ここは "現実" だろうか?
記憶を辿ってみる。
俺は誰だ?
名前が思い出せない。
なぜここにいるんだ?
今はいつなんだ?
何もわからない。
だが、少なくとも、今見えているノイズやバグだらけの世界が "現実" ではないことは確かだ。
本当に? 本当に確かだろうか? なぜここが "現実" ではないと思うんだ? 根拠を示せ。
なぜなら、ノイズやバグなどというものは "現実" には存在しないものだからだ。
"現実" とはノイズやバグなどなく、キチンと整っているものであるはずなのだ。
人の顔色は緑色ではなく、歩く場所は決まっていて、壁はすり抜けられない。
物にはそれぞれの色というものがあり、重力に沿って一定の面に並べられており、物質は他の物質と同一の空間を共有しない。
そうであればこそ、色は色ごとの意味を持ち、空間には位置関係があり、物質はその形状で意味を持つ。
"現実" とはそのように一定の法則に沿って物事が意味を持つように整えられた世界であるはずだ。
なるほど。"現実" とは意味を持った世界のことか。
しかし人生とは無意味なものなのではなかっただろうか?
ならば "現実" とは、無意味な人生の中で意味を持つように恣意的に作り上げた架空の世界ということだ。
では、俺は今どこへ向かおうとしているのだろう?
バーチャル世界から "出る" だって?
"出る" って、どこへ? どこならば "出た" ことになる?
ここが意味を為さない世界であるならば本望ではないのか?
人生とは無意味なものなのだ。
それなのに、わざわざ "意味のある現実" というバーチャル世界を目指してしまっているのではないのか?
逆戻りじゃないか。