藍の宇宙から ~未確認お兄ちゃんと異星人~
【システム:END3つ】 【目安総プレイ時間:90分】 【制作:くまのこ道様】
主人公のコトノは架空の「理想的なお兄ちゃん」に憧れる「お兄ちゃん属性」好きの少女。 ある日突然、「兄」を自称する見知らぬ男性との同居が始まった。 しかし彼は「理想の兄」とは真逆の人間。ドジで頼りなく、その姿はまるで弟。
全ての原因は宇宙にあった。 宇宙規模の家庭内ストーリーが始まる。
[このゲームが公開されているページ]
https://www.freem.ne.jp/win/game/18490
[公式サイト]
https://kumakumaf.amigasa.jp/oni/oni.html
■ プレイガイド
ENDは3種類。途中の選択肢でルートが分岐します。
キャラクターの好感度を上げて攻略するゲームというよりは、 物語世界を異なる角度から体験するために分岐が設けられているという趣き。 3つあるルートのどれに進んでも、それぞれに新たな発見が得られます。
■ 感想(ネタバレ)
「年下」&「お兄ちゃん」という矛盾した属性をコミカルに味わえる内容でした。
それにとどまらず、宇宙的な視点を背景に、人の魂の在り方や、人類の未来像を示唆するような要素もあり、
感想を書き出すとついつい長くなってしまいます。
というわけで、以下ネタバレ全開でお届けします。未読のお友達はご覚悟ください。
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私がプレイしてクリアした順番(END3、END1、END2)に各エンドの感想を書いていきます。
・END3:ヨフィリー編
シュウタ(兄)の宇宙アカデミーでの友人であるヨフィリーとの恋愛ルート。 このルート自体ではあまり作品本編の核心は明かされることはなく、 扱いとしてはあくまでサブキャラなのかなと思われますが、 ルッスメル星人の生き方の話が興味深いですね。
フィクションに出てくる宇宙人というと何となく地球人より長命という設定が多いような気がしますが、ルッスメル星人は短命。 そして、その短い生涯の中で高潔に生きて魂を磨くことに価値を見出しているという。 「骨格標本」のくだりは印象的です。
人はなぜ「内面の美しさ」を求めるのか? 一般論としては、「どうせ死んでしまう」ということが、人によっては「投げやりに生きる」ことにつながる場合もありそうですし、 あるいは逆に一部の「スピリチュアル」などが説くように「魂は永遠」であるからこそ、 そこに、究極的な「善」へと向かう終わり無きプロセスが見出されるというような場合もあると思われます。
ただ、そうした(ある意味極端な)観点ではなく、我々の日常的な感覚に寄せて考えてみると、 自分が「いずれ必ず死ぬ存在」であることの「無自覚さ(=日常感)」こそが、「不真面目さ」につながりがちであるような気はします。 「時間を大切にする」という言葉がありますが、これは「仕事の効率化」といった即物的な意味ばかりではなく、 自分や身の周りの物事や人々の「巡り合わせの貴重さ」を自覚し、大切にするという意味でもあろうかと思います。
その意味で、常に自己の死(限りある生涯)を意識しているルッスメル星人が 「魂の高潔さ」を重視するというのは、観念的な思弁にとどまらない、実感のこもった設定のように感じます。 そして、そんなヨフィリーから、ある意味で「普通の地球人の代表」であるコトノに向けて 「お主の骨格標本はさぞかし美しいであろうな」 と告げられるのは、(勝手ながら)同じ地球人として嬉しいことであるように思いました。
ちなみにこの点で、後述の悪役「カロン」が「気の遠くなるほど一緒に天の河を眺めよう?」 と言うのは、何もかもが対照的ですね。
・END1:シュウタ編
全体を振り返ってみると、兄の存在を知らなかった主人公と、実は存在していた兄との短い邂逅の一幕でしたね。 主人公は自他ともに認める「お兄ちゃん好き」ですが、 その「お兄ちゃん」というのは「背が高くて、頼りになって……」などのイメージで作られた「概念」であり、現実には存在しないものなのでした。 そこへ出現した本物の兄であるシュウタは思い描いていたのとは真逆の姿。見た目はむしろ弟のようであり、呪いの影響とは言えドジで頼りない。 しかも長年離れて暮らしていたため「兄妹」として共有している思い出もない。
