「何してるんですか?」
「生徒会のみなさんへの差し入れを選んでたところです」
差し入れ、か。なるほど。
先輩がさっきから悩ましげに見つめていた棚には、どこにでも売られているような、ありふれたスナック菓子が並んでいる。
差し入れとしては手頃だろう。
しかし……。
「生徒会長って、そんなことまでするものなんですか?」
"買出し" という時点で気になっていたことだ。
「生徒会長と言っても私なんて飾りですから……。
もともと、他に誰もなり手がなかったから推薦されてなっただけ」
もともと、他に誰もなり手がなかったから推薦されてなっただけ」
それはつまり、面倒なことを押し付けられてるだけなのではないだろうか?
あえて口には出さないが、"生徒会長" の存在意義に対する疑問が俺の中に生じた。
「この時期は文化祭の準備で忙しいんです。みなさん、生徒会の他にも部活動など、それぞれの本来の活動を抱えていて、
そんな中で時間をやりくりして、生徒会の活動をしてくれているんです。
せめて差し入れをするぐらいのことは、私がやらないと」
せめて差し入れをするぐらいのことは、私がやらないと」
ようするに、生徒会長なんて面倒くさがって誰もやりたがらないのだろう。
しかし誰かがやらなければならない。
結局、人の良さそうな皆月さんにそのお鉢が回ってくる。そういう様子が目に浮かぶようだ。
しかし目の前の皆月先輩自身には、そうした周囲の人々の腹の内を見透かして不満に思っている様子は見られない。
あくまでも純粋に、そこに自分の役目を見出して努力している。俺にはそんなふうに見える。
「それで、さっきから何をそんなに真剣に選んでたんですか?」
俺は話を戻した。
いかに心がけは純粋だとしても、今していることは、たかが差し入れのお菓子を選ぶというだけのことだ。
そんなに悩む理由は何なのだろう?
「これです」
先輩は目の前の棚に並んでいるスナック菓子を指し示した。
「これ……?」
そこには、同じ銘柄のスナック菓子が2種類並んでいる。
「はい。それです」
どこにでもありそうなスナック菓子だ。"チーズ味" と "うすしお" の2つがある。
「どちらを選ぶべきなのか……いくら考えても、決めることができなくて……」
「"チーズ味" と "うすしお"、ですか……?」
「そうです! 私、一体どちらを選べばいいんでしょう! 折原くん、何かアドバイスはありませんか?」
まさかとは思ったが、本当にそんなことで悩んでいたのか?
だが、目の前の先輩がふざけているようには見えない。
本人なりに切実な問題のようだ。
力になりたいのは山々だが、アドバイスと言われても、俺には何も思い浮かばない。
「こんなの、どっちでもいいんじゃないですか?」
「いいんでしょうか? 本当にそれでいいんでしょうか?!」
間髪入れず、すごい迫力で問い返されてしまった。そっけなく答えてしまったことを後悔する間もなかった。
ここまで思いつめるからには、きっと何か、事情があるに違いない。たかがスナック菓子のフレーバー、と軽視することのできない、何か特殊な事情が。
たとえば……。
「生徒会のメンバーの中に、味にうるさい人でもいんですか?」
「いいえ。そんなことはありません。みなさん、いい人ばかりです。
もちろん味の好みはそれぞれにあるでしょうけれど、私が差し入れたものであれば、みなさん笑顔で受け入れて食べてくれることでしょう」
もちろん味の好みはそれぞれにあるでしょうけれど、私が差し入れたものであれば、みなさん笑顔で受け入れて食べてくれることでしょう」
「じゃあ、いいんじゃないですか?」
「だからこそです!」
俺はまた思わずそっけなく答えてしまったが、それを後悔する暇もない。
「だからこそ、私の選択が重要なんです! 私の責任が重大なんです!」
店内に先輩の声が響いた。周囲の客がこちらを見ているようだ。
「えっと、落ち着いてください。その、なんか、俺、適当に答えちゃってすみません」
「私こそごめんなさい。思わず取り乱してしまいました」
先輩は真剣なのだ。真剣に悩んでいるのだ。
事情も心情も知らない俺には些細なことのように思えるけれど、先輩にとっては重大なことなのだ。
それがどうしてなのかは俺にはわからない。だが、わからないからと言って軽視してはいけない。わからないからこそ、尊重しなければならない。
ここはまず、本人の話を聞こう。いや、聞かせていただこう。
「たとえば……たとえば、そうですね、チーズ味を選んだとして、その場合、何が心配なんですか?」
「チーズって、動物性脂肪ですよね」
「ですね」
俺に栄養学の詳しい知識があるわけではないが、おそらくそのはずだ。
「動物性脂肪を摂取すると、体重が増えますよね」
ははぁ。そういうことか。
これまた俺に栄養学の詳しい知識があるわけではないが、一般的な通説として、それは言えるだろう。
「これを食べることで、ほんの少しだけ体重が増える。
ほんの少しだけ体重が増えて、ほんの少しだけ動きが鈍くなる。
外を歩くとき、普段よりも車をよけるのがほんの少しだけ遅れる。
車が急ブレーキをかける。
急ブレーキをかけると、タイヤのゴムが磨り減る。
磨り減ったゴムが空中に飛び散る。
空中に飛び散ったゴムが、近くを通りかかった人の肺に吸い込まれる」
ほんの少しだけ体重が増えて、ほんの少しだけ動きが鈍くなる。
外を歩くとき、普段よりも車をよけるのがほんの少しだけ遅れる。
車が急ブレーキをかける。
急ブレーキをかけると、タイヤのゴムが磨り減る。
磨り減ったゴムが空中に飛び散る。
空中に飛び散ったゴムが、近くを通りかかった人の肺に吸い込まれる」
「ちょっと、ちょっと待ってください」
なんだか話の雲行きが怪しくなってきたぞ?
