「おい亮介、なぜ扉を閉めるんだ? まだ話は終わっていない」
言いながら、知子は閉まったばかりの扉の取っ手に手を伸ばす。
俺はそれを制止する。
「落ち着けって。もう今の人の意見は聞いただろ?」
「ああ、聞いた。だが、拡声器で整理整頓を呼びかける必要はないし、
時間が知りたければ自分で時計を見ればいい。
従ってあの拡声器は不要な騒音だ。
亮介は私の考えが間違っていると言うのか?」
従ってあの拡声器は不要な騒音だ。
亮介は私の考えが間違っていると言うのか?」
そうではない。そうではないのだが……。
今ここで再び扉を開けて、今の人に知子の言葉をぶつけても意味はないと思うのだ。
どう言えばいいだろう?
俺は言葉を探しながら、知子に話す。
「そうじゃないけど、今の人を言い負かしても何にもならないだろ?
今の俺たちの目的は他の人たちの "意見を聞く" ことだ。
他の人たちを "説得して、俺たちの考えに同意させる" ことじゃない」
今の俺たちの目的は他の人たちの "意見を聞く" ことだ。
他の人たちを "説得して、俺たちの考えに同意させる" ことじゃない」
「……確かにそうだな。亮介の言う通りだ」
ものの感じ方や考え方というのは、人がいれば人の数だけ異なるものだろう。
なにも世界中の全ての人間が、俺や知子と同じ意見を持っていてくれないと困るというわけではないのだ。
俺たちは他の部の部室も訪ねて、同じように意見を集めることにした。
俺と知子はクラブ棟内の部室を回って、ボランティア同好会の拡声器についての意見を集めた。
だが、俺たちが期待していたような話はただの1つも聞くことはできなかった。
ただの1つも、だ。
信じ難いことだが、それが事実だった。
細部の差はあるが、全体的に、最初に聞いた書道部の人と同じような回答ばかりなのだ。
まとめると、こうなる:
・多少は気になるが不愉快というほどではない
・悪いことをしているわけではないのだからいいのではないか?
・時間がわかるのは便利なことだ
・悪いことをしているわけではないのだからいいのではないか?
・時間がわかるのは便利なことだ
人によってものの感じ方や考え方が違うのは当然のことだ。
とは言うものの、これほど俺と知子が少数派だとは思わなかった。
「これはどういうことだ? あの拡声器が間違いではないというのか? 私の考えが間違っているのか?」
人によってものの感じ方や考え方が違うのは当然のことだ。
だからこそ、拡声器を使って相手を選ばずに声を聞かせることは問題なのではないか?
しかし俺と知子だけが特別で、他の誰もあれに不満がないのだとすると、 間違っているのは俺たちということになるのかもしれない。
それとも、これはキーホルダーの件での俺たちの個人的な私怨に過ぎないのだろうか?