラミン中毒の症状として「瞳孔散大(Pupil dilation)」が記述されているのは今のところ見たことがありません。 症状としてはオマケすぎて、あえて書かれてないだけかな。 というか、むしろそれはDMTの作用じゃないのか。 参照:https://psychonautwiki.org/wiki/Dmt ("Physical effects" の表内) すると、食事の直後に瞳孔散大が発生したのはタイミング的な偶然だったのかな。 いずれにせよ、「途中で食事をした」ということ自体、リスクがあったとは言えそうです。油断大敵。結局、断食あるのみか。 ちなみに翌日、一日中なんとなく頭痛がありました。みんなも気をつけて。いえ、笑えませんけども。 ■ 今後に向けて 前回同様、トリップと言えるような結果ではありませんでした。 とは言え、まったくのシラフというわけではなかったのは明らか。それなりの効果が感じられる結果ではあります。 ・身体症状 → 瞳孔散大、嘔吐 ・精神効果 → 大爆笑 つまり、方向としては間違ってないはず。別物質ですがデキスト某メトルファン業界で言うところの第1~2プラトーというところでしょうか。 とすると、あとはもう、量を増やすしかないか。 ネットで深い体験を報告してらっしゃる皆さんは大抵10g以上ですからね。 無駄にするともったいないと思って少量ずつ試してましたが、ちまちま5gずつやってても埒があきません。 次回は10gぐらい行ってみようかな。 ではまた。 今日もあなたが幸せでありますように〜。 ◆ 2019/02/02 したこと: マインドルのCG作成 学園モノと言えばお姫様だっこ。 困難を極めました。 何が困難かと言えば、コミPo!に都合よく「お姫様だっこのポーズ」なるものは入っていないのでした。 まさかコミPo!学園ではお姫様だっこが校則違反だとでも言うのでしょうか? そんな学園は認めない! というわけで、どうにかして近いポーズを探して、それっぽく見せるべく、長い旅が始まるのです。 お姫様には「座って読む」の恰好で後ろ向きに倒れていただきます。おっと、お姫様パンチラですよ。ムフフ。何がムフフだ。 主人公氏はこれです。手首は別パーツとして動かせるので、手の甲で机に手をつく恰好に。 以上の素材が揃えば、後はGIMPの天下。 なんやかんやと魔法をかけて、お姫さまだっこ完遂! 我が青春に悔いなし! よく見ると手首の位置が異次元空間を突き抜けていたりはしますが、実際の画面ではアップになるので目立たないはず。 ついでにパンチラの問題もアップにすれば画面外に放逐可能。 さらに主人公氏の顔を出さないという鉄の仕様も極めて自然に遵守できました。めでたしめでたしというフレーズが自然に口をついて出てきます。 苦労を覚悟の作業でしたが、こうして終えてみれば数多の巡り合わせが精妙に組み合わさり、当初の想定以上の地点へ導いていただけました。 まさに御仏の計らいと認めざるを得ません。 ご覧のようにコミPo!では、用意されているポーズの中から選んで微調整していく、という作業手順になります。 多数のポーズが用意されていて至れり尽くせりではありますが、 目的のポーズの「そのものズバリ」が見つかるとは限らないため油断は禁物。 作業を始めるたびにスリルとサスペンスが待ち受けています。毎日がドキドキ曜日。 さらに、ほとんどのポーズが1キャラ単独のポーズとなっていて、 2キャラ以上が身体的に絡み合う画像を求める場合、艱難辛苦のイバラ道を歩き抜く覚悟が試されます。 残りのCGはそういうものが多い。 というわけで学園モノと言えばスリーパー・ホールド。 もともと、スクリプト側の指定としては「抱き合って見せる」というようなシーンなのですが、 いい具合に抱き合っている感じのポーズがコミPo!内に見つからず、 三日三晩座禅を組んで考えた末、目の前に降りてきたのがこのポーズ。 ↓ これは思案のポーズだとばかり思っていましたが、実は何気ない恰好の中に必殺の奥義の型を隠した秘伝の書だったのですね。 見よ! これが「手をあごに置く」の真の姿だ! シンプルにして究極。 こんなことになるとは、スクリプトの段階では予想だにしませんでしたが、 闇雲な愛の形がこれ以上なく的確に表現されているではありませんか。まるでこのシーンのためにあったかのようなポーズ。 御仏の計らいとはまさにこのこと。 と、ここまでは御仏がうまい具合に取り計らってくれて事なきを得続けて参りましたが、 御仏だって暇じゃありませんから、毎度毎度そうそう都合よく事が運ぶとは限りません。 というわけで次は 「肩を抱かれて緊張が解けて安心する」というようなシーン。 文字どおりに絵を想像するなら、↓こういう感じでしょうか。 しかし、どうしても、どちらか片方の顔が隠れてしまいます。さらに、うまい具合に「肩を抱く」ポーズも見当たらない。 仕方がないので抽象画とします。 ↓ ぬくもりに包まれて緊張の解けた精神が愛の充溢する宇宙へと融解していく様子がこれ以上なく的確に表現されているではありませんか。 御仏もなかなかのヤリ手ではありますが、この私の天才っぷりもまた証明されてしまったようです。フフフ。何がフフフだ。 というわけで、絵が描けないながら限られたリソースを駆使して如何に誤魔化すかに神経を削った一週間でございました。 その成果、なんと6枚。おっと、ついに1日1枚のペースを割り込んでしまったようですよ。 今まで頑なに守り続けてきた一線をとうとう踏み越えてしまいました。何か恐ろしいことが起きるに違いありません。びくびく。 残り17枚! あと少し。が、それはつまり、これまで後回しにしてきたものが溜まっているということ。 なぜ後回しにしてきたかと言えば、技術的な困難さが予想されるからです。 いっそ残りは全部、抽象画にしてしまおうか。それを解禁すると何でもアリになりますね。まさにバーリトゥード。 さて。 これからどうしようかな。選択肢は大体3通り。 このまま勢いで作業を進めてしまうか。トリップの再挑戦をするか。死ぬか。 先延ばしにしても仕方がないんですよねー。どの選択肢のことかは秘密。 ちなみに先週、MAOI(モク某ベミド)を単独で600mg試してみたところ、 腹部の不快感こそないものの、やはり、まともに起きていられず寝込んでしまいました。私には600mgは多すぎだったのかもしれません。 しかしセンチメンタルな気分にはならなかったので、前回のあれはあれで、それなりに物質の効果が出ていたということなのかもしれません。 というわけで次はMAOIの量を減らしつつ、メインディッシュの木くずをクエン酸溶液で煮出して主作用の増強を狙うですよ。 ところで先日気付いたんですが、私てっきりモク某ぺミドだと思ってたんですが、「へ°」じゃなくて「へ”」だったんですね。きゃあ恥ずかしい! どうりで検索しても情報出てこないわけだ。ポテルシャン高すぎってやつです。イナズオンで爆発するしかありません。ザリオクで復活せよ。 