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◆◆ TEXT ◆◆

◆ 2018/12/08
    したこと:
        マインドルのCG作成
        
        学園モノと言えば屋上の登ってはイケない場所。
        
        
        
        屋上かどうかはさておき、高い場所に座って見下ろしているように見えますよね? 見えましょう。
        見えると言えば、妙に短いスカートから伸びる逞しいフトモモが気になることと存じます。
        どうせテキスト欄に隠れるので構いませんよね? 
        しかし、だからこそ視線が向かわざるを得ないというもの。
        もはやテキストを読んでいる場合ではない。若者よ、テキストを捨てフトモモを見よう。
        
        なお、スカートの長さはコミPo!学園の校則で固定されているので仕方がありません。
        コミPo!め、おぬしもワルよのう。
        
        
        ちなみに、上記のポーズはこちらのコミPo!出力素材をGIMP上で加工したものです。
        
        
        
        つり輪競技で技をキメているポーズ……ではなく、地面に座って足を伸ばしているポーズです。
        これをGIMP上で服の模様と髪型を描き変えてヒザを曲げております。
        服装については今は別売りのブレザーという小粋なものがあるらしいですが、ここでは自炊をしております。
        だってブレザー発売前から自炊でデザインを決めて作業を進めてしまってたんですもの。もはや自炊で完走するのみ。
        
        そんなことより、さっきからパンツが気になって仕方がありません。

        早くなんとかしてくれないと鼻血が何リットルあっても足りません。
        そう、みなさんご存知の通り、何を隠そうコミPo!学園はパンチラ学園だったのでした。コミPo!め、おぬしもワルよのう。
        でも最終的には屋根の縁に腰かける恰好になるので問題ないハズ。

        ↓

        
        
        うむ。完璧。
        
        ……と見せかけて、依然としてパンがチラしているのをこの私が見逃すと思ったか!
        
        
        
        このままでは青少年のみなさんに悪しき影響を与えてしまう。速やかに対策を実施せよ。
        というわけでGIMPでパンツを削除。
        
        ↓
        
        
        
        うむ。完璧。
        そう。パンチラを防ぐにはノーパンにしてしまえばよい。
        これぞまさに肉を切らせて骨を断つ戦法。
        
        なんか微妙に日本語の使い方が違うような気もしないではありません。
        毒をもって毒を制す、かな? 毒とは何だ毒とは。
        パンツもノーパンも神聖なもの。毒とは違うのだよ毒とは。
        もうノーパンをもってパンチラを制す、でいいじゃん。じゃあ今後はそれで。言葉は時代とともに変化する。
        
        
        さて、ドキドキが止まらなくなって参りましたので、シックな一枚で落ち着きましょう。
        
        
        
        それでもドキドキが止まらないのはなぜ?
        そりゃあアナタ、胸元が妙にハダケちゃってるからですよ先輩! ヒトケのない放課後だからって大胆ですね。
        これもまたコミPo!で出力するとこうなってしまうのですから仕方がありません。コミPo!め、おぬしもワルよのう。
        
        さて、古来より我が国には、ノーパンをもってパンチラを制す、という言葉が伝わっております。
        すなわち、胸元のハダケを制するには全裸にすればヨイということ。明晰なロジックが進むべき道を照らし出す。ドキドキ。
        もはや選択肢は残されていないというのでしょうか? 
        決断を先延ばしにしている間にも時は容赦なく流れ続ける。今日も鼻血が止まらない。
        
        はい、そんな感じで鼻血を流しながら今週もモリモリと作業をして参りました。
        今週は12枚完了。
        このペースが限界なのかな。一日2枚が限界っぽい気はしているところです。
        ただ、居眠り→起きた、みたいな顔が変化するだけのシリーズものの場合は1粒で何度もオイシイ感じなので、
        単純な枚数だけで言えばもうちょっとハイペースでイケるハズ。地球が滅ぶ前に完成させねばならぬ。
        
        自分で元の絵を描いているわけではないので相当に楽ができているハズですが、それでもイロイロと神経を削ります。
        構図を決めるとか、細かい箇所のドット修正とか、昼寝とか。
        結局そうした作業は自分でやらざるを得ないところです。絵が描ける人って本当にすごいですね。
        昼寝はさておき、世間には精緻なCGがあふれており、その一枚一枚に想像を絶する精魂が込められているに違いありません。
        さらにマンガなんて一体どれほどなのでしょう。
        ためしに今ちょっと手元のマンガをパラっと見てみたのですが、見渡す限り絵!絵!絵! 見ているだけで気が遠くなります。
        これを人間が描いているなんて!
        大変な作業だと聞き及んではおりますが、単に絵がうまいというだけでは片付けられない恐るべきエネルギーを感じざるを得ません。
        マンガにしてもCGにしても、当たり前のように世間にあふれておりますが、どこが当たり前なものですか。ものすごいことですよコレは。
        絵を描いてる人って本当にすごいですね。
        
        
        
        他に何かなかったかな。
        思うところはイロイロとございます。
        騒音問題のことととか。
        寒いダジャレのこととか。
        怪しい法案がロクに審議も報道もされないまま次々と可決されてしまっていることとか。
        
        うーん。
        
        思うところは本当にイロイロあって……
        それを全部、方程式の左辺に並べて、足し合わせて、右辺に解を書き出すと、
        
        {思うところ}イロイロ=うーん。
        
        になってしまいます。
        一体結局、この世は何なのでしょう? もちろんダジャレ……おっと、ダジャレにならないじゃないか!
        もはやダジャレさえもままならない。
        
        
        ちょっと話は変わりますが、
        というかそもそもまだ何も話をしてない気もしますが、
        えーっと、騒音現象。
        救急車とか、防災無線とか、ボイスアラームとか、アレとか、コレとか。
        結局いまだに何一つ「解決」はしていない。
        
        で、それはそれとして、今は直接的に話題にするつもりはないのですけども、
        つまり、そういう各種「騒音」が、今でも毎日、世間を席巻しちゃってるわけですよね。
        各人の思いや考えはさておき、ともかく、今現在、そういう中で、我々は、日々の生活をしている、という事実がある。
        
        私などは意識的に、そういう「音」を、できる限り耳に入れないように心がけて、対策を習慣づけて、生活をしているのですけれども、
        しかし、大多数の人々は、まったく無防備に、そういう「音」に、さらされて、毎日の生活をしていることでしょう。
        来る日も来る日も。24時間。外にいるときのみならず、家の中にいるときも。
        
        そのことが「悪い」という意味で言っているのではありません。
        また、そうした「音」を「気にする/気にしない」という次元の話でもありません。
        ただ、事実として、「音」を無防備に浴び続けている、ということ。
        その「差」の「積み重ね」というものが、まったくないということはない、という気はいたします。
        
        いや、別にですね、そのですね、
        ああした「音」そのものに、何か、サブリミナルな洗脳効果が仕込まれていてどうのこうの、
        みたいな、陰謀論的な妄想を語るつもりは、ほんの少ししかないのですよ?
        そこは誤解しないでいただきたい。
        
        ただ、なんていうのかな。
        
        たとえば、特に救急車音や防災無線なんかが典型的ですが、
        結局、ああいう音って、「まさか "うるさい" だなんて言うワケがないですよね?! よね?! よね?!?!?!」
        という、「甘え(が、まかり通ること)」のようなものを前提にしているようなところがある。
        あるいは、「(画一的な)善良さ」を当然視している、とでも申しましょうか。
        
        救急車がいくら大音量で喚いていようとも、
        「怪我や病気の人のためなのだから我慢してあげる」のが「正しい」ことということになっている。
        防災無線がいくら大音量で鳴り響こうとも、
        「防災のためなのだから我慢する」のが「正しい」ことということになっている。
        
        音が耳に入ってくるたびに、毎回いちいち、そこまで明確に意識するわけではないでしょう。
        ただ、結局的に、そういう「(画一的な)善良さ」の「確認のひととき」になっているという面は否めないはず。
        そして、それを、毎日、毎日、毎日、毎日、毎日、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、繰り返している。無防備に!
        外にいるときも、家の中にいるときも、病めるときも、健やかなるときも、朝となく昼となく夜となく、24時間、無防備に!
        
        そういうことの「積み重ね」というものが、まったくないとは言い切れない気がします。
        
        いや、別に、ああした「音」そのものに何かそういうサブリミナルな洗脳効果が仕込まれているだとか、
        ましてや、意図的に悪意をもってそういう「音」が繰り返されているとまで言うつもりは、ほんの少ぉ〜ししかないのですよ?
        そこは誤解しないでいただきたい。
        
        繰り返しますが、これは、
        ああした「音」を「気にする/気にしない」とか、
        個々の「音」の正当性を認めるとか認めないとか、
        単に物理的な意味で「うるさい/うるさくない」とか、
        そういう次元の話ではありません。
        
        ただ、事実として、ああした「音」が日々、繰り返されていて、我々は、その中に、どっぷりと浸かり切っている。
        私のような一部の人間を除いて大多数の人々は何の対策もせず無防備に「音」に身をさらし続けている。
        昨日も今日も明日も、今までもずっと、これから先もずっと。
        そうした事実の果てしない「積み重ね」がある。
        その「積み重ね」を抱えて、この社会は、営まれている。昨日も、今日も、明日も。
        
        だから何なんだ、という話ではありません。実は何でもないのかもしれません。
        ただ、事実として、そうした「積み重ね」がある、という話です。
        大多数の「個人」に「積み重な」っていることであり、すなわち、社会全体に「積み重な」っている、という話です。
        ただ、事実として。
        
        
        この話は記事を分けて、騒音関連の話として書いた方がいいかな。久々に。
        騒音問題に関しては、今はちょっと、具体的に何かが言える段階ではないかな、という気がしていて、
        思うところはイロイロありますが、イロイロありすぎて、あえて何も書かないようにしておりました。
        
        そろそろ窓の外が明るくなってまいりました。
        今日も一日、世間では各種の人工音が鳴り響きまくるのでしょうね。
        それでいて、「鳴っている」ということは話題にもならず、一日が営まれていくのでしょうね。その「音」を無防備にその身に浴びながら。
        だから何なんだ、という話ではないのですけど、ただ、事実として。
        
        だから何、というようなことは何も言えません。
        さしあたりは「うーん。」としか言えません。
        何も言えない。
        
        あ、1つあった。
        というわけでいつものやつを。
        
        今日もあなたが幸せでありますように〜。
        
        
        
        
        
        
        

◆ 2018/12/01
    したこと:
        マインドルのCG作成
        
        学園モノと言えば、やはり居眠り。
        
        
        

        パチッ。
        
        
        
      
        起きた。
        
        
        
        本文によると、「長い髪が机の上に拡がっている」らしいですが、そんな勝手なことを言われても困るというもの。
        ハリガネでも入ってるかのように見えますが、このぐらいで勘弁してください。
        あと3コマ目、目に涙がたまってるように見えますよね? はーい見えまーす。うむ。
        コンタクトレンズが外れたようには見えませんよね。はーい見えませーん。うむ。
        ていうかメガネですからね。メガネとコンタクトの重ねがけなどありえません。
        ん? ありえないんでしょうか? 裏技発見の予感。納豆の発見にも通じる偶然の産物。人類はこうして進化してきたのです。しみじみ。
        
        2コマ目も実は涙がこぼれてる設定なのですが、あまりに微妙すぎて、
        見えますよね? とは口が裂けてからでなければ言えません。ビリビリ。
        
        前回の経験をいかし、机は上手に並べられたと思います。机並べスキルがアップ。きっと今後の人生で役立つことでしょう。
        ちなみにノートパソコンはコミPo!の素材ですが、スクリーンセーバーにはLinux Mintのロゴを使わせていただいております。
        こういうところで、さりげなく布教をする。いつもお世話になっております。
        なお、コマが動いてもスクリーンセーバーは動きませんが、このぐらいで勘弁してください。
        その他の小道具もコミPo!の素材を適宜GIMPで加工しながら使っております。
        マウスはコードレスのようですね。コードを描き加えなくてもいいというのだから、よい時代になったものです。しみじみ。
        
        
        それにしても居眠りシーンばかりですね。
        ひょっとしてメインキャラ全員に居眠りシーンがあるのではなかろうか、
        と思って設定ファイルを確認してみたら、やはりあるではないですか。
        今、居眠りゲーが静かなブーム。
        
        
        寝てばかりというわけにも参りませんので、運動をしましょう。
        
        
        
        赤い髪の人が殴りかかって、水色の髪の人がヤスヤスとかわした、というふうに見えますよね? うん、見えるよ。よっしゃあ!
        右側の半透明はイメージ的なものであって、別に残像というわけではないのですが、
        大体、伝わりますよね? うん、伝わるよ。よっしゃあ!
        ちょっと凝りすぎたかな。だって右端がスカスカになるから、何か入れたくなるのが人情ってもんじゃないですか。
        
        
        
        赤い髪の人はコミPo!の純正なのでよいとして、水色の髪の人はカスタムメイドです。
        上の画像の中の人と同一人物に見えますよね? うん、見えるよ。よっしゃあ!
        
        
        男ばかりでムサ苦しくなってきましたので、お口なおしです。

        
        
        むちゅー。
        
        
        
        ぽっ。
        
        
        
        わ、わらわの唇が……奪われてしもうたゾイ。
        こんなしゃべり方だったかどうかは忘れましたゾイ。なお、メガネがどうやって鼻に乗ってるのかは誰にもわからないんだゾイ。
        
        
        伝統に従い、男優の顔は映らない仕様です。
        ちなみに、もとの予定では3コマ目だけだったのですが、どうせ作業の過程で途中経過の画像が出てくるので、使うことにしました。
        男優の後頭部凝視ゲーにならずに済んで本当にラッキーですね。
        
        それにしても野放図にイベントCGを公開してしまってますが、いいのでしょうか?
        もったいぶるほどのものではないので深く考えないこととしたんじゃなかったでしたっけ?
        そうでした。
        
        
        
        びっくりするほど前向き。セロトニン放出の音が聴こえてくるようです。シャンシャン!
        
        さて、そんなこんなで今週もビリビリと作業をしてまいりました。
        その成果12枚。なお、上記の口付けシーンは4枚で1枚の換算です。
        4=1 だなんて中学生もびっくりの方程式ですね。間違ったことがまかり通る世の中。まさに世も末です。
        
        それにしても12枚ですか。このままでは弥勒先輩登場ルートですよ。
        早いところ私の人数を増やさねばなりません。
        と言いつつ、すでに140枚中37枚。千里の道を250里ぐらい歩いてしまっているじゃないですか。
        私の人数が増えるのが先か? はたまた千里の道を歩きってしまうのが先か? 手に汗握る展開とはまさにこのこと。ドキドキ。
        
        

        さて、どうしようかな。
        さしあたり満ち足りてはおります。死ぬにはいいタイミングかもしれません。
        が、あなた方を愛しておりますのでまだ死ぬわけにはまいりません。
        
        ちなみに先日のトリップのアフターグロウは終了しているようです。
        同じように天気がいい日があったので比較のために同じ道を通って同じ景色を見てみましたが、
        帰還直後のときのような感動はありませんでした。

        ただ、街路樹の幹の表面が面白かったです。
        なんというか、こう、グランドキャニオンの航空写真みたいで、
        今まで気にも留めませんでしたが、へ〜、木の幹の表面ってこんなんだったのか〜、と、しばらく魅入ってしまいました。
        おまわりさんに呼び止められなかったのは幸いという他ありません。小学生の下校時刻じゃなくてよかった。くわばらくわばら。
        
        
        
        久々にゲームをしました。
        久々と言っても一週間ぶりぐらいですけど。
        できればゲームはしたくないのですよ。なぜかというと、どのゲームもほぼ例外なく
        
        「戦い」
        
        だからです。
        将棋のようなものであれ、アクション系のゲームであれ、RPGであれ、
        何らかの形で
        
        「戦い」
        
        をするというものです。
        たとえ「たかがゲーム」とは言え、できればそのようなことはせずに生きたいものです。
        しかし、手軽な気分転換の手段としては非常に便利なので、結局やってしまっております。
        
        それにしても格闘ゲームの「ガラの悪さ」には辟易します。
        スト2以降、時代を下るにつれ、登場人物が相手を「見下す」「バカにする」「挑発する」という演出が過剰になる傾向がある気がします。
        最近のはどうなっているのか存じ上げませんが、どうなのでしょうね。
        ともかく仕方がないので勝利デモのところは目を逸らして早送りです。
        気分転換のためにしていることなのに、嫌な気分になるような要素に触れたくはありません。
        ていうかそもそも殴り合っちゃってるんですよね。
        人が嫌がるようなことをして、うれしがる。一体どんな変態さんなのでしょう。
        しかし、それならそもそも、やらなきゃいいって話ですよね。その通り。反論の余地がありません。
        ただ、格闘ゲームは各種のゲームの中でも特に短時間で手軽にやれる、という便利さがあってなかなか手放せません。
        他に何か精神的に害がなく手軽に実践できる方法がないかなと模索してはおりますが、今のところ見つからずにおります。
        一番いいのは自殺ですが、手軽とは言い難いのがタマにキズです。

        > たとえ「たかがゲーム」とは言え、できればそのようなことはせずに生きたいものです。
        
        この点に関しては虚構と現実の区別がうんぬんかんぬんという議論があります。
        が、問題はそれ以前です。
        たとえば、現実に人を殴るのはダメだけどバーチャルなら殴っても「いい」ではないか、という指摘は認めるとして、
        そもそも「人を殴りたい」のか? って話です。
        「人を殴る」ことにヨロコビを感じているのか? って話です。
        できれば現実に人を殴りたくて仕方がないけど、それはダメだから我慢してバーチャルで「手を打って」いる、とでもいうのか? って話です。
        
        もちろん人の感性はそれぞれですから、中には人を殴ること自体に喜びを感じる人もいらっしゃるでしょう。これ自体は善悪の問題ではなく。
        しかしそういう感性の持ち主が多数派だとは思えません。
        しかるに、これほどまでに当たり前のように「戦い」が「娯楽」になっている現状は一体何なのか?
        
        「一体そもそも何を望んでいるのか?」
        という点に関して、根本的な勘違いが横たわっているように思えてなりません。
        
        「どうせオマエは人の嫌がるようなことをして喜ぶような悪人なんだろ?」
        という悪魔の声に、いかにしてノーと言うか?
        はい。
        こういうのは「悪魔の声」なのですよ。
        さしあたり「悪魔の手の内」にいるという事実は認めざるを得ないところではあります。
        が、根本のところで軍門に下ってしまっては生きている意味がありません。
        そして今日も肉を食う。
        この矛盾をいかに生き抜くか? 生きているのは誰か? 生きているのは悪魔ではない。私だ。
        
        
        ゲームをやめてアニメを観る。
        しかし結局同じですね。
        ほぼ例外なく、何らかの形で
        
        「戦い」
        
        が描かれております。
        そういうのが「おもしろい」ということになっている。
        それでいて主人公の口からは「戦いのない平和な世界を!」とかなんとかいうセリフが出てくるわけですよ。
        まさにその戦いを「娯楽」として画面に映しておきながら。
        じゃあ、それを観て「おもしろ」がってるのは誰だ、って話です。はい、その通り。
        じゃあ、観なけりゃいいじゃん、って話です。はい。反論の余地がありません。
        
        仕方がないので目を閉じて静かに座る。
        うむ。ピースフル。これぞ涅槃というもの。
        そして外から拡声器のアナウンスが飛び込んでくる。もう我慢ならん!
        
        どうしましょうかね。
        一番いいのは自殺です。
        しかしながら、あなた方を愛しておりますので、さしあたりは地上を去るわけにはまいりません。さて。
        
        
        
        > そういうのが「おもしろい」ということになっている。
        
        「ことになっている」とは言いましたが、かと言って、あながち嘘っぱちというわけではなく、
        事実として認めざるを得ないものがあるとは思います。
        
        戦いはおもしろい。
        
        人と人の戦いに限りません。
        困難な状況との戦い。
        努力を続けて、苦境を切り開き、時には倒れ、また立ち上がり、果てなき彼方を目指して歩き続ける。
        そういう姿にドラマ性を見る。手に汗握り、感動する。
        人と人の戦いであれば、一方は勝利し、一方は敗北する。栄光と挫折。光と影。
        互いに譲れないものをかけて、意志と意志がぶつかり合う。
        そういう姿に生きることの輝きを見る。この世の哀愁を見る。
        人生の意味の充溢がそこにある。
        
        平和はつまらない。
        平和が打ち砕かれることで物語が始まり、戦いが終わることで物語も終わる。
        戦いのない平和は物語の「埒外」であり、戦いこそが物語られるべき充溢する意味なのでした。
        
        「平和と戦い」を「善と悪」と言い換えてもよいでしょう。
        平和は定義により善です。戦いは素朴に言って、それ自体、悪の側の事象と言ってよいでしょう。

        善のイメージは平坦で画一的です。
        どこまでも光に満ち溢れ、穏やかで、安定していて、不変的。

        一方の悪の世界は波乱万丈です。
        闇に閉ざされ全貌は把握できず、疑いと欲望が錯綜し、不安定で、変化に富む。
        権謀術数が渦巻き、争いが絶えず、一瞬の油断が潮目を変える。
        情念に焦がされた愛欲と憎しみが人間ドラマを燃え上がらせる。
        勝つか負けるか生きるか死ぬか。
        まさにスリルとサスペンス。ドキドキがノンストップ。
        
        「平和/戦い」「善/悪」は「あの世/この世」と言い換えることもできそうです。
        光に満ちた善の平坦なイメージは涅槃そのものです。
        穏やかで欠けたところのない満ち足りた世界。
        そしてそんな世界には語るべきものは何もない。まさに無の世界。
        一方の悪の世界は物語るべきものに事欠くことはありません。これが有の世界。すなわちこの世。
        
        この世とは「語られる "有"」の織り成す、戦いと悪の世界なのでした。
        この世がそのような場所であるというより、生きるとはそのようなことであると言うべきなのかもしれません。
        すなわち、その逆が「無」であり「涅槃」であり「死」であるということです。
        無限の安らぎ。まさにピースフル。
        
        すると、生きている人がこの世的な「楽しさ」を追求するとき、
        そこに本質的な次元で分かちがたく悪の性質が組み込まれている、というのは、
        ほぼ同義語と言うべきレベルで避けがたいことなのかもしれません。
        死は善。生は悪。
        
        しかし、そうおっしゃられましてもねぇ。
        弊社ではこれ以上のご対応はいたしかねます。誰だよ弊社って。
        
        
        と、こういうふうに考えてみると、なんだかドウショウモなさそうな話ですが、
        いや別にそんなことないんじゃないの? と、素朴なレベルでは、思わないでもありません。
        平和がつまらなくて争いを好むという傾向は一方であるのだとしても、
        穏やかで平和で仲良しでラブアンドピースで、ウフフ、アハハ、ということだって充分あるのではないですか?
        私がいて、あなたがいて、あの人がいて、その人がいて、みんな大好き。ウフフのフ。
        そういうのが退屈なことだというのではなく、
        むしろ、そういう中にこそ、充溢した意味があるというような、そういう空間だってあるのではないですか?
        あるでしょう。ありえるでしょう。
        ただ、現代の人類の精神構造では難しいような気はします。
        
        ところで、こうして言葉にしてみると、なんだかいかにも
        
        「押し付けがましい」
        
        感じがしないでもありません。
        
        たとえば。
        私の手元にスイッチがあって、それを押すと全人類の精神構造がピキーンと切り替わって、
        たちどころに地球全土がラブアンドピースに包まれるよウフフのフ、というのだとしたら、
        私はそのスイッチを押すでしょうか?
        
        これって何か、例のアレですよね。
        人類の行く末を憂いたマッドサイエンティストが秘密結社を組織して、
        地球規模で人類を改造する極秘の計画を進めていて、見たまえ! 素晴らしいとは思わんかね? アーハハハー! とかなんとか。
        つまり悪役ってことです。
        
        この場合、主人公は多分、素朴な熱血漢で、
        最初は相手側のことを単なる悪の組織だと思って正義のためだと信じて戦うのだけれど、
        敵の姿が明らかになるにつれ、実は誰よりも平和を愛する人物だということがわかって戦う意味を見失って、
        そこへさらに親友だと思っていたキャラが実は件のマッドサイエンティストの腹心の部下で、
        キミならわかるはずだよ、さぁ、僕たちと一緒に新たな世界を創造しよう! とかなんとか誘われて、
        なんやかんやで結局バトルになって、
        なぜ醜い人類の味方などをするんだ! 確かにそうかもしれない。だが俺はそんなみんなを守りたいんだ!
        とかなんとか噛み合わない会話を巨大ロボット的な何かを操縦しながら叫び合っているところへ、
        件のマッドサイエンティストの最終兵器が発動し、親友が巻き添えをくいそうになるところを主人公が身を挺して守って、
        お互いに傷を負いながらも、からくも生き延びて、
        キミの言う守りたいものの意味がわかった気がするよ、とかなんとか、非論理的な会話で仲直りして、
        二人で最終兵器を止めようということで意見が一致して、最終兵器と肉体を一体化させたマッドサイエンティストとのラストバトルに突入。
        このへんで大体23話目ぐらいか。残り3話。さぁ、うまくまとまるんでしょうか? 手に汗握る展開とはまさにこのこと。
        24話は崩壊した世界の中で故郷の街の避難所で怪我人の手当てなんかをしているガールフレンドと再会して、最後の戦いへの決意を新たにして、
        25話で元マッドサイエンティストの最終兵器と死闘を演じて、勝ち目がなさそう、ってところで最終話へ。
        最終話なのでオープニングの歌は省略されてて、勝ち目がなさそうって場面を絶望的っぽいBGMとともに淡々と映しつつスタッフのテロップ。
        その後、満身創痍の主人公が壊れかけの機体の中で諦めかけたところで、24話でガールフレンドからもらったお守りが懐からこぼれ落ちて、
        ここで俺が負けてしまったらみんなが……、というところで故郷の街の避難所に画面が切り替わって
        ガールフレンドおよび故郷のみなさんが避難所での作業を懸命に続けつつ主人公の安否を祈っていて、
        なんか祈りが通じた的ないい具合の画面転換で主人公側の戦場にシーンが移動して、
        最後の気力を振り絞って立ち上がって、うまい具合に最終兵器の弱点を見つけて一発逆転。
        これでマッドサイエンティストの野望は阻止できたぜ!
        というわけで崩れ落ちる秘密基地から脱出。その過程で瓦礫が降ってきて、さぁ大変、というところで例の親友が犠牲になって、
        新しい世界をキミの手で作るんだ、罪を重ねた僕にはその世界で生きる資格はない。キミは生き延びるんだ! とかなんとか。
        この時点でもう26話の後半の残りあと5分ぐらいになってるので別れを惜しんでいる暇はありません。
        空中で大爆発する秘密基地の遠景シーンになって、爆煙の中から小さな点のような脱出ポッドが出てきて、
        故郷の仲間に笑顔で出迎えられて、めでたしめでたし。どうにか枠内に収まって本当によかった。
        さて、次は何を観よっかな〜。
        
        はい。
        
        何の話をしていたか忘れましたが、大体こんな感じかなって気がします。
        戦いが終わったら話も終わってしまう。
        本当は戦いが終わった後こそが重要なはずで、そこからが本番とさえ言えると思うのですが、
        ラスボスとの戦いが最終話までもつれ込んでいる時点で、その部分が描かれているとは期待できません。
        序盤の数話を観て、壮大な設定が出てきて、これ一体どんなオチをつけるのかな? と思って最後まで観てみると、大体このパターンです。
        いつだって肩透かし。
        
        でも、このぐらいでいいんじゃないですか?
        変に思想を語られても鬱陶しいじゃないですか。娯楽なんだからこのぐらいでちょうどいい。
        確かにその通り。尻尾の先までスリルとサスペンスが詰まってました、ってなもんです。たい焼きか。
        はい。すっかり忘れてましたが、アニメは娯楽なのでした。
        
        娯楽だから戦闘に終始する。
        なぜかと言えば、生は悪で死は善だからです。
        
        なんだかやっぱりドウショウモナイ。
        一体なぜこの世はこのようなのでしょう? もちろんダジャレです。
        一体なぜ我々人間は存在するのでしょう? できればダジャレにしたかったのですが思いつきませんでした。
        
        これは多分、ほんの少し悲しいことです。
        なぜかと言えば、あなた方を愛しているからです。
        だからせめて、今日もいつものやつを。
        
        今日もあなたが幸せでありますように。
        
        
        
        

◆ 2018/11/24
    したこと:
        マインドルのCG作成
        
        学園モノと言えば居眠り。
        
        
        
        
        起きた。
        
        
        
        
        結構ガンバりました。主に机を並べる作業など。
        コミPo!に入ってる机素材を1個だけ出力して、あとはGIMP上で並べれば楽勝!
        と軽く考えていたのですが、コミPo!内では3D的にパースがかかっているので、
        単純に並べるだけではつじつまが合ってくれないのでした。さぁ大変!
        かと言ってコミPo!空間内で思い通りの位置と向きにオブジェクトを並べるのも実は結構ムズカシイ。さぁ大変!
        
        
        
        結局どうしたんだったかな?
        よく覚えてませんが、なんかゴニョゴニョしてるうちにビタッと並んでくれてました。
        いわゆる、我ゴニョゴニョする、ゆえに机ビタッと並ぶ、というやつです。昔の人はうまいこと言いますね。
        きっと偽札だってこの調子でゴニョゴニョすれば完成するに違いありません。がんばるぞ〜。
        
        
        それにしても、ライティングのエフェクトを入れると、まるで絵が上手な人が描いたみたいに見えますね。素晴らしい。
        きっと偽札にもライティングを入れると完成度がアップするに違いありません。がんばるぞ〜。
        
        ちなみに、ライティングを入れる前の状態。
        ↓
        
        
        ほぅら、こんなに雑……と言う段取りだったのですが、こうして見ると、そう悪くもないですね。なーんだ。ああよかった。
        悪くないですよね? はーい、悪くないでーす。
        ああよかった。
        じゃあライティングを入れてない手元の偽札もすでに完成しているってことですね。なーんだ。ああよかった。
        
        ちなみに、コミPo!上では、顔を上げてカメラ目線にするポーズがうまく作れなかったので、
        首は削除して、通常アングルで出力した頭部をGIMP上で2D的に斜めにしてくっつけております。
        
        
        うむ。完璧。
        よく見ると不自然ですが、つまり、よく見なければ自然ということ。ゆえに問題ナシです。自然を大切に。
        
        あと、見ての通り、この人の髪型もデフォルトではないので、毎回オーダーメイドです。
        立ち絵的には↓この人なのですが、
        同一人物ってことでわかりますよね? わかりましょう。
        
        
        
        そんなこんなで今週は上記のSSの分も含めて12枚片付きました。
        今週は例のODトリップに行っておりまして、作業ができない日がありました。
        妄想の中ではガンガン作業がハカドってましたが、現実はキビシイ。
        しかし、枚数的には意外とペースが落ちてません。私は本当にエライですね。
        このペースなら56億7千万年以内には完了できる計算ですよ。人類の未来は明るい。
        
        
        さて。
        トリップの翌日のリハビリを経て、その翌日。外出先で見た景色の美しいことと言ったら。
        幻覚剤を使った直後は、景色が美しく見えると言います。
        たまたま天気が良かったこともあり、そんな気がするだけかとも思いましたが、それだけではない何かがあった気がします。
        空や雲や木々や鳥を眺めていると、胸にグッと迫ってくるような、感動すら覚える何かがありました。思わず魅入ってしまう。
        もちろん私は常識人なので人通りの少ない街外れでの観賞ですよ。
        ちょっと足を止めて眺めるだけのつもりが、思わず長時間立ち止まってしまいました。
        おまわりさんに見つからなくてよかった。そう。この国では急ぎ足で通り過ぎなければ怪しまれてしまうのです。なんと悲しいことでしょう。
        
        あっちの世界の景色もなかなかのものではありましたが、鳥は飛んでなかったなぁ。
        景色自体は目まぐるしく変転してましたが、一つの景色の中で、雲がゆっくり動くだとか、そういう芸の細かさはありませんでした。
        そうなんですよね。
        風にゆれる木の葉の一枚一枚。ゆっくりと動く雲を背景に、鳥が弧を描いて旋回している。
        一体誰がこんなにも細やかな世界を作っているのでしょう?
        世界はこんなにも緻密で、こんなにも美しい。
        こんなに美しいということは、むしろこっちの世界が現実なのかもしれません。
        ん? そりゃそうか。
        私今、何て言いました?
        もう社会復帰は無理かもしれません。
        
        それにしても、世界はこんなにも美しいのに、なぜこの世はこのようなのか? もちろんダジャレです。
        この世の不幸は人間が作っているものばかりです。
        戦争にせよ、差別にせよ、債務貨幣制度にせよ、騒音にせよ、寒いダジャレにせよ、
        すべて人為的な要因です。人間の行為で、人間が不幸になっている。
        一体何をしているというのでしょう。
        
        一方、人為的な要因を排除しようという風潮もあります。
        自動販売機は薄ら寒い自動音声で挨拶し、検索エンジンはお節介なサジェストを出し、AIが世間を席巻する。
        「自分で判断する」ということを極力避けようとしているかのようです。
        そういえば、なぜ戦争や寒いダジャレがなくならないのかと言えば「仕方ない」から、なのでした。
        自分もその一員であるところの自分たちがしていることのはずなのに、
        自分以外の何かが決めていることであり、自分は関係ないというわけです。
        なるほど。
        前を向いて歩くより、スマホを見ながら歩く方が安全なのでした。
        近い将来、スマホを見ずに自分の目で前を見て歩いていると、自分で判断して事故が起きたらどうするんだ! マナー違反だ!
        などということになってしまうに違いありません。
        
        なお、今回景色を見ていて美しいとは思いましたが、
        建物などの人工物に対しては特に何の感動もありませんでした。空や雲などの自然物が美しい。
        そして拡声器から放出される人工の音声が美しさを台無しにするのでした。
        
        人間がいない世界が美しい。人がいるところには人の不幸がある。
        だけど、そんなのはおかしなことです。
        人間がすることで人間が不幸になるだなんて、おかしなことです。
        人間がすることなら、それで人間が幸せになるのでなければ、おかしい。
        
        「仕方ない」などと言うなら、つまり生まれてきてはいけなかったということです。
        なぜかと言えば自分の意志を放棄しているからです。
        そこにいるのが自分ではなく、同じ顔と同じ名前とAIを備えたロボットでもいい、むしろその方がいい、と言っているわけです。
        しかし「仕方ない」というのと同じ口で少子化を嘆いてみせたりもする。
        赤ん坊を見れば「かわいい」と言う。本当によく出来たAIです。
        
        先日、私の住んでいる市で市長選挙がありました。
        その投票率、約25%。
        住民全員に関係のあることが、一部の物好きのイベントになってしまってます。
        こんなの、もう、選挙自体が無効なんじゃないんですか? しかしもちろんそうはなりません。
        減税を訴える候補が落選し、マラソン大会を推進する現職が続投となりました。
        
        なぜこんなにも「ドウショウモナイ」のか。
        
        
        
        トリップから帰ってきて食事をしていたときのこと。
        自分の手が、自分の手じゃないような感覚に陥る瞬間がありました。
        知らない人の手が私の口に食べ物を次から次へと押し込もうとしている……。
        
        レポートの方には書きそびれてましたが、トリップ中にも似たようなことがあったのでした。
        布団に寝そべって、両手を組んでおなかの上に置く。
        すると、知らない人と手をつないでいるかのような感じがするときがありました。
        
        そういえば今回は、いわゆる自我の崩壊と思しき体験があったのでした。
        自分の体が、まさに自分の体であり、自分の意志で動かしている、という認識も、
        いわゆる自我の機能の一部なのかもしれません。
        
        だとすると、それは「自分の身体」に限ったことではないのではないか?
        「この世界」に「私」がいて「関わっている」という認識。
        つまり、それが「現実感」ということであるはず。
        
        ただ実体のない幻覚を眺めているというのではなく、
        私が、ここに、いて、関わりを持って、いる。
        そのような場所こそが「現実」であり、
        そのような者として存在しているものこそが「私」であると言えるのではないかと思います。
        
        
        トリップ後の外出で、普段以上に美しく見える景色を楽しんでいたときのこと。
        空の青と雲の白が織りなす遠景の中、遠くに黒い煙が立ち昇っているのが見えました。
        おそらくお風呂屋さんのようです。
        煙突から立ち昇る黒い煙が、白い雲に向かって、ゆっくりと空に溶けていく。
        その様子も含めて、あー、キレイだなー、と呑気に思っておりました。
        
        が。
        
        仮にその煙突が私の住んでいる建物のすぐそばにあって、窓を開けるたびに黒煙が入り込んできてしまう、
        というような環境だったとしたら、それでもキレイだな〜などと言っていられるでしょうか?
        
        つまり、なぜキレイだな〜などと思えてしまうかと言えば、
        私にとって関係ないから、ということです。
        
        同じことは空や雲やその他の自然物についても言えます。
        私が無関係なんです。
        はるか天空を優雅に旋回する鳥を見て、キレイだな〜、とは言えますが、
        近所の電線をねぐらにして、付近の道路にフンを落としまくられていたら、おのれ鳥どもめ! ってなもんです。
        遠くから見る景色は美しくても、自分の体で歩く街はゴミゴミしているばかりです。
        
        宇宙から地球を眺めたら、さぞかし美しいに違いありません。
        なぜかと言えば、自分がいない地球を外から眺めているからです。
        
        他ならぬこの私が、他ならぬこの地上に、他ならぬこの身を置いて、関係している。
        まさに他人事ではない。
        のっぴきならないこの瞬間。
        観光客ではなく地元民。
        ここが私の生きる場所。あなたとともに生きる場所。
        他人事のように呑気に観賞している暇はないのです。
        
        が。
        
        だからこそ、やっぱり、私は、この場所が美しい場所であって欲しいと思います。
        あなたや、あの人や、その人が、幸せに暮らせる場所であって欲しいと思います。
        
        そして、ここが、他ならぬこの私が、他ならぬこの身を置いて、関係している場所なんです。
        
        私などにできることがあるかどうかはわかりませんが、そういうテクニカルな問題はさておき、
        根本の願いがそれである限り、それに沿うようにしていきたいし、それに反することのないようにしたいと思います。思うのです。
        テクニカルな問題はさておき、そのように思う。思っている。思わないわけがない。他にありえない。
        なぜ他にありえないかと言えば、宇宙から見た地球は美しいからです。
        テクニカルな問題はさておき、そのように思う、ということを無視するならば、生きている意味がありません。
        なぜ生きている意味がないかと言えば、私がいる、という事実の否定だからです。
        
        しかし、この場所が、そのような否定をしなければ生きられない場所なのだとしたら?
        それはとても悲しいことです。
        
        今日も、どうにもなりませんか?
        どうしても、どうにもなりませんか?
        
        テクニカルな問題はあるでしょう。
        それはさておき、どうなって欲しいですか? どうあって欲しいですか?
        
