秋風夜空~BOY MEETS UFO~
【システム:カレンダー連動行動選択】 【目安総プレイ時間:8時間(試行錯誤含む)】 【制作:Glasses!(凪原みどり)様】
文化祭までに美少女キャラと親睦を深めていくギャルゲー。 典型的な学園モノと見せかけて、宇宙人が絡んできて話は複雑に。
[このゲームが公開されているページ]
https://www.freem.ne.jp/win/game/438
[公式サイト(上部フレーム内「ゲーム」→「秋風夜空」)]
http://glasses.girly.jp/gameindex.htm
■ プレイガイド
かなりの高難度。 選択肢は主に放課後の行き先。 必ずしも常に特定の場所で特定のキャラに会えるとは限らず、周回と試行錯誤は必須。
以前は作者HPの掲示板に攻略情報があったようですが現在はログが流れてしまったのか、見当たらなくなっていますので、 以下に私が調べた範囲での攻略を書きました。
■ 攻略
単なる作業になってもつまらないと思いますので、 各ルートのエンド到達のための大まかな指針を書くという形にしています。 重要な選択肢の答えなど、直接的な情報は文字色反転を施してあります。必要に応じてご活用ください。
どちらを選んでも影響のない選択肢
一見すると重要そうで、実は展開に影響のない選択肢が存在します。
・序盤の選択肢:プロローグの空き地でのシェレストからの質問「受け入れる/いやだ」
・前半の選択肢:空き地でのシェレストからの質問「ない/お前になんか教えてやらない」
後半の宇宙人からの質問攻めについて
素直に「良い意味」の答えを選べばOK。 時間制限があり、答えずにいると間違った方を答えたことになる。 エンディングのスタッフロール後に二人の会話シーンが出現すれば成功。
斎藤有香ルート
・放課後の行き先は主に1つ
→「裏庭」
・途中の重要な選択肢は1ヶ所
→正解「君はどうだったの?」
・ストーリーが煮詰まった後、最後の一押しのみ、放課後の行き先が別
→「生徒玄関」
岸市味ルート
・ルートに入るための最初の行き先
→「体育館」
・ルート序盤のイベントを進めるための行き先
→「教室」
・ライバルと面識を持つには
→「生徒玄関」
・終盤の通い先
→「教室」
途中の選択肢は直感的に選べば外すことは多分ないと思います。
双山季節ルート
・ルートに入るための最初の行き先
→「生徒玄関」
・その後の通い先
→「音楽室」
・重要な選択肢の正解
→「そんなことないですよ!」
エルマリアルート
最難関。他の女性キャラのルートをクリアした後に挑戦することを推奨。
有香、市味、季節それぞれのルートをある程度平行して進めておく必要がある。進めすぎてはいけない。 なおかつ文化祭までに3名とも「終わっておく」こと。 各ルートの順序とゲーム内のスケジュールを把握した上で、最適な手順を模索する必要がある。
参考手順
■ 開始直後:3ヒロインの入り口だけ開けておく
・季節先輩に会っておく → 行動:[生徒玄関1回]
・市味の様子を目撃しておく → 行動:[体育館1回]
・有香に会っておく → 行動:[裏庭1回]
■ 11/6(日):この日に他のヒロインのイベントが発生しなければOK。していたらアウト。
■ 月曜以降:3ヒロインの選択肢を踏んでおく(正解しておくこと)
・季節先輩の選択肢を踏む → 行動:[音楽室2回]
・市味の選択肢を踏む → 行動:[教室1回]
・有香の選択肢を踏む → 行動:[裏庭1回]
→ その後、余計なフラグを踏まないように気をつけつつ、11/13を迎える。
■ 11/13:宇宙人勢の過去説明イベント
・選択肢は → 「言う」
■ 11/14〜11/16の間に3ヒロインを終了させておく
・市味を終了させる → 行動「教室」
・季節先輩を終了させる → 行動「音楽室」
・有香を終了させる → 行動「裏庭」
■ 11/16:放課後、エルマリアさんとの海イベント発生
■ 11/17:エルマリア終盤入り口
・放課後の行き先は「生徒玄関」
→ 以降はエンディングまで一直線です。
シェレストルート
初回プレイでは到達できず。他のエンディングを1キャラ以上見ていることが条件になっている模様。 基本的な流れはエルマリアと同様。 11/13の過去説明イベント時の選択肢で逆を選ぶとシェレストルートになる。
■ 感想と考察(※ネタバレ有)
本作品は一見すると典型的なギャルゲーにSF設定をくっつけた荒唐無稽なゲームのようにも見えなくもないかもしれません。 しかし、全体を通してみると、そこに一本のテーマとなる軸が浮かび上がってきます。
私はこれら全体を「自己意識の処遇を巡る物語」として解釈しました。それが作者の意図と同じかどうかは分かりませんが、以下、私なりのキャラ別の感想を記載しながら全体像を考察していきます。
ネタバレ有
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斎藤有香
幼い頃に面識があったが主人公はすっかり忘れていて……とはギャルゲー的な定番の1つですが、
「私がここにいなければ、他にあなたを好きな人が幸せになれたかもしれないのに」
というセリフにこのキャラの真髄が表れている気がしますね。
ある種、ギャルゲー的なお約束展開に対する「ツッコミ」でもある。 主人公には複数の選択肢(恋愛対象)が存在する。 自分(有香)が選ばれるということは他の女性キャラが失恋するということであり、 本当にそれでいいのか?
