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ノベルゲーム・ADVプレイ報告&紹介

4 seasons , 4 girls !!

【システム:選択肢あり4ルート(15歳以上推奨)】 【目安総プレイ時間:2時間】 【制作:てしらま様】

ヒロイン4名+男主人公の学園ギャルゲー。
基本的には恋愛ものですが、「ヤンデレギャルゲー」ということで猟奇展開が含まれるため15歳以上推奨となっております。
フルボイスなのも見どころ(聴きどころ)。

[このゲームが公開されているページ]
https://www.freem.ne.jp/win/game/31020

[作者の公式サイト]
https://nnnnhorigotatsu.web.fc2.com/4seasons4girls.html

■ プレイガイド

プロローグ(共通ルート)の後にルート選択があるので、キャラごとのルートには確実に入れる作り。 その後、選択肢を経てBADまたはHAPPYエンドに至ります。
どの順番で読んでも問題ない内容ですが、 作中の時系列では、春・夏・秋・冬、の順になっている模様。選ばなかったルートの様子を想像するのも面白い。 (例えば「冬」を選んだ場合、春から秋の間に彼らはどう過ごしていたのか?などなど)

複雑なフラグ立てはなく、途中で詰まってしまうようなゲーム性ではありません。 1ルート所用時間は約30分。

2周目以降はプロローグをスキップできる親切設計。 しかし、キャラごとに内面の設定が細かく練り込まれているようで、 後でプロローグを読み返してみると何気ないセリフの裏の意味など、新たな気づきがあったりもする。

■ 感想(ネタバレなし)

「ヤンデレ青春フルボイスギャルゲー」の看板に偽りなしという感じです。 学園ギャルゲーらしい明るい展開と「いかにも」な展開が共存しており、 難易度低め&お手軽規模ですので、これらのジャンルが好きな人なら確実に楽しめるだろうと思われます。 個人制作なのにフルボイスというのも気合を感じますね。 ただしジャンルの特性上、猟奇的な表現が出てくるので、そこは覚悟しておいた方がいいかもしれません。

■ 感想と考察(ネタバレあり)

最初に白状しておくと、いわゆる「ヤンデレ」というものを私は普段あまり摂取しない人間です。 ですので「食べ方の作法」を知らない。 なので、たとえて言えば「お寿司をソースで食べる」ような愚を犯しているのではないか……という不安があります。 私は感想を書くべき人間ではないのではないか? そんな思いもあったりします。 ですが一通り読了した後、いろいろと感じるところがありましたので、自分なりの言葉で整理しておきたいと思った次第であります。

まず全体的なこととして、学園モノのギャルゲーとしては普通に「楽しめた」と思います。 しかし、各キャラに設けられた猟奇展開をどう受け止めればいいのか? 「"ヤンデレ" ってそういうものだから」ということで、そのまま胃に流し込めばいいのか?

それにしては、ただ何の意味もなく猟奇要素を入れてあるだけとは思えない。 これは何かがある。何かがあるぞ……! と勝手に思ったので「ヤンデレ」という言葉が世の中に存在しないつもりになって、 私なりの解釈で、各キャラのストーリーを考察してみることにしたのでありました。 (作者の意図とは全然違うかもしれませんが、1プレイヤーとしてこういう読み方をしましたよ、ということでご勘弁いただければ幸いです)

※以下ネタバレ全開
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湯処ほほろ編

一読した印象では、親友でもあった筈の恋敵(てん)を撲殺する猟奇展開に目を奪われます。 しかしほほろの本質はむしろ、「他人を欺きながら生きる孤独さ」にあるように思いました。 あるいは「表の顔と裏の顔」と言った方がいいでしょうか。

主人公に好かれるために「誰もが認める女の子らしい女の子」のキャラを身につけること。 「家庭的な女の子」という表の顔で部室のお茶くみ係を買って出ながら、書庫(兼 給湯室)で主人公の湯呑を舐めていること。 主人公とてんには内緒で、一人でタイムカプセルを掘り出して中身を見ていたこと。 そしてBADルートでの、行方不明と見せかける工作をした上での殺人。