        あなたの願いを聞かせて欲しい。
        
        
        
        
        
        
        


◆ 2018/11/20
    したこと:
        24カプセルでのトリップレポート
        
        前回は18Cだったので、次は24Cをやらねばなるまいと思ってました。
        ヤるなら寒さが本格化する前に。というわけでヤって参りました。
        ちなみに何を、というのは前回同様、マネしていいのは良い子だけですので明記はしないこととします。
        つまり以下、私の妄想を申しちゃうぞってことです。よろしく〜。
        
        さて、結論から言うと、トベるにはトベたので満足はしてますが、前回ほど印象的なシーンやエピソードはなかった感じです。
        ただ、何かが少し違う感じはします。
        量は前回よりも多いわけですよ。
        まさかもう耐性がついて効果が出にくくなってしまったのか? どうなのでしょう?
        二回目だから新鮮味がなかったのか? そんなことはないと思うのですが。
        それとも効果が強かったから記憶に残りにくかったのか? それは多少ある気はします。
        記憶というか時間の感覚がおかしい。
        何年もトリップしっぱなしだったような気がします。と同時に、一瞬だったような気もします。
        ちなみに今は西暦何年ですか? え? 西暦って何かって? ギャフン。

        前回との比較のため、分量以外の条件は極力前回と同じにしております。
        前回同様、数日前からカフェインを控えておいて、前日は食事少なめにし、
        当日は朝イチで空腹の状態で24Cをカプセルごと誤飲。
        24Cと言えば、つまり一箱イッキ。この私もついにここまで。思えばレベルアップしたものです。しみじみ。
        ちなみにアルミシートからカプセルを一個ずつ出すのが面倒なので両手で2個ずつ出すという技を習得しました。これで私もOD名人。
        
        その後、引き続き前回同様、アニメを観賞するなどしてダラダラ過ごした後、うんこしてゲロ吐きました。
        前回との違いは観たアニメの本数。
        前回は一本観る間に効果が出始めたのですが、今回は余裕で2本観れてしまいました。
        ひょっとして耐性がついて効かなくなってしまったのではないか? と心配しつつ、適当にネットでハム将棋などをしてダラダラすごす。
        信じられないミスを連発する。やはり効いているのか、それとも下手なだけなのか? ハム大喜びですよ。カンカンカーン。
        その後、うんことゲロは予定通り出せたので、少なくとも効いてないことはないはず、と自分に言い聞かせて、効果が出るのをさらに待機。
        この時点でかれこれ2時間以上は経過していたと思います。
        
        ちなみにゲロを吐く際、前回の教訓を活かして、事前に作っておいたきな粉ジュースを直前に飲んでから吐きました。
        よーし吐くぞ、というタイミングで、ぐいっと飲んで、盛大に吐く。
        何故きな粉ジュースかと言うと、液体のように素早く飲み込めて、それでいて固形っぽさもある、という理由です。
        この対策は大成功でした。吐いた後、歯がザラザラにならない! 素晴らしい。
        しかし相変わらずゲロの匂いが薬臭い。結局、飲んだ薬の一部は吐いてしまっているように思われます。
        結局トベたからいいようなものではありますが、24C飲んだつもりで実際にはどうなっているのか、というモヤモヤ感は拭えません。今後の課題です。
        
        出すものを出すと、異様に爽快感がみなぎってきました。
        足元もなんだかフワフワするし、このままどこまでも飛んでいけそうです。
        しかし私は常識人なので物理的な外出はせず、おとなしくアイマスクを装着してお布団に潜り込むのです。
        ちなみにアイマスクも前回の教訓を活かして100均で買っておいたもの。
        準備は万端。さぁ、いつでも来い!
        
        しかし来ない。
        真っ暗な視界の中で、ときおりチラチラと光が明滅しますが、この程度はシラフのときでもあります。
        やっぱり耐性ついちゃったのかなぁ? もうあの世界にはイケないのかなぁ? ゲロまで吐いたのに残念だなぁ。
        などと、どことなく見覚えのある大通りを斜め上から見下ろしながら考えておりました。車が行き交っている。
        ん? こんなものが見えるってことは薬効は出てるのかな? しかしこの程度でこの私を満足させることは……。
        などと思っているうちに、いつの間にかぶっ飛んでました。
        
        次々と目まぐるしく景色が移り変わる。
        車の行き交う道路、住宅街、公園、細い路地を抜けてトンネルに入り、出口に見える光に向かって突っ走る。
        広大な海、空、そして宇宙。
        そうこうするうちに不意に変転が止まる。
        次はどこへ行きたい? 何が見たい?
        そうか、私が私の意志で決めるのか。
        
        では何もない宇宙に星を作ろう。
        誰もが幸せに暮らせる星を作ろう。
        誰もが幸せでありますように。
        私の嫌いな人が幸せでありますように。
        私を嫌っている人が幸せでありますように。
        私の好きな人が幸せでありますように。
        あなたが幸せでありますように。
        お役に立てることはありませんか?
        Let me help you. Let me help you. Let me help youぅぅぅぅぅぅぅ〜〜!!!!
        
        などと叫びながら大盛況のうちにクライマックスを迎えました。
        近所迷惑ですね。これだからキチガイは困る。本当にごめんなさい。
        いや、妄想の中では腹の底から宇宙全土に向けて高らかに叫んでいるつもりでしたが、
        実際には毛布をかぶってモゴモゴとかすれた声しか出てなかった、と思います。だといいな。ああ恥ずかしい。
        もう一度お詫び申し上げます。ごめんなさい。
        声を出すのは自粛するよう気を付けます。騒音問題活動家の私がこんなことではいけません。大反省です。
        
        さて、これで一段落かな、と思いきや、
        相変わらず周囲には見覚えのあるようなないような街の景色が広がっている。
        そういえば今日は24C飲んだんでしたっけ。前回よりも多いんですよね。
        そう。本番はこれからだよ! 準備はいい? いっくわよ〜!
        というような会話のような何かを何らかの存在と交わしつつ、後編に突入です。
        
        ここからが長かった。
        まだ終わらないの? そっか、今日は24Cなんだよなぁ。
        という感じで延々と天地を駆け巡っておりました。
        しかし特に書き出せるような印象に残るようなシーンやエピソードはなかったように思います。
        
        総じて言えば、前編は比較的「にぎやか」だった気がします。
        それに対し、後編は「静か」だったような気がします。
        と言いつつ、この「にぎやか」「静か」というのが何を指しているのかはよくわかりません。
        前編は会話のようなものも少々あった気がします。その点、後編は静かでした。
        うまく言い表せませんが、前編では会話と言いますか、雑念の濁流が大きかった、
        後編はその点、落ち着いていた、という感じでしょうか。でしょうか、って誰に同意を求めてるんでしょうね。
        
        前回との違い。
        前回は全体的に明るい世界ばかりでしたが、今回はどこへ行っても夜ばかりでした。
        空は大抵真っ暗。空というより何か虚無っぽい。
        または日没直後のような感じ。綺麗な青空ではなく、一面曇っていて、裏側から光が差しているような空。
        摂取量を増やしたのだから、より明るく見えてくれることを期待したのですけどね。光量だけでなく、見え方もあまりクリアじゃなかった。
        やはり耐性がついてしまったのか? それともあっちの世界にも昼と夜があるんでしょうか? でしょうかと言われても。
        
        それから前回は川や森や山といった自然の風景が中心でしたが、今回は街の中が中心でした。
        高い場所に出て、見渡す限りの大空! のはずなのに電線が視界を斜めに走っていたりする。なんだこの無駄なリアルさは。
        人も出てきた。前回はどこへいってもほぼ無人でしたが、今回は道路に車が行き交っていたり、人が歩いていたりしていました。
        それでいて会話らしいものはほとんどないのですけどね。
        そして人の顔がことごとく見えない、というのも気になった点です。
        みなさん大抵、私から見て後ろ姿か、または頭部が視界の外でした。
        一度、顔を見てやろうと思って、後ろから追いかけて回り込もうとしたのですが、どうしても無理でした。
        もう少しで見えそう! というところで、それ以上進めない。
        そうか、そういう仕様なんだな、などと謎の納得をした次第です。
        
        身体的なことで言うと、全身の皮膚の表面が厚ぼったく痺れたような感じになっておりました。
        そういえばこれって麻酔薬の親戚なんですよね。ケタミンとか。今ならメスで切り刻まれても笑っていられるのかな?
        それから、トリップ中の身体感覚が前回以上に希薄でした。
        完全に失っていたわけではなく、動こうと思えば動けるし、
        自分が本当は自分の部屋で寝ているだけという自覚はあるのですが、
        そういう認識が前回以上に後景に退いていた感じです。トリップへの没入感が違う。
        あるいは前回は自分が「寝ている」という体の方向感覚が消えることはありませんでしたが、
        今回は見えている景色によっては「立っている」かのような感覚になることもありました。
        こういう点は、摂取量を増やしたことによる強度の増大なのかな、と思うところです。
        
        それからトリップの序盤で、日常や現実のあれこれが雑念のように思い出されると同時に、
        そうした「あれこれ」がまるでアニメか何かの設定を並べるみたいに空中に分解していくのが「見え」ました。
        うまく言い表せないのですが、あたりまえのように、すべてがフィクションになって流れ去っていた、と言うか何というか。
        いわゆる自我の崩壊というやつの一端なのかもしれません。
        
        時間の感覚もおかしい。
        自分がいつからトリップしているのかも思い出せない状態でした。
        個々の出来事の記憶はあるけれど、この日トリップすることにした数日間の経緯が時系列に沿って並んでくれないというか。

        さらに自分が今何をしているのかの自覚を失くしかけていたように思われます。
        変転を続ける景色を見ながら、えーっと、「何で」「私」は「こんなこと」になってるんだ? ああそっか「今」トリップ中なのでした。とかなんとか。
        それから、イヤホンでBGMを聴きながらやっていたのですが、ずいぶん色んな場所へ行ったな〜、と思いつつ、さっきと同じ曲がまだ終わってなかったり。

        たまにアイマスクを外して外の世界や身体感覚を確認したりしていたのですが、
        再びアイマスクを装着してトリップを再開すると、その前後関係がわからなくなる。
        あれ? さっきアイマスク外したのっていつだっけ? 去年か? みたいな。それは少々大げさですが、とにかく短期記憶がおかしい。
        自我とは何か、というのは、それ自体、今ひとつ概念として不明なところはありますが、
        いわゆる自我的なものと、短期記憶および時間の感覚は関連しているのだろうなと思う出来事でした。
        
        他に何かなかったかな。
        そういえば自分の手は見えませんでした。前回はアイマスクをした状態で自分の手が見えて感動してたのですが、
        今回は、それはありませんでした。かすかな輪郭のようなものは見えなくもない。しかし前回ほど明確ではありませんでした。
        何でしょうね。
        前回よりも効果が強まってるように思える側面もある一方、前回よりも効いてない感じのする点もある。
        あるいは身体感覚の喪失に伴い、自分の手についての認識もなくなった、ということでしょうか。わかりませんけど。
        
        あと忘れられない出来事と言えば、毛布をかぶった状態であくびをしたら、自分の息が死ぬほど薬臭かった、ということです。
        今でも舌の付け根のあたりに味が残ってるような気がしますよ。カプセルごと飲んだのにな。おそるべし。
        
        反省点が一つ。
        トリップ中の食料のつもりでお菓子を買っておきました。
        で、トリップ中は刃物を使うわけにいかないから、と事前に開封までしておいたのに、それを台所に設置していた。
        はい。トリップ中に布団から起き上がって台所まで行くのは不可能に近い大冒険なのでした。
        おなか空いたなぁ、用意しておいたお菓子食べに行こうかな、とアイマスクを外して起き上がろうとするのですが、
        立ち上がれず四つん這いになって、台所の方へ視線を向けるも、焦点が定まらずボヤボヤのグラグラ。
        ああ無理だ……、と何度諦めたことでしょう。結局移動に成功したのは翌日の明け方近くになってからです。
        食料を用意しておくなら枕元に置いておかないとイケませんね。
        しかし私は寝起きする空間に食べ物を置くのがあまり好きではないので、もうトリップ中は断食ということで覚悟を決めようと思います。
        
        
        それにしても前回同様、効果が切れた後の爽快感がなかなかのものですね。
        音楽がキレイに聴こえる。肩コリが治っている。
        異様に体が軽い。フラフラと紙一重のフワフワ。足を前に出すと次々と前進してしまう。
        思わずスキップしてしまいようですよ。もちろん常識人なのでしませんけど。というか室内です。トリップ翌日はリハビリにつき謹慎です。
        
        トリップ自体はさておき、こんなにスッキリできるのなら、月に一回程度は継続的にやってもいいかな、という気がしております。
        ただ、時間がかかるのがネックですね。
        当日はもちろん、翌日もリハビリ用に確保しておきたいところ。
        今これを書いているのは翌日の夕方ですが、まだキーボードが打ちにくい。
        しかもさっき立ち上がって足元を見たら、自分が巨人になったような感じがするではありませんか。
        さぁ、社会復帰できるのでしょうか? ドキドキ。
        
        さらに、さきほどシャワーを浴びていたときのこと。
        シャンプーをして、ぼーっとお湯で流して、さて次はシャンプーでもしようかな……って今したところだ! 短期記憶が!
        ってなことがありました。
        しかもお湯を浴びていて目を閉じているのに、お風呂場の様子がうっすらと見えるではありませんか。
        さぁ、社会復帰できるのでしょうか? ドキドキ。
        
        ではまた。
        今日もあなたが幸せでありますように〜。
        
        
        
        

◆ 2018/11/17
    したこと:
        マインドルのCG作成
        
        学園モノと言えばたんこぶチェックで至近距離。
        
        
        
        結構がんばりました。主にメガネのレンズなど。
        立ち絵の場合はフレームだけでごまかしていたのですが、ドアップでは逃げ場がございません。
        メガネっ子と見せかけて、近くで見ると実は枠だけっ子だったなんて、せっかくのドキドキシーンが台無しです。
        俺、先輩のこと信じてたのに……。ごめんなさい、いつか話そうと思ってたんだけど……。もういいです! ま、待って……! とかなんとか。
        というわけで自慢のGIMPスキルで半透明のレイヤーをハメ込んだぜ。メガネっ子の看板に偽りは許されません。
        しかし今気づいたのですが、度が入っているようには見えませんね。
        さて、どうしましょう。このぐらいで勘弁してもらうことにしましょう。そうしましょう。
                
        ところでイベントCGをこういう形で先に見せてしまうというのはいかがなものか?
        と一瞬だけ思ったのですが、もったいぶるほどのものではないので、あまり深く考えないこととします。
        
        ちなみにコミPo!でうつむきアングルにすると、なぜかアゴが伸びて違う人みたいになるので、
        これも自慢のGIMPでケズっております。
        
        
        それと見ての通り、髪型がデフォルトではないので、こちらもGIMPでガンバっております。
        立ち絵のときは一度用意してしまえば後は使い回せたのですけど、
        CGの場合は毎回オーダーメイドするしかなさそうです。
        とは言え、デザインは確定しているので、迷いはありません。
        
        立ち絵よりもアップになるケースが多くて、その分、ごまかしが効かず、
        うまくできるかどうか不安でしたが、うまくできたので大満足です。うまくできてますよね? はーい、できてまーす。
        よーし、同意を得たぜ。いつもご声援ありがとうございます。
        
        さて、そんなふうにいつも通り耳元の生々しい声と戯れつつ、やみくもにCG作業に突入しております。
        省略できそうなものは省略していこうとは思いますが、
        事前に一つずつ精査して選り分けていたら命がいくつあっても足りないので、
        「ヤリたいと思うもの」「ヤレそうだと思うのもの」から手当たり次第に片付けていこうと思います。
        その上で、後に残った「ヤリにくそうなもの」について、省略を検討することとします。完璧なプランですね。
        
        というわけで上記のSSも含めて、なんだかんだと13枚片付きました。
        さらに、立ち絵作業の過程でついでに少々ヤっていた分も実はあるので、現時点で合計17枚。素晴らしい。
        しかも全部で約200枚だと思ってましたが、正確に数えてみたら140枚でした。素晴らしい。たまには正確に数えてみるものですね。
        
        とは言うものの、このペースだと結局56億7千万年かかってしまう計算ですね。
        何か効率をアップさせる方法を模索したいところ。たとえば私の人数を増やすとか。
        あっ、でもパソコンが一台しかないから結局同じなんじゃないですか?
        いえいえ、寝ながら交代してヤレるのでノンストップですよ。おお、確かに。これは名案!
        では私の人数を増やす方向でガンバッていこうと思います。未来は明るいですよ。
        
        
        それはそれとして、今日もこの世はドウショウモナイですね。
        
        ここでこのように「ドウショウモナイ」と言っているのはどういう意味かと言うと、
        「本当はどうしょうもなくなんかないはずなのに」という地平からの発言ということになろうかと思います。
        
        本当にどうしょうもないというのは、たとえば純粋な自然現象や物理法則のようなもののことです。
        たとえば人は死ぬ。はい、どうしょうもないですね。
        だから、そんなことはどうでもいいんですよ。いや、どうでもはよくないですけど、
        しかし特段大騒ぎするようなことではありません。誰が悪いわけでも何が悪いわけでもありません。
        
        そんなことより、問題なのはもっと人為的なものです。
        たとえば戦争だとか差別だとか虐待だとか騒音だとか受動喫煙だとか寒いダジャレだとか。
        それは人間が作り出している不幸です。人間が作り出しているのだから人間がなくすこともできる……はず。
        はずです。が、そうは問屋が卸さない。そうはイカのドラゴンボール。
        
        こんな状況を望んでいる人間がいるはずがない……と思う。その「はず」、と思う。
        しかし状況は変化しない。
        不思議で仕方がない。
        裏で何者かが陰謀を企てて人々を操っているのではないか、とさえ思ってしまうほどです。
        仮にそういう何者かがいるのだとしても、大多数の人が望まないはずの状況がなぜ変化しないのか? 一体なぜ?
        人間がやっていることなのだから、人間の意志でやめることができるはず。
        しかし、そうはイカのドラゴンボール。
        つまり「何かが」「ドウショウモナイ」。
        何か圧倒的で度し難いドウショウモナさがそこにある、ということです。
        
        これは理性の及ばない領域です。
        理性で判断するならば、戦争であれ寒いダジャレであれ、決してあってはならないものであることがわかるはずです。
        しかし、そうはなっていない、という事実がある。
        つまり、理性ではない「何か」がそこにあるということです。理性では把握できない「何か」がそこにあるということです。
        
        理性の判断によればありえないはずのことが、しかし事実として世間を席巻しているのです。
        理性で理解することも制御することもできない。
        まさにドウショウモナイ。
        
        では仮に、理性以外の何かに実効的な力があり、それにより理性が目指すのとは別の形で何らかの改善が可能なのだとすれば?
        しかしそれは理性が納得できるものなのでしょうか? 私たちが理性を持っているということの意味は何だったというのか?
        
        今の現状が「このようであること」が理性の理解を超えており、
        一体全体何がどうしてそうなっちゃってるのかが理解できないのと同じように、
        もしかすると、ある日、何か、これまた理解不能な形で、「このようであること」の様相が、
        劇的に、あるいはいつの間にか、「改善」される、というようなことが、ないとも言い切れません。
        だとしたら、しかし、じゃあ、理性とは一体何だったのか??? 人間の意志とは何だったのか???
        そんな結果に、私は果たして納得できるでしょうか?
        「おちょくってんのか!!」と言いたくなってしまうような気がします。
        
        しかし、さしあたりは、そのような意外な改善の予兆さえ見当たりません。
        本当にどうしょうもない。
        
        どうしようかな。
        だからどうしょうもないんですってば。ああそうか。困ったな。困ったな。困ったなぁ。
        
        とりあえず、窓の外が明るくなる前に寝たいと思います。
        今日もあなたが幸せでありますように〜。
        
        
        
        
        
        

◆ 2018/11/10
    したこと:
        マインドルの立ち絵作成
        
        学園モノと言えば腕組み。
        
        
        
        腕組みしてるように見えますよね? はーい見えまーす。うむ。
        仲良さそうでドキドキですよね? はーいドキドキでーす。うむ。
        正確に言うと腕組みというか、一方が一方の腕に絡んでいる。そんなふうに見えますよね? はーい見えまーす。うむ。
        コミPo!単独ではこのように2キャラ以上が接触している絵をつじつまが合うように見せるのは少々難しいのですが、
        私は今やGIMPの世界チャンピオンですので、ちょちょいのちょいのお茶の子さいさいなのです。私は本当にすごいですね。
        
        接触で思い出しましたが、先日ちょっとした交通事故に遭いまして、病院でX線を浴びる機会に恵まれたのですが、
        残念ながら宇宙人に埋め込まれたマイクロチップは発見できませんでした。こんちくしょ〜。
        しかし痛み止めという名目で普通のお店には売ってないドラッグをゲットできました。たまには車にもぶつかってみるものですね。
        と思いましたが成分名を検索してみたら同じ成分の薬が普通に売られているというではありませんか。検索エンジンめ!
        
        さて、これにて立ち絵という形式で用意することになっているデータがコンプリートできました。
        その枚数およそ4500枚。え? マジで? なかなか終わらないな〜とは思ってましたが、まさかこれほどとは。桁が多すぎて読み方すら不明です。
        作業前あるいは作業中に数えてたら気を失っていた可能性があるので、数えずに突っ走って正解でしたね。
        どうやらまたしても千里の道を一歩ずつ歩ききってしまったようですよ。私は本当にエライですね。
        
        さしあたり感無量と言いたいところですが、作業直後は今にも死にそうだったので何も言えませんでした。まだ死人じゃないですが口なし。
        そんなわけで丸一日ほど寝込んでおりました。できれば丸一日と言わず最低でも56億7千万年ぐらいは寝ていたいところですが、
        いつもどおり、あなた方への愛が私を目覚めさせずにはおかなったようです。
        今にも死にそうなのもいつもどおりですが、あなた方への愛もいつもどおりです。
        そういえば車とぶつかったのに死んでないんでしたっけ。この事実がすべてを物語っていると言わざるを得ません。まさに愛の力。
        
        さて、次の作業は? CGを用意することになっているようですよ? え? マジで? やるの? なしでいいじゃん、そんなの。
        それを言い出すと何も表示しない涅槃アプリへ一直線です。それも悪くはありませんが涅槃には少々早いようですので、予定どおり進めますよ。
        枚数は正確には数えてませんが、大体200枚弱ぐらい。立ち絵の4500枚に比べれば風の前のチリに同じですね。諸行と同様に直ちに消えそうですよ。
        なんか比喩が間違ってるような気もしますが、立ち絵の膨大さに比べると心が軽くなるのは確かです。まさにチリに同じ。チリとは何だチリとは。

        しかし200枚かぁー。一日10枚として、約一ヶ月? 実際には一日10枚は少々ツライので、56億7千万年ぐらいかかる計算です。
        とは言うものの、弥勒先輩が来る前には終わらせたいところ。
        別に200枚全部を愚直に用意しなくてもいいはずなのですよ。
        スクリプトを書いた人は勝手な指定を書き込んでますが、省略できるものは多々あるハズ。
        そもそもルートが3本しかないのに合計200枚は多すぎるんじゃないですか? 半分ぐらいには減らせるんじゃないの?
        というわけで積極的に手抜きをしながらサッサと進めていく所存でございます。
        
        キャラクターのデザイン自体はすでにコンプリートしているわけですから、その分は立ち絵より楽なハズ。
        基本的にはコミPo!でキャラを配置して、カメラアングルを調整して、画像出力して、GIMPでちょちょいのちょいです。
        よーし、ヤレるような気がしてきたぞぉー。空飛べるような気がしてきたぞぉー。今スグ屋根に登ってジャンプだ!
        
        今日もあなたが幸せでありますように〜。
        
        
        
        

◆ 2018/11/04
    したこと:
        マインドルの立ち絵作成
        
        学園モノと言えば無抵抗の相手の髪をわしゃわしゃ。
        
        
        
        
        そして学園モノと言えばもう一つ欠かせないのが若い女性につかみかかる社会人男性。
        
        
        
        さぁ、俄然学園モノらしくなって参りました。
        他にも細々と、このような後回しにしていた特殊な単品ものを埋めて学園モノらしさを補強しているところです。
        さしあたり「立ち絵」という形式で用意することになっているデータをコンプリートするべく邁進しております。モリモリ。
        
        
        それにしても、どうしたものでしょうね。
        支配と協調。あるいは協調と支配。
        
        支配型の社会。
        一部の者に権力が集中し、それ以外の人々が服従する。
        
        協調型の社会。
        上下関係はなく、それぞれの個人が他者を尊重しながら自律して判断および行動する。
        
        この2つのうち「どっちがいい?」と聞けば、おそらく素朴な答えとしては後者が選択されそうなものです。
        しかし実際はそうなっていない。そこがどうしょうもない。
        え? なんですって? 仕方ない? 誰だって我慢してる。なるほど。まさにどうしょうもないですね。
        
        支配と協調は正反対のものであるはずです。
        しかし支配が行き届いた空間では、「協調」ということが「おとなしく言う通りにする」という意味になってしまうようです。
        他の国の世相についてはわかりませんが、
        我が国で実際に生活していて肌感覚として感じるのは、そういう風潮です。
        
        だから出口がない。まさに、どうしょうもない。
        
        「仲良くしましょう」というと「支配されましょう」という意味になってしまう。
        「自分の頭で考えましょう」というと「支配者の気に入る "正解" を気を利かせて実行しよう」という意味になってしまう。
        
        だから出口がない。まさに、どうしょうもない。
        
        恐るべきは支配されている側の人々が、こぞって順応を表明し、さらに他者にもそれを要求する、という点です。
        素朴に考えるならば、支配とは「されたくないこと」であるはずです。そのはずです。はずです。
        しかし事実はどうやらそうではないらしいと見える。
        それこそ「みんなで協調」して支配的価値観への順応を表明する。
        ただし、それは何しろ「(被)支配」なのであり、そこに自律的な判断というものはなく、他者を尊重するということもありません。
        その「協調」は、そのような「協調」です。
        自己自身の預かり知らぬところで先験的に決まっている規範や価値観といったことが「ある」ということになっている。
        それに従うことが正しいことであり、
        人に言われなくても積極的にそのように行動することが「自分の頭で考える」ことなのであり、
        その規範や価値観に沿ってすべての他者が裁かれる。
        他人の独自の考えや行動を尊重するということが成立する余地がない。
        自己の外側に規範や価値観を先験的なものとして措定した。
        そのことの、ほとんど必然的とも言える帰結として、他者の独自性は干渉され、裁かれ、測定の対象となる。
        すべてがフラットな物差しの上で差別の順列にそって並べられる。
        「仲良くしましょう」と言って、「仲良しランキング」が開催され、「仲良く」するのが得意ではない人を差別する。
        
        本当にどうしょうもない。

        出口がない。出口のように飾られたゲートは、さらなる地下迷路に人を誘い込む罠なのでした。空間自体が歪んでいる。
        まさにどうしょうもない。
        脱出の望みがない。何しろ空間が歪んでいる。どうしょうもない。

        
        > 自己自身の預かり知らぬところで先験的に決まっている規範や価値観といったことが「ある」ということになっている。
        > それに従うことが正しいことであり、
        
        何しろ「正しいこと」というのは、「自分が決めたわけではないこと」のことなのでした。
        問題集の後ろの解答ページに載っている解答が「正解」なのであり、
        自分なりに考えて書いた答えは「間違い」なのでした。
        
        【先生】
        「そっかぁ、○○くんはそういうふうに考えたんだね。でもね、正解はそうじゃないでしょ。
        え? どうしてかって? うるさいわねぇ、明日学校の先生に聞いてみなさい!」
        
        「正しいこと」とは「客観的なこと」のことであり、
        「客観的なこと」とは「私が考えたことではないこと」なのであり、
        「私が考えたこと」は「主観的なこと」「に過ぎない」なのであり、
        「そんなのはおまえが勝手に言ってるだけだろ」なのでした。
        「そんな勝手なこと言ってたって世間じゃ通用しないぞ」なのでした。
        人が自分なりに考えたことは価値のない取るに足らない自分勝手なことなのであり、
        問題集の後ろの解答ページに載っている解答こそが「正解」なのでした。
        え? その正解を考えたのは誰かって? そんなのは昔からそう決まってるんだよ! そんなこと言ってたら世間じゃ通用しないぞ!
        
        つまり、どうしょうもない。
        
        
        > 支配と協調。あるいは協調と支配。
        
        人類の歴史上、支配の前に協調があったはずです。
        もちろん「おそらく」としか言いようがありませんが、そんな気がします。得意のイマギナティオーンでそんな気がします。
        なぜかと言えば、いわゆる「文明」というものは、とどのつまり「支配体制」のことらしいと見えるからです。
        なんか王様的なのがいて、軍隊や法律があって、下々の庶民がその下で粛々と生活を営む。
        そのような「秩序」の存在を指して「おっ、文明だね!」と言っているようなフシがある。
        したがって、そのような「秩序」の出現以前、は「原始時代」なのであり、
        そのような「秩序」が存在しない場所の人々は「未開人」なのでした。
        まさに余計なお世話ですね。本当にどうしょうもない。
        
        こういう根本的なところに「押し付けがましい」ものがある。
        他人を尊重するということができない。干渉せずにはおかない。
        そういう傾向が、根本的なところに横たわっている。
        大体ここ最近の7000年ぐらい、ずっとそういう風潮がある。これだから最近の若いモンは。
        
        
        > しかし支配が行き届いた空間では、「協調」ということが「おとなしく言う通りにする」という意味になってしまうようです。
        
        さりげなくこういう言い方をしてしまいましたが、もしかすると間違っているかもしれません。
        何が間違っているかもしれないかと言うと、
        「協調」の意味がそのようなものになっている原因として、「支配が行き届いたから」としている点が、です。
        その因果関係が本当かどうかは不明です。
        「支配された結果、そうなっちゃった」ということなのかどうなのか?
        素朴に考えるとそういう因果関係が思い浮かびます。しかし本当にそうなのかどうかは怪しいところではあります。
        なぜかと言えば、「あえてそれを望んでいる」ようなフシが見受けられるからです。
        だってみんな支配されるのが大好きでしょ?
        本当にどうしょうもない。
        でもそれを自分で認めると、「自分の意志で支配をしてもらっている」ことになる。
        すると、それはもはや「支配されている」ことになりません。
        主体性が自分の側にあって支配させているのだから、それはもう「支配されている」ではありません。
        擬似SMに堕してしまう。あたしもうそんなんじゃ満足できないの!
        だから決して「あたしは支配されるのが大好きでーす」とは言わない。
        あくまでも「仕方ないだろ!」です。どこまでも「誰だって我慢してるんだ!」です。
        自己意識の放棄は完璧です。自分の意志で放棄したという意識さえない。この徹底ぶり。完璧とはまさにこのこと。
        みなさんご覧ください。これが「成熟した大人」です。
        もちろん本人が好きでそういうプレイをやってるだけなら何の問題もないのですが、
        厄介なのは、こういうのは他人を巻き込まずにおかないというところです。
        何しろ「あくまで私が個人的に好きでやってるだけ」と認めてしまったら擬似SMに堕してしまうのであり、それじゃ満足できないの!
        だから自分を含めて身の回りの全員が一人残らず登場人物になっててくれないとあたしもう満足できないの!
        本当に本当に本当に本当に本当に、ほんっと〜〜〜〜〜〜〜に! どうしょうもない。
        
        
        
        さらに現代では、「支配」と言っても、具体的に目に見えて誰か特定の人物が「支配者」ということはあまりありません。
        「この私を倒しても第2第3の魔王が……ぐふっ!」というやつです。
        と思いましたが、そういうことでさえないですね。
        「この私を倒しても……ぐふっ」の場合は、あくまでも、「悪の支配者」です。
        世の中には悪モンがいくらでもいるぞ、ぐふふのふ、という話です。
        だから村人は「もうまおうにおびえなくていいのですね!」なのでした。
        あくまでも「意に反して抑圧されて」いる。この場合は。
        しかし実際はそうではないのでした。
        
        ゾーマさんが悪モンだからイケないというより、
        選挙なり何なりの民主的な手続きをキチンと経た上で、ゾーマさんが選ばれてしまう。憲法だって何のその。
        そこがどうしょうもない。これではどんな勇者も「頭のおかしい陰謀論者」です。本当にどうしょうもない。
        
        実際のところ、具体的な誰かや何かが悪モンである、というケースはあまりないというか、
        その具体的な誰かや何かが根本原因ということはあまりないと考えた方がよさそうです。
        「支配」と言いますが、では「誰」に支配されているというのか?
        その「誰」というものがない。そこがどうしょうもない。
        
        いわば「支配」されている側の人々が「集合的」に魔王である、とでも言う言い方が当てはまってしまいそうです。
        しかし、それはあまりに理不尽です。あまりに不合理です。あまりに実体がなさすぎます。
        しかし、まさにその理不尽で不合理なことが実体なく、今この瞬間も絶賛稼働中なのでした。
        これではどうしょうもない。
        だから、このどうしょうもなさを、理不尽さも不合理さを排し、実体をともなった形式で表現しようとすれば、
        「悪の秘密結社が社会を裏から牛耳っている」とか「爬虫類型の宇宙人がハイテク兵器で地球人を洗脳している」とか
        そういう言い方にならざるを得ません。
        
        理不尽さは支配者の仕業であり、
        実体のなさは支配者が影に隠れているからであり、
        不合理さは人々が洗脳されているためなのでした。
        
        だから、よく「真実を知って目を覚まそう!」と言う。
        ネットを見ていると、そういうメッセージを添えてフクザツな「真相解明」を開陳している勇者ブログをよく見かけます。
        独特の匂いがあります。
        表向きは社会問題や世界情勢や歴史を扱うブログのような体裁だったりはしますが、独特のオーラを放っています。
        具体的にどこが、とは言い難いものがありますが、内に秘めた勇者のオーラが滲み出るのを隠すことはできません。
        例えば情報収集量の半端なさ。主張の熱気。それでいて垣間見える冷笑的な攻撃性。これぞ勇者の証。
        
        真実を知って目を覚ます。
        この点だけに関していえば、一応その通りと言いたいところではあります。
        しかし無理です。
        ファイナルファンタジー4で言うところのパロムとポロムです。
        自分の意志で石化しているのでエスナが効かない!
        ちなみに名前を思い出せなかったのでWikipediaで調べました。
        スーパーファミコンが出たとき本体と一緒に最初に買ったというか買ってもらったのがこのゲームだったなぁ。前世紀の話。
        そういえば当時は今のようなネットなんて影も形もなかったのでしたね。しみじみ。
        
        何の話でしたっけ。金の針が効かない話。
        熱心に情報を収集し、熱い主張で衆生の「目覚め」を促そうと奮闘する。
        しかしそもそも金の針は効かないのでした。
        勇者はますますヒートアップ。垣間見えるだけだった冷笑的な攻撃性も頻度と強度を増し、今や隠しようもない。
        そしてついに最強の呪文が解き放たれる。「以下の特徴に一つでも当てはまる人は洗脳されてます!」
        
        なんていうのかな。
        そもそもエスナが効かない条件下であるところへ、さらにそういう最強呪文を叩き込んだとしても、
        そのおかげで「洗脳」されていた人が「目覚め」て勇者のご一行に参加するようになる……
        というようなことは基本的に起こり得ないと思うのですよ。
        しまいには石化したパロムとポロムを叩き壊してしまうんじゃないでしょうか。頭部さえ無事なら復活できる。それはナメック星人か。
        しかし幸か不幸かそんな心配は無用で、叩き壊されるのはいつだって勇者の方なのでした。
        本当に悲しいことです。
        
        どんな最強呪文も伝説の剣も根本的に意味をなさない。
        じゃあどうすればいいのかと言えば、さしあたり「どうしょうもない」としか言えないのが悲しいところではあります。
        本当に悲しい。ひたすら悲しい。
        
        本当にどこかに大魔王がいるなら、どんなにかいいだろうとさえ思います。
        宇宙から地球を侵略しにやってくる爬虫類星人でもいいですし、
        霊界から人類のネガティブな感情を食べにくる捕食者でもいいです。
        
        そういう話は「なんか本質を突いてる感じ」がします。する。するんです。いや実にする。
        しかしそういう話をし始めると、それこそ本当に「どうしょうもない」としか言いようがなくなるじゃないですか。
        もちろん、「謎の秘密結社云々」でも同じです。宇宙人やオバケよりは手触りがあるかもしれませんが、
        結局「どうしょうもない」という点では同じです。
        というより、そもそも、そういう話自体が、
        「確かめようがない=手が届かない=どうしょうもない」という要素に支えられて成立しているようなところがあります。
        だから、そういう話をしている時点で、最初から詰んでるんです。
        どうなんでしょう。実はわかってるんじゃないのかな?
        伝説の剣をひっさげて威勢よく魔王討伐に向かう勇者様ご一行も、実は心のどこかで、「本当は不可能」だとわかってるんじゃないのかな?
        
        まず、出発点として「いても立ってもいられない感じ」とでもいうような衝動があると思うのです。
        何しろこの世は理不尽で不合理ですからね。
        ではさて、じゃあどうするか? というところで、
        その「根本的な不可能性」を意識から追い出すことで、独特の熱気と勢い「勇者のオーラ」を身にまとう。
        しかし、それが間違っているというのでしょうか?
        勇者に石を投げる群集に加わるつもりはありません。ありません。が、その方向は袋小路だとは言わねばならない気はします。
        
        ではさて、じゃあどうするか?
        結局その「根本的などうしょうもなさ」に如何に向き合うか、という話になってくるのかな。かな。語尾に自信がない。
        うん。なんか、これってそんな、勇ましく言えるような種類のことじゃない。
        
        とにかく「どうしょうもない」んですよ。
        一つ確実なのは、私はあなたを愛してるってことです。
        うーん。
        
        なんかもう窓の外が明るくなってきちゃったんで、今日はこのぐらいにしておきます。
        
        今日もあなたが幸せでありますように〜。
        
        
        
        
        
        

◆ 2018/10/27
    したこと:
        マインドルの立ち絵作成
        
        学園モノと言えば四天王の残り。
        
        
        
        四天王といえども全員均等に出番があると思ったら大間違い。
        コスチュームが決まらずに後回しになっていた分を片付けました。
        
        というか、この人の色違いです。
        全員模様を変えてたら命がいくつあっても足りません。
        

        と、こんな感じで後回しにしていた分をサクサクと片付けております。
        なお、サクサクというのは嘘です。
        
        あと少し。枚数はそれほど多くはないのですが、「どうしたもんかな〜」という感じのものが残っております。
        たとえば2キャラで腕を組んでいるところ、とか。一体誰がこんなスクリプトを書いたんだ。このやろ〜。
        そういうのはもう画像をナシにしてご覧になる方の想像力にお任せするというのはどうか?
        下手に絵を入れるよりはマシかもしれません。いっそそれも辞さぬ構えで。
        
        
        さて。
        今日もこの宇宙はどうしょうもないですね。
        
        ネットを見ていると、ときどき切ないものを見つけることがあります。
        典型的な例としては、こういう感じです。
        
        ・ブログ。記事数は少ない。すでに最後の更新から数年放置されている
        ・わりと勇ましい内容の文章が書かれている
        ・コメント欄が荒れている
        ・プロフィールによると高確率で大学生
        ・高確率で一人称が「俺」
        
        なんだか胸がキュンキュンしてきます。
        それで例えばブログのタイトルの下にあるキャッチフレーズみたいなところに、
        「大学生の○○○が世の中のことについて常識にとらわれず鋭く考察するブログ」
        みたいな感じのものが書かれているんです。もう胸の鼓動が高鳴るのを隠すことはできません。どうしよう聞こえちゃう。
        そこへさらに「俺の文章を読んで不快に思う人もいるかもしれませんが、あくまで俺個人の考えですので」
        とか、いかにも後付けで追記してあったりして、もうたまりません。耳しゃぶらせて。
        
        残念なのは私が見つけた時点ではすでに更新が停止しているケースが大半ということです。
        しかし、だからこそいい味が出ているとも言えます。
        なぜ更新をヤメてしまったのでしょう?
        始めたときの勇ましい気持ちはどのような経過をたどり、今はどこでどうしているのでしょう?
        もう大学は卒業したのでしょうか? 今でも一人称は「俺」なのでしょうか?
        やはりたまりません。耳しゃぶらせて。はむはむ。
        
        
        記事の内容としては、例えば、例えばですけど、こういう感じです。
        
        「差別というものは昔から存在したものだ。人類はこうして進化してきたのだ。
          ある意味では必要なものであり、これからも完全になくすことはできないのではないかと俺は思う」
          
        実際はもっと長い文章で、ご本人のお考えが展開されているのですが、骨子としてはこういう感じです。
        「骨子としてはこういう感じ」というのは主張の内容自体ではなく、

        ・世間的な常識に反するような主張を掲げて
        ・自分なりに考えた理由や根拠を展開する

        という全体的な構成のことです。
        
        そしてもちろん、コメント欄は荒れます。
        小学校の学級会のように荒れます。はーい、○○くんは人の気持ちを考えないのでヒドイと思いまーす。そう思いマース。そう思いマース。
        
        当然ながらブログ主さんは果敢に応戦します。誠実に対応します。正面から丁寧に返信します。
        しかし会話が成立するはずはありません。しかも多勢に無勢。コメント欄は荒れる一方です。
        
        というか、それでもコメント欄をオープンにしている、というところが、何というのでしょう。
        やはり耳をしゃぶりたくてたまらない気持ちになります。まさに胸キュン。
        
        コメント欄に群がる人々は寄ってたかってブログ主さんのことを、
        人として基本的なことさえわかってないゴミクズであるかのように言い募りますが、
        ブログ主さんが、その手のコメントの内容程度のことは充分に承知した上で記事を書いていることは明らかです。
        その上で、敢えて「世間的な常識に反するような主張を掲げて」いる。
        この時点で充分にリスキーなわけですが、ただちょっとマズイことに、
        「自分なりに考えた理由や根拠を展開する」段階で、ちょっと「口を滑らせている」ようなところがあるような気はします。
        
        ここで「口を滑らせている」と言ったのはどういう意味かと言いますと、
        本当にその理由・根拠で、自分の心の底から納得できているのか、ということです。
        ブログ主さんは、本当のところ、もともと、何を言いたかったのか? 何を感じていたのか?
        それを言語化する段階で、「罠にはまった」のではないか、という気がいたします。
        
        ブログ主さんの「もともとの動機」は何だったのでしょう?
        いつものように得意のイマギナティオーンを発動して霊視してみるに、この例でいうと、
        「異口同音に "差別=悪" と口を揃える "世間的な風潮" に対して、"なんとなく違和感を感じた"」
        というようなことではなかったのか? と思います。あ、思いますじゃなくてクッキリ視えたんでした。ゴホン。
        
        感じていた違和感そのもの、は、決して嘘ではないでしょう。これ自体は善悪や正誤の問題ではありません。
        むしろ自分の感性に敏感かつ正直であるという純粋さの証。だからホラ、こんなに耳がおいしそう。はむはむ。
        その純粋な感性で感受した違和感です。それ自体は実際にご本人が肌身にしみて感じていたものであることでしょう。
        紛う事なき実感としての「違和感」。
        それでいて、「いわく言い難い」何か。
        「な〜んか変だな〜、ムズムズ」ということです。
        ご本人はそれに取り組んだ。言語化しようとした。
        そして、出てきたのが「人類の進化に必要なことなのだ」という「理由」です。
        表面的な理屈の上では「つじつまが合っている」はずです。だからこそ「罠」なんです。
        表面的な理屈の上では「つじつまが合っている」はずです。だからこそブログ主さんをして勇敢にネットに参戦せしめたのでしょう。
        だからこそ「罠」なんです。
        
        もともと感じていた「いわく言い難い違和感」自体は嘘偽りのないご本人の実感であったはずです。
        しかしその後に出てきた「理由」の方は、果たしてどうであったのか?
        腹の底で感じていた違和感の正体を照らし出す光であったでしょうか?
        
