私の目的は何だ?
何のためにここに来た?
「折原亮介」を見つけ出すためだ。そして「折原亮介」がどんな人間なのかを理解する。
では、なぜこんな部屋に留まっている?
他人である「折原亮介」を理解することは不可能だと知っているからだ。
他人を理解することはできない。
そんなことは、ずっと前からわかりきっていたことではないか。
だからこそ、明確なルールと言葉が支配する世界を望んでいた。
教授の計画が成功してマインドルの世界が実現すれば、そこはきっと私にはとても住みやすい世界だろう。
誰も人の心を問わない世界。
人の心などというわかりえないものは問わない方がいい。
わからないものをわかるつもりになるから、ルールや言葉があいまいになり、不可能な期待を他人にかけてしまう。
「この人はこういう人間であるはずだ」「言わなくてもわかっているはずだ」
期待外れになることが保証されている期待だ。そして、期待が外れたと言っては罵り合うのだ。
そんな世界に私は心底うんざりしていたはずだ。
教授が目指しているという理想の世界では、そんなことは起き得ないだろう。
全てが明確であるがゆえに、人の心を問う必要がない。
そして私は "折原亮介" を永遠に理解できないのだ。理解する機会を永遠に失うのだ。
しかし、そもそも他人を理解することはできないのだから、実のところ何も失ってはいないはずだ。
強いて言うならば、希望を失う。
理解することを諦める。
なにしろ不可能なのだから、諦めるしかない。理解を放棄するのが正しいことなのだ。
それが私の望んでいる世界。
本当に?
人を理解することは、諦めるしかないのだろうか?