「ごめんなさい。私には何もない。何もないの。だから、私は……」
橋本さんはiPonを傍らの机の上に置いた。
そして、そっと腰を曲げて、両手をスカートの中に入れた。
両手をスカートの中に入れた?!
何をしているんだ?
俺は目を疑った。
橋本さんは、パンツを下ろしている。
靴を脱いで左右の足から片方ずつパンツを抜き取り、靴を履き直している。
こわばった表情のまま、脱いだばかりのパンツをiPonの隣に置いた。
まさか、パンツを賭けるというのか?!
いや、まだだ。橋本さんの動きはまだ止まらない。
服を着たまま両腕を袖の中に引っ込めて、服の中で何やら複雑な動作をしている。
やがて再び腕を袖から外に出し、乱れた胸元からブラジャーを抜き取った。
抜き取ったブラジャーを机の上に置き、代わってiPonを手に取る。
「ちょっと、橋本さん、一体何を……」
ただならぬ気配に、教室に残っていた生徒たちの注目が集まり始めている。
ざわめきが広がり、帰ろうとしていた生徒たちが足を止めて戻ってくる。
人垣の輪から無数の視線が突き刺さる中、橋本さんは淡々とした動作でiPonを持った手をスカートの中に入れた。
電子的なシャッター音と同時にスカートの裾からフラッシュの青白い光が見えた。
見物人の間にどよめきが起きた。
続いて橋本さんはiPonに自撮り用の棒を取り付けた。
少し前かがみの姿勢になって胸元をはだけさせ、上空からさらに一枚撮影した。
もはや何をしているのかは一目瞭然だ。
見物人がいよいよ騒然とし始めた。
橋本さんは乱れた着衣のままiPonを俺に突きつけた。
「今のは、あくまでも私の覚悟を信用してもらうための "あいさつ"。
この中に、もっと "ちゃんとした" やつをいっぱい撮影して保存してある。
ボタン一つでネットに公開することもできる状態になってる」
この中に、もっと "ちゃんとした" やつをいっぱい撮影して保存してある。
ボタン一つでネットに公開することもできる状態になってる」
「橋本さん……自分が何をしているのか、わかってるのか?」
一度ネットに出回ったデータは回収不可能だ。
どこの誰が見るかわからない。今だけじゃない。この先ずっとだ。
デジタルデータはネットワークを通して無限にコピーされ、世界中の不特定多数のコンピュータの記録装置にバラまかれる。
地球上にインターネットというシステムが存在する限り、未来永劫ずっと自分の姿を見知らぬ他人に晒し続けるということだ。
ある日電車で乗り合わせた乗客がネットで自分の体を見たことのある人かもしれない。
就職活動で訪れた会社の面接担当者がネットで自分の体を見たことのある人かもしれない。
将来結婚を考える相手がネットで自分の体を見たことのある人かもしれない。あるいはある日見ることになるかもしれない。
その父親がネットで自分の体を見たことのある人かもしれない。あるいはある日見ることになるかもしれない。
友達の恋人がネットで自分の体を見たことのある人かもしれない。あるいはある日見ることになるかもしれない。
今後一生、そういう可能性から逃げられなくなる。
つまり、これは人生を賭けているということだ。
「だって、私には何もないんだもの。
このまま何もないまま、学校を卒業して、学生でなくなって、何者でもないただの人になって、 人から見下される人生なんてまっぴら。そんなの、生きてても意味がない。
だったら、どうなったって構わない!」
このまま何もないまま、学校を卒業して、学生でなくなって、何者でもないただの人になって、 人から見下される人生なんてまっぴら。そんなの、生きてても意味がない。
だったら、どうなったって構わない!」
早口で叫びながらiPonを横に置き、動画の撮影を開始した。いつでも試合を開始できる。
「やめろー! おまえ何考えてんだよ!」
騒ぎを聞きつけたのだろう。純ヶ崎が血相を変えて、人垣をかき分けて飛び込んできた。
「邪魔しないで!」
一喝。
空気が震え、純ヶ崎の足が止まった。
「勝負に無関係のアンタが手を出したら、私、負けたことになっちゃうよ?」
「だけど、おまえ、そんな……バカじゃないのか!」
「そうだよ。私、バカだもん。アンタに大笑いされるぐらい頭悪いんだもん。だから、こうするしかないの」
言葉を失っている純ヶ崎に背を向け、
「さぁ折原くん」
橋本さんが俺を見据える。
「勝ったら私のすごい写真、見放題だよ? 見たいよね~? だったら頑張って勝たないとね~?」
「折原、おまえ……!」
「アンタは黙ってて!」
青ざめる純ヶ崎へ向け、再びの一喝。もはや周囲の観客さえ静まり返っている。
「さぁ、始めるよ、折原くん」
俺はどうすればいい? 勝つべきなのか? 負けるべきなのか? そもそも選べるのか?
だが考えている時間はない!
「楽しい楽しい真剣マインドル対決の始まりだ!」