        コメント欄に大量発生する「学級会のはーい」とのブログ主さんの果敢な応戦を見る限り、
        「議論」を繰り返せば繰り返すほど、持ち出した「理由」の正誤や、ぶつけられる感情的な言葉との応酬にからめ捕られ、
        「そもそもの違和感の正体」には迫るどころか、離れてしまっている印象を受けます。
        もちろん学級会の参加メンバーたちとの間で、そうした問題意識が共有されることは絶対にありません。
        さらに私がテレパシーで見たところによると、ブログ主ご本人も、自分のもともとの動機がどこにあったのかを見失っているようです。
        いや、最初から「そのような自覚」は明確には意識されていなかったのではないかとは思います。
        個々別々具体的なテーマに「気をとられて」いた。斬り込むべき本丸は実のところどこにあったのか?
        
        ブログ主さんは他にもいくつかのテーマで同じように「俺の個人的な意見」を果敢に展開した記事をアップします。
        そしてどれも同じようなパターンでコメント欄が荒れます。
        やがて、ぷっつりと更新が途絶えます。
        
        コメント欄で群れをなして「学級会のはーい」をしていた連中はそれを見届けたでしょうか?
        さぞかし満足していることでしょうね。邪悪な「何か」の哄笑が廃墟に低く轟くのが聞こえます。実に忌々しい限りです。
        
        まるで威勢よく翼を広げて飛び立とうとするイキのいい若者を引きずり下ろして、
        寄ってたかって「世間の常識」を叩き込もうとするイニシエーションを見ているかのようです。
        発生の現場はインターネットという現代的な環境ですが、同じようなことは太古の昔から繰り返されてきたのかもしれません。
        これが本当の古のイニシエーションってやつです。ギャフン。
        あ、ちなみに「古」って書いて「いにしえ」って読むんですよ!
        万一伝わらない人がいるとイケませんので解説しておきました。これでバッチリ。
        
        
        つまりこれも「ドウショウモナイ現象」の諸相の一つということです。
        
        ・いわく言い難い違和感を覚える
        ・自分なりに理由を考えて人に話す
        ・世間の連中に寄ってたかって袋叩きにされる
        ・まさに古のイニシエーション
        
        ご覧の通り同じパターンです。
        「正しいことを言っているはず」なのに、何を言っても伝わらない。本当にどうしょうもない。
        最後にはバッチリと寒いダジャレまでついております。本当にどうしょうもない。
        
        ちなみにこういう場合の「正しいことを言っているはず」というのは、「俺個人の意見」の内容そのものというより、
        「俺個人の意見を言ってるだけなのに、そんなに感情的に否定しなくていいじゃないか」という
        「議論をする上でのフェアな態度」ということに結果的にシフトしてしまう傾向があるようではあります。
        そしてもちろんのこと、そうした「議論をするための心がけ」を説いても「学級会のはーい」の騒乱を鎮めることは不可能です。
        
        最初に「いわく言い難い違和感」を感じ取ったまではよかった。
        しかし、それを言語化する段階で、わかりやすいロジックの罠にハマってしまった。
        明晰さが戦士の目を曇らせる。もはや敵の正体を見極められる望みはない。
        
        完全無敵の装備に身を固めた。意気揚々と旅に出る。
        しかし実のところ裸同然の無防備。
        物理攻撃の効かない霊属性の敵の群れの中ではがねのつるぎを振り回すようなもの。
        こんなはずじゃなかったのに。勇者撃沈。
        
        このような戦士の墓標がネットのジャングルにはいくつも眠っているのでしょうね。
        本当に悲しいことです。
        
        イニシエーションを施されてしまった勇者諸氏の皆様はその後どこでどうしていらっしゃるのでしょう?
        力を蓄えて別のどこかで活動を再開しているのでしょうか?
        ひっそりと息を潜めて過ごしているのでしょうか?
        それともイニシエーションを施す側に身をやつして、どこかのSNSにつまらないコメントを書く大人になってしまうのでしょうか?
        あなたは伝説の勇者の末裔なのに。そんなことをするために生まれてきたというのですか?
        本当に悲しいことです。
        
        つまり「ドウショウモナイ現象」に立ち向かうことがイカに難しいことであるかということです。
        数多の勇者が命を落とした。体の命ではありません。心の命を落とした。それは死ぬよりも悪いことです。
        わかりやすいロジックに惑わされてはイケない。「正しいことを言えば人に伝わる」という期待は諦めなければならない。
        不屈の闘士を燃やし続けて、わからなさの無限の暗闇に向かって、目を閉じず、たった一人で歩き続けなければならない。
        
        それにしても一体どうしてこの世はこのようなのでしょう?
        なお、何度でも言っておきますがダジャレです。
        本当にわけがわかりません。
        しかし一つだけわかっていることがあります。あなたが幸せであって欲しい。
        あらゆる不確実さを削ぎ落としたあと、にもかかわらず、あるいはだからこそ、明らかであること。
        あなたの幸せを願う。この宇宙あり。
        
        もちろん、この宇宙なんて別に存在しなくてもよいのです。
        しかしどういうわけか存在してしまっている。
        ならばあなたの幸せを願うしかありません。
        
        イニシエーションを施されてしまった勇者のみなさんが幸せでありますように。
        イニシエーションを施しやがる世間の連中が幸せでありますように。
        今日もあなたが幸せでありますように。
 
        
        
        
        
        

◆ 2018/10/21
    したこと:
        マインドルの立ち絵作成
        
        学園モノと言えば過去編。
        
        
        
        どうやらまだちょんまげに目覚めていないようですよ。
        眉毛の上で前髪を切りそろえております。激萌とはまさにこのこと。
        あ、その方向でいくならスカートも長くするべきだったかな? 今後元気な日があったら描き足すよ。
        念のため申し添えておくと、いつものあの人です。
        思いのほか人相の変化が激しい気がしますが、同一人物であることはわかりますよね? わかりましょう。
        
        ちなみに制服はコミPo!のデフォルト、と見せかけて、少しだけ変更しております。
        
        ネクタイは一刀流よりも二股の方がおぼこい風情が漂って、過去編としてはより適切なのではないですか? という声が、
        誰もいない室内で、それでいて生々しく耳元に聞こえてきたので逆らうことができませんでした。
        そういうことってよくありますよね? え? ないんですか? このやろ〜。
        
        さて、そんな感じでいつものように耳元の生々しい声と戯れたり、偽札の作り方を考えたりしているうちに、
        キャラ1さんの立ち絵はほぼ終了です。ほぼとはなんだ、ほぼとは。
        はい。
        あとは若干、若干特殊なポーズだとかで、後回しにしてきた分が若干残っております。キャラ1さんの分も含めて全体的に。
        それをササッと終わらせて、あとはCGもササッと片付けて、試合パートのAIのスクリプトもササッと整えて、
        そしたらもう、ササッと動作確認してササッとリリースしてササッと死ぬだけです。
        よぉ〜し、ヤル気が出てきたぞぉ〜。モリモリ!
        
        
        それにしても、いつもながら、どうしょうもないですね。
        消費税10%とか、アホじゃないの? アホなんでしょうね。どうしょうもない。
        仮にアホじゃないんだとしたら、じゃあ一体何なのか?
        そういう点も含めて、まったくどうしょうもありません。
        
        そしてこういうことを言うと、
        じゃあ社会保障費はどうするんだとか、納税の義務を果たさないなら日本を出ていけ、とか言う人が必ず出てきます。
        本当にどうしょうもない。
        そのように言うということは、自分は消費税に反対するような幼稚なやつよりは物事を理解している立派な大人だZE☆ と思っているのでしょう。
        本当にどうしょうもない。
        いや、頭の中を覗いたわけではないので、本当のところ一体何のつもりで言っているのかは不明ですが、
        そういう点も含めて、まったくどうしょうもありません。
        
        
        これもまた、数ある「ドウショウモナイ現象」の一つなのでしょう。
        「消費税」という具体的なテーマに絞って議論をすること自体は可能です。実際、みなさん頑張ってらっしゃいます。
        バカにする気なんてまったくありません。応援してます。
        しかし、どうしょうもない。
        もちろん、「消費税」という具体的な事象そのものに関しては、今後どうなるかはわかりません。
        また「延期」されるかもしれませんし、ひょっとしたら減税、あるいは廃止なんて可能性もないことはありません。それはわかりません。
        しかし、どうしょうもない。
        
        圧倒的な「どうしょうもなさ」が広がっている。巨大に広がっている。
        あまりに巨大すぎて、自らのまさに足元に広がっているということ自体に気付けないほど、巨大かつ堅固に横たわっている。
        「消費税」というのは、そのほんの一部に生じた、わかりやすい「でっぱり」に過ぎません。
        
        そのような「でっぱり」は他にも無数にあります。
        騒音問題、差別、虐待、いじめ、歩きスマホ、寒いダジャレ。
        いくらでも無数にあります。
        そのうちのいくつかは、叩いてみれば、うまくすると、それなりに「平らになる」ことはあるかもしれません。
        しかし、どうしょうもない。
        圧倒的にどうしょうもない。
        根源的にどうしょうもない。
        
        
        ではさて、その「どうしょうもなさ」に、どのように向き合うか?
        重要なのはその点です。
        
        「向き合う」という言葉を使いました。
        つまりその逆の「向き合わない」態度がある、ということです。
        その1つは、解決しようとする態度です。
        もう1つは、流されようとする態度です。
        
        
        > その1つは、解決しようとする態度です。
        
        解決しようとしているのだから「向き合っている」ように見えるかもしれません。
        実際、本人はまさにそのつもりで一生懸命であることでしょう。その熱意に水を差すつもりはありません。それ自体は尊いことです。
        しかし、「どうしょうもなさ」には「向き合って」いません。
        なぜなら、解決できるつもりでいるからです。
        「どうしょうもない」とは思ってない。
        その意味で「向き合っていない」と、ここでは言いました。
        
        もちろん、解決できることを解決するのは、当然ながら望ましいことです。
        ただ、だからと言って、根源的な「どうしょうもなさ」がどうにかなる、ということにはなりません。
        平らにできるでっぱりは叩いて平らにすればいい。淡々と活動を続けていこうではありませんか。
        ただ、だからと言って、我々がまさに立っているこの広大無辺な「どうしょうもない」という地平は1ドットも動きません。
        「これは一体何なんだ」って話です。
        
        
        > もう1つは、流されようとする態度です。
        
        これもまた、ある意味で「向き合っている」ように見えるかもしれません。
        いわゆる「現実」に向き合っている、というやつです。「大人になれよ」ってやつです。ああムカツク。
        「どうしょうもない」ということを所与の「現実」として受け入れている、と言う表現の仕方が可能かもしれません。
        しかしこれは、ここで私が言っている「どうしょうもなさ」に「向き合う」ということには当てはまりません。
        むしろ逆です。「背を向けている」「目を逸らしている」とでも言うべきものです。
        諦めて埋没しようとする態度です。
        完全に「後ろ向き」なのであり、決して「どうしょうもなさ」に正面から向き合おうとはしていません。
        
        
        
        「どうしようもなさ」を巡っては、ほとんどの場合、上記の2つのうちのどちらかに落ち込んでしまいます。
        「どうしようもなさ」自体にまともに向き合うというのは非常に難しいことと言わざるを得ません。
        
        前者の態度の最も極端な姿としては、「コテコテの陰謀論者」を思い浮かべていただくとよいでしょう。
        何らかの問題に出くわす。何とかしようとする。しかし何ともならない。何しろ「どうしょうもない」ものだから。
        それでも「何とかしよう」とする。
        世間の嘲笑を受ける。あいつらはわかってない。私だけが真実に目覚めているのだ。
        今こそ明かそう、これがこの世界の真実だ! さぁ、これを知っている少数の我々だけでアセンションを果たそう! とかなんとか。
        
        もちろん、「解決」を目指そうとする人がすべてこうなるということではありません。
        あくまでも幅のあることです。
        大抵は、よほど熱心な場合でも、いわゆる地道な市民活動のようなレベルなのではないかなという気がいたします。
        ただ、それも、いつでも先鋭化して「コテコテ」になってしまうような危うさを孕んでいるような気がいたします。
        さっきから気がいたしてばかりですが、知ってのとおり私はイマギナティオーンが使えますので私の気は的中するんですよ?
        
        後者の態度についてですが、これはいわゆる「世間の常識」という形で顕在化すると言えるでしょう。
        「そんなこと言っても仕方がない」「私に言わないで」「みんな同じなんだから」「誰だって我慢してるんだ」「大人になれ」「おまえも今にわかる」
        とかなんとか。とかなんとか。とかなんとか。ああムカツク! 書いてるだけで脳血管に危機を感じるレベルです。このやろ〜!
        つまり、みなさんよくご存知の毎度お馴染みのやつです。
        こうした言説を得意気に披露する本人は「現実に向き合っている」つもりなのだということが、テレパシーが使える私には明確にわかるのですが、
        さきほども申し上げましたように、これは決して「どうしょうもなさ」に向き合っていることにはなりません。
        しかし、ある意味で「折り合いをつけている」とは言えるかもしれません。
        ただし、それは「向き合っている」というのとは、やはり決定的に違います。
        むしろこれは「どうしようもなさ」に「同化」している、とでも言うべきものです。
        なぜなら、上記のような言説を口にすることで、まさにその人自身が「どうしようもなさ」の代弁者になっているからです。
        そのような言説を全身でパフォームする無数の身体がこの地上を包み込んでいる、その事実が、
        まさに、とりもなおさず、「どうしようもない」ということの「現実的な顕れ」そのものだからです。
        あなたはいつからあなたではない何かになってしまったのですか?
        
        それから、もう1つぜひ申し添えておきたいことがあります。
        上で「コテコテの陰謀論者」などとバカにするような言い方をしてしまっておりますが、決して頭ごなしに否定するつもりはないのです。
        そうした人たちの言うことには、ある種の真理が含まれていると思います。
        そこには、「どうしょうもなさ」が言い表されている。
        「得体の知れない」「巨大な」「その、何か」が、「それなりの形式」で、「言い表されて」いる。
        
        たとえば、謎の組織が古代から歴史を影から操って、現代でも一般には気付かれない形で我々に影響を与え続けている、とか。
        たとえば、爬虫類型の宇宙人がハイテク兵器で地球人を思いのままに操っている、とか、
        たとえば、霊界から捕食者的な妖怪がやってきて、この世の人間の無意識を操ってネガティブな感情をエネルギーとして吸い取っている、とか。
        
        私はこうした話を頭ごなしに否定するつもりはありません。
        言葉どおりにまともに受け取る気にはなれませんが、
        こうしたことが100%ありえない、とは思いません。完全に根も葉もない妄想、というわけではない、のだと思います。
        たとえ嘲笑のネタとなってしまうことがあるにせよ、こうした話が、それなりの「魅力」を持って、語り継がれている。
        つまり、なにがしか、「真実の気配」がある、ということではないでしょうか。
        その「真実」というのが、つまり、ここで言っている「どうしようもなさ」それ自体のことです。
        足元に広大無辺に横たわっていて、逃れようのない、得体の知れない「それ」(あるいは「これ」)のことです。
        
        そうした謎の組織やハイテク宇宙人や霊的捕食者が「実際に」「存在する」かどうか、というのは、「さておき」、
        つまり、そこで予感されている「何か」というものがあるはずなのです。
        我々普通の人間を超えた何らかの存在が、悪意をもって、我々の気付きにくい形で、我々に影響を与え続けている、
        ように感じられてならない、
        そういう「いわく言いがたい」感じ、です。
        
        この「感じ」を、「下手にわかりやすく」言い表してしまうと、秘密結社とか宇宙人とか妖怪とかいう話になってしまう。多分。
        あるいはもっと「軽症」な例で言えば、
        「メディアが隠蔽している」とか「大企業が金の力で情報を統制している」とか「国家間の秘密の取り決めがある」とか、
        そういったことも、必ずしも根も葉もないデマというわけではないにしても、
        「正しいはずのことが、なぜか通用しない、そうした現象を説明するためのロジック」としては、同様の危うさを孕んでいるとは思います。

        またはそうした「社会的な要因への結びつけ」とは対照的に、「個人的な要因への結びつけ」というものもあるかもしれません。
        「正しいはずのこと」を理解しようとしない誰かを指して、
        「脳に障害がある」とか「幼少期のコンプレックスのせいだ」とか。最近は「サイコパス」なんてのも人口に膾炙してきておりますね。
        こうした言説も、
        「正しいはずのことが、なぜか通用しない、という現象を説明するためのロジック」として持ち出すならば、
        「もっともらしく聞こえて」「それなりに事実と符号してしまう」という点で、同様の危うさを孕んでいるとは思います。
        
        ここで言っている「どうしょうもなさ」というものは、決して「わかりやすく」「言い表せる」ようなものではありません。
        ただ、何しろ「どうしょうもない」ということです。
        その点で、謎の秘密結社なり、ハイテク宇宙人なり、霊界からの捕食者なりというのは、「確かめようがない」ことです。
        それでいて、事実上、この「どうしょうもない」という現実と、「うまく符号」します。
        この「確かめようがない」&「うまく符号する」というのが曲者なのだと思います。
        一度「そのとおりだ!」と思い込んでしまうと、そこから抜け出せなくなってしまう。
        天動説から地動説へ。地動説から霊動説へ。私は視た! 第三の目で! とかなんとか。
        誰かにツッコミを入れられれば、「おまえも洗脳されてる!」というわけです。
        このようなオカルト的な領域にまでは達していない場合でも、
        いわゆる「レッテル貼り」は頻発しているのではないでしょうか。「○○論者め!」「○○障害め!」とかなんとか。
        おっと私も「コテコテの陰謀論者」なんて言ってしまっているじゃないですか。どうしましょう。困ったな。
        差し当たり言い訳はせずに保留しておきたいと思います。
        
        
        つまり、この「どうしょうもなさ」に向き合うには、よくよく慎重にならなければならないということです。
        もちろん、解決できることは素直かつたゆまぬ熱意を持って解決に取り組むというのが人として望ましい姿と言えるでしょう。
        最初からあきらめてはイケない。
        その点に水を差すつもりはありません。
        ただ、「明らかに問題がある」「私は正しい指摘をしているはずなのに」「世間の連中が寝ぼけたことばかり言ってる」
        というような場合にですね、「何かおかしいぞ?」と、立ち止まって考えてみる「余裕」が必要なのかな、とは思っているところではあります。

        「余裕」と申しました。
        もちろん知ってのとおり「どうしようもなさ」というのは「のっぴきならない」ものですから、
        まさに今この瞬間も、まさに、刻一刻と、デバスティティブなクライシスがオンゴーイングなのですが、
        だからこそ、それをうっかりと、「筋の通った理屈」で「言い表して」しまうと、「隙間がなくなる」と言えばいいでしょうか。
        結局そこに、からめとられて、まさに本丸である「どうしようもなさ」そのものを見失って、
        鏡の前で延々と踊り続けることになってしまう気がする気がするのです。
        それは悲しい。
        
        そしてもちろん、今この瞬間、すべてが悲しい。
        問題は個々別々に存在します。
        それらを巡り、ロッツオブピープルがオンゴーイングでビーイングエクスプロイッテッドでサファリングなのです。
        まさにアンフォーチュネイト。
        何を言っているかわからなくなってきました。
        
        つまり何を申し上げたいかといいますと、
        今、「ドウショウモナイ現象」がアツイ! ということです。
        
        いかにして「ドウショウモナイ現象」に向き合うか?
        解決を目指すのでもなく、諦めるのでもなく。
        「どうしょうもなさ」そのもの、に、いかにして、迫っていくか?
        
        もちろん解決できることは解決を目指したらいいのですよ?
        とりあえず消費税10%とかいうアホの極みをどうにかしたいところです。
        そもそも税金で政府の借金を返すなんて不可能なわけで。返したら世の中のお金が消えてしまうではありませんか。
        世の中のお金というのはつまり、我々のお金のことです。
        仮にそこまでしたとしても借金は利子がついて膨らむから返し終わることはない。
        大体、お金がどこから発生してると思っているのですか? 
        会社に通って労働することは「マイニング」ではないのですよ?
        その会社が銀行から融資(借金)で得たお金を賃金としてもらっているに過ぎません。
        あなたが汗水たらして得た賃金の裏には同額の借金があり、さらに、それは常に利息で膨らんでいる。
        こういうことを続けている限り、税金をいくら集めても意味がありません。
        あと「財源」とかいう妄言をヤメれ。
        社会的に必要な事業なら、やればいいではありませんか。
        「財源がないからできない」というのは意味不明です。
        実際に「資源がない」とか「技術がない」とか「やれる人がいない」からできない、というなら意味はわかります。
        そういうことであるのなら、個別に対処すればいい、という話になるはず。
        それを「財源がないから」というのはどうしても意味がわかりません。何のために国が存在してるんですか。
        資源や労働力を融通するためのトークンが必要ならば、
        必要に応じて(国債じゃなくて)「お金」を発行したらいいんじゃないんですか? 話が逆です。
        
        しかし、どうしょうもない。
        このどうしょうもなさは本当に一体全体何なのでしょう?
        いっそ本当に宇宙人が操ってるというのなら話は簡単かもしれません。
        本当にわけがわかりません。
        
        はい、ここです。
        「わけがわかりません」と言いました。
        これは「批判」ではありません。「ケシカラン!」と言っているのでは断じてありません。
        文字通りの意味です。文字通り「わからない」という意味です。
        この「わからなさ」を「わからなさ」のままに、それでいて決して目を逸らさず、そこへ迫っていく不屈の闘志が必要です。
        わかりやすいロジックに耽ってはならない。

        見えないものが存在する。
        見えないものを視る認識能力を獲得せよ。
        いつも夕方の時間帯に行きつけのスーパーでレジを打ってるあの子のパンツの色を透視する能力を獲得せよ。
        いよいよ寒さが本格化しようとしている今だからこそ。服装がスケなくなっている今だからこそ。
        不屈の闘志で認識の限界を突破せよ。
        
        
        それはそれとしてですね。
        今日もあなたが幸せでありますように〜。
        
        
        
        
        
        

◆ 2018/10/14
    したこと:
        マインドルの立ち絵作成
        
        学園モノと言えばウェディング。
        
        
        
        ウェディングドレスに見えますよね? はーい見えまーす。うむ、いつも通り。
        コミPo!にウェディングドレスというデータは存在してなかったと思いますが、
        仮にあったとしてもなぜか偽札が未完成なので買えません。うむ、いつも通り。
        というわけで久々のGIMPで顔以外ほぼ手書きコースです。
        死ぬかと思いましたがなぜか死んでません。うむ、いつも通り。
        待てよ、死んでないと見せかけて実は死んでいるのかもしれません。乞うご期待。
        
        ちなみに顔以外ほぼ手書きコースはおそらくこれが最後。これが最後ということは、つまりこれが人生最後。
        ということは、ついに人生の最後まで死ぬチャンスを逃してしまったということでしょうか。
        死ねなかったことを悔やみながら死んでいく。まさに矛盾そのものの人生でした。
        
        さて、顔以外ほぼ手書きと言いつつ、ベースはこれまたいつも通りコミPo!の白制服。最後まで大活躍でしたね。
        肩を露出させて、スカートを伸ばして、二の腕に謎のパーツを装着して、ティアラとベールを装備。
        するとアラ不思議! 花嫁さん、こんなところにいらしたなんて。
        なお、ティアラはドットの潰れを無視して堂々と頭上に描き加えてしまうのがコツ。ジロジロ見るのは禁止だ。
        
        
        さらに、コミPo!に入ってた花の素材をゴニョゴニョしてブーケを装備。まさに完全無欠。
        病めるときも健やかなるときも向かうところ敵なし。
        
        もちろん相方もおります。
        間にマイクを立てて、はいどーもー、さぁ今日もがんばっていきましょう。
        
        タキシードにしては、ちょっと裾が短いかな? もうどうでもいいや。どうでもいいのかよ。
        パッと見の印象としては多分オッケー。
        そもそも絵が描けないという不可能を無理言って可能にしているのでした。このぐらいで満足することを誓いましょう。
        ジロジロ見ると魔法が解けるので利用規約で禁止しておきましょう。うむ、いつも通り。もはや手慣れたものですね。イロイロと。
        
        ちなみにさきほども少し言及しましたが、二の腕の謎のパーツ。
        作業の参考のためにネットで画像を検索してイロイロ見ていたのですが、実写の画像ではこのようなモノは見当たりません。
        しかしマンガの絵では大抵みなさんこのようなパーツを装備していらっしゃいます。
        どうやら二次元には二次元の独自の文法というものがあるようです。
        郷に入っては郷に従えというわけで、何のパーツかは未解明ながら真似をしておきました。
        いわゆるアレですね、言葉を知らない土地に行って、よくわからないながら現地の人の発音を真似して、
        なんとなくコミュニケーションが成立しているかに見えて、実はトンデモナイ意味だった、みたいな。
        一体どのようにトンデモナイのかな? ドキドキ。
        
        さて。
        
        個々別々の問題は、個々別々の問題として、あります。そのように見えます。
        騒音だとか、ベーシックインカムだとか、差別だとか、虐待だとか、債務貨幣制度だとか、生体販売だとか、歩き喫煙だとか、寒いダジャレだとか。

        が、実際のところ、本当のところ、何が、一体何が、それを、それらを、現状ならしめているのか?
        そういうものが「現状として、ある」という、その事実を支えて、支えてしまっている「何か」。
        
        その「何か」への視点を欠いたまま、個々の問題に「のみ」踏み込んでいくと、おそらく、泥沼になる。
        というか、実際、多くの議論は泥沼になってますよね。
        分野を問わず、議論に踏み込めば踏み込むほど、どんどん本質から逸れて、「何か」に翻弄されている気分になります。
        
        なぜ誰も債務貨幣制度の話に「聞く耳を持たない」のか? いくらこの分野を追求しても「現状」が「相変わらず」です。
        なぜ未だに生体販売をしている店に客が足を運ぶのか? いくらこの分野を追求しても「現状」が「相変わらず」です。
        なぜ寒いダジャレを言う人が後を絶たないのか? いくらこの分野を追求しても「現状」が「相変わらず」です。
        
        個々別々の問題の「問題点」をいくら鋭く抉っても、抉り続けても、「現状」が「相変わらず」です。
        「何か」があるに違いないんです。その場所とは別の、さらに背後に。
        そのような個々別々の事象を、「現状」として存在せしめてしまう「何か」が。
        
        
        だから、たとえば騒音ですけど、ネットで騒音問題関連のページを見ていると、
        騒音問題について怒りの言論を書き込む傍ら、その他の社会問題についても触れていたりします。
        で、そういうのを見て、人は「何にでも文句を言うのが好きなだけの偏屈者!」だと思うのかもしれませんが、
        おそらく、そこでは、騒音ということに限らない「何か」が意識されているのではないかと思います。
        どこまで明確に意識されているかどうかはさておき、
        個々別々の、事象の、背後、に予感される、「何か」。
        
        
        個々別々の、問題、の、さらに背後に、予感される、ありありと予感される、「何か」。
        個々別々の、主題、の、さらに上位に(下位に)、位置し、それを「現状」として可能ならしめて、いる、「主題中の主題」。
        
        すべての主題が、そこに起因し、そこへ帰結していくような、「主題中の主題」。
        
        
        個々のテーマが「枝葉」に「過ぎない」などとは言いたくはありません、が、
        正しいことを言えば正しい結果になるはずだ、ということが幻想に過ぎない、と認めざるを得ない、その先に、では、どこへ向かえばいいのか?
        
        資本主義はオワコン。その通り。でもみんな資本主義が大好き。さて、どうしよう?
        拡声器騒音は害悪。その通り。でもみんな拡声器騒音が大好き。さて、どうしよう?
        寒いダジャレは万死に値する。その通り。でも今日もどこかで同志よ、どうしよう?
        
        どうにもならない。
        ではさて、どうしましょう?
        主題中の主題へ。
        
        どうにもならない。
        見えるものがあるはず。絶望が見える。目を凝らせ。目を閉じるな。絶望が見える。見えるはずだ!
        個々別々の主題の行き止まりの、その先へ。
        主題中の主題へ。
        
        
        先日、図書館へ足を運んで絶望しました。
        読むべき本が見つかりません。こんなにたくさん本があるのに。
        個々の分野のエキスパートになることが無意味だとは思いません。
        ただ、「主題中の主題」のことが書かれた本が見当たらない。こんなにたくさん本があるのに!
        困ったな。
        
        というか、そもそも矛盾しているわけですよ。
        たとえば、何かすごくいいことが書かれている本があったとして、
        そんな本が出版されている、にもかかわらず! なぜ、この世はこのようなのか? もちろんダジャレです。
        その本のことがあんまり知られてないから? じゃあなぜ、そんないいことが書かれてる本なのに、知られてないんですか?
        悪の組織の陰謀で普及が阻止されているから?
        じゃあ、知り合いに勧めても誰も見向きもしないのはなぜですか? 宇宙人のハイテク兵器で脳を操られているから? なるほど!
        
        つまり、まさに、ここに、絶望が、ある。

        どうにもならない。

        ではさて、どこへ向かおう?
        
        
        
        さしあたり、いつものあれを。
        今日もあなたが幸せでありますように。

        
        
        
        

◆ 2018/10/07
    したこと:
        マインドルの立ち絵作成
        
        学園モノと言えばアメリカのお菓子のような濃ピンク。
        
        
        
        というか前回の色違いですね。だってもう服装の選択肢があんまり残ってないんですもの。
        何か追加のデータを買えばいいのかもしれませんが、どういうわけか偽札が未だに作れないのでどうにもなりません。このやろ〜。
        
        
        
        スクリプトでは単に「私服」としか指定してないので、特にこだわる必要はないはず。
        そもそもこの期に及んでグラフィックにこだわっても仕方がありません。埋まってることが大事。

        と言いつついろいろ手を加えております。
        前回と同じ要領でスカートからズボンに換装。
        ちなみにコミPo!で部分的に服装を変えることはできないので、GIMP上でのモンタージュです。
        上半身がのっぺりしてしまった気がするのでベルトを描き加えました。ベルトに見えますよね? はーい、見えまーす。
        どうせテキスト欄に隠れるのであんまり意味ないかな? と思ったのですが、
        むしろテキスト欄のちょうど裏側に位置することになるので、読んでる間ずっと視界の中心ですね。
        この私が自ら描いたハイセンスなベルトを存分にご堪能いただければ幸いです。
        
        さて。
        どうしようかな。
        
        まずさしあたり、あなたが幸せであってくれればそれでいいし、
        今後においても、あなたが幸せであってほしいと思います。
        
        たとえ何がどうであっても、あなたが幸せでないなら何の意味もないし、
        たとえ何がどうであっても、あなたが幸せであるならそれに勝るものはありません。
        
        とは言うものの。
        
        
        
        この世は一体いつからこのようなのか? もちろんダジャレです。
        
        かつて人間が美しいものであった時代があった。
        やがて激情の時代を経て冷淡と退屈の時代へ。
        
        太陽から月へ。月から地上へ。
        情熱の光は傲慢の炎を経て抑圧の冷たい鎖へ。
        
        それでもなお太陽からは離れがたく、それでいて直視することもできず、周囲をいつまでも回り続ける。
        近くに月を振り回し、重力の鎖につながれて、毒の酸素を呼吸する。
        
        太陽とは何か?
        人間がその周囲をまわっているもののこと。この世がその反射であるところのもの。直接見ることはできないもののこと。
        
        地球とは何か?
        人間が生きている場所のこと。
        
        月とは何か?
        光の中では見えないもののこと。直接は触れられないが、常に近くに携えているもののこと。
        
        星とは何か?
        別の太陽のこと。可能性のこと。
        
        物質とは何か?
        他人と共有するもののこと。
        
        時間とは何か?
        他者との差分のこと。
        
        
        さて。
        愛はどこにあるのか?
        
        
        
        
        聞くところによると、縄文時代は争いのない時代だったとか。
        武器らしい武器や、戦闘らしい戦闘の痕跡の刻まれた人骨はあまり出土していないそうです。
        財産の私的所有という概念がなく、人とも自然とも協調して平和に暮らしていた、と言います。
        
        それが事実だったどうかということで言えば異論はあるのでしょうけれど、
        仮に事実なのだとすれば、つまり、自己意識がなかった、ということなのではないかという気がいたします。
        現代の我々が素朴に当然だと感じている、「個人」という感覚および「自我」という精神の仕組み。
        「争いがない」「調和している」「私的な財産所有がない」というのは、つまりそういうことであるように思われます。
        別の言い方をするならば、野生動物とあまり変わらない、と言ってもあながち間違いではないような気がいたします。
        誤解を承知で敢えて言えば、「人間らしさがない」ということです。
        もしたとえば現代のお茶の間で放送されているような人間関係のドロドロしたメロドラマを縄文時代の人に見せることができるとしたら、
        言葉の壁は別としても、おそらく「根本的に」理解できないのではないかと思います。
        何が「根本的に」かと言うと、それを了解するための内面的な仕組みそのものを持ち合わせていないということです。
        まだ知恵の実を食べていない。
        食べ物は生命の木から豊富に得ることができる。
        すべては神の思し召しのまま。
        
        
        世間では「無我」や「無私」といったようなことが、
        何か人格的に優れた状態であるかのようなメッセージが流通しています。
        世間に流通しているものとしてのそれらは、実際のところはせいぜい、世間的な価値観におとなしく従う、という程度の意味でありましょう。
        そのような皮相な意味では(本来は)ないとしても、それが単に自己意識を否定するものであるならば?
        知恵の実は否定すべき誤謬・煩悩でしかないというのならば?
        
        じゃあなんで自己意識なんてものがあるんですか?
        
        そういえば「利己主義」は迷信なのでした。
        それはむしろ「オマエラは放っといたらトンデモないことをしでかすロクデナシだから管理してやるぜ。ありがたく言うことを聞け!」
        というキャンペーンなのでした。余計なお世話ですね。
        
        「私」が存在するということは、つまり「あなた」が存在するということです。
        磁石のNとSのようなものです。片方だけ単独で存在するということは原理的にありえません。
        念のために言っておきますが、これは何も別に「支え合ってどうのこうの」みたいなイイハナシでもなんでもありません。
        単なる事実です。コインの片方が「裏」なら、もう片方は「表」という、それだけのことです。
        どちらかを「裏」ということに決めたのなら、そうじゃない側は「表」ということになる。それだけの話です。
        
        ではさて、一体何が目的なのか?
        
        最初から何もなくてもよかったはずなのに。
        何でまたこんなことになっているのでしょう?
        
        この私がこの私の意志でこの私の大事な人の幸せを願う。
        この私がこの私の意志でこの私の嫌いな人の幸せを願う。
        この私がこの私の意志でこの私を嫌っている人の幸せを願う。
        この私がこの私の意志であなたの幸せを願う。
        
        何もかもが、よく ありますようにと願う。
        
        
        苦しいことが「真理」であるハズがない。
        だって「そんなハズがない!」って思うでしょう? 思いませんか? 思え。
        はい。
        ところがむしろ逆に、わざわざ苦しい状況に埋没していこうとする動向の度し難いことと言ったら。
        いわく「仕方がない」「大人になれ」「そんなこと言ったって」「おまえも今にわかる」「甘いことを言うな」「キレイゴトを言うな」
        つまり少なくとも「真理」ではないということをわかってはいるということです。
        そしてこうした言動は、いつでも必ず自己自身以外の何かにその根拠を置いている、という特徴があります。
        だから「仕方がない」という。
        
        そこから抜け出すには「身勝手」である必要があります。
        何が「無我」だ。しゃらくさい!
        
        精神の歴史の行く末は?
        それは後戻りできない直線か? それとも無限の積み重ねか?
        
        どうあってほしい?
        すべてがよくありますように。
        
        自己意識を持っているという現状における、秘密の選択肢。
        あなたの幸せを願って情熱的に踊れ。
        
        
        
        
        
        

◆ 2018/10/01
    したこと:
        マインドルの立ち絵作成
        
        学園モノと言えば室内の普段着。
        
        
        
        制服とも違う。外出用のオシャレ着とも違う。
        同居人にしか見せないプライベートな姿にドキドキが止まらない。
        
        
        
        元素材はコミPo!に入っていた左端の服装。
        このままでもいいんじゃね? という声が誰もいないはずの室内で、しかし耳元に生々しく聞こえてきましたが、
        鋼鉄の意志でGIMPを起動し、加工を完遂いたしました。
        
        修正点は3箇所。
        季節の設定が夏ということで半袖に。
        室内ということでスカートを脱ぎ捨て、ズボンに換装。
        さらに室内っぽいラフさを主張するため、襟元を大きめに拡げる。
        そしてもちろん、ちょんまげは解除です。
        3箇所と言いつつ4箇所ですね。もはや数学さえ私の意志を縛ることはできません。円周率だって私が決めます。文科省はすっこんでろ。
        あっ、それからもう1つ、ラフさをさらに主張するために裾を伸ばしていたのでした。
        こうなったら数字の数え方から私が決めるしかありません。楽しみにしていてくださいね。
        
        ちなみになぜ室内だとスカートではなくズボンなのかにつきましては、誰もいない室内で耳元に聞こえてきた生々しい声に従いました。
        だって室内って適当な座り方するじゃん。寝そべったりするじゃん。ましてや自宅。
        そんなことを上記の左端みたいなミニスカートで決行したどうなるか?
        その結果は火を見るよりも明らか。
        まさに履いてないも同然。いや、履いている以上の何かが醸し出されてしまう。
        もちろん本文中にそんな具体的なシーンはありませんが、だからこそイマギナディオーンが発動してしまうというもの。
        具体的な光景が生々しく目に浮かぶ。鼻血が何リットルあっても足りない。ボタボタ。
        
        というわけでズボンなのですが、しかし襟元というか胸元が少々色っぽすぎるような気もしないでもありません。
        だってコミPo!の元素材の謎の黒い縁取りを消したらこうなるんだもん。
        この黒って、こういうガラの襟ってことなんでしょうか? それとも黒いシャツを下に着てるってことなのでしょうか? 
        いずれにせよ設定は夏。しかも室内。下にシャツを着ることなど不可能。まぶしい地肌を晒すことのみが唯一の選択肢。
        ならばそれを情熱的に選び取るのみ。
        
        とは言うものの、このままでは皆さんが鼻血をたくさん出してしまうのではないかと心配です。何リットルあっても足りない。ボタボタ。
        問題はどこにあるのか?
        まぶしい地肌を見つめていて気付いたことが1つあります。
        ノーブラです。
        上半身素っ裸の上にゆるいシャツをずぼっとかぶっただけですねコレは。
        もうこの文章を↑タイプしているだけで鼻から赤いものが止まらなくなります。まさに堤防決壊。
        どうしましょうかね。
        せめてノーブラでないことをアピールするために、ブラの肩紐を描き加えるべきでしょうか?
        しかし、それはそれで尚更刺激的なのではないでしょうか? 
        一体どうすればいいのか?
        前門の虎、後門の狼。
        いずれにせよ(鼻からの)流血は避けられない。覚悟と悲しみを携えて情熱的に進め。
        
        

        > 前門の虎、後門の狼。
        
        と思ったのですが、本当にそうなんでしょうか?
        選択肢を押し付けられ、それがすべてだと思い込んでしまう。
        しかし一体何がそのような状況を強いているのか? 忘れてはならないのはそこです。
        それに虎さんも狼さんも大変じゃん。がおー。
        前と後ろ以外に道はないのか? 右は? 左は? あるいは上は? 地面を掘ることはできないのか?
        押し付けられた状況に甘んじることはない。
        
        と言いつつ、やっぱりどうにもならないのかもしれません。
        あらゆる可能性をさんざん考えた。他の誰よりも考えた。当事者として戦った。この世の誰よりも。誰よりも。
        その挙句に今がある。
        外野がエラそうにお説教しないでください。がおー。
        え? 何ですって? あなたも私と同じ境遇だった、ですって? そりゃ素晴らしい!
        だけどいいですか? 私はあなたと階級別のボクシングをするつもりなんて一切ありません。がおー。
        
        私はもう戦いたくなんてないんです。
        「どうにかする」ことを目的に心をたぎらせることはもうできない。
        かと言って、「どうにもならない」という「結果を言い当てる勝負」をしてしまうのはイヤだ。
        
        「どうにかなる/ならない」という地平で心の底から踊ることはできない。
        かと言って、その地平を否定することが正しいことだという指令を遂行するエージェントになりたくもない。
        
        「セロトニンジャンキー」の中にはニンジャが潜んでいて、
        世間は忍術で今日も回っていて、
        ならばその忍術はどこから来てどこへ行こうというのか?
        足元にはマキビシばかり。
        
        宇宙は広い、と誰かが言う。
        ではなぜ、よりにもよって「この場所」なのか?
        右も左もわからないまま、手の中には錆びついた手裏剣だけ。
        鼻血も涙も止まらない。
        
        諦めと悲しみを携えて大胆に忍び寄れ。ここが私の生きる場所。
        祈りと願いを込めて情熱的に踊れ。ここがあなたの生きる場所。
        
        ああ、どうか、せめて。
        あなたが今日も幸せでありますように。
        
        
        
        
        


◆ 2018/09/24
    したこと:
        マインドルの立ち絵作成
        
        学園モノと言えば適当なTシャツ。
        
        
        
        立ち絵作業も終盤ということで、デザインに苦慮しております。
        デザインにこだわるつもりはないとは言え、他のキャラと同じような感じになるのは避けたいところ。
        というかむしろデザインにこだわりようがない(絵が描けない)。
        服自体のタイプと色を変えるぐらいしかできないわけです。
        
        服のタイプと言っても、「半袖」「長袖」「襟つき」「襟なし」「スカート」「ズボン」「着衣」「全裸」ぐらいのもの。
        色を変えると言っても、人間の世界には原理的に赤と緑と青しかありません。
        色を混ぜると言っても、元が3色しかないのでたかが知れています。
        だからゴレンジャーはたった5人で地球を守らねばならないのです。人類危うし!
        