他人にバレなければ何をしても構わないと思っているようなフシがあり、 それが本来の自分自身を「表の世間」から遠ざけ、どんどん孤独に追い込まれていっている。

人は誰しも他人に見せるために作っている表向きの顔と、人には見せられないプライベートな姿があります。 そういった意味では誰もが共感できる部分があるのではないかと思います。

・「ほほろの中の怪物」

部室の書庫で一人になったとき、時計を見て独白するシーンが興味深いですね。

"きっと誰にも見られていない間は、こっそりと時を刻むのをサボって止まってみたり、必要以上に急いでみたりしているのだ。"

時計とは、本来は客観的に時を刻むパブリックな存在です。 その対極的な位置にあるプライベートな領域、誰にも見せていない自分の心の中。

自分だけの時間

「時計」ということに絡んで主人公とてんとの「幼なじみ3人」という関係が時とともに変化を余儀なくされることへの抵抗も感じられる気がいたします。

"1秒……2秒……3秒……4秒……
  時が進むごとに膨らんでいく心の中のぐちゃぐちゃしたモノ。
  ほほろの中の怪物を、退治する事なくただほほろは見つめている。"

・タイムカプセル

タイムカプセルをほほろが密かに一人で掘り出して開けていたらしいことが終盤に判明しますが、 時系列的にはどの時点で開けていたのでしょうね? 土の様子が「まるで最近掘り返したような感じ」ということだったので、それほど昔ではない。

主人公が最初にタイムカプセルのことを思い出すシーンで、既にほほろの反応が芳しくないので、この時点で既に中身を見ていたのではないか?

さては自己判断で掘っていた?(→「楽しみ」と言い残して例の「お茶くみ」へ)

おそらくですが、本編が始まる少し前ぐらいの時点、新学期が始まる前に見ていたのではないか? だとするとつまり、読者の立場で見るほほろは、最初から主人公の昔の手紙を見ていたということになる。 そのつもりで序盤を読み返してみるとなかなか感慨深いものがありますね。

このタイムカプセルを掘るか掘らないかがBADとHAPPYの分岐点になるわけですが、これには2つの意味がありますね。 1つは主人公が、てんのことを好きだった過去を掘り返さずに、現在の自分を選んでくれた、ということ。 それからもう1つは、主人公がほほろと一緒に嘘をついてくれたこと。

何かを訴えかける目

幼なじみ3人の三角関係という意味では、他方を捨てて自分を選んでくれたことに直接的な重要さがあるということになりそうですが、 「他人を欺くことの孤独さ」の中にいるほほろにとっては、 主人公が「タイムカプセルは無かった」と嘘をついてくれたことの意味こそが大きいのではないか? 元はと言えばほほろが一人で密かにタイムカプセルの中身を見て、そのことを黙っていたわけですが、 このシーンでは主人公の方から、てんに向かって嘘を言った。 そこに素早く乗っかってくるほほろも流石と言っては何ですが、まるで待ち構えていたかのようですね。 「待ち構えていた」などと言うと印象が良くないですが「待ち望んでいた」と言うべきか。孤独の解消。

BADルートの方では、主人公は「てんを殺害したこと」の共犯者としてほほろに縛られる運命となるわけですが、 HAPPYルートの方でも同様に、「タイムカプセルの件で嘘をついた」共犯者になっている。 いずれにしても「他人の目を欺いて孤独に生きてきたほほろ」の「孤独な舞台裏」に主人公が「共犯者」として加わる形になる。

BADルートの方はシンプルに惨劇である以上に、「共犯者」ではあっても「恋人」としては結ばれないという悲劇ですが、 HAPPYルートの方では単に恋人関係になれたことだけではなく、二人の関係を周囲に公言して「公認カップル」になることで、 「孤独な舞台裏(プライベート)」と「表の世間(パブリック)」との間に一本の架け橋が出来たことこそが「救い」としての要点ということではないかと思います。

いつもはほほろがお茶くみ係でしたが、このルートのラスト直前の部室の場面では、がらすがコーヒーを淹れると申し出ている。 つまりこの時点でほほろは、みんなの目を盗んで書庫で主人公の湯呑を舐めるという奇行をしなくなっていると思われます。

