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ノベルゲーム・ADVプレイ報告&紹介

いちばん星の願いごと

【システム:育成シミュレーション】 【目安総プレイ時間:90分】 【制作:くまのこ道様】

「アホなアイドル」というキャラで芸能活動をしてきた主人公が、 その路線に限界を感じ、「路線変更」のために修行をする育成シミュレーション。

[このゲームが公開されているページ]
https://www.freem.ne.jp/win/game/9180

[公式サイト]
http://kumakumaf.amigasa.jp/ido/ido.html

■ プレイガイド

ミニゲームと選択肢によるマルチエンド。 ENDは12種類。スキップなしでプレイすると1周は10分前後。 ミニゲームは3種類あり、種類に応じたパラメータが上昇。どの能力を重視するかでENDが変わってきます。

ゲーム内でコツなどのヒントがもらえる他、作者氏の公式紹介HPにはEND分岐の攻略情報があり、 詰まってしまう心配はありません。

■ 感想と考察

さて、アイドルの「路線変更」を巡って「自分を変える」ことがテーマとなっている本作。 コンプを目指して周回する中で、どの登場人物もそれぞれの形でこのテーマに絡んでいることに気付かされます。

「自分」とは複雑な概念ですが、 それを「変え」ようとするキャラクターたちを通し、 内面と外面という二重性に引き裂かれる人間という存在の根源的な苦悩が描かれていると感じます。

というわけで、作者の意図とは異なるかもしれませんが、以下に私なりの考察を記載いたします。 ネタバレ全開ですので、未読のお友達は覚悟してください。
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まずは全体的な話を。その後、キャラ別の考察に入ります。

一般論として「自分を変える」というフレーズだけを聞くと、どこか浮ついた印象も受けないではありません。 その意味でバッドエンドというか、デフォルトのエンドが「資格試験ハンター」なのは風刺が効いているように感じました。

「自分」というのは言葉だけで言えば一言ですが、 実際には「内面」や「外面」といった多層的な構造がそこにはあろうかと思います。 さらに言えば「自分で自分のことをどう思うか」という自認の意識や、 「他人は自分のことをこう思っているに違いない」という他者の目線や、それを自己意識へと内面化した要素もあり、 「自分」という言葉の内実は非常に複雑です。

そうした複雑な意味を含み持つ「自分」というものを「変える」とは果たしてどういうことなのか?

本作で主人公を含め「芸能人」という、他者からの視線に晒される人々が主要キャラクターになっているのは、 こうした複雑な面を持つ「自分」がテーマとなっていることの必然のように思われます。

全部で12ものルートがありますが、あえてざっくりと全体を通して言うと、 本作で直接的に「変える/変えない」の対象になっているのはもっぱら「社会的な自己」のあり方であり、 そこに違和感を感じることが物語の出発点になっている。 それは逆説的に言えば、内面的な意味での自己の存在に気付く、ということでもあろうかと思います。

「自分を変える」という言葉は受け取り方によっては「自己否定」にもなり得る危うさがあると思います。 しかし、ここでの「自分を変える」とは「社会的な自己」を変えることであり、 それを通して、むしろ(本来の)内面的な自己が解放されることであり、それが大筋の「ハッピー」な展開となっているように思いました。

綺羅星ピピカ(きらぼし ぴぴか)

本作の主人公。
「アホなアイドル」という「キャラ=観客の前での自分」と本来の自己との間にギャップを感じるところから物語がスタート。

ざっくり言えば育成でのルート分岐は、
・おんがく → 牧野ルート
・ファッション → IORIルート
・早口言葉 → ケイルート

であり、どの相手でもそれぞれに「ハッピー」と呼べそうな結末がありますが、 牧野ルートがEND01〜03を占めており、ここが乙女ゲー的な意味でも「ベスト」なルートのような気がします。

これは牧野が「攻略対象」として王道ということのみならず、 「音楽」という、自己の内面表現に直結する能力であることが関係しているように思います。 「ファッション」は直接的には外面であり、「弁舌」は後述のケイルートの結末で示唆されているように、 ある意味で「嘘をつく」手段でもある。 こうした中で「音楽」が、より純度の高い形で自己の内面を解放するものとして描かれることになったのではないか……と推測します。

ベストエンドと思われるEND01〜03のルートは「歌に自分の想いを乗せて大切な人に届ける」という展開でした。 修行を通して音楽による表現力を身につけたことで、「本来の自己」を表現することができるようになった。 牧野もそれを受け取ることで、自分の本心に立ち返る(納得する・決心する)ことができた。

