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ノベルゲーム・ADVプレイ報告&紹介

GIRLOOK BOYS

【システム:短編集(15歳以上推奨)】 【全話目安時間:60分前後】 【制作:てしらま様】

「女装」する男子を巡る悲劇の短篇集。4本立てになっています。

[このゲームが公開されているページ(ブラウザ版有)]
https://www.freem.ne.jp/win/game/27675
https://novelgame.jp/games/show/6276

■ 各話の一言紹介

愛'm♡the らすと LOVE

鶴見ゆきがいつも恋愛相談に乗ってもらっている努力愛は誰よりも女の子らしい「男の子」。そのアドバイスは頼もしい。 しかしなぜか、ゆきの恋愛は長続きしたことがないのだった。

夜に融ける

テレビで愛嬌を振りまく女装アイドル「HI☆ME」の本性を偶然見てしまった主人公。 夜二人でいるときだけの特別な関係が始まる。

papillon

「魔法少女」として人知れず戦っているノアは「少女」でも「女性」でもない青年だった。 ある日ノアは「普通の少女」と出会い、心を惹かれるようになる。

ヒミツのドクオクン

美和は自分の「オタク趣味」を封印して「明るい人気者」になった。 しかし「オタク」のドクオクンと出会い、「ヒミツ」の関係が始まる。

■ プレイガイド

タイトル画面から個別の章を選ぶ形式。
本文中に選択肢はなく、各話は一本道。 各話は世界観は共有している部分がありますが直接的な関連はなく、どの順番で読んでも問題ないと思います。

■ 考察と感想(※ネタバレ有り)

以下、ネタバレ全開ですので、未読のお友達は覚悟してください。
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全編を通して

「女装」と言っても、本人自身のいわゆる「特殊性癖」としての女装とは少し違うようですね。
作中で描かれているような徹底した「女装生活」の裏には 本人自身の一定の「嗜好」もないわけではないと思われますが、 基本的に何らかの外的な要因が主たる理由になっていて、そこが物語の展開の軸になっていますね。

外界からの圧力を受けて、自分の姿を合わせなければならない事の精神的な軋轢や、 そういう中で「自分の本当の姿」が見失われ、あるいは変質してしまうことへの苦悩が描かれていると感じました。 いわば「個」としての人間が「世界」では集団の成員として他者の視線の中で生きざるを得ないという構造に起因する根源的な理不尽さが、 全編に通底していることかな、というふうに思います。

直接的な悪役が登場しないのも全体的な特徴ですね。
ジャンル的なお約束展開上の「加害者」は主要キャラが務めることにはなるわけですが、「悪役」ではない。 強いて言えば誠志郎編の「母」が悪役と言えば悪役かな? ノア編の魔獣さえも「悪役」ではない。作中で詳しくは描かれませんが、黒幕がいるわけでもなく、 ただ「人の思念の膿」が集合的に問題を引き起こしているという事のように見受けられます。 むしろ「世界のシステム」であるポペロンが悪役に近いかもしれない。

主要キャラたちにとっての「敵」は常に「個別の顔を見せない世間」、あるいは涼しげな様子でそうした世間に融け込んでいる誰かであり、 そうした中で「叶わない願い」を抱えて翻弄されるうちに「加害者」になってしまうという悲劇。

特に「美和・ドクオクン」編ではドクオクンが「加害者」の役回りですが、 ストーリー上は彼はむしろ「美和に利用された被害者」であり、 その美和も、世間の価値観に翻弄された「被害者」であり、 誰が悪いのかを追求し出せばわからなくなりますね。 恋敵役の駿くんも「悪役」ではなく、むしろ美和の部屋で美和に無理強いしないシーン等、なんか良い奴っぽい。 だからこそ、ますます悲しい。 視点を駿くんに移せば、ドクオクンこそが紛れもない「悪人」に違いない。 世間に融け込んで「常識人」でいることができている側と、 そこからハミ出て破滅に向かわざるを得ない主人公たちの対比が理不尽で悲しい。