今までは「率先して」お茶くみをしていたが……

他のキャラのルートでも言えることですが、主人公と結ばれることでヒロインの奇行が鳴りを潜める。 いわば各々の奇行は各々の心のSOS信号であり、主人公との関係の進展を経て心の問題が解決に向かう。そのような全体的な縦軸が見えて参ります。

"これからはもっともっと、ふたりだけの思い出もつくっていこうねぇ♪"
(↑ちょっと怖い)

しかし他のキャラのルートでもそうなんですが、 「HAPPY」と言いつつ、相変わらず火種を抱えているようなところがあり、むしろHAPPYルートでヒロインが見せる笑顔に怖さを感じる部分があったりも。 いっそ全員標本にして、使わないコレクション部屋に片付けてしまいたいですね(解決!)。

鮎魚女てん編

主人公の身体の一部を欲しがるという猟奇的な奇癖の持ち主。 クリア後のキャラ紹介によると「ナチュラルサイコ」とのことですが、 作中で初めて「指、くれない?」と言った時点で主人公が驚いていますので、 幼なじみとして長年付き合う中ではそういう兆候は全くなかったものと思われます。少なくとも主人公には気づかれなかった。

"俺の知っているてんは、こんなことを言うやつじゃない"

おそらくですが、過去に恋愛経験はなさそうですし、 誰かにそういうおまじないのような話を聞いて、真に受けてしまっていただけだったりするのではないか……?

本人も直後に「あたし何言ってるんだろ」と「まるで魂が抜けてしまったかのように」つぶやいているあたり、 何か悪い霊が乗り移って喋っていたかのようにも見えます。 しかし本作は基本的に霊的なものは出てこない世界観なので、その可能性はなさそうか。 ということはやはり設定にあるとおり、 本人の中に、本人も自覚しない形でそういう素質があって、三角関係の確執が表面化するに伴って 今まで隠れていた奇癖が目覚め始めた……ということかな?

正気に戻った

作中で最初に「奇癖」を言い出した時点では、自分でも非常識なことを言っているという自覚はあったようですね。 その後、感情的になるにつれて自分でも制御できないレベルにまで暴走していった……ということかなと思われます。

・「ほほろ-てん-主人公」の三角関係

主人公の煮え切らなさが災いを招いている感じがしますね。

他のキャラのルートでもそうでしたが、仲良しグループとしての現在の人間関係を壊すことを誰よりも一番恐れているのは主人公であるように思えます。 4ルート中で唯一自分から告白したつゆこ先輩のルートでも、結局「他のメンバーには黙っていよう」などと言い出し、それがつゆこの暴走を招いたフシがある。

がらすルートの場合も、時系列的に「冬」ということは春・夏・秋の間、他の誰とも一線を越えることなく生ぬるく過ごしてきたということであり、 そのツケが全てがらすルートに回っているのではないか?

この点については、てんルートで最も明確に取り扱われており、 最後の選択肢がまさに2人の関係を「話す/話さない」で分岐する形になっている。 HAPPYのルートでも、HAPPYと言いつつほほろとの関係は壊れてしまっている。 前進するために、何かを捨てる必要があった。 全てを引き止めておこうとするのは何も選ばないのと同じなのかもしれない。

この「選別」というテーマは、がらすルートの主題にもなっていますね(それについては後述します)。

・言葉が信じられないということ

全キャラ共通して何らかの猟奇性を発揮するのが本作の見どころ。 てんの場合は「主人公の身体の一部を欲しがる」のがその要素ということですね。

言葉は信用できない

ではさて、てんにとって「主人公の身体の一部を手に入れる」とはどういう意味があるのか? 告白をしたのはてんの方からでしたが、主人公の態度は煮え切らず、「好き」と言われても信用できない。 「本人の言葉」が信じられないから、「物体としての身体」を手に入れたい、という物質主義。 この点でも、人間を標本にして保存しようとするがらすルートの主題と重なる部分がありますが、 がらすの場合は「命の永続化」に重きがあったのに対し、てんの場合は「自己評価」に関わる話ということかなと思います。

・「自分に自信がない」とは?