ところで私事ですが、昔、とある「妹もの」のラノベを読んで思わず「妹っていいな〜」的なことをつぶやいたら、 実妹がいる知り合いから「そんないいもんじゃないぞ」と言われてしまったことがありました。 一方、私には姉がいるのですが、フィクションの「姉もの」に関しては、 どうしても現実の姉の姿が脳裏にチラついてしまって「うーん……」と思ってしまう部分があったりもします。 立場を変えれば姉の方でも私の存在が邪魔になって素直に楽しめないジャンルのフィクションがあったりするのかも知れず、 実に「現実」はままならないものだなと嘆息するばかりであります。
一般論として、現実には存在しないからこそ理想像を構築できる、ということはあるのだろうなとは思うところです。 本作品の主人公は、まさにその状態から物語を歩み始めるのでした。
シュウタ自身はあくまでも普通のいい人なのですよね。 主人公が思い描いていた「お兄ちゃん像」とのギャップがキャラクターの印象として強烈に残りますが、 本人自身を個人として見れば、宇宙に留学するほどズバ抜けて優秀という以外、特に強烈な個性があるわけではない。 このルートを全体として見れば、 主人公がある意味では勝手に思い描いていた「理想像」を克服して、 実物の人間としての兄・シュウタと、地に足のついた関係を持てるようになる物語と言えるのかもしれません。
主人公がその境地に達したところで物語としては終わっているわけですが、 冒頭では「架空の兄」に夢中になって将来の進路も真剣に考えていなかった主人公が、 結末では宇宙にいる実在の兄に会いに行くため宇宙工学を志すようになっている。
有り体に「夢から現実へ」などと言ってしまうと、いかにも「夢がない」ですが、 本作品の内容はそういうお説教じみた意地悪さを表現したものではないと私は思います。 何しろ向かう先は「藍の宇宙」なのでした。 「藍」に込められた意味については本文を一読した限りでは明確には把握できませんでしたが、 そこはきっと地上の「現実的」なしがらみを良い意味で乗り越えた場所なのだろうなと、私なりに勝手に予感しております。
プロローグを読み返すと、
「──これは、地球人類がまだ、それほどに宇宙へ進出していなかった頃のお話」なのでした。
つまり物語の舞台は「文明統制」の対象になっている時代(現代?)の地球であり、
異星人の存在は一般には秘匿されているわけですが、
「既にそうではなくなった時代」からの視点で、実は語られているお話だったようです。
シュウタが宇宙に留学した理由について、「優秀だったから」という以外に何かあったのかと言えば、 一読した限りではですが、本人なりにこれといった動機があった様子はなさそうな感じです。 しかし結末では、妹にいつでも会える状態になるように「自分が出世して地球人の地位を向上させる」となっています。
おそらくですが、何年後なのかは分かりませんが主人公たちの「夢」は叶って、 地球の「文明統制」は解除されたということなのではないかなと推測します。
シュウタも主人公も、何か超能力があるとか高貴な血筋であるとか、そういう特殊な存在ではありません。 しかし離ればなれに暮らして距離的・文化的には断絶を味わうことになっても、物語を通じ、お互いに現実の人間同士として想い合う心を持つようになった。
そういう、さりげなくも当たり前で、 しかし実際には「期待」や「イメージ」で妨げられがちな他者への「愛」を育むことが、 つまるところ「地球人の地位の向上」ということなのかもしれない……などと思ったりもしました。
なお、
> 現実には存在しないからこそ理想像を構築できる
↑と、上では申しましたが、主人公の「お兄ちゃん好き」自体は、記憶にはないけれど幼い頃にシュウタとの関係があったからこそではないか、と
本文中で仄めかされている箇所があるのは興味深いですね。
もしかすると世の中に数多存在する「○○好き」(架空のキャラ像としての)の中の何割かは、本作品のような背景を秘めているのかも……と妄想が広がったりも。
あるいは、さらなる深読みをお許しいただければ、
日常の我々が持っている「他者像」も、コトノの「兄像」と同様に、「期待」や「イメージ」で曇りがちなものではありますが、
そもそもそうした「像」を持つのはなぜかと言えば、
その根源の根源に(抽象的・純粋な)「他者への想い」があるからこそ、ということなのではないか?