それでは以下、各話の感想です。

愛'm♡the らすと LOVE

「努力(ぬりき)愛」とは、なかなかの珍名さんですが、この人は文字通り「努力」の人という感じですね。

ここまで女装を徹底できる理由の一部に、本人の性癖という要素がないわけではないのかもしれませんが、 その「努力」を支える本人なりの「愛」のエネルギーに尋常ではないものがあり、 そこが「危うさ」につながっているのだろうなと思いました。

男子からいじめを受けていた「ゆき」のそばにいるためには 同じく「男子」である自分では不適格であり、そのゆえに「女友達」の道を選んだ。 それはつまり(ゆきの周囲の)「男」全般への敵対心も含んでいるのかもしれませんね。 だから、「ゆき」が好きになる男たちを影で陥れる。

「男」というカテゴリー自体の否定を望んでいるようにも思えます。 世界に「男」というカテゴリーが存在する限り、 自分自身も否応なくその一人であり、そのままでは「ゆき」の前に立つことができない。

だからこそ「ゆき」の周囲の男を1人1人抹消し、自分が「最後の1人」になるしかないということなのではないか。 そのとき初めて自分は「男」ではなく「ただの人間」として「ゆき」に向き合えるようになるのだ……と。

しかしそれは不可能なことであり、この道を進む限り破滅しかないということなのでしょうね。 この世を生きる限り、周囲の他人たちの中で生きるということであり、 自分は純粋な「自分」である以前に「同じ属性を持った集団のサンプルの一人」であることを免れ得ない。 こうした「人間世界の構造」自体に悲劇の根源があるように思います。

ところで下の名前に関する事情が次章の「誠志郎」と対をなしているのが興味深いですね。 「愛」の母親は、女性っぽい名前をつけておきながら、女装には賛成していない。 そして愛はそんな母親の意向に逆らって女装を続けている。

「誠志郎」の場合、女装はむしろ母親の意向であり、 「ギャップ萌え」のために敢えて男らしい本名がつけられている。 そして誠志郎はそんな母親の意向に逆らうことなく、女装を続けている。

方向は逆ですが、「親から与えられた名前=世界から押し付けられた役割」と、 その中で抑圧を受ける本来の自己の苦悩が垣間見える気がいたします。


夜に融ける

罵倒の言動が目立つ誠志郎ですが、「綺麗さ」を要求してくる「世界」への憎しみが表れているのではないかなと感じました。

同時に自分の中にも「綺麗」なもの「カワイイ」ものが好きという気持ちが存在することの葛藤もあるのではないか? 「世界」と「自分」との軋轢、その中で「自分」が見失われ、歪められることへの、折り合いのつかなさ。

母の意向で女装アイドルをやらされているという事情ではありますが、 本気で嫌なら逆らうこともできた筈で、 「綺麗さ」を身に纏った自己で居続けることを自分自身で選んでいて脱却できずにいるという面もあるのではないか? そこがまた「綺麗さを要求し、自分をそう仕向ける世界」への苛立ちとして表面化するところなのかなと感じます。

本来の「性癖」の持ち主は誰なのかと言えば、直接的には母であり、 さらに言えば、その母に代表される「世界」の側に、個別の自己の在り方を規程しようとする「性癖」があると 言うべきかなとも思います。 「フツー」という性癖。「カワイイ」という性癖。「綺麗」という性癖。 「男は」という性癖。「女は」という性癖。 それらを強いられる自己の身に起きる苦悩。 「開放」され「融け」たいと思うほどの「窮屈なしがらみ」「偏見」「レッテル」。

百合子の男装に関して本文ではあまり直接的な深堀りはなく、 「強くなりたかった」けど「外面だけ変えても意味がない」と軽く触れられるのみですが、 むしろ、強いこだわりで男装をしているわけではないという点こそが重要なのではないかとも思います。

積極的に「男らしく」なりたいわけでも「女らしく」なりたいわけでもない。 世界が求めてくる「らしさ」に乗っかることへの「気乗りのしなさ」が通底しているように感じます。