てんが奇行に走った理由として「自分に自信がなかった」という理由が語られます。 主人公に好きと言われても、自分が好かれるなんて信じられない。だから「証」を求めて惨劇になる……と。

しかし、てんの普段の言動は常に積極的であり「自分に自信がない人間」のようにはとても見えない。 このギャップはどういうことなのか?

おそらく、てんは他人を物質的にしか認識していないのではないか? だからこそ、大胆に振る舞うことができる。

そういえば「一日一善委員会」を作ると言い出したのもてんなのでした。 部活を作るときの言動にも、他人を自分の目的のために利用するコマとしか思っていないような傍若無人ぶりが垣間見えますね。

つゆことがらすは「まぁ2人くらい」の扱い

文芸部が潰れたことを気の毒がる素振りも見せず、部室が手に入ることを喜ぶ。 元文芸部員だったつゆこ先輩に対しても、相手の気持ちを考えず、自分の部のための頭数の1つとしか認識しない。 「高校に入ったら部活を作るって決めてた」「あたしが部長をする」などというのも、支配欲の現れのようにも見えます。 プロローグは初回プレイのときに1回見れば次回以降はスキップできるので見過ごしてしまいましたが、 あらためて読み返してみると、てんのサイコパス気質が随所に滲み出ている感じがします。

他人を物質的にしか認識していない人間が「善いことをする部を作る」というのも奇妙な気がしますが、 何が「善」なのかというのは本来は真剣に考えれば非常に難しい問題であるはず。 一人一人の心に寄り添うような感性がないからこそ、観念的に「善いことをする!」と軽率に宣言できてしまう……という面があるのかも。

しかし、そんな彼女が主人公との恋愛においては「自分に自信がない」と言う。 というより、他人を物質扱いするような人間がなぜ恋愛をするのか? ここはむしろ、「奇癖」の因果関係を逆に考える必要があるのかもしれない。

・「物質を所有する」vs「他者との心の交流」

物質は「所有」できるが、他者の心は本質的に思い通りにならない。 目に見えず手で触れることもできない。それが他人の「心」です。

てんのことを、単純に他人の「心」に全く興味がない人間だと決めつけてしまうと解釈に無理が生じてしまいます。 むしろ元来は自分に自信がないからこそ意図的に他人の心に対する感受性を閉ざしているのではないか? たとえばピアノの発表会のようなときに緊張をやわらげるために「観客はカボチャだと思え」みたいなこと言うのと同じような感じです。 そういう態度が常態化してしまうぐらい本来は人の目を気にし過ぎてしまう繊細な人間なのかもしれない。

強引に見えて、気にしがちなところも

しかし主人公と恋愛関係を進めるためには、カボチャではなく生身の「他者」としての主人公に向き合わなければならない。 そのハードルを乗り越えることこそが、てんにとっての課題(ストーリーの縦糸)だったのではないか?

何を言っても不安

言葉で「好き」と言われれば「どうしようもないくらい嬉し」くなる。 しかし言葉だけでは信用できず不安になる。 主人公が態度で示してくれなければ、殺して物体として手に入れるしかない(BADルート)。

HAPPYルートの結末では奇癖が鳴りを潜めています。ということは、 主人公に「選んでもらえた」ことが、心に響いたものと思われます。

「なかを、ありがと。あたしを選んでくれて。 あんたのことも、あんたが選んでくれたあたしのことも、 もうちょっと信じてみる」

他人を物体扱いしたままでは、自分が相手を「所有する」ことはできても、 相手から自分を「選んでもらう」ことはできなかった。

自信がないからこそ他人を物体扱いしていたが、そのままではいつまでも自信が育たない。 自分を信じられるようになるには、物体ではなく心を持った他者から「選んでもらう」体験が必要だった。

てんの奇癖がそのように他者との関わり方の問題に起因するものだったのだとすれば、 クライマックスでの主人公の英断が救いになったというのも頷けます。

しかしラストの「だからこれからも……あたしの一番近くにいてよねっ」というセリフに、 やはり今後も残り続ける不穏な火種の気配が……(流血の予感)。

花菱つゆこ編

4人の中で唯一、主人公の方から告白した相手。 猟奇性に関しても、表に出てくる部分に関しては直接的には暴力沙汰が描かれない唯一のキャラ。

主人公のために「何でもする」と言って主人公の気に入らない人間を消すのが彼女の「異常性」ですが、 そのために裏で一体何をやっているのかは謎。 おっとり系文学少女と見せかけて、実は暗殺拳か忍法の達人だったりするのでしょうか。誰か二次創作を作って欲しいですね。

