レイニートレイン
【システム:分岐あり】 【目安総プレイ時間:60分】 【制作:AOL様】
雨の日だけ通学中の電車内で見かける「"かっこいい" 彼」を巡る恋愛ノベル。
幻想と現実。そして自分の気持ちはどこにあるのか?
[このゲームが公開されているページ]
https://www.freem.ne.jp/win/game/15057
[公式HP]
http://aolgame.web.fc2.com/rainy/rainy.html
■ プレイガイド
END数と攻略人数は公式サイトにも書かれているので「作者が公言を禁止しているネタバレ」には当たらないとは思うのですが、 私に「本作品の読み方」をオススメさせて頂けるとするならば、 その情報を見ずに「この先どうなってしまうのか?!」とドキドキしながら読むことを推奨したいです。 私からは複数ENDとだけお伝えしておきます。
■ 感想(※ネタバレ有)
電車の中で見かけるだけの話した事もない「彼」。 膨らんでいく憧れの感情。 「私は臆病だから」を合言葉に現状維持で満足しようとする主人公。 「実在の人間」としての彼と憧れの対象としての「彼」。 動き出した現実の中、主人公は「何」に「向き合う」のか? ……といった辺りに注目して読ませて頂きました。
主人公の言う「私は臆病だから」には、 自己卑下を免罪符に変えようとしているという意味での「ごまかし」が潜んでいる感じは確かにするのですが、 それによって選択されている「自分の中の憧れの "彼" は実在の本人とは違うのだ」という切り分け自体は「正しい」のですよね。
もしも主人公が「私は臆病だから」という後ろ向きな発想ではなく、 例えばですが「私は "実物" になんて興味ないわ。離れて愛でることを私は楽しんでるのよ!」 などと自信に満ちた態度の持ち主だったとしたら?
"実物" を差し置いて "外面" でイメージを膨らませるというのは恋愛に限った話ではなく、 人間が「自分以外は全員他人」という形式の存在である限り避けようのない現象であろうかと思います。
それを承知の上で「それでいい」と割り切るならば、それはそれで有りなのでしょうけれど、 実際の所はなかなかそう簡単に割り切れるものではなく、 「自分以外」の「他人」という人間の "実物" のことも知りたいと望むのもまた人間として「避けようのない」ことかもしれませんね。
根源的に「未知」である「他者」を、認識主体としての「私」は、それでも、あるいは、だからこそ、無視できない。
このような形式に生まれついた私たち人間の行く末に何が待ち受けているのかと、思いを馳せる読後感でした。
「他者」から「見」られる「私」