好きにするといい。
ただそう言って二葉知子は俺の前に立つ。
俺は今、何を見ているのだろう?
微笑みでもなく怒りでもない、何も表していない表情。
一切の防御を放棄した文字通りに無防備な姿で二葉が俺の前に立つ。
なんだ、これは?
鏡だ。俺が今見ているのは鏡だ。
意志を放棄した存在を前にして、そこにあるのは俺の意志のみ。
俺の意志だけが、一切の言い訳をすり抜けて、むき出しになって俺に戻ってくる。
二葉の視線が真っ直ぐに俺を射抜く。
いや違う。この視線は俺の視線だ。
俺自身が俺を見つめているのだ。
誤魔化しの利かない俺自身の視線が俺自身の姿を隅々まで明るみに出す。
起きることを誰のせいにすることもできない。
なぜなら全てが俺の意志で決まるからだ。
何が見える?
何も見えない。
それが俺だ。
二葉を殺したいわけでも殴りたいわけでも犯したいわけでもない。
それは別の誰かが言うかもしれないことではあっても、俺自身のことではない。
俺が俺自身の意志で望むことなど、本当のところ、何もないのだ。
虚しい。なんて虚しいんだ。
相手がいないことが、こんなにも虚しいなんて。
じゃあ、相手がいれば虚しくないのか?
やっていることは同じ。
虚しさは常に手元にある。他人が相手になっていると、それを忘れることができるだけ。
本当のところ俺自身がやりたいことなど何もないのだ。
意味や価値などがあるような気がしているのは、他人と支え合って空中に楼閣を浮かべているだけ。
俺は今、意味の外側を見た。
今初めて見たわけではない。
むしろ何度も訪れた馴染みの場所だ。
肩を壊して野球という価値から転げ落ちたときから、価値の中の上下ではない、価値そのものの外側を俺はずっと見ている。
俺はその場所で立つ方法を知らず、背を向けて、未だにあてもなく駆け回っているだけだ。