◆ 2023/12/01
したこと:
やはり個人ホムペは良いですね
すっかりこのページはご無沙汰になってしまっております。
みたいなことを最近ここを更新するたびに書いているようなデジャヴ。
書かない期間が長引くほど、書くハードルが上がってしまう。
「多くの人に見せること」が目的というわけではないけれど
どこかに書いておきたいことというのはあるわけですが、
SNSや動画で何を言おうかと考える比率が増えた中で、
こういう半クローズドな場所にエネルギーを割く優先度は下がりがちにはなっている気はしますね。
人によりけり、状況によりけりではあるのでしょうけど。
ちなみに、アクセス解析の話をするのは「オマエを見ているゾ!」みたいな
プレッシャーをかけてしまいそうなので控えたいのですが、
最近は、YouTube経由でこのホムペにごアクセス下さる方がチラホラおられるようでもあり、
いつ見ても更新がないというのも面白くないかな、と、
持ち前のサービス精神がムラムラと沸いてきていたりもします。私は本当に慈悲深いですね。
などと言いつつ、今日は何を書くのかと言えば、
私の存在を最近知ったお友達は確実に興味ないであろう
『マインドル』の話なのでした。
前々から一度、総括のようなことを書いておきたいと思ってはおりました。
そして書く踏ん切りがつかないまま地球の暦では今年ももう終盤。
そんなものわざわざ書いてもしょうがないよな、とも思いつつ、
一度書いておかないとスッキリしないな、とも思いつつ。
おそらく、いつ書いても完璧な総括にはならないであろうと諦め(明らめ)て、
このタイミングで、書けることを書いておくことにします。
思うことは色々ありすぎて、整理して書くのはちょっと無理なので、
順不同で思いつくままに書いていきます。
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■ 「反出生主義」とは関係ない
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まずはコレですね。
これはどこかのタイミングで言っておきたかった。
私が「反出生主義」という単語を初めて聞いた(見た)のは
マインドルのシナリオを書き終えて、スクリプトの入力作業が後半に差し掛かった頃でした。
考え方に共感する部分は大いにあり、
SNSでそういうような発言をすることもあったと思いますが、
「主義」そのものには必ずしも全面的に賛成というわけではなく、
私自身は自分で自分のことを「反出生主義者」と名乗ったことは一度もないのですが、
人からそう見られることもあったようで、ちょっとムズムズしますね。
(そういうリプを何度も下さる方がいて、ガチ目に反論してしまったことがある)
(「仲間」だと思わせてしまったのは申し訳ない)
ノベルゲームの解釈は受け手が決めるものなので、
そこに作者の立場から干渉することは避けたいのではありますが、
もしかすると「反出生主義のプロパガンダ作品」のように見られているフシがあるのかもしれず、
仮にそうだとすれば、
作った私としては「そういうつもりではないんだけどな……」とは思うところです。
読んだ人はわかると思いますが(読んだ人にしかわからないと思いますが)、
本文中のどこにも「反出生」という単語は出てきません。
いつ頃から「反出生主義」という言葉が世に存在していたのかは分かりませんが、
「マインドル」を作り始めた頃には、少なくとも私は聞いたことがなかった。
受け手がどう解釈するかは受け手の自由というのはその通りではあるのですが、
公開したタイミングで「反出生主義」という言葉が流行ってる時代になっていたというのは、
想定外ではありましたね。
ただ、時代的に「そういうような考え方」が表に出てくる流れみたいなのはあったのかもしれず、
その意味では私もその中にいたということであり、
言葉として聞いたことはなくても、必ずしも無縁ではないですね。
ちなみに、書いている間に時代が変わってしまう件では「スマホ」にも悩まされましたね。
制作を始めた2013年の時点では、まだそこまでスマホ全盛ではなかった。
序盤のシナリオでは「携帯」という言い方をしてたんですが、
今時「携帯」なんて言わないのでは??? と不安になり、
かと言って「スマホ」というのも、またいつ流行が変わるか分かったもんじゃないぞ、
というわけで全体を通して「携帯端末」という言い方に統一。
「メール」というのもLINEに置き換わっているフシがあり、どうしたものかと考えましたね。
それで具体的なサービス名に依存しないようにということで
「メッセージ」という単語で統一してあります。
というわけでマインドル世界は「携帯端末」で「メッセージ」をやり取りするという
謎の世界線のお話になっております。
もう一つこの機会に書いておくと、
知子は「携帯にストラップを大量につけている」という設定が最初はありました。
が、スマホの時代にそれはちょっとないかな〜と思ったので、
「カバンにキーホルダーを大量につけている」に変更。
しかし今思えば、スマホなのにもかかわらず
不自然にストラップを大量につけているというのも知子らしいかな?
公開した後に世界観が時代遅れになってたら嫌だな〜、という思いで弱気になってましたね。
時代の影響を受けて古くなってしまうのは現代物の苦しいところですね。
その点、ファンタジーの方が自由度が高かったりはするのかも(ジャガイモ警察?)。
時代の変化と言えば、AIに関しても無視できない変化がありますね。
AIというか、スマーティングシステムの件は今だとどうだろう?
むしろ今の方がリアリティというか危機感をもって受け止めてもらえたりはしないか?