        それで結局、黄色いTシャツのキャラって既に他にもいませんでしたっけ? ということになる。このやろ〜。
        しかし、同じルートには登場しないので誰も気付かないでしょう。
        しかも、みなさんの目は頭部のちょんまげに釘付けになるので誰も気付かないでしょう。たとえ全裸でも気付きませんよね? よし。
        
        制服や学校指定の体操服であれば一度決めてしまえば、全キャラ同じでいいのですけどね。
        と言いつつ、一度決めてしまうと取り返しがつかなくなるってんで、制服を決めるときにはプレッシャーで寿命を縮めることができたのでした。
        この調子でどんどん寿命を縮めて一刻も早く人生を完遂したいところです。
        しかし私はあなた方を愛していますので、まだ地球にいなければならないのでした。
        
        ところでいつも「あなた方を愛しています」と申し上げているわけですが、
        この「あなた方」ということを、どういう水準に設定すればいいのでしょうね?
        水準というか、範囲というか、規模というか。
        
        たとえば聞いた話では、カツオノエボシというのがいらっしゃるそうじゃないですか。
        
        
        
        見たところ一匹に見えますが、実際には小さな個体(個虫)が集まってこういう形になっているんですってね。
        この場合「カツオノエボシさん」というのは、この群体の全体を指して言ったらいいのでしょうか?
        それとも、群体を構成している個別の皆さんそれぞれを指して言ったらいいのでしょうか?
        いや、「カツオノエボシ」という名称の所在に関しては、「株式会社カツオノエボシ」という感じかもしれなくて、
        それは用語の定義の問題だから、わりとどうでもいい気がします。

        それよりも、仮にカツオノエボシさんが自己意識をお持ちになっていらしたとして、
        それは群体として1つの自己意識なのでしょうか? それとも1つ1つの個虫が個別に自己意識をお持ちになっていらっしゃるのでしょうか?
        
        私はもちろんカツオノエボシさんのことも愛しているのですが、
        果たしてどの範囲を想定して「カツオノエボシさんが幸せでありますように」と言えばいいのでしょう?
        
        「幸せでありますように」というのは、あくまでも何らかの「自己意識」に向けて言っているのです。
        「ヤン・ピーテルスゾーン・クーンさんが幸せありますように」とは言えますが、
        「東インド会社が幸せでありますように」とは比喩以外では言えません。
        もちろん東インド会社自体に自己意識がある場合は別ですが、果たしてどうなのでしょう?
        
        
        それからもう1つ、みなさんの大好きなオカルトの話になりますが、
        一人一人の人間に憑いている守護霊と、民族単位で憑いている民族霊と、時代単位で憑いている時代霊というのがいらっしゃるそうじゃないですか。
        この中で言うと守護霊というのは、見た目通りの個人単位についているということで、ある意味わかりやすいものがありますが、
        それだけではなく、民族全体、あるいは時代全体という規模で、何らかの霊的存在の影響がある、というお話ですね。
        
        そのノリでいくと他にもいろいろありそうです。
        スマホ見ながら歩いてる人たち全体に憑いているスマホ霊だとか。
        歩きながら喫煙して煙をまき散らしている人たち全体に憑いている歩きタバコ霊だとか。
        各種拡声器放送が鳴り続ける風潮を陰に日向に支えている人たち全体についている拡声器放送大好き霊だとか。
        
        つまり、本当にそれって自分が(あなたが)個人として自分の意志で選択して判断して実行してることですか? ってことですよ。
        
        実際、不思議で仕方がないんですよ。
        スマホ見ながら歩いているスマートな人は頻繁に見かけるのですが、
        そのわりに、そういう人が誰かとぶつかっている場面、ってのは全然見かけません。
        前を見てないのに一体どうしてぶつからないのか?

        言っておきますが「自分勝手だから」とか「まわりが見えてない」とか言うのは嘘です。
        むしろ話はまったくの逆で、言うなれば「空気を読んで」そのようにしているとでも考えざるをえません。
        「まわりを見てない」なら、もっともっとぶつかってるはずです。
        「気を遣ってよけてあげてる」(はずである)周囲の人々も含めて、「こんなもんじゃないだろ?」と思わざるを得ません。
        
        統計的には事故は発生しているらしいですし、そりゃ発生はしてるのでしょうけど、それがどうしたって気がします。「この日常」は変化しない。
        私自身の生活実感としては、もっともっとぶつかってないとおかしい気がします。
        私なんて外を出歩くときは全身の神経をビリッビリにして前後左右に200%の警戒をしてないと危険で危険でどうしょうもない。
        ほんのちょっと気を抜くだけでたちまち前や後ろから自転車(に乗った人)が迫ってきたり車(に乗った人)がクラクションを鳴らしたりする。
        それなのに、スマホに夢中になって歩いている人たちは、どうして、あんなにも「街に溶け込んでいる」のか???????
        仮に私が同じことをしたとしたら、10メートルも歩く前に何らかのトラブルが必ず起きるでしょう。
        
        一体何が「この日常」を可能ならしめているのか?
        
        そこでスマホ霊というわけですよ奥さん。
        スマホ霊の影響下で操られているからこそ、個々の人(肉体)はぶつからずに歩ける。
        自分で周囲に気をつけてなくても大丈夫、というわけです。
        一方、私はその霊に帰依していないので無理、というわけです。
        
        同じことはその他の各現象についても言えます。
        なんでそんなことができて(本人側)、しかもそれが常識的なことであるかのように日常に溶け込んでいる(世間側)のか?
        1人1人の人間がそれぞれに個人として自由意志で行動しているのだという前提で考えると、どうしてもつじつまが合わない。
        何らかの「カツオノエボシ現象」があるのではないか?
        
        さて、それでも私はあなた方を愛していますから、
        今日もいつものように、「今日もあなたが幸せでありますように」と言います。
        
        じゃあ忘れないうちに言うぞ。
        今日もあなたが幸せでありますように〜。
        
        ところで私は一体それを「何に」向けて言っているのか???
        
        私のようなスーパー善人にはよくあることですが、
        一人一人の個人がそれぞれに幸せであって欲しいと常に願っております。
        そして、そのように言うとき、それは同時に、「あなた」が一人の個人として自己意識と自由意志を持っていることを前提としているし、
        また、そのようにあること、をも大胆にも促そうとさえしている。してしまっている。
        しかし、それは果たして、どのような 水準/規模/範囲 でありえるのか? またはありえないのか?
        
        とりあえず「どっちでも同じ」「両方っすよ」と言って話を終わらせてしまいたい気もしつつ、
        しかしやはり、
        「ヤン・ピーテルスゾーン・クーンさんが幸せありますように」とは言えますが、
        「東インド会社が幸せでありますように」とは比喩以外では言えません。決して言えません。どーーーしても言えません。
       
        さしあたりは、無限定に、無照準に、言うことはできそうです。言うことはできそうですが……。
        
        > しかし、それは果たして、どのような 水準/規模/範囲 でありえるのか? またはありえないのか?
        
        どこかの水準でありえるとして、それ自体が果たしていいことなのか? それ自体が果たして「幸せな」ことなのか?
        
        何しろ一番いいのは生まれてこないことです。
        二番目にいいのは自殺です。
        最初からこの宇宙全体として何もない「無」だったらよかったのですが、どういうわけか、我々は存在してしまっています。
        
        その上で何ができるかと言えば、
        存在している諸々のものが、それぞれに、それぞれの仕方で、それぞれの意味合いで「よい」状態でありますように、と願うことだけです。
        
        うん。ですね。そうですね。
        そう。それ自体は、それ自体は、それはそれで、全然オッケーです。
        ただ、結局のところ、この世は一体何なんだ? ってことです。
        もっとよく見える目が欲しい。
        
        
        
        


◆ 2018/09/17
    したこと:
        マインドルの立ち絵作成
        
        学園モノと言えば所帯じみた日常。
        
        
        
        所帯じみた日常ということですが、一体どうすれば所帯じみることができるのか?
        三日三晩ご近所の滝に打たれて考え抜いた末、寝間着にカーディガンを羽織ることを選び取りました。
        所帯じみの奥義、ここに開眼せり。
        奥さんおはようございまーす。アラヤダ、こんな恰好で。オホホ。
        
        
        
        ちなみにカーディガンですが、今回もまたキャラ3先輩のお下がりです。
        先輩がお召しになるとフォーマルな感じになるのに、下が寝間着だと、どうですか、この血沸き肉踊る所帯じみっぷり。
        そう。寝間着とは! カーディガンを羽織ることでその隠された真価を顕現させるのです。
        さらに住宅街を背景に背負えば特殊フィールド発動ってなもんです。まさに最強コンボ。こんな日常を待っていた。
        
        さて、日常と言えば陰謀です。
        陰謀と言いうと非日常的なものを連想してしまうかもしれませんが、
        日常の節々にこそ、周到に張り巡らされた謀略が浸透しているというもの。
        
        たとえば何気なくシャツを手に取ると、高確率で前後あるいは上下が逆になっている。
        まさに陰謀!
        宇宙人のハイテク兵器による陰湿な嫌がらせです。このやろ〜。
        もちろん人前で実演しようとすると、なぜかうまくいきません。
        何しろ相手はハイテク宇宙人ですから、その程度のことは織り込み済みってワケです。そこまでを含めての陰謀ってワケです。
        実演して見せようとした相手と私が険悪になるということも含めての陰謀ってワケです。
        まったく手の込んだハイテクぶりです。宇宙人もご苦労なこって! ケッ!
        しかしそこらへんの一般人は騙せても、この私を騙すことはできません。
        
        というわけでですね、具体例をあげるとですね、キリがありませんけどね、
        つまり、これが日常ってことですよ。一事が万事この調子ってことですよ。
        やつらの張り巡らした網の目はもはや世界中を覆い尽くし、逃れることはできません。このやろ〜。
        
        なぜこの世はこのようなのか? もちろんダジャレです。
        ですが、実のところ、大体わかってるんですよ。
        「なぜこのようなのか?」は、大体わかってるんですよ。
        ただ、「じゃあどうすればいいのか?」がわからないのです。
        とにかく「どうしょうもない」としか言いようがありません。
        
        大体わかっていると言っても、もちろん知らないことはたくさんありますよ?
        たとえば、さっきスーパーで会計をしてくれたお嬢さんのパンツが何色だったのかは聞いてないので知りません。
        そういうことは面と向かって聞かないと知りようがないことです。
        かと言って面と向かって聞いても仕方がありません。
        もちろん公衆の面前でスカートをめくって真実を暴いても仕方がありません。
        重要なのはそこではない。
        問題の本質は「パンツが何色だったのか」という文言です。
        このシンタックスが、全てを既に物語っているのです。
        パンツというものが存在し、履くことになっており、何色かであった。あるいは履いていない可能性もあった。ドキドキ。
        そういった諸々の可能性がすでにそこに語られております。語られております。ドキドキ。
        そこからはまた、どのようにその色を選んだのか? どのような仕草で着用したのか? あるいは如何にして履かないことを選択したか?
        といった諸々の可能性もまた見出されます。見出されます。ドキドキ。
        もはやドキドキは止まるところを知りません。
        ですが諸々の可能性はすでに余すところなく知られております。
        その意味で、この世がなぜこのようであるかは大体わかっていると申し上げました。もちろんダジャレです。
        
        しかし、「じゃあどうすればいいのか?」がわからないのです。
        とにかく「どうしょうもない」としか言いようがない。
        
        ここで選択肢は2つあります。
        1つは、この世がこのようであるというダジャレに対し、それでよい、としてしまうことです。
        不満を口にしている人に対しては、この世はこのようであるのだというダジャレを自動設定し、したり顔でお説教をする。そんな大人になる。
        そういう選択肢がある。なるほど、それも確かに1つの選択肢です。
        しかし私はそれを選びません。
        なぜなら、この瞬間も苦しんでいる人がいるからです。
        黄巻紙の発音を強要されて舌から血を流している人がいるからです。
        ガス爆発するバスに巻き込まれて寝具が吹き飛ばされる人がいるからです。
        この世がこのようであるというダジャレは百も存じ上げております。
        しかし私は決してそれでいいとは申しません。
        苦しんでいる人に向けて、この世はこのようなのだ、などとしたり顔でダジャレを吐き捨てる。
        そんなことは断じてこの私の選択するものではありません!
        
        とは言うものの、「じゃあどうすればいいのか?」はわかりません。
        とにかく「どうしょうもない」としか言いようがありません。
        
        しかし、「どうあって欲しいか?」はわかっています。明確にわかっています。
        あなたが幸せであって欲しい。
        誰もが幸せであって欲しい。
        したり顔でお説教をする大人になってしまった人が幸せであって欲しい。
        シャツを逆向きにするハイテク宇宙人が幸せであって欲しい。
        パンツを履いてないスーパーの店員が幸せであって欲しい。
        いつの間にか履いてないことになってますが、もちろん履いていくのもよいでしょう。これが本当のハイテクってやつです。ギャフン。
        
        ・この世がこのようであること(ダジャレ)
        ・どうすればいいのか?
        ・どうあって欲しいか?
        
        は別々のことです。
        2番目がわからなくても、3番目はわかっています。
        
        もちろん、繰り返しますが、だからと言ってこれは希望でもなんでもありません。
        相変わらず「どうしょうもない」。
        
        ところで、ぜひお伝えしなければならないと思っていたことが1つございます。
        バスがガス爆発する件ですけど、バスで使われている燃料はガスはガスでも天然ガスです。
        すなわち、あり得るとすれば、バス天然ガス爆発です。
        言いやすい!
        確かにバスが爆発してしまうこと自体は避けがたいことです。天然だろうが養殖だろうが、その点は同じです。
        まさにこの世とはこのようなものでありましょう。
        しかしながら、少しでも舌を噛んで苦しむ人が減って欲しい。
        そのように願ってやまないものであります。
        
        
        今日もあなたが幸せでありますように。
        
        
        
        
        

◆ 2018/09/08
    したこと:
        マインドルの立ち絵作成
        
        学園モノと言えば帰り道での偶然の遭遇。
        
        
        
        元素材はコミPo!に入っていた「夏制服」です(左端)。
        学校指定にしてはエラくアバンギャルドな制服です。むしろ私服として活用できるのではないかと以前から虎視眈々と狙っておりました。
        
        

        というわけで制服っぽさをさらに無くすために胸元のリボンと襟をGIMPで削除。
        さらに鎖骨を装備すれば向かうところ敵なし。
        ちなみに鎖骨はキャラ3先輩から受け継ぎました。持つべきものは鎖骨の輝く先輩ですね。
        あなたの身近にそのような先輩がいらっしゃいましたら、卒業の際にはぜひ少し分けてもらうとよいですよ。
        
        それにしても、どうしてこの世はこのようなのでしょうね。もちろんダジャレです。
        先週に引き続き、同じネタを繰り返す。
        つまり、この世がこのようであるという現前の事実が何一つ変わっていないということに他なりません。
        やりきれません。
        
        みなさん、コンビニってご存知ですか?
        いつ行っても開いてて、不動産以外は大抵何でも売ってる上に種々雑多なサービスを受けることができる高級店です。
        私は普段はそのような高級店に足を踏み入れることはないのですが、
        金だけは持ち歩くのに困るほど持っておりますのでATMの活用が欠かせません。
        そこで、たまにATMを利用するためにコンビニに入ります。
        
        で、大体ATMって店内の隅っこにあるじゃないですか。隅っこのちょっと狭いところにあるじゃないですか。
        先日自転車に乗ってコンビニに乗り付けてよーし今日もタンマリと出金して街に繰り出して豪遊するぜ!
        とワクワクしながら店に入ったのですよ。
        そしたら、ATMが設置してある狭い通路の壁に制服姿の小娘が寄っかかって、携帯デバイスに夢中になってるんですよ。
        
        なんて言うか。
        一瞬で全身から気力が完全に抜け出て、何もする気がしなくなりました。
        タメ息さえもままならないほど体が重い。
        その場に56億7千万年ほど立ち尽くしていたような気がしますが、弥勒は降臨しなかったので実際には3秒ほどだったのと思います。
        体のバランスを保つのに苦慮しながらその場で回れ右して店を出ました。
        
        なんて言うか。
        圧倒的な「どうしようもなさ」を目の当たりにしました。
        
        いや別にね、その小娘がどうしても邪魔で困るというわけではないのですよ。
        その気になれば蹴散らしてATMを使えばいいでしょう。
        別に蹴散らさなくても一言声をかけてどいてもらってもいいでしょう。
        ただ、そこまでしてATMを使いたかったというわけではないのです。
        
        強いてその小娘が「邪魔」か「邪魔じゃない」かの2つに1に限定して言うならば、明らかに「邪魔」です。
        ただ、
        強いてその娘が「重罪を犯している」か「重罪を犯していない」かの2つに1つに限定して言うならば、明らかに「スマホに夢中」です。
        だからつまり、それ以上でもそれ以下でもないということです。
        だからつまり、「どうしょうもない」ということです。
        まさにそれこそが「どうしょうもない」ということそのものです。
        
        ちなみに私はテレパシーが使えるから明確にわかるのですが、
        その小娘は別に「ATMを利用しにきたやつらの邪魔をしてやる! 誰にもATMを使わせるものか!」と思ってそこに仁王立ちしていたわけではないのです。
        むしろ誰の邪魔をするつもりもなくて、「ここならスマホに夢中になってもいいワヨね!」と思っていただけなのです。
        だからつまり、「どうしょうもない」ということです。
        まさにそれこそが「どうしょうもない」ということそのものです。
        
        決して「他人の存在に無頓着」というわけではないのですよ。だから隅っこで夢中になっている。
        そもそも本当に「他人に無頓着」なんだったら、裸で歩いてるはずです。
        しかもキレイな制服なんかをお召しになってるってことは、どこぞのお上品な学校の生徒さんなのでございましょう?
        それでいて派手な感じではない。
        ご存知の通り、私はイマギナティオーンが使えるので明確にわかるのですが、その小娘はとってもいい子です。
        世間の常識をわきまえている、どこに出しても恥ずかしくないお嬢さんです。
        だからつまり、「どうしょうもない」ということです。
        まさにそれこそが「どうしょうもない」ということそのものです。
        
        その小娘は何しろ小娘ですから、自分でATMを使うということはないのでしょう。
        だから、店のど真ん中の通路でスマホに夢中になっているというわけではなくてですね、
        あくまでも「店の隅っこ」でスマホに夢中になっているのです。
        そこは「店の隅っこ」なのであって「狭い通路のATMの前」では決してないのです。
        ATMというもの自体が、その小娘の小宇宙(コスモ)には存在していないのです。
        残念ですがこんなコスモじゃゴールドセイントには傷一つつけられません。
        だからつまり、「どうしょうもない」ということです。
        まさにそれこそが「どうしょうもない」ということそのものです。
        
        その日、自分がそこでスマホに夢中になっていたために、ATMを使うのを諦めた人がいた、
        ということをこの先の人生で一生知ることなく生きて、そして死んでいくのでしょう。
        だからつまり、「どうしょうもない」ということです。
        まさにそれこそが「どうしょうもない」ということそのものです。
        
        念のために言っておきますが、私にはその小娘を裁くことはできません。
        裁くのは私の役目ではない。私にできるのは、ただ「見る」ことだけです。
        私に見えたのは「この世がこのようである」ということです。つまりダジャレです。
        
        だからつまり、「どうしょうもない」ということです。
        まさにそれこそが「どうしょうもない」ということそのものです。
        
        どうしょうもなくこの世はこのようなのです。もちろんダジャレです。
        今日も相変わらず、布団という吹き飛ぶはずのないものが吹き飛ぶという「ことになって」いる。
        そのような「常識」という人工の孤島の上で、人々がひしめき合っている。
        
        「悪い人」なんてどこにもいない。
        一人一人の人間は「どこに出しても恥ずかしくない」お嬢さんです。性別は知りませんが、ともかく誰もがお嬢さんです。
        でもお嬢さんだから自分でATMを使うことなんてないし、
        そこにATMがあるということ自体がコスモに含まれてないし、
        「ここならいいワヨね」なのです。
        ゴールドセイントには傷一つつけられない。
        
        見えるものは限られている。誰だってすべてを見通すことはできません。ゴールドセイントの拳は光速を超えている。
        かと言ってセブンセンシズを開発しろなどと、そんな過酷な試練を身近な大切な人たちに要求できるでしょうか?
        
        だからつまり、「どうしょうもない」ということです。
        まさにそれこそが「どうしょうもない」ということそのものです。
        
        どうして人間には目が2つしかないのでしょう?
        昔は3つあったんですよ。
        それがいつの頃からか1つ失くなってしまった。いつ頃かと言えば、大体紀元前1200年頃です。
        オデュッセウスが旅をしていた頃にはまだあったようですが、ダビデがゴリアテにとどめを刺した頃から「中央の目」の時代は終わりました。
        それ以来、人間は前を向いて生きなければならなくなりました。
        しかし時あたかも21世紀。人間にスマホという第四の目が与えられてしまった。
        
        第四の目はとてもよく見える目で、今までの2つの目で見ていた世界よりも重要なものが見えているように思える、と言います。
        第四の目を人間に与えたのは何者なのでしょう?
        第四の目を人間に与えたのは何が目的なのでしょう?
        第四の目は人間の発明なのでしょうか? それともハイテク宇宙人の陰謀なのでしょうか?
        
        第四の目はとてもよく見える目で、今までの2つの目で見ていた世界よりも重要なものが見えているように思える、と言います。
        だから、その目が人間に見せる世界によると、
        「ここならいいワヨね」なのであり、
        「そこにATMがあるということ自体がコスモに含まれない」のであり、
        第四の目で熱心に世界を見るお嬢さんはどこへ出しても恥ずかしくないいい子であり、
        私は第四の世界に生きる人々の誰にも知られることなくATMの使用を諦めて今日も偽札で用を足すのです。
        
        私の使うお金は偽札であり、
        どこを歩いても前からは徒歩の人間が迫ってきて、
        後ろからは自転車に乗った人間が迫ってきて、
        横にそれようとすれば四つ足の獣の首に伸縮性のロープをつけて連れ回している人間が迫ってきて、
        もう一度後ろへ戻ろうとすれば、狭い道幅いっぱいの大きな車体を乗り回した人間がクラクションを鳴らしながら迫ってくる。
        
        いや、そんなことはどうでもいいのです。
        問題はもっと根本的なことです。つまり、この世はどうしてこのようなのか? もちろんダジャレです。
        
        ところでなんでこんな話になっているのかと言えば、
        今回に関して言えば、ATMの前の小娘です。
        ふと思ったのですが、これっていわゆる「たかがその程度のこと」ってやつですか?
        なるほど。反論する意欲が排水口に吸い込まれるように消え失せていきます。
        確かにその通り。
        きっとその小娘だって、もっと別の重大なことが身の回りで発生すれば、チャーンと反応することでしょう。
        じゃあ、その「たかがその程度のこと」と「もっと何か重大なこと」の境界線はどこにあるのか?
        そんなものは自明です。問うまでもない。
        たまに災害が発生して数百人死ぬのは「重大なこと」であり、
        毎年何万人も自殺で死んでいるのは「たかがその程度のこと」です。
        何に注意力を割り振り、何から注意力を逸らすか?
        切り替えは完璧です。さすが日頃から拡声器放送で「ご注意ください」とトレーニングを受けているだけのことはあります。
        加えて、おそらくスマホの画面には災害の被災地への募金を促す広告が表示されているのでしょう。
        もちろん被災地の復興のため政府がお金を発行するように促す署名キャンペーンの広告などといった有害極まる情報はシャットアウトです。
        第四の目はとてもよく見える目で、その目に入ってくる情報に従ってさえいれば間違いは一つも起こりません。
        もはや前を向いて歩く必要さえない。
        
        いいですか? もう一度言っておきます。

        も は や 前 を 向 い て 歩 く 必 要 さ え な い。
        
        我々はそうした便利極まる環境に到達してしまった。
        もはや後戻りは不可能です。つまりどうしょうもない。
        我々はどこから来てどこへ行こうというのでしょう?
        この問いを少し変形して、次のように言ってみましょう。
        スマホはどこから来てどこへ行こうというのでしょう?
        
        つまり「どうしょうもない」ということです。
        果てしなく「どうしょうもない」。
        根源的に「どうしょうもない」。
        圧倒的に「どうしょうもない」。
        
        さらに今キーボードで入力していて変換したら「銅賞もない」などと言われる始末。
        銅賞さえもないってぐらいですから、同然ながら金賞は僅少であり銀賞も今や吟唱でもするしかない有様なのでしょう。
        これだからAnthyはヤメられません。
        
        一体どうすればよいというのでしょう?
        だから、どうしょうもない、んですってば。
        はい、そうなのでした。
        あらゆる物事は正確に構築されており、12月31日の次は1月1日なのでした。
        どうしても13月にたどり着くことができない。
        やっと一週間が終わったと思ったら、すぐにまた月曜日になる。
        どうしてもここから出られない。
        
        圧倒的にどうしょうもない。
        
        「見る」ことはできても、「動かす」ことはできない。
        どうしてこの世はこのようなのか? もちろんダジャレです。
        こうなった原因。眼前の現状。それが維持される仕組み。
        根源的なトリムルティが完璧なトライアングルフォーメーションを構築してこの世を囲っています。
        
        圧倒的にどうしょうもない。
        
        このどうしょうもないことに対して何をしてもどうしょうもない。
        だってどうしょうもないのだから。
        このどうしょうもない中で、せめて何ができるか。
        せめて、どうか、あの小娘が幸せであって欲しいと思います。
        せめて、どうか、ハイテク宇宙人が幸せであって欲しいと思います。
        
        どうか、お願いですから、あの小娘が幸せでありますように。
        どうか、お願いですから、ハイテク宇宙人が幸せでありますように。
        
        どうか、お願いですから、私の大切な人たちが幸せでありますように。
        どうか、お願いですから、私の嫌いな人たちが幸せでありますように。
        どうか、お願いですから、私を嫌っている人たちが幸せでありますように。
        
        だからと言って、このどうしょうもないことが1ドットでもどうにかなる、などということはありません。
        なにしろ「どうしょうもない」のです。
        
        ただ、それはそれとしてですね。
        今日もあなたが幸せでありますように。
        
        
        
        
        

◆ 2018/09/03
    したこと:
        マインドルの立ち絵作成
        
        学園モノと言えば同居。
        
        
        
        というわけで寝間着です。
        寝間着に見えますよね? はーい、見えまーす。
        うむ。満場一致。これだから民主主義はヤメられません。
        
        
        
        今回は下がズボンということで、白制服ではなく私服から作成。
        色を変換して前開きのボタンを描き込めばアラ不思議、パジャマでごめんくださいってなもんです。
        襟元は夏服から拝借。ボタンはどうしたんだったかな? 
        よく覚えてませんがすでに作業に年季が入っておりますので素材には事欠きません。
        ネジぐらいそこらへんに落ちてるでしょ、ってなもんです。
        というわけで寝間着に見えますよね? はーい、見えまーす。
        うむ。賛成多数。これだから民主主義はヤメられません。
        
        あと、言うタイミングを逃してたんですが、自宅内ということで自慢のちょんまげを下ろしております。
        
        
        普段外では見せない姿にドキドキが止まりません。ちょんまげっ子の必殺技が炸裂です。
        というか思った以上に人相が変わってしまった気がするのですが、同一人物ってことで通じますよね?
        人相が変わってしまう件に関しては本文中に何の言及もありません。
        そもそも本文の作業をしている段階では、ちょんまげという設定がなかったのでした。
        大丈夫かな。どうしましょう。できれば本文はイジリたくありません。
        一瞬の戸惑いは期待しつつも、同一人物ということは伝わって欲しい。
        伝わりますよね? はーい、伝わりまーす。ああよかった。民主主義って本当にありがたいですね。
        現代のこの国に生まれたことを心から誇りに思います。
        じゃあそういうわけでお金ください。あれ? いつもの返事はどうしたんですか? このやろ〜。
        
        それにしても偽札って難しいですね。
        作るのが難しいだけでなく、使うのも難しい。
        よしんば使うのに成功したとしても、使った偽札が、そのお店の売上として残ってしまいます。
        するとどうなるか?
        そのお店のご主人がそれを別の場所で使おうとして、そこでバレる可能性がある。
        そこでバレなかったとしても、偽札は天下の回りものですから、いつかはバレる可能性がある。
        お札の寿命は大体1~5年ぐらいだそうです。その間、果たして一度もバレずに逃げきれるものでしょうか?
        最終的に日本銀行に回収された段階で偽札のチェックをしているのかどうかは知りませんが、チェックをしているなら確実にバレるでしょう。
        そして当然警察沙汰でしょう。
        その時点では作ったのが私だということまではバレなかったとしても、
        警察沙汰になってしまうということ自体が問題です。警戒されている中では使えません。
        つまり、長続きしない、ということです。
        苦労して作っても、せいぜい数えるほどしか使えない。
        
        絶対にバレない完璧に本物ソックリな偽札を作るのはもちろん難しいですが、
        そこまでのクオリティを求めないならば話は別、という考え方があります。
        パッと見たところではニセモノには見えない程度のものを、
        偽札だとは疑われていない状況で、さりげなく使ってしまう、ということです。
        確かに、それなら成功する可能性はあるかもしれません。
        ですが、上記の理由により、何回も繰り返すことはできません。
        せいぜい一年に一回程度の頻度で、県単位で場所を変えて実行できるかどうか、というところでしょう。
        交通費で足が出てしまうんじゃないですか?
        リターンが少ない上に、リスクもコストも大きすぎます。
        
        一体どうすればいいんだ!
        
        民主主義の国で、私がこんなにもお金が欲しいと言っているのになぜお金をくれないのですか?
        民が主と言いながら、その民の中に私は含まれていないなんて。このやろ〜。
        
        それにしても、なぜこの世はこのようなのでしょう? もちろんダジャレです。
        偽札に関してはですね、今後ともですね、継続してですね、取り組んでいきたいと思うわけですが、
        それを含めた、包括的な問題として、どうしても考えずにはいられません。
        なぜこの世はこのようなのか? もちろんダジャレです。
        幼虫に注意を要するのと同じぐらい重大な問題です。バスがガス爆発を起こしかねない。おっとこれはダジャレじゃなかった。
        
        ガス爆発のついでに申し上げれば、青赤黄の巻き紙のために今この瞬間も幾人もの人が舌から血を流しているわけですが、
        そもそも巻き紙って何なんですか? 身の危険を犯してまで発音しなけれなならないほどのものなのですか?
        正体すらわからないもののために、そのような問いを発することさえ許されず、今も数え切れない人が苦しんでいる。
        やりきれません。
        これはほんの一例に過ぎません。
        たとえば布団なんてそう滅多に吹き飛ぶハズもないのに、さも重大なリスクであるかのごとく脅迫的なメッセージが流布され、
        それを防ぐための役にも立たないスキルやノウハウで人々が互いに互いを値踏みするよう仕向けられています。
        同じようなことは枚挙に暇がありません。
        だからこそ問わねばならないのです。
        なぜこの世はこのようなのでしょう? もちろんダジャレです。
        ついでながら、なぜあの世はあのようなのか? ということも合わせて問わねばなりません。
        この世がこのようであることを理解するには、あの世があのようであることについての洞察が不可欠です。
        
        そのようにオカルトも辞さない態度で虚心坦懐にこの世について思いを巡らせると、
        どうしても、いわゆる陰謀論のような考えに思い至ります。
        
        表現の仕方はいろいろあります。
        たとえば、謎の組織が裏側からメディアや社会を操って人々を搾取している、だとか、
        たとえば、悪の宇宙人が地球人にマイクロチップを埋め込んで利用している、だとか、
        たとえば、霊界から捕食的存在がやってきて人類を苦しめて苦痛の感情を餌にしている、だとか、
        表現の仕方はそれぞれですが、言っていることは同じです。
        
        一人一人の人間はそれぞれに懸命に生きているだけなのに、
        全体として、個々の人間が幸せにならない。そういう仕組みになっている。
        「私たち」の努力が「私たち」の利益にならない。
        まるで「私たち」以外の何者かに操られて利用されてでもいるかのよう、ということです。
        
        本当にそういう「何者か」というものが実在するか否か、というのは、割とどうでもいいことです。
        いや、どうでもよくはないのですけど、ここは敢えて、どうでもいいと言い切っておきたいと思います。
        なぜかと言うと、そこに囚われると話が泥沼にしかならないからです。
        
        問題の核心は、人々の振る舞いにマクロな視点を向けたときの「やりきれなさ」です。
        「なんでだよ!」と叫びたくなる。
        しかし、いくら叫んでも変化は起きません。むしろ叫べば叫ぶほど逆効果になる。
        だからこその「陰謀」なのでした。
        人々はメディアで洗脳されており、宇宙人のマイクロチップで操られており、霊的捕食者の「外来の心」で意志を奪われているのでした。
        陰謀を告発する声には反発を示すように仕向けられており、告発者は手際よく排除されてしまう。
        そこまでを含めての「陰謀」なのでした。まさに家に帰るまでが遠足というやつです。おそるべき引率!
        
        全体を俯瞰して、問題に気付いて、「こんなのはおかしい!」と声を上げる。
        そこまでは威勢がいい。
        「言えば伝わる」と思っているうちは威勢がいい。
        自分なりに物事を考えて問題点に気付いたというプライドがある。「真実の告発者」としての使命感に燃える。
        目の奥に使命感の炎が燃えたぎっている限りは戦える。価値のあることをしているという信念が保たれる。
        
        しかし、どうにもならない。
        だって「陰謀」だから。
        
        あらゆる社会問題は謎の組織の自作自演で、権力の中枢は宇宙人に乗っ取られていて、あらゆる悪行は霊的捕食者が仕組んだ罠。
        個々の人間がいくら努力や善行を積み重ねても、結局は謎の組織や宇宙人や霊的捕食者の餌になってしまう。
        だから告発する。
        しかし、告発しても誰も聞く耳を持たないようになっている、というところまで含めて連中の作り上げたシステムの一部なのでした。
        どうしょうもない。
        
        A=BでB=CのときはA=C以外ありえないというのと同じぐらいどうしょうもない。
        12月31日の翌日は1月1日であるというのと同じぐらいどうしょうもない。
        初恋のあの子が今では肝っ玉母さんになっているのと同じぐらいどうしょうもない。
        
        閉ざされた可能性。閉塞したサイクル。幾重にも傷つけられた夢。
        何も手に入らず、どこへも行けず、何もない。
        
        つまり「どうしょうもない」ということです。
        圧倒的に「どうしょうもない」。
        もう一度言います。
        圧・倒・的に「どうしょうもない」。
        
        卑近な言い方をするなら「理想と現実のギャップ」ということになるでしょうか。
        わかりやすいですね。ぶっちゃけそんな感じと言えばそんな感じなのかもしれません。
        ですが、この言い方は卑近に過ぎます。
        何が卑近かと言えば、第一に「現実」の側を無条件に所与の基準として黙認しているという点で卑近であり、
        第二に「理想」という言葉でそれを「都合の良い夢物語」としている点で卑近であり、
        さらにそれを個人的な挫折譚に押し込めるとするならば、輪をかけて卑近です。
        このフレーズ自体が、問題を小さく見せて、この問題に真剣に向き合うことは愚かしいことである、というキャンペーンになっています。
        これだから「陰謀」ってヤツは油断も隙もない。
        
        より中立的な言い方を心がけるなら、こうでしょう。
        「本来はこうじゃなきゃおかしいことと」と「実際にはそうなっていない現状」との埋めがたいギャップ。
        その「埋めがたい」というのが、圧倒的にどうしょうもない、ということです。
        努力次第で、などというような甘っちょろいものではない。
        ギロチンで首を切られた後、気合で生き続けることができるかと言えばそんなことは不可能であるというのと同じぐらいどうしょうもない。
        じゃあ首を切られてもいいのかと言えば、いいわけがない。だからこそ「どうしょうもない」。
        諦めることさえできない。この「どうしょうも」なさ!
        
        そのどうしょうもなさを手の届かない闇の権力と呼んでもいいでしょう。
        地球人の科学技術をはるかに上回る宇宙人のハイテク兵器と呼んでもいいでしょう。
        無意識レベルで人間の心を食い物にする霊的捕食者の超常能力と呼んでもいいでしょう。
        表現の仕方は何でもいいです。
        ただ、ただ、どうしょうもない。もう、ひたすら、どうしょうもない。
        
        つまり「どうしょうもない」というのが、この件における本質的な核心の1つのようです。
        
        義憤にかられて、どうにかしようとして必死になればなるほど、嘲笑と迫害の的になる。
        利益を守ろうとして戦っている、当のその人々から白眼視される。
        何しろ人々はメディアに洗脳されており、宇宙人のマイクロチップを埋め込まれており、霊的捕食者に意志を乗っ取られているのでした。
        システムは1ミクロンの隙もなく完璧に構築されており、
        もがけばもがくほど、その流れを加速させることにしかならない。
        勝利の凱旋ではなく、嘲りの投石が勇者を出迎える。
        
        どうしょうもない。
        
        圧倒的にどうしょうもない。
        
        果てしなくどうしょうもない。
        
        根源的にどうしょうもない。
        
        
        だけど、こんなのってあんまりじゃないですか。
        
        私に石を投げたければ投げればいい。
        だけど、こうしている間にも、巻き紙の発音をするために人々が舌から血を流してるんです。
        それが一体何なのかという問いを持つことさえ許されず、ただひたすら素早く発音するよう急き立てられて……
        あかまきがみ、あおまきがみ、きまきまっ……! 
        
        こんなのって!! あんまりじゃないですか!!!!
        
