沈める日
【システム:周回型】 【目安総プレイ時間:90分】 【制作:気狂いなすび(なすおた)様】
──世界が終わる
ありふれているけれど幼馴染と適当に過ごす毎日が好きで、永遠に続いて欲しいと思っていた。
──全てが海に飲み込まれていく
[このゲームが公開されているページ]
https://www.freem.ne.jp/win/game/20300
■ プレイガイド
1周目は1本道。一度エンディングを見ると選択肢が出現する形式。 2周目のエンディングを見た後には後書きが出現します。こちらも内容を理解する上で是非読んでおきたい。
■ 感想と考察(※ネタバレ)
冒頭で描かれる「永遠に続けばいい」と思えるほどの「たまらなく好き」な毎日。
なぜ「世界が終わる」のか? ストーリーを読み進めるにつれ、何度も解釈の変更を余儀なくされます。
真相はどこにあるのか? あるいは「真相」などないとすれば、「この全体」をどう受け止めればいいのか?
以下、ネタバレ全開です。
未読の方でプレイ予定の方は覚悟してください。
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1周目の「優と香澄」の世界
まず1周目に描かれる、「優」が主人公の世界について。 ひとまず「その後の展開」は除外して、この部分自体を単独の物語として考えてみます。
そうすると、まずは直感的な解釈として「世界が終わる」とは、 幼馴染の香澄との関係に変化が訪れることであり、 時間の経過を避けられない現実であり、 さらに究極的には、その果てに待ち受ける「死」、ということになろうかと思います。
終わりが避けられないのなら、その前に気持ちを伝えたい。 しかしそれは同時に、「幼馴染」という関係の「終わり」をも意味するのであり、 世界にたった一つ残された学校の屋上で気持ちを確かめ合った後、ついに世界は終わりを迎えるのでした。
世界が最終的に「学校」だけになるのは、 そこが主人公(優)が幼馴染の香澄と恋人未満の居心地の良い関係に浸っていた「続いてほしい毎日」を象徴する場であり、 関係を踏み越えた直後に学校も崩壊するのは、もはやそれまでと同じではいられないという、ある種の「卒業」を感じさせるものである気がいたします。
この展開自体は「バッド」か「ハッピー」か、という単純な価値判断を超えた一つの結末のようにも思えます。 終わる世界の中で、確かな「幸せ」を見つけ、消滅していく。 ここですっぱりと終わるのであれば、ある種の美学と言えそうです。
しかし、話はここで「都合良く」終わってはくれないのでした。
1周目の「真相」
屋上での世界崩壊後、場面は病院に切り替わり、 それまでの全ては彩が見ていた夢だったことが明かされるのでした。
それまで「優」が「主人公」のようなストーリーだったのは、 彩を事故から助けたせいで犠牲になった優に幸せな日常を続けて欲しいという、 彩の罪悪感から出た願望だったということになろうかと思います。
優と香澄は彩にとって憧れの存在であり、 自分のせいで優が命を落とし、香澄が不幸になることは耐えがたい。 「いつまでもこの毎日が続いて欲しい」というのは「現実の優」の思いというよりも、 少なくともここでは、彩が二人に対して抱いている願望が出ている部分だろうと思います。
だからその世界は彩が作り出した世界でありながら、そこに彩自身の居場所はない。 彩自身は身を引いて、二人に幸せになってもらうような結末を用意する。 そこには「事故」に関する罪悪感だけではなく、 普段から孤独な人生を生きていた彩の、自分に対する無価値感が反映されているところでもあるのかもしれませんね。
さて、ストーリーがここまで展開するに至り、それまで語られていた「世界が終わる」理由が判明する。 つまり「彩が目覚めるから」ということですね。
ここでいう「目覚める」とは、単に身体的に意識が回復するというだけの意味ではなく、 自分の罪悪感を誤魔化すために都合の良い夢を見続けることはできないという意味でもあろうかと思います。
「現実」には「優を失って悲しんでいる香澄」が存在するのでした。 だからこそ、都合の良い夢を見続けるわけにはいかない。
それは同時に、耐えがたい現実から目を逸らして夢の世界に逃げ込みたいと思う理由にもなる。
ここで現実の香澄と友情を築いて生きていく……という未来も予感されるところですが、 彩が病室で予想するのは「遠くへ行ってしまう」香澄の姿なのでした。 「遠くへ行く」が何を意味するのか? 本文で直接的には言及されませんが、少なくとも彩と友達になることはできないということではあるでしょう。 「(優と)ずっと一緒にいる」という約束を守ることの意味を深読みするなら、 つまり、後を追って自殺するということだったりするのかも、という気もします。
この1周目のラストではこれ以降の具体的な事は描かれませんが、 なぜか死んだ筈の優が病室に出現する。 隣には今しがた出て行った筈の香澄もいて、三人で仲良く生きていくことになる。
それが彩の妄想なのはほぼほぼ明らかで、 1周目はいわゆる「バッドエンド」ということなのだろうと思います。
そこでプレイヤーは2周目へ向かうわけですが……。
2周目の世界は「現実」なのか?
