ひときわ目を引くものがあった。
巨大なトーナメント表だ。
体育館入り口の真向かいの壁面に巨大なスクリーンが設置されており、そこに映し出されているのだ。
物理的にサイズが大きいだけではない。出口の見えない迷路のような巨大さだ。
トーナメントである以上、頂点は一つだけだ。
だが最下段の細かさには圧倒される。
そこに連ねられているのは今ここに来ている参加者たちの名前というわけだ。
その中から一人だけが頂点に立つ。つまり後日行われる本戦への出場権を手にすることになる。
スクリーンは巨大でありこの体育館のどこからでも見えそうだが、最下段はあまりにも細かく、近づかなければ見えない。
俺は自分の名前を探すためにスクリーンの下へと近づいた。
間近で見上げるそれはますます巨大で、俺の存在を押し潰す。
あった。確かにある。
無数に書き連ねられている最下段の名前の中に、俺は自分の名前を見つけた。
いや、名前ですらない。参加IDが記されているだけだ。
こうしてトーナメント表を見ると、文字通り俺の存在はその他大勢の中の一粒に過ぎないと思い知らされるようだ。
勝ち抜くことができる気が全くしない。
トーナメント表というものを発明したのは一体誰なのだろう?
試合の仕組み自体もそうだが、それ以上にこの表の形式だ。
実に残酷なデザインだ。
下は無数。上は一つ。
露骨だ。露骨にもほどがある。
今日ここに来ている連中はこうして最下段に名前を書き並べられるためにここへ来ているというわけだ。
近づいて目を凝らさなければ判読さえできないほどギッシリと並べられている中の一人に自分自身がなるためにここへ来ているわけだ。
勝ち抜ける気が全くしない。見れば見るほどそう思う。
そう感じるのはマインドルの腕前に自信があるかどうかとは別の問題ではないだろうか?
この表を見て、自分だけは例外的に頂点になることができるなどと一体どんな精神構造があれば思うことができるものだろう?
が、試合をすれば片方が勝ち、片方が負ける。その繰り返しの結果、誰かが必ず頂点に立つ。
そこにいる一人一人の意志とは無関係に、必ずそういう結果が出るようになっている。これはそういうシステムなのだ。
もちろんこの大会は限りなくヤラセに近いのであり、俺のような本当の一般参加者は勝ち抜けないようになっているのだろう。
事実、別の地区の予選から出ていた先輩や後藤、それに陰之内らはすでに "順当に" 本選への出場を決めているという。
だが仮にそうした "ヤラセ" がなかったとしても、このトーナメント表だけで充分に威力がある。