        大体なんでバスがガス爆発するんですか? ガソリンじゃないんですか?
        と思って今ちょっと検索してみたら天然ガスのバスってのがあるんですね。
        じゃあバスがガス爆発ってのも、あながちあり得ない話ではないということですか。ドカーン。
        だからって! だからって! だからって!
        
        今日も街では坊主の絵を描ける異形のジョーズが我が物顔で泳ぎ回り、
        庭では鶏が乱獲されて生命が死に絶え、
        防災無線は幼虫へのご注意を放送し、
        メディアでは本来吹き飛ぶハズのない布団をいかに吹き飛ばないように保持するかという役にも立たないノウハウが、
        知らなければ恥をかく一般常識であるかのように喧伝され、人々が互いに互いを値踏みするよう仕向けられている。
        
        こんなのってないですよ!!
        あんまりですよ!!
        
        涙が止まらない。
        
        
        義憤の叫びは許されない。
        許される言葉は1つだけ。わかってるでしょう?
        あおまきがみ? はい。
        失意の唇からかすれた声を出す。
        ……あかまきがみ、きまきまっ……!
        
        こんなのってないですよ!!!!!
        こんなのってないですよ!!!!!!!
        
        
        やっぱり誤魔化すことなんてできっこない。
        今こそ心の底から叫べ。
        
        こんなのはおかしい!!!!!!
        
        ぜーはーぜーはー。
        
        
        ひとまず、事態を俯瞰してまとめてみましょう。
        要点は2つ。
        
        ・こんなのはおかしい
        ・どうしょうもない
        
        さらに「ごまかすことなんてできっこない」というのも外せません。
        
        ・こんなのはおかしい
        ・どうしょうもない
        ・ごまかせっこない
        
        順番には気を遣うところですが、念のため誤解のないように五回ほど言っておくと、
        「ごまかせっこない」のは、「こんなのはおかしい」という気持ちを、です。
        あと4回。
        「ごまかせっこない」のは、「こんなのはおかしい」という気持ちを、です。
        「ごまかせっこない」のは、「こんなのはおかしい」という気持ちを、です。
        「ごまかせっこない」のは、「こんなのはおかしい」という気持ちを、です。
        「ごまかせっこない」のは、「こんなのはおかしい」という気持ちを、です。
        
        
        ごまかすことができるのであれば、「どうしょうもない」ことを受け入れてしまえばいい。
        黄巻紙の発音を練習し、俺だって練習すればできるようになったんだ、とか言って、舌を噛んでる人を探しては見下すような大人になればいい。
        でも、そんなことはできないのでした。
        たとえ投石で迎えられるのだとしても、もはや勇者であることを辞めることなどできないのでした。
        なぜなら「こんなのってない」のだから。
        
        と同時に「どうしょうもない」のでした。
        この点も同じぐらい誤魔化せません。下手な希望は欺瞞にしかなりません。
        
        希望はない。希望なんてないのです。
        ただ、「こんなのってない」ということを誤魔化すことのできない自分だけは、せめて、
        少しでもその影響を受けないように心がけることは可能です。
        なお、「心がけることが可能」なのであって、「影響を受けない」ことが可能というわけではありません。
        何度でも言いますが、希望なんてないのです。
        もちろん、影響を受けないように心がけることで、周囲の人間を感化して状況を変えていく……なんてことも望めません。
        結果的にそういうことが起きないとも限りませんが、それもまた「陰謀」の範囲内であることを免れません。
        自分の声が他人に届くことはなく、この世がこのようであることを変えることもできません。どうしょうもない。
        よしんば法律を変えたり指導者をすげ替えることに成功したとしても、それは表面的なことに過ぎません。
        あの世があのようであることをも含めた全体としての人間の有り様を変えることはできません。何しろ相手は宇宙人なのですから。
        どんなに上手に発音したって到底太刀打ちできません。きまきまっ!
        
        それから「こんなのってない」という気持ちを失くしてしまっては何にもなりません。
        なぜ「こんなのってない」と思うのでしょう?
        それは人々を愛しているからではなかったか?
        たとえ石を投げられても、その愛を失わずにいられるでしょうか?
        マイクロチップで操られたエージェントとの勝ち目のない戦いを通して、
        「こんなのってない」がいつの間にか「いい気味だ」に変化してしまうかもしれない。
        そんなことでは何にもなりません。
        勇者の役割は人を裁くことではありません。そんなことは宇宙人に任せておけばいい。
        石つぶての中でこそ、人を愛さねばなりません。
        私の好きだった人の幸せを願い、私の嫌いな人の幸せを願い、私を嫌っている人の幸せを願い、あなたの幸せを願う。
        卑屈にもならず尊大にもならず、目を開けて、顔を上げて、戦士の道を一人で進んでいくしかない。
        
        今日もあなたが幸せでありますように。
        誰もが幸せでありますように。
        メディアを操ってる組織の人が幸せでありますように。
        ハイテク宇宙人が幸せでありますように。
        霊的捕食者が幸せでありますように。
        
        
        
        
        

◆ 2018/08/26
    したこと:
        マインドルの立ち絵作成
        
        学園モノと言えば立ちくらみ。
        
        
        
        というわけでポロシャツです。
        コミPo!にポロシャツが入ってなくたって、もはやそんなことでは1ドットも動じません。
        いつもこのコーナーを読んでくれてるお友達にはもうお馴染みですよね?
        白制服を加工すればホラ簡単。まさにお茶の子さいさい。
        
        いつもながら白制服のポテンシャルの高さには目をみはるばかりです。
        きっとポテルシャンだって高いに違いありません。似て非なる次元へと飛翔せよ。
        目をみはってよく見てね。
        
        ポテルシャンと言えば思い出すのですが、
        昔「イオナズン」を「イナズオン」だと思ってました。目をみはってよく見てね。
        だって説明書に「大爆発で敵全体に大ダメージ」とか書いてあるんですもの。
        純真なお子様が「いなずま」+「音」みたいな連想でそのように思ってしまうのは無理からぬこと。
        真相を知ったときの私の驚きたるや、まさに大爆発で大ダメージ。人は傷つきながら大人になっていく。
        
        きっと同じようなことは人の世においてたくさんあるのでしょうね。
        本当はコモドオオトカゲなのにコドモオオトカゲだと思い込んでいるとか。
        本当はアヤワスカなのにアワヤスカだと思い込んでいるとか。
        本当は好きなのに嫌いと思い込んでいるとか。なんでアイツのことがこんなに気になるのよー!
        
        さて、今回は立ちくらみというわけで、
        今や立ちくらみの世界的権威となった私がこうして呼ばれたわけです。
        
        立ちくらみをどのように表現するか? 冒頭のSS以外にも案はいくつかありました。
        
        客観的には2か3なのではないか?
        2なんて今にも死にそうで最高じゃないですか。思わず交際を申し込まざるを得ません。私をあの世に連れてって。とかなんとか。
        しかし立ちくらみの世界的権威の私としては、立ちくらみを悪いもののように描くのは避けたいところです。
        もっと前向きなものとして立ちくらみを世界に向けて発信せねばなりません。
        冒頭の画像では後ろ向きに傾いてますが、そんな表面的な見た目に惑わされてはイケません。
        目に光があります。
        つまり、立ちくらみの世界を「見て」いるのです。その意図。その意志。その積極さ。
        断じて「意識を失くしている」のではありません。
        そこのところをぜひ読み取っていただきたい。そこのところをぜひ感じ取っていただきたい。
        言葉にはならなくても、あなたはその世界を知っているはずです。そこのところをぜひ思い出していただきたい。
        
        それにしても立ちくらみのこととなると世間に情報がほとんど出回っておりませんね。
        目につくのは「治すべき体調不良」としての情報ばかり。
        立ちくらみの最中に見えているあの世界についての言及は皆無です。
        しかしそれも無理からぬこと。なぜなら、あれは「語り得ぬ」世界だからです。
        この広大な宇宙のほとんどは「語り得ぬ」領域です。
        その中で「語り得る」領域はほんの一部に過ぎません。
        あの世界についての言及が皆無であることは、立ちくらみが「語り得ぬ」領域への窓であることの何よりの証拠。
        言及がないというまさにその事実が、立ちくらみのポテルシャンの高さを饒舌に物語っているのです。
        目を見開いて似て非なる次元へと飛翔せよ。今日もイナズオンで大爆発。アイツが気になって仕方がない。
        
        > この広大な宇宙のほとんどは「語り得ぬ」領域です。
        > その中で「語り得る」領域はほんの一部に過ぎません。
        
        この世とは「語り得る」もので出来ている世界です。
        無限に広がる「語り得ぬ」宇宙に浮かぶ、ほんの小さな孤島です。
        虚無の中に「おしゃべり」の網の目を作り、まるでその外側など存在しないかのように小さく囲った閉鎖領域です。
        「語り得ぬ」広大な無限に比べれば、いわゆる「あの世」や「死後の世界」などというのも「この世」の一部に過ぎません。
        死んだら地獄に行くだとか天国に行くだとか、そのような話も「この世」の「おしゃべり」の延長です。
        
        > 虚無の中に「おしゃべり」の網の目を作り、まるでその外側など存在しないかのように小さく囲った閉鎖領域です。
        
        必死に「おしゃべり」を繰り返し、執拗に領域を維持する。
        しかし、その囲みも完全ではありえません。ほころびがある。
        人は今日も立ちくらむ。人は今日も死ぬ。人は今日も生まれる。

        無限の気配が染み込んでくる。
        血相を変えてほころびを取り繕う。
        網の目の外側の自由を恐れる。

        そうなのでした。
        自由とは恐怖なのでした。触れるものとてない寄る辺のない宇宙空間を人は恐れた。
        そのゆえに地球を求めた。地面を求めた。重力を求めた。
        社会を、世間を、しがらみを。
        自分を縛るものを求めずにはいられない。
        肩を組んで、手をつないで、自由に背を向け、輪を作って、内側におしゃべりの天地を創造しよう。
        意志を失くした目で「世の中は厳しい」と言い合おう。いつまでも輪の内側にいられるように。
        だから「死んだらあの世に行く」のであり、または「死んだら何にもならない」のでした。
        なぜなら囲みの外側は「語り得ない」領域だから。
        
        しかし人は誰もが「生まれてきた存在」なのであり、「死ぬ存在」なのであり、「立ちくらむ存在」なのでした。
        否定しようのない事実がある。
        しかしそれを語ることはできない。この世を支える「おしゃべり」の素材とすることはできない。
        だから今日も立ちくらみは「治すべき体調不良」なのであり、健康情報が世間を駆け巡り、サプリメントがよく売れるのでした。
        
        それでも無限は常にある。おしゃべりの網の目の向こう側に。「ここ」にある。
        私もあなたもそれを知っている。
        だからこそ高いのはポテルシャンではなくポテンシャルでなければならず、
        爆発するのはイナズオンではなくイオナズンでなければならない。
        と同時にポテルシャンだろうがコドモオオトカゲだろうが同じことなのであり、
        アイツのことが好きでも嫌いでも同じことなのでした。
        網がほつれる。あらゆる意味が回収されてしまう。
        どうして今日も食事をしなければならないのでしょう?
        本当は食べたいなんて思ってないんでしょう? 今日も過剰な味付けのジャンクフードがよく売れる。
        そこで「体に悪い」と言えばホラ、またおしゃべりのネタが増えた。
        実にうまくできているではありませんか。まさに人類の叡智。今日も地球は安定して回り続ける。
        自由に疲れたらここへ来ればいい。
        ここなら「人間には欲望があっ」て、「天国と地獄があっ」て、「神様なんて作り物」だから、するべきことに迷う心配はない。
        「私の本音」は説明書に書いてある。
        よく読んで。今日もマジメにゴミをポイ捨てしよう。経済発展のために合意して傷つけ合おう。
        苦しめば苦しむほど地面は固くなり重力は強くなる。この世の基盤は今日も盤石。努力は決して無駄にならない。
        巻き込んで、巻き込まれて、一人残らず地上に引きずり下ろそう。だって人は一人じゃ生きられないんだからねっ。
        ポテルシャンじゃなくてポテンシャルなんだからねっ、勘違いしないでよねっ。
        
        考えれば考えるほど、身を置いているこの場の重力の度し難さを思い知らされるようです。
        それでも無限はここにある。今日も人は立ちくらむ。
        いと高き未知のポテルシャンへ続く小路が口を開ける。
        いずれ誰もが無限の旅人。地球の次はどこへ行こう?
        恐れることはありません。たとえ無限のどこにいようとも、そこに意識を持った生命がある限り、願い事は変わりません。
        全宇宙のどの意識も幸せでありますように。
        今日もあなたが幸せでありますように。
        
        
        
        
        

◆ 2018/08/18
    したこと:
        マインドルの立ち絵作成
        
        学園モノと言えばヤル気なさそうなバッティング。
        
        
        
        私自身は野球にまったく興味がないのですが、なぜか本文中に野球のシーンがあります。
        一体なぜなのでしょう? まさに人智を超えた仏の導きと言わざるを得ません。
        そしてうまい具合にコミPo!に野球用品のオブジェクトが入っております。仏の手際には感心せざるを得ません。
        ところで実際にはヘルメットをかぶらないと危ないんじゃないでしょうか?
        とは言うもののコミPo!にヘルメットが入っていないので仕方がありません。
        しかしこれも仏の采配。よい子のみなさんにマネをさせようという魂胆なのでしょう。仏め!
        こうなったら仏像をぶちますよと宣言せざるを得ません。ゴ〜ン。
        
        というわけで夏の体操服です。もはや体型の修正も手慣れたもの。
        
        
        
        この服でこの輪郭だとポワトリンが強調されすぎでしょうか。どうでしょう。
        とは言うものの、制服に合わせるとこうなってしまうのだから仕方がありません。人はポワトリンの前に無力です。
        ちなみにコミPo!にポワトリンの調整機能はありません。なぜならそこは仏の領域。コミPo!といえども手出しは不可能。
        もちろんGIMPでの作業時にも意図的な盛り付けは一切しておりません。自力での作為を廃し、絶対他力で作業しております。
        すなわち全部仏のせいです。仏め!
        仏め、おぬしもワルよのう。
        でも誰だってポワトリンが大好きです。仏だって大好きでしょう。仏すらポワトリンの前には無力。
        もはや帰依するしかありません。願わくばこの功徳(くどく)があなたにも届きますように。
        何を言っているのかわからなくなってきました。そういえばお盆のシーズンでしたっけ。
        
        それにしても服装を変えると体型まで変化してしまう件に関して、
        我が同士たる世間のコミPo!ユーザーの善男善女の皆様はどのようにお感じなのでしょう?
        以前も言ったような気がしますが、この件に関して物申しているネット上の情報を見たことがありません。

        と言ってもあんまりちゃんと探したことはないんですけどね。
        しかし、ちゃんと探すも何も、
        最近は何を検索してもワードプレス製のお調子のいいページしか出てきませんからね。あとNaverまとめとか。
        昨今の検索エンジンはワードプレスとNaverまとめ製ページのカタログと化していて使い物になりません。
        果たしてこれは検索エンジンのせいというべきか、ネット上のコンテンツの実状の反映というべきか。
        
        いずれにせよ本件に関しては単にマイナーなだけなような気はします。
        追加の服装データというか製品版を買った人にしか関係ない話ですからね。
        いつだって少数派の声は目立たない。
        
        しかし少数派だからと言って人数が少ないとは限らない。
        先日ニュースを見ていて、どこかの「少数民族○○○がン万人弾圧」みたいなのがあって、
        少数じゃないじゃん! などと思ったものです。
        
        というわけでコミPo!ユーザーの善男善女の皆様はどのようにお感じなのでしょう?
        あくまでも仏の采配として甘んじて受け入れていらっしゃるのでしょうか?
        言っておかなければならないのですが、たとえ仏の采配だとしても黙って受け入れるだけが善の道ではありませんよ?
        何しろ有名なダジャレでも語られている通り、仏像はぶつためにあるのですから。ゴ〜ン。
        
        
        > 最近は何を検索してもワードプレス製のお調子のいいページしか出てきませんからね。あとNaverまとめとか。
        > 昨今の検索エンジンはワードプレスとNaverまとめ製ページのカタログと化していて使い物になりません。
        
        別にワードプレス自体に恨みがあるわけではないのですけど、
        どうしても情報が断片的なものばかりになってしまう傾向は否定できない気がします。
        この傾向は「ブログ」なるものが台頭してきた頃からありますね。
        「ホームページ」と違って情報が断片的になりがちです。というよりツールの形式上、必然的に断片化せざるを得ないんじゃないですか?
        しかもなぜか、本当に「なぜか」、ブログ内にシンプルな目次ページがないケースが大半です。
        せっかく役立ちそうな情報でも、字系列順に書き散らされていて、結局断片的なまま。
        「よく見られている記事」とか、そんなんどうでもいいんですよ。
        「ここをブックマークしておけば、いつでも関連情報を探せる」というようなシンプルな「目次」というものを滅多に見かけなくなりました。
        紙の本でたとえると、各本のページがバラバラになって情報が山積みになっているような感じです。「一冊の本」という概念が崩壊している。
        
        それで結局、ブログ内で情報を探すよりは、検索エンジンを「目次代わり」にする、というような現象が発生してくるのですね。
        また、検索エンジンで上位を占めるようなページといえば、目次を持たない断片ページばかりです。
        むしろそういうページを優先的に上位表示してんじゃねーの? 陰謀のニオイがプンプンしやがるぜ!
        そして検索エンジン依存が検索エンジン依存を助長する。
        
        みなさん、いいんですか? 検索エンジンにエサをやるためにコンテンツを作ってるんですか?
        みなさん、いいんですか? 頑張って作ったコンテンツが検索エンジンのビジネスに利用されちゃってるんですよ?
        
        ところが右を見ても左を見ても、いかに検索エンジンに気に入られるか、といった話しか出てきません。
        何がSEOですか。しゃらくさい!


        > そして検索エンジン依存が検索エンジン依存を助長する。
        
        「役に立つもの」と「依存させられるもの」は必ずしも同一ではありません。
        むしろ、本当に役に立つものであれば、いずれ役割を終えて不要になるようでなければイケません。
        薬を飲んだら病気が治らなければイケません。もうその薬を飲まなくてもいい状態になるのでなければイケません。
        薬をヤメると離脱症状が出るような体質にさせられるようではイケません。シャンビリめ!

        
        >「よく見られている記事」とか、そんなんどうでもいいんですよ。
        >「ここをブックマークしておけば、いつでも必要な情報を探せる」というようなシンプルな「目次」というものを滅多に見かけなくなりました。
        
        ワードプレスやブログだからといって内容が悪いとは限りません。
        実際、私が普段よく拝読させてもらってるサイト(「サイト」じゃないのですね)の中にもワードプレス製/ブログ製のものがあります。
        だからこそ思うのですよ。
        せっかくいい内容なのに、なんでわざわざブログで公開するのかな〜って。
        古い記事が流れて探せなくなっちゃうじゃないですか。
        シリーズものになってる記事なのに、そのシリーズの一覧がなかったりする。
        検索すれば出てくることもありますけど、なんでそんなまどろっこしいことしなきゃならないのか。
        もちろん時系列順に書き捨てていくのが適した内容ってのもありますから、それはそれでいいんですけど、
        「これは保存版じゃないの?」というようなイカした情報がそういう形式で公開されてると本当に残念です。
        
        これが自家製の「ホームページ」だったら、そういう問題は発生しえないはずなのですよ。
        シリーズものとして公開してる記事群ならば、そのためのコーナーを用意することになる。
        一方、作者自身が適当に書いてる分に関しては日誌ページに書き捨てていく。それでいいじゃないですか。
        昔は、というか元々は、ネット上の情報といえば、そういうものだった気がします。
        それがブログなるものが台頭し始めた頃からおかしくなってきた。
        昔は……というと懐古趣味と言われてしまうのでしょうか。しかし現在の方があの頃よりも「便利」とは私には思えません。

        これは「検索エンジンが便利」なのでは断じてありません。
        勘違いしてはイケません。
        検索エンジンがなければ情報収集がままならない状態になっている。
        検索エンジン以外の、実際に情報が載っている側のページが、検索エンジンが不可欠であるような不便なものになってしまった。
        これは「不便さが出現している」と言うべきものです。
        
        上下左右にしゃらくさいリンクが散りばめられた騒がしい「モダンな?」ページより、
        作者が自分なりに情報を並べてくれているサイトの方が落ち着いて読めます。
        今でもごくたま〜に見かけます。見た目はいかにも「古くさい」感じになりがちかなとは思いますが、それは「不便さ」ではありません。
        情報がそこに並んでるんだから、それ以上何を求めるんですか。
        HTML手書き上等。何ならテキストのままでもいいじゃない。
        
        しかしながら、この「落ち着いて」というのが、
        「インプレッションを上げたい」側からすると不都合なわけですね。
        むしろ「落ち着きなく」いろんなページを次から次へと渡り歩いて欲しい、ということになる(何ならドメインをまたいで)。
        いいからじっくり読ませてよ! と思う私の目の前にズンズンとポップアップがせり上がってきて何かの登録を促す。
        
        > ところが右を見ても左を見ても、いかに検索エンジンに気に入られるか、といった話しか出てきません。
        > 何がSEOですか。しゃらくさい!
        
        それでいて「離脱率が……」みたいな話をよく目にする気がします。
        SEOと聞くと全身がむず痒くなる私でさえ見覚えがあるのだから、さぞかし大勢のみなさんの関心事に違いありません。

        で、つまりその? 検索エンジン経由でどこかのページに直アクセスされて?
        その後そのブログ内の他のページは見ずに? 検索エンジンの側に「離脱」されちゃう、ってことですよね?

        そりゃあ、検索エンジンが目次化していて、そういうユースケースに自ら合わせていこうというのだから、
        あなたのサイト(じゃなくてブログ?)に人が定着するはずがありません。
        どこまで行っても「検索エンジンに人が定着」することにしかならない。
        「検索エンジン」という巨大な「一冊の本」の一部になることをあなたが自ら選んでいるのだから、
        ユーザーはその巨大な「一冊の本」に定着するのであって、あなたのサイト(?)には定着しないでしょう。
        
        あなたが一生懸命作ったコンテンツが有用なものであればあるほど、
        それを見つけたユーザーは「検索したら便利なページが出てきた!」と思うのであって、
        そのコンテンツを懸命に作ったあなたのリピーターになるのではなく、
        そのページを検索結果に表示した検索エンジンのリピーターになることでしょう。
        検索エンジンに気に入ってもらえたページであればあるほど、そうなるのは必然と言えるでしょう。
        それが検索エンジンの「陰謀」だとまでは言わないにしても、そういう性質を抱えているとは言えるでしょう。
        検索エンジンに気に入ってもらえるように頑張るということは、つまり、そういう結果を目指して頑張ることでもあります。
        それは果たしてあなたの願い事なのですか? ってことです。
        某G社に爆破テロを仕掛けるかどうかはさておき、果たして今、あなたの本当の願いは叶ってますか? ってことです。
        
        さしあたり、情報を探す側の立場からすると、
        もはや検索エンジンは使い物になりませんので、検索エンジンに頼らない情報収集の方法を模索したいところです。
        しかし、もはやすっかり検索エンジン依存症。
        いざ検索エンジンを使わずに情報を探そうとすると、どこからかシャンシャン聴こえてきてビリビリする始末。このやろ〜。
        
        やはりアーカーシャの記録庫にアクセスする認識能力を獲得するしかないのかもしれません。
        もはやイマギナティオーンを鍛えざるを得ません。
        折しも、季節は夏から秋へ移り変わろうとしております。
        人々の服装が分厚くなってしまう。
        だからこそ見えないものを見る認識能力をイカにして獲得するか? イカにして獲得するか!
        「だからこそ」とはどういう了見だ。さて、どういう了見なのかな? わくわく。
        この世の複雑な因果の網は人の身には重すぎます。それを見通すにはイマギナティオーンの次のレベルであるインスピラティオーンが必要です。
        物事には段階というものがあります。
        まずは焦らずにイマギナティオーンを獲得して見えないものを見れるようになりましょう。
        すると自然にエレクティオーンすることでしょう。うわっ、下ネタ直球!
        だって発音が似てるんだもん。
        いいですか? この世は音でできているんです。
        発音が似ているということは霊的形姿が似ているということです。まさに幼虫に要注意。
        宇宙は波動です。
        すなわちダジャレとは魔術です。
        だから有名なダジャレでも言っているように、仏像はぶつためにあるのですよ。ゴ〜ン。
        
        今日はちょっとキワドイことをたくさん言ってしまったような気がします。
        こういう知識は実は誰にでも開示していいものではありません。
        仏像をぶつお話をしましたが、マネしていいのはよい子だけですからね? 
        
        でも、真実の願いはいつだって変わらずすべての人々に開示されております。
        どうか、今日もあなたが幸せでありますように。
        
        
        
        
        
        

◆ 2018/08/17
    したこと:
        マインドルの立ち絵作成
        
        学園モノと言えばジャージ。
        
        
        
        そういえばジャージは初めてなような気がします。
        初めて? まさかそんなはずは。
        そうえばこの人がいました。
        
        
        
        学生じゃないのですっかり忘れてました。学生じゃないから忘れるだなんてどういう了見ですか。
        言っておきますが、この世を構成しているのは学生だけではありません。
        様々な人がそれぞれに日常や非日常を営んでいる。それがこの世という場所であります。
        図らずもジャージを通して大切なことを教わってしまいました。これだからコミPo!はヤメられません。
        
        そして例によってジャージも体型が変化する魔法のジャージなのでした。これだからコミPo!はヤメられません。
        
        
        しかし、こうして体型を修正するのもこのキャラで最後かと思うと名残惜しい気がしないでもありません。
        服装は他にもありますが、一回ごとに確実に終わりが近づいていることを否が応にも認識させられます。
        もはや手慣れた作業。しかしそれももうすぐ終わり。
        人生で最後ということを意識しながら命がけで体型を修正する。
        命がけでポワトリンの輪郭を作り込む。我が人生に悔いなし。
        
        いえいえ、まだまだこの世でやらねばならないことはたくさん残っております。
        まだまた作り込まねばならないポワトリンの輪郭がたくさん残っております。このままでは死ねない。
        
        ああ、どうか。
        今日もあなたが幸せでありますように。
        
        
        
        

◆ 2018/08/10
    したこと:
        マインドルの立ち絵作成
        
        学園モノと言えば制服。
        
        
        
        というわけですでにお馴染みのブレザーです。
        当初は一度作ってしまえば別のキャラにも使い回せる予定だったような気がしますが、
        結局最後までほぼキャラごとにオーダーメイドでした。
        
        効率悪いことしてるな〜、と思いつつ、
        こうしてブレザーを作り込むのもこれで最後かと思うと名残惜しいものがあります。
        頬を伝う熱いものは何だろう? もちろん汗です。まだまだ暑いんですもん。
        とは言え、文字通り桁違いだったその暑さも今では少々和らいできております。

        何事にも終わりがある。
        どんなことにも人生で最後の○○というときがやってきます。
        人生で最後のブレザー作り込み。
        人生で最後の食事。
        人生で最後のオナラ。
        人生で最後の立ちくらみ。
        人生で最後のOD。
        最後のは単に直接死んじゃってるんじゃないですか? まさに命がけ。
        しかし命がけなのはODに限ったことではありません。
        どんなことだって、それが人生最後になる可能性がある。
        だから命がけでブレザーを作り込むのです。命がけで食事をして命がけでオナラをして命がけで立ちくらむのです。
        今日が死ぬ日かもしれない。
        だから今日を命がけで生きるのです。あなたを命がけで愛するのです。    
        
        ちなみにこうして入力してて思わずキーボードを叩き壊しそうになったのですが、
        「たちくらみ」だと素直に「立ちくらみ」に変換してくれるのですが、
        「たちくらむ」だと「他地区ラム」って何なんですか。隣町で作ってるラム酒ですか。これだからAnthyはヤメられません。
        
        どういうことか?
        立ち「くらみ」は名詞です。立ち「くらむ」は動詞です。
        その動詞形が変換候補に登録されていない。
        
        つまり立ちくらみというものは、それ自体で自動的に発生するものである、ということなのですね。
        自分の意志で能動的に立ちくらもうと意図して実行するものではない。
        そんなことをしようとするヤツは隣町のラム酒でも飲んでろというワケです。余計なお世話だ。このやろ〜。
        
        というわけでここ数日、いつでも好きな時に立ちくらみを引き起こせる状態となっておりました。
        まさに暑さの贈り物。意外とイイトコあるじゃん暑さ。見直したぜコンチクショー。バンバンと背中を叩く。
        しかしいつの間にかフィーバータイムは終了してしまったようです。

        今では立ち上がった直後に当然のようにスタスタ歩けてしまいます。まさに健康そのもの。
        スタスタ歩いて一体どこへ行こうというのでしょう? この「現実」の中を歩いて行くのです。
        つまり健康とは「現実」という幻覚に浸っているということに他なりません。この世の基準点がそこにある。
        「健康」という語が持つ価値判断のニュアンスの中に、まさに「この世」の「凝集点」があると言えるでしょう。
        
        少し前までは立ち上がった直後は当然のように立ちくらみワールドの中をスタスタと歩けていたのに。
        もう二度とあの世界には行けないのかもしれません。
        人生最後の立ちくらみを背後に見送ってしまった。それが最後だとも知らずに。
        いつだってそれが人生最後かもしれない。そのような覚悟とともに命がけで日常を生きねばならない。命がけで立ちくらまねばならない。
        
        立ちくらむにあたり、一番避けたいのは転んで怪我をしたり物を壊したりすることです。安全第一。
        命がけじゃないのかよ、というツッコミを募集しつつ、立った状態で限界までダイブして、しゃがむ。
        誰かに手伝ってもらわない限り、完全に意識を失うところまではイケないわけです。
        いかに崖っぷちギリギリまで近づけるか?
        どうしても「ヤリきれてない感じ」がつきまといます。
        しゃがんだ直後、「早すぎたかな?」と毎回思ってしまいます。
        
        しかし今回何度も立ちくらんでみて気づいたことの1つは、
        しゃがんだ後からがトリップ開始、ということです。
        大体、順番としては次のようなパターンです。
        
        ・カムアップ
        立ち上がった直後から。目の前に白とも黒ともつかぬ粒子が増殖して視界が埋め尽くされていく。

        ・ピーク
        しゃがんだ直後から。徐々に皮膚の感覚が厚ぼったく痺れてくる。
        頭の周囲で「ザーーッ」というような雑音が起こってくる。
        体がガクガクと痙攣する感じがする(感じ、です。実際にガクガクしているのかどうかは不明)。
        やがて「あの世界」になる。ここはもう言語を絶する状態。
        
        ・カムダウン
        徐々に意識が元の状態に戻ってくる。
        目に映っている景色が見慣れた自分の部屋であることをいつのまにか思い出している。
        すでに「あの世界」ではない。
        
        ・アフターグロウ
        理性は戻ってきているが呆然とした状態がしばらく続く。
        
        
        
        普段からカムアップの軽いやつはわりと頻繁に来るのですけどね。
        ピークの深部まで到達できる体験はレアです。
        今回のお祭りではほぼ毎回ピークまでイケていたのでウハウハでした。
        味わえるだけ味わっておくしかありません。ウハウハが死語とか言ってる場合じゃない。
        
        しかし何度体験しても「あの世界」を言葉で言い表すことができません。
        「何だったのか」が根源的にわからない。
        
        それで「あと一回」「もう一回」と、何回も繰り返しておりましたら
        頭痛と吐き気がして参りました。さらに目の裏に針で刺すような痛みも。
        身の危険を感じ、さしあたりこの症状が収まるまでは中断することにしました。
        そして数日後、気分は爽快。全然立ちくらまなくなっておりました。このやろ〜。
        
        結局「あれ」が何なのかはわからないまま。
        やみくもに繰り返してもダメなのかな? とは言うものの、どこに目標を定めればいいのかもわかりません。
        一応、閉眼幻覚は確認してみましたが何も見えませんでした。

        後から思い出せる中で1つ面白かったのは、しゃがんだ状態で目に映っている景色から色が褪せて、
        エンボス加工をした平面的で無機質な模様のようになったときのこと。
        このとき、「それを見ている私」という感覚が消滅していました。
        見えている対象と、見ている自己、という区別が消滅していました。
        そのエンボス加工のような「それ」が「すべて」でした。内面的な思考も完全に停止しています。
        「私」は「それ」であり、「世界」は「それ」です。その事実だけがすべてです。
        
        この状態に比べると、普段の「周囲の対象」を「見ている私」という感覚がいかに強固なものであるかがよくわかります。
        どんなに意識的に「無私」だとか「無我」だとか言った精神状態を試みたとしても、あのときの状態には程遠い。
        
        あともう1つ。ピークの最中、なんだか妙に「にぎやか」な感じがするということ。ほぼ毎回そうです。
        後頭部の周囲あたりで「ザーーッ」という雑音がするだけでなく、
        何か、知っているものや人や気配や記憶といった種々雑多なものが濁流のように一気に渦を巻いている感じ。
        今思ったのですが、もしやこれって走馬灯とか言うやつですか? ドキドキ。
        
        
        > つまり健康とは「現実」という幻覚に浸っているということに他なりません。この世の基準点がそこにある。
        
        いわゆる「幻覚剤」の中には、分子の形がセロトニンに似ているものが多いらしいですね。
        詳しい機序は不明ながら、それがセロトニン受容体に取り付くことで「幻覚作用」が生じる、らしい、と。
        ということは、それを言うならセロトニンだって「幻覚剤」の一種なのではないでしょうか?
        その受容体が「どのような世界を知覚するか」の受容体であり、
        そこに取り付く物質によって、様々な異なる世界が知覚される。
        セロトニンも、そうした世界知覚を引き起こす物質の一種に過ぎないのではないでしょうか?
        
        いわゆる「鬱」状態の原因としてよく言われるのはセロトニン不足です。
        それでセロトニンの選択的再取込阻害剤だとか酸化酵素阻害剤のようなものが「抗鬱薬」として使われている。
        あるいはセロトニンを増やすための食事だとか生活習慣のようなことが喧伝される。
        
        ところが「鬱」というのは、あらゆる幻覚から醒めたもっとも冷静な状態なのでした。
        日常・非日常のあれやこれやに意味や価値があるという幻想から醒めた状態です。
        一切が無意味であるという真理に気付いている状態です。
        そこへセロトニンという幻覚剤を持ち込むことで「現実」という幻覚が再構築されてしまう。
        せっかく真理に目覚めたというのに、どうして好き好んで幻覚世界に戻ろうと言うのでしょう? まさに依存症。
        みなさん、セロトニンは強力な依存性のある極めて危険な幻覚剤です。ぜひ法律で禁止していただきたい。
        え? なんですって? 体内で勝手に生成されてるって? キサマは生まれながらの犯罪者かっ!
        こうなったら地球上の全人類をブタ箱にぶち込むしかありません。人間を規制せよ。
        つまりこの地球という惑星はセロトニンジャンキーの収容所なのでした。とかなんとか。ブヒー。
        ちなみに「セロトニンジャンキー」とカタカナでつなげて書くと中にニンジャが潜んでいて読みにくいので
        どこかに点を入れるとよいのではないかと思います。ぜひ好きなところに入れてみてくださいでござる。ニンニン。
        無秩序の中に任意の区切りを入れること。それこそが世界知覚の実相なのでした。まさに忍術。ニンジャ恐るべし。
        
        
        さて、そういうわけで作業は着々と終着に向かっております。
        私の人生も着々と終着に向かっております。
        今日が死ぬ日かもしれません。
        と言いつつなかなか終わってくれないというのが困ったところ。
        毎日命がけなんてやってられません。悔いなんてあるに決まってます。
        願いは一つ。ただ着々とあなたの幸せを願うのです。
        
        今日もあなたが幸せでありますように。
        
        
        
        
        

◆ 2018/08/01
    したこと:
        マインドルの立ち絵作成
        
        学園モノと言えばちょんまげ。
        
        
        
        左端がコミPo!純正。いつものようにGIMPで前髪を取り外し、ちょんまげを乗っけて完成です。
        

        ちなみにちょんまげ素材はキャラ3先輩の前髪から拝借しております。
        というかこの人の前髪も別の人の髪型から採取していたのでした。
        まさに天地万物は循環しているとかいうやつです。我らみな星の子。我らみなちょんまげの子。
        
        というわけで、おでこ全開です。高すぎる露出度にドキドキが止まりません。
        
        
        なお、ちょんまげの位置と形状の最適解を求めて生死の境を彷徨ってまいりました。
        死屍累々の足跡をご覧ください。重かったらごめん。
        
        
        ちなみに「ちょんまげにしよう!」という啓示を得て最初に試してみたのが
        上の画像の中の中央の3人並んでいる中の右端のやつです。
        いくらなんでもこれは勇ましすぎる、狙撃されても文句を言えない、というわけで長い探求の旅が始まったわけですが、
        今思うとこれも悪くないですね。
        ていうか、こうやって作業していると、もうなんか、感覚が麻痺してくるのですよ。何を食べてもカレー味。
        
        ところで、デザインの参考になるものを求めてマンガやアニメの画像をいろいろと拝見させていただいたのですけど、
        意外と似たタイプの人が見当たりません。これは本当に意外でした。
        それとも私の知らないどこかにちょんまげの王国があるのでしょうか? 想像しただけで鼻から赤いものがほとばしりそうです。
        
        「ちょんまげ」と称する髪型はしばしば目にします。
        でも実際にはちょんまげの名を騙るナナメテールに過ぎないのですよ。
        どこが違うのか?
        決定的な違いがあります。おでこです。前髪が全開になっていないのです。
        あなた、そのテールの毛、どこから調達してきたんですか? 無から有が生じたんですか?
        そのように問い質したくなる衝動に耐えかね、何度となくモニターに向かって絶叫しておりました。今日も気温がアツい。
        ともかく、無から有が生じるなどと物理法則に抵触する図画が氾濫している現状は青少年の教育によろしくありません。
        
        いいですか? ちょんまげとオデコ全開はセットです。
        2つで1つ。表裏一体、一蓮托生、不即不離、不二一元、梵我一如。
        最後のはちょっと言いすぎました。ごめんなさい。
        
        どうもみなさん、前髪への執着(しゅう・じゃく)を断ち切れないようですね。
        ちょんまげでありながら前髪モサモサ。宇宙の法則よりも世間体に囚われてしまう。まさに煩悩。
        または、おでこ全開っぽい髪型になっていても、生え際から謎の触覚が生えているケースが大半です。
        気持ちはわかります。私もそのような誘惑にかられた時期がございました。
        しかしそのような小細工を始めるとキリがないのです。すなわち「有」という幻想。
        え? デザインのセンスがないから決められないだけ? やかましいわ!
        無という真理の上にどれだけ有を放り込んでも虚しいばかり。
        全開と言ったら全開です。触覚など一切無用。
        一人のキャラにとっては小さなオデコですが、全人類にとっては偉大な真理です。
        
        とは言うものの、それを言い出すと全員ボーズにしなければならなくなります。
        そして全員全裸というパラダイスを通過し、全員ガイコツという地獄を通り抜け、
        行き着く先は画面に何も映らない涅槃アプリです。善も悪もない。一切は無。
        何も映らない画面の前で何もせずにただ座っているだけ。只管打坐。まさに仏の体現。
        
        しかし人間とは何かをしてしまう生き物です。何かをせずにいられない生き物です。
        誰が赤い靴の主人公を笑えるでしょう?
        死ぬまで動きを止めることができない。
        生きるとは動くということなのでした。
        
        ならばせめて正しい動きを。心ある踊りを。
        無限の中の無意味な足跡に愛を込めてあなたの幸せを願いたい。
        
        というか、相変わらず気温が92491791279度ぐらいあるので、動く気になんてなれねーですよ。
        しかし、じっとしてても汗で水たまりができる。踊ることも涅槃に入ることもできません。このやろ〜。
        そのおかげかどうか知りませんが立ちくらみが止まりません。
        いつでも好きなときに死の世界を垣間見れる特権をゲットしたぜヒャッハー! あ……くらくら。
        それにしてもあの世界は一体何なんでしょうね。この機会に立ちくらみをODして何かをつかみたいものです。
        
        さて、そんなわけでついにキャラ1さんのお姿が拝めるようになりましたよ!
        こんなお顔だったんですね。
        初めて拝見したときは少々おどろきましたが、日が経つにつれ、これ以外にはありえないという実感がわいてまいります。
        
        なにしろキャラ1というだけあって服装パターンも表情パターンも多めです。
        もう少々時間がかかりますが、粛々と邁進して参りますよ。
        
        今日もあなたが幸せでありますように。
        
        
        
        