このままでは人前でショー●ンハウアーさんのお名前を言えなくなってしまうのも時間の問題です。 日誌の方の記述をこっそり修正しておいたというのは秘密です。 もしかすると他にも同じような間違いを犯しているのかもしれません。 学校の敷地ってキャンバスでしたっけ? キャンパスでしたっけ? お絵描きに使うのが? クレバス? 寒いところの地割れが? クレパス? インドネシアの? フランスの? パリ? バリ? 奈良の大仏さんは、るびしゃなぶつ? びるしゃなぶつ? トマト? トメィトゥ? 天気予報? てんきょーほー? すまほ? すまふぉ? 知らないうちにみんなに笑われているに違いありません。もはや恐ろしくて口を開けません。むぐぐ。 実はパソコンがパソコンだというのは私を陥れるための手の込んだ大嘘で、本当はバソコンなんでしょ? このやろ〜! いいんですよ。こんなことは。別に。どうだって。 私を笑いたければ好きなだけ笑ってくれていいんですよ。 でも私は笑いません。あなたのポテルシャンがどんなに高くても、 たとえ学校のキャンバスにクレバスでるびしゃなぶつのお絵描きをしようとも、私は決してあなたを笑いません。 私はいつだってあなたを愛しているからです。 あと、類似の事象として、MAOIの発音も気になります。 脳内では何となく「まおい」と読んでいるのですが、直接顔を合わせる人々とこの話題で会話をすることは皆無であり、 実際に口に出して言ったことはありません。 ある日、つい何気なく「まおい」と言ってしまいそうで恐ろしい。 ねぇアナタ聞いた? あの人「まおい」って言ったわよ。くすくす。お里が知れちゃうわね。 はい。自分が笑われないように気をつけることよりも、自分が人を笑わないようにすることの方が 素敵な世界につながっているものと思うわけであります。 ということは、間違いを恥じて修正するよりも、放っておいた方が良かったのでしょうか? そういうことではないとも言いきれない何かが、この点には潜んでいる感じがいたします。 「間違い」をすべて許容すると、「この世界」は消滅する。むろん、消滅は善です。 「人を笑いものにする」という行為に代表される「悪の衝動」こそが、「この世界」の「維持力」ということなのかもしれません。 「物質」とは「取り決め」のことなのでした。 いずれにせよ、「この世界」の「維持」よりも、定義により、あなたが幸せであることの方が、重要のはずなのに。 それが世界を消滅させる道なのだとすれば、消滅させればいいわけですが、ではなぜ世界がある/あったのか。 この「回り道」は一体何なのでしょう。 ではまた。 今日もあなたが幸せでありますように。 ◆ 2019/01/26 したこと: マインドルのCG作成 学園モノと言えばクラスメイトが怖い。 え? 何ですって? 手抜きですって? 私の悪口を言うのは誰だ! 断じて手抜きではありません。コミPo!で適当にモデルを作成して色を真っ黒に変換しただけです。 え? 何ですって? つまり手抜きですって? 私の悪口を言うのは誰だ! はい、このように猜疑心を無制限に増大させる。これが顔の見えない影絵の底知れぬ威力というやつです。 決して手抜きではなく、意図的にそうした効果を狙った高度な表現技法ということです。私は本当に天才ですね。 おかげで、この不安をかき立てずにおかない見事な出来栄え。 見ているだけで陰口が生々しく聞こえてくるようです。私の悪口を言うのは誰だ! ぜーはーぜーはー。 影絵に加えて、背景の効果も見逃せません。 元画像はコミPo!に入っていた背景素材の「04.疑問・困惑/困惑_01.jpg」です。 このままでもいいと言えばいいのですが、そこはやはり天才の私のこと。 持ち前のセンスが一工夫させずにはおきません。 GIMPの「色 > トーンカーブ」で「明度」を右下方向へグイっと移動。 するとアラ不思議! ↓ どうですか、この底知れぬ不穏さ! 立体感が消失するとともに明暗が強調され、増大した閉塞感の中で名状しがたい恐怖感がどこまでも拡大する! もうあたし耐えられない! 見ているだけでアッチ側に吸い込まれてしまいそうですね。キメるものをキメた状態で見ればウネウネ動くこと間違いなし。 え? キメるものって何かって? あたしわかんなーい。あはは。 さて、手抜きと言われっぱなしでは不本意ですので、自力で頑張っているというトコロをお見せいたしましょう。 ↓ 学園モノと言えば何もないところで転ぶ。 え? 何ですって? 落書きですって? 私の悪口を言うのは誰だ! これは断じて落書きではなく、コミカルな回想シーンであることを表す高度な表現技法です。私は本当に天才ですね。 ちなみに完全に自力というわけではなく、コミPo!で↓こういうのを作成して、モデルになっていただきました。 絵が描けないなりに、使えるものを工夫して頑張っているということです。私は本当にエライですね。 え? 何ですって? やっぱり絵が描けないんじゃないか、ですって? 私の悪口を以下略! 変化球が続いてしまいましたが、ストレートにCGっぽいやつもありますよ。 ↓ え? 何ですって? コミPo!で適当に出力しただけじゃないか、ですって? 私の以下略! さて、略し過ぎて何を怒っているのかわからなくなってきましたが、 こういう、さりげない普通っぽいやつの裏にも、人知れず苦労があるということを愛するアナタには知っておいていただきたいのですよ。 コミPo!での出力直後はこういう感じです。 ↓ 詳しい作業工程の説明は省きますが、これをベースにGIMPで頑張って上記の状態にまで加工しているのですよ。 ぜひとも上の画像と見比べてください。涙なしには語れない艱難辛苦の道のりがアナタの心にありありと浮かんでくることでしょう。 ちなみに緑髪の人の前髪の盛り付け加減には毎回マジで神経を削られてます。 ドット単位の差でスネ夫街道まっしぐら。未だにバランスがよくわかりません。自分が絵が描けない人だということを痛感させられます。 もう一つちなみに、テキスト欄の中で「つかまえたっ」のつもりが「つまかえたっ」になっていることに今気付きました。 面倒なのでこのままとします。 さて、学園モノと言えば欠かせないのが黒服の男たちとのバトル。 一枚では収まり切らなかったので、超大作になってしまいました。左上から右下へ。 ちなみに、スクリプト上では元々1枚の予定だったので、CGの作業工程としてはこれで1枚というカウントです。 6石1鳥。鳥さんに石を6つも投げるなんてヒドイ! そもそもバトルの様子は文章でも書かれているわけですから、律儀に画像でも説明する必要はないのではないかと思いつつ、 私は頑張り屋さんなので頑張ってしまったというわけです。 え? 何ですって? うまくシーンを切り取るセンスがないだけですって? 私略! ちなみに黒服さんが持っている銃ですが、コミPo!学園の備品の銃はこういうのです。 ↓ 今さら隠したところで皆さんすでにご存知でしょうけど、 私は昔、某国の諜報機関に属していたことがありますので銃器類の取扱いにも習熟しております。 