最後の選択肢で一見すると肯定的に思える方の選択がBADにつながるというのも他のキャラと比べて異色ですね。

・やはり煮え切らない主人公

告白したのが主人公からだったとは言っても、結局他のルートと同様に「他のみんなには黙っていよう」などと言い出し、 それがつゆこの焦りを招いたフシがあるような気はしますね。 「何でもします」発言が出たのも、まさに電話で「黙っていよう」と決めた直後のことでありました。

汎用性の高いセリフ

しかし終盤、電話口での説得だけで奇行の発動を避けることに成功しているあたりは、話が通じる理性が残っていたようですね。 さすがに読書好きというだけあって、てんと違って言葉を信用しているということのようです。

・「何でもします」という発想

相手を自分の手元に引き止めておくために自分の全てを相手に捧げることが本作におけるつゆこの「異常さ」ということですが、 この発想はどこから出てきたのか?

進路に関して、自分の希望を押し殺して親の言いなりになろうとしているあたり、 自分の本来の姿を出せば他者からの愛情を失うのではないかという恐れを潜在的に持っていたと思われますが、 「何でもします」のアイディア自体は文化祭のメイド喫茶がキッカケだったのではないか?

喫茶店のメニューに「何でもする」を入れるという案を出したのはほほろでしたが、 それを聞いたつゆこは絶句している。つまり、この時点ではそういう発想は持ち合わせていなかったものと思われます。

あなた今、何でもするって言いましたね?

告白の場面が文化祭の後夜祭でメイドの衣装を着たままだったことも影響しているのかも? 「メイド(奉仕する者)」の姿だからこそ自分を「見つけて」もらえたのだ、とパブロフ的に学習してしまった。

・2つのポエム

つゆこ先輩の作と思われるポエムが作中で2つ登場。それぞれ主人公に告白される前と後に対応しているようですね。 告白前のポエムは以前文芸部の冊子に載っているのを主人公が見たと言っていたものだと思われます。

──それは未だ 朽ちていない
私の核を啄む 苦渋のまぼろし
落ちる 堕ちる
永遠なんて 奇跡なんて
私は シンデレラにはなれない
だけど 心が冀求する
私の翼を照らす 煌めく真実
駆けて 翔けて
その先に 貴方がいるなら
どうか 学生靴(ローファー)にキスをして──

自分の希望や欲求を諦めたわけではないけれど、自分から行動する勇気がない心境という感じがいたします。

そしてもう一篇のポエムが登場するのが文化祭での告白の直後。 そのときの心境が表現されているものと思われます。

──春風よりも暖かく 清新に
くるくる くるくると
貴方が 私の周りへ 馴染んでくる
シンデレラになれないはずの
私の胸へ 漲る恵みを
するする するすると
貴方が 私の元から 離れられないように
じっくりと 熟成した  (スイーツ) を──

自分からは行動できずにいたけれど、主人公が自分の元にきてくれたことの喜びが感じられるようです。 だからこそ、主人公を確実に引き止めておきたい……という情念も感じられますね。 しかし、自分から「毒」という文字を使っているあたり、一応「悪いことだ」という感覚はあるようです。

・奇行の理由

奇行の発動はHAPPYルートであれば電話口での主人公からの説得で回避できているわけですが、 そこでつゆこの言う「怖いんです」とは何が怖いのか?

