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ノベルゲーム・ADVプレイ報告&紹介

Ewi-Meerエヴィ・メア -永遠の海-

【システム:分岐・戦闘あり】 【目安総プレイ時間:9時間】 【制作:PALETTE様】

ある夏の終わりに、世界の秘密を知った少年少女。

世界の運命を左右する謎の組織同士の抗争に巻き込まれ、手に入れた圧倒的な力をどう使うのか?

生き方を決める分岐点となった夏の終わりの一幕を描いたSF青春ストーリー。

[このゲームが公開されているページ]
https://www.freem.ne.jp/win/game/2948

■ プレイガイド

エンディングの数

公式情報は確認できていないので不正確である可能性はありますが、私が確認した範囲で以下に記載します。


一応、ネタバレに抵触する可能性がありますので伏せ字とします。

正解の選択肢のヒントが見える

選択肢が出ているとき、COSEを使う(右上の色つきボタンを押す)と「正解」が分かるようになっています。
COSEは赤(朱莉)と緑(翠)があり、 赤いCOSEを使うと、朱莉ルートへ進む上での正解が、 緑のCOSEを使うと、翠ルートへ進む上での正解が、それぞれ示されるシステムです。 ただし、COSE値を消費するため、使いすぎるとその後の戦闘に影響します。

ヒロインと任意のタイミングで通信できる

朱莉または翠に対し、COSEを使って通信ができます。 シナリオを読み進めるパートの任意のタイミングで実行可能で、 思わぬ情報が得られたり、ヒロインの意外な一面が見られたりします。 さらに、通信中にもう一度同じCOSEを使うと、条件が合えば相手側にワープすることができ、 この機能を使うことで開拓できるルートも存在します。 ただし、COSE値を消費するため、使いすぎるとその後の戦闘に影響します。

戦闘システム

詳しくはゲーム内の説明に譲りますが、 ここでは、戦闘はスキップ可能であることはお伝えしておきたいと思います。 進めなくても諦める必要はなく、周回のたびに繰り返す必要もありません。


・スキップの条件:

■ 感想、の前に……

独特の用語で表される世界観は複雑で、 ストーリーそのものも「謎」が多く残る展開となっています。 そのため「真相」のようなものに関しては、一通りのエンディングを見た後も分からない部分が残されました。

ただ、メインキャラクターたちの人生の1コマを切り取った物語としては、 そこに描かれている範囲で、一定の帰結に達しているようには思います。 つまり「世界の秘密に触れ、生き方を決める分岐点となった夏の一幕」です。

というわけで、おそらく本作品のテーマ的なものを最も代表していると思われ、 メインヒロインという位置づけでもあると思われる「天河朱莉(てんかわ・しゅり)」に絞って焦点を当てながら、 作品に対する私なりの解釈を述べて、その上で、それに関して思うこと(感想)を述べていこうと思います。

※ネタバレあり
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「天河朱莉(てんかわ・しゅり)」というキャラクター

幼い頃から自分が人一倍優秀であることを自覚しており、将来はエリートコースを狙っている。 が、優秀さを磨いて競争に勝ち抜くことの「虚しさ」も自覚している。 優秀であれば多少はマシな地位に就くことはできても、結局は社会のシステムという「檻」の中からは逃れられない。 朱莉はそのことが我慢ならず、どうにかして「日常を超越する」方法がないものかと、ずっと考えていた。 そこへ「COSE」という超越的な能力を与えられ狂喜乱舞。この力で「世界を支配してやる」などと言い出す。

一方、主人公の「黒須要(くろす・かなめ)」は冷淡です。 朱莉の話を聞いて「そんなのは誰でも子供の頃に妄想するようなこと」と無表情で受け流し、 「平凡でも自分が満足できる人生を送れればいいじゃないか」などと言い、朱莉を「納得」させようとする。 「『日常』ってやつを、俺は嫌いじゃないんだ」という言葉に要の立ち位置が集約されていると思われます。

当然ながら、この言葉は朱莉には「きれい事」としか受け取られない。 要の方も言葉には出さないものの、 内心で「もしこいつが恋愛をして、彼氏ができたりしたら、こいつの価値観は180度転換するだろう」と言っており、 どこか朱莉に対して上から目線です。 結局、作中で直接描かれる範囲では、2人の見解が歩み寄ることはなかったように思われます。