元々はアイドルとしてのキャラ作りのために抑圧されていた自己の在り方が、 自己の能力を伸ばすことで、社会と適合する形で抑圧が解放され、 結果的に周囲にもプラスの影響が及ぼされることとなった。

人間はこの世で生きる以上、「内面」と「外面」の二重性に引き裂かれざるを得ない存在ですが、 この普遍的な困難に対し、主人公のベストエンドでは1つの理想形が示されていると感じました。

ラストで牧野からかけられる言葉には、 愛のあるところでは社会的な外面は関係ないということも示されている気がします。

> これから君が、アイドルでいようと、歌手になろうと。モデルになろうと、アナウンサーになろうと、普通の女の子に戻ろうとも、一緒にいたい

牧野玲夜(まきの れいや)

主人公の送迎を担当する運転手。
今のまま主人公を見守り続けたいと思っているが、 都会の生活が自分に合わないとも感じており、郷里に帰って兄の事業を手伝うことを検討している。

ここでも「自分の本心」と「社会的な身の置きどころ」の間での揺らぎが見られますね。

・主人公の運転手を続けたい
・田舎に帰りたい
・兄の事業を手伝いたい

これら3つの心がEND01〜03に対応しています。
どれもある種の「ハッピーエンド」のようであり、どれが1つが本心で他は偽り、ということではないのだろうと思われます。

願いは複数でも「社会的な自己(=身体)」は1つであり、全てを同時に選ぶことはできない。 主人公の「歌」を聴くことで最終的に1つの決断に至るわけですが、 ここでも「内面」と「外面」の折り合いをどのようにつけるかという普遍的な困難が見られる気がします。

作品の描かれ方として、END01〜03はどれも「ハッピーエンド」的な位置づけにあるように思われます。 主人公にとっては、自分の心の底からの想いを表現できるようになった、という意味で。 牧野にとっては、自分の気持ちに踏ん切りをつけることができたという意味で。

「乙女ゲー」としては2人の関係が直接的に深まるEND01が「ベスト」ということになろうかと思われますが、 別のエンドでも「渚さんを通して連絡を取り合う関係」にはなれたので、 お互いに「自分」に妥協しない人生を送っている限り、長い目で見ればそれはそれで別の形の「ハッピー」なのかも、と思いました。 そっちの展開での「その後」を想像すると二次創作がはかどりそう(誰か!)。

IORI(イオリ)

みんな大好き女装男子。
本作の「自分を変える」というテーマをある意味で最も先鋭的に担うキャラクターですね。 主人公が「私も自分を変えちゃえばいいんだ」と決心させるキッカケにもなった存在なのでした。

実際に性別まで変えたわけではなく、あくまでも髪型と服装だけ(外面)という点でも、 本作で言うところの「(社会的な)自分を変える」の意味合いが象徴されている気もします。

性別変更と言うとなかなか衝撃的ですが、本来の願いはデザイナー志望であり、 異性の恰好をしているのは自分をモデルにするためという一時的な理由だったのでした。

「性別」というのは、身体的にも社会的にも、ある種の「外圧」であることが思い起こされます。 基本的に自分の意志で選ぶことはできず、社会的にも「男は、こう」「女は、こう」という枷がついて回る。

元々の「美形子役」というのも「もてはやされた」ものであり、 自分が作った服を自分で着るようにしたのも、モデルを依頼した女性たちとの「スキャンダル」を避けるためであり、 その結果「自分がモデル」ということになったのも「いつの間にか」そう見られるようになっていたことなのでした。 そうした様々な「外圧」の中で、「自分のあり方」を変えざるを得なかったのが「IORI」というキャラクターであるように思います。

「無理をしてでも自分のあり方を変えられてよかった」という言葉に、 自分の「外面」を変えることは社会との軋轢への対処でもあるという意味合いが見えた気がします。

さらに「今もまだ路線変更ってやつの途中」という吐露。 記者会見での「いまも自らのあるべき姿を探して、もがき続けている綺羅星さん」という発言。

「自己」と「社会」が乖離しているのは人間として根本的な、逃れようのない存在の形式であり、 人間の一生はその全体を通しての終わりのない苦闘でもあるのかも。

ケイ・ミクリヤ

かつて「チョイ悪ポッチャリ系ダンスユニット『XL』」にいたダンサー。 激痩せしてユニットをクビになり、自分の身の振り方を模索しているというキャラクター。

ユニットをクビになっても元のユニフォームだけは残されており、 「似合わなくてもオレにとっての勝負着」と言うあたりに、 社会的には認められなくても、やりたいこと(ダンス)への情熱が残っていることが垣間見えます。