その私が見たところ、これはおそらく水鉄砲的な何かだと思われます。 コミPo!学園の校則に従いたいのはヤマヤマですが、黒服の人の装備品としては少々心許ないところ。 そこでまたまたGIMPの出番。 銃の部分を自由選択ツールで囲み、「色 > 脱色」で白黒にして、「色 > トーンカーブ」で明度を下げると、ジャジャーン。 どこへ出しても恥ずかしくない立派な黒服さんの完成です。 ちなみにオブジェクトの位置合わせに失敗して指がめり込んでいたので、それもGIMPで誤魔化してます。 真ん中のやつでもよかったかな? 文章では「黒光りしている」と書かれてましたので合わせておきました。 いつもながら文章を書く人は気楽なものですね。いったいどこのどいつなのでしょう。見かけたら水鉄砲で撃ってやりたいものです。 そんなわけで今週も頑張りまくって、その成果7枚! そっか7枚かぁ。気持ちの上では7ギガ枚なのですが、実際7枚なのだから仕方がありません。 ご覧の通り、相当の大活躍なのですが、枚数に換算すると一日一枚なのですね。 何しろ一粒で二度おいしい的なのは、もうほとんど残ってませんからね。 それどころか上記のように、一枚の予定が超大作になってしまうこともあるほど。 ただ、CG作業もすでに終盤に差し掛かりつつありますので、この期に及んで先を急いで手抜きするよりも、 納得のいくようにやればいいのではないかなという気もしております。といっても技術がないのでやれることは限られているのですけれども。 あと23枚。 はい、技術的に難しそうということで後回しにしていたものが残っております。 簡単そうなやつを選んでいた序盤の23枚よりも勾配のキツイ23枚ですよ。うふふ。何がうふふだ。 終わりつつあるのが少々寂しいという気もしつつ、完遂に向けて邁進してまいります。 さて、今週もこのように更新できたということは、残念ながらまだ生きているということです。 トリップの再挑戦はまだやっておりません。 実行はしてませんが、準備は進めております。近所のスーパーでクエン酸をゲットしてまいりました。 あ、今のご時世でゲットしたなんて言うと万引きしたと思われてしまったりするのでしょうか? くわばらくわばら。 もちろん、かつて怪盗の名を欲しいままにした私がその気になればクエン酸だろうがアナタのハートだろうが盗むのはたやすいことですけどね。 むやみに特技をひけらかさないのが大人のたしなみというもの。 肩にトートバッグをかけたまま堂々と店の奥の調味料コーナーで時間をかけて物色しているからといって、 万引きをしようとしているなどと思わないでいただきたい。なんで私がいるタイミングでわざわざ店員さんが近くで作業しにくるんですか。このやろ〜。 ちなみにスーパーでは50g555円でしたが、ドラッグストアでは25g約400円でした。この違いは何なのでしょう。万引きして比べてみようかな。 クエン酸を調達した理由は何かと申しますと、アルカロイドを抽出する作用があるらしいということだからです。 次回はクエン酸を加えてお湯で煮出してみようと思います。 ところで、その理屈で言うと、カフェインもアルカロイドですから、 普通の緑茶でもクエン酸を加えて煮出せば、通常よりも多めにカフェインを抽出できるということなのでしょうか。 というわけで早速やってみました。 今日のこれはクエン酸溶液で淹れた緑茶を飲んだ状態で書いております。 カフェインがガンギマリになるかな? と思ったのですが、今のところ普段どおりです。むしろ眠い。 ここまで読んでこられたアナタにも、いつものとおり極めて理知的なシラフそのものの文章であることがおわかりいただけることと思います。 もしかしてスーパーのクエン酸はニセモノだったのでしょうか? まさかそんなことが? いや、その可能性は大いにあります。 この私が温厚な善人として名高いのを知っていて、これ幸いと粗悪品を売りつけたに違いありません。おのれ〜! おっと、被害妄想の効果ありか。いや、普段どおりか。 お味の方は、緑茶ながらレモンティーのようで悪くありませんでした。これはこれで新発見。 それならレモンティーを飲めばいいじゃないですか、と、愛するアナタに言ってもらえるのを待ってます。 今日もあなたが幸せでありますように。 ◆ 2019/01/19 したこと: マインドルのCG作成 学園モノと言えば集合写真。 写真と言いつつ背景が真っ白なのは、主人公氏が想像している、という場面だからです。手抜きじゃないんですよ? ご覧の通り立ち絵の使い回し画像を並べてるだけなのは手抜きかもしれません。 顔がない人が一人いらっしゃるのは主人公氏、と見せかけて、本編には一度も出てきていない人です。 あくまで主人公氏の想像上の場面ですので、主人公氏にとって面識のない人は顔を表示しようがありません。 いつもながら文章では勝手なことが書かれてますが、画像を用意する方の身にもなっていただきたいものです。このやろ〜。 そんなわけで今週の成果は8枚。そんなわけとはどんなわけかと言いますと、 上記の画像はナレーションに合わせて1人ずつ追加していって最後はセピア色になる、という場面でして、 なんとこれだけで合計8枚になるのでした。1粒で8度もおいしいとは昭和のお菓子も真っ青です。 今週はトリップの予定がありましたので、時間を確保するため、 お手軽に枚数を稼げるものを見繕って早めに作業を切り上げることにした次第です。上記のシーンはまさにうってつけ。 これで心置きなくトリップに集中せよ、との何らかの諸力の見えざる意志を感じざるを得ません。ざるが多い。 で、トリップの内容ですが、詳しくは別記事に書きましたが、あんまり芳しいものではありませんでした。 というかトリップできてません。ハッキリ言えば失敗です。 ネットでも効かなかったという報告はたびたび見かけますし、飲めば必ず効くというようなお手軽なものではないのかもしれません。 今回は失敗でしたが、ヤル気は失っておりません。むしろますますハートに火がつきました。メラメラ。 今後とも情報収集と試行錯誤を続けていきますよ! モリモリ。 汚い話で恐縮ですが、翌日のうんこは少々ユルめでした。 木くずのまま食べましたので、未消化の粉が大量に出ていたものと思われます。 食物繊維たっぷりでお通じすっきり。おっと、繊維は繊維でも食物ではないのでした。 あのうんこを食べたらトベたかな? 二度と戻って来れなそう。人として。 そういえば、もともと人間の排泄物にも体内で生成された内因性のDMTが含まれているらしいですね。 ということは、うんこをMAOIと合わせて食べたら効果があるのでしょうか? 名付けてクソワスカ。まさにクソネタ。 私が自ら試したいのはヤマヤマですが、ここは一つ、若い皆さんのために活躍の場を残しておこうと思います。私は本当に心が広いですね。 うんこで思い出しましたが、ガンジス川の水は沐浴だけでなく生活用水として使用する人も多いために 排泄物などが大量に混入していて非常に○○○と聞き及んでおります。 