というか私としてはそういう問題意識で読んでもらいたいという思いもある。
話が逸れました。
「反出生主義」についての私の個人的な見解をここで語るのは控えますが、
何かそういう「主義」というクローズドなサークルのために
ドグマティックにストーリーを作ったというわけではないので、
読む人に「自分は反出生主義のことはよくわからないので、マインドルのこともよくわからない」
というふうに「主義」を読み取って、壁を作らせてしまう要因になっているとすれば、
私としては、あんまり嬉しい結果ではないかな〜という気はします。
あるいは本文中の「反出生」的な発言を取り上げて、
その部分を「反出生主義のドグマ」として「反論」されることがあるとすれば、
私としては、そういう「盤外」の文脈で読まないでくれると嬉しいんだけどな〜、
などと(勝手ながら)願ってしまうところではあります。
おそらく今書くとしたら、世の中に「反出生主義」という言葉が流通していることを踏まえた上で、
「誤解」を招かないように気をつけて書いただろうな、とも思う。
(今さら書き直してもキリがないので、そのままにしておきますが)
もちろんどういう社会状況の中で読むかも含めて読み方は自由であり、
作者の手を離れたあとは「読んだ人のもの」になるのが「創作」というやつではありますね。
ただ、そうは言いつつも私自身、公開後に宣伝をする段階で、
「反出生主義ブーム」を利用しようとしたところがあるのも正直なところです。
「利用」というと言葉は悪いですが、「反出生主義」に共感する人には、
マインドルの内容も「刺さる」部分があるだろうから、ぜひ読んでみて欲しいという思いで、
その層に向けてアピールしていたところはあります。
そういう目で見られたくないなどと言いつつ、
そう見られるようにしていたのは私の責任でもあるわけです。
しかし、それで彼ら彼女らが「マインドル」の「お客さん」になってくれたかと言えば、
そういう感触はほぼなかったですし、むしろ「反出生主義」との親和性をほのめかすことで、
「反出生主義」界隈の外側の人たちには敬遠される結果を招いた気がします。
つまり、プロモーションの仕方としては「悪いところ取り」という結果だったかなと。
もしタイムマシンでやり直せるなら、
「反出生主義」とはもっと距離を置く方針で宣伝した方がいいだろうなと今となっては思います。
「主義」の内容はさておき、他の人もたびたび指摘していることですが、
名前がついたことで歪むものがある。
そのマイナス面について2019年の時点では私は「甘く」見ていたかなと。
一つ言っておくと、「反出生界隈」の皆さんのことは大好きです。
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■ 「自殺」に関して
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マインドルの中で私が想定していた「死にたさ」と、
いわゆる「SNSの希死念慮界隈」でよく語られている「死にたさ」とは
似て非なる部分が大きいですね。
これも「反出生主義」と同様、
公開後にSNSを使うようになって「界隈」の皆さんとご縁をいただいてから気が付きました。
気が付いたというか、思い知らされたというか、
ある程度予想できていたことではあるけれど、
予想していた以上に差異が大きかったという感じですね。
どういう差異なのかをここで私の口から語るのは避けておきますが、
これまた読んだ人にしか通じない言い方をすると、
「キリエ的」な感じの人は界隈では意外と(?)見かけないですね(少なくとも表面上は)。
それでも私に言わせれば、ちゃんと突き詰めていけば、根本ではそうなるんじゃないの?
などという思いもあったりはする(した)のですが、
それを言うのは余計なお節介というものですね。
だから、「界隈」に向けてマインドルをアピールしても、
なんかちょっと「ズレる」んですよね。需要と供給が。
それでいて、「自殺」ということを強調すると、
「学園モノのギャルゲー風ノベルゲームを楽しみたい人たち」からは敬遠される。
「ホラー」とか「ヤンデレ」とかだったら、
それを「ネタ」とするようなニーズはあるみたいですけど、
そういうのとも方向が違いますからね。
これもプロモーションの仕方として
悪いところ取りの結果を招いてしまったかなという気がします。
とは言え、そうした要素を抜きにして
「明るく楽しい学園モノのギャルゲー」と言っては嘘になってしまう。
そしていわゆる「心あたたまる話」系と言ったらいいのか、
「自殺を思いとどまらせてハッピーエンド」的なものとも根本的に違う。
むしろ、そういうのに私自身が満足できないから、ということが
制作の動機として大きい部分だったりもする。
なので、プロモーションの仕方として何が正解だったのかは、
今でもちょっとよく分からないですね。
作者の立場で「マインドルにおける自殺はこういう位置づけです!」
みたいなことは言えなくもないですが、
それを「ノベルゲーム」として読みたい人はどこにいるんですか? という説も。
いわゆるジャンル的な意味で「自殺モノ」みたいなものがあるのかどうかはわかりませんが、
「自殺」を強調しすぎると、むしろ誤解を招くんじゃないかって気が今はします。
(そもそも「自殺」というもの自体が、とかく「誤解」されがちと言うべきかな)
一つ言っておくと、希死念慮界隈の皆さんのことは大好きです。
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■ プロモーションをどうすべきだったのか?
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思うところを書き散らしていたら、
「作者の立場での答え合わせ」になってしまうな。
中身に関してというより、公開後の展開に焦点を合わせて反省会をしていく。
しかし、その話をすると、愚痴や卑屈大会になりがちなんですよね。
そういう話はあんまりしたくない。
愚痴というのはつまり、
せっかく頑張って作ったのに全然プレイしてもらえない、とか、そういう系統の話。
卑屈大会というのはつまり、
私の「作品」の出来が悪いからダメなんだとか、知名度が低いからダメなんだとか、
そういう系統の話。
そういう話はあんまりしたくない。
ただやはり、市場の動向と言うのか、それを見誤っていたなというのはあります。
レッドオーシャンなのは覚悟していたつもりでしたが、
予想をはるかに上回っていたというか何というか。
これまた、制作に時間をかけると、その間に
世の中の時代が変わってしまうという「あるある」の一部だったりはするかな。
2013年に作り始めて、完成したのが2019年。
しかも作り始めた時点で、「界隈」からはしばらく離れていてブランクがあった。
ずーっと「2000年1桁台ぐらいのフリゲ界隈」の気分が抜けてませんでしたね。
あの頃は、それなりに体裁の整ったものを出せば、紙媒体や窓の杜みたいなサイトに取り上げてもらえた。
今でもReadmeに「転載の際は連絡必須」みたいな文言を載せてる人を見かけますが、
おそらくこの時代の文化の名残りじゃないかな。
どこかで拾ってきたテンプレを(深く考えずに)コピーしているのではないかと推測しますが、
書いてある以上無視はできず、その「転載」が何を指しているのかがいまいち不明なので、
SNSで感想をつぶやくのもちょっと躊躇せざるを得ないなと思うこともあったりなかったり。
話が逸れました。
時代の変化の読みが甘かったのは反省点ではあります。
が、最初から「読めて」いたら、果たしてマインドルを作る気になったかどうか?