◆ 2018/07/22
    したこと:
        楽しい旅行の体験レポート
        
        夏ですね。
        連日気温が9789279721971297129度ぐらいありますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
        
        さて、気が狂うほど暑いので、というわけではありませんが、ちょいと旅行とやらにイって参りましたよ。
        と言っても、地球上のどこへも特にこれと言って行きたいところはございません。
        強いてどうしても挙げるならペルーかカナダかインドかウルグアイかポルトガルか……。なんだこのチョイス。
        
        つまり、ご存知の方にとっては結構有名な話みたいですが、
        我が国のフツーのお店で、合法的に楽しいトリップができるカプセルが売られてるんですって?
        ならば試してみるしかありません。
        
        効果やリスクなど入念に下調べをした上で、商品名を暗記して近所のお店へ行ってみる。
        あった。24カプセル入りで税込み約2500円。高っ!
        いや、でも物理的な旅行に行こうと思えば隣の県まで往復するだけでも2000円ぐらいかかるわけですから、
        それを思えばたまには。
        しかし1カプセル約100円以上の換算ですよ? 一体どこの国の国家予算ですか?
        かくなる上は万引きしようか。それとも偽札を使おうか? 諦めてお金を払おうか? まさに人生の岐路。
        じっくりと三日三晩滝に打たれて考え抜きたいところですが、店内を水浸しにするわけにはいきませんので、
        諦めて偽札を使うことにしました。日本銀行製の偽札でお支払い。みんな使ってるんだから怖くないぜイヒヒ。とかなんとか。
        
        長くなるので先に結論を書いておきますと、
        素晴らしい体験でした。予想していたのとは少し違ってましたが、
        実際に体験してみると予想以上に素晴らしいものでした。
        うまく言葉にできないのがもどかしいです。とにかく素晴らしいの一言。
        ただ、もう一回やりたいかと言えば微妙です。すごい消耗しますからね。イロイロと。主にお金とか。
        しかしこの体験は私にとって非常に価値のあるものでした。それは確実に断言できます。
        とは言うものの、マネしていいのは良い子だけですし、人におすすめするつもりもないので、製品名は書かないこととします。
        
        何しろウチほどのサイトともなると全国にン100億のファンがいらっしゃいますから、影響力というものを考慮せねばなりません。
        先日もうっかり私が「最近七味唐辛子にハマってまーす☆」などと書いたばかりに七味唐辛子の市場価格が大高騰し、
        世界中の経済が大混乱してあわや戦争かという事態にまで発展したいわゆる「七味事変」は今も皆様のご記憶に新しいことでしょう。
        あのようなピリ辛のあやまちを二度と繰り返してはなりません。
        
        したがって製品名は伏せますが、知ってるお友達が見れば「ああアレね」とわかることでしょう。
        ヤルつもりのお友達が気をつけた方がいいかもしれないと思うことに触れつつ、自分の体験の整理のために書くことにします。
        知らないお友達は私の妄想だと思ってください。
        いや、っていうか妄想ですからね。この私の妄想パワーの恐ろしさは既にここまでの文章でお分かりいただけていることと思います。
        今から書くことは全部私の妄想です。妄想ですよ〜。
        
        よーし、じゃあそんなわけで妄想を申しちゃうぞ。
        
        さて、この道の猛者は24カプセルぐらい一気にツルリとイクそうですが、
        私はこの手のことは今回が初めて。猛者のマネは憚られます。
        まずは6カプセルで様子見。
        
        結果はと言うと、ちょっと多めにアルコールを飲んだ程度の浮遊感がある程度。
        大体ネット上の情報通りです。いわゆる第1~2プラトーぐらいでしょうか。
        ただ、アルコールと違って、意識はハッキリしているのに、体が言うことを聞かなくなる感じです。
        ドアをくぐろうとすると枠に体をぶつける、キーボードが打ちにくくなる。
        これは油断すると事故になりかねませんね。たとえ少量でも、服用中は刃物、お湯、火の使用、外出は控えた方がよさそうです。
        
        午前中に飲んで、その日の昼頃がピーク。何も見えたりはしませんが、浮遊感がすごい。
        これが激しくなると意識が体の外に抜け出たりするのかな?
        夕方にはほぼ効果が抜けた感じでしたが、鈍い頭痛と微妙な吐き気が翌日中もわずかに残っていました。
        
        ひとまずここまでは大体ネット上の情報通りだということが確認できました。
        反省点としては、飲むときにカプセルから出した顆粒を奥歯で少し噛んでしまったこと。
        成分に含まれている臭化水素が水に解けると強酸性になるのだとか。歯に悪いですね。
        それと、翌日、唇の裏の皮がムケていることに気づきました。
        このせいかどうかは定かではありませんが、熱いものを飲んだわけでもない。
        カプセルから出すならオブラートは必須ですね。
        
        この時点で残り18カプセル。もう一回6カプセルを試して、その後12カプセルにするか?
        それとも一気に18カプセル行くか? ちょっと怖い。
        しかし同じことを2回試しても仕方がないので一週間後に18カプセル行くことにしました。第3プラトーを目的地に。
        
        さて、翌週。
        この日に備えて数日前からカフェインを控えておきました。
        トリップ中の食料として、料理をしなくても食べられるお菓子を用意。
        途中で寝落ちするとつまらないので前日はぐっすり眠ってあります。
        念のためハサミをビニールテープでぐるぐる巻きにしてキチガイの手の届かない場所へ。
        
        万全を期して18カプセルを一個ずつアルミシートから取り出す。めんどくさいな。
        この上カプセルを一個ずつ開けるのも面倒だし、オブラートもないし、素直にカプセルごといただくことにしました。
        片手にこんもりと18カプセル。これを飲むのか。ジャック範馬になった気分です。
        飲み切れるかな? と思いましたが意外とツルリと喉を通りました。カプセルってよくできてますね。
        さぁ、ついにやっちゃったよ。でも飲んだという実感が全然ない。

        事前情報によると、カプセルごと誤飲した場合は効果が出るのに時間がかかるとのこと。
        結局何も起きないんじゃねーの? などと思いながら部屋でアニメを見て過ごす。
        が、後半ぐらいから全然集中できない。
        エンディングの歌ぐらいの時点で画面を見てられなくなりました。

        その後しばらくダラダラ過ごしているうちに便意を催してトイレへ。
        切れの悪い下痢が時間をかけて大量に出る。便器から立ち上がるとフラフラしている。
        吐き気を感じたので、ついでに吐いておく。どうやら何らかの効き目は出ているらしい。
        この時点で服用から約1時間経過しています。
        ちなみにその後は便意も吐き気も感じることなく最後まで快適に過ごすことができました。大体ネットの情報通り。
        
        ただ、反省点が1つ。ゲロを吐いたときに歯がザラザラになりました。
        グレープフルーツなんかを食べたときの感じです。酸蝕歯って言うんですか?
        すぐにうがいをしましたが、翌日ぐらいまで違和感が残りました。
        朝イチで何も食べずに飲んだので、水ゲロしか出ませんでした。モロに酸性の液体という感じです。
        胃液自体の酸に加えて、臭化水素の酸も混じっていたのではないかなと思います。
        薬の成分も多少戻してしまったかもしれません。高いのにもったいない。
        事前情報によると、服用後に一度吐くのはお約束らしい。食べても食べなくても。
        で、どうせ吐くんだから食べるのはもったいない、と思ってしまったのですよ。
        でも歯に襲いかかる酸をゆるめる目的で、飲んだ後にでも何か食べておくべきだったかなと今は思います。
        
        さて、すっきりしてパソコンの前に戻る。
        BGMのためのプレイリストを整えてイヤホンで聴き始める。
        が、この時点でもう、頭がぐらぐらして座ってられない。布団に横たわる。
        そして目を閉じると……お、なんだこれは。目の前に道が伸びているぞ。
        もう一度目を開ける。見慣れた天井以外に何も見えない。これはアレだ。閉眼幻覚ってやつですね。
        昼間だったので目を閉じても日光がまぶたを通り抜けてくる。
        手のひらで目を覆ってみる。おお、道だ。やはり道だ。
        さっそくアイマスクを装着。
        見える。くっきり見える。ここはどこだ? 森だ。左右を木々に囲まれた小道が目の前にまっすぐに伸びている。
        よし、この道を進んでいこう。
        でも体の動かし方がわからない。と思っていたらゆっくりと視界が前進し始めました。
        
        あとはもう、ぶっ飛びました。
        最初はドライブゲームのように曲がりくねった道がずーっと続く。
        景色が次々と変化する。
        森の中。川辺。山の中。街の中。廃屋のような場所。日本庭園のような場所。農村のような場所。そして満天の星空。
        次々に移り変わる景色の中を意識がゆっくりとなめらかに流れるように進んでいく。
        
        それでいて、意識は鮮明でした。
        自分は本当は部屋で布団に寝ていて目を閉じている、ということは常に理解している。
        体も動かそうと思えば動かせる。
        試しにアイマスクを外してみると、たちまち「現実」に戻る。
        そしてアイマスクを装着すると、すぐにまた、見たこともない場所が周囲に広がっている。
        これはすごい。本当にすごい。感動です。
        アイマスクは必須ですね。
        なお、アイマスクと言ってもちゃんとしたものは持っておらず、代わりにシャツを頭部に巻いてました。
        ハタから見ると完全にキチガイです。次からは用意しておこう。反省点。
        キチガイはさておき、下手なものを頭部に巻くと窒息しないとも限りませんからね。
        
        さて、そのなんちゃってアイマスクではありますが外界の光は完全に遮断できています。
        しかし「目を閉じている」という感じがまったくしません。
        ずーっと光に包まれています。
        アイマスクを外して目を開けると「現実」が見える。しかし焦点が合わなくて、ぐわんぐわんしている。
        アイマスクをつけると、クリアで安定した、光に満ちた世界が広がっている。
        目を閉じることで本当の視覚を手に入れた、という感じです。
        
        面白いのは、自分の手が見えることです。
        アイマスクをつけたままなのに、自分の手を顔の前に持ってくると、手が見える。
        見え方の程度には波がありました。あるときは影のような見え方。あるときは明確に。

        明確に見えるときでも「実際の」手の形とは違ってました。
        右手はカニのハサミみたいな形。左手はイボイボのついたハンマーみたいな形。両手ともちょっと内側に曲がってる。
        なんだこれ? これがこの世界での私の手なのかな?
        しかし手を伸ばしても、見えるものに触ることはできませんでした。
        触ることはできませんでしたが、しかし非常にくっきりと見える。
        いろいろなモノが、目の前に、ありありと鮮明に見える。それこそ触れないのが不思議なぐらい。
        葉っぱの生い茂った木の枝。その葉っぱの一枚一枚。葉脈の一本一本までクッキリと見える。
        木造家屋の壁の木目が一本ずつクッキリと見える。
        コンクリートの柱の表面の砂粒が一粒一粒クッキリと見える。現実以上のリアルさ。
        寝そべったまま空中に腕を伸ばして、あははー、すげーリアルー、触れなーい、あははー、と手をひらひらしてました。
        ハタから見ると完全にキチガイです。
        しかし気をつけないと危険ですね。
        油断するとアイマスクをつけているということを忘れそうになります。
        今回は最後まで「自分は本当は部屋の布団で寝そべっている」という冷静な意識が残っていましたが、
        アイマスクをつけたまま動き回ると部屋がめちゃめちゃになりかねません。怪我もするかもしれない。
        と言っても「現実」の体はヘロヘロになってて立ち上がれないんですけどね。
        できれば体験中に面倒を見てくれる、いわゆるトリップシットしてくれる人がいるとありがたいですね。
        とは言え実際は難しいですから、念のために倒れやすいもの、壊れやすいもの、重いもの、カドの尖ったものは近くに置かない方がよさそうです。
        一番いいのは、そもそもこういうことをやらないことです。と、一応書いておく。
        
        体験は続く。
        いろんな場所に行きました。数え切れません。知らない場所ばかり。知ってる場所はほとんどありませんでした。
        もしかすると知っている場所もあったのかもしれませんが、「ここは知っている場所だ」という意識はありませんでした。
        すべてが「初めて来た場所」でした。
        しかし完全に未知の意味不明な場所、というのはあまりなかった気がします。
        基本的には「地球上のどこか」という感じです。それでいて、何を見ても新鮮でした。
        何気ない葉っぱや木や石が、これ以上ないぐらい鮮明で新鮮。そして美しい。
        多かったのは森の中や川辺です。
        街の中に行ったのは、記憶にある範囲では1回だけです。人はほとんどいなかったような気がします。
        一度だけ女性のような人と目が合いましたが、私と目が合うと顔が岩のような無機質なものに変化し、
        顔のパーツは下手な落書きのようになって崩れていきました。気がつくと辺りは土埃の煙る荒涼とした岩場に。
        
        全体を通して、私以外の人や存在に会うことはほとんどありませんでした。
        一度、トリップの序盤に、川辺のような場所をスクロールしているとき、
        仰向けになっている私の左後方、つまり頭の方から、ライオンのような、クマのような、馬のような、鹿のような、
        なんとも形容のし難い大型の生き物が追いかけるようにやってきて、私の方を見ていたようでした。
        噂に聞く「盟友」というやつかな? などと思いましたがよくわかりません。
        その生き物はしばらく私と併走した後、追ってくるのを止めて、後方に消えていきました。
        ちなみに川は私の左側を流れていて、その生き物は、川の水面の上か、または向こう岸にいたような気がします。
        その生き物を見かけたのはそれっきりでした。
        「川辺」という場所には何度も行きました。
        なぜか共通して、川は常に私の左側を流れていました。
        
        他に何らかの存在と言えば、トリップの終盤に、木でできた猫のような大型の存在に会いました。
        「それ」は私の足元の方から、つまり進行方向の前方からやってきて、私の右側から近づいてきました。
        その存在の頭部は大きな楕円形の分厚い平らな板でできていて、そこにマジックで描いたような顔がある。
        それが私の顔を覗き込んで「にやっ」と笑う。それを見て私は大笑いしました。
        こうして書いみると、どこに笑いのツボがあるのか全くわかりませんが、
        とにかく可笑しくて、大爆笑してました。ハタから見ると完全にキチガイです。
        さきほどのよくわからない生き物と違って、これは「木でできた」「猫(のつもりのもの)」ということが明確にわかりました。
        木製ですから猫じゃないことは一目瞭然なのですが、それでいて「猫のつもり」であることもお互いに了解済み。
        そういうバカバカしさがありました。
        それに対して、前述の生き物は「何々である」と形容することが憚られるような神々しさがあったように思います。
                
        今回行った場所の中でもっとも印象に残っているのは、
        どこか山の中の、少し開けた場所。
        川が流れている(やはり左側)。
        河原に白い柱がいくつも立っている。
        そこへ私の左後方から、低い角度で、夕日か朝日かわかりませんが、太陽のような強烈で、それでいて柔らかな光が差し込んできている。
        あたり一面が光に照らされ、川の水面と、林立する白い柱に反射してきらめいている。
        時間が停止した、光に満ち溢れた、透き通った空間。その中を意識がゆっくりと移動していく。
        圧巻でした。美しいの一言。
        ただただ美しい。形容する言葉がありません。こんな美しい場所を見たことがありません。
        
        体験中、何度か石棺に閉じ込められました。お、バッドか? と思いましたが怖いという感じは一切ありません。
        むしろ包まれていて安心できる感じ。
        石棺の壁(フタの裏)に模様がくっきり見える。何か書いてあるようにも見えるけれど読めない。
        そうこうするうちに模様とともに壁が分解して景色が変わる。
        
        どこへでも行けるという確信がありました。
        その世界の中で体を自由に動かすことはできませんでしたが、行こうと思ったところに飛んでいけるという確信がありました。
        知りたいことを知ることができると感じました。
        行くべきところに行って、正しい質問をすれば、知りたいことを知れると感じました。今のうちだと思いました。
        それで何度となく「人間がこの世に生まれてくるのはなぜか?」「感覚を持った生き物が存在する理由は何か?」
        などと声に出して叫んでました。ハタから見ると完全にキチガイですね。
        ちなみに呂律は回ってません。
        「いんえんあおーにうあーえーあえあー」みたいな声が冷静な自分の耳に聞こえてきます。
        ハタから見なくてもしっかりキチガイです。一人でやっててよかった。
        トリップシットしてくれる人がいた方が本当はいいのでしょうけど、
        こういう恥部を見せてもいいほど信頼できる人、というのはなかなか得がたいものだろうなと思います。
        なお、質問への答えが得られることは結局ありませんでした。
        せめて体験後に思い出せなくてもいいから、何かに触れることができたらいいなとは思っていたのですけど。
        今回の体験の心残りな点の一つです。

        そうこうするうちに、ふと落ち着いて、アイマスクを外すと夜になってました。
        ひょっとして目が見えなくなってるんじゃないかと少し心配してましたが、全然そんなことはない。
        意識は明晰。しかし足元はフラフラ。
        気をつけながらトイレに行って用を小用を足す。そういえば何も食べてない。でも食欲はまったくない。
        用意しておいたお菓子を少しだけ食べてみる。吐くかな? と思ったけど全く問題なし。
        ハミガキをしながら鏡を見ると両目とも瞳孔がばっくりと開いてる。頭は寝癖でボサボサ。完全にキチガイです。
        シャワーを浴びようかとも思いましたが、あまりにフラフラだったので諦めました。このコンディションで水場は怖い。
        
        布団に戻って目を閉じる。効果は少し残ってましたが、以降は大きなトビはなし。
        体はフラフラで目を開けても焦点は合わない。何かをしようと言う気はおきない。
        かと言って鬱のような無気力で苦しいというものではない。満ち足りた穏やかな気持ち。
        それ以上あの光の世界に行くことはありませんでしたが、眼を閉じるとまぶたの裏に光の痕跡が時折きらめく。
        やわらかな余韻に浸りながら布団に横になっているうちに、朝になっていました。
        
        体を起こすと少しフラついている。
        空腹という自覚はあるが食欲はない。まだ目の焦点が合わず、パソコンの画面の文字が読めない。
        歩きにくい。手足の長さと目に見える世界の距離感がつかめない。
        気をつけながら洗面所へ行って鏡を見ると、まだ瞳孔が開きっぱなし。
        頭痛や吐き気は全くありません。
        目の焦点が合わないのと、手足の距離感がつかめない状態は翌日の夕方ぐらいまで続きました。
        今これを書いている段階でも、キーボードを打ちにくい。
        もしかするとこのまま死ぬのかもしれません。悲願達成ですね。ヒャッハー。
        ちなみに肩こりが改善してました。一日中パソコンを使わずに寝てたおかげでしょうか。思わぬメリットが。
        しかし一日中暑い中で寝てたので汗まみれ。
        そういえばトリップ中、温度感はまったくなかったな。脱水症にならなくてよかった。これも反省点か。
        シャワーを浴びて部屋に戻るとすっきり。
        布団に寝そべって一息つくと、ああ、戻ってきたんだなぁ、という実感が、しみじみと沸き起こってくる。
        
        大体そんなところです。
        実際にはもっといろいろな場所に行っています。ここには書き切れません。
        覚えていないというのとは少し違う。言葉にならない。やはり言葉になりませんね。
        以上に書いたことも、あくまでも今思い出して言葉にすると、ということであって、あまり正確とは言い切れません。
        唯一正確だと言い切れるのは、ハタから見るとキチガイだったという点だけですかね。
        実は戻ってきたというのも幻覚の続きで無限ループ、というのもちょっとだけ期待してるんですが、さてどうなるでしょう?
        
        そんなわけで非常に楽しい体験でした。
        これはきっと運がよかっただけなのでしょうけど、
        全体を通して怖いとか孤独とか言ったネガティブな感覚は1回もありませんでした。
        かと言ってもう一回あの世界に行きたいかと言うと、あまりそういう気はしません。
        あの白い柱の並ぶ光のきらめく壮絶に美しい川辺も、もう一度行きたいとは特に思いません。
        ああいう美しい場所が「存在する」ことがわかった。それだけで充分です。
        
        事前に期待していたことと同じ点もあれば違う点もありました。
        閉眼幻覚といった効果の性質や持続時間。最初に便意と吐き気がくること。
        この点はネットで仕入れた情報通りでした。
        
        ネットでよく見かける情報と違っていた点としては、
        私の場合は「幾何学図形」を見ることはほとんどありませんでした。
        見えるものは常に「木」や「川」などといった具体的な物体でした。
        単純な線や面が出てきても、すぐにグニっと変形して具体的な物体になり、それを契機に景色が広がっていく感じ。
        人工物よりも自然物が多かったような気がします。
        
        あ、人工物と言えば一度、モニターが無数に並ぶドーム状の巨大な部屋の中で、
        中央に円筒上の巨大な水槽があって、青ざめた巨大な生首が白目を剥いて水槽の内側から薄ら笑いをうかべている、という場所がありました。
        モニターの1つ1つの前に研究員?のようなものがいるような気配はありましたが姿は見えませんでした。
        これ以外には、あまり「人工的(科学的)」っぽい場所はなかったように思います。
        
        宇宙空間もなかった。
        満天の星空、というのはありましたが、あくまでもどこかに寝そべって空を見上げている、という感じでした。
        トリップ中は宇宙空間だと思ってましたが、後で思うと「無限さ」「広大さ」「孤独感」といった雰囲気はありませんでした。
        そう言えば私以外の意志を持った存在がほとんど出てこなかったのに、孤独感はありませんでしたね。ずーっと静かで安らかだった。
        
        「啓示」のようなものもなかった。
        何かが得られそうな感じがしたことはありましたが、結局何もありませんでした。
        あくまでも始終キレイな景色を大量に見れたという、それだけ、と言えば単にそれだけです。
        言葉にしてしまえばそれだけですが、単にテレビなどでキレイな景色を見るのとは異質の充実感があるのは確か。
        それだけではない何かがあった。そんな気がしてなりません。
        ただ、できればもっと何か明確な、観念的な知識のようなものを持って帰りたかった、
        持って帰ることはできなくても、触れたかった、という心残りはあります。
        
        「自我の崩壊」というのもありませんでした。
        それが一体どういうものなのか、体験してみたいと言う気持ちもあったのですが、それらしい体験は今回はなし。
        どんな場所に行っても常に「私は本当は自分の部屋で寝ている」という冷静な意識が残っていました。体外離脱的なものもナシ。
        アイマスクを外せばいつでも「現実」に戻れる、ということを知っていました。
        それが「安心感」になってたのかな? 良くも悪くも。
        
        なので「アイマスクは必須ですよ!」と書こうと思っていたのですが、あんまりおすすめはしない方がいいような気がしてきました。
        いや別に何一つおすすめはしないのですけど。
        ネット上の体験談を見ると、大量に服用しても全然飛べなかった、という話をよく見かけます。
        その一方、効いてる状態でゲームをしていたとかアニメを観ていたとかいう話を見かけます。
        私が思うに、それはもったいないですね。
        この物質の主効果は閉眼幻覚です。アイマスクとイヤホンで外界を遮断する。そして効果に身を委ねる。
        おそらくそれがこの物質のたしなみ方なのだと思います。
        と、いうことは、同時に、アイマスクをつけていることを忘れると危険であろうとも思います。
        それほど「別世界」になります。
        目隠しをしてるのに全く暗くない。常に鮮明な世界の中にいる。目隠しをしていることを忘れそうになる。
        BGMを変えるためにパソコンを操作しようとして、おっとアイマスクつけっぱなしだった、ということが何度かありました。
        効果を味わえないのはもったいないかもしれませんが「現実」の情報を遮断してしまうのはリスクを伴うことであろうとは思います。
        目隠しをしてる人間が、目隠しをしてる自覚がなくなったら危険です。その自覚が常に保たれるものなのかどうかは不明です。
        
        もう1回やりたいかどうか?
        やるとしたら次は24カプセルかなと思っていますが、
        今のところ、すぐに実行したいという気持ちはありません。
        さしあたりは日常生活を送りながら今回の体験の意義について考えつつ情報収集も続けて、
        もう一度やる必要があると思う日がくればやるかもしれません。結局やらないかもしれません。

        
        
        体験後の翌日のさらに翌日。
        効果は完全に消えてます。目を閉じても何も見えない。
        そういえば目を閉じたら何も見えないのが普通なのでした。ヘンなの。いやフツーだ。
        足元のフラつきは全くなし。目の焦点も元通り。瞳孔も平常運転。キーボードも絶好調。
        なぜか食欲がない。しかし鬱で食べる気力がないというのとは違う。ただシンプルに、食べる必要を感じない。
        全般的に妙にすっきりしてます。すがすがしい。肩こりも改善している。心身ともに軽くなってます。
        音楽を聞くと踊りたくなってきてパソコンの前で踊る。どうやら完全にキチガイになったようですよ。
        
        ところで、ここまで書いてふと思ったんですが、
        これって単に「かぜ薬を飲んで丸一日ぐっすり寝たら元気になった! ちなみに何かいい夢見れた!」
        というだけのことなんじゃないでしょうか? そんな気もしてきました。
        おっと、かぜ薬って言っちゃったよ。正確にはちょっと違うんですけどね。
        いや、具体的には伏せておきますけども。ていうか私の妄想ですから。作り話作り話。
        
        では失礼します。
        今日もあなたが幸せでありますように〜。
        
        
        
        
        

◆ 2018/07/21
    したこと:
        マインドルの立ち絵作成
        
        学園モノと言えば応援。
        
        
        
        マンガなどの中で「幼児がクレヨンで描いたふうな絵」が出てくることがありますよね。
        ああいうのは本当に幼児がクレヨンで描いているわけではなく、絵がうまい人が意図的にそういうふう描いているわけですが、
        私の場合は本当に絵が描けないので、ナチュラルにこうなるのでした。ギャフン。

        念のため申し添えておくと、上の絵はいつものこの人です。わかりますよね? わかりましょう。
        
        
        冒頭の絵、ああ見えてメッチャ苦労してます。
        いつもながら死の世界を垣間見ました。そしていつもながら戻ってきてしまいました。
        それもこれもあなた方を愛するがゆえ。
        今しばらくはこの素晴らしい「現実」をあなた方と共有いたします。
        ともに生きましょう。
        感じてください。
        あなたの呼吸する空気の中に、たとえ微量でも私のオナラが含まれています。(スンスン)
        私の呼吸する空気の中に、たとえ微量でもあなたのオナラが含まれています。(クンカクンカ)
        生きている限り断ち切れない業がある。(ブゥゥ〜)
        だからこそ願わずにはいわれない。(スーハースーハー)
        今日もあなたが(プゥ〜〜ゥ)に。おっと、よく聞こえなかったかな。プゥ〜ゥ。
        いや、なんか死ぬほど暑いんで、気合入れようと思ってニンニクをオーバードースしたらオナラが止まらないんですよ。
        この勢いで月までだって飛んで行けそうです。作用と反作用でしたっけ? プゥ〜ゥ。
        
        
        さて、これにてこのモサモサ長髪のお姉さんの分は終了です。
        あと1キャラ!
        
        と、ここで重大な問題が1つ。
        デザインが決まっておりません。
        
        モサモサ長髪のお姉さんはキャラ3。緑髪のメガネっ子はキャラ2。
        つまり、残りはキャラ1です。
        そのキャラ1のデザインが決まっておりません。
        
        キャラ1というぐらいですから、一番最初からいらっしゃった人です。
        この人がいるからこそ、すべてのお話がある。しかし、その人のデザインが決まっておりません。
        困ったな。
        本文の作業をしているときからずーっとです。
        他の登場人物はみなさんそれなりに視覚的なイメージを引き連れておいでになったのですが、
        なぜかキャラ1さんだけは、ずーっと姿が不明のままでした。
        何しろキャラ1さんですから、存在感はありありと感じる。今だって隣にいます。ときどき耳に息を吹きかけてくる。困ったな。
        しかし姿が視覚化できない。困ったな。
        
        そのうち思い浮かぶだろうと思って、他のキャラの作業を先に済ませてきたわけですが、
        ついに後がなくなりました。困ったな。やはり死ぬしかないのかな。
        
        しかし私は生きることを選び取っているのでした。
        あなたの尻の穴に唇を密着させてダイレクトにオナラを吸引することを選び取っているのでした。
        あなたの唇に尻の穴を密着させてダイレクトにオナラを吸引させることを選び取っているのでした。
        一切が連環する計り知れない因果の中に自らの意志で参加する。生きるとはそういうことです。
        逃れられない業を、だからこそ自らの意志で情熱的に選び取る。生きるとはそういうことです。
        ゴゥじゃなくてブゥかな? もうどうでもいいや。どうでもいいのかよ。
        
        ていうか何なんですか、この暑さ。気温825679497417846745674547度ぐらいあるんじゃないですか?
        頭の1つや2つおかしくなるのが常識人のたしなみというもの。
        
        しかしたとえ頭がいくつあろうとも願いは1つ。
        今日もあなたが幸せでありますように。
        
        
        
        
        
        
        

◆ 2018/07/16
    したこと:
        マインドルの立ち絵作成
        
        学園モノと言えば浴衣。浴衣と言えば夏祭り。
        ん? 逆か? なんだかよくわからなくなってきました。
        ともかくこの宇宙は学園モノと浴衣と夏祭りとメガネっ子という四大元素で成り立っているということです。
        
        
        ★背景素材提供:K’sFactory様★
        
        というわけで待望の浴衣です。
        浴衣に見えますよね? はーい見えまーす。うむ。
        ガラが何模様なのかよくわかりませんが、このぐらいで勘弁してください。
        背景が夏祭りなのだから浴衣に見えないはずがございません。背景の力を侮るな。いつもありがとうございます。
	    
        ちなみに背景の元バージョンは昼間版となっており、GIMPで加工させていただいております。
        

        ↓
	    
        まず適当に全体をばさっと青暗くして……
        

        ↓
	    
        次に全体が黄色いのも用意して……
        

        ↓
        
        黄色いのを下のレイヤーにして……
        

        ↓
        
        消しゴムの形を適当に「大きめ」「輪郭ユルめ」にして、明るくしたいところを抜いていきます。
        
        
        するとアラ不思議
        ↓
	    
        夜店だぜ! ヒャッハー! 
        
	    
	    
        さて浴衣。
        私の知る限りではコミPo!に別売りの和服シリーズというのはなかったと思うのですが、
        仮にあったとしても日本の貨幣に込められた何がなんでも偽造をさせまいとする
        強力な邪念を解呪するまでは、さしあたり諦めるしかありません。このやろ〜。
        したがいまして、覚悟を決めてGIMPで顔以外ほぼ手書きコースです。
        
        
        
        右端が元画像。もはや共通点も何もあったもんじゃありません。
        私は絵が描けない人だと一体何度言えばわかってくれるんですか。このやろ〜。
        
        浴衣と言えば参考になる画像が山ほど検索できるのが唯一の救いですね。多すぎて困るほどです。
        いろいろ見ていると逆に自信を無くしてしまうわけですが、自信もなにも、そもそも絵が描けない人なんですってば。
        冷静に観察してみると、浴衣の基本的な構造は意外とシンプルですね。そうでもないですか? いーえ、シンプルです。
        こんなシンプルな服はないですよ。ワキを描かなくていい分、全裸よりもシンプルです。
        ならばやれる。私ならヤレる! と試合前のボクサーのように自己催眠をかけて
        得意のGIMPスキルを解き放つ。起動に10秒ぐらいかかる。重いな。
        
        なお、これまでに服装を自炊する際にはポワトリンの輪郭だけは命がけで死守するよう努めてきたのですが、
        浴衣の場合はポワトリンのふくらみは抑えるというのが宇宙の法則らしいので、そのようにしてみました。
        普段とは違う下着を肌にまとっているということです。
        一体どんな下着なのでしょう? それを身にまとう様子はどんなふうだったのでしょう? ドキドキが止まらない。
        今日もイマギナティオーンが大活躍です。如何にして見えないものを見る認識能力を獲得するか? 如何にして獲得するか!!!!
        ぜひぜひ皆さんもこれを励みに霊能力に磨きをかけて欲しいなと思うわけであります。
        なお、何度でも言いますが本編は非エロです。だからこそ今のうちに霊能力を(以下略)。

        ちなみに他の服装では基礎ポーズを数パターン用意するのですけども、
        浴衣の場合は両手できんちゃくを持った上記のポーズしか用意してません。だって袖が難しいんだもん。絵が描ける人って本当にすごいなぁ。
        
        
        何度でも言いますが私は絵が描けない人なのでした。そう簡単に不可能が可能になると思ってもらっちゃあ困るってもんよ。
        他にも気になる点はイロイロありますが、これ以上を求めると命がいくつあっても足りません。
        何度でも言いますが私はあなた方を愛しておりますので、まだ死ぬわけには参りません。
        
        それから、またまた何度でも言いますが、
        今日もあなたが幸せでありますように〜。
        
        
        
        
        
        

◆ 2018/07/07
    したこと:
        マインドルの立ち絵作成
        
        学園モノと言えば夏の私服。
        
        
        
        こういう普通っぽい服装はコミPo!にお任せして楽勝ぉ!
        という予定だったのですが、なぜか顔以外ほぼ手描きコースでした。なぜなんだ!
        私は絵が描けない人なので死ぬかと思いましたが、なぜか死にませんでした。なぜなんだ!
        この世には不思議なことがたくさんありますね。
        
        夏の私服と言ってもいろいろありますが、
        この人の場合は大人の落ち着きを備えつつピチピチギャルの輝きを放ち、
        さらに夏の日差しの中でなお爽やかな風を感じさせるものでなければなりません。これは絶対要件。
        
        しかしコミPo!には上記の要件にピタリと一致するものが見当たりません。
        何か追加のデータを買えばもしかするとピタリと一致するものが見つかるのかもしれませんが、
        なぜか偽札作りが未だに成功しておりませんので購入は諦めざるを得ません。なぜなんだ!
        
        お札を見ていると、執念が伝わってきます。
        あの印刷の細かさ。
        「ずえぇぇぇぇぇっっっったいに偽造させてあげないもんね〜〜ベロベロバー!!!!!!!!!!!!!!」
        という底知れぬ執念が風圧のように伝わってきます。もはや呪詛の域に達していると言っても過言ではありません。
        
        それもそのはず、お金とは呪術なのでした。
        「商品には値段がある」という幻想。「当たり前」すぎて疑うことさえされなくなっている強力無比な幻想。
        そのような幻想なしに現代の貨幣経済は成り立ちません。
        「値段」というフィクションを媒介項として、本来は個々別々の事物を市場というフラットな方程式に放り込む。

        バナナ10000房と自動車がなぜ等価なのか?
        一時間の労働と五目ラーメンがなぜ等価なのか?
        なるほど「商品には値段がある」のでした。

        その「なぜ」を不問に付す「当たり前」という呪術が支える貨幣経済という砂上の楼閣。
        その砂上の楼閣を、それでも難攻不落の空中要塞に仕立てている強力この上ない幻想です。
        なるほど、貨幣とはまさにそうした呪詛の結晶体なのでした。
        呪詛の念が聞こえてくる。
        「ずえぇぇぇぇぇっっっったいに偽造させてあげないもんね〜〜ベロベロバー!!!!!!!!!!!!!!」
        もはや解くことのできない呪術に我々は囚われてしまっている。

        何にでも値段がつく。人間にさえ値段がつく。
        たかが紙切れ、と誰かが言う。
        だからこそ、そのギャップの大きさに絶望せずにはいられません。
        呪詛の底知れぬ強大さに戦慄せずにはいられません。
        お金はおっかねーと言わずにはいられません。声を大にして。
        
        というわけでGIMP先生と一緒にモリモリと顔以外ほぼ手描きコースです。
        
        
        右端が元の画像。恐ろしいことに共通点がほとんどありません。
        絵が描けない私に対する死刑宣告と同じです。実にありがたい申し出。
        ポワトリンの輪郭だけは死守しつつ、覚悟を決めて改造開始。
        参考にした画像はあるのですが、具体的に何を着ているのかはよくわかりません。
        そもそもうまく描こうとしても無理な話。重要なポイントだけに的を絞ります。
        重要なポイントとは、もちろん鎖骨とワキです。あとはオマケみたいなものです。
        あっ、あと二の腕のツヤも忘れてはイケません。
        でもスカートの裾は忘れても構いません。画面外の領域は宇宙の外ですから存在しないのと同じ。
        と言いつつサンダルを履いていただいております。
        下手でもいいからサンダルだけは履いていただく。作業を進める上での意気込みが違ってくるというもの。
        目に見えない領域にこそ感覚世界の根拠がある。そういう場合もあるということです。生まれる前の世界を霊視せよ。
        
        ちなみに上の青矢印の途中に、作業途中の中間状態として、全裸に近い画像がございます。
        なお、コミPo!には「服を脱がせる」という機能がありません。なぜなんだ!
        それはもちろん、GIMPでじっくりと手作業で服を剥いでいく過程を味わうためです。コミPo!さん、実によくわかってらっしゃる。
        ここには載せられないので載せてませんが、ぜひあなたのイマギナティオーンで、見えないものを見てくださいね!
        目に見えない領域にこそ感覚世界の根拠がある。そういう場合もあるということです。生まれたままの姿を透視せよ。
        しかし霊能力を自己の欲望のために使うなんて、おぬしもワルよのう。イヒヒのヒ。
        さて、これから夏まっさかり、我々霊能者にはたまらない季節でございます。何の話だ。もちろん肝試しの話です。
        何の話だと思ったんですか? おぬしもワルよのう。イヒヒのヒ。
        
        今日もあなたが幸せでありますように。
        
        
        
        
        

◆ 2018/07/02
    したこと:
        マインドルの立ち絵作成
        
        学園モノと言えば長髪のお姉さんの体育の時間限定のポニーテール。
        
        
        ★背景素材提供:K’sFactory様★
        
        ポニーテールに見えますよね? はーい見えまーす。
        普段とは違う雰囲気にドキドキですよね? はーいドキドキでーす。
        長髪の人にはこういう必殺技があるので侮れません。
        しかもメガネっ子。もう1つぐらい必殺技を隠し持っているかもしれません。ドキドキ。
        
        「先輩……俺、このままじゃ教室に戻れないっス」
        「○○くん……! そ、それ……!」
        「先輩を見てたらこうなっちゃって……」
        「わ、わたしのせい……? じゃあ……」
        
        というメルヘンワールドビーッグバァァーーンな一幕は本文には含まれておりませんので、
        皆様各自の逞しいイマギナティオーンでモリモリと補完していただきますよう宜しくお願い申し上げます。サポートメールか。
        
        ところで最近下ネタが多いですね。
        なにしろ一切皆エロですから仕方がありません。
        ご不明な点がおありの際は仏までお問い合わせいただきますようお願い申し上げます。サポートメールか。
        
        
        さて、元の髪型はうまい具合に後ろ髪が1色塗りなので、
        GIMPのファジー選択ツールで豪快に削除できます。
        
        
        
        そして巨大なポニーテールと言えばコミPo!の出番。
        位置に関しては3D的なつじつまよりも2D的な見栄えを優先するためGIMP側で調整しております。
        3Dと2Dのインピーダンスミスマッチというやつですね。だからインピーなダンスってどんなダンスなんですか?
        