「像」は「架空」だとしても、その「想い」や、それを持つ所以というものは紛れもなく「ある」のであり、
人類が潜在的に秘めている「よさ」として希望を見出し得る部分と言っていいのではないか……なんてことを思ったりもしました。
・END2:カロン編
これはカロン編というよりはシュウタ編のBADなのかも? 他のルートに比べると分量が短く、オチもコメディっぽい感じで終わっています。 しかし悪役として登場する「カロン」の存在感が大きく、内容的に興味深いものを感じます。
知的生命体の負の感情を餌とするという悪意の集合体であるカロン。 この時点で既に興味深いですが、そこにとどまらず「負の感情にはもう飽きた」と言って主人公を手に入れようとする。 そして主人公が突然性格が変わったかのように「私だって宇宙に行ってみたい!」とカロンについていこうとする。 この豹変は、コメディっぽいオチへの怒涛の雪崩展開と言ってしまえばそれまでなのかもしれませんが、カロンの「呪い」の力だとすれば侮れません。
カロンはルッスメル星人と違って半永久的に生きる存在らしく、この点でヨフィリーとは対照的ですね。 短命ゆえに「高潔さ」を旨とするヨフィリーと、限りなく自分の欲望を満たすことに忠実な「悪意」のカロン。
ちなみに「カロン」は古典ギリシャ語で「(内面を含んだ)美」 という意味や、冥界の川の渡し守の名前だそうで、 後書きによれば作者の意図とは異なるようではありますが、偶然だとしても、いろいろと想像が膨らむ気はいたします。
ストーリーとしては「これから一体どうなっちゃうんだ?!」というところでコメディ的にストンと終わる形になっていますが、 内容としては続きが非常に気になるテーマです。
・番外編:タギノ氏
もう一名、ルートはなかったのですが存在感があったのがタギノ氏。
「文明統制派vs反文明統制派」という宇宙規模のイデオロギー対立。
統制派に属し「優秀な人材」を欲しがる宇宙アカデミー。
そして反統制派の活動家として、シュウタ編で悪役を務めるのがタギノ氏。
本文中ではあまり芯のある人物としては描かれなかったような印象もありますが、 私としては彼の思想や本心や、そこに至った人生などがどのようなものなのかと興味を惹かれました。 シュウタ編から分岐するEND2はタギノ氏のルートかも、と予想しながら読んでおりました。
シュウタ編ではシュウタの純粋な(?)想いの前でタギノ氏の「正義」は空回りしてしまいますが、 宇宙アカデミー(統制派)が自分たちの立場を強めるためにシュウタのような優秀な子供を(本人の意志に反して)利用している という可能性は、シュウタの場合はたまたまそうではなかったのだとしても、ありえる話のような気はします。 また、「文明統制」という思想が惑星間の格差を拡大させ、支配者に都合がいいものとなっているというのも、 その「統制思想」に対する批判としては一理あるのではないかとも思えます。
今回はタギノ氏にはあまりいい役(or人格)が回ってこなかったようですが、 反統制派の視点からのストーリーも読んでみたいですね。