ちょっと自信ないですね。
実際それ以降、もうあんまり多大な労力のかかるものは作らないでおこうという姿勢になった。
とりあえず作るべきものが作れて満足したからというのもあるんですが、
「ゲ制」ってのは、もう、あまりにも「コスパ」が悪すぎるぞと。
「多くの人にプレイされなくてもいい」とは言いつつも、
あまりにも届かなすぎるという状況が分かってて、
そこに多大な労力を注ぎ込めるかどうか?
やっぱり自信ないですね。
とは言え、マインドルを作ったことは1ミリも後悔はしていません。
やはりこれは作っておいて正解だったと思っております。
その意味では、「現実を知らなかった」のは幸いなことだった気もします。
> ずーっと「2000年1桁台ぐらいのフリゲ界隈」の気分が抜けてませんでしたね。
こんなこと言うと、
じゃあタイムマシンでマインドルを当時の時代に持っていったら
大人気になる言うんか?大した自信じゃのぅワレ?
とツッコミを受けそうですが、
それはそれとして、難易度上がり過ぎじゃね?!という感はありますね。
それに関して「物申す」のはここで語ることではない気がするのでヤメておきますが、
もしも今から「マインドル」を作るとしたらどうするかな?
もうちょっと短く小奇麗にまとめる感じにするかな。
しかし、それもちょっとつまらない……などと言うのは作者の贔屓目かな。
「現実離れ」するからこそできることがある。
はい、名言出ました。メモってメモって。
逆に立場を転じて、
頑張って大作を作ったけど思うようにウケなくて残念がってる人、それなりにいると思うんですが、
そういう人に、もっと現実を見てウケるように作りなよ〜、などとは言いたくないではありませんか。
しかし、今からゲームを作ろうと思う人たちは、
何をモチベーションにしてるものなのかな?とはちょっと思う。
夢を見にくい状況ではないのかなと思うのですが。
(単に私が若さを失って夢を見れなくなっただけですかね???)
殊更に「夢を見させる」ような流れがもしもあるとすれば、
それは現実の厳しさの裏返し、ということでもあったりするのではないか?
ゲーム制作ツールが充実してきているのも、
裏を返せば、わざわざ苦労して作るなんて割に合わない、
みたいな風潮の表れでもあったりもするんじゃないか。
「楽に作れる方が良い」という命題そのものは常に「そりゃそう」ですが、
それが殊更に重視されるとすれば、それはどうしてか、という話。
「俺だけのゲームを作ってやるぜ!」なんてのはダサイよね〜、みたいな空気も感じないではない。
かく言う私もツールではないですが、LÖVEを使うようになったのは
C++で頑張るのは面倒くさすぎるなという思いがあってのことです。
(プログラミングの自由度は欲しいが、ゲームの本質と無関係な技術的な苦労は避けたい)
おっと、現状に物申すのはヤメておくと言いつつ、いろいろ語ってしまった。
どうもマインドルの話をするとなぜかこうなってしまう。まことに奇怪なことですね。
(これでも実はかなり削った)
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■ プロモーションをどうすべきだったのか?(2回目)
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話が盛大に逸れたので仕切り直し。
つまり、レッドオーシャンなのは分かっていたとは言いつつ、
頑張って大作を作ったんだし、それなりに注目してもらえますよね?
みたいな「甘え」というか「油断」というかがあったのは否めないかな、という話。
宣伝を頑張っていたつもりではあるのですけど、
「わかる人にはわかるだろうから、とにかく前に出ておけばそのうち拾ってもらえるでしょ」
みたいな、積極的と見せかけて実は他人をアテにしている適当さがあったというか。
「無視される理由」の方をもっと重視すべきだったのではないか?
あと、Twitter(現X)を過信していたのも「読み違い」でしたね。
それまではSNSは全く使ったことがなかったので、しょうがなかったなとは思うんですけど、
実際やってみないと分からないことではあったかな。
あと、当時はコロナ前ということもあって、オンラインのイベントというものは存在してなかった。
あったのかな??? 少なくとも私は知らなかった。
Twitter(現X)で叫んでいるよりは、そういうところに顔を出していった方が手応えが良いですね。
オフラインのイベントに突撃するほどの元気はないですが、
イベントの趣旨が合うのであれば、積極的に混ぜていただくとよいかなと今は思います。
その際もさきほど申し上げたように、
「自殺」のような「誤解を招きやすい」要素をあんまり強調しすぎない方が多分よい。
それから「プレイ時間目安60時間」というのも、わざわざ自分から言わない方が良さそうか。
別に今までも大作アピールをしていたつもりというのはなくて、
単にスペックの一部として義務的に書き添えていただけのつもりではあるのですけど、
人を遠ざける一因になっていた気はする。
プレイに時間がかかるのは事実ですが、もうちょっと他に言いようがあるんじゃないか。
ちなみに先日のクリエイターズ文化祭2023にお邪魔させていただいた際、
メインの展示物というつもりではなかったんですけど、
適当にギャルゲーっぽいテイストの宣伝文にしておいたところ、何名かDLしてくださった模様。
結局「それでよかった」ということなんだろうな。
時間がかかる件を隠したくはないので、目安プレイ時間は「残りの人生」と書いておいたんですが、
それは果たしてどう受け取られたのか???
いきなり「60時間ッ!!(ドドン)」と言われると引くだろうと予想できる。
中身は複数話で構成されてるのだから、小分けの概念でお伝えした方が良いのではないか。
ただね、それなりの覚悟を持って挑んで欲しいという思いもあるので、
事前に壁を立てておくのも「親切」なことである気もします。
ただ誘い込めばいいってもんじゃないだろうとは思う。
あと、前々から思ってたことなんですが、
意外とギャルゲーって供給が少ないんですよね。多いのは乙女ゲー。
ちゃんと数えたわけではないんですが、この偏りはちょっと興味深い。
マインドルは一応ギャルゲーの作法を踏襲しておりますので、
そこはもっと素直に推していった方がいいのかもしれない。
てな感じでですね、
公開当初みたいにガンガン宣伝していくぜ!みたいな熱意は既にないですが、
もうちょっと普及の余地はあるんじゃないかという気分にですね、
最近ちょっとなりつつあったりします。
すると例のPVは作り直した方がいいかもしれないな。
詳細ページも、もうちょっと「普通」な感じにした方がいいかもしれない。
いや「普通」にしたつもりなんですよ、めっちゃ「普通」じゃん!