ましてや、主人公は自分の存在をすっかり忘れて人生を構築しているところだった。 そこに今更入っていこうとする自分は「余計者」ではないのか? そういう引け目を自覚している。
これは単にギャルゲーのお約束に対する指摘というだけにとどまらず、 人間の存在形式に潜む古くて新しい問題でもありますね。
「世界」に対する「剰余物」としての自己意識。 「私」がいなくても「世界」は存在する(はず)であり、 ならば「私」が存在する意味は何なのか? 「世界」はそれ自体で「自然」に動いている(はず)のであり、 ならば「私」は「余計なこと」をしてはいけないのではないか? こうして「世界」に対する「剰余物」としての自己意識は、居場所を見失う。
有香は最初は主人公が自分の存在を忘れていたことに怒っており、 思い出させようとします。しかし主人公が思い出した後は、こうした「自分はいない方がいいのでは?」 という思いに苛まれるようになっていくのでした。
まさに、人が物心がついて自己意識の「所在なさ」に戸惑う段階をなぞっているようで大変興味深いですね。 そこのところがギャルゲー的には「忘れていた幼なじみと接近 → このまま単純にゴールとはならず関係に距離が生じて一波瀾」 という「面白いストーリーのフォーマット」に適合しているわけですが、 そこにとどまらない深みが示唆されていることを感じずにはいられません。
岸市味
「高校で再会した幼なじみ」という点では有香と共通しているのですよね。 ただし、全てにおいて有香とは対照的な存在です。
有香の場合は有香の方が引っ越したの対し、市味の場合は主人公が引っ越したのでした。 さらに、有香の場合は主人公に昔の関係を「思い出させよう」としていたのに対し、市味の場合は「忘れさせよう」としていたのでした。 この二人が作中で直接的に絡むシーンはあまりありませんが、作品のテーマ的には対をなす存在ですね。
有香の場合は「剰余物としての自己意識」の所在無さ(余計者感)から、主人公から離れようとするわけですが、 市味の場合は純粋な恋愛関係に入るために「幼なじみ」という「(主人公の世界内における)自分の存在の根拠」を否定したがっていたのでした。
「自分の存在の根拠」が無い「所在無さ」に苦しむ有香。
「自分の存在の根拠」という「しがらみ」に苦しむ市味。
有香においては、自己が自由である事を恐れる。
市味においては、自己が規程される事を恐れる。
市味もギャルゲー的にはいわゆる「幼なじみキャラ」としての定番ですが、 そこからさらに一歩深みへと踏み出した地平が示唆されていると感じました。
双山季節
このキャラは上記の有香と市味とは若干立ち位置が異なっていて…… と思いましたが、やはり共通する軸がありますね。
季節の「憧れ」の存在である須藤先輩に対する態度。 卓越した音楽の才能を有し、自分の夢に一直線に進んでいく須藤先輩。 須藤先輩という「世界」と、その世界からは必要とされていない「自分」の立ち位置。
作中での須藤先輩は、どこか人間離れしたような、他人の存在が眼中にない人物として描かれているのも印象的です。 まさに、世界はそれ自体で滞り無く存続するのであり、自己意識は剰余物に過ぎない、と冷酷に告げているかのようです。
須藤先輩の奏でる音楽は他人に聴かせるつもりなどなく、自分が好きだから弾いているだけのものであり、 季節はそんな須藤先輩の音楽を美しいと感じつつも、 自分は「主人公のために」音楽を奏でることを選び、「自分の音楽を聴いてくれる」主人公との関係を選ぶのでした。
決して手が届くことのない遠い星空を、だからこそ美しいと感じつつも、 結局は自分が身を置く足元の地球で生きるしかない、我々の人間的現実が示唆されているような気がしました。
「真っ暗な道を歩いていると、瞼の裏に星空が見えるんですよ」
目が悪い季節先輩は、瞼の裏で星空を見ることができると言う。 季節先輩は手が届かない星の世界を見つつ、主人公と「手をつないで」地球で生きる。
「街の光は、わかりません。でも感じます。 こうして目を瞑っていると、わたしだけは見えますよ。 きれいな夜空が広がっています」
さて、その空から来て、空へ帰って行ったのが本作品の宇宙人勢であるエルマリアとシェレストだったのでした。
エルマリア
学園モノのギャルゲーの中に登場する、学園の生徒ですらない宇宙人。 なぜこんな設定なのかな? と少々戸惑いは感じましたが、全体を通して見ると、やはり上記3名と同様に 「自己意識の処遇を巡る物語」の一翼を担っている、それどころか3名とは距離を置いた「宇宙人」という立場が不可欠な要素のように思えてきました。