そういう水で日常的に沐浴などしていれば誰かのうんこのDMTが体内に摂取されてシヴァ神を見ちゃったり、なんてこともあるのかもしれません。 さらに、向こうではスパイスをふんだんに使用した料理を食べますからね。 ある種の香辛料にはMAOI的な効果を持つものがあると言います。 そういう生活をしていればこそ、ふとした日常のはずみで踊り出したりサマーディに入ったりすることもあるのかもしれません。 カレー味のうんこ恐るべしですね。私の偏見に満ちたインド観も恐るべしですね。大変失礼いたしました。ナマステー。 体験後に景色がキレイに見えるようになっているなどのオマケは特にナシ、と思うのですが、微妙にあったような気もします。 天気がよかったわけでもないのに、雲を裏側から照らす黄色い太陽に少し感動。空一面を雲がうねりながら覆っている。 なんだ、この世界はなかなか美しいじゃないか。よかったのぉ皆の衆。うふふ。何がうふふだ。 細かい部分が目に入ってくる。 道端の雑草の先端だとか、家々の屋根瓦の一枚一枚だとか、石垣の石と石の隙間だとか、歩道のタイルだとか。 よく言われる「解像度が上がった」感じ? というより普段は脳が「不要な情報」として切り捨てているものが、 フィルタリングできずに意識に上がってきているということかなという気がしました。これが「解像度上昇」なのかどうか? 夜道を歩いていると、いろいろなところに人影が見えるような感じがする。 視界の隅に電柱やガードレールのポールが入ってくるたびに「誰かいる」という感じがする。 公園を歩くと、そこかしこに、たくさんの気配を感じる。木々の幹や枝葉の陰、岩のそばなどに「何か」がいる。しかし怖くはない。 目の前にあるのは明らかに誰もいないベンチなのに、「誰かがそこに寝そべっている」という感じがする。 雨どいからリズミカルに水滴が落ちる音で「何か」が踊っている気配が感じられる。 いいなー、みんな楽しそう。なんだか嬉しくなってきて、笑いを押し殺しながら夜の公園を通過。 おまわりさんに遭遇しなくて本当によかった。くわばらくわばら。 それにしても夜の公園がこんなに賑やかな場所だとは知りませんでした。あ、実はハッテン場でした、というようなオチはありません。 以上のように、体験後に目の焦点が合わない等の不都合な身体症状はありませんでしたので、 上記の8枚以外にも作業を進めようかとも思いましたが、敢えて何もしませんでした。 特にCG作業に入って以降、やたらと疲れますので、思い切ってお休みすることとしました。 しかしあんまり休めてる気はしません。何しろ私が休んでる間も時間が流れるってのが厄介です。 私が休んでいる間は自転するなと、あれほど言っているのに、いまだにわからないようです。これだから最近の地球は。 来週からは平常運転でまたガンバっていこうと思います。 と言いつつ、コソっとトリップの再挑戦をしているかもしれませんけど。 更新が停止したら帰らぬ人になったんだなと思ってください。 今日もあなたが幸せでありますように。 ◆ 2019/01/17 したこと: ア●シアコ●フサ5gでの体験レポート 伏せ字にする意味があるのかどうかわかりませんが、遊び半分でやるものではないので、 ご存知の方にだけ伝わるように書きたいと思います。 ア●シアコ●フサを試すのは私にとって今回が初めてのこととなります。 結論から言うと、気持ち悪いばかりで、明確に効果があったと言えるのかどうかよくわからないものだったのですが、 反省と今後への参考のため、失敗例?として記録を残しておくことにします。 あっ、言い忘れてましたが、全部私の妄想です。妄想ですからね〜。 じゃあそんなわけで、本日もハリキって妄想を申して参りましょう。 ■ 準備から本番開始まで MAOIを飲むということで、一週間ほど前から食事制限をしました。 制限と言っても私はチーズを食べる習慣はないので、特に変わったことはしてません。 発酵食品はマズイらしいので味噌を食べずにいたことと、後は念のためにカフェインも控えておりました。 ちなみに参考までに、私は普段、動物性のタンパク質は口にしない生活をしております。 これでMAOI対策になっているのかどうかはわかりませんが、ともかく今回が初めてですので、 実験の意味も兼ねて、あまり神経質にはならないことにしました。MAOIを一錠飲んだ段階で異変が出れば中断する心づもりで。 なお、結果から言うと、MAOI(モ●ロベミド)を合計600mg摂取して特に異変はありませんでした。ああよかった。 ちなみに皆さんご承知のこととは思いますが、MAOIは食べ物だけでなく、他の薬物との飲み合わせで死ぬこともあり得ますので、 実行する予定のある方は事前によく調べた上で慎重を期していただきたいと思います。 さて、体験当日。 前日は食事を控えめにして、睡眠を充分にとっておきました。おめめぱっちり。 空腹の状態でモ●ロべミドを一錠(300mg)摂取。 この状態でアニメを観るなどしてゴロゴロしながら30分の様子見。 頭痛などの異変がないことを確認した上で、MAOIをもう一錠(300mg)とともに、いざア●シアコ●フサを投入。 分量は5gです。デジタルスケールで5.00gきっかり。 このドースを選んだ理由は、ネットの情報で10gを摂取したら大変な目に遭った、という体験談がありましたので、 じゃあ初めての私はその半分で、というぐらいの理由です。 あと有名なA先生のお茶一杯に含まれているのは約3~4gという情報もありましたので、 5gならば効かなかったとしても、分量が少なすぎたからという可能性は消去できるだろう、という今後へ向けての経験値向上の意図もあります。 お茶にはせず、粉のまま水で飲み下しました。 理由は単に面倒だったから、ですが、これも今回が初めてですので実験の意味も兼ねておりまして、 複雑な手順を踏んでお茶にしなければいけないものなのかどうかを確かめたかった。 粉のままで効果が得られるならそれでよし、何らかの問題があるなら次回は別の方法でやることにしよう、ということです。 結果を言えば冒頭にも書いた通り、効果があったような実感はあまりありませんでしたので、これではダメだったのかもしれません。 粉のままでも効くという情報もあったんですが、実際自分でやってみたからには一つの実例として受け止めざるを得ません。 ただ実際のところ何が悪かったのかは現時点ではよくわかりません。きっと何かがよくなかったのでしょう。 次回は別の方法を試してみようかなと思っております。 ところで粉のままだと死ぬほど飲みにくいですね。当たり前か。オブラートを用意しておくべきでした。 ちなみに「粉が水に溶けるならニセモノ」という話がありましたので、その点の確認も兼ねております。 まったく溶けませんでした。まさに水の上におがくずが浮かんでいる、という状態です。 そのままお椀に口をつけてススってみると、乾いた粉が喉に入ってムセそうになる。 スプーンですくって口に入れると、言いようのないニオイが広がる。 