普通にというか、正当派的なと言うかね、
嘘っぽくなる気がして、雰囲気を演出するような見せ方は避けてたんですが、
雰囲気的に「おもしろそうだな」という期待感を「提供する」のも、
一種のコミュニケーションの作法として、アリなのかもしれない。
しかし、そういう「お仕着せのお約束」から脱出していくのも
「マインドル」に込めた精神だったりもする。
はい。だから、公開から時間が経過したからこそ、
多少こだわりが「ゆるく」なっている部分もあるわけです。
あー、あと、もしも実況する人が現れたとすると、
部分的に肌色多めのシーンがあるから、事前に回避できるよう情報を出しておいた方がいいかな。
YouTubeの肌色警察の恐ろしさは記憶に新しい。
実況という文化を意識することがなかったのも今と公開当時の違いですね。
うーん、他にもいろいろと思っていたことはあった筈なんですが、
今回書けるのはこんなところかな。
総括というか、宣伝方法の反省会でしたね。
これだけだと結局、「自作ゲをいかに普及させるか」という
よくある話でしかないですね。
もっと中身に関する話をしたいような気もしていた。
作者の立場で「正解」を言ってしまうのは野暮なのでは……
とは思うものの、そんなことを気にしてる段階でもないような気もしなくはない。
YouTubeを見てくれてる人も「もしよかったら」プレイして欲しいな〜。
(そもそもこの文章をここまで読んでないかもしれませんが)
私の言動が嫌いじゃないなら、きっと刺さるものがあると思います。
マインドルが長すぎて面倒くさかったら、
祝福のナワールのブックガイドに載ってる本だけでも
読んでみると面白いと思いますよ〜(そっちの方が面倒くさいかも)。
そんなわけで今回は、前とは違う形で、機会を伺いつつ
再びマインドルの布教を促していきたい気分になってますよというお話でした。
地球の皆さんは本当にラッキーですね。
他に何かなかったかな。
久々の更新なので、他にも色々言おうと思ってたことがあるような気がしてなりません。
なかなか出ないくしゃみを頑張って出したけど、
まだなんかスッキリしないみたいなね。ハクション。
何らかの形で書き残しておきたいけれど、
SNSでは言いづらく、動画で気合入れて発信するようなことでもなく、
ここでしか書きようがないことって結構ある。
動画についての雑感も書いておきたいな。
「反出生主義」についての私の見解も一度書いておきたい気がする。
あなたへの愛の言葉も書いておきたい気がする。
ではまた機会があれば。
今日もあなたが幸せでありますように。
◆ 2023/04/16
したこと:
近況報告など
愛する地球の皆さん、こんにちわ。
いろいろとキリのいいところに来たので、
最近放置ぎみですが一番の「ホーム」であるこの場に近況まとめ的なことを書いておくの巻。
さて、長らく小出しにしてきたゲ制の動画シリーズ、
めでたく最終回まで到達し、ゲーム公開にこぎつけました。
その件に関しては動画の方で語っているので、ここで書くことは特にない……
と見せかけて、実は結構あります。
動画の方では私のことをよく知らない人の目に触れることを想定して、自粛した面も色々ありまして、
そのあたりの突っ込んだ話をこっち(個人ホムペ)の方で……、
と見せかけて、一度ああいうふうに動画としてまとめてしまうと、
あれで充分かな、という気分になってくるから不思議なものです。
本当はもうちょっと、こう、深い話というか、
ゲ制界隈を巡る世相に関して思うことなんかもお伝えしようかと思ってたんですけど、
そんなコトを「お伝え」してもしょうがないかなという気もしますね。
今はただ、
視聴してもらえるありがたみ。
高評価を押してもらえるありがたみ。
チャンネル登録してもらえるありがたみ。
それを何よりもお伝えしたいですね。
数字にこだわるとかじゃなく、その数字の一つ一つに「人の動き」があるわけです。
それがとても嬉しく、ありがたい。
実際に動画投稿をやってみて実感します。
ゲームのダウンロード数自体は今のところ、今までの宣伝方法と比して
特別目立った結果が出ているわけでもないかな?
という感じだったりもしますが、それはなんかもう、重要なことではないですね。
当初から「動画>ゲーム」という思想ではあったわけですが、
動画を観てもらえたこと自体に充実感を感じている次第であります。
いっそ最後の最後で、
「ゲームを作ってたというのは実はフィクションでした」
ってのでも良かったんじゃないか?(それは詐欺だ)
今後のこと。
大体動画の最後で語っている通りなのですが、
今現在、進行形で制作中のものも実はあります。
ただ、別件が忙しくなってしまって、思いのほか時間が確保できない状況だったりします。
別件とはコレのことです。
↓
バーチャルカリスマ凡夫の御託宣(YouTubeチャンネル)
個人ホムペやブログに文章を書いてもあんまり読まれにくく、Twitterでは文章量に限りがある。
それはゲ制の活動報告に限ったことではなく、時代とメディアの特性上、避けられないなという思いはありました。
スマホユーザーが増えたことも、「若者のテキスト離れ」に関係があるのかも?(画面が小さいから、の意)
しかしPCと身体が一体化して久しい私も、ここ最近は文章を読むより動画を観る(聞く)方が楽なので、
テキスト系の情報源よりも動画を優先的に摂取している状況だったりします。
というわけで、今までだったら個人ホムペに記事として書いてたようなことを、
音声読み上げソフトを使って、アバターが喋ってる体裁の動画にしていこう、という趣向です。
そんな感じなので、一度フォーマットを決めてしまえば手間はかからずに量産可能……
……と思ってたのですが、実際やってみると、それほど楽なものではないですね。
いや、楽をしようと思えばできるのだけれど、
やってるうちに欲が出てしまっているというのが実際のところかな。
特にテーマ。
当初はテーマを固定せずに、それこそ日誌の動画版みたいなノリで適当にやってみようか、
ぐらいの感覚で始めたんですが、
どうせやるんだったら「私がやるからにはこのテーマを」というものを選んで気合を入れてしまう。
一度気合を入れてしまうと、ゆるいノリに戻しづらくなっていく。
毎回、台本を書くのに命を削っている次第です。
ただ、やはり、動画という形式でYouTubeに出すと、
上澄みの先生方とは比較にならないとは言え、文章だけでネットに載せるよりは
多くの人に観てもらいやすいという実感と手応えがある。
とは言え、だからこそ、長く続けていくなら、
負担が少ないやり方を模索していかないと私が死んでしまいそうだなという危機感も。
ゲ制の時間も確保していきたいですしね。
観る側の立場でも、トークが淡々と長時間続くのは長文を読むのと同様に負担が大きい。
もうちょっと、こう、「Twitter寄り」というか、
受け手にとっても飲み込みやすい形式を模索していきたい。
……とかなんとか、これまた「欲が出て」しまってるわけですね。ぎゃふん。
以前、「ゲームも思想の表現」というようなことを申し上げましたが、
ゲームは「プレイする」という性質のものなので、
単に情報を「読む」「聞く」「受け取る」だけでなく、
特定の「文脈・状況」の中で「意志・目的」を持って「行動」する、という形、
つまり思想「の中」に身をおいて「体験」するツールになり得るのではないか、という気がしております。
「そのゲーム」、を、「する」、ということ。
に、かかり、
「それは(霊的に)どういう意味を持つのか?」
という問いを立てることができる。
おっと、霊的とか言っちゃった。オカルトガチ勢であることがバレてしまいますね。でへへ。
つまり、文章やトークで「受け取る」「伝える」ものと、
ゲームという形式で「体験する」ものと、
どちらも車の両輪として重要であろう、という気がしております。どちらの活動も意義がある。
さて、長文は負担が大きいと言いつつ、この文書が既に長文になってきているので、
お話は尽きませんが、今回はこのぐらいにしておこうかな。
ここまで読んでくれた貴方、愛してるぜ!