だから、テレビの中で「純粋に好きな事」をしているように見えた「HI☆ME」には一抹の希望を感じたのではないか? 世界が求めてくる「らしさ」への服従ではなく、 心から純粋に湧き上がってくる「好き」という衝動が、人の内に存在し得るのならば、 「世界」の中で「自分」が生きることにも希望はあるのかもしれない。

しかし誠志郎は「本当は嫌だった」のだと知り、希望は失望に変わる。 やはりこの世界で生きる限り、世界が用意した価値基準という枠に沿う以外の在り方はあり得ないのか。 たとえ世界が求める「カワイイ」の体現者であっても、そこにある思いが「純粋」なものだとすれば、それは希望であったのかもしれない。

ラストは一見すると少々唐突というか、誠志郎はまだしも、百合子が妙に簡単に同意しているようにも見えましたが、 上記のように考えてみると、 百合子にとっても「世界」に「さよなら」する準備は充分すぎるほど整っていたのだと思えてきます。

他に道はなかったのか? そこは本作のジャンル上のお約束と言ってしまえばそれまでですが、 世界で生きるとは、肉体を持った人間たちの中で、同じく肉体を持った人間の一人として生きるということに他ならず、 そうである限り、「世界」と「自己」の境界としての「外面」というしがらみを免れることはできず、 そこから自由になり、汚されない純粋な、真の意味で「綺麗」でいるためには、肉体を「融かす」他なかったということなのだろうと思います。

最後に誠志郎が百合子の体を見て、

「……綺麗だ。こんなに綺麗なのに、全部融けちまうんだな」

と、惜しむような発言をしたことには複雑な含みがあるような気がします。

世界が要求する「綺麗」なものは、所詮「融けちまう」ような物質的なものでしかないという反抗心。 自分自身にもそうした「綺麗さ」を求める心があったことへの自嘲や嫌悪感を滲ませた決別の思い。 しかし自分(と百合子)には、そうした外面を超えた真の「綺麗さ」が見えているのだという希望と自負心。

> 綺麗なものも汚いものも関係がなくなって。
> 窮屈なしがらみからも、偏見からもレッテルからも開放されて、夜に融けるのだ。
> さよなら、世界。


papillon

この章は他の章とは少し趣きが違って、 女装ということに関して性的なニュアンスがあまりありませんね。

「魔法少女」とは、もはや「記号」と化した概念であり、 その「適格者」は必ずしも「女性」とも「少女」とも限らないのでした。 「社会的な記号」と「現実に存在する個別の人間(自分)」との乖離が示されているように思います。

> 私の格好も、勝手に魔法少女のそれと変わっていた

「勝手に」変わる。 自分が身を置く文脈が自分の格好を「勝手に」変えてしまう。

「画家」というノアの職業も、ノア自身の生まれつきの才能の結果そうなっただけで、世間はノア自身ではなくノアの絵にしか興味がないのでした。 この点、漫画家になるという夢を「自分で叶える」と言う日野なな実とは対照的ですね。

ノアの攻撃方法や魔獣の設定も意味深ですね。 「魔獣=人の思念が膿のように具現化した存在」であり、それをノアが銃で撃つと「蝶の群れ」になって霧散する。 その「蝶」は「個も何もない」と同時に「華のよう」で「綺麗」なのでした。

魔法少女の攻撃方法は適格者ごとに異なっているということですので、 「人の思念の膿」を「個のない蝶」に変えているというノアの攻撃方法は、ノア自身の特性の現れなのだろうと思います。

魔獣を倒すと「血液」ではなく「蝶」が飛び散る。 「血液」であれば、なな実を恐れさせることができた筈なのに、 「蝶」である限り、なな実はそれを「綺麗」と言う。

人の思念から「個」を抜き去ることがノアにとっての「攻撃」なのでした。 だからそれは「血液」のような、人の匂いがするものではなく、「蝶の群れ」だったのではないかなと思います。

ふと思ったのですが、タイトルの「papillon(パピヨン)」は「蝶」という意味の他に、 「仮面(パピヨンマスク)」という含意もあるのかも?