このニオイを何と形容したらよいものでしょう? 強いて言えば「木造住宅の床下のニオイ」です。古い家の解体工事現場のニオイというか。つまり木くずってことですね。うむ、そのまんまだ。 つまり食べ物じゃないものを食べたってことです。全部私がイケないんです。ごめんなさい。前世はシロアリ。 今回の手順をまとめます: ・一週間の食事制限 ・本番30分前にMAOIを一錠(300mg)飲んで様子を見る ・異変がないことを確認の上、追加のMAOI一錠とともにア●●ア5gを粉のまま水で飲み下す ■ 摂取後、激しい不快感 ~ 落ち着くまで 喉の奥に木くずのザラザラした感触が残るのを感じつつ、アニメを観るなどしてダラダラ過ごしながら効果が現れるのを待機。 ちなみになぜアニメを観るのかと言うと、時間を測る目安になるからです。1本約30分。 素直に時計を見ればいいんですけど、私時計ってキライなんですよ。今何時とか、そんなん知るかって話です。 特に、今からトリップしようっていうのに時計なんか見たら現実に引き戻されてしまいそうで避けたかった。 特に変化なく一本観終わる。 が、もう一本観ようという気にはなれない。 下腹部に不快感があり、うすらぼんやりとした吐き気の予感めいたものがあって落ち着かない。 アイマスクをつけて布団にうずくまる。 しかし、落ち着かない。とにかくじっとしていられない。なんだこれは。 まぶたの裏側に何か明るいものが見えるような瞬間がある。 光の粒が無数に現れて、止まることなく、一つ一つの粒が自律していながら、それでいて全体と協調しながら、滑らかに着実にうごめいている。 光の粒が見えるだけならシラフのときでもありますが、それぞれの光の粒の周囲が貝殻のような虹色に輝いている。 ときおり、広い空間に投げ出されたような感覚がする。 目の前に大きな舞台があって、それを観客席から見ているような感じ。しかし舞台には誰もいない。 それにしても落ち着かない。 まぶたの裏の光景に集中したいとは思うものの、身体的にじっとしていられず、まったく集中できない。 下腹部の不快感が徐々に強まってくる。しきりに体勢を変えながら布団の中で悶える。うーんうーん。 摂取から約1時間半後、トイレに移動して下痢をする。移動の際、少しだけ足元がフラつく。すでにシラフとは言えない状態。 ついでに吐いてしまおうかと思いつつ、もったいない気がして、もうしばらく胃に留めておくことにする。 布団に戻る。が、下腹部の不快感は消えない。落ち着かなさも相変わらず。 摂取から約2時間後、我慢できずにトイレに移動して吐く。吐き気自体を我慢できないというより、吐けば楽になるかもしれないという期待です。 吐く直前に胃液から歯を守る目的で、事前に用意しておいたきな粉ジュースを飲む。 便器に顔をつっこんで喉に指をつっこむとすぐにゲロが出る。が、直前に飲んだきな粉ジュースしか出てこない。 それ以上はいくら喉の奥を指で刺激しても何も出ない。出ないものはしょうがない。 どうやらブツはすでに胃を通過している様子。それならそれでよし。 鏡を見てみると、瞳孔がかなり開いていました。黒目の直径の半分ぐらい。フラつきはさきほどの下痢のとき以上。 少なくとも何らかの効果は出ていることを確信。よし、いいぞいいぞ。ぐふふ。何がぐふふだ。 布団に戻る。が、やはり下腹部の不快感が消えていない。落ち着かない。落ち着かない。落ち着かない。落ち着かない! 出すものは出し切っているんだから、これ以上はどうしょうもない。そう自分に言い聞かせて布団にうずくまって耐える。ひたすら耐える。 深呼吸をしてみたり、心臓の鼓動に意識を集中してみたりしながら、ひたすら耐える。 時計代わりにパソコン上で動作させておいた長時間のホワイトノイズの再生時間を見ると、トイレから戻って30分も経っていない。 時間の経過が遅く感じられるのは単に苦しいからなのか? それとも物質の効果なのか? こんなに苦しいのに、何も幻覚らしきものは見えません。 まぶたの裏で普段よりは少々派手に光の粒が踊っている程度。意識を集中すれば深みにいけるのではないかと試みるも、 身体的な不快感や落ち着かなさが上回り、まったく集中できず。 それもやがて見えなくなり、いつの間にか単なる暗闇に変わっている。シラフのときの方がまだ賑やかなぐらい。 ああ、気持ち悪いなぁ、苦しいなぁ、早く終わらないかなぁ。 今回はもう失敗ってことでいいから、さっさと終わってくれないかなぁ。 そんなことばかり思いながら布団の中で悶絶しながら時が過ぎるのを待つ。 聴いていたBGMが鬱陶しくなってきて、耳からイヤホンを外す。 幻覚は見れてませんが、これだけ苦しいのだから何らかの効果自体は出ているということです。 しかしこれでは単に体調を崩して寝込んでいるだけです。こんちくしょ〜。 別に快感を求めてたわけではなく、苦しいのは覚悟してたつもりですが、これだけで終わってしまうのは残念です。 だんだんセンチメンタルな気分になってくる。 昔のことが思い出される。小学生の頃は楽しかったな。中学以降は恥ずかしい思い出しかない。 両親の人生を想像する。私と同じぐらいの歳の頃にはすでに私は小学生だったんだよな。 子供の私から見て必ずしも全面的に人間として尊敬できる人たちとは言い切れない面はそれなりにはありますが、 ネットで昨今話題の毒親というほどのことはなく、時代的なことを考慮すれば、これ以上は望むべくもない、とは思う。 私としては常日頃からさっさとこの世とオサラバしたいと思っておりますが、両親より先に死ぬのはいかがなものかな。何を今さら。 不意に、両親の肩を抱いて3人で笑っている光景が思い浮かぶ。なんとまぁセンチメンタルな。 それにしても子供をもうけるというのは業の深いことですね。 だってキリがないじゃないですか。いつまで「この世」を続けるつもりなのか。 恥ずかしい思い出ばかりの私の今までの人生も、じゃあどうすれば恥ずかしくなかったというのか? 仮に「こうすればどこへ出しても恥ずかしくない生き方」というものがあるのだとして、だから何なのか? 何の意味があるのか? いつまでそんなことを続ければ気が済むのか? 結局、人類全員で「せーの」で滅びるのが最善手じゃないですか。 何も存在しなくてもよかったはずなのに、なぜ何もかもが存在しているのですか? 人間というものの存在のあり方が「こういうもの」である限り、結局生まれたときから他人と競争をさせられる人生にならざるを得ません。 誰だって同じ。そりゃそうです。だからそんな用意済みのチープな「お説教」なんて聞き飽きてるんですよ。 どんな不満を口にしても、即座に返ってくる既製品の「お説教」の詰め合わせフルセット。しゃらくさいの一言です。 そんなフルセットをご丁寧に取り揃えて、一体何を隠そうとしてるんですか? そもそもなんでそうやって「存在」してるのかと、私はそれを聞いている。それを知りたい。 「この世」で「うまくやっていく」コツなんてどーーーーだっていい。 「イイハナシ」なら耳タコですが、浮ついた慰め以上のものにはならないという「現実」がある。