        
        
        リボンの先端がうなじの後ろから見えるぐらいの長さにするために描き足しているわけですが、
        間の部分はどうせ隠れて見えなくなるので途中でヤメにしております。
        目に見えない領域は存在しないのと同じ。観測されない時空は存在しないのと同じ。
        すると、この宇宙というものは誰かが観測しているからこそ存在しているということなのですね。
        感覚を超える領域を否定する唯物論。その彼岸に精神先行型の宇宙観があった。
        物質が先か精神が先か? メガネが先かメガネっ子が先か?
        初めにメガネっ子があった。存在するものでメガネっ子によらぬものはございませんのでご了承下さい。サポートメールか。
        
        いつもながら今日も福音をたっぷり聞けてよかった。
        今日もあなたが幸せでありますように。        
        
        
        
        

◆ 2018/06/25
    したこと:
        マインドルの立ち絵作成
        
        学園モノと言えばスーツ。
        
        
        ★背景素材提供:K’sFactory様★
いよいよ先生みたいになって参りました。 いつもながらブレザーのスライムベスです。 ん? ブレザーのスライムベスじゃなくて、ブレザーがスーツを元に作ってたんでしたっけ? もはや起源を見失うほど遠くへ来てしまったおります。 タマゴが先かニワトリが先か? メガネが先かメガネっ子が先か? 遥かな原初には何が存在していたのか? 我々は今、人智を越えた宇宙の神秘を覗き込んでおります。 神はメガネっ子あれと言った。 するとメガネっ子があった。 神はメガネっ子を見て良しと言った。 神は職質を受けて連行された。通学路か。 ストッキング的なものを描き加えようかどうか三日三晩滝に打たれて考えたのですが、 どうせ実際の画面には表示されないので生足のままとしました。 図らずも、目に見える箇所だけがこの宇宙のすべてではないということの一つの好例となりました。 隠された領域に何があるのか? キミのイマギナチオーンが唸りを上げる。そりゃもうぶおんぶおんと。 ちなみに本文によると式典用のスーツということなのですが、 式典用と言われてもよくわからないので、胸にバラの飾りをつけてみました。 バラの画像はコミPo!に入ってた素材を縮小しております。 上記で元の画像を紹介するに際し、適当に載せたら背景みたいになってしまいました。 なんだか素敵なのでこのままにしておきます。ドキドキ。 今日もあなたが幸せでありますように。 ◆ 2018/06/18 したこと: マインドルの立ち絵作成 学園モノと言えば私服。 ★背景素材提供:K’sFactory様★
制服とはまた違った風情で。 なんだか学校の先生みたいになってしまった気もします。背景が教室じゃないのでセーフです。 私服というと、もうちょっとピチピチギャルみたいな感じにするのが昨今の礼儀なのかなとも思わないでもないですが、 ピチピチギャルという単語の是非はさておき、この人の場合は大人っぽい雰囲気に落ち着けるべきであろうという判断です。 なお、大人っぽいと言ってもエロいという意味ではありませんのでご了承ください。 しかし、迂闊に「大人っぽい」となどと言うと誤解を招いてしまう。このような昨今の風潮には困ったものですね。 そもそもですね、前から申し上げたいと思っていたのですが、 「大人=エロい」という固定観念に満ちた図式には賛同いたしかねるのですよ。 大体、大人の言う「エロい」というのは社会文脈的に「エロい」とされていることの事務的な追認にすぎません。 服の上から下着がスケて見えればエロいんですか? 椅子に座っている脚の間からパンツが見えればエロいんですか? あるいはおっぱい丸出しならエロいんですか? なんと陳腐な。創造性のカケラもありません。 いいですか? そんなものはですね、エロさのカタログに過ぎないんですよ。 血の通わぬ硬直したエロさの標本を陳列しているに過ぎないんですよ。 死んだエロさです。生のヨロコビとは正反対。 では真のエロさとは何であるか? よろしい。申し上げましょう。 真にエロいのは子供です。 なぜか? 好奇心があるからです。 それが「エロい」ことであるなどという知識もなく、ただ純粋な好奇心で突っ走る。そこがエロい。 「ねぇ、たかしくんのここってどうなってるの?」 「じゃあ、かおりちゃんのもみせて」 「うん、いいよ」 どうですかこのエロさ! 未知のものに対する輝きに満ちた冒険心。 世界に対する曇りなきリスペクト。 これぞ生のヨロコビというものです。これこそがエロスというものです。 もう一度言いましょう。 大人の言う「エロさ」の如きものは芝居がかった偽物の「エロさ」に過ぎません。 真にエロいのは子供です。 いいですか? 子供こそがエロいんです。子供こそがエロいんです!! と、以上に述べたことを公衆の面前で声を大にして熱弁すると 確実に警察を呼ばれるのでぜひお試しくださいね。 私はヤリませんけどね。(あっ、逃げた! 皆さんご覧ください! これがズルイ大人です!) さて、私服と言いますか、コミPo!的にはビジネススーツシリーズに入っているのですが、 例によって体型がズレてしまうので、 ブレザーのときと同じレシピでGIMPの出番です。 ところで、こうして見てみると、このレシピの図もなかなかエロいですね。 たとえば左から2番目。はい、その気持ちはよくわかります。 そしてまた、左から3番目もなかなか味わい深いものがあります。 わかりやすいのはスカートです。服のシワを表す陰影に目を凝らしてみましょう。 内側に包み込まれた肉体の質感が手に取るように伝わってくるではありませんか。ドキドキ。 コミPo!め、おぬしもワルよのう。 しかしいずれにせよ、拡大して見ればドットの集合に過ぎません。すなわち五蘊皆空。 ただのドットの集合に過ぎないものが、しかし、特定の形に並ぶことでエロさを醸し出す。すなわち空即是エロ。 まさに宇宙の神秘。 そうです。大事なのは宇宙の神秘に対するリスペクトを忘れないことです。 宇宙の神秘に対するリスペクトを持って見れば、身の回りのあらゆるものがエロく見える。ドキドキが止まらない。 職務質問のおまわりさんさえもエロく見える。すなわち一切皆エロ。この境地に達すれば怖いものなし。 まんじゅうだって怖くない。でもやっぱりお金は怖いのでお金ください。 念のために言っておきますが、お金がおっかねーなどと言うつもりは少しだけしかありません。 そのようないかがわしいつもりは少しだけしかありませんが、 しかしあなたの幸せを願う気持ちはたっぷりあります。 なんとかいつものところに着地できたみたいです。ああよかった。 今日もあなたがエロくありますように。 あ。 今日もあなたが幸せでありますように。 ◆ 2018/06/10 したこと: マインドルの立ち絵作成 学園モノと言えば息止め。 というわけでいつものようにパーツを寄せ集めてブレザーにお着替え。 もはや手慣れたもの。非の打ち所が1ドットもありません。 こうして縮小して載せてみると一層キレイに見えるマジック。 いわゆるアレでしょうか、高いところから街の景色を眺めるとキレイに見えるけど、 実際に街を歩いてみると、この世のしがらみが心を蝕んで思わずトラックをレンタルして人ゴミに突っ込まざるを得なくなる。 「キミとはやっとれんわ!」とかなんとか言いながら。もはやハリセンは古い。 高いところからの眺め。 地上数階程度のビルの屋上でもそこそこキレイな景色になります。 標高100メートル程度の里山でも美しい街並みが一望できます。 きっと宇宙から地球を見たら、さぞかしキレイなんでしょうね。 そのキレイであるはずの地球に足をつけて、私たちは日々生活をしている。 それなのにどうして地上はこんなにも息苦しいのでしょう? 空気のゆえに私たちは窒息する。 空気のない宇宙よりも地上の方が息苦しいとはこれ如何に。 ところで「これ如何に」っていっぺんナチュラルに使ってみたかったんですけど、 今の用法はナチュラルでしたでしょうか? 幼い頃に憧れた「これ如何に」をエレガントに使いこなす大人に今の私はなれているでしょうか。 そのような実感はありません。時間だけが流れてしまった。やはりダジャレと一緒に使うべきだったのかもしれません。 じゃあ、えーっと、えーっと、 と、ここでキーボードの前で三日三晩悩み抜いたのですが何も思い浮かびません。私は今もあの頃のまま。 ちなみに縮小して載せていると言うか、HTMLのタグでサイズを指定してるだけなので、 右クリック → 画像だけを表示 のようにするともとの大きさで表示されます。 言わなくてもおわかりいただけていることと思いますが、あまりジロジロ見てはイケません。 単独で見るとドットがどっと見えてしまうかもしれませんが、 本番の画面では背景にいろいろ表示されるので目立たない予定です。 ドサクサに紛れて韻を踏んでしまいました。気がつけば私もズルイ大人。 > こうして縮小して載せてみると一層キレイに見えるマジック。 しかし逆に拡大すればするほどアラが目立って汚く見えるというなら、 顕微鏡で拡大しまくっていくと醜さが無限に拡大されていくということでしょうか。 きっと素粒子の世界なんてあまりの醜悪さに目もあてられないに違いありません。そんな話きいたことないですよ。 すると、そういう醜いものから出来ているのが私たちであるとも言えるわけですね。そんな話きいたことないですよ。 宇宙から見た美しい私たち。素粒子から見た醜悪な私たち。そんな話きいたことないですよ。 その中間を漂っているのが私たちの日常の有様です。そんな話きいたことないですよ。 さて、まだ何着かこの人の服装が残っております。その話なら聞いたことあります。 いつもながら地球は淡々と回り続けているようですが、この作業も着々と進んでおります。毎度お馴染みですね。 人類が滅ぶのが先か、私が死ぬのが先か、この作業が完了するのが先か。ハラハラドキドキ。 今日もあなたが幸せでありますように。 これも聞いたことありますよね。 もう一回言っておこう。 今日もあなたが幸せでありますように。 ◆ 2018/06/03 したこと: マインドルの立ち絵作成 学園モノと言えばキャラ3。 キャラ3に見えますよね? はーい見えまーす。どこからどう見てもキャラ3です。全方位対応型キャラ3。 何を言っているのかわからなくなってきました。 そんなわけでメインどころの3人目です。 いつものようにコミPo!とGIMPのオシャレなコラボで髪型に特徴をつけます。 オシャレかどうかは知りませんが枕詞ですから、教養にあふれる私としては言わないわけにいきません。たかさごのコラボ。 ↑ 左端がコミPo!純正。別の髪型からパーツを採取してエクステを作成。 装着すればジャジャーン、なんかモサモサっとした長髪の先輩に変身です。 先輩なんですか? モサモサっとした長髪のお姉さんなんですから先輩に決まってます。 しかもメガネっ子。こうなったら交際を申し込まざるを得ない。これはもはや校則。選択肢などない。いや、ありますけど。 モサモサ具合をどの程度にするかについては悩みどころです。 素直にコミPo!に任せておけば悩まなくて済むのに、自力に頼ろうとするから悩みが生じる。まさに煩悩。 そして三日三晩滝に打たれて考え抜いた末、上記のようになりました。ポイントは眉毛が左右とも見えることです。 表情が作りにくくなるから? いいえ、先輩と言えば眉毛。これだけは譲れない。煩悩の彼岸に真理を見出した。 本当に大切なものの存在に気づかせていただきました。ありがとうございます。 後はこだわるとキリがないのでテキトー仏にお任せです。 ずーっと見てると加減がわからなくなってくるのですが、 しばらく目を離してから見ると、少々ヤリすぎかなと思うこともあります。特に頭頂部。中に何が入ってるんでしょう。 しかし少々ヤリすぎかなと思うぐらいで丁度いい。生きるとはそういうことです。 というわけで今日もご飯に七味唐辛子を大量投入。ドバー。うむ、辛い。生きるとはそういうことです。 しかし七味と見せかけて麻の実なしの六味なのでした。コンチキショ〜。生きるとはそういうことです。 > そして三日三晩滝に打たれて考え抜いた末、 考えるのは自力なのではないか? と、教学に優れたあなたは思うかもしれません。 しかしそれを言い出すと、行き着く先は人間性の否定です。 システムや自然法則に従順な何も考えないゾンビばかりの世の中になってしまう。 ゾンビになることが正しいことでしょうか? そんなことが「御仏の願い」でしょうか? もしそうならそんな仏はどうのつるぎで斬り捨ててやりましょう。経験値1ポイントを獲得だぜ。 人間はゾンビではありません。 人間には自己意識があります。思考能力があります。 そのことの意味に思いを馳せていただきたい。 現代とは人間が一人一人別々の個人に分かれ、それぞれに思考するようになった時代です。 それを否定してゾンビになってしまっては生きている意味がありません。 現代という時代の存在意義について思いを馳せていただきたい。 全体から分断された個人という自己意識。これは単に否定すべき「天からの堕落」でしょうか? 知恵の実を食べた人間はもうエデンには帰れない。砂漠をさまよう自己意識。 あらゆる意味から切りはなされ、何もない宇宙空間に放り出された寄る辺ない自己意識。 自己意識がある。自己意識があるから苦しい。それでも自己意識がある。 さてこれからどうしよう? 大事なのはそこです。 どうか目を開けていただきたい。砂漠の砂が目に入る。涙が止まらない。 それでも目を開けていただきたい。なぜかと言うに自己意識があるからです。 何が見えるでしょうか? 地球が見えるはずです。人間が見えるはずです。 あなたがいる。私がいる。あの人がいる。その人がいる。 メガネっ子がいる。モサモサ長髪の先輩がいる。 こうなったら交際を申し込むしかない。もちろん選択肢があります。 選び抜け。自己意識で選び抜け。生きるとはそういうことです。 この選択は誰かを不幸にしてしまうかもしれない。 その選択をしたのは誰か? 私だ。なぜかと言うに自己意識があるからです。生きるとはそういうことです。 すべてを見通すことはできません。なぜかと言うに全体から切り離された個人だからです。 神ではない。仏ではない。人間だ。そして自己意識がある。 不幸を招いてしまう可能性を知りつつ、それでも自己意識で選び抜け。あやまちをその身に引き受ける。生きるとはそういうことです。 今日も涙が止まらない。 実は麻の実なしの六味しか入ってないと知りつつ七味と称する六味唐辛子を引き受ける。生きるとはそういうことです。 今日も涙が止まらない。 あ、別に唐辛子を目に入れてるわけじゃないですよ? さすがにそこまでは。あくまでも経口摂取。生きるとはそういうことです。 しかしその発想はありませんでした。 物質の摂取方法としては経口以外にも注射とかスニッフィングとかいろいろありますよね。 固定概念にとらわれない。唐辛子を目にだって入れてみる。生きるとはそういうことです。 というわけで、これをアップロードしたら後でやってみます。やってみません。 今日もあなたが幸せでありますように。 ◆ 2018/05/24 したこと: マインドルの立ち絵作成 学園モノと言えばぬいぐるみ。 ★背景素材提供:K’sFactory様★
猫です。猫に見えますよね? はーい見えまーす。 耳が尖っていて瞳孔が縦長でヒゲが生えていれば誰がどう見ても猫に決まってます。 平日の昼間に私服で住宅街を出歩いていれば誰がどう見ても変質者に決まってます。 コミPo!に入っていた素材の元の状態は↓の左です。 落書きし甲斐のある顔で助かりました。探せばきっと歴史の教科書にも掲載されている名のあるクマに違いありません。 ちなみに何気なくクマと言いましたが本当にクマなのでしょうか? 耳が丸いのでネズミなのかもしれませんが、ネズミには見えませんからクマなんじゃないですか? ちなみに何気なく変質者と言いましたが本当に変質者なのでしょうか? 学生向けマンションが立ち並ぶエリアなので学生かもしれませんが、学生には見えませんから変質者なんじゃないですか? ところでクマのままではマズかったのでしょうか? どうしてもネコに整形しなければならなかったのでしょうか? 本文の中で「ニャー」と発声しておりますので、後に引けなくなってしまいました。 猫とは明記されてなかったはずですが「ニャー」と言っていたのだから猫に決まってます。 カバンを持ったままスーパーに入ってきたのだから万引きするつもりに決まってます。 大体何でカバンを持ったまま入ってきたんですか? そんなもの車の中に置いてくればいいじゃないですか。 え? 車を持ってない? イマドキそんなやつは変質者に決まってます。やかましいわ。ニャー! さて、そんなわけでさりげなく夏服です。 冬服と同じ理由で一枚多めに羽織りたいということになっているのですが、 使い回すのは暑苦しいので簡素なスカーフっぽい何かにしてみました。 スカーフっぽい何かに見えますよね? はーい、スカーフっぽい何かに見えまーす。うむ。 結び目の部分が適当ながら、今回もまた色の濃いテクスチャのおかげでごまかせていることでしょう。 やはり色の黒いは七難隠すというやつですね。 七難というのが具体的に何を指すのかは不明ですが、七味唐辛子と称して麻の実なしの六味唐辛子が平然と売られている世の中です。 数字さえもアテにできない。今はそういう時代です。 たとえば日付だって数字ですが、数字だからと言って信用してはいけません。 メディアの情報によると今は? 2018年? そんなアホな。やはりメディアの情報を鵜呑みにしてはイケませんね。 大体、2000年になったあたりから何か怪しいと思ってました。 いいですか? 年号の上2ケタってのはずーっと「19」だったんですよ。 それを何か、1999の次だからとか何だとか、数字と表面的な理屈を持ち出せば一般大衆をごまかせると思ってるんでしょう? その手にはノリません。 実際には今は大体1990年代の後半ぐらいなんじゃないですか? それぐらいがちょうどいいハズ。 それをあろうことか2018年だなんて。いくらなんでもオカシイ。冷静に考えればそんなことはあり得ないとわかるハズ。 騙されてはイケません。 人は周囲の他人の言うことに影響されてしまう生き物です。 ネットで世界の情報を調べると、まるで口裏を合わせているかのように、どこを見ても2018年と書かれています。 まさに人間の性質を熟知した上でテクノロジーを駆使した悪質な陰謀。 流されてはイケません。 とかなんとか言いつつ、このテキストのページにも何気なく日付を2018と書いてしまっております。 それを見た純真なあなたは「そっかー、やっぱり今は2018年なんだね!」と思い込んでしまうかもしれない。 無意識とは言え、私自身が悪の陰謀に加担してしまっていたというわけです。 自分だけはイノセントなつもり。協調性という名の無自覚な悪。 この世に身を置く限り、常に自己自身が悪であることを免れ得ない。生きるとはそういうことです。 大事なのは目を開けていることです。かと言ってドライアイになってはいけない。 常に目を開けつつ吹きすさぶ風とホコリを受け止めて涙を流す。生きるとはそういうことです。 さて、これにてこの緑髪の眼鏡っ子氏の立ち絵は完了です。 あと2キャラ分! 今日も涙が止まらない。 今日もあなたが幸せでありますように。 ◆ 2018/05/20 したこと: マインドルの立ち絵作成 学園モノと言えば男装のタキシード。 作り置き済みのブレザーの色違いなので楽勝です。 並べてみればスライムベスですが、並べずにタキシードと言い張ればタキシードです。タキシードに見えますよね? 見えましょう。 適当に色変換したら服のシワが濃すぎるかな? とも思いましたが、 タキシードらしい黒光りした感じで縁起が良いのではないでしょうか。 「タキシードらしい黒光り」ってのが何のことかはよくわかりませんが、 この世にはよくわからないことがたくさんありますので、この程度でうろたえてはいけません。 ちなみに男性用の服ということなので服の前面のボタンのつき方の左右を逆にしてあるのですよ。 いつもながら隙がない。隙はないですが私はあなたが大好きです。やったね! 万が一伝わらない人がいるといけませんので解説しておくと、「隙」と「好き」をかけた韻律です。 これで私がいかにあなたを好きであるかが確実に伝わったことと思います。やったね! ところでスライムで思い出したのですが、 カタカナでスライムって書くとスラ仏なのですよね。 序盤に出てくる最弱の敵キャラが実は仏だった。仏に会うては仏を斬る。どうのつるぎで。 知らぬこととは言え、さんざん修羅道を歩んで来てしまっていたというわけです。 ハーゴンさんのことを邪教とか言えた義理じゃありませんね。 あるいは最弱と見せかけて、あれは大いなる慈悲だったのかもしれません。おそるべし。 さて、ゲームと言えばどういうわけか必ず何らかの形で争いや攻撃が含まれます。 そういうことが「楽しいこと」なのだと私たちは教育されてきた。まさに地獄です。 地獄とは場所のことではなく心の状態のことです。 せっかくクリアして平和になったはずなのに、すぐにまた次の争いを求め始める。 「暇つぶしに」と称し、何かを攻撃することに明け暮れる。 他にすることが思い浮かんでこない。 そういうことが「自分のしたいこと」なのだと思い込んでいる。まさに無間地獄です。 しかしこの度、地獄にも仏がいらっしゃるということが明かされました。まさに地獄に仏です。 ちなみに無限地獄じゃなくて無間地獄です。パソコンの漢字変換機能のおかげで過ちを犯さずに済んでおります。やはりAnthyは素晴らしい。 > ハーゴンさんのことを邪教とか言えた義理じゃありませんね。 現役時代には深く考えませんでしたが、ドラクエ2って宗教戦争なんですよね。 RPGのステレオタイプとして「勇者と魔王」というのがありますが、 ドラクエ2に魔王は出てこない。ハーゴンさんは「神官」でシドーさんは「邪神」なのですね。 ローレシア城の地下牢には悪魔神官が捕まってる。普段から「邪教徒狩り」が行なわれていたことを窺わせます。 で、ラスボスを倒した後って街の人々のセリフがグラフィックごとに固定になるじゃないですか。 悪魔神官ってグラフィックが神父ですから、もしかしたら街の神父と同じセリフになってたりして? と思ってラスボスを倒してローレシアに戻って、王様に話しかける前に地下に行こうとしてみたんですけど、 地下に行こうにも画面が切り替わらなくなってました。隙がないですね。あっ、でも私はあなたが好きです。 念のために解説しておくと今のは(以下略)。 > そういうことが「自分のしたいこと」なのだと思い込んでいる。まさに無間地獄です。 ドラクエの何がいいかと言えば、ずばり「天気がいいこと」です。 緑の草原。青い海。赤茶けた山脈。白く泡立つ波打ち際。全てが色鮮やか。そこがいい。 本当は戦いたくなんてないんです。 というわけで最近は春になって天気もいいことですし、電源を切って外を散歩する。 青い空。乾いた道路。 足元ではアスファルトの隙間からはち切れんばかりに草が飛び出して花を咲かせている。頭上には木の葉が揺れる。 普段は視線を止めないようなところからいくつもの草花が顔を出しています。 歩きながらあっちこっちに視線をさまよわせる。 ハタから見ると不審人物のように見えるかもしれませんが、いくら見ていても飽きません。 どこかに大麻でも自生してないかなと思いながら視線をさまよわせる。 ハタから見ると不審人物のように見えるかもしれませんが、否定はしにくいところです。 そういえば少し前にポケモンのスマートフォンの野外ゲームが流行りましたね。 スマートフォンを構えていれば「レアポケモンを探してるんだな」と思ってもらえるかもしれません。当たらずとも遠からずだぜ。 ナイスアイディア。と思ったのですが私はスマートフォンを持っていないのでした。ギャフン。 そんなわけで私は所持していないので基本的なことがわかってないんですけども、 スマートフォンってスマートフォンって言うべきなんでしょうか? それともスマートホンって言うべきなんでしょうか? 「フォン」を選ぶか「ホン」を選ぶか? どちらも選ばないということは許されません。意図して片方を選び抜け。生きるとはそういうことです。 しかし「フォン」と「ホン」に互換性があるということは、 選択次第では「本屋」は「フォンや」になってしまうということです。 そのような世界をあなたは望むのか? 問題はそこです。 「あほんだら」は「あふぉんだら」になってしまうということです。 そのような世界を私は望むのか? 問題はそこです。 恐るべき分岐点。 どちらを選んでも別な面から見れば間違うことになるでしょう。 正解することなどできません。正解しようなどという願望はすなわち「正解して逃げ切ろう」というさもしい逃避に他なりません。 選ぶとは間違いを引き受けるということです。生きるとはそういうことです。 どのように生きても自己自身が悪であることを免れ得ない。生きるとはそういうことです。 意図して間違いを選び取り、意志を持って情熱的に進む。生きるとはそういうことです。 本屋を「ふぉんや」と発音するあふぉんだらとしての人生を情熱的に選び取る。生きるとはそういうことです。 ところで大麻と言えば、少しネットで調べた範囲では、そんなに悪いものではないみたいですね。 むしろいろいろと役に立つものであるらしい。 目の敵にして規制する方がどうかしてるのではないか? 最近はそう思うようになりました。 でも喫煙ってのがイヤだなぁ。煙をまき散らさないで欲しい。 体にいいか悪いかというのはどうでもいいんです。煙をまき散らさないで欲しい。 仮に今「合法化に賛成か否か?」と聞かれたら「賛成」を選びます。情熱的に選びます。しかし煙をまき散らさないで欲しい。 他人を巻き込むのはよくない。この点は譲れません。情熱的に譲りません。 > そんなわけで私は所持していないので基本的なことがわかってないんですけども、 さきほど申し上げた「所持」というのはスマ某だけではなく大麻も所持しておりません。 先日、業務スーパーで七味唐辛子のでかい袋を買ったのですが麻の実が入ってないやつでした。このやろ〜。六味め! つまり所持できていないというわけです。つまりって何だ。 ていうかスマ某って何だ。情熱的にどちらかを選べ。このやろ〜。 さて、大麻の種は入ってませんでしたがお話の種は尽きません。 しかし人生は有限ですので、今日のところはこのあたりでキーボードから手を離そうと思います。 今日もあなたが幸せでありますように。 ◆ 2018/05/16 したこと: マインドルの立ち絵作成 学園モノと言えばコマンド発動。 そんなわけで、またまたウェアラブルデバイスです。 ウェアラブルデバイスに見えますよね? はーい見えまーす。うむ。空だって飛べますよね? はーい飛べまーす。うむ。 絵が描けないはずなのにそこそこなんとかなってしまう。いつもながら驚きを禁じ得ません。 驚きを禁じ得ないので「驚くの禁止!」と言われたって驚くのであります。ビクッ! 下手にアンチエイリアスをかけると余計に汚くなるので縁取りはギザギザのまま突貫するのがコツ。 え? 下手にじゃなくて上手くアンチエイリアスをかければいいんじゃないかって? ビクッ! さて、いつものように手元のアニメから参考というか真似できそうなのを探すのですが、 すでに使い尽くしていてドンピシャなのが見つからない。 耳あての部分はコレ、ゴーグル部分はコレ……、と物色していたら妙に複雑な構造になってしまいました。 実際のところどういう作りになっているのかはよくわかりません。 しかし重要なのはメガネをかけたまま装着できるようになっていることです。そこさえクリアしていれば後は怖い物なし。 まんじゅうだって怖くない。でもお金は怖いのでお金ください。 ちなみにコミPo!に「コマンド発動ポーズ」というものは入っていないので 「指し示す1」を元にして、得意のGIMPスキルに物を言わせてぐりぐりしております。 肩の関節部分が雑ですが、色の濃いお洋服のおかげで自然な見た目に。 色の黒いは七難隠すってやつですね。ガングロか。 ちなみに実際に上の画像のポーズのように腕を伸ばして手首を垂直に立てるのって難しくないですか? 指先がツリそうになります。 コマンドを発動するのも決して楽ではないということですね。 あともう少しこの緑髪の人の服装が残っております。 一方、世相は刻一刻と悪化の一途を辿っております。 今にも何か恐ろしいことが起きる。そんな気配が満ち満ちております。 21世紀もすでに初頭というには時間が経ちすぎております。 伝えたいことはたくさんありますが、今私にできるのはこの作業を進めることだけです。 今日もあなたが幸せでありますように。 ◆ 2018/05/07 したこと: マインドルの立ち絵作成 学園モノと言えば緑髪の眼鏡っ子。 あんまり特徴のある髪型ではありませんが、加工に加工を重ねております。 左がコミPo!純正。後ろ髪をカットして前髪を盛り付け。 ジロジロ見ると線が雑であることに気づいてしまうのでジロジロ見てはいけません。 ちなみに眼鏡のフレームの上半分を消しているのも注目だ。 ジロジロ見ないで欲しいと言いつつ注目して欲しい。フクザツなお年頃です。 ブレザーはすでに作成済みなので使い回して楽勝だぜヒャッハー、 と、窓を開けて叫ぶ予定だったのですが、なんでこの人だけ制服が違うんでしょうね。 諸事情で一枚多く羽織りたいと本文に書いてあるので仕方がありません。本文め! 以前作ったものが既にあったのですが(右の旧)、今あらためて見ると、なんというか、 大きめのハンカチを無理やり肩に巻いてるような窮屈な感じがしたので新調しました。 というか、たったこれだけなのに前回同様メチャクチャ苦労しました。 非メインどころのキャラを完了させてGIMPスキルがアップしたぜ! と思っていたような気がするのですが、気のせいだったようです。 参考にしたものはいろいろあるのですけど、参考にすればするほど、絵を描ける人ってすごいなぁと感動せざるを得ません。 頑張ってもどうにもならないので、濃い色のテクスチャと大きなリボンで誤魔化しております。 絵として大体何が描いてあるかは一応わかりますよね? わかりましょう。 リボンは後ろ髪用の「リボンテール」から抽出して流用。 その勇ましい大きさに目が眩みそうですが、線が下手なのを誤魔化さねばならないので仕方がありません。まさに目眩まし。 これで本当に最善なのかどうかはよくわかりません。 もっとさりげないスカーフみたいなものの方がいいかな? 制服自体が一人だけ違うみたいになってしまうのは果たしてどうなのか、ということです。 胸部のふくらみが隠れてしまうのも残念ですね。上の画像の右上の「旧」が「一日」みたいに見えてしまうのも残念ですね。 どうか皆様の逞しいイマジネーションで補っていただけますよう宜しくお願い申し上げます。 何かうまいデザインがあるとよいのですけど。 しかし人生は有限です。あまり足踏みしていては命がいくつあっても足りないので、 思いついたらまた差し替える覚悟で突っ走ることとします。 さて、そういうわけでついにメインどころに突入です。 この緑髪の人を含めてあと3名。こういうときはビックリマークをつけるべきでしょうか。 この緑髪の人を含めてあと3名! ヒャッハー! 叫ばなくてもいいんじゃないですか? どうでしょう。 非メインどころを先に終わらせてコミPo!やGIMPのスキルを強化した上でメインどころに着手、 というのが当初の予定でしたが、あんまりうまくなってないことが早速露呈しております。 そもそもうまく描こうとしても無理な話。 グラフィックに関しては一通り「埋まっている」ことが大事、という初心を思い出して突っ走って参る所存でございます。 今日もあなたが幸せでありますように。 ◆ 2018/05/02 したこと: マインドルの立ち絵作成 学園モノと言えばお目々うるうる。 元はこうです。目に理性があります。 今なら会話が成り立つでしょう。伝えたいことがあるなら今のうちだ。 ↓ ふと思ったのですが、もしかして「うるうる」って死語でしょうか? あんまり聞かない気がします。 最近の若い人はうるうるしないのでしょうか? ドライアイなのでしょうか? みなさまのご健康を祈願しつつ毎度お馴染みGIMPの出番。 筆の形状を「やや縦長の楕円」「やや大きめ」「色は白」として、目に光を追加します。 ↓ 元々入ってるハイライトの上に追加していくとバランスが崩れなくていい感じ。 たったこれだけで雰囲気がガラリと変化しますね。 この目つき。もはや意識がトンでいることは明白です。もはや何を話しかけても「ヒャッハー」としか返ってこない。 こんなお手軽にトベるなら私も筆に白い塗料をつけて自分の目にぐりぐりしてみようかな。 もちろんあなたの目にもぐりぐりしてあげますからご安心くださいね。もう寂しいなんて言わせない。 というわけでさりげなく特殊なコスチュームです。 色違いの使い回しなので楽勝、と見せかけて身長差があるので結局微妙にイバラ道でした。ちくちく。 前回は特殊なコスチュームを着る人の分は終了と言ったような気がしますが、舌の根が乾かぬうちにこの結果。 つまり矛盾した言動を口にするには舌の根が乾いている必要があるということです。ドライマウスである必要があるということです。 ドライマウスだと言い張れば矛盾した言動もまかりとおってしまう。そんな世相。 しかし人生に矛盾はつきもの。完全に首尾一貫した人生などありえません。では誰もがドライマウスになるしかないのでしょうか? いいえ、諦めてはいけません。 唾液で湿った口でありながら、いかにして矛盾を自己自身で引き受けるか。重要なのはそこです。 昨日は好きと言いましたが今日はもっと好きと言う。重要なのはそこです。 もちろんお目々うるうるで言います。重要なのはそこです。 ところで「うるうる」という言葉を聞かなくなったという話をしましたが、 その一方、「ドライアイ」という言葉は一昔前はなかった言葉のような気がします。 うるうるの時代からドライアイの時代へ。 私たちの世の中で何かが変化してしまった。 今が時代の分岐点なのでしょうか? しかし時代の分岐点というような言葉さえ、すでに古くささを感じさせます。 もはや後戻りはできないところまで来てしまっているのかもしれません。 顔を上げれば絶望ばかりが募ってしまいます。 だからこそ、根本を見失わないようにしたい。 とてもシンプルなこと。 今日もあなたが幸せでありますように。 ◆ 2018/04/22 したこと: マインドルの立ち絵作成 学園モノと言えばファーストフード店。 店員です。 店員に見えますよね? はーい見えまーす。 背景がファーストフード店で、学校指定にしては若干派手目な制服を着てれば誰がどう見ても店員以外にありえません。 スマイルください。ロマンチックください。ギャルのパンティください。 最後のは何か別の種類の店になってますね。 え? 別の種類って何の店かって? もちろんレディース・インナーウェア売り場に決まってるじゃないですかぁ。 一体何を想像してたんですか? あたしわかんなーい。あはは。あはは。 ちなみに今回のこれは珍しくコミPo!純正です。無加工です。 もちろんコミPo!にファーストフード店の制服なんて入ってないし、どうしようかな死のうかなと思っていたのですが、 夏制服の中に、学校指定にしては派手目なのがいくつか入っているのを見て、 じゃあそれをちょっと加工して……と見せかけて加工せずにそのままでもいいんじゃない? 学校指定には見えないし、あとはいつものように言い張った者勝ちコースだぜヒャッハー! というわけでこうなりました。 名札ぐらい描き加えればよかったかな? もうどうでもいいや。どうでもいいのかよ。 それにしても無加工というのは楽ちんですね。あまりの楽ちんぶりに死ぬかと思いました。なぜ死んでないのか不思議でなりません。 というかほぼ毎回何らかの加工が必要ということの方がむしろ当初の想定から外れているのではありませんか? 言われてみればそんな気もしてきました。 しかし特殊なコスチュームを着る人の分はすでに大体終わってるので、 後は無加工とはいかないまでも、楽ができる予定です。本当ですか? どうでしょう。 ちなみに今回こうして結局無加工なわけですが、 作業にあたりましてはファーストフード店の制服ってどんな感じかな、とネットで画像を検索したりはしました。 その上で出来るだけファーストフード店っぽい制服を選ぼうとはしたわけですが、 結局どういうのがファーストフード店っぽい制服なのかは不明です。 そもそも私はファーストフード店に入ったことがほとんどないのでした。そんな私にファーストフード店の制服のセンスを期待していはいけません。 コンビニなら公共料金の支払いで月に何度か行くので、かろうじて制服を見る機会があるのですけどね。 私の人生の中でファーストフード店のような高級料理店に足を踏み入れることはほぼありえません。 しかもファーストフード店って注文時のシステム上、食い逃げできないですよね。もちろん万引きも不可能。 できることと言えばトレーをこっそり持ち出すことぐらいです。かつては怪盗と呼ばれた私も商売上がったりです。 昨今は世間を騒がせる怪盗というものをめっきりみかけなくなりましたが、 それにはファーストフード店の台頭が関係しているのかもしれませんね。時代は移り変わる。 何を言っているのかよくわからなくなってきました。 最近見かけないと言えば、むしろ怪盗じゃなくて怪人なんじゃないですか? そうだ。多分そっちだ。 一頃は怪人が頻繁に世間を騒がせていたものですが、近頃はめっきりナリを潜めているようです。 なぜか? 呼び方が変わったからです。 怪人とはその字義によると怪しい人という意味です。 そういう場合、最近は何というのでしたっけ? 不審者です。イヤな言葉ですね。 不審者20面相。ショッカーの不審者。これでは華がありません。情緒のない時代になってしまったと言わざるを得ません。 そのうち怪獣だって不審獣になってしまうでしょう。怪物くんだって不審人物くんです。 悪に華のない時代は生きにくい時代です。 世の中全体が平坦な秩序で隙間なく覆われ、息ができない。 華のあった悪は去り、住民はみな秩序の管理者の冷徹な監視下におかれる。 秩序が人間に牙を剥く。正しさが人を殺す。 さて、ここで意識していただきたいのは次のことです。 一方に「華のある悪」という極がある。 一方に「冷徹な秩序の管理」という極がある。 その間に「一般常識」というものが宙吊りになっている。 素朴な意味では「悪」の反対は「正義」または「善」ですが、 上記の図における「冷徹な秩序の管理者」をその意味で単純に「正義」や「善」と呼んでは間違いを犯すことになります。 「華のある悪」は秩序の破壊という意味で悪ですが、 「冷徹な秩序の管理」も人間性の抑圧という意味で悪です。 ここを間違えてはいけない。 そして悪が善の顔をしてのさばることとなる。善が悪として裁かれることとなる。 情熱のない地獄が口を開け世間を飲み込む。 さて、その間に「一般常識」というものが宙吊りになっている、と言いました。 これは非常に不安定な状態です。 左右から悪に引っ張られ、無根拠に空中にぶら下がっている。 虚無に落ち込む恐怖にかられ、たやすく悪に引き寄せられる。これではいけません。 自分の意志で立たなければいけない。 卑屈にもならず傲慢にもならず。 自分の意志で善に向かって進まなければいけない。 自分の意志でロマンチックを求めなければならない。自分の意志でギャルのパンティを求めなければならない。 たくさん集めてご近所さんにおすそ分けしてあげなければならない。 いや〜、実家からギャルのパンティたくさん送られてきて余っちゃいまして。よかったら少しお願いしますよ。とかなんとか。 そういうわけで、今度ファーストフード店に行ったら恥ずかしがらずにギャルのパンティをオーダーします。しません。 今日もあなたが幸せでありますように。 ◆ 2018/04/15 したこと: マインドルの立ち絵作成 学園モノと言えば敬礼。 コミPo!ではポーズは設定済みのポーズの中から選んで微調整することになっております。 最初は自由度が低いかなとも思いましたが、こういうのって下手に自由に動かせると 関節が妙な形状に曲がってホラーマンガになってしまいがちですから、このシステムを考えた人はエライと思います。 というわけで敬礼ポーズを探す。敬礼ポーズぐらいあるでしょ? え? ないの? そうですか。 せっかくエライと思ってあげたのに。コノヤロ〜。私の純情を返せ。 ないものは仕方がありません。 こういうときはどうするか? 有力な選択肢は自殺です。 次善手はレンタカー店でトラックをレンタルして歩行者天国に突貫です。 しかし知っての通り私はみなさんを愛していますから、まだ死ぬわけにいきません。 トラックで突貫しようにも免許がないので諦めざるを得ません。 仕方がないので似たようなポーズを探してGIMPで頑張ります。 「上半身のしぐさ>遠くを見る」が敬礼っぽいのではないでしょうか。 ↓左がデフォルトです。 このままでも敬礼と言い張ればまかり通る気がしなくもないですね。 しかしそれではせっかく起動したGIMPの収まりがつかないというもの。 血に飢えたGIMPを鎮めるため、もうちょっと欲張ることにします。 ↑ (中央)腕の部分を抽出しやすいように「首上下」で頭をよけてもらいます(首はコミPo!内で動かせる)。 (右端)あとはもうGIMPの世界。腕をコピペして気合で切ったり張ったり回転させたりして形を整えます。 ここまでするなら最初から自力で描いてもよかったのではないかとは決して思わずに突っ走るのがコツです。 通常の立ちポーズに敬礼の腕をコピペして元の腕を消したりアレしたりコレしたりして完成。 はいっ、敬礼であります。いつも催眠術にご協力いただきありがとうございますであります。 うむ。やはり完全自力よりはハイクオリティですねきっと。手首とか難しいですもんね。 さて、そんなわけでさりげなくブレザーです。 いつもながらGIMP先生の大活躍です。 一応説明すると、上の段がコミPo!直産で、下の段がGIMP上での加工。右下が完成です。 ご覧の通り、すでにブレザー職人の域に達しているわけですが、 風のウワサによると正式にコミPo!の別売りデータでブレザーが発売になったとか? え? マジですか? 未確認情報ですが、開発費を集めるためのクラウドファンディングのお知らせが去年の年末にメールできておりまして、 それによると「来年春に公開予定」とのことだったので、 順調にいっているならそろそろ発売されてるんじゃないでしょうか。 