画家であるノアが何を描いていたのかも気になりますね。 「愛するもの」の絵しか描かないということですが、 ではノアの「愛するもの」とは何だったのか?

ポペロンによると作風は「ゼンエイ」ということですので、 一見して何の絵なのかが分かるような具象的ものではなかったのだと想像します。 この時点でのノアが自分の「愛するもの」を絵にすると、そういう表現になる、と。

「妹を救う」というのが当初の目的だった筈ですが、 それは既に「仕事の話をしているお父さん」のような事務的なものになってしまっているのでした。

あるいは、電話で母親を通して妹の様子を聞いている場面から察するに、 自分の意志というより、親の意向に従っているという面があるということなのかもと想像します。

妹と電話で話す場面でも、あまり妹を「愛している」ふうには見えませんね。 すると、なな実と出会う以前から描いていた「アバンギャルド」な絵は何を描いたものだったのか? たとえば「愛する妹の肖像画」などではないわけです。 この時点でのノアにとっての「愛するもの」は、極度に抽象化された形でしか表現し得ない何か、 言ってしまえば、この世に具体的な形では存在できないもの、だったのではないかと想像します。

ポペロンは「世界を維持するためのシステム」であり、 「ニンゲンの芸術の良さなど分からない」「人間の機微など関係がない」のであり、 つまりノアが絵にする「愛するもの」とは、 「世界を維持するシステムにとっては関係のない人間の機微」に関係するものだったのではないかと思われます。

夢幻世界の絵は描かないのかと「きみ」に聞かれて「考えもしなかった」という箇所がありました。 「個のない蝶」になる前の「人の思念」で作られた世界は「愛するもの」にはなり得なかった。 そこに「個」として出現したなな実もその例外ではなかったのかもしれませんね。 だから結局、最終的に、なな実から「個」を抜き去ることでしか「愛する」ことはできなかった。 (まさか、ラストのアレはポペロンじゃないですよね……?)

「システム」の中では「私」は「魔法少女」という記号に過ぎず、一人の「個」として見てくれる他者は存在しなかった。 そこへ現れて、ノアを一人のニンゲンとして見てくれる「どこにでもいる普通の少女」がなな実だった筈ですが、 結局ノア自身、「個」として他者と関係を結ぶことができなかった。

> 私は手に入れたのだと、きっと満足している。
> 否、何も手に入れてなどいないのだと、不満でいる。

ノアは世間的には画家でしたが、世間はノアという「個」ではなく、その絵にしか興味がなかった。 少なくともノア自身はそう思っており、それがノアと外界との関係の在り方だった。 そのノアが、誰に見せるでもなく、自分が描きたい「愛するもの」を手に入れた。 しかし結局「個」としてではなく「蝶」にすることでしか、向き合うことができなかった。

> 会ってそう時間も経っていないのに、私らしさなど分かるものだろうか。

記号ではなく「個」として関係を持つということへの根深い不信感が滲み出ていると感じます。

一方、なな実の調査をする過程で、学校の廊下に掲示されていたなな実の絵を見て、

> きみ「らしい」絵という意味が私にもわかった気がした。

ということもあったのでした。

「魔法少女」という記号を自分の代わりに背負わせることができないのはもちろん、 自分が今まで周囲からされてきたのと同様に、 なな実に何らかの「らしさ」を押し着せてしまうことへの恐れがあったのではないかなと想像します。

記号ではない「私」「きみ」という「個」そのものとしてようやく手に入れた筈の関係は、 相手に直接視線を向けた瞬間、「らしさ」という記号を押し着せることになり、 永遠に「手に入れる」ことができない。

人間は、1人1人の「個」であると同時に「集団」でもありますが、 そこでは個別の「個」は覆い隠され「記号」へと回収されることが避けられない。 他の章と同様、人間世界のそうした構造に起因する根源的な悲劇が、ここにもあるように感じました。


ヒミツのドクオクン

本当は「オカルトやオタク趣味」だけど、高校生活ではそれを「封印」して「明るい人気者」でいることを選んだ美和と、 その「本当に好きなこと」の領域で美和の期待に応えようとするドクオクンの対比。

美和とドクオクンは「ヒミツ」の領域では同類だった筈ですが、 世間の中で選んだ道が違ったわけですね。

> 僕、センパイがどんな趣味だって……引いたりなんかしません……!