「私を知ってもらって、貴方に嫌われてしまうこととか…… 貴方に災厄が降りかかるかもしれないことが、です」

ここでいう「私を知ってもらう」とは、自分の「ああしたい、こうしたい」という欲求を表に出すこと、という意味かなと思います。 「災厄が降りかかる」とはおそらく文学少女的な語彙であって、普通に言うなら「迷惑がかかる」の意味だろうと思います。 だからこそ、相手の希望に合わせて「何でもする」という話になってくるわけですね。 相手の希望どおりに振る舞う限り、嫌われることも迷惑になることもない筈だ、と。

そう考えてみると、ほほろのテーマとも関連してくるところですね。 ほほろの場合は、主人公に好かれるために、「女の子らしい女の子」のキャラを身につけようとした。 つゆこの場合は、主人公を引き止めておくために、相手の希望を聞いてそれに合わせようとした。 手段は少し違いますが、「本来の自分」を出すことを怖れているという共通点が見えて参ります。

ほほろの場合は、本人の努力が空回りしているのがある意味で幸運なことだったようにも思えますが、 つゆこの場合、奇行が発動すれば、作戦が(一応ひとまず)成功してしまうんですよね。 そうなってからでは遅いので、誘惑に耐える意志の強さが主人公に求められるところか。 そう考えると、電話口ではなく、部屋につゆこが来た段階でも引き返すチャンスはあったように思いますが、 そこで主人公が理性を保てなかったのは悲しい展開ですね。

異なる他人同士として、適度に距離感を保ちつつ関係を育んでいくことの難しさと、 そのバランスが崩壊したときの危なさというものを感じます。 自分に自信がないから他者と対等な関係を築けない。この点ではてんのテーマとも絡むところですね。

真綿離がらす編

がらす編の季節は「冬」。つまり作中の時系列的には一番最後になるルート。 ということは、春・夏・秋の間、主人公と他のキャラの関係には何も起きないまま仲良しグループを維持してきた世界線というわけです。 BADENDのタイトルがズバリ「選別」となっており、 主人公が誰も選んでこなかった優柔不断ぶりが当ルートのストーリーに凝縮されているように感じます。 したがって、当ルートは作品全体にまたがる総まとめ的な役割もあるのではないかと思われます。

・2つのテーマ

「生きている生物が苦手」というのが、がらすのキャラ特性として最初に目立ってくる部分です。 それに加えて物語の後半になってから上記の「選別」というテーマが浮上してくる。 この2つにはどういう関係があるのか?

・てんとは別種の物質主義

生きている人間よりも物体としての「身体」を欲しがるというあたりは、てんとも共通しているところですね。

てんのルートでは、保存をどうするのかな? などと読んでいて思ってしまうところですが、 おそらく本人にそういう冷静さはないのでしょうね。 一方、がらすは主人公を標本にして「永遠に」保存しようという計画性を持っている。 ここにはマッドサイエンティストの娘らしい冷徹さがあり、 正気を失っているてんとは別種の怖さがありますね。

てんの場合は言葉が信用できないから身体の一部を物体として所有したいということでしたが、 がらすの場合は終盤での主人公の謎解きによれば、妹を失った悲しさ、 つまり生きたままでは死ぬから、標本にして保存した方が安心できる、という脈絡であり、 より直接的に「生と死」というテーマが見えて参ります。

・生きている=話ができる

てんとがらす、両者それぞれの形で「生きている」とはどういうことか? を逆説的に示してくれていますね。 生きている人間は言葉を話すが、言葉が本当かどうかは分からない。 生きている人間とは会話ができるが、そのうち死んでしまう。 死体にしてしまえば思い通りになり、保存も可能だが、心と心の交流は不可能になる。

てんの「言葉が信用できない」と併置するなら、がらすは「命の永続性」が信用できなかった。 だから、てんのルートでは主人公が言葉よりも「態度で示す」ことが救いになった。 がらすの場合には、生きている間に「お互いを知り合う」ことの価値を主人公が示したことが救いになった。

でも、俺は生きてる。
お前が好きと言ってくれた俺は、まだ生きてるんだ

人間は生物である以上、いつか必ず死ぬ存在です。 そうであるにもかかわらず、生きていることに意味があるとすればそれは何か?

そして、生きてるからこそ、こうやって話せる
俺はさ、がらすのこと、もっと知りたいよ。
お前って、訳わかんないんだもん。
知らずに死ぬのは、嫌だ

・「実験」とは何だったのか?

がらすは主人公に対して何度か「実験」と称して身体的な接触を試みています。それは一体何だったのか?