この「続いてしまう、逃げ場のない日常」と、その中で「平凡にしかなり得ない自分の人生」という「世界観」と、 それを巡る生き方の選択が、本作品を全体的に貫いているテーマの1つと言っていいのではないかと思います。

ではその「世界観」についても大まかに振り返っておきたいと思います。

世界観(設定)から見えてくるもの

我々(?)が住んでいる現実世界は複数ある平行宇宙(or仮想現実?)の一つであり「Ewi-Meer(エヴィメア)」と呼ばれている。名称は「永遠の海」の意。 Ewi-Meerは「ムンサルヴァッハ」という謎の組織によって管理されている。 さらに「アルトゥースリッター」という第3の組織が存在しており、ムンサルヴァッハと敵対し、Ewi-Meerを奪おうとしている。 そうした抗争の中で、Ewi-Meerを守るために(とは限らない?)主人公たちに与えられたのが「COSE」と呼ばれる特殊能力。

このあたりの設定に関しては明確に語られていない部分も多く、深入りすると迷宮入りしそうですので、 物語のテーマに直結しそうな側面だけに絞って注目していきたいと思います。

独特の用語や設定はさておき、 自分たちの「日常世界」が何らかの外部の存在から管理され、仕組まれた世界のように感じる、という感覚は、 少なからぬ人が大なり小なり思うことではないかという気がします。

その「日常に対する違和感・不満」を最も端的に表出しているのが朱莉であり、 その朱莉が、この「設定」の中で、どう考え、どう行動していくか、というのが本作品の主軸と言っていいのではないかと思います。

その「世界」の中で、主人公を中心として2名のヒロインが「COSE」という特殊能力を持って立ち回るわけですが、 そこに関しても、やはり朱莉の立ち位置が明確です。

COSEの力を持つのは主人公の要と朱莉と、もう一人、星海翠(ほしみ・みどり)がいます。 翠の力は「エヴィメアに予定されているもの」であるのに対し、 朱莉の力は「不正規」であり「秩序の外」なのだそうです。 だから、エヴィメアの秩序を守ろうとするムンサルヴァッハにとって 翠は「放っておいていい」のに対し、朱莉(と要)は「敵」というわけですね。

ギャルゲー的な意味では「朱莉 or 翠」という形で2名のヒロインが並び立っている構図ということになるのだと思いますが、 「秩序の外」から世界に反旗を翻すという立場であることが、朱莉の方が「メイン」なのだろうと思われるところです。

「COSE」の設定から見えてくるもの

「COSE」とは感情をエネルギー源として様々な超越的な事を可能にする力であり、 翠の説明によると、以下の通りです。

> COSE――Collers Of Synthesized Emortionとは。
> 私とそなたの間で結ばれた契約の名であり、
> 同時に世界そのものとの契約でもある
> この契約により、そなたには、
> この世界の時間と空間を超越した様々なことを可能にする特殊な権利が発生した
> その源は、名前の通り……私とそなたの感情に依拠している。
> COSEの力、その一端はさっきすでに体験したはずだ。
> そなたの意識の力、感情の波形が、この世界の時間と空間の法則を破壊するのだ
> その力あればこそ、さきほどの灰色の空間――半形而上空間――での活動が可能であり、
> そなたの感情を戦闘力に変換することができたのだ
> そなたの感情の力は、そなたの知るあらゆる物理現象・法則に優越する。
> (中略)
> COSEは、この世界の始まりから仕組まれている力であり。
> この世界の根幹に関わる要素だ

ちなみに、この星海翠さん、全ての真相を知っているっぽいのですが、 常に肝心なところで話をはぐらかすので、結局作中では最後まで謎が残るのでありました。

さて、この「COSE」ですが、感情をエネルギー源とするというのがミソであろうと思います。 思いっきり大づかみに解釈してしまえば、「感情が世界を作る」というのが、本作品の根底にある世界観と言っていいのではないかと思います。 この「感情」というのは特に、1対1の「恋愛感情」を指すようです。