「ドウショウモナイ」「現実」がある。 みんなそれぞれに苦しいですよね。ささやかな幸せってもんがありますよね。それぞれの思いってもんがありますよね。はい、その通り。 だからこそですよ。だからこそ、一体全体、このすべては何なんですか? 種明かしをしなさい。 言っておきますが私はそんなあなた方が大好きなんです。だからこそ、この世に苦しみなどというものが存在するのはなぜなのか? え? 何ですって? 苦しみがあるから楽しみもある? テメーは一生遊んでろ。おっとごめんよ、言い過ぎた。愛してるよ。 なお、「何らかの理解を得て」「苦しみからイチ抜けた」的なことを称する人が涼しげに「お説教」するという構図には「残念」の一言です。 それとも「おめでとう」と言ってあげるべきかな? いやいや、それもいいですけど、やっぱりそれじゃ何の解決にもなってませんって。 だって、結局「この全体」は何なのかって話ですもん。誰かどうして悟ったとか、そんなのは「ルール上の個別事象」でしかありません。 世間的な常識で縛るより個人の感性を尊重することが大切だと思った次の瞬間、 人間が個々人に分離する以前の「大いなる一者」へと溶け帰っていくことこそが本懐なのではないか、との観念が頭をもたげる。 だからさ、じゃあそもそも一体なんで個々人に分離しちゃったの? ピッコロ大魔王なの? 分離したことがそもそもの間違いの始まりなんだとしたら、この世の存在自体が間違いということです。 だからなんで、そんなことになっちゃったんですか? かと言って「この世は間違いなんだぜ、ケケッ」などと斜に構えて生きるのは「甘え」というもの。 いくら斜に構えたって、生きているのは「この私」だ。いずれ死んでいくのも「この私」だ。誰も助けてはくれない。 甘えたってしょうがない。間違いだというのなら、私はその間違いにこそ向き合いたい。 で、なんでこの世が存在してるんですか? なんで「こんなこと」になっちゃってんですか? 「これら諸々」の根本が単なる間違いでしかなかったのか、それとも何か重大な意味のあることなのか。意味があるとしたら、それは一体何なのか? そこらへんのスピリチュアル本に書かれてそうな浮ついた話なんか今さら興味ありません。 この私のイマギナティオーンをナメてもらっては困るというもの。もったいぶらずに本当のことを見せやがれ。 それから忘れてはならないことですが、いずれにせよ、さしあたりは「この世で生きていくしかない」。まったくコンチキショーだぜ。 などと、普段から考えているのと同じようなことを少々生々しい現実味をともなって悶々と考えておりました。 なお、物質のせいなのか思考が言葉になってくれず、上記のように言語化して考えていたわけではありません。 舌っ足らずに「だよなぁ」「そりゃそうだけどさ」「だからこそって話ですよ」などとブツブツ独り言を言うばかり。 傍から見ると酔っ払いがクダを巻いている姿そのものですね。 これだけ見ると、充分に効果が出てたようにも思えますが、 単に体調を崩してセンチメンタルな気分になっていただけのような気もします。 内容自体は普段から考えていることと何も変わらない。 今さら何か「気づき」だとか、そんなしゃらくさいものはどうでもいいんですよ。私の個人的な人生事情もどうでもいい。 むしろ「その先」を求めてのことなのですよ。じゃなかったら、こんなことしてません。 だから、さっさと宇宙の秘密をこの私に教えろってんだ、このやろ〜。ぜーはーぜーはー。あ、別に呼吸困難になってたわけじゃありません。 ■ 落ち着いてから就寝まで さんざん悶えた後、期待していたようなものは結局何も見えず。 経過時間を確認すると、ようやく6時間を超えていました。長かった。 モ●ロベミドの半減期は6時間とのことですので、すでに効果のピークは過ぎているものと判断。 これ以上待っても何も起きないでしょう。今回はここまでかと諦める。 身体的にもかなり落ち着いてきております。 ピーク時には座っていることさえままならない状態でしたが、この時点ではかなり楽になっています。腹部の不快感もほぼ消失。 試しにパソコンに向き合い、ネットでハム将棋などしてみる。勝てた。脳は正常なようです。何だこの判断基準は。 台所に移動して軽く食事をする。気持ち悪くなるかと警戒しながらのお食事でしたが、むしろ楽になりました。 あーあ、今日はここまでかぁ。 虚しい気分で、台所に置きっぱなしだったア●シアコ●フサの粉の残りが入った袋やデジタルスケールをお片付け。 お酒を飲んだ翌日に空き瓶を片付ける虚しさに似たものがある。お酒なんて何年も飲んでませんけどね。意味ないって体感済み。もう一生分飲みました。 その後もセンチメンタルな気分は抜けませんでしたが、お布団でゴロゴロしているうちに眠れたようで、目を覚ますと翌朝になっておりました。 ■ その後と反省 目を覚ますとセンチメンタルな気分は収まっておりました。シラフだ。 身体的な不快感も消失。シラフだ。まっすぐ歩ける。シラフだ。あっ、キリンさん! それはジラフだ。ギャフン。誰か言ってそうなネタですけど。 食事をする。うまいぞ。何か異様にうまいぞ。単に空腹だからかな? 今回の体験のために控えていたコーヒーを久々に飲む。うまい! 近代的理性の味がするぜ。 というわけで普段の頭脳明晰な私に戻って今これを書いております。 以前DX●をやったとき()は翌日は目の焦点が合わずキーボードが打ち辛かったものですが、今回そういった症状はまったくありません。 で、結局のところ効果があったのかどうか? 身体的な症状が出ていたのは事実です。ただし、何によるものなのかは不明です。 やたら落ち着かなかったのはMAOIで脳内物質が過剰になっていたためかもしれません。 だとすると、上で異変はなかったと書きましたが、実はあったのかもしれません。 一度MAOIだけで適量を模索してみないといけないかな。あんまり面白くなさそうですけども。 精神的な効果については、「結局こういうもの」なんだとすれば、まさに効果テキメンだった? のかもしれません。 が、期待していたものとは全然ちがってました。お世辞にも「神秘」体験とは言えません。ディバイン・モーメント・オブ・トゥルースには程遠い。 体の具合が悪くなっておセンチになりながら寝込んでいただけと言えばそれだけです。変なもの食べるからですよぉ、まったく。 こんな効いてるのかどうかよくわからないものではなく、疑いようもなく異世界にぶっ飛ばされるようなものを期待してたのですが。 が、経験値の低い私にはそれは少々荷が重いかもしれませんので、初めてとしてはこんなところで順当と言うべきかもしれません。 それから、寒さ対策が必要だと感じました。 季節は冬真っ盛り。楽な姿勢で落ち着こうにも、寒さのため、自由な体勢がとれません。毛布にくるまってうずくまるばかり。 ちなみに自室のエアコンは故障中。これはセッティングのミスと言うべきか。 次にやるなら、もう少し暖かい季節になってからの方がいいかなという気がしております。 