ドクオクンも、最初は美和を恐れていたという描写がありましたね。 彼の目には図書室で友人と騒いでいた美和は、 ドクオクンが恐れ、かつ、美和がまさに「融け込もう」としている「明るい人気者」の代表だった。

美和とドクオクンの対比というより、 「世間で受け入れられる姿」と「隠さなければならない本当の私」という軸で見るのがより本質的でしょうか。

その「本当の私」の部分でつながっている美和とドクオクンの関係は、 必然的に世間に背を向けた「ヒミツ」にならざるを得なかった。 思い切り穿った解釈をすれば、ドクオクンは実在の人間ではなく、 美和が自分の精神世界に作り出したイマジナリーフレンドだったのではないか……とも思えなくもありません。

この章では「女装」の位置づけが他の章とはやや異なっている感じがしますね。 きっかけは美和の部屋の本棚でドクオクンが「HI☆ME」の写真集を見つけたことですが、 ドクオクンにも美和にも「異性の格好をする」こと自体に理由があるわけではなさそうです。

> 最近大人気みたいだし、好きなのはきっと普通ですよ

美和がドクオクンに女装を強制していたわけでもなく、 美和の好みに応えたいというドクオクンの思いが暴走した結果なのかなと思います。 そういう「ヒミツ」の関係が、美和としてもまんざらではない。 あるいは誠志郎編で描かれていたような「世間的なしがらみやレッテル」からの解放を求める気持ちという点では、 この二人も共通しているところはあるようですね。

ラストの釘を刺すシーンは、深読みし過ぎかもしれませんが、性行為の暗喩のようにも感じます。

美和と駿とドクオクンという三角関係。
美和と駿の関係がどこまで進んでいたのか、具体的な描写はありませんが、肉体関係までは発展していなかったのではないかと思います。 あるいは仮に肉体関係があったのだとしても、 美和との「ヒミツ」の領域で(先に)「釘」を刺したのはドクオくんであり、それによって「ハートを手にいれ」ようとした。

ハート発言はジャンル上のネタ的には「心臓をえぐり出す」の意味かなとも推測されるところですが、 物語の意味としては、「駿=世間」とは異なる領域での、より本質的な結びつきというふうに受け取りたいと思います。

「本当に好きなこと」を封印して「明るい人気者」への道を選び、 そこで駿と出会って、もはや引き返せなくなった後でドクオクンと出会った。 そこが世間と本当の自分との間で揺れ動いていた美和にとってのアンラッキー、あるいは罰なのかもしれませんね。

ラストは表現が少々ぼかされており、現実に殺害が行われたというより、藁人形の超常現象が発動しているようにも見えます。 しかし基本的には現代物の筈なので、美和の感じている苦痛は精神的なものなのかなとも思います。 そうだとすれば、このシーンは現実的な破滅ではなく、 二人が「やりなおす」道も残されているのかも……と一抹の希望を抱いたりもするところです。


付記

本作は公式には「ヤンデレ」と銘打たれています。 が、実はジャンル的にはあまり私の守備範囲ではなく、私は本来の想定読者ではないのではないか…… という予感を抱えつつ読ませていただいたものであることを白状しておきます。

もっと「恋愛対象への反社会的な執着」や「破滅的な結末」に注目する方が本来の製作意図に沿った味わい方なのかも、 と思いつつ、上記のような読み方となった次第です。 私では本来味わうべき部分が味わえていない可能性はありますが、そうだとしても、広がりと深みのある、とても読み応えのある作品でした。

[ダウンロード]
https://www.freem.ne.jp/win/game/27675
https://novelgame.jp/games/show/6276

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