だから、「人を好きだったことがない」朱莉は、いくら人並み外れた優秀さで「競争に勝ち抜い」たとしても、 世界のシステムという作られた檻の内側から抜け出すことができない。 また、COSEを手に入れて「日常を超越してやるんだ」と息巻いても、 それで思いつくのは「世界を支配する」とか「思い通りの世界を作る」とか「社会を超越したところから管理してやる」とか、 現在の支配者であるムンサルヴァッハを倒して支配者に成り代わる、などと言う、いわば自己中心的で「愛のない」発想ばかりです。

その朱莉にしても、COSEを使うことができるということは、人を愛する気持ちを持っているという証拠ではあろうかと思います。 ラストシーンの後、どういうストーリーが展開されていくのかは想像するしかないところでありますが、 COSEというのが、単なる暴力的な破壊力ではなく、根底に「愛」を前提としているものであるというところが、 物語のテーマ的に、ある種の道標になっている要素のように思われます。

途中、保険屋を名乗る「長手龍彦」氏からもCOSEに関する説明がありました。 「COSEこそが、Ewi-Meer(エヴィメア)を支配するための扉を開く、鍵」であり、 この世界を支配したいのなら、自分自身が「COSEの契約を結ぶしかない」のだと言う。

このセリフは、エヴィメアに侵攻する「アルトゥースリッター」に対する批判として語られたものであり、 つまり、ただの暴力では願いは叶わないのだと言っているように聞こえます。

また、草鹿伶(くさか・れい)からも、COSEに関する説明というわけではありませんが恋愛談義がありました。

> 『好きなんだ、お前を全部俺にくれ』
> 去年さ、ボクはある男に迫られてね。
> 彼はそう言っていきなりボクを押し倒そうとした……学校でね
> 要ちゃんも……そういう風に、
> 他人に自分の感情を叩きつけることが恋愛だと勘違いしてるんじゃないかい?
> 暴力的だな

草鹿伶自身はCOSEの契約者ではなく、さらに彼女との「恋愛」ルートは作品内ではBAD扱いということのようではありますが、 彼女もムンサルヴァッハの一員であり、COSEに関する真相を知っている立場であることを考えると、 この発言には一定の示唆が込められているように思えます。

COSEは1対1の人間同士の契約に基づいており、力を発揮するには、お互いに想い合っている必要があるのでした。 つまり、片方がもう片方を支配するというような一方通行の暴力的な関係では成立しないというわけです。

そしてそんなCOSEこそが、

> この世界の始まりから仕組まれている力であり
> この世界の根幹に関わる要素

なのでした。

つまり、人と人が想い合う感情の力こそが物理法則をも超越する世界の根幹。 それが、この作品全体で表現されているもう1つのテーマであると私は解釈しました。

物語としての方向性

ここまでをまとめると、要点は2つです。

  • 「平凡な日常世界」に対する違和感
  • 「愛の力」が世界を変える

こんなふうに散文的な言葉にしてしまうと指の間から砂がこぼれるようなチープな感は否めませんが、 そこは私の言葉遣いの貧困さに由来するところであって、作品を貶める意図ではなく、 難解な本作品を解釈する上で大づかみに「暫定する」ためのものであるとは申し添えておきます。

さて、本作品で描かれるのは主人公たちが「COSE」を手に入れてからの数日間に限定されており、 壮大な世界設定に比して、そこから伺い知れる部分もまた限定されているのではありますが、 この「謎がたくさん残る」というのもまた、 私たち「普通の人間」の多くにとっての「世界」や「宇宙」に対するそれと重なる部分のようにも思えます。

さらにこの点に関して、主人公の要と朱莉だけが「全容」を知らず、 他の主要キャラは皆それぞれの立場で「真相」を知っている、という非対称さがあることにも気づかされます。 その意味でも、星海翠でも草鹿伶でもなく、要と朱莉こそが、 プレイヤー(読者)と目線を共有する等身大のキャラクターだと感じるところです。

ネットで他の方の感想を見ると、本作品は「中途半端」という印象を持たれやすいようですし、 私も、ラストシーンの「さらに先」を見たいと思ってしまったのは正直なところではあるのですが、 あらためて上記のように内容を振り返ってみると、これは「こういう作品」として一つの帰結に達していると思えます。 作者の意図が果たしてどこにあったのかは知り得ないところではありますが、 この「まだまだ分からない事がたくさんあるのに……!」という感覚自体も、作品として意図されたもののようにも思え、 私としてはそこも含めて「こういう作品」なのだと受け止めておきたいと思います。