俺の理解が追いつかなくなってきた。
追いつかない俺の理解を置き去りにして、皆月先輩は流れるように理論を展開する。
「ゴムを吸い込んだ人が肺炎になる。
肺炎になって入院する。
入院すると病院のベッドが1人分ふさがる。
ベッドが1人分ふさがると、その分、別の人が入院できなくなる。
入院できなくて、治療が遅れる。
治療が遅れて、後遺症が残る。
後遺症が残って、介護が必要になる。
介護が必要になって、生活費がかさむ。
生活費がかさんで、家族が生活に困るようになる。
生活に困って、泥棒をしてしまう。
泥棒をすると、警察に捕まって前科がつく。
前科がつくと、働き口がなくなる。
働き口がなくなると、世の中を呪うようになる。
世の中を呪うようになって、街の中で無差別に刃物を振り回して暴れる。
大勢の人が犠牲になる」
肺炎になって入院する。
入院すると病院のベッドが1人分ふさがる。
ベッドが1人分ふさがると、その分、別の人が入院できなくなる。
入院できなくて、治療が遅れる。
治療が遅れて、後遺症が残る。
後遺症が残って、介護が必要になる。
介護が必要になって、生活費がかさむ。
生活費がかさんで、家族が生活に困るようになる。
生活に困って、泥棒をしてしまう。
泥棒をすると、警察に捕まって前科がつく。
前科がつくと、働き口がなくなる。
働き口がなくなると、世の中を呪うようになる。
世の中を呪うようになって、街の中で無差別に刃物を振り回して暴れる。
大勢の人が犠牲になる」
「あの、先輩……」
「無差別殺傷事件の影響で世間で安全を求める声が高まり、警官が町を徘徊するようになる。
警官が町を徘徊するようになると、世の中に緊張感が増す。
世の中に緊張感が増すと、人々が互いに疑い合うようになる。
治安が悪化し、外国からテロリストに狙われるようになる。
首都圏でテロが発生し、戦争になる。
戦争が起きて、核兵器が使われる。
核兵器が使われると地球が放射能に汚染され、死の世界になってしまう!
ああっ! 恐ろしい! なんて恐ろしい!」
警官が町を徘徊するようになると、世の中に緊張感が増す。
世の中に緊張感が増すと、人々が互いに疑い合うようになる。
治安が悪化し、外国からテロリストに狙われるようになる。
首都圏でテロが発生し、戦争になる。
戦争が起きて、核兵器が使われる。
核兵器が使われると地球が放射能に汚染され、死の世界になってしまう!
ああっ! 恐ろしい! なんて恐ろしい!」
うん。実に恐ろしい話だ。
ところで、これは何の話だったっけ?
そうだ、チーズ味を選んだ場合の展開だ。
なるほど。チーズ味を選ぶということが、これほどまでに恐ろしいことだったとは、考えたこともなかった。
「じゃあ、"うすしお" を選んだら、どうなるんですか?」
「はい。"うすしお" って、つまり塩分ですよね」
「ですね」
栄養学に詳しいわけではないが、あえて "うすしお" などと名付けるからには、そうでないものよりも塩味を強調してあるということなのだろう。
「塩分を摂取すると、ほんの少し血圧が上がる。
ほんの少し血圧が上がると、ほんの少し怒りっぽくなる。
ほんの少し怒りっぽくなって、ほんの少し歩き方が乱暴になる。
歩き方が乱暴になって、砂埃が舞う。
砂埃が舞って、近くを通りかかった人の目に入る。
目に砂埃が入って、視力が落ちる。
視力が落ちて、メガネをかけるようになる。
メガネをかけるようになると、メガネっ子好きな人に交際を申し込まれる。
メガネっ子好きな人と交際するようになって、そのメガネっ子好きな人に密かに想いを寄せていた別の人が失恋する。
失恋して酒びたりになる。
酒びたりになって、肝臓を悪くする。
肝臓を悪くして、移植手術を受ける。
移植手術が行われて、その分、ドナーが不足する。
ドナーが不足すると、違法な臓器売買をしている犯罪組織が台頭する。
犯罪組織が台頭すると、取り締まるために政府が国民の情報を監視するようになる。
政府が国民の情報を監視するようになると、人権意識の強い政府職員が内部告発をする。
内部告発をすると国内にいられなくなるから、外国へ亡命する。
内部告発者の引渡しを巡って、政府と亡命先の国との間で外交問題が生じる。
外交問題が生じると、戦争が起こる。
戦争が起こると核兵器が使われる。
核兵器が使われると地球が放射能に汚染されて人類が滅亡してしまう!
