「生きることはね、引き算なの。
絶対にゼロ以上にはならない積み重ね。
生きていて、することのすべてに、意味はない。
あると言えるのは、生きて目に見える世界に限定した文脈の中でだけのこと。
意味があるということにしてしまうことは間違い。
意味のあることは何もなく、間違う可能性だけがある。
そして、間違いを埋め合わせるための果てしない繰り返しが続いてしまう。
何かをするから、また別の何かをしなければならなくなる。キリがない。
子供を作る、なんてのは、間違いの最たるもの。
意味があるということにする主体を、もう1人増やしてしまうんだからね。
生きるのを辞めれば、それ以上間違わなくて済む。
たとえば、死んでしまえば、もう子供を作ってしまう心配はないでしょう?
そんな連鎖は、どこかで思い切って終わらせないとね。気が付いた私の責任だとも思ってるよ。
生きることは引き算。
こういう言い方をすると "いいや違う。足し算なんだ" って、言いたくなるかな?
言えばいいよ。
引き算じゃなくて足し算だと言うための理由を探して、言えばいいと思うよ。
いくらでも言えると思うよ」
絶対にゼロ以上にはならない積み重ね。
生きていて、することのすべてに、意味はない。
あると言えるのは、生きて目に見える世界に限定した文脈の中でだけのこと。
意味があるということにしてしまうことは間違い。
意味のあることは何もなく、間違う可能性だけがある。
そして、間違いを埋め合わせるための果てしない繰り返しが続いてしまう。
何かをするから、また別の何かをしなければならなくなる。キリがない。
子供を作る、なんてのは、間違いの最たるもの。
意味があるということにする主体を、もう1人増やしてしまうんだからね。
生きるのを辞めれば、それ以上間違わなくて済む。
たとえば、死んでしまえば、もう子供を作ってしまう心配はないでしょう?
そんな連鎖は、どこかで思い切って終わらせないとね。気が付いた私の責任だとも思ってるよ。
生きることは引き算。
こういう言い方をすると "いいや違う。足し算なんだ" って、言いたくなるかな?
言えばいいよ。
引き算じゃなくて足し算だと言うための理由を探して、言えばいいと思うよ。
いくらでも言えると思うよ」
キリエの言う通り、反論はいくらでも可能だろう。
だが、どんなに言葉を並べて、つじつまの合う理論を構築して見せたところで、 その言葉はキリエが到達した確信を揺るがすことはできないだろう。
キリエは確固たる確信に到達しており、そこから俺に向けて言葉を紡いでいるのだ。
その言葉の端々を捉えて反論して見せても、キリエ自身には届かず、揚げ足取り以上のものにはなり得ない。
キリエが到達した場所。そこに立っているキリエ。
俺がこの場所で思いつくいかなる愚問をも超えた場所にキリエはいるのだ。