一般論として、太っていることが悪いことかどうかというのは議論の分かれるところであろうと思われます。 また、かつての仲間だった「オタ田」の「選択」は、「ありのままの自分でいい」という意味では、 むしろ1つの真理を突いているようにも思います。

ただ、本作の文脈では(作中で実際にこのように書かれているわけではなく、私の推測ですが)、 社会の側から予想される「どうせお前たちはその程度なんだろ?」という視線を先取りして、 その視線に「屈する」形で「どうせ俺たちはこの程度なんだ」という諦めを生きているようにも見えます。

「内」と「外」が巧妙に共謀して押し着せてくる「どうせその程度」という自己像。 ケイはそれに甘んじることなく、「自分はもっとギラギラしていたい」という本心に従ったわけですね。 そして誰よりも一生懸命ダンスに打ち込んだ結果、「激痩せ」し、XLを解雇されることになったのでした。

本心の声に従うのは社会の側に用意された「おまえはこの程度」という居心地の良い「所属場所」をなくすことでもあり、 「新天地」を求める苦闘の始まりでもあったのでした。

ラストシーンでの、

> 作り笑顔なんてオレにはとてもできない……と思ったものだが、慣れてみれば、なかなか癖になるな

というセリフには複雑な含みがあるような気がします。 「できない」というのは自分で決めつけていた殻に過ぎなかったということ。 と同時に「作り笑顔」というのは「本心を隠して社会と折り合いをつける技術」ということでもあろうかと思います。

このルートが一種の「ハッピーエンド」だとすれば、 自分の限界を環境に定めさせない意志の強さと、 その上で社会と折り合いをつけるバランス感覚を身につけることができたというところに勘所があると言える気がいたします。

ちなみにですが、自分が激痩せしたのはダンスに打ち込んだ結果だったのに、 通販で売るのは「飲むだけダイエット」サプリというあたり、 「演技」の罪深さが表現されている……というのは少々深読みしすぎ、かな?

浅羽渚(あさば なぎさ)

主人公のマネージャー。
冒頭で主人公が「いつまでこの路線を続ければいいんですか?」と苦悩を吐露するのに対し、 「売れなくなるまでじゃない?」と冷酷に言い放つ。

本人自身も芸能活動をしていたが、「いろいろと迷走」した結果どの分野でも芽が出ず、 芸能活動を諦めたという過去の持ち主なのでした。

その経験を踏まえて主人公に「一貫性」を求めるのは、先達としての親心と言うべきところかもしれませんが、 同時に、自分の境遇や社会に対する、内に秘めた苛立ちのようなものが滲み出ている気配も感じます。

主人公の覚悟を認めて以降は応援の姿勢を見せるのは、 過去の自分に足りなかったものへの反省ということだったりするのかも。

冒頭で主人公に「じゃあ辞めたいの? 突然社会に放り出されたらこのこのご時世、厳しいわよ」と脅すセリフがありますが、 まさにその状況で苦闘していたのがケイ・ミクリヤだったのでした。

ケイは「ダンス」という確固たる自分の芯を持っていたことが救いでしたが、 渚にはそういうものがなかったのか、あるいは主人公の覚悟を試すために意図的に「厳しい」言い方をしたのか……。 もしかすると、過去の自分にもこんなマネージャーがいてくれたら、という思いがあって、 あえて悪役のような立ち位置を引き受けているのかも。

弟離れしていないようにも見受けられますが、弟の牧野玲夜は先述のとおり、

> これから君が、アイドルでいようと、歌手になろうと。モデルになろうと、アナウンサーになろうと、普通の女の子に戻ろうとも、一緒にいたい

という必殺技を隠し持った高ポテンシャルの手練なのでした。 もしかするとそのポテンシャルを嗅ぎ取って、外面に関係のない「本当の君(自分)」を受け入れてくれる相手を求めているところがあるのかも……と想像したりしました。迷走時代の渚にもそんな相手がいたら、何かが変わっていたのかも。

結局、一見すると悪役のようでいて、決して妨害者ではなく、 むしろ主人公の意志を尊重して応援してくれる存在でしたね。

「厳しい社会」と「迷走する私」と「認めてくれる人」

こうして全体を見通してみると、 主人公が思い切って色々と挑戦することができたのは、主人公自身の努力もさることながら、 黙って話を聞いてくれる牧野と厳しく支えてくれるマネージャーという環境に恵まれたお陰もあるのではないかなという気がしてきます。

内面的な(本来の)自分が安心できる居場所があったからこそ、 迷走することなく、内面の声に従って、それを解放するように(外面的な)「自分」を変えていくことができたという面もあるのかも、 などと思ったりもしました。

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