もしくは、もっとシンプルに 「思春期に恋愛を経験して子供から大人へ変わっていく様子を『世界を巻き込む大事件』という演出で描いたストーリー」 ぐらいの受け止め方で気軽に楽しめばいいのかな? とも思いましたが、 せっかく色々な設定を構築しながら語ってくれているのに、その読み方はちょっと「贅沢すぎる」かなという気もしますので、 できるだけ「真に受ける」読み方をさせていただくことにした次第です。

以上を踏まえての感想

本作品の内容については以上に述べた解釈で「暫定」することとし、その上での私なりの感想を述べていくことにします。

個人的には朱莉の感覚に共感を覚えるところです。 と言っても私は朱莉のような「優秀」な人間ではありませんが、 それについては(こう言っては何ですが)読者の多くがそうであろうと思います。 ただ、たとえそうだったとしても、朱莉の言うように「いくら競争に勝っても檻の中」というのは 現実の一つの側面として「それはまぁその通り」と言うほかないところではあるでしょう。

それに対する主人公「要」の主張といいますか、反応は、いかにも「常識的」ですね。 多くの人が、たとえ心の片隅では朱莉のような思いを抱いていたとしても、 結局のところ、どうにもならない「現実」の前で、そういう「大人びた答え」に落ち着くものではないかという気がします。 要の言い分が世間の「常識人」の発想を代表しているものなのかどうかは私には分かりませんが、 作中での要は朱莉と違って、高校に進学してからは挫折のようなものも経験しており、 自分の可能性に限界を感じていることに由来する「諦観」が表れているようにも見えます。

しかし、どこまでも最前線を走り続けている朱莉にそんな諦観はなく、 要の口から語られる醒めた「常識」に納得するはずもありませんね。

ただ、その「納得しない理由」というのが結局のところ 「自分はこんなにも優秀なのに」という自尊心に由来しているあたりが、「朱莉らしい」ところではあり、 そこのところが要に内心で「もしこいつが恋愛をして、彼氏ができたりしたら、こいつの価値観は180度転換するだろう」 というツッコミを入れられる隙になっているのかもしれませんね。

要の言葉には「常識」を押し付ける上から目線な印象を否めず、朱莉に「きれい事」と言われるのも仕方がない感じはしますが、 朱莉の発想がどこまで行っても自己中心的であるというのもまた、朱莉自身のある種の限界を示しているところのようには思います。

この「つまらない日常」と「そこでどういう生き方を選ぶか」に関しては、 本作品におけるギャルゲー的親友キャラ「木村啓太」も熱く語っている箇所があるのでした。

> 黒須……お前はまだわかってない。わかってないんだよ……。
> 欲望に正直であることの偉大さが!
> この息苦しい、閉塞感に満ちた世の中を見るんだ!
> 限りない退屈、終わりなき日常の連続。
> 俺たちの日々は、これから死ぬまでずっと、
> ドラマチックなことなど何一つ起こらないことがほぼ確定してるんだ
> 戦争も革命も、恋愛も結婚も、ある日突然リア充になることも、
> 決してありえないんだよ!
> わかるか? 高度資本主義社会の行き着いた先の、
> ユートピアに見せかけられた俺たちの社会のみすぼらしい実相が!
> こんな世の中だからこそ!
> 欲望に正直に行動することが、唯一、生を実感できる瞬間なんだよ!

