静かな室内に盤上にカードを置く音が小さく響く。
「マインドルは楽だな。何も考えなくていい」
「そんなことはないだろ。どんな手を指そうか、って、あれこれ考えるんじゃないのか?」
それとも俺は二葉にとっては何も考えなくても相手ができるぐらい下手くそだとでも言いたいのだろうか?
俺は上目遣いで二葉の顔と盤面を交互に見て、手を指し返す。
「そうだな。だが、相手が何を考えているのかを知る必要はない」
二葉からはノータイムで手が返ってくる。やはり何も考えていないのだろうか。
俺は盤面を見る傍ら、上目遣いで二葉の顔を見る。
盤面は少々入り組んでおり、どう指せばいいのかわからなくなってきた。そして二葉の顔には何も書かかれておらず、見ても何もわからない。
「相手が何を考えてるのかは重要だろう? こういうゲームって、相手の手を読むんじゃないのか? こうやったら、こうされる……とかなんとか」
俺はわからないながらもそれらしい手を選んで指し返す。
「そうだな。だがそれは勝負のために盤上で手を読んでいるに過ぎない。相手の心を読んでいるわけではない」
相変わらず二葉の指し手は早い。俺も一応経験者ではあるが、二葉は俺と違ってずっと続けている現役プレイヤーだからだろうか。
「他人の心を読む、などということができれば、あるいは "勝負の役に立つ" のかもしれないが、そんなことをしなくてもゲームはできる」
盤面に視線を落としている俺の視界の上方から、二葉の声が覆いかぶさった。
俺は少し視線を上に向けて二葉の顔を見てみたが、やはり顔など見ても仕方がない。
俺は盤面に意識を向ける。だが集中できない。
二葉は何を考えているのだろう? 俺はどうするべきなのだろう?
「おまえは Min-Max法というものを知っているか?」
「なんだそれ?」
長考する俺に向けて、二葉が語り出した。
俺は盤面を見たまま、上の空で聞き流す。
「コンピューターでこういうゲームの思考プログラムを作るための代表的なアルゴリズムの一つだ」
「アルゴ……何だって?」
俺は考えるのが面倒になってきて、ほとんど当てずっぽうに手を指した。
二葉は自分の手番になったことに気付かないのか、まるで独り言のように話し続けている。
「Min はミニマム。つまり対戦相手の利益を最小限にする、という戦略を表す。
Max はマックス。つまり自分の利益を最大限にする、という戦略を表す」
Max はマックス。つまり自分の利益を最大限にする、という戦略を表す」
二葉の手が夢遊病者のように動き、盤上にカードを置いた。どうやら自分の番であることは気付いていたらしい。
しかしもはや考える気力のない俺は何も考えずノータイムで手を返す。
「対戦相手の利益を最小限に抑え、同時に、自分の利益が最大になるような手を探索する。
そしてこのとき、対戦相手も同じように、自己の利益を最大にしつつ、こちらの利益を最小にすることを目指して手を選択するだろう、と仮定しておく」
そしてこのとき、対戦相手も同じように、自己の利益を最大にしつつ、こちらの利益を最小にすることを目指して手を選択するだろう、と仮定しておく」
「要するに、どうせお互いに利己的だろう、ってことか?」
「そういうことだな。その仮定にもとづいて相手の手を予測し、自分の手を決定する。
ゲーム盤の上で互いに勝負を争う、という形式である限り、そのように仮定しておけばプレイは可能だ。機械的に次の一手を計算することができる。
目の前の相手が本当のところ何を考えているのか? 本当のところ何を望んでいるのか? そんなことは知る必要がない」
ゲーム盤の上で互いに勝負を争う、という形式である限り、そのように仮定しておけばプレイは可能だ。機械的に次の一手を計算することができる。
目の前の相手が本当のところ何を考えているのか? 本当のところ何を望んでいるのか? そんなことは知る必要がない」
二葉は口を動かしながら操り人形のように手を指し続ける。
俺は俺で投げやりな手つきで手を指し続ける。
「言うまでもないが、コンピューターは本当にモノを考えているわけではない。プログラムされた処理を繰り返しているだけだ。そしてもちろん心もない。
だが、勝負というロジックがそこにある限り心は必要ない。本当にモノを考えるという必要もない。
だから、私のように、他人の心を読む能力がない人間にとって、楽なんだ。こういうことをしているのは」
だが、勝負というロジックがそこにある限り心は必要ない。本当にモノを考えるという必要もない。
だから、私のように、他人の心を読む能力がない人間にとって、楽なんだ。こういうことをしているのは」
今は俺の番だろうか。それとも二葉の番だっただろうか?
二葉の話を上の空で聞いているうちにわからなくなってしまった。
しかし二葉の手が動いて盤上の駒を動かした。
ということは、今は俺の番ということでいいのだろう。
おそらく二葉は順番を覚えている。いや、どこかで混乱があったのだとしても今更どうでもいい。二葉が今指したなら、次は俺の番だ。深く考える必要などない。
「世の中のあらゆる物事が勝負事であってくれれば気が楽なのだがな」
二葉はさっき、他人の心を読む能力、と言っただろうか? 俺の短期記憶に残る妙な言葉。心を読む能力? なんだそれ。エスパーか?
「他人の心を読む能力なんて、誰にもないだろ?」
「そうなのか? ときどき私には、そういう能力を持っている人間がいるように思えるときがあるのだが」
「かもしれないな」
他人の心を読むことができないのは誰にとっても普遍的な事実だ。
しかしそんなことは当たり前過ぎることあり、敢えてそれを普段から意識している人間は決して多くはないだろう。
だから、本当は人の心など読めているわけがないのだが、それを忘れて生活している人間、ということならば、しばしばいるかもしれない。
「おまえはどうだ? おまえは他人の心が読めるか?」
「読めるわけないだろ」
「そうか。私と同じ、というわけだな」
二葉と同じなのかどうかさえ、本当のところは俺にはわからない。
二葉のことだけではない。本当のところ人が何を思っているのか、少なくとも超能力者ではない俺にはわからない。
上の空で言葉を交わしながら、盤上では淡々と局面が進む。
さっきまではわかりづらかった盤面が、どこをどう間違ったのか、いつの間にか俺の優勢になっていた。
「どうやら私の負けのようだな」
ルール上はまだ勝負は確定していないが、もはや覆す手が存在しないことは明白だった。
俺と二葉との間で合意が成立した。
「どこかで手を間違えたか……あるいは、おまえが利己的であろうという仮定がそもそも間違っていたのかもしれないな」
勝負を終え、二葉はボードを机の下へ片付ける。
俺はこの後、皆月先輩との約束がある。だからそれまでの時間つぶしのために一試合だけ、ということで二葉に相手をしてもらっていたのだ。
二葉はそれを律儀に覚えていたのか、勝負を終えた後の片付けに入る動作に迷いはなかった。
「そうだ、今後のために訊いておこう」
前触れもなく、二葉が机の下から顔を出した。
目が合った。
「おまえは本当のところ、何を望んでいる人間なんだ?」