ああっ、恐ろしい! なんて恐ろしい!」
ほんの少し血圧が上がると、ほんの少し怒りっぽくなる。
ほんの少し怒りっぽくなって、ほんの少し歩き方が乱暴になる。
歩き方が乱暴になって、砂埃が舞う。
砂埃が舞って、近くを通りかかった人の目に入る。
目に砂埃が入って、視力が落ちる。
視力が落ちて、メガネをかけるようになる。
メガネをかけるようになると、メガネっ子好きな人に交際を申し込まれる。
メガネっ子好きな人と交際するようになって、そのメガネっ子好きな人に密かに想いを寄せていた別の人が失恋する。
失恋して酒びたりになる。
酒びたりになって、肝臓を悪くする。
肝臓を悪くして、移植手術を受ける。
移植手術が行われて、その分、ドナーが不足する。
ドナーが不足すると、違法な臓器売買をしている犯罪組織が台頭する。
犯罪組織が台頭すると、取り締まるために政府が国民の情報を監視するようになる。
政府が国民の情報を監視するようになると、人権意識の強い政府職員が内部告発をする。
内部告発をすると国内にいられなくなるから、外国へ亡命する。
内部告発者の引渡しを巡って、政府と亡命先の国との間で外交問題が生じる。
外交問題が生じると、戦争が起こる。
戦争が起こると核兵器が使われる。
核兵器が使われると地球が放射能に汚染されて人類が滅亡してしまう!
ああっ、恐ろしい! なんて恐ろしい!」
なるほど。うすしお味を選ぶことは人類の滅亡につながることなのだ。
それならば、おろそかに選択することなどできようはずもない。
「じゃあ、どちらも買わないでおいたらいいんじゃないですか?」
「それも考えたんです。
だけど、何も差し入れをしないと、お腹が空きますよね?
お腹が空くと、ほんの少しイライラする。
ほんの少しイライラすると……」
だけど、何も差し入れをしないと、お腹が空きますよね?
お腹が空くと、ほんの少しイライラする。
ほんの少しイライラすると……」
「あ、はい。わかります。核戦争になって地球が滅びるんですよね?」
「そうです! やっぱり折原くんもそう思いますよね!」
「いやぁ、そう思うというかなんというか」
「ああ、選ぶって怖い! 私の些細な選択がどんな結果を招くかわからない。
私の選択一つで地球が滅んでしまうかもしれない!」
私の選択一つで地球が滅んでしまうかもしれない!」
「確率としては、そういうこともゼロとは言い切れないのかな、とは思わなくもないですけど……」
「そうです。そうなるかもしれないし、ならないかもしれない。
チーズ味とうすしお味のどちらを選ぶか? あるいはどちらも選ばないか?
私の目の前にある選択肢の中に、そういう未来が含まれている可能性がある。
それを思うと私、決められません! 選べません!」
チーズ味とうすしお味のどちらを選ぶか? あるいはどちらも選ばないか?
私の目の前にある選択肢の中に、そういう未来が含まれている可能性がある。
それを思うと私、決められません! 選べません!」
「そんなの気にしすぎですよ。いくら風が吹いたって、そこまで桶屋は儲かりませんよ」
「その話なら知ってます。
風が吹いて桶屋が儲かって、儲かった桶屋は事業を拡大して外国に工場を建てて、地元の人たちを雇用して桶を大量生産して、 桶の材料を採るために熱帯雨林を伐採して、緑が減って二酸化炭素が増えて、地球が温暖化して、地球が滅びるんですよね」
風が吹いて桶屋が儲かって、儲かった桶屋は事業を拡大して外国に工場を建てて、地元の人たちを雇用して桶を大量生産して、 桶の材料を採るために熱帯雨林を伐採して、緑が減って二酸化炭素が増えて、地球が温暖化して、地球が滅びるんですよね」
「ずいぶんグローバルな桶屋ですね」
「些細なことだと油断しているうちに、やがて大きな災厄を招いてしまう……。なんて怖い話なんでしょう!」