2周目では事故の場面で優が彩を助けにいくかどうかの選択肢が出現し、 優が死なない世界線を選ぶことができます。
が、ここで気になることが1つ。この世界は果たして「現実」なのかどうなのか?
事故発生以前の部分を読む限りでは1周目との違いは特になかったように思いますし、 1周目のそれが彩が見ていた夢だったとするならば、2周目だって実はどうなのか? しかも1周目のラストシーンで彩が妄想の世界に入っていく形で終わっていたことを考えると、 2周目はその続き、すなわち彩の2回目の夢なのではないか? という気もしてきます。
この2周目の世界では彩が事故の犠牲になるわけですが、 1周目で優を犠牲にして自分が生き延びたことに罪悪感を抱いていた彩にとって、この展開は一種の贖罪とも言えるように思います。 (だからこそ、やり直した第2の夢なのではないか……? という可能性が強まる)
これは「ハッピーエンド」なのか?
2周目では彩が車に轢かれて入院することにはなるものの、命は取り留めて怪我は回復。優は無傷。 入院中、昏睡状態になっていた彩は1周目と同じような夢を見ていたようですが、優と香澄の呼びかけで「現実」に帰還。 三人とも助かって友情関係を築く展開に。それをきっかけに彩の交友関係も広がり、明るい未来が予感されます。
が、後書きで作者が指摘しているように、この結末が「ハッピーエンド」と言えるのかどうかは読者の判断に委ねられているわけですね。
確かに、これで何もかも解決してハッピー、と言い切ってしまうには、気になる点が残りますね。
そもそも全てが彩の夢なのではないか、と言い出せば堂々巡りですが、 それを抜きにしても、次の3点が気になるところです。
まず例の事故を起こした車の運転手が死亡している件。 それから、彩がこれまで「不幸」だったのは彩が「悪かった」のか? という疑問。 そして、今後の「現実」で様々な未来の可能性があるということ。
・運転手が死亡している件
2周目に出現する選択肢では彩も優も死なずに済みますが、 それでも犠牲者は存在する。それが車の運転手ですね。
彩は被害者とは言え、この事故がきっかけで人生が好転したのであり、 まるで誰かを犠牲にして自分が「幸せ」をつかんだかのような、割り切れない思いは残るところですね。
運転手が助からなかった件はストーリーの本筋に直接は関係なさそうであるにもかかわらず 本文中で何度も言及されています。
同様に、主人公たちが罪悪感を表明するたびに「悪いのは運転手なのだから」とも言及されており、 彼ら自身、この件を引きずっていることが窺えます。
このように、折に触れてこの件を意識せざるを得ないような描かれ方をしていることから、 「運転手の犠牲」は本作品を理解する上で無視できない要素であると感じます。 そもそも運転手に限らず「誰かの犠牲で別の誰かが生かされる」という構図が常にあることにも気付かされます。 あらゆることには多面性があり、単純な「ハッピー」を謳歌することは許されない、と突きつけられているかのようです。
「悪いのは運転手」と言いながらも、同時に、 運転手は労基違反の会社で働かされていたために居眠り運転をしてしまったのだ、ということも明かされています。 つまり運転手もある意味では被害者だったということですね。 ここでも物事の多面性が示されている。
これは単にこの件だけに限定したフォローというよりは、 本作品全体の背後に、「一面的には物事の善悪を決められない」 という価値観があることを感じさせるものであるようにも思います。 (ラストシーンが「ハッピーエンド」とは言い切れない、という話にもつながってくる)
・彩がこれまで「不幸」だったのは彩が「悪かった」のか?