ん? いつもここでは何て言ってましたっけ?
「今日もあなたが幸せでありますように」だ。
というわけで。
今日もあなたが幸せでありますように!
◆ 2023/01/01
したこと:
近況報告など
愛する地球の皆さん、前回以来、何億年ぶりでしょうね。
地球ではこういうとき何て挨拶するんでしたっけ?
えーっと、あ、あけ、け……ゲホゲホ。
これを言うと何かが喉に詰まりそうなのでヤメておきます。くわばらくわばら。
さて、前回お伝えしたように、
「新作」を次々と量産することがヨイことだ、という価値観に無防備に染まることからは
少々距離を置いておきたいところではあるのですが、
まだ人類に捧げておかないとイケないモノが3つほどあることが判明したため、
そのうちの1つを作ったりしておりました。
『未知とのコンニチワ』暫定PV
ゲーム自体は去る2022年の8月中旬に作り初めて、9月上旬頃には出来上がっていたのですが、
そのまますぐに公開するという形はとりませんでした。
その代わりにドウしたかと言いますと、
こういう形をとることに致しました。
↓
『戦わないゲーム制作劇場』再生リストの埋め込み
つまり、どういうことかと申しますと、
制作の過程を小分けの短篇動画形式にして、YouTubeに投稿しています。
この動画シリーズの最終回(ゲームの完成に至る回)に合わせて公開する、という段取りです。
ゲームが完成した後に動画を作り初めて、投稿を開始したのが12月初旬。
2月か3月頃に最終回を迎える予定。
動画自体も最終回を除いて既に出来上がっており、今は定期的に淡々とアップしている段階です。
最終回だけはその時点での動画投稿に対する所感も交えた内容にしたいと思っているので、
内容を決めるのはもう少し先ですね。
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-- 「動画」という形式を選んだ理由
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さて、なぜこういう形式をとることにしたのか?
理由は主に2つ。
1つは、普通に公開してもなかなか興味を持ってもらうのが難しいから。
もう1つは、ゲーム自体よりも、そこに込めた意図を共有することに重きを置きたいから。
> 1つは、普通に公開してもなかなか興味を持ってもらうのが難しいから。
ゲ制界隈にある程度長くお住まいのお友達は実感してらっしゃることと思いますが、
1.ゲームを作る
↓
2.公開する
↓
3.不特定多数の人にプレイされる
という流通の回路そのものが既に機能しなくなっている感があります。
これ自体は良し悪しではなく、時代的な必然だろうと思います。
ゲームを「作りたい人」は多く、それを補助する手段や環境は着実に発展する一方、
そうして作られた成果物を「プレイしたい」と思う人は、
そもそも多分そんなに多くはなく、増えてもいない。
既に「ゲームを作る」ことは「生産」ではなく「消費」になっている。
「ゲームを作りたい」という「ニーズ」と、それを対象とする市場があり、
「ゲームを作りたい」と思っている我々(?)は、その市場における「消費者」になっている。
「良い作品を作れば多くの人にプレイされて人気者になれる」とは
この市場をプロモーションするためのCMと化しており、
今日もこの輝ける神話に魅了された「消費者」がツールを購入し、投稿サイトに集う。
そしてSNSを賑わせるに至り、自らもまた市場の「広告塔」と化す。
おっと、なんだかイヤな言い方しちゃったな。
いや、別に、何かや誰かを批判したいわけではないのですよ。
一生懸命作っていること自体は人として尊いことだと思います。
制作者同士での交流も含めて、制作活動を通して人生が充実するということ自体は
嘘でもなんでもないでしょう。
そこに冷水を浴びせたいわけではない。
むしろ、そうしたことが「尊い」と思うからこそ、
それを利用して人の汗と涙を搾取(塩味か)するような「市場」の構造に、
悲しさを感じざるを得ないわけです。
ツイッターでは一応「ゲ制界隈」に身を置いているつもりですが、
意図していなくても、界隈に身を置いているだけで「広告塔」の一部になることを免れない面はあり、
だからこそ、「作るのが良いことだ」という価値観を無防備に促進するような言動は、
自分の投稿としては、常に言いづらさを感じています。
他の人の言動を批判するつもりはないのですけど、私の口からは言いづらい。
私的には、むしろ「ゲ制なんてヤメちまえ!」と言いたい。
これはたとえて言うなら、胡散臭い「神さま」を押し付けてくる宗教を想定して言い放たれる
「神様なんていない!」というフレーズに近いものがある。
言葉の最も広い意味で「神」としか呼びようのない何らかの存在は、
それはもう「ある」に決まってるわけですが、
特定の「宗教団体」が邪(よこしま)な企みとともに
「押し付けて」くるような「神さま」について言えば、
「そんなものは、ない!」というわけです。
むしろ言葉の真の意味での「神」を尊重すればこそ、そのように言いたくもなる。
だから、ゲームを作ることが悪いことだと言いたいわけではないのですが、
そういう「搾取的なレール」にホイホイと乗っかってしまうリスクに対しては
「本当にそれでいいの?」と警戒したいという思いがある。
(もちろん他人の人生に「余計な口出し」は出来ないのではありますが……)
話が逸れました。
「搾取的な市場」は「原因」と言うよりは「結果」ですね。
誰かの悪意で「こう」なっているわけでは多分なく、
「作り手」が増えても「受け手」が増えないという構造がある限り、必然的に海は赤くなる。
(そういう中でツルハシ店が儲かる、というのは結果であり、ツルハシ職人の陰謀では多分ない)
ではそういう中でどうすればいいか?