ブツはまだたくさん残っておりますので、時期をあらためて、やり方を変えて再挑戦してみたいと思います。 ではまた。 今日もあなたが幸せでありますように〜。 ◆ 2019/01/12 したこと: マインドルのCG作成 学園モノと言えば頭をぶつけてうずくまる。 頭を抱えてうずくまってるように見えますよね? 見えましょう。 コミPo!にちょうどいいポーズが入ってなかったので死のうかと思いました。 が、「地面に正座ポーズ」と、「立った状態で頭を抱えるポーズ」があったので、 これらをGIMP上でゴニョゴニョするというソリューションを試したところ大成功したので残念ながら死ぬのは延期となりました。 一体私はいつになったら死ぬことができるのでしょう? 少なくとも今しばらくは私を生き永らえさせようとする何らかの諸力の意志を感じずにはいられません。 というわけで地面にうずくまって頭を抱えてるように見えますよね? 見えるハズです。見えろ。 何しろ何らかの諸力が作用しているのですから、見えるに決まってるってもんです。 え? 見えない? そりゃあもう何らかの諸力のせいってもんです。このやろ〜。 例によって服装はほぼ手描きコースです。 こうして見ると、どうってことないシンプルな線で構成されたお召し物ですが、死ぬかと思いました。 そういえば私は絵が描けない人だったのでした。不可能を可能にするのは命がけってことです。 このように命を削って作業を進めるのも、すべてあなた方を愛するがゆえのこと。本当にありがたいことですね。 そんなわけで今週もかろうじて7枚完了。 実は危うく6枚になるところだったのですが、「屋上で叫ぶ」という一枚があり、 それはもう人物なしで、コミPo!に入っていた高い場所の景色の背景画像で間に合わせることとしました。まさに綱渡り。 いや別に締め切りがあるわけじゃないので6枚でも誰からも怒られはしないのですけど。 ペースが落ちているのはなぜかと言うと、元気がないから、ですがそれはいつものこと。 簡単そうなやつはすでに片付いてしまったから、という理由もあります。 それでもう選り好みできないってんで、難しいのを続けてやっていると元気もなくなるってもんです。 疲労困憊。略してヒロコン。疲労がポンと取れるお薬が欲しくなってきますね。 が、選り好みできなくなってきているということは、それだけ作業が進んでいるということ。 そう思うと元気が出てくるかもしれません。出てこないかもしれません。両方言っておけば間違いないでしょう。 > それはもう人物なしで、コミPo!に入っていた高い場所の景色の背景画像で間に合わせることとしました。 そもそも、当初はこういう感じでドンドン手抜きする予定じゃなかったでしたっけ? ところがご承知の通り私は大の頑張り屋さんだから頑張りの大安売りなワケですよ。これというのもあなた方を以下略。 しかし大事なのは、ともかくデータが埋まっていることです。初心を思い出す。 締め切りがあるわけではないというのは実は嘘で、 人類が滅亡する前に完成させねばならぬという重大なタイムリミットが課されてるということを忘れてはイケません。 こうしている間にも「その日」は刻一刻と近付いてきております。滅亡の足音が聞こえる。ヒタヒタ。裸足なのかな? さて、疲労がポンとは全く別ジャンルですが、先日の木の根の粉に引き続き、本日MAOIが到着しました。郵便屋さんありがとう! さらに、粉の分量を計量するためのデジタルスケールもゲット。 なんと0.01g単位で計量できる超高性能品。これで1280円というのだから世の中どうなっているのでしょう。 長引くデフレを心配しつつ、これにて三種の神器がすべて手元にそろったことになります。 やろうと思えば今スグにでもできる状態なのかと思うと妙な気分です。 どうしようかな。 先日、私としては珍しく、少々怖い夢を見まして、「うわぁぁぁ!!」と叫びながら掛け布団を蹴飛ばして目を覚ます、ということがありました。 ただの夢でこれだけ取り乱すのだから、物質がキマっている状態で、バッドな世界にトバされるとどうなってしまうのか、心配になってきました。 怖いだけならさておき、暴れて物を壊すとか怪我をするとかいうのは避けたいところ。部屋にいる限り人に危害を加えることはないはずですけども。 両手両足を縛った状態でヤルというのはどうか? なかなか魅惑的なアイディアですね。ドキドキ。 もちろん、やらないでおくという選択肢もある。 ここでセーブしておいて、あとで巻き戻す、というワケにはいかないのが恐ろしいところ。 そうなんですよね。先日D○Mをやったときにも実行の直前の瞬間まで迷いがありました。 一応伏せ字にしてみましたが、○で伏せるとアルファベットのオーみたいですね。ドムって何だ? 踏み台にするアレかな? うむ、きっとそうだ。 さて、やる意味は何なのか? 何が目的なのか? どうしてもやる必要があるのか? 答えは出てるんですが、今一度気持ちを整理したい気はします。このたびの夢は「慎重にヤレ」というお告げですね。 それから、ドースはどうするか? おっと、図らずもダジャレに。これはまた縁起がよろしいですよ。 ではまた。 今日もあなたが幸せでありますように〜。 ◆ 2019/01/05 したこと: マインドルのCG作成 学園モノと言えば屋上で星空トーク。 背景がナナメになっているのはナナメ上を見ているんですよということを表現しつつ、 視野を不安定にすることで画面の中への没入感を醸し出すという高度な表現技法です。 この私の天才ぶりがいかんなく発揮された一枚と言えましょう。コミPo!を使っているとは言え、溢れ出る天性のセンスは隠せませんね。 なお、背景画像をコピペする際に間違えて傾けてしまったのでは断じてありません。伝わりますよね? 伝わるはずです。びくびく。 ちなみに背景はきまぐれアフター学園の屋上です。いつもお世話になっております。 手前でふんぞり返っているのは主人公氏です。 普段は画面に出ないので、誰だこいつ? って思われたらどうしましょう。伝わりますよね? 伝わるはずです。びくびく。 そんなことより、星空と言いつつ、星があんまり出てないじゃないですか。 最近ハヤリの詐欺というやつでしょうか? このやろ〜。 いえいえ、今日び街の真ん中で星が大量に出てたら不自然じゃないですか。不穏な気配とはまさにこのこと。 恐ろしさのあまり気絶して顔を覗き込まれたりもするってもんです。 そんなわけで今週も保護者の方とバトルしたりオトモダチに寝技をかけたり暗がりで見つめ合ったりと学園ライフ満喫の一週間でした。 その成果、実に7枚。あれ? おかしいなぁ。こんなにも充実した学園ライフなのに。 でもパソコンでの作業なので、パソコンとかよくわかんないですけど、どうせ7枚じゃなくて7ギガ枚か何かってことなんでしょ? と見せかけて、やっぱり7枚だったみたいです。がっかり。 いくらコンピューターが発達しても時間がゆっくり流れてくれるわけではないようです。宇宙の摂理に対し人は無力。 