このシーン自体はコメディ的な親友ルート、つまりゲーム的にはBADに向かう展開であり、 このセリフも「今からメイド喫茶に行ってメイドさんの乳を揉む」ときの意気込みを語っているものであり、 あまり真に受ける必要はないのかもしれないという気はしつつ、 「閉塞感に満ちた世の中」での「生を実感できる瞬間」を得るための生き方を語っているという点で、 本作品のテーマに対して「木村啓太」というキャラクターを通して語られる一つの回答なのかもしれないとは思います。

「閉塞感に満ちた世の中」で自分の人生がつまらないものにしかなり得ないこと自体は諦めつつ、 「己の欲望」を追求せよ、というのが木村啓太の答えというわけですね。 彼の熱弁の言葉は大仰ですが、いわゆる「人生は死ぬまでの暇つぶし」であるとか 「『好きな事』をやればいい」といったお馴染みのフレーズも、程度問題でこの範疇に入るのではないでしょうか。

「欲望」とは幅広い言葉であり、具体的に何を指すのかは人により文脈により様々であろうとは思いますが、 この文脈では、直接的には「性欲」を指しており、 さらに言えばそれは「メイドさんを騙してでも、何とかして乳を揉む」という自己中心的な我欲です。

いわば「終わりなき退屈」の裏返しとしての「終わりなき欲望追求」であり、 「閉塞感に満ちた世の中」における「退屈さ」自体は本質的には変わらず、 それを如何にして埋め合わせるかという対症療法を「死ぬまでずっと」続けるという以上のものではない感じはいたします。

また、この木村啓太は実はムンサルヴァッハが主人公・要のCOSEの力を削ぐために配置した人物というのも無視できない点です。 COSEは世界そのものを変える力を秘めている。 しかし我欲に溺れればCOSEは失われ、管理された世界の中で刹那的な快楽に慰めを求めるほかなくなるというわけですね。 単なる親友BADルートであるという以上の制作意図が込められている感じはいたしますし、 私個人といたしましても、そういう生き方ではやはり根源的には何も解決したことになっていないのではないかなと感じるところです。 というより「解決」を諦めるからこその「欲望追求」ということであろうかと思います。

「退屈な世界」と「平凡にしかなり得ない自分の人生」という観点自体は朱莉も要も啓太も一致しているようですが、 そこでの三者それぞれの回答と、それに対するCOSEの位置づけが興味深いですね。

・人を見下すことしか知らない孤高の少女・朱莉
→「自分が支配者に成り代わってやる」

・取り立てて個性のない平凡な高校生である要
→「俺は平凡な『日常』ってやつが嫌いではない」

・「二次元」に夢中になる「オタク」である啓太
→「欲望に正直に行動することが偉大」

朱莉の路線をそのまま進めれば、自分(朱莉)は世界の秩序の外側に出ることができたとしても、 そこで何をするかと言えば結局、思い通りに世界を作って、他人を「支配」することなのであり、 「閉塞的な世界」と「その中で管理される人々」という構図自体は変わらないような気がします。

要の場合、言っていること自体は大人びたものではありますが、 少なくとも本作品における神社のシーンの段階では、心から納得して言っているようにはあまり見えず、 後ろ向きな諦観で世間的な常識を口にしているだけのような印象を受けます。 幸いにして朱莉ほど「優秀」ではなかったおかげで、適度に諦めることができたからこその言葉であり、 「嫌いではない」と言いつつ、「好きなわけでもない」のであり、 やはり心に残るわだかまりは誤魔化しようがないところなのではないか。

啓太に関しては上記の通り、終わりなき対症療法です。

そこで「COSE」という形で示されるのがもう一つの道、すなわち「愛」です。

なお、本作品の中での「COSE」は、いわゆる1対1の男女間の(しかも両想いの)「恋愛」を暗黙的に前提している感があり、 そこに限定されてしまうのだとすれば、結局のところ「恋愛市場」という、 これまた「競争原理」に回収されてしまうのではないかと危惧しないではありません(意訳:モテない人はどうすればいいんだ)。 ただ、「他者への愛情」というのは上記三名の「答え」には欠けていたピースであり、 競争原理や我欲とは別次元の原理として、世界を変える「鍵」だというのは共感できる気がします。

> COSE――Collers Of Synthesized Emortionとは。
> 私とそなたの間で結ばれた契約の名であり、同時に世界そのものとの契約でもある

「世界そのものとの契約」の実際の意味はよく分からないのではありますが、 個人間の「恋愛」に限らない普遍的な他者愛へと開かれていく可能性が示唆されているところなのではないか…… と、私的に勝手に解釈していたりします。