結局、どこの馬の骨とも知れない輩が「作りました」と言って成果物だけポンッと「公開」しても、
誰も「そんなもんに興味ない」わけです。興味を持つ理由がない。自分の人生に全く関係がない。
ちょっと「人の気持ちを考え」れば、そりゃそうだよなと思わざるを得ません。
「興味を持って貰える理由」が必要になる。「それをプレイする理由」が必要になる。
だから多くの人が、有名な人にレビューされたいとか、ランキングで上位に入って目立ちたいとか、
そういうことを目指すことになるのだと思いますが、
まさにそういうのこそ「搾取的」な文脈に搦み取られがちだというのは上述のとおり。
そういう「権威」に依存する方向である限り、
必然的に競争のレールに乗っけられ、搾取的な文脈へと収斂していく。
他者が敷いたレールという権威の構造に依存する義理は別にないのであり、
要は「成果物だけポン出ししても他人は興味を持たない」という現実を、いかにして乗り越えるか?です。
そこで注目したのが、ツイッター界隈における「日々の進捗投稿」という文化です。
成果物を手に取ってプレイするよりは途中経過をTLで眺める方がハードルは低い。
普段から継続的に進捗が目に触れていれば、その人にとっては「馬の骨」ではなくなる。
成果物だけ宣伝されても「他人事」ですが、
途中経過を段階を追って共有していればそれなりに情がわく。
ただし、この文化自体には、私は懐疑的なのですよ。
もちろん人それぞれのスタイルというものはあるでしょうし、
それを楽しんでやってるなら、それはそれでいいのですけど、
制作そのものよりも、進捗の投稿自体にエネルギーを取られて目的化してしまう可能性。
さらに、ツイッター上では大量にイイネなどがついて賑わっているように見えても、
それはどこまでもツイッター上での事であって、リンクはほとんどクリックされないし、
最終的な成果物を実際にプレイしてくれるかどうかも甚だ心許ない。
普段から進捗を投稿して、あんなに賑わっていたのに、
DL数の少なさを自虐していたりする。
またまた話が逸れるかもしれませんが、ゲ制に限らず、
ツイッターでの賑わいが、ツイッター上でのことでしかない、
というのは、見過ごされがちな罠だなという感じが非常にいたします。
例えばわかりやすいケースとしては、YouTubeの動画のリンクを載せた投稿。
ツイッター上の投稿には大量にイイネがついているのに、
YouTubeに移動して見ると、視聴回数が明らかにイイネ数より少ない、なんてよくあること。
(最近、実況プレイ系のチャンネルでよく見かけるケース)
別にイイネを押す理由など人それぞれなので、
動画を見てもないのに何で押してるんですか?
なんて言うつもりはほんの少ししかないのですけど、
一般論として、ツイッターというプラットフォーム上でのユーザーの行動原理は
「TLに流れてきた短文を気軽に消費する」ことであって、それ以上のものではなく、
あまり「過度な期待」は禁物だなとは思うところです。
さきほど「罠」と申しました。
イイネなどがつくこと自体は嬉しいものですし、
分かっていても、エネルギーをツイッター側に費やしてしまいがちになる、
なんてケースも人によってはあったりするのかもと想像します。
ただ、ツイッター上に限定された行動だとしても、
「日々の進捗」という文化がコンテンツとして賑わうものである、という現実がある。
そこには、ただの空騒ぎと断じて捨て置くのは罰当たりに思える何かがある。
しかし進捗投稿は、それ自体が目的化する本末転倒のリスクが気になるところ。
しかしそれは本当に本末転倒なのか?
そもそも何が「本」なのか? 何が「末」なのか?
何しろ「成果物」よりも「進捗情報」の方が「人気がある」わけです。
端的な現実。
変な話、一つも「完成」させたものがなくても、
延々と進捗を投稿し続けている人が「人気」があったりするわけですよ。
「変な話」と言いましたが、実際そうだったりするのだから変でも何でもない。
そこで、頭の良い私は、こう思いました。
「だったら進捗の情報そのものを "目的" として明確にコンテンツ化してはどうか?」
え。
本当にそれでいいの?
案外いいのではない?
悪い理由などあるの?
何しろ、そもそものところ……
> もう1つは、ゲーム自体よりも、そこに込めた意図を共有することに重きを置きたいから。
はい、これです。
こう言ってはミもフタもありませんが、ゲームをプレイしてもらうことが最終目的とは限らない。
もちろん、実際にお手にとって楽しんでもらえれば happy for you であり喜ばしいことですが、
私がそこに込めた意図が伝わることなく「楽しまれた」のだとすれば、
作り手の意識としては正直微妙なところ。
特に私の場合は「思想の表現」なので尚更です。
「成果物としてのゲーム自体が実際にプレイされる事」は、必ずしも必須の事ではない。
もちろん「作品論」としては、プレイされた上で、意図まで伝わる「ような作品である事」が、
「作品としての理想」という理屈もあろうかとは思うのですが、
私は別に「作品としての上等さの追求」を至上目的にしているわけではない。
「作品として」上等だとか下等だとか、そんなことは私にとっては一番重要なことではない。
プレイされても、意図が伝わらなければ意義は半減。
意図が伝わるのであれば、プレイされなくても構わない。
「上等な作品」を目指しているというわけでもない。
であるならば、「コンテンツ化した進捗情報」を通して、
「どういう意図で作っているのか」を共有することを目指した方が良いのではないか?
