「ねぇ亮ちゃん、カレー、好き?」
好きかどうかと訊かれると、どうにも答えにくい。
「嫌いじゃない」
便利な言葉だ。
つまり答えをはぐらかしているということだ。
もっと言えば、好きかどうかという枠組みで認識すること・されることを拒絶しているということだろうか。
ではそのほかに、どのような枠組みがあるだろう? あるいは枠組みを外したところには何があるだろう?
「本当は、カレーなんて好きでもなんでもないでしょ?
ただ、作りやすくて、食べやすいだけ」
ただ、作りやすくて、食べやすいだけ」
「そんなことはない」
「ねぇ亮ちゃん、食事は好き?」
「そんなこと……」
特定の料理ではなく、食事そのもの。
それが好きかどうか。
そんなこと、考えたこともない。
「私は別に、食事は好きじゃないよ。
食べなきゃいけないことになってるから、毎日食べてるだけ」
食べなきゃいけないことになってるから、毎日食べてるだけ」