また、ムンサルヴァッハの城主の言葉も気になるところです。

> それでも私は最後の一瞬まで、私に苦痛しか与えないこの世界の維持に尽力せねばならない

なぜムンサルヴァッハはエヴィメアの「秩序」を維持しなければならないのか? 作中では明確には語られず、「城主」に何か個人的な事情が存在するらしいことが仄めかされるのみとなっていますが、 この「苦痛」だけれど「維持に尽力」しなければならない、という部分からは、 私たち人間全般に共通する「人生」そのものを象徴する何かを連想いたします。

ここで仏教の教えなどを持ち出すと話が大げさになってしまいますが、 「生」が根本的なところで「苦」であり、そうと分かっていながらも続けざるを得ない、というのは、 真実味のある感覚ではないでしょうか。

作品としてそうした感覚を象徴する存在なのかどうかは分かりませんが、 ムンサルヴァッハが朱莉に与えられた「不正規」なCOSEを排除し、エヴィメアの「秩序」を維持しようとする、 というあたりに、この世界の「閉塞感」および、それがどこか「仕組まれた」ものであるように感じられる、 という感覚の裏付けが潜んでいるような気がします。

朱莉にせよ要にせよ木村啓太にせよ(=私たち自身を様々な形で代表する群像)、 つまるところ自己中心性こそが世界を閉塞させている壁になっているのであり、 それは必ずしも本人自身の人間的な欠陥に由来するというよりは、 そういう発想しかできないように、世界のシステム自体から、巧妙に誘導されているような節がある気が私はします。 その発想の内側にあっては「人を愛する」ということさえも 「そうすることによって自分が満足したいからだろ?」というふうに、 嘲笑めいた言葉で「利己主義」へと回収されてしまうというのはご存知のとおり。

だからこそ、それは、そこにこそ「世界」の壁があるという証左ではないかという気がいたします。 壁があるということは、その向こう側があるということでもある。 自己閉塞的な世界から、利他の愛へと開放される扉の鍵がそこにある。 如何にしてそこに気づかせないようにするか? たとえ気づいたとしても再度「利己」の内側へと回収してしまうか? 世界自体が、そのような巧妙さをもって、私たちを「管理」しているようなところがある気が私はします。

ところで、さきほど触れた木村啓太ですが、 彼のルート自体はゲーム的にはBAD扱いではあるものの、 最終的には「メイドさん(の胸への欲望)」とは決別し、「ゲーム製作に情熱を燃やす」という展開になっているのでした。

ストーリーとしてはそれ以上は描かれていないので、この先は想像するしかないところではあるのですが、 元々は自分だけの「理想のユメ」を「二次元に託す」という、 ある意味では朱莉の野望を逆方向へスライドさせるような展望を描いていたわけですが、 ゲーム製作を通して、多くの人々を楽しませる、というような形で、 自己閉鎖的な我欲だったものが、より普遍的な他者への愛へと昇華される可能性の道筋が示唆されているのではないか……などと想像したりもしました。

まとめ

こうして見ると、本作品への感想というよりは、本作品に便乗して自分の考えを語るような形になってしまったようで気恥ずかしい限りですが、 プレイヤーの思考を刺激してくれる懐の広い作品でした、と、うまく(うまいか?)まとめて、キーボードから手を離すことといたします。

付記:時代状況に関して

Readmeによると、本作品の公開は2010年となっています。

木村啓太のセリフの中で、以下のように語られていました。

> 戦争も革命も、恋愛も結婚も、
> ある日突然リア充になることも、決してありえないんだよ!

現在、私がこの文章を書いているのは2022年の中盤。 本作品中で木村啓太が言っていたことと比して、やや情勢が変化してきているのを感じます。 謎の「疫病」で社会が混乱し、大国が戦争を始め、米国を中心とした「高度資本主義」には凋落の兆しが見え始めています。

今のところ「日本」には直接的に社会が転覆するほどの影響は及んでいませんが、 世の中全体に不安が広がっているのを感じます。

こういう状況になってみて、あらためて「安定した日常」のありがたみを懐かしく思ってしまうのもまた、身勝手なことなのかもしれませんね。 あるいはこういうふうに人々の心に揺さぶりを仕掛けているのもまた「ムンサルヴァッハ」の陰謀なのかも……と妄想したりしなかったり。

2022年7月・記

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