科学技術が発達しても昔から形状がほとんど変わらないものってイロイロありますよね。 代表的なのはカサです。 あ、でもカサを持ち歩くだけで雨が降らなくなるという魔法なら、わりと頻繁に発動しますね。まさに魔法のステッキ。素敵〜。ギャフン。 さて、目下ハイペースで爆進中ぅ! とは少々言い難いところではありますが、 数えてみたら現時点で既に89枚完了しておりました。全140枚ですから進捗度合いは……えーっと、えーっと、けっこうたくさんできてる! 64ビットの計算機を毎日活用している結果がコレですよ。2つの意味で。 かろうじて一日一枚のペースは死守できているところではあります。 この世の終わりには間に合うでしょうか? いずれにせよ私は私にできることを粛々と実行していくのみです。 ところで話は変わりますが、ネットで注文した某木の根の粉が手元に届きました。 注文したのが2日で届いたのが4日。早ーい。国内の業者は○○○、という噂はありますが、 それも含めて一度は試しておかねばならぬと思っておりました。さしあたり、少なくとも「届く」ことは確認できて一安心です。 目的はもちろん「衣料」の「染色」です。 すばらしい「色」を「見る」ことができるそうで、非常に楽しみです。 同時に注文したMAOIは到着にもうしばらく日数がかかる模様。今から食事制限をしておこうかな。 必ず生きて帰ってきて、レポートを書きますよ。 他に何かなかったかな。 あります。イロイロあります。 が、あんまり気が滅入る話は書きたくないですね。 1つ、前向きに考えることができるかな、と思われる事案として、 今年は除夜の鐘が聴こえてこなかった、という件があります。 たまたま風向きの関係でしょうか? 念のため耳をすませて確認してみたりもしたのですが、 私には聴こえませんでした。珍しいこともあるものです。 たまたま聴こえなかっただけかもしれませんし、仮に今年は取りやめにしたのだとして、理由は定かではありません。 が、いい傾向だとは思います。 私自身は除夜の鐘「だけ」に関しては特に不快感を感じないのですが、 「わざわざ大きな音を出す」行為について、多少なりとも、反省の世相が生じてきたのだとすれば、よい傾向だとは思います。 別に鐘をつかなくても何らかのイベントはできるはずですからね。他人を強制的に巻き込んではイケません。個人の感性が尊重されますように。 「どうしてもデカい音を出して他人を巻き込まないと気が済まないぃぃ!」という「個人の感性」があるのだとすれば、 そんなときこそ、みなさんお得意のお説教をかましてくださいよ。 というより、個人の感性としてデカい音を出せば怒られるのに、集団の決定でデカい音を出すと、その音に反対すること自体が否定されるって、 それは端的に言ってイヤな世の中ですよ。「生きにくい」って言葉がありましたっけ。 で、これに対するお決まりの言葉は「誰だって同じなんだ!」でしたっけ。 もういい加減、パロディのネタですよ。そろそろ次に進みたい。 今回の件の真相はさておき、それぞれの個人がそれぞれの個人のままで生きられる世の中であって欲しいと思います。 そのためには、 「個人とは放っておくと何をしでかすかわからないトンでもない存在だから管理・教育・監視して、集団に従属させねばならない!」 という呪いが解けて欲しいと思います。 「個人の考えや欲求は下等なものであり、集団の決定や要求の方が上等である」というような「神話」が崩れて欲しいと思います。 「個人が個人であろうとすることは "未熟" なことで、個を捨てて集団に同化することが "成熟" である」という「教義」が排斥されて欲しいと思います。 「個人とはすべての他者を利用して自己の利益だけを求めるものである」という「利己主義的人間観」が迷信であるということに もっと多くの人が気付いて欲しいと思います。 しかし、そうは言っても、想像を絶するほど身勝手な人というのもいらっしゃるわけで、 そうした個別具体的な事例に目を向けると、きっと、何を言っても「間違って」しまうのでしょうけれど。 ただ、誰もがそれぞれに幸せであって欲しいとは思う。思います。 > それぞれの個人がそれぞれの個人のままで生きられる世の中であって欲しいと思います。 なお、ここでいう「生きる」には「自殺する」も含みます。 本人が心の底から自分の意志で死を選ぶのなら、一体誰がそれに口出しできるものでしょう? そもそも死が悪で生が善だなんて迷信の最たるものです。 世間でよく見かける「自殺防止キャンペーン」のごときものは、「集団への帰属(復帰)」を促すものばかりです。 「一人じゃないよ」とか、やかましいわ! そんなんだから「死にたく」もなるわけですよ。 大体、なぜそれを「防止」せねばならないというのか? 本当に問題なのは自殺そのものではありません。個人が尊重されないことです。 最終的に自己自身の判断で死ぬかどうかは本人が決めることです。 が、それ以前に、安心して一人(自己自身)になれる場所がないのだとしたら、それはとても不本意で苦しいことであろうと思います。 しかしこう言った瞬間、「おまえが選んだんだよな?」などと追い込むようにして人を「自殺」に急き立てる光景が得意の霊能力で霊視できます。 そういうことではないんですけど、でも、こういうことを言うと、そういうことを助長することにもなってしまうのでしょう。 ダメですね。何を言っても、裏目に出るケースをなくせそうにありません。 > 本人が心の底から自分の意志で死を選ぶのなら、一体誰がそれに口出しできるものでしょう? しかし死のうとする意志に口出しをするのもまた、本人の意志ということでしょうか。 だとすれば、言えることがあるとすれば、ただ、「私はあなたに生きていて欲しい」ということだけのはず。 実に身勝手で残酷な要求! それを承知で意志をぶつけ、相手に決定を委ねるならば? 捨て身の告白。 だから、そのぐらいの覚悟があるのかってことです。キャンペーンなどと徒党を組んで軟弱なことを言っているうちはお話になりません。 何も言わない方がよかったかな。 私は多分、何か「間違った」ことを言ってしまったのだと思います。間違いなく間違っているでしょう。 黙っていればよかったのかもしれません。かもしれないではなく、間違いなく黙っているべきだった。 言うことはすべて余計なことです。 そして、それを言い出せば、生まれてこなければよかったということです。することはすべて余計なことです。 キーを一つ打つたびに罪が重なる。毎日毎日、毎秒毎秒、罪を重ねている。 そして、それを言い出せば、生まれてこなければよかったということです。 何も存在しなくてもよかったのに、なんでまた、何もかもが存在しているのでしょう。なんでまた。 存在のその最初から間違っている。存在とは間違いということだ。 生きることは間違うことだ。間違うことを選ぶということが生きることだ。私は間違うことを選び取ってる。 しかし、そんなことはどうでもいい。 今日もあなたが幸せでありますように。