さて、宇宙人には金族と赤銅族という対立する民族があり、エルマリアは両方の血を受け継ぐ存在なのでした。 世界の対立構造のどちら側からも疎まれる周縁的存在、ある意味で「外側」の存在なのですね。 そんなエルマリアはエンジニアとして自分を信頼してくれるシェレストに自己犠牲的に献身している。 自己犠牲というのがまさに文字通りで、外界を「あるべき形」にしておくために「余計者」としての自己を消そうとしているように見えますね。 地球に来てから知り合った主人公に対しても
「わたくしのせいであんな騒動が起きるのならば、むしろわたくしは存在しない方がいいのかもしれません」
と発言しており、有香との共通点が見られます。有香はまだしも主人公と幼い頃に面識があり、何より地球人です。 しかしエルマリアは地球人ですらなく、主人公との関係における「存在の根拠」はさらに希薄。
終盤で集合写真を撮るシーンでもエルマリアだけは辞退しており、 感動的な筈のイベントCGも、エルマリアを欠いていることを思うと、どことなく寂しいものを感じないではないですね。 最後までエルマリアは「宇宙人」というわけです。 しかし、その宇宙人としても、どちらの民族でもない周縁的存在だったのでした。
そんなエルマリアは、しかし、主人公とともに出かけた夜の街で、他人が幸せそうにしている様子を見て喜びを感じるのでした。
「わたくし嬉しいんです。 人が皆幸せそうに歩いているのを見れたから」
どこまでも他人が優先。 これはこれで、誰よりも「外側」的な存在であるエリマリアが辿り着いた境地なのかもしれませんが、 このままでは少々救いが無い感じがしないではありません。
しかしラストシーンで願いが叶って地球へ帰って来た際に、一言触れられるだけですが実は重要なピースのように思われるセリフがあります。
「シェレストも色々と……わたくしの為にしてくれました」
ずっと「尽くす」ことでしか自分の居場所を確保できなかったエルマリアが、 逆に人から何かをしてもらうことで、自分の居場所を得ることができるようになった。 「自己意識の処遇を巡る物語」としての、救済の一つの形式が示されているように思います。シェレスト
このキャラに関してはストーリー的な部分よりも、 「主人公の頭の中に寄生する声」という設定に本質が表されているように思いました。
シェレストの設定に触れた際に思ったのは、 いわゆる精神病の「幻聴」が、典型的にこういう感じなのではないか? ということです。
私自身は実体験はないのですが、 そうした幻聴の多くは、自分を常に監視して、事あるごとにツッコミを入れてくる声であるらしい。
現代社会においてはそうした「声」が聞こえるのは「心の病気」ということになってしまうわけですが、 時代や文化によっては「神の声」であったり「精霊の声」であったりする。 その声には人間的な自己を超越した特有の重みがあり、時には助言のようなものも含まれていたりする。 「頭の中に寄生した宇宙人の意識」であるシェレストも、そうした「声」の系譜に属するものと言って差し支えないのではないでしょうか。
本ゲームはどのルートも「主人公がシェレストに遭遇するところから始まり、学園生活を経て、シェレストが宇宙に帰るところで終わる」というフォーマットになっています。 してみると、ゲーム内で展開される全体を、 主人公の「統合失調」的な夢幻様体験として発生した精神的な変革の過程(イニシエーション)として読むことができるのではないか?
その内容はまさに「自己意識の処遇を巡る物語」、つまり「見る者としての自己」と「見られるものとしての世界」 という二元論的な「自己・世界」という意識構造の崩壊と、問い直しの物語です。
いつかまた、この星に来ることができたらね
僕は一つの大事なものをさがして、旅をすると思うよ
それが見つかった時、僕は本当の僕になる
シェレストが言っていたこのセリフの直接的な意味は、本文を一読した限りでは私には明確には分かりませんでしたが、 自他の分裂という人間的宿命に対する、ある種の決着を意味しているのではないか……と(勝手に)想像しました。
まとめ
宇宙人要素の存在をどう受け止めるかで、本作品に対する印象が大きく変わってくるのではないかと思います。 もっと素直に学園モノのギャルゲーとして楽しんでもいいのだろうとは思いつつ、 それ以上の「何か」の気配を感じ、私なりに「深読み」する読み方をさせていただいた次第です。
続編が構想されていたようですが、公式サイトによると、制作は中断しているようですね。 どういう内容が構想されていたのか想像が膨らむところですが、 続きは読者一人一人の心の中に託された、と解釈しておきたいと思います。