本を紹介「経済成長がなければ私たちは豊かになれないのだろうか」 C・ダグラス・ラミス C.Douglas Lummis 平凡社/2004年9月発行 |
私はふだん、自分が読んだ本のことを人に話すことはほとんどありません。 本を読んで自分の知識が少し増えればそれでいい。他人のことなんか、どうでもいい。 でも、この本に限っては、それでは不充分だと思いました。私が知っているだけでは意味がない。 この本の前書き「はじめに」には、次のように書かれています。 私はこの本を読んでくださる読者として、次のような人々を想像する。
これからどれぐらいの数の人々が共通意識を持ったとき、その意識が「常識」へと変わっていくだろうか。 (p.19) 私は上のリストに、もう1つ付け加えたいと思います。
この本の章立ては次のようになっています。 第一章 タイタニック現実主義 第二章 「非常識」な憲法? 第三章 自然が残っていれば、まだ発展できる? 第四章 ゼロ成長を歓迎する 第五章 無力感を感じるなら、民主主義ではない 第六章 変えるものとしての現実 「憲法」や「環境問題」といった幅広いテーマが扱われている、ように見えます。 しかし専門的な内容ではなく、予備知識はあまり必要ないのではないかと思います。 というより、それら個別のテーマの専門性の影に隠れて見えにくくなってしまいがちな「人間にとって大事なこと」を思い出させてくれる、そういう本のように私は思います。 この本には、特に真新しいことや斬新な考え方が書かれているわけではない「らしい」です。 (私は物知らずなので、何と比べて新しくないのか、斬新ではないのか、正確には判断できません) でも大事なことが斬新である必要はありませんね。アイディアコンテストではないのです。 この本を必要としている方は、おそらく、すでに、上記の前書きのリストや各章のタイトルを見ただけで、何か「ピン」と来るものがあるのではないでしょうか。 以下、章立てに沿って、私の偏った読み方での印象をまとめておきます(「要約」と呼べるシロモノではありません)。 でも、ご自身で実際に読まれるのが一番です。 明日にでも、お近くの図書館へ行ってみましょう。時間が許すなら、今からでも。 ちなみに……金沢市立図書館の本書には、鉛筆で傍線を書き込んで消したような跡がたくさんついていますが、犯人は私ではありません。 |
◆◆ 第一章 タイタニック現実主義 ◆◆ |
軍備を増強することが現実的と呼ばれる。 経済発展を目指すことが現実的と呼ばれる。 しかしそれは本当に現実的か? 「タイタニック現実主義」に過ぎないのではないか? どういう意味か? 私たちが乗っている地球を、やがて氷山にぶつかって沈没する船「タイタニック」に喩えてみる。 船は氷山に向かって走っているのに、誰も船を止めようとしない。 なぜか? 船に乗っている人たちにとっては、船の中だけが「現実」なのです。船の外にある海や氷山に気づかない。気づこうとしない。 船内の1人1人には、船を前進させるための日常の仕事がある。 その仕事を続けて船の航行を維持することだけが「現実」 「船を止めよう!」などというのは「非現実的」 しかし船の外には海があり、氷山があり、船は実際に氷山に向かって進んでいる。 ところが、その現実を訴えると「非現実的なことを言うな!」と言われてしまう。 |
◆◆ 第二章 「非常識」な憲法? ◆◆ |
軍事力を持たなければ安全を守れない? 本当に? でも20世紀の歴史によると、軍隊は自分の国の人々をたくさん殺している。 戦争をして他の国の兵士を殺すよりも、たくさんの自国民を殺している。 そして、日本の軍隊が今よりも権力を持っていた時代、日本は住みやすい国だったか? |
◆◆ 第三章 自然が残っていれば、まだ発展できる? ◆◆ |
当たり前のように「よいこと」として語られるようになって久しい「経済発展」という概念は人工的に作られたもの。 そこでは大国の貨幣制度に組み込まれていない地域や文化は全て「未開発」とされる。 ジャングルの奥地で昔ながらの自給自足の生活をしている人たちからは、経済的な利益を搾取することはできない。 だから、ジャングルを伐採して彼らの生活基盤を奪った上でプランテーションを作り、強制労働をさせる。 そしてそれを「発展」と呼ぶ。 |
◆◆ 第四章 ゼロ成長を歓迎する ◆◆ |
経済成長は環境に悪い。人間の心にも悪い。 でも、ここでよいニュースがあります。 「経済成長が止まりました!」 ゼロ成長です。 第一章のたとえで言うと、タイタニックのエンジンが停止した状態です。 え? これは「不況」なの? なんでそんな言い方するの? せっかく危険なエンジンが止まったのに、わざわざ元に戻そうとするなんて。 「人材」という言葉は、本当は恐ろしい言葉であって、これからの社会では自分が「人材」だと言われたら怒るような、 侮辱的な言葉と考えるべきだと思うのです。私は材料じゃない、人間です。と答えるようになる人が増えるといいと思う。 (p.150) |
◆◆ 第五章 無力感を感じるなら、民主主義ではない ◆◆ |
「どうせ私が何を言っても、世の中は変わらない」 こう思っているとすると、その世の中は私にとっては民主主義ではない。 民主主義ということは民に力があるということのはず。どうして私の声が無視されるの? そして、無力感を感じているということは、責任感も感じることができない。 だって私が何をしたって誰にも関係ないんじゃん? 忘れてはならないことは、「世論」というのはテレビのニュース・キャスターやタレントが作るものではなく、 民衆の構成員である個人が作るものだということです。したがって、どんなかたちであれ自分の意見や信念を公にすることは、 いつか将来の変化につながるかもしれないということだけでなく、それだけですでに小さな変化になっています。 つまり、もう「世論」の一部になっているのです。 (p.208) |
◆◆ 第六章 変えるものとしての現実 ◆◆ |
「現実」という言葉はどんなときに使われるでしょうか? それは、願い事を否定するときです。 「現実なんだから仕方がない」 「もっと現実を見ろよ」 つまり、この「現実」とは「変えることができない障壁」のことです。 でも、この第六章のタイトルでは違いますね。「変えるものとしての」現実。 「現実」を、あきらめるための結論ではなく、そこから問題解決を始めるスタート地点として考える。 ……なんてことが実際にこの本に書いてあるわけではないのですが、私は、読みながらそんなことを思いました。 はい、これも全然真新しい考えではありませんね。 でもだからといって、忘れてはいけない、というより、わざわざ忘れる努力をしなくてもいい、そのように思っていていい。 議論すると言い負かされるのは私の方かもしれませんが、そんなことはどうでもいい。 そのような、ずうずうしさを、私はこの本のおかげで思い出すことができました。 |
◆◆ そんなわけで ◆◆ |
脈絡は省きますが、そんなわけで、私はフルタイムで働くのを辞めました。 自分の全てを会社に売り渡さなくても、生活に困るというほどのことはない。 問題は世間体ですね。 昼間にスーツを着ずに歩いていると、恥ずかしいような気がするんです。ごめんなさい、小心者です。 でも、気にしないことにしました。 |