「あー、負けちゃった……。結構いいセン行ってると思ったんだけどなぁ。うーん」
目の前の黒川は随分悔しがっているように見える。
それとも、あくまで遊びであるマインドルの勝負を盛り上げるために、ワザらしく悔しがって見せているだけなのだろうか?
試合の前の黒川は、自信があると言っていた。
自分の強さを見せるつもりだったのが負けてしまったのだから、文脈から言えば悔しいのは当然だろう。
それともこんなふうに思うのは俺の方こそ、勝つことにこだわっていたということなのだろうか?
実際、勝ちをおさめた今、自分の中に優越感としか呼びようのない感覚が多少なりともあることを認めざるを得ない。
勝ち負けにこだわっているつもりはない。だが、勝てばやはり気分がいい。
しかしそれは同時に、相手が嫌な気分になっているということでもある。
どちらかが勝って、どちらかが負ける。
どちらかがいい気分になって、どちらかが嫌な気分になる。
では、全体としてゼロなのだろうか?
理屈としてはそういうことになるだろう。
だが本当にそうだろうか?
たしかに理屈としてはそういうふうに結論づける以外に結論の出しようがないだろう。
だが、俺自身は今、その結論に納得できていない。
いずれにせよ、どちらかが嫌な思いをしている。
それならば、全体としてもマイナスなのではないだろうか?
理屈には合わない。だが、目の前で悔しがる黒川を見ていると、どうしてもそんな気がしてしまうのだ。
それならば、ワザと負けてあげればよかっただろうか?
それも、何かが違うような気がする。
何が違うのだろう?
勝った俺の口からこんな発想を語れば、勝者が敗者を見下すような言葉としか思われないのではないだろうか?
"恰好つけたことを言っていても、自分が負けたならばそんな余裕はなくなるに決まってるさ"
そうとでも言いたげな、冷笑と皮肉に満ちた嘲笑がどこからともなく、しかしありありと、否定しようもなく明確に聞こえてくるようだ。
そして同じことを負けた側が言えば、負け惜しみとしか思われないのだろう。
それが勝負という文脈に支配された空間で演じることが許されている唯一のシナリオなのだ。