部屋で何気なくテレビをつけると甲子園の試合を放送していた。
西学が出ている。
かつて俺が在籍していたチームだ。
だが、当たり前だが、俺の知っている選手は一人も出ていない。
そりゃそうだ。俺が在籍していたのはもう何年も前のことなのだ。
かつての母校であり、今テレビの中で試合をしているのは自分の後輩たち、ということになるのだろうな。
だが、何の思い入れもない。
俺にはもう何の関係もない遠い世界だ。
いや、"もう" ではないな。"もともと" と言うべきだ。俺には縁のない世界だったんだ。
そういえば二葉教授に言われたな。
スマーティングシステムがもっと早くに完成していれば才能のない野球をやらずに済んだ、と。
実際、どうだろう?
もしもスマーティングシステムがあったら、俺は野球をやらなかっただろうか?
きっとシステムにはこう表示されるのだろう。あなたは才能がないから野球はしない方がいい、とかなんとか。
そんな "正解" があらかじめわかっていたら、それでも俺は野球をしていただろうか?
人間に無限の可能性があるなんて嘘だ。
単にどんな可能性があるのかがわからないというだけのこと。その "わからなさ" を "無限" と言い換えているだけだ。
あらかじめどんな可能性があるのかがわかっていれば間違えなくて済む。
答えは有限だ。明示されれば "無限" という聞こえのいい言葉は使えなくなる。しかし間違えることはなくなる。
"間違い" とは何だろう?
長い目で見れば何が正しくて何が間違いなのかはわからない。
とは言うものの。
野球ではなく他のことをしていれば今頃はその分野で何か成果が出ていたかもしれない。少なくとも肩は思い通りに動かせる状態のままだっただろう。
それから、たくさんの人に迷惑をかけた。
両親に。キリエに。キリエの父に。季節外れの転入を受け入れてもらった学校に。その関係者に。
他にも俺の知らないところでたくさん。俺の間違った判断でたくさんの人に迷惑をかけた。
もしもタイムマシンがあったとしたら?
こうなることがわかっていて、それでも俺は同じ未来を選ぶだろうか?