「ぼくが、君にどれだけ近付けるか。 それでどれほど安心できるか、という実験」

合宿のシーンでも部室のシーンでも、近付いて&安心できていたようですので、 実験としては「成功」なのではないか……と思うのですが、 結局、主人公を標本にするために(殺すために)家に呼ぶ展開になるのですよね。

「生き物が苦手」とは生き物自体が嫌いというよりは、むしろ実は好きなのであり、 しかし好きになってしまったら、死ぬのが怖くなってしまうから、近付かないようにしている、ということかなと解釈。

つまり、主人公に近付いて、心臓の鼓動などの生命の気配を感じて、 その上で「安心できる=主人公が死ぬ可能性を怖がらない」でいられるかどうか、というのが実験の主旨だったと思われます。

それで実験の結果、やはり生きているままの主人公では安心できず、 不安を解消するためには主人公を殺して標本化するしかない、というのが結論だったわけですね。

ただ、ここに関しては次の「選別」というテーマも絡んでくるので、一本の縦糸だけでは把握しきれないところもある気はします。

・「選別」の意味

がらすのBADENDに到達してEND名の「選別」を最初に見たとき、 ああ、なるほど、これはそういう話だったのか、と膝を打ちました。

しかし「そういう話」とはどういう話なのか? 分かりそうで分からない。 何がどう「選別」なのか? がらすルートを単独で見ているだけでは謎が残る気がします。

双子の妹がマッドサイエンティストの父の手で標本にされたということですが、 この件では「選ばれた」のは自分なのか? それとも妹なのか? 率直に考えれば、生存を許された=自分が選ばれた、という意味に思えますが、 標本になることで「永遠」に愛される、という思想があるようですので、 その意味では、妹こそが父に選ばれたと言えるのではないか? がらすの言動からは自分が「残された」ことを悔やんでいるような印象も受ける。

しかし、合宿の夜に怪談として語った「しゃべる標本」の話が妹のことなのだとすれば、 それは「今は使われていないコレクション」の部屋にある。つまり標本となった妹が父に愛されているとは言い難い(すでに飽きられている)。

しかし自分が優秀だから選ばれた、というような優越感をがらすが持っているような素振りはない。 むしろがらす目線では「よく笑いよく泣く、賢くて可愛い妹だった」ということですので、 妹の方が人間として価値があると思っているようです。 だからこそ「なぜぼくが残されたのかが分からない」わけですね。

おそらくですが、マッドサイエンティストの父は、妹が「よく笑いよく泣く」からこそ、 それを疎ましく思って、「動かない」標本にしたのではないか? つまり、生きて動く感情豊かな人間は愛されない。そういう家庭環境なわけです。

終盤の冷凍庫のシーンで、主人公に二者択一を迫ったのはなぜなのか? おとなしく標本にされるか、がらすを殺して生き延びるかの二者択一。 しかもその選択を「父以外で初めて話をした男」である主人公にさせようとしている。

これはかつて父が妹を標本にした過去の再現ということだと思われますが、 なぜ二者択一でなければならなかったのか? 結局、このような再現的な儀式を経て「自分が選ばれる」という形を取る以外に、「愛される」道はないと思っていたということなのか。 しかし、この儀式に則って「自分が選ばれる」とは、つまり「主人公が標本になる」ということなのですよね。 さらに、スタンガンを隠し持っており、結局、主人公の意志がどうであれ、自分の意志を通すつもりだった。 相手に選択肢を与えて、自分の思い通りの選択にならない可能性も想定しつつ、 しかし、相手の意志に自分の身を委ねる覚悟はなかった。

かつて父が自分を選んだ理由がわからないままだったからこそ、 同じ状況を再現して主人公に「選ばせる」ことで、あらためて「理由」を把握したかった……という思惑があったのではないかとも思われますが、 がらすが本来想定していた選択肢では、たとえ自分が選ばれても、「理由」は不明なままになるのではないか? 自分が選ばれる=主人公が標本になる=話を聞けなくなる。 そもそも自分が選ばれない場合にはスタンガンで主人公を制圧する準備をしており、結局、主人公の標本化が目的になっている。 がらす本人が、自分の行動の理由を自分でも把握していなかったのではないか? というふうにも思えてきます。