先に申し上げておくと、私は本作品の「作品としての出来栄え」を「批評」する意図はありません。 いつも当サイトで感想やプレイ報告を書いているときと同様です。
そういう「批判」という意味ではないのですが、 2周目のラストに近づくにつれ、どことなく、展開が性急になっているような印象を受けました。 優は唐突に説教じみたことを言い出しますし、彩のクラスメイトの態度が急変することについても、 以前の彩が「話しかけるなオーラ」を出していたからだ、で片付けられています。
それまでは微細な空気感や感覚を丁寧に描写するような書き方だったのに対し、 この展開は、なんだか不自然でワザとらしい。 むしろ、それまでの「夢の中」の方がリアルで、 この「現実」の方が「作り物」であるかのようです。
運転手の件でもそうだったように、彩が孤立していたことについても、 本人にはどうにもならない要因がある、という意味の言及があったように思います。 もし彩の不幸が彩自身の態度が招いた結果だということであれば、 運転手についても、居眠り運転をした本人が悪いという結論になり、 それまで折に触れて多面性が示唆されていたことと矛盾してしまう。
どこまでが作者の意図なのかは分かりませんが、 後書きに書かれていたこととも合わせて考えると、 いわゆる世間的な意味での「ハッピー(エンド)」というものに対する疑念が、 この展開を通して間接的に表現されていたりするのではないか……と推測いたします。
・今後の「現実」で様々な未来の可能性がある
ここから先は本文の範囲を外れることですが、 後書きでも示唆されているように、3人の今後の未来には様々な可能性があります。 生き延びた「現実」の中で、どのような人生を送るのか?
それを考えると、このラストの瞬間だけは「ハッピー」のように見えても、 そこで都合良く「エンド」になってくれないのが「現実」であり、 どのような展開になったら「ハッピー」なのか? という疑問は残るところですね。
仮に「こうなればハッピーだ」という正解のようなものがあるとしても、 本作品の至るところで言及されているように「変わらないものなんてない」のでした。
変化が止まることはなく、いつかは終わりを迎える。それこそが「現実」であり、 3人が生き延びた「現実」も、その例外ではあり得ない。 本文のエンディングのシーンが言葉の真の意味で「エンド」ではないのと同様、 その後の未来がどうなるにせよ、その中のどの時点を切り取っても「エンド」ではない。
夢の世界が海に飲み込まれて消滅したのと同様、 3人が生き延びた「現実」もいつかは消滅の時を迎える。
それを思うと、何らかの形式的な「ハッピー」な状態を実現すること自体にはあまり意味はなく、 本質的に重要なことはもっと別のところにあるのではないのか? そんな問題提起を、このストーリーから受け取れる気がいたします。
まとめ:全体を俯瞰して
本作品の「現実」部分で起きている事象だけをかいつまんでいくと、 「孤立していた不遇の少女(彩)を助けて仲良くなる話」という、いわゆるギャルゲー的なお約束の話ということになるのかもしれません。
しかし上のSSで引用した「冒頭で語られる主人公の考え方」も、実は彩が夢の中で演じた優のモノローグだったことを思うと、 本作品で描かれている全ては、彩が「優と香澄」という、自分にとっての理想的な男女を登場人物として、 人生の真の目的のようなものを考え続けていた話、ということなのではないか?
その結論は直接的には示されておらず、ラストの解釈も読者に委ねられる形で終わっていますが、 本文の中で、ある種の希望のようなものが示唆されている箇所はあるように思います。
> 死ぬ間際につまらない人生だったなんて思わない
そう思えるのはなぜかと言うと、「思いを伝える」ことができたからなのでした。 いずれ終わってしまうにもかかわらず「海」から「現実」へ生まれてきたことの内に何らかの「機会」があるのだとすれば。
それもまた彩が夢想する「優と香澄の物語」に過ぎないと言ってしまえばそうなのかもしれませんが、 変わらないものなんて存在せず、いつかは終わりを迎える世界の中で、 消えることのない何かの片鱗が、そのあたりに示唆されているような気がします。
最後に、あらためて「感想」を
色々書いてきましたが、解釈を整理するので精一杯になってしまい、 いわゆる「感想」をあまり書いてない気もしますので、あらためて「感想」を書いておこうと思います。
総じて「影のある雰囲気」と「謎めいた世界観」に興味を惹かれました。 「現実」に対する厭世的な感覚を匂わせながらも、 単純な「バッド」にも「ハッピー」にも着地するつもりはなさそうで、 その妥協しないストーリー展開がどこへ行き着くのか? そんなことを思いながら読み進めていました。
その本意がどこにあるのかは、後書きを含めて推察するしかないところではありますが、 良し悪しではなく、いわゆる「ゲーム=娯楽」の「ネタ」として「消費」する、という枠には収まり切らない何かがあるような気はして、 その部分をこそ掴みたいな、と私は思いました。
(実は何もかも「深い意味」などなく「私の思い過ごし」という可能性もあったりするのかもしれませんが、 私は私の意志で「こういう読み方」をした次第であります。 作者の意図通りかどうかはわかりませんが、重厚な体験をさせていただけたことに感謝します)