私にとっては今さらという感じですが、便利なモノが増えるのは喜ばしいことです。 コミPo!なのにブレザー!という驚きのサプライズがなくなってしまったのは私としてはちょっと残念。かなり残念。このやろ〜。 しかしそれを言い出すとどのタイミングで何を世に出すのも、誰かがタイミング悪く辛酸を舐めることになりますからね。 辛酸というと辛くて酸っぱいというわけですから、つまりタバスコってことですよね。隠したってムダです。私にはわかる。 と思ったのですがトムヤムクンという可能性もありますね。自信がなくなってきました。 カラいものと酸っぱいものって合うんですよ。 一時期カップラーメンに唐辛子と酢を大量投下して食べるのにハマっていたことがあります。 残念ながら最近はお金がないのでカップラーメンのような高価なものを入手するには万引きせざるを得ない状況ですが、 つまり、辛くて酸っぱいものにかけては私の右に出るものはいないわけで、そこを忘れてもらっては困るということです。 何の話でしたっけ。 そうなんですよね。カップラーメンって貧乏生活の象徴みたいに言われることがありますけど 実際、カップラーメンって結構高いじゃないですか。しかも大してお腹ふくれない。 普段自炊しない人が外食と比較して言っているのでしょうか? あと「できあいの食事」ってやつ。あれも高い。自炊する人としない人とで金銭感覚にズレがあるのかもしれません。 あるいはこうも問えます。カップラーメンは万引きすれば事足りますが外食は食い逃げをしなければならない。 万引きと食い逃げとどちらの方がハードルが高いのか? それを真剣に考える時期に来ていると思うのです。 何の話でしたっけ。 カラさと言えば唐辛子のカラさとわさびのカラさは質が全く違うというのが我々日本人の間の定番の日常会話ですが、 同じようなことは「怖さ」についてもあると思うのです。 「怖い」という言葉で言い表されるものはいろいろありますが、特に、いわゆる「怖い話」を聞いたときの「怖さ」。 あれはその他の「怖い」ものとは別種の「何か」なような気がします。 夜トイレにいくのが「怖く」なるあの感じ。 あれはその他の「怖い」ものとは全く性質が違う。 高いビルの屋上の端から地上を覗き込んだときの「怖さ」とは違う。 切れ味の鋭い刃物を使うときの「怖さ」とは違う。 猛スピードの自動車が間近を走り抜けたときの「怖さ」とは違う。 大事な試験を受けるときの「怖さ」とは違う。 カミナリ親父の「怖さ」とは違う。 暗闇が「怖く」なる。 小さい頃はいつでも暗闇に「怖さ」を感じていた。 いつの間にか、暗闇に「怖さ」を感じなくなっていた。 が、たまに怖い話を聞いたときなどに、その感覚がよみがえる。 「あれ」は一体何なのか? もっともらしい説明は可能ですよね。 暗闇から危険な猛獣が飛び出してくるかもしれないから、本能的に怖がるようになっている、とかなんとか。 しかしそういう理屈を聞いても、いまいち心に響かない。 そういう理屈は「他人の行動の説明」なのであって、「この私が何を見ているのか」という実感がともなわない。 それで「それ」の正体に迫るべく、最近たまにネットで怖い話を検索して読んでおります。 で、やっぱり怖いものは怖いのですが、いくつも読んでいると段々怖くなくなってきますね。 いや、それなりに怖いことは怖いのですけど、冷静になってくるというか。 お化けとか呪いとか、それ自体はあんまり怖いものではないのですよ。 たとえば有名なコトリバコですが、たしかに怖いんですけど、何が怖いかと言うと、 最初にお祓いをするお友達が出てきますよね。神社の息子でしたっけ。 そのお友達がコトリバコを見て怖がる様子が怖い。 急に大声を出したり、泣き出したり、実家に電話してアドバイスを受けて妙な儀式をしたりするところ。 まだ読者を含めてその人意外はコトリバコのことを全然知らない状況で、彼だけが「何かを知ってる」ふうに大慌てする。 そこが怖い。 コトリバコの設定自体は、妖怪アニメの設定みたいなもので、それだけ見てもあんまり怖くない。 彼の「おびえ芸」が話の冒頭にあるおかげで、その後の話が盛り上がる。 つまり読んでいる立場の「主観で実際に怖がっているものは何か」と言うと、 「何だかよくわからないもの」なわけです。 神社の彼がものすごく怖がっている様子を見て、「何だかわからないけど怖いものだ」というのが伝わってくる。 その「何だかよくわからないもの」を追跡するという形で、その後の(単独で見ればアニメの設定みたいな)話に「怖味」がつく。 同じようなパターンは大体他のものにも共通しています。 普段は霊のこととか全然話さないような身近な人たちが、ふとした出来事をきっかけに顔色を変えて騒ぎ出し、 主人公だけは事情がよくわからないまま、「とにかく何か大変なことになったようだ」という中に放り込まれ、振り回される。 そこが怖い。 話によっては、事件が一段落した後も主人公にとっては明らかに何か違和感が残っているのに、 周囲の人たちとは話が噛み合わない、という状況で終わることもあります。 そこが怖い。 あとは呪い的なものにしても、実際に主人公が自分の身で何かを体験した、という話は意外と少ない気がします。 誰かが不自然な形で不運に見舞われたらしい、という情報が伝わってくる。 そこが怖い。 つまり「何だかよくわからないけど大変だぞいう感じ」が、その種類の「怖さ」ということでしょうか。 では翻って、夜中にトイレに行くときに一体何がどう怖いのか? ダメですね。説明してしまうと嘘っぽい。 それにしてもあの感覚は一体何なのか? 「あれ」は一体何なのか? 何か人間存在にとって重大なものであるような気がしてなりません。 一度夜中に電気をつけずに人里離れた山奥にでも一人で行ってみる必要があるかなと思っているのですが、まだ実行できずにいます。 実行できずにいる、ということは、実は何かを恐れているのかなという気はします。 ていうかもう「夜中に電気をつけずに人里離れた山奥に一人で」という言葉を入力してる時点で怖い。カタカタ。キー入力音。 しかし最近は職務質問が鬱陶しいのであんまり夜の外出はしたくないですね。 ほら、こんな人里離れた山奥でも制服姿のおまわりさんがどこからともなく現れる。まったくもう。 ……ってなんでこんな人里離れた山奥におまわりさんがぁぁぁぁぁ!!!ひでぶ!!!! そうですね。あるはずのないものがあるはずのない場所にさりげなくある(いる)。そこが怖い。 さて一体「何」が怖いのでしょう? その「何」を言葉で説明してしまうと嘘になってしまう気がします。 どんなに巧妙な嘘を編んでも、そんなものを易々とすり抜けて「それ」は「私」を「怖」がらせる。 ああ怖い。怖いよ怖いよ怖いよ。まんじゅうは怖くありませんがお金が怖い。なのでお金ください。 ロマンチックもください。ギャルのパンティください。 何の話をしていたのでしたっけ? よくわからなくなってきました。はっ、よくわからないものこそが怖いのでしたっけ? ギャー怖い! よくわからないといえば、コミPo!でブレザーが発売されたというのも未確認情報なのでした。 発売されたんだったらコミPo!本体を起動したときに毎回表示される更新情報に表示されそうなものですが、 今のところそういう形では情報を見ておりません。運営からのメールもクラウドファンディングのお知らせ以来何もありません。 ていうか名のある企業のはずなのにクラウドファンディングってどうなんでしょう。資金繰りに困ってるのかな? 私は貧乏なのでお金はこれ以上払えそうにありませんが、会社として存続はして欲しい。 まさかもうなくなってるなんてことはないですよね? 最近、本体のアップデートに失敗し続けているのは私がLinuxで動かしているからなのであって会社が消えているわけではないはず? 真実はどうなっているのでしょう? 怖いですね。怖すぎて公式サイトを見ることができずにおります。ガタガタ。 うむ。話題が元の地点に一応戻りましたね。めでたし。 さて、よくわからないことだらけのこの世ですが、 1つ確実にわかっていることがあります。 それは何かというと、私があなたの幸せを願っているということです。まさに福音。めでたし。 今日もあなたが幸せでありますように。 ◆ 2018/04/08 したこと: マインドルの立ち絵作成 学園モノと言えば砂まみれ。 ★背景素材提供:K’sFactory様★
砂まみれです。砂まみれですよね? はーい、砂まみれでーす。うむ。今日も催眠術が冴え渡る。 さて、どうすれば砂にまみれていることになるのかを解明すべくネットで画像を検索してみたのですが、 たとえば「たんこぶ」「汗」「怒り」級の「砂まみれ記号」のような一撃必殺の技は流通していないようなので ここはやっぱり冴え渡るGIMPスキルの出番だぜ。うずうず。 1:ブラシの形状をなんかモサモサなのにして、2:サイズを大きめにして、 適当に茶黄色でグリグリしたら砂まみれ! GIMPスキルが唸りを上げるよ。ぶおんぶおん。 縁取りからハミ出てますが実際の画面では背景も砂っぽいから目立たないぜ。世界が私に味方している。 はい。砂まみれですよね? はーい。砂まみれでーす。 催眠術とGIMPスキルがあれば鬼に金棒です。誰が鬼だ。 膝小僧を重点的に砂まみれにしてみましたが、実際の画面では表示されないのはいつものこと。 ちなみに体操服というわけで、体型を手作業で調整しているのもいつものこと。 私があなたを愛しているのもいつものこと。 今日もあなたが幸せでありますように。 ◆ 2018/04/07 したこと: マインドルの立ち絵作成 学園モノと言えば制服。うむ。普通ですね。 というわけで再び学園に舞い戻ってまいりました。 前回のお姉さんでサブどころがほぼ完了したのでメインどころに着手しつつあるところですよ。 ほぼ完了って何でしょうね。思わず乱用したくなる依存性の高い便利な言葉です。 とりえあえず「ほぼ」とつけておけば何でも言いたい放題。ほぼ好きです! ほぼ付き合ってください! というわけでほぼメインどころにほぼ着手しつつあるところですよ。 だからほぼって何なんですか。おまえはほぼ死んでいる。ほぼひでぶ。 さて、ほぼメインということなので前回のお姉さんに劣らず服装パターンが多くなりますが、 ほぼ学園内ということで、ほぼコミPo!の守備範囲内に収まります。 もちろん服装で体型が変化するというコミPo!マジックの影響も余すところなく受けるわけですが、 そこはもう手慣れたものです。経験値を重ねたGIMPスキルでお茶の子さいさいの予定でほぼヒャッハーです。 前回のお姉さんのように自力でほぼ手描き、のようなことはほぼない見込み。楽勝ですね。 と思ったら「ファーストフード店のバイトの制服」ってのがあった。おのれ〜。あ、違った。ほぼおのれ〜。 あれですね、直接的な言い方を避けて印象を柔らかくするのですね。時下ほぼ益々ほぼご清祥のこととほぼお慶び申し上げるヨ〜。 単にお慶びを申し上げたいだけなのに一苦労です。ヒャッハーの一言で済むはずなのに。拝啓ヒャッハー。 誰もが心の中にヒャッハーを抱えつつ、表現することが許されない。そんな世の中。 さて、そんな世相だからこそ敢えて包み隠さず申し上げたい。 今日もあなたが幸せでありますように。 ◆ 2018/04/02 したこと: マインドルの立ち絵作成 学園モノと言えば……。 もう何だかよくわかりません。 さて今回もコミPo!にはあんまり頼れない孤独なバトルでしたが、 見た目は派手でも仕組みはわりとシンプルです。 全身タイツ的な何かをベースに、それっぽいパーツを適当に描き加えていく。 タイツ上の陰影の描き方がムズカシイですね。実にムズカシイですね。 特に股間の周辺には気合が集中するというもの。が、実際の画面ではテキスト欄に隠れてしまうのでした。テキスト欄め〜。 実際の画面では云々と言えば、いつもは靴を手抜きするのですが、タイツのままではあんまりなので適当に描いてみたよ。 当ゲームの画像フォルダの中を探さずにはいられない熱心なファンになる予定のあなたのための出血サービスです。どばー。 マントは四天王コスチュームの使い回しです。言わなければ誰も気付かないと思うので言ってあげました。血が出るほど親切。 裾はもうちょっと長い方がよかったかな? もうどうでもいいや。どうでもいいのかよ。 ちょっとフラフラしてきました。血を出しすぎたようです。鉄を食べよう。ガリガリ。 さて、これでようやく、この人の全服装が完了です。 ソックリなのもありますが微妙に違うんですよ。探してみよう! いやぁ死ぬかと思いました。死んでないことが心残りでなりません。 髪型の時点でコミPo!の守備範囲をハミ出るということは早い段階でわかっていたので、覚悟はしていましたが、 結果的に大体いい感じになったので喜ばしい限りです。 思わず忘れそうになりますが、私は絵が描けない人だったのでした。不可能を可能にしてしまったぜ。イヒヒのヒ。 というわけで全宇宙のあなたの目の前にカレーライス(旨辛)出ろ! カレー好きじゃない人のところにも好きな食べ物出ろ! 今日もあなたが幸せでありますように〜。 ◆ 2018/03/28 したこと: マインドルの立ち絵作成 学園モノと言えば辻占い師。 今回も前回に引き続き、わりと思い通りにできたのでびっくりしております。びくびく。 もしかするとこの世は私の思い通りになるのかもしれません。 あなたの目の前にカレーライス(中辛)出ろ! 前回の仮面の四天王さんはかろうじてコミPo!に素材になるコスチュームが入ってましたが、 今回はいよいよ孤独な戦いです。絵が描けない私に一体どうしろというのでしょう。 別売りでRPGシリーズというのがあるらしいので、もしかするとそこにイメージが近いものがあるのかもしれません。 しかし偽札作りが成功しないので入手は諦めるしかありません。わかってたクセに。イジワル! 偽札作りがムズカシイと知った上でイジワルをなさっておいでなのですよね? 隠したって私にはわかります。イジワル! そんなわけでネットでなんかこう魔法使いっぽいコスチュームの画像を検索して一生懸命マネしたよ。 左が純コミPo!産の状態。前回同様エクステをつけて中の人完成。で、魔法の力で右端の姿に変身。 もはや顔以外ほぼ手描きです。絵が描けない私に対する虐待と言っても過言ではありません。死ぬかと思ったぜ。コノヤロ〜。 エリの周辺とフードの接続がどうなってるのかよくわかりませんが、もうどうでもいいや。どうでもいいのかよ。 死ぬかと思いましたが、もしかしたらもう死んでるのかもしれず、それならそれでラッキーというもの。 思いのほかいい具合になったので、これもまたラッキーというもの。 このラッキーをあなたにもおすそ分けせねばなりませんね。あなたの目の前にシュールストレミング出ろ! それにしても先日の着流しに比べると、手描きでありながら、わりとマシな感じに仕上がった気がいたします。 どうやらこの私のGIMPスキルが上達している様子。さすが私。私は私に惚れずにいられません。 デザイン的なことで言うと、オカルト業界の関係者らしくフードのおでこに第3の目をつけてみました。 松果体直通のこの目でアーカーシャの記録庫を覗き見るわよ、おほほのほ。 と、カッコつけてみましたが、正面から見るとナマズの着ぐるみみたいですね。得意分野は地震の予知です。 さて、あともう少しこの勇ましい髪型のお姉さんの服装が残っております。 ムチャぶり地帯は越えたのでさしあたり一安心です。 今日もあなたの目の前にシュールストレミングがありますように。 おっと。 今日もあなたが幸せでありますように。 ◆ 2018/03/25 したこと: マインドルの立ち絵作成 学園モノと言えば四天王。 四天王と言えば勇ましい髪型の仮面お姉さん。 思い通りにうまくできたのでびっくりしております。 なにしろ人生は思い通りにいかないのがデフォルトですからね。 思い通りにいくだなんて、驚き桃の木さんしょの木と言わざるを得ません。 誰もが口に出して言いたがる日本語を口に出すチャンス到来だぜ。羨むがいい。 しかし大変でした。 勇ましい髪型の仮面お姉さんをどうやって画面上にお呼びしようかというのは メカゴーグル以上に立ち絵作業の懸念事項でした。 大変すぎて死ぬかと思いました。 もしかするともう死んでいるのかもしれません。おお、なんとそんな可能性が。希望の光だぜ。 私はすでに死んでいる。どこかで聞いたようなセリフですね。ひでぶ。 何が大変かと言えば、もちろんコミPo!にこういうコスチュームは入ってなくて…… と見せかけて、なんとビジネススーツシリーズの中に「SF」と称して近いのが入っていた! ↓ さすがコミPo!先生。現代の救世主。 そろそろ降臨する予定の弥勒仏というのはもしかするとコミPo!のことだったのかもしれません。 ビジネススーツの一種というのがオシャレですね。これを着て面接にいけば採用まちがいなし。 ならば使わせていただくしかありません。 とは言え、やはりいつものように体型が変化してしまう少し不思議なSFスーツなので、 結局白制服をベースにして模様をコピペする手順でございます。 勇ましい髪型はエクステを加筆。 こういう3D的につじつまが合わない髪型はコミPo!の守備範囲じゃないのかもしれません。 昔のセル画アニメだと、ありえない髪型がむしろデフォルトでしたが、 最近のCGアニメだとどうなんでしょうね? テレビ見なくなってしまったのでわかりません。 仮面と肩のモサモサとマントも手描きです。 何度も言いますが私は絵が描けない人という設定なのですけど、この際仕方がありません。 どうせ手を加えるなら胴体前面の肉まんも増量サービスさせていただくしかございません。あらヤダそんな言い方。おほほのほ。 靴はブーツかな〜、と思うところではありますが、例によって実際の画面では表示されないので手抜きだぜ。おほほのほ。 肩のモサモサは軍服なのか何なのかよくわかりません。 マントもどうやって服に装着されてるのかよくわかりませんが、もうどうでもいいや。どうでもいいのかよ。 服飾関係に詳しい人が見たらツッコミたい部分がいろいろあるかもしれません。頑張ってください。 ちなみに一番苦労したのがマントです。 アニメの中ではみなさんさりげなくマントを着こなしてらっしゃいますが、 よくよく考えてみると存在意義がよくわからない衣服です。 いやいや、それを言い出したらヌーディストビーチに行くしかないではありませんか。 エデンからの旅立ち以来、我々は服を着るという生き方を選んだのです。ならばその業を背負って生きていくのみ。 というわけで、よくわからないながらもエイヤっと描き込んだよ。よくわかんないのかよ、知恵の実食べたのに。おほほのほ。 服は元の色のままでよかったかな? いやいや、元の色だとちょっと正義っぽいから塗って正解なんじゃないでしょうか。 正義っぽいからダメだなんて、さてはアナタ悪者ですね? あらヤダ。どうしてわかっちゃったのカシラ? おほほのほ。 さて、そんなわけでなかなかどうしてワルつよエラそうな感じになりましたね。 何か命令されたい。肉まん買って来いとか言われたい。 そして肉まんならそこに2つ、と言って殴られたい。あらヤダ下ネタ。おほほのほ。 最近は下ネタと言わずにセクハラと言うのかな? ちなみに昔のアニメを観るとセクハラシーンが大量にありますよね。ドラゴンボールの亀仙人とか。今だったら放送できないだろうなぁ。 第一話から放尿プレイなんですよね。ロマンチックもらいました。あれが水曜の夜7時とか。時代の差を感じます。 今日もあなたが幸せでありますように。 ◆ 2018/03/12 したこと: マインドルの立ち絵作成 学園モノと言えばウェアラブルコンピューターその2。 前回同様コミPo!にはこういうのが入ってないので死のうかと思ったのですが、 前回同様手元のアニメからイメージの近いものを探してマネしたら 前回同様びっくりするほどうまくいって、前回同様心臓が止まるかと思ったのに前回同様止まってくれなくて前回同様意気消沈です。 なかなかどうして死ぬことができません。 今ならきっとビルの屋上から飛び降りても死なないに違いありません。死が私を避けて通るぜヒャッハー。 ちょっとデザイン変えすぎたかな? 前回のが1.9ということで、今回が2.0ということなので、 デザインに変化があるにしても微差な方が自然なのではないでしょうか? そんなこと言っても手元のアニメの中から微差なのが見つからなかったんですもの。 これが運命というものです。まさに南無阿弥陀仏。仏のはからいに乞うご期待だぜ。アーメン。 そういえば久しぶりに南無阿弥陀仏って言った気がします。 仏を顧みない生活でありました。パーソナル末法。いわゆるパソまぽ。言いにくいわ。 しかし、たとえ私が忘れようとも仏は私を忘れない。それが仏の真髄ってヤツです。 まさに太っ腹。その太さに応えて2文字分使ってイムとか書きたくなるのも無理なしってもんです。 そして、たとえあなたが私を忘れたとしても私はあなたを忘れない。 今日もあなたが幸せでありますように。イム阿弥陀仏。と、一度は言ってみたくなるのも無理なしってもんです。 ああ、なんかまとまってしまった感じ。 まとまってるかどうかはさておき、もうちょっと他に言いたいことがあった気がするですよ。 なんでしたっけ? えっとね、この2.0、あと2キャラ分ほど、装着したバージョンの立ち絵を用意する予定ですよ。 そしたらいよいよメイン方面のキャラの立ち絵に取りかかれますよ。メイン方面てなんだ方面て。電車か。プアーン(汽笛の音)。 ◆ 2018/03/02 したこと: マインドルの立ち絵作成 学園モノと言えば職務質問。 いやぁ、もう本当、どうしようかなと思ってたのですよ、 おまわりさんの画像。 あわよくばコミPo!に入ってないかなと少しだけ期待してましたが入ってなくて 仕方がないのでいつものように似た服装をもとに作り込もうかとも思いましたが これ1枚のためだけに苦労するのはイヤなので、いっそ立ち絵なしにしようか、それとも死のうか迷ったのですが、 どうせ夜で懐中電灯で逆光だから、というわけでシルエットにしました。 ナイスなアイディアですね。はい。私は天才なのでした。 シルエットならコミPo!でそれらしいポーズを作成した上でGIMPでちょちょいのちょいです。 顔が見えないというのも職務質問らしいイヤラシイ恐怖感があって素敵でしょう? さぁ今夜も感動しよう。 唯一心残りなのは死ぬのが延期になってしまったことです。 ナイスなアイディアを生んでしまう天才ぶりを憎むしかありません。コノヤロ〜。 さて、そういうわけで今はこの画像のように、ほとんど表情のバリエーションがなくてキャラごとに1枚だけ、 というようなところを勢いよく埋めているところです。 もちろん勢いよく埋めているというのは120割ほど嘘です。 天才な上に嘘をつくことまで覚えてしまったなんて、一体どこまで突き進んでしまうのでしょう? まさに今後が楽しみと言わざるを得ません。 今日もあなたが幸せでありますように。 あ、これはもちろん嘘ではないですよ。 ◆ 2018/02/26 したこと: マインドルの立ち絵作成 学園モノと言えば入院幼女。 単独で見るとこんな感じですが、果たして本当に幼女なのでしょうか? 他のキャラと並べてみようではありませんか。 こうして見ると幼女であるということがよくわかりますね。わかりますよね? わかりましょう。 ちなみにコミPo!には子供キャラ用の別売り追加データがあるようなのですが、お金がないので諦めました。 偽札作りに成功すれば買うことができるのですが、成功しないので仕方がありません。 というわけで、全体のサイズを小さくしつつ、頭の比率を大きめにすることで幼女っぽさを演出しました。 幼女ったら幼女です。あとはいつものように催眠術で切り抜けるぜ。 パジャマはいつものように白制服を元に作成。 これまたパジャマったらパジャマなんですよ? いつも催眠術にご協力ありがとうございます。 さてさて、ここで披露している以外にも作業は進んでおります。 前回お伝えした「あと6名ほど」というのがあと3名ほどになりましたよ。まさにヒャッハーです。 諸事情により今にも死にそうですが、それでも生きているのはなぜかと言えば、 ひとえにあなたがたを愛するがゆえですよ。 一日も早くあなたのもとに完成品を届けたい。 世の乱れは刻一刻と進んでおります。 人類が滅ぶのが先か、これが完成するのが先か? どうか、あなたが幸せでありますように。 ◆ 2018/02/18 したこと: マインドルの立ち絵作成 学園モノと言えば夜の女王。 今回は白のスーツ?を元に作成。 白制服と言い、こういう加工しやすい素材を入れてくれているのはコミPo!の粋な計らいというやつでしょうか。 スカートの横のスリットだけチャイナドレスだかなんだかよくわからない感じですがもうどうでもいいや。どうでもいいのかよ。 服飾関係に詳しい人が見たらツッコみたい点がいろいろあるかもしれませんが 女王様に向かって言えるものなら言ってごらんなさいだぜヒャッハー。 色をつける前の白いバージョンのが清楚な雰囲気で素敵かも。 しかし清楚な雰囲気では夜の世界で生き延びることはできないので紫に染まって踊り狂うぜヒャッハー。 靴は例によって実際の画面ではどうせ表示されないので未加工。ハイヒール的なものに換装する元気はありませんでした。 髪型もすでにバリエーションが限界なのでいろいろガンバリましたよ。 カリスマ美容師GIMP先生が大活躍。 長髪をベースに、真ん中分けの前髪をくっつけて、左右に垂らす。 そして化粧を濃くすれば女王様の降臨ってなもんです。口紅の効果はバツグンだ。 さて、そんなわけで作業自体は着実に進んでおります。 セリフがあってそこそこ重要なサブキャラは残りあと6名ほど。 「ほど」って何だ「ほど」って。 ともかく突っ走るのみ。 今日もあなたが幸せでありますように。 ◆ 2018/02/15 したこと: マインドルの立ち絵作成 学園モノと言えばコンビニ。 というかすでに学園ではな以下略ぅ! 背景の「とんかつ」と書かれたおにぎりが気になって仕方がありません。 おにぎりと見せかけて実はとんかつなのでしょうか? 三角形だからといって惑わされてはいけない。 素材は背景写真補完の会でお借りしております。 いつもありがとうございます。 さて、コミPo!にコンビニ店員のユニフォームは入っていないわけですが、 今回もまた白制服が大活躍ですよ。これさえあればどこまでだって突っ走れる。 ちょちょいのちょいと模様を書き込めば、ジャジャーン、お弁当温めますか? 私のハートを温めてください。チーン。 ズボンは私服から拝借。 正直、デザインに関してはもうちょっとどうにかなったんじゃないかなと思わないでもないですが、 この私にデザインセンスを求めてはいけません。 背景がコンビニで、変な柄のシャツを着てれば誰が見たって店員さんだぜ。 さぁ私のハートを温めやがれってんだコンチクショウメ。変な柄とは失礼な。 ちなみに髪型は、これまたすでに別のキャラで使用済なので、得意のGIMPで後ろ髪をアレンジしております。 しかし結局先日の体験発掘のお姉さんにソックリですね。 髪の色ぐらい変えればよかったかな? 登場ルートが違うから多分バレないでしょう。ドキドキ。 ドキドキと言えば土器。この胸のドキドキをあなたに発掘して欲しいの。 と、先日は言いそびれたのでこの場を借りて申し上げる次第だぜヒャッハー。 今日もあなたが幸せでありますように。 ◆ 2018/02/12 したこと: マインドルの立ち絵作成 学園モノと言えば病院。 病院と言えば看護師さん。 というかもうすでに学園じゃなくなってるんですけど、と、あなたに突っ込んで欲しくてウズウズしているの。 ちなみに背景の泌尿器科というのが気になって仕方がありません。 素材はmao space様でお借りしております。 いつもありがとうございます。 さて、コミPo!に看護師コスチュームは入っていないわけですが、白の制服を加工してそれっぽくします。 線を足したり引いたりすると、アラ不思議、看護師さんではありませんか。そんなところにいらしたなんて。 胸のポケットに何を入れているのかはよくわかりません。ネットで画像を検索すると大抵何か差しているので描いてみました。 ズボンはジャージから拝借。色を抜くのが地味に大変だったぜ。 しかし実際の画面ではほとんど表示されないのでした。コンチクショウ。 ところで左から2番目のズボン履く前のお姿はちょっと刺激が強いですね。看護師さん、鼻血が止まりません! 並べてみると制服のスカートと裾の長さは同じなのに、一体なぜなのでしょう? この世は不思議なことばかり。 ナース帽もあった方がマンガ的な記号としてはそれっぽいかなと思ったのですが、 ネットの噂によると実際の現場では着用しないことが多いらしいので省略しました。手間が省けて超ラッキーだぜ。 しかし今ちょっと試しにテキトーに描き加えてみたんですが、たったこれだけで「それっぽく」なりますね。 記号の威力って恐ろしい。 ↓ さて、そんなわけで作業はすでに学園を飛び出してグングン進んでおりますよー。 この世は不穏さを増す一方です。 なんとしても人類が滅びる前に完成させなければなりません。 しかし疲れたなぁ。早く死にたくて仕方がありません。せめて寝たい。最低でも3億年は寝たい。 とは言うものの一晩寝ている間に地球が滅んでそうな気がして、気が気ではありません。 まさに板ばさみ。ムニュ。 今日もあなたが幸せでありますように。 ◆ 2018/02/11 したこと: マインドルの立ち絵作成 学園モノと言えば借金取り。 右側のお友達のお顔はほとんど手書きです。あんまり表情を変えない子なので助かってます。 左側のお友達のお顔もわりと手書き度高めです。 特にお鼻ですね。二次元の世界ではお鼻をリアルに描くと人相が悪くなりがちなようなので、そのようにしてみました。 ちなみに冒頭のSS、部屋の中まで入られちゃってるふうに見えてしまいませんかね? 実際は「チェーンかけたドアの隙間から外を覗いてお話している」場面なのですけど、どうしようかな。 何かうまい手はないものか。死のうかな。おっ、ナイスアイディアですね。今日も今日とて絶好調。 今日もあなたが幸せでありますように。 ◆ 2018/02/10 したこと: マインドルの立ち絵作成 学園モノと言えば遺跡の体験発掘会。 遺跡の体験発掘会と言えばインストラクターのお姉さん。 こうして見るとどうってことない感じですよね。 うむ。どうってことないというのはよいことです。平和ラブ。 しかし平和の影には血みどろの闘争の歴史があったのですよ奥さん。血みどろでもないですけど。 左が元の髪型ですが、同じ髪型のキャラがすでにいらっしゃるので少々手を加えました。 しかしおかげで「年上っぽい感じ」になったような気がします。 雨降って地固まるとはまさにこのこと。あ、雨じゃなくて血みどろなのでしたっけ? ガビガビになりそうですね。 今後ともなんとかデザインがかぶらずに作業を進めていけますようよろしくお願い申し上げます。 そしてこの「作業服シリーズ」も体型が変化する魔法のお洋服なので、GIMPで地道に加工しております。 ついでに気休め程度ですが縦方向に縮尺を伸ばして大人っぽさを演出。 どうせなら口紅も引こうかとも思いましたが文章の中で「化粧っ気がない」とあるので断念しました。文章め! ↑ いつも文字がマウス書きですが、GIMPで文字を入力するやり方を知らないわけじゃないのですよ? というわけで活字です。 それはさておき、コミPo!からの出力直後のものは、上半身が一回り小さいのでした。 使い始めの頃は、まさか服装によって体型が変化するなんて思いもよらないサプライズでしたが、 今となっては、もはやお馴染みです。 もしかして、普通にマンガとして使う分にはこの方が都合がよかったりするのでしょうか? この件について他の人が言及しているのを見たことがありません。 まさかLinuxで動かしてるから、なんてことはないですよね? ドキドキ。 おっと、ドキドキで思い出しましたが、遺跡の体験発掘なのでしたね。 まさかこんな形でつながるなんて、計り知れぬ因果の導きを感じずにはいられません。 私は親切なので念のために注釈しておくと、ドキドキで土器で発掘、ってことなのですよ? 感動せずにはいられない。 今日もあなたが幸せでありますように。 ◆ 2018/02/04 したこと: マインドルの立ち絵作成 学園モノと言えば用心棒。 用心棒と言えば着流し。 コミPo!に着流しなどという気の利いたものは入ってなくて、 何か似たような形状の服を改造して乗り切ろうと思ったのですが、それも見当たらなくて、 試しに自分で適当に描いてみたら本当に適当に描いた感じになりました。もはや笑うしかない。あっはっは。 いや、でも大体こんなもんじゃないですか? 大体。絵として何が言いたいかはわかりますよね? あとは言い張ったもん勝ち。着流しです。着流しったら着流しです。 自分で適当に描いたとは言いつつ、ネットで着流しの画像やイラストを検索してマネしながら描いたのですが、 目の前にほとんど同じ構図の絵があってマネしてるのに、どうしても「うまい感じ」になってくれません。 絵が描ける人って本当にすごいですね。 しかし曲がりなりにもこうして絵を埋めることができて本当によかった。 これで夏祭りの浴衣も何とかなりそうな気がしてきました。うむ。ここは調子に乗っておくべきところです。 今日もあなたが幸せでありますように。 ◆ 2018/01/28 したこと: マインドルの立ち絵作成 学園モノと言えばアンニュイな保健の先生 白衣を着て保健室にいるから見紛うことなき保健の先生なのです。 社会的文脈の威力を思い知るがいい。 ちなみに、この髪型は男性キャラ用のものから拝借しております。 一般の女子生徒と同じ髪型ではアンニュイな保健の先生としての沽券にかかわりますからね。 このように差をつけることで誰がボスであるかを見せつけるというわけです。 胸元にも注目だ。谷間こそボスの証。制服では封印されている禁断の技が今ここに炸裂するぜ。 というか、そろそろデザインがかぶるようになってきておりますよ。 コミPo!学園では制服のみならず髪型や顔つきまで校則で規程されているというのでしょうか。 まさに新世紀ディストピア学園。もはや校庭に「9」の形に椅子を並べるしかない。 かと言って、髪を一本単位で生やす段階からシミュレートするようなガチガチな3Dモデリングツールというのも手に余りますが、 もうちょっと選択肢があって欲しいなぁ。 「以前どこかでお会いしましたよね?」がデフォルトだぜ。そんな社会。そんな文脈。 白衣は以前こしらえたものを使い回しています。 よく見るといろいろズレてますが、よく見るのは禁止ですから問題ありません。 と言いつつ、男性用と女性用ということで、ボタンのついている側の左右を逆にしています。さりげなく感動せよ。 靴はスリッパの方がよかったかな? でも実際の画面では表示されないので見なかったことにするぜ。 さて、このようにデザインがかぶり始めてきた一方、作業を進めてきたおかげで、使い回せるパーツも増えてきておりますよ。 手抜きできるところは可能な限り手抜きしながら邁進していく所存であります。 今日もあなたが幸せでありますように。 ◆ 2018/01/22 したこと: マインドルの立ち絵作成 学園モノと言えば不良3人組。 不良と言いつつ制服をキチンと着ていてネクタイまで締めているというのがコミPo!学園の校風。 頑張って着崩れさせようかと思いましたが、元気がないので諦めました。 地域のみなさまに愛されるコミPo!学園を今後ともよろしくお願いいたします。 さて、そんな校風なので、普通にやるとあんまり悪そうな感じになってくれません。 むしろ下手をすると爽やかな雰囲気さえ漂ってしまう。これでは不良の名折れというもの。 そこで顔芸です。 表情1つで、人はこんなにも悪そうになってしまうものなのですね。 今日は何か人として大事なことを学ばせていただいた気がします。ありがとうございます。 ちなみにロン毛は女性キャラの髪型からパーツを採取してGIMPでエクステをつけてます。 おかげで横を向くことができません。もはや真ん中に立つしかない。 ところで少し思ったのですが、不良って死語ですか? しかし代わりに何と言えばいいのでしょう? 最近はむしろDQNとでも言うのでしょうか? いやいや、DQNと不良は守備範囲が違う気がしますよ。 某くにおくんは不良ですがDQNではないハズ。熱血DQNくにおくん。全然ちがうゲームになりそうですね。 しかるに上記のお三方はどちらでお呼びするのが適切なのでしょう? どちらかといえばアルファベット3文字の方なような気がしてきました。 ああ、ドッジボールをするには我々は歳を取りすぎてしまったようです。 さて、まだまだ作業は残っておりますが、そろそろ学園系のキャラが片付きつつあります。 めでたいことです。 が、その先はコミPo!の性質上、服装で苦労することになるかもしれない。 道なき道が待っている。うむ。望むところ。鼻血が出るほど楽しみだぜ。 「風俗店店員」とかどうしよっかな。指示の意味がわからない。 いっそ立ち絵なしとしてはいかがか。苦渋の決断。にがしぶの決断。 その先にあるのは何も表示しない涅槃アプリだぜ。照見立ち絵皆空。立ち絵即空。空即立ち絵。 今日もあなたが幸せでありますように。 ◆ 2018/01/15 したこと: マインドルの立ち絵作成 学園モノと言えばウェアラブルデバイス。 コミPo!にこういうメカっぽいゴーグルが入ってなかったので死のうかと思ったのですが、 手元のアニメの中からイメージの近い絵を探してマネしてみたところ、 意外とうまく作れたのでびっくりして心臓が止まるかと思いました。残念ながら今のところ止まってません。 ガッカリしてタメ息が出すぎて窒息するかと思ったのですが、残念ながら今のところ窒息してません。 なかなか思い通りにはいきませんがチャンスはもりだくさん。まさにヒャッハーです。 これなら前回の仮面も、もう少しうまく描けそうな気がしてくるというもの。 が、こだわるとキリがないので振り返らずに突っ走ることとします。 斜め向きアングル。 アングルごとに別々に描いていたら命がいくつあっても足りないので、 正面向きのだけ作っておいて、GIMPの遠近法ツールで誤魔化します。 ドットがつぶれた部分は地道に修正を……と見せかけて、特にいじらなくても結構キレイになってくれます。素晴らしい。 あとはいつものように、ジロジロ見てはイケませんと言い聞かせておけば完璧です。 メカゴーグルはグラフィック作業の中の大きな懸念事項の1つでした。 そこそこうまくできて何よりです。これというのも私のおかげ。私は私にいくら感謝してもしきれません。 さぁ、この先もまだまだ楽しいムチャぶりが目白押し。 死なない程度に張り切って突き進んで参りますよ。ん? 死なない程度でいいの? 慎み深いですね。 今日もあなたが幸せでありますように。 ◆ 2018/01/10 したこと: マインドルの立ち絵作成 学園モノと言えば仮面の三人組。 もうちょっとうまく描けないかなーとは思うところですが、 こんなところで立ち止まっている暇はないので突っ走ります。 代わりに濡らしてみました。 真ん中の人、濡れてます。濡れてるったら濡れてます。言い張るのがコツ。 どうすれば濡れてるように見えるのか、どうしてもわからなくて、 手元のマンガの中から濡れてることになっている絵をいろいろ探してみたのですけど、 どうも「こうすれば濡れてることになる」というような定番の記号的なものが見つからない。 どちらかと言えば、場面の文脈上、「濡れている」という了解が成立する、というものであるような気がしました。 つまり催眠術です。 というわけで真ん中の人、濡れてます。言い張るのが奥義。 一応、髪を水分含んだふうに頭部に寄せて、色を濃い目に加工してあります。ザバー。 設定ファイルを見ると、他にもムチャぶりがたくさんあって、この先も楽しみです。 今日もあなたが幸せでありますように。 ◆ 2018/01/08 したこと: マインドルの立ち絵作成 ポニーテールです。 だから何だという感じですが、 テールの位置を普通に中央にすると立ち絵にしたときにテールが背中側に隠れて、ショートカットみたいになってしまう。 正面アングルだと特に顕著ですね。 そんなわけで、コミPo!内のデータ的には少し横にズラしています。 真上から見るとこういう感じ。 これで前から表示すると2Dのマンガ表現的にはちょうどよい感じに。 物理的には針金でも入ってるのかって感じですが、2D世界ではこの程度は日常茶飯事。 根元が浮いてるのはGIMPで修正。 ↓↓↓ ここらへんは2D表現と3Dデータのインピーダンス・ミスマッチと言ったところでしょうか。何だインピーなダンスって? ちなみにこの人の場合は本当に横から生えてる設定なのですが、 やっぱりこうして表示してみるとよくわからないですね。 右向きになったときにかえって違和感があるかも。インピーダンスおそるべし。だから何だインピーなダンスって? ともかく今日もあなたがインピーでありますように。 じゃなかった。幸せでありますように。 ちなみにどっちがいいですか? だからインピーって何? ◆ 2018/01/07 したこと: マインドルの立ち絵作成 学園モノといえば憑依です。 コミPo!に憑依顔がなかったので死のうかと思いましたが、 GIMPで加工して事なきを得ました。 ちなみに上の画像の中の「転」の字をマウスで書くのに苦労したというのは秘密です。 「ぬり」はどんな漢字だったか忘れたおかげで苦労しなくて済みました。忘れるって素晴らしい。 今日もあなたが幸せでありますように。 ◆ 2018/01/06 したこと: マインドルの立ち絵作成 グローブです。 ★背景素材提供:K’sFactory様★
コミPo!にバットとボールは入ってたのですが、グローブが見当たらない。 仕方がないので死のうと思ったのですが、幸か不幸かWikipediaにパブリックドメインの画像があったので、 それをGIMPで加工して使わせていただきました。ありがとうございます。 https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Baseball_glove_front_back.jpg できれば帽子もかぶってもらいたかったのですが諦めました。 帽子自体はコミPo!に入ってるのですが、髪型に合わなくなるんですよねぇ。 単純に頭のサイズに合わせて表示させると、帽子から髪がハミ出てしまう。 やはり坊主にするべきだったか。 っていうか、パンツかぶってる変態みたいだ。 ハミ出た部分を試しにGIMPで削除してみる。 うーん。 そもそも帽子に見えない。百歩譲って工事現場かな。 よし、こんなところで足踏みするのはよそう。安全二の次で突っ走るぜ。 今日もあなたが幸せでありますように。