・他のルートとの比較で見えてくる「主人公の選択」の意味

以上のように、がらすルートだけを単独で見ていると、がらすの行動に不可解さが残る気がします。 しかし、これを「主人公の選択」の問題として他のルートと比較してみると見えてくるものがあるような気がします。

時系列的に「冬」です。従ってこのルートに至るまで主人公は他のヒロインの誰のことも選ばずにきたわけです。 他のヒロインのルートでは常に「ヒロイン1人を選ぶか、仲良しグループのままの人間関係を選ぶか」という二者択一があり、 仲良しグループの維持を諦めてヒロイン1人を選ぶことが求められていた。

しかし、がらすルートではこれが逆転する。 がらすが提示した通りの二者択一の選択肢では、自分かがらすか、どちらかの死を意味する。 しかも、がらすはスタンガンを隠し持っており、主人公が自分の命を選ぼうとしても殺される運命にある。 HAPPYに通じるのは、がらすが提示した選択肢のどちらでもない選択肢なのでした。

今まで別のルートではずっと、何かを捨てて、何かを選ぶ必要があったのに対し、 何も選ばずに「冬」に突入した主人公は、最後まで特定の何かではなく「何も捨てない」選択を貫くことを求められるのでした。

がらすのHAPPYの結末を見る限り、他のメンバーとの人間関係も壊れてはいないようです。

──これから、雪が解けて暖かな春がやって来る。
そしてその先も、俺達は一緒に笑っているだろう。
俺は確かな予感を胸に、
がらすの後を追い部室の扉を開けた。

ここでいう「俺達」というのは、がらすと主人公だけではなく、他のメンバーも含まれているということなのではないか? 何も捨てることなく無事にすべての季節を乗り越えた。 選択肢という現実を超越し、大団円にたどり着いた。 「優柔不断」から「無条件の愛」への昇華!

・「選別」と「生」の間

キャラごとにBADENDとHAPPYENDにタイトルがついている。

キャラBADHAPPY
ほほろ「親友」「特別な彼女」
てん「あたしだけの」「一番近くで」
つゆこ「純粋な黒薔薇」「晴れやかな桜」
がらす「選別」「生」

ほほろ、てん、つゆこのエンドでは、BADとHAPPYの対比の軸がそれなりに見える気がしますが、 がらすエンドの「選別」と「生」はどういう対比軸でつながっているのか? 一見するだけではテーマの関連を言語化するのが難しいですね。

がらすルートにおける「選別」とは、言い換えれば「片方を殺す」ということなのでした。 それに対してHAPPYの結末では、主人公が「何も選ばない=全てを選ぶ」という裏技を見せることで、 両者とも生きる道が開けたのでした。

それを念頭に置くと、「選別=殺す」「選ばない=生かす」という連想が見えてきます。 もう少し間を補って「選別=切り捨て=殺す」「選ばない=無条件=生かす」と考えると、より明確になってくる。

そう考えると「選別か生か?」とは、昨今の「生きづらい」世相の反映のようにも思えてきます。 「強者」が選別され、「弱者」が切り捨てられる。

がらすルートの「選別 vs 生」という軸は、ルートを超えて本作全体にかかっているようにも思われます。 本作の全ヒロインに共通しているのは、「自分が選ばれない」ことの悲しみです。 自分が「選ばれる」ために、あるいは選んでくれた相手を引き止めておくために、 それぞれの仕方で人間としての「心」を犠牲にする。 それがそれぞれのヒロインの猟奇的行為となって表れているということなのではないかと思います。

どっちも選ばない。諦めないぞ。

本作の「冬」ルートで主人公が示したような、押し付けられた選択肢を無視して「全てを受け入れる」ような無条件の肯定こそが、 現代の世知辛い世の中に不足しているものなのではないか? 「冬」を越えて次の時代へ!

まとめ

作者の意図を無視して強引に私の解釈に落とし込んだだけのような、 たとえるならお寿司を分解しておにぎりを作って食べるような愚を犯しているのではないか……と不安は尽きませんが、 私なりにじっくりと味わわせていただきました。 気合の入った作品をありがとうございました!

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