「おまえと、私を、一緒にするな!」
「同じだよ。我々は同じ種類の人間だよ」
教授は「我々」という言葉を繰り返す。
「おまえも気付いているはずだ。我々は生まれつき、他人を理解する能力が欠如している。
だが本来的に、他者とは理解不可能なものだ。
そのことを骨身に染みてわかっている分、中途半端に他人とうまくやっていて、 それを誇っているような連中よりもよほど正直で、物事を正確に見ている。
そんな我々だからこそ、"理想的な" 世界を作ることができるんだ」
だが本来的に、他者とは理解不可能なものだ。
そのことを骨身に染みてわかっている分、中途半端に他人とうまくやっていて、 それを誇っているような連中よりもよほど正直で、物事を正確に見ている。
そんな我々だからこそ、"理想的な" 世界を作ることができるんだ」
他人は理解不可能。
あまりに簡単すぎる事実。
「わかっているか?」と人に問えば、間違いなく「わかっている」と返事がくるに違いない。
だがあまりに陳腐な命題であるがゆえに、誰もが表面的に答えを暗記しているだけなのだ。
他者が理解不能であるという事実を腹の底から思い知っている人間が果たしてどれほどいるだろう?
ほとんどの人間は「なんとなく人と通じ合えている」つもりでいるのではないか?
そして、たまに思い通りにいかないことがあると、手ごろな道徳律を持ち出して人を責めるのだ。
「言葉をいい加減に使い、恣意的に "道徳" を振りかざして人の心を "評価" しようとする "他人" どもに、おまえは辟易しているはずだ。
違うか? いいや違わないはずだ。私とおまえは同じ種類の人間なのだから」
違うか? いいや違わないはずだ。私とおまえは同じ種類の人間なのだから」
「……よくわかっているじゃないか。
他人は理解不可能のはずなに、そこまで正確に私の思いを言い当てるということは、 やはり私とおまえは同じ種類の人間だということなのだろうな」
他人は理解不可能のはずなに、そこまで正確に私の思いを言い当てるということは、 やはり私とおまえは同じ種類の人間だということなのだろうな」
認めざるを得ない。