「教授だから社会的には尊敬されているのだろうが……あいつが一緒に住んでいたとき、家の中は最悪だった」
俺はただ、耳を傾けることしかできない。
「両親が二人そろうと、必ず言い争いになっていた。
理由は私にはよくわからなかったが、おそらくは些細なことなのだろう。
それほど重大なことが毎回あるとは思えないからな。
物心ついたときから私にとってあの男は、ときどき家にやってきては母と口論をする人、という印象しかなかった」
理由は私にはよくわからなかったが、おそらくは些細なことなのだろう。
それほど重大なことが毎回あるとは思えないからな。
物心ついたときから私にとってあの男は、ときどき家にやってきては母と口論をする人、という印象しかなかった」
ともすれば周囲の喧騒に掻き消されそうになる知子の声を、 俺は懸命に意識の上に拾い上げる。
「亮介、結婚というのはお互いに好きだからするものなのだろう?
お互いに好きなら、どうして言い争いをするのだろう?
亮介、おまえはなぜなのかわかるか? わかるなら教えてくれないか?」
お互いに好きなら、どうして言い争いをするのだろう?
亮介、おまえはなぜなのかわかるか? わかるなら教えてくれないか?」
わからない。
キリエは同じ話を知子から聞いただろうか?
キリエはどう答えただろう?
キリエならどう答えるだろう?
違う。今訊かれているのは俺なのだ。
「私は好きな人と言い争いをしたいとは思わない。
私はキリエとも亮介とも、言い争いなどしたくない。
これは、私がおかしいのだろうか?」
私はキリエとも亮介とも、言い争いなどしたくない。
これは、私がおかしいのだろうか?」
おかしくない。何一つおかしくない。
それだけは確かだ。
だが俺は知子の問いにどう答えればいいのかわからない。
それは答えを知らないせいだろうか? それとも言葉を知らないだけだろうか?
もし俺が言葉を今よりもたくさん知っていたら、 たくさんの言葉をつなぎ合わせて、問いに合った答えを作り出してしまうかもしれない。
それならいっそ、言葉を知らない方がマシだと思ってしまうのはなぜだろう?
だからと言って問いが解決するわけでもないのに。