というわけで一つの結論として、やってみることにしたのが、
進捗を動画化してのYouTubeへの投稿です。
ツイッターでは情報量に限界があり、単なる進捗報告を超えて「制作の意図を伝える」のは難しい。
文章だけで個人ホムペやブログに書いても、それこそ
あまり多くの人には読まれないないのは、すでに体感済み。
今の時代で敢えて打って出るなら、YouTubeは一度は手を染めておく必要があるかな、という判断です。
進捗というより、作った後で振り返って動画化しているので、
メイキング動画と言った方がいいかな。
さすがにゲームの制作と平行して動画を作るのは私には無理ですし、
動画自体をコンテンツとして楽しめるものに仕上げるためにも
こういう段取りとしました。
ゲーム制作の動画と言うと「作業配信」というものは従来からあるようですが、
あれは不特定多数に向けたコンテンツというよりは、
お友達同士でチャットしながら楽しむという趣向のもののようですね。
私のことを全然知らなくても、それ自体をコンテンツとして楽しめるように……
ということで、あのような形とした次第です。
ツイッターでTLを眺めるが如く、気軽に視聴できるように個々の動画は短めにしてあります。
YouTubeということで「過度な期待」をしているつもりはありませんが、
ゲーム制作に関心がある人の層は今の世の中にそれなりにいらっしゃるとは思うので、
YouTubeのアルゴリズムとやらが、そういう人に届けてくれるのであれば、
動画をYouTube上に置いておく意味は無くはないのではないか、とは思っています。
ツイッターでは一瞬で投稿が流れて過去のものになりアクセスされなくなりますが、
YouTubeの場合はむしろ時間経過とともにジワジワ浸透するもの(らしい)ので、
その点でも、YouTubeの方が、この目的には適しているのではないか、と思っています。
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-- 動画投稿の現状
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ぶっちゃけ、数字的な意味では、お世辞にも華々しい成果!とは言い難いですね。
何度も言うように「過度な期待」をしているつもりはなかった、とは言え、
正直、予想を上回る(下回る?)結果であり、うーん、こんなもんなのか、と、
少々認識の変更を強いられているところではあります。
が、やはり「こんなもん」なんだろうなとは思います。
少なくとも今は。
別に負け惜しみだとかではなく、冷静な分析の結果として、そう判断する次第です。
他の人がどういう経路でうちの動画の存在を知ることになるか?
今のところ外部では何も宣伝していないので、
YouTube内の検索や関連動画枠だけがその経路ということになります。
では、うちの動画が、他のどういうチャンネルの関連動画として表示されているか?
以下は、管理画面のアナリティクスからの抜粋です。
ゲーム制作ともゲームとも全く関連のないチャンネルの「関連動画」枠に表示されていることがわかります。
これはほんの一部ですが、現状、大体どこを切ってもこんな感じです。
インプレッション数というのはサムネが表示された回数で、クリック率はクリック率ですね。
で、案の定、ほとんどクリックされていない。
せっかく「ゲーム制作劇場」というふうにチャンネルのタイトルにも、
動画のタイトルにも、ハッシュタグにも、
至る所に「ゲーム制作」という文言を散りばめてあるのだから、
もうちょっとYouTubeのアルゴリズムさん、気を利かせてくれてもいいのにな〜、と思わないでもないのですが、
おそらく、そういう基準では判断されていないのだろうなと思います。
YouTubeのアルゴリズムについて本当のところは内部の人しか知り得ないことではあるのですが、
ネット上に散らばる「ノウハウ」系の情報や、
私自身が今まで視聴者としてYouTubeを利用してきた経験から察するに、
おそらく、重要なのは個々のユーザーの視聴履歴です。
例えばYouTubeで何か動画を視聴すると、画面の横とか、視聴後の画面とかに、
他の動画のサムネがずらっと出るじゃないですか。
で、特定のジャンルの動画を続けて見ていると、
そのジャンルの動画が出現する確率が高まったりするじゃないですか。アレです。
おそらくですが、動画そのものに含まれているキーワードとかではなく、
同じユーザーが継続して視聴している動画同士を「関連性が高い動画」としてデータを蓄積している。多分。
動画投稿者の恣意的な狙いよりも、視聴者(ユーザー)の実際の行動を、YouTubeは重視している。多分。
極端な話、たとえばですが、ラーメンの動画を見た人が、続けてガムテープの動画を見る、
という事例が何度も発生したら、YouTubeは、
「ラーメンとガムテープには関連がある」と学習するのだと思われます。
人間の常識からすると「ラーメンとガムテープに何の関連が???」ってなもんですが、
実際に人々がそういう行動をとっているという厳然たる事実がある限り、
紛れもなく両者には「関連がある」ということになるわけです。
だから私がいくら「ゲーム」とか「ゲーム制作」とかいうキーワードを入れていても、
実際にそういうジャンルの動画を頻繁に見ている人の目に触れるようにならない限り、
うちの動画が「そのジャンルに属している」とYouTubeのAIが学習することはないのでしょう。
つまり、今現在、チャンネルを開設して間もない当チャンネルには、
そもそも視聴履歴のデータが不足しているのであり、
YouTube側も「どういうジャンルのチャンネルなのか?」が分かっていない状態なのでしょう。
だから、ほとんどランダムに関連表示している状態になっている。
したがって、サムネのクリック率も低い状態ですが、
「それでいい」のだと思われます。
関連の低いチャンネルでサムネが表示されて、「クリックされない」ことで、
「関連が低いのだ」ということをYouTubeのAIが学習していく。
ここで変に焦って、クリックを誘発するような煽り系の釣りサムネを作ったりなんかすると、
YouTubeに間違った学習データを与えることになってしまい、
今後のマッチングに支障をきたすことになるだろうと予想できます。
今は焦らずに、「嘘のない」サムネ&タイトルで、淡々と動画を投稿し続けるのが肝要なのでしょう。
そうこうするうちに、YouTube側に学習データが蓄積されていき、
「関連動画」の判断処理が最適化されていく……のではないか、と、思われます。多分。
ある程度マッチングの精度が高まってくれば、
ちゃんとチャンネルの内容に関心を持つ可能性のある人がアクセスする好循環が回るようになり、
もうちょっと、数字的な部分がマシになってくるのではないか……と、予想しています。
それでも変化がないとすれば、それはもう、それはそれでということで、しょうがないですね。
いずれにせよ、今の段階で数字的な部分の少なさを、
何か間違ったことをしてしまった結果なのではないかと気にしても仕方がないのだろうとは思います。
(初期の頃、プレイ動画の画質が低かったのは失敗だったなと反省はしてます。第3〜6話らへん)
(技術的な部分での善処はしていきたいですね)
ちなみに今のところ、ツイッターでの宣伝は敢えてしないことにしています。
理由は上でも述べたことと重なりますが、
どうせツイッター側でイイネとか貰っても動画はあんまり見てくれないだろう、ということです。
それに加えて、YouTube攻略界隈のセオリーとして、
外部のSNSからの流入は狙わない方がいい、という考え方があるそうです。
理由は「視聴履歴」が乱れるから、ですね。
YouTubeのAIのアルゴリズムを推測すれば、属性の異なる人に中途半端に視聴されるのは
長い目で見るとチャンネルの育成上よろしくない、という予想が成り立つ。
しかし、ことゲ制界隈に限って言えば、「属性が異なる」ということもないでしょうし、
そういう点での悪影響はないような気もします。
影響があるとすれば視聴時間ですね。
ツイッターを見てる人はツイッターのTLに次々と流れる短文をサクサクと眺めたいのであって、
時間をかけて1つの動画を見たいわけではない。
そういう中に動画を流すと
「すぐに視聴をヤメる=関心がない」とYouTube側に判断される可能性があるのではないか?
属性は合ってるのに、逆の学習をされるのは困りますね。
結局アルゴリズムはブラックボックスなのであり、
あんまり神経質になっても仕方がない気はしますが、
どうせ動画を見られる可能性が低い上に、逆効果になるリスクもあるとすれば、
だったらツイッターには投稿しない方が安牌、という判断が成立する。
もし投稿するとすれば、ツイッター側に動画を埋め込む形にはせず、
ツイッターでの宣伝用にはダイジェスト版の動画を作って投稿し、
YouTube動画本編へのURLだけを載せておく、という形にした方がよさそうな気がします。
本当に視聴したいと思った場合だけ、リンクをクリックしてくれればいい。
実際、そういう意図なのかどうかは不明ながら、そういうふうにしている人を見かけたことがあります。
当時は、なんでわざわざそんな二度手間なことするのかな?と思いましたが、
もしかするとそういう戦略だったのかな、という気が今はします。
正直、ツイッターにも投稿したい誘惑には何度もかられたのですが、
さしあたり今回の「シューティング編」では実験的な意味でもツイッターを使わずに今のまま続けてみて、
次回のシリーズでは、ツイッターでも投稿する形にしてみてもいいかな、と考えています。
それこそ「進捗ツイート」のようなノリになるわけですね。
単独でもコンテンツとして楽しめる形にしておくことで、
普通の進捗ツイートとはまた違った結果が出てくるかもしれない。出てこないかもしれない。
普通の進捗ツイート(及び、界隈での宣伝ツイート)の場合、
「ゲーム制作に興味がある人」には届いても「プレイすることに興味がある人」には届きにくい、
という根本問題があるわけですが、
「プレイはされなくても、制作の意図を共有することが重要」という「割り切り」に基づくならば、
それはそれで全然かまわないということになる。
あ、今回はツイッターを使わない方針と言いましたが、
私の大ファンの人が「こんな動画があった!みんな見て見て〜!」と
ツイッターに投稿してくれる分には全然かまわねーっすよ。
私自身による自己宣伝という恣意的な操作は歪みをもたらすリスクがあるということであって、
純粋に応援をいただけることを「しないでね」などと言ってはそれこそ本末転倒というものです。
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-- そのほか
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他に何かあったかな。
あります、あります。積もる話は山のようにあります。文庫本14冊分ほどあります。
直近で言うと、クリエイターズ文化祭2022に参加したのでした。
pictSquareのイベントです。オンラインで同人誌即売会を模す、という趣向のイベントですね。
ぶっちゃけ、アバターつきのリンク集ぐらいにしか見えない気がしていたのですが、
実際に参加してみると、言い知れぬ一体感がある。
なかなか有意義な体験でありました。
この場(は多分ご覧にならないでしょうけど)を借りて、
主催者の方やご縁をいただいた参加者の皆さんに御礼申し上げます。
また機会があればこういうイベントには参加してみたいですね。
オンラインですら、言い知れぬ一体感があるのだから、
オフラインのイベントだったらさぞかし重みのある体験が得られるのではないかなと想像します。
「コロナ」の影響もあってオフラインのイベントは下火の傾向ではありますが、
根強い人気はあるようですし、なくなることはないでしょうね。
大勢の人たちで、同じ目的を持って、1つの場を共有する。
人は人とのつながりの中で充実感を感じるものなのだろうと思います。
場の共有と言えば、最近ちょくちょくVTuber界隈のライブ配信を見ることがあります。
時間がかかるので最初から最後まで通して見ることはなかなかないのですけども、
やはり「ライブ」で場を共有する感覚は、ネット越しであっても独特のものがありますね。
アーカイブとはまた違う、生配信ならではの空気感。
視聴していなくても「今やってるんだな」ということ自体にも「感触」がある。
それを知るきっかけになったのもクリエイターズ文化祭だったので、
そういう意味でもありがたいご縁だったなと思っております。
さて、ほかには……あります、あります。文庫本14冊分ほどあります。
いろいと書こうと思ってはいたのですけど、
あんまりあれこれ言っても仕方がないですね。
というわけで、これまた久々ですが……
地球がどの位置にあっても……
今この時代に、この惑星の空気を共有する皆さんのことを思い浮